2章10 『ドロドロのミスゲート!』 ③


 弥堂は風紀委員会副会長の五清 潔いすみ いさぎへ鋭い眼を向ける。



 まずはこの女が邪魔だと感じ、こちらから排除を試みる。



「五清、もう一度言う。ここは俺の現場だ。消えろ」


「そういうわけにはいかないわ。アナタには不正の疑い、それに学園の風紀の規則にも反した疑いがかかっている」


「お前の勘違いだ。失せろ」


「私ももう一度言うわ。通報が入ったの。それを受けとった以上は風紀委員会として無視をすることは出来ません。そして今日の放課後の巡回当番は私よ。これは私の仕事だわ!」



 チッと舌を打って弥堂は五清が強調してきた風紀委員会の腕章を睨む。


 そして――



(――嘘だな)



 彼女の言葉をそう断じた。


 目線を五清の持つファイルへと移す。


 ついでに五清と一緒に来ている他の風紀委員メンバーの顏も記憶に記録しておく。



 風紀委員には委員会の活動を行った後に、その日の活動を報告書に記して提出する義務がある。


 五清が持っているのはその4月分の一部だろう。


 そしてそれは普段は風紀委員会の部屋の棚に保管されている物だ。



(通報だと……?)



 急な通報を受けて急いで出動したとして、だったらあんな物を持って来られるわけがない。持って来る理由もない。


 誰が何の騒ぎを起こすのかを予め把握し、準備していない限りは。



 だとしたら、ここで五清があれを持って弥堂の前に現れたことも、全ては描かれたシナリオの内だということになる。



 五清 潔は風紀委員会の副会長であり、弥堂とは敵対派閥になる。


 現在の風紀委員会は弥堂と書記の筧 惣十郎かけいそうじゅうろうという男によって私物化されている。


 物事の分別のつかぬ幼い主君を懐柔し傀儡とし、自分たちに都合の良い暗愚に仕立て上げているのだ。


 そうして好き勝手に風紀委員会を運営している。


 五清さんはそんな腐敗した風紀委員会の中でも、しっかりと通常通りのお勤めを果たしている真っ当な風紀委員さんだ。



「おぉ……、誰だあの子? あの弥堂に真っ向から言い返してるぜ」

「普通にまともな風紀委員っていたんだな」

「あ、五清さんだ」

「がんばれー」



 どうやら彼女はこの学園では珍しいちゃんとした風紀委員として一部の生徒には認知されているようだ。


 そんな彼女の存在と、この場は、弥堂にとっては非常に都合が悪い。


 弥堂には自身が横暴と不正を働いている自覚があるからだ。



 仮に――風紀委員会の自浄を目指す五清が、公共の場で弥堂の不正を弾劾出来る機会があると話を持ち掛けられたら、彼女が喜んで協力をするのは想像に難くない。



(こんな手まで用意していたのか……?)



 弥堂は希咲の方へ疑いの眼を向ける。



 だが――




「――え……? なにこれ……?」



 七海ちゃんも若干オロオロしていた。


 急に風紀委員会が介入してきて何か別の話が始まったので、彼女も状況に着いていけていなかったのだ。



 つまり、この場に五清が現れたのは希咲による伏せ札などではなく、ただ単に弥堂の日頃の行いが悪いだけのことのようだった。



(な、なんかタイヘンなことになってる……? でも……)



 この場は自分が設定したものだったのになー、やめてほしいなーと、希咲は内心迷惑に思う。


 しかし、風紀委員の人が来て『不正』がどうのと言っていた。


 そうなると『あたしがこいつに用があるの。ジャマしないで』などとは言い出しづらく、七海ちゃんはお口をもにょもにょとさせた。



 そうしていると、五清の顏が希咲の方へ向く。



「希咲さん……っ!」


「え? はいっ!」



 大きな声で呼ばれて思わずビシッと背筋が伸びる。



「安心して。私たちはアナタの味方よ!」


「へ? はい……?」


「私は風紀委員としてこの男の不正が許せない……。だけどそれと同じくらい……、いいえ、それ以上に同じ女性としてこの男の所業が許せないわ……っ!」


「あ、はい……。はい……?」



 何を言っているのかさっぱりわからないが、波風を立てぬように曖昧に相手を肯定しておく。


 すると、同じ女子である五清さんの共感メーターがモリモリ上がっていった。



「ごめんなさい。失礼かもしれないけれど、アナタたちの事情は把握しています。ここでのやりとりも少し聞かせてもらいました」


「はぁ……」


「ツライことだったろうし、言いだしづらかったことだとも思う。だけど希咲さん。アナタはこうして正面から正々堂々と、この不誠実な男に立ち向かうことを決めた。アナタのその勇気に同じ女性として敬意を表します……!」


「えと……、うん? ありがとう……?」


「正直、アナタほどの女子がどうしてこんなクズと……、そんな気持ちもあるわ……」


「んん?」


「――っ⁉ ごめんなさい。今のは失言でした。とにかく、わかって欲しいのはここに居る女子はみんなアナタの味方だっていうことよ」


「はぁ」


「当たり前よ。あんなクズ男は女の敵。全女性が倒すべき敵なの。アナタは一人じゃない。そうよね? みんな……っ!」


「は?」



 希咲はやはり五清の言っていることが何一つ理解出来ないので生返事しか返せない。


 弥堂がクズだということにだけは同意と共感が出来る。


 しかし、何やら話している内に段々と一人で盛り上がっていった五清さんは、ついには群衆にまで何かを呼び掛け始めた。



 すると――



「同じ女性……」

「みんな……」

「女の敵……」



 女子同士の間で共感のチェインが発生し、それらが群衆全体に伝播していく。


 そして――



「そうよ!」

「女として許せない!」

「謝りなさいよ!」

「卑怯者!」

「クズ!」

「浮気ヤロウ!」

「言いなさいよ!」

「吐け!」

「謝れ!」



 女子たちは口々に弥堂を罵り始めた。


 先程は希咲のことをディスっていた女子までも弥堂を糾弾している。



 女子たちにとって、この一瞬の盛り上がりこそが重要であり、一部同調圧力も勝手にかかっている。


 みんなが責めているから参加しないと自分も敵にされてしまうと。



 それによって起こった弥堂へのヘイトコールだ。


 中には感極まりすぎて何故か泣きながら、まるで自分が被害を受けたかのように恨み言を吐いている者までいる。



「え……? なにこれ? こわ……」



 一人ノリ遅れてしまった女子である希咲さんは大困惑だ。


 それに気になる文言がやはりある。



「ていうか、浮気……? これ誰の話してんの……?」



 そういった単語が出てくると、いつも通り紅月 聖人絡みでまた何かが拗れているのだろうかと連想してしまう。


 だが、どうもそれとも違うような気もして、ひたすら戸惑うばかりだ。



 いつもだったら似たようなことを希咲が言われる。


 だが、この場での暴言は全て弥堂へ向いているようである。



(まさか、ここに居る女の子みんなあのバカに騙されたとか……?)



 思いつくがそれも違う気がする。



(あんなのと付き合う子がこんなにいるわけないか。アレの彼女とか女として終わってるし)



 どこからかフラグの立った音が聴こえてきそうなことを考えつつ、希咲は「うん?」「うん?」と頭を捻らせる。




 そんなオロオロ七海ちゃんを観察して――



(あいつが仕組んだものじゃないのか……?)



 じゃあこの騒動は一体なんなんだと、弥堂も困惑する。


 自らの行いを省みないクズ男の辞書には、自業自得という言葉は載っていない。



 だったらこのキーキーと煩い女どもは、さっさと排除してしまおうかと決める。



 自分へ罵詈雑言を投げてくる女どもの方を向いて、弥堂は「お前らなどに誰が従うか」という意思を発する為に、ベッと地面に唾を吐き捨てる。



「――あっ⁉ ちょっと! なにしてんのよっ!」



 しかしその行動は群衆ではなく七海ちゃんに見咎められた。


 公共ルールを無視した野蛮な振る舞いにビックリして、ぴゃーと跳ね上がった彼女のサイドテールを弥堂はジッと視る。



「学校でなんでそういうことすんの⁉ つか、どこでもすんな! きったないわね! そういう男マジむり!」


「そうよ!」

「サイテー!」

「クズ!」

「掃除しなさいよ!」



 そして弥堂の軽率なマナー違反行為に腹を立てたのは希咲だけではなかったようで、他の女子にも口々に怒られてしまう。


 結局希咲と他の女子を一致団結させてしまった。



 しかし、全ての女子がそれに参加しているわけでもない。


 一部冷静に状況を見守ろうとしている者たちも居た。



「――そ、掃除しなさいよ……っ!」

「わわわ……っ、やめとくんだよマホマホっ!」



 周囲に同調の声を上げようとした日下部さんのお口を早乙女がパッと塞ぐ。



「ののか達はクラス一緒なんだから、うっかり参加したら後日ママにされちゃうんだよ……っ!」

「あっ……、ごめん。つい……」

「マホマホはこういうのに弱いからなぁ……」



 顔を見合わせて苦笑いする。


 普通の女子である日下部さんは『みんながやっているから』という同調圧力に弱いのだ。


 この意味のわからない場の空気にあてられて、判断能力を削られてしまっていたようだ。



「ちゃんと自分の意思は持たないとダメだぜ? マホマホ」


「……それはそうだけど、アンタいつも『みんながー』とか言って私を騙そうとするじゃん」



 バチンっとウィンクをかます早乙女を日下部さんがジト目で見遣る横で、舞鶴がニヤリと笑う。



「しっかしすごい状況ね。魔女裁判ってこういう感じだったのかしら。興味深いわ。ねぇ? 楓」



 身体の前で組んだ腕に乗せたお胸を揺らして感心しつつ、隣の野崎さんに声をかける。


 だがその返事は返ってこない。


 不審に思って舞鶴は隣に顔を向けるが、そこには誰も居なかった。



「…………」


「ちょっと。楓……?」



 ふと背後から気配を感じて振り返ると、そこには舞鶴の身体の後ろに隠れるようにして身を縮こませる野崎さんがいた。



「何してるのよ」

「あははー……、ちょっと隠れようかなって……」


「それは見ればわかるけれど、一体何から隠れているのよ」

「ほら、五清さんがいるでしょ?」


「ん?」



 その言葉に導かれるように目線を動かすと、そこには弥堂への罵倒を繰り返す群衆を扇動する五清さんの姿が。



「見つかると私も参加しろって言われそうで……」

「あぁ……」


「ちょっと立場をはっきりさせづらいというか……」

「委員長も大変ね」


「これは学級委員じゃなくって風紀委員としての大変だけど、まぁ、うん……」



 困ったように笑う野崎さんに舞鶴は嘆息した。




 並木道に集まった群衆は一斉に弥堂を責めている。


 それをしているのは主に女子たちで、この場に居る男子たちは只管居心地が悪そうにしていた。


 自分が標的にならぬよう息を潜めるばかりだ。



 それは彼らも例外ではない。



「ヤ、ヤベエなこれ……」



 喧嘩っ早い不良である鮫島くんもこの状況にはドン引きだった。


 彼の意見に須藤くんと小鳥遊くんも思慮深い顔で頷く。


 そしてその渦中に身を晒す弥堂へ、ある種感心の念を抱いた。



「つーか、アイツすげえな」

「この状況でよくあんな態度とれるよな」

「鮫島でもこれはキツイか?」



 小鳥遊くんの問いに鮫島くんは素直に首肯した。



「ったりめーだろ? この数の女がキレてたらフツーにコエェよ」

「だよな」

「俺関係ねーのに逃げてぇもん」



 彼らの話が聴こえていた他の男子もコクコクと頷いた。


 しかし、そんな中でも不満を露わにする男子も居る。



「……なんか、気に入らないですね」



 それは意外にも『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』の構成員である西野くんだった。


 彼は以前にクラスの女子に“メスガキわからせ小説”をバカにされた恨みで、女という種族そのものを憎んでいるのだ。


 クイっと眼鏡を上げて苛立ちを露わにした。



「しっ! ダメだよ西野君」



 そんな彼をリーダーである法廷院は冷静に窘める。


 自身のコミュ内から死傷者を出すわけにはいかないからだ。


 だが、西野は法廷院に反論する。



「でも代表。この場は僕たちと希咲さんのステージだったのに……」

「落ち着いて西野君。こんなに女子が怒ってたら僕恐いよ……」

「本田……、わかったよ……」



 本田が体重100㎏超のボディを不安そうに震わせると、西野はメガネをクイっとして矛を納めた。



「しかし、代表」


「ん? なんだい? 高杉君」



 西野が沈黙すると、ここまで黙っていた高杉が口を開く。



「キーキーと喧しいだけのメス猿ども。とはいえ、形上は多勢に無勢……」



 ホモである高杉くんは西野くん以上に女に厳しかった。



「ならば、この場での弱者は弥堂ということになる。ヤツの味方をしますか?」


「うーん……」



 袖を捲りながら高杉が提言するが、法廷院は難色を示した。



「そういう観点で見るならボクは狂犬クンの味方はしない」


「と言いますと?」



 高杉の眉がピクリと動く。



「だってそうだろぉ?」



 法廷院はニヤリと嗤った。



「彼は強者だよ。いつだってね」


「…………」



 それは常に彼は法廷院にとって敵であると――そういう意味になる。



「まぁ、そんなわけだからボクたちは大人しくしていようよ。ほら、自我を薄めるようにして世界に同化するんだ。自分なんてどこにも居ないって感じで」



 表情を緩めて法廷院がそう指示を出すと、西野と本田と一緒に身を寄せ合って彼らは縮こまった。


 高杉は無言のまま、この場の中心を見遣る。


 かつて拳を交えた男の姿を目に映した。




 弥堂は四方八方から飛んでくる暴言の中心で静かに佇む。


 リアル魔女裁判を経験済みの彼のメンタルはこんなことでは揺るがない。



 その弥堂の悪事を明るみに出すべく、五清は決めにいった。



「さぁ、答えなさい弥堂 優輝……! アナタが希咲さんに隠していることを!」


「お前には関係ない」



 声を荒らげる五清に常のように冷たく言葉を返す。



「関係あるわ! 何故ならそれにはアナタが風紀委員の業務中にしたことで、報告をせずに隠したものが含まれる可能性がある。だって、あの日の報告書には希咲さんの名前は書いてなかった! 彼女が巻き込まれたトラブルだったのでしょう? 何故隠したの?」


「あ、えっと、それは……」



 五清のその指摘には希咲が気まずそうにした。


 風紀委員の報告書の存在は知らなかったが、あの日のことは内緒にしてくれるよう弥堂に頼んだのは自分だったからだ。



(てゆーか、ちゃんと内緒にしてくれてんだ……)



 意外な場面で彼が約束を守ってくれていたことに気が付く。


 そのことを自ら暴露するわけにもいかず、五清を止める勢いは希咲の声

にはなかった。



「なにか疚しいことがあるんでしょ? そしてそれは希咲さんに関連したことに違いない。アナタはそれをネタに希咲さんを脅迫して、それで強要したんでしょう? そうよね? 希咲さん」


「え? そうなの?」



 モジモジしていると急によくわからない同意を求められて、希咲は曖昧な返事をしてしまう。


 なんかそういう話じゃなかった気もしたが、そういうことをされた覚えもいっぱいあったからだ。


 五清は俄然調子づく。



「そうよ! アイツがアナタにした非道な不貞行為は学園の風紀を乱しているの! 私たちみんなでそれを正していかなきゃいけないわ! そうよね?」


「そ、そうよ……! 風紀の乱れよ! あんたいい加減にしなさいよね! あんなヒドイことして! あたし絶対に許さないんだから!」



 自分でも何をされたのかよくわかっていなかったが、あの男にはいっぱいえっちなことをされたので、それは多分非道で不貞なんだろうと判断した。


 そして希咲はこの波に乗ることにした。



 すかさず外野の女子からも「そうよそうよ!」と同調の野次が飛ぶ。



 多くの生徒を巻き込んで本当に意味のわからないことになっている気はする。


 だが、何故か女子がみんな味方についてくれているし、ここは勢いで押し切ってあのヤロウの口を割るべきだと思った。



 弥堂を責める声は一層激しくなる。




「こ、これはキチィな……。さすがに弥堂でも無理だろ」



 まともに会話も出来ないくらいの大音量となった女子たちの怒りの声に小鳥遊くんはブルリと震える。


 だが――



「――いや、まだだ」


「鮫島?」



 鮫島くんがギラリと意味深に目を光らせる。



「まだ手はあるぜ……!」



 須藤くんが真意を窺うも多くは語らず、鮫島くんはその視線を弥堂の方へと向けていた。




「さぁ、あたしの質問に答えて! あんたはあの時、誰を大事にしろってあたしに言ったわけ⁉」



 こちらはいよいよ大詰めになっていた。


 簡単には言い逃れが出来そうにない雰囲気の中、弥堂は考える。


 生き残るための道筋を。



 仮に、自分が本当に愛苗のことを何も憶えていない一般人だったとする。


 その場合ここで何も答えないことは酷く不自然になる。



 弥堂は『愛苗』を大事にしろと希咲に言った。


 その記憶の『愛苗』の部分が他の誰かの名前に置き換わる。



 現在自分がこうして希咲の質問に答えられないのは、その『愛苗』のことを隠しているからに他ならない。


 だが、それは愛苗のことを憶えていて彼女のことを守ることを目的としているからだ。



 しかし、愛苗のことを憶えていないのなら、そうする理由はなくなる。


 この質問に答えない理由がなくなる。


 弥堂が庇うべき人間など、この『世界』に愛苗以外に誰もいないからだ。



 そしてここで答えるべき人物名は別に誰の名前でもいい。


 この答えは弥堂の頭の中にしか存在しない以上、誰も答え合わせが出来ないからだ。


 それに、弥堂が本当に愛苗のことを忘れている場合も、実際に誰でもいい中の誰かの名前に変わってしまうのだから。


 だから、何かを答えるべきなのだ。



 ただ、単純にお前が嫌いだからお前の問いには答えたくないと。


 そう突っぱねることも出来なくはない。


 しかし、それはきっと悪手になる。



 答えないということは、逆にその答えなかった誰かのことを隠しているという証にもなりかねない。


 希咲は愛苗の行方を追う為に弥堂を手掛かりと見立てている。


 それは尾行を仕掛けるほどで、明確に他の人間よりも弥堂を重要視している。


 つまり、弥堂が憶えていると、疑っているのだ。



 そんな状況でこの質問に答えなかったら、それは自白にも等しくなる。



 いっそその発言自体を憶えていないと惚けるのはどうだろうか。



(いや、駄目か)



 あの場には法廷院たちも居た。


 仮に愛苗の悪魔化による記憶の消失で、あの発言自体を忘れていることにするのなら、それは自分だけでなく他の者もそうなっていなければならない。


 法廷院に『あの発言があった』と証言をされたらそれでアウトだ。



(その為にこいつらを連れてきたのか……)



 今更それに気づいても遅い。


 なら、普通の物忘れということで誤魔化せないだろうか。



 それも難しいだろう。


 さっき一度言及してしまっているし、なにより、これまで散々希咲には『自分は一度見聞きしたことは忘れない』と言ってしまっている。



 それは魔眼による副次的な効果だから、その記憶能力の仕組みを見破られはしないだろう。


 だが、それでもそれは通らないだろう。



 だからやはり、誰かの名前を挙げるべきだ。



 しかし、その候補は限りなく少ない。



 何故なら弥堂と希咲の関係性は希薄だ。



 実際の彼女の交友関係を殆ど知らない。



 希咲が大事にしなければならないほど仲のいい人物など、それこそ愛苗くらいしか知らない。


 適当なクラスメイトの名前を出しても逆に白々しくなるだろう。



 ならば彼女の家族――母親や弟妹のことを言うべきか。



 あの時の発言に深い意味はなく、他人である弥堂に構うよりもただ家族を大事にしろと言っただけだ――そういう適当な言葉だったということにするくらいしか出来ない。


 あの場面で弥堂がそんなことを発言する不自然さはあるが、理屈上はそれでも矛盾しない。



 だが、弥堂の口は動かない。



(なにか、嫌な予感がする――)



 弥堂には自分が追い詰められている感覚がある。


 これに答えると、とても不都合なことになるという気がする。



 異世界で散々に騙され生命を狙われ、さらに散々嘘を吐いて女に詰められてきた経験が『この問いに答えるな』と、そう言ってきている。


 気がしただけだから気のせいだとは流せない。



 やはり見出さねばならない。


 希咲の問いに答えることなくこの場を乗り切る手を――



「――はやく言いなさいよ!」


(そうしたら多分、あたしの勝ちだ……!)



 弥堂とは真逆に希咲は勝利の確信を掴みかけている。


 これ以上の沈黙を待ってはくれない。



 弥堂は答えを求めて視線を動かす。


 すると、野次馬の中の一人の人物と眼が合った。



 鮫島くんだ――



 鮫島くんは弥堂に向けてコクリと頷いてみせる。


 その時、弥堂の脳裏に電流が奔った。



(そうか……、鮫島……。それしかないか……)



 彼の意を汲み取り、弥堂もコクリと頷いた。


 そして必殺の一手を繰り出すべく両手を丹田へと近づける。



 弥堂の閃いたその一手とは――



「――チンコだ……! こうなったらもうチンコ出すしかねえ!」



 鮫島くんが眼光をギラつかせる。



「マジで?」

「いや人生終わるだろ」



 彼の仲間である須藤くんも小鳥遊くんもドン引きだ。



 しかし――



(――ここはチンコしかない……!)



 弥堂もチンコだった。



 育ちの悪さからくるモラルの低さや教養の無さがきっと同程度で似通っているのだろう。


 弥堂と鮫島くんは大体思考の程度が同レベルだった。



(こんな碌に男も知らんような小娘どもなど。チンコ出せばビビッて蜘蛛の子を散らすように逃げていくはずだ……!)



 クズというものは追い詰められるとより悪い方へ向かいがちだ。



「ん? ちょ、ちょっと……? あんたなにやって――まさか……っ⁉」



 カチャカチャとベルトを鳴らす弥堂の不審な動きに、七海ちゃんは嫌な既視感を覚える。


 慌てて止めようとするが――




《――紅月 望莱あかつき みらい


「――なに?」



 それよりも先に、弥堂の頭の中に澄んだ女性の声が届いた。


 これは――



《――エアリスか?》



 弥堂は念話に切り替える。



《紅月 望莱よ! ユウくん!》


《お前、なんで――》


《――ジブンが繋いだッス! 少年が遅ぇから様子見に来たんッス! そしたら騒ぎになってて、ナナミもいるし……、そんで――》


《――このワタシに助けを求めてきたってことね》



 公衆の面前で徐に陰部を露出しようとした男にも、助けてくれる女子が居たようだった。どちらもニンゲンではないが。



《それよりも――》


《――そう。ユウくん、答えは『紅月 望莱』よ。そう答えて》


《答え……?》


《はやくっ! こんな場所でチンコはさすがにマズイわ!》


《そうッスよ! さすがにチンコは逮捕されるッスって!》


《チィ……》



 悪魔や数千年前の異世界で生まれた聖女さまにも、さすがにそれはないと窘められて、弥堂は渋々下ろしかけていたチャックを上げる。


 いきなり股間をモゾモゾとし始めた男に周囲の人々はドン引きだ。



 しかし、その公然わいせつ未遂のおかげでちょうど喧しい罵声も止んでいたので、弥堂はエアリスから渡された答えを言ってみることにする。



「紅月 望莱だ――」


「――え……?」



 すると、希咲の勢いも一瞬でなくなった。



 シンと――場が静まる。



「そ、そんな……っ。うそっ……、なんで……?」



 希咲は目を見開いて呆然としてしまう。


 その反応からすると、どうやら本当に正解だったようだと弥堂は判断した。



 希咲がこちらを見ているので、顔は動かさずにさりげなく上空を視界に入れる。


 すると、そこには小さな黒い影が。



 ドローンだ――



 法廷院の真上で、彼の膝の上にあるスマホにカメラを向けている。



 理屈の総てはわからないが、どうもあのスマホに表示されていることと、弥堂の答えが一致する必要があったようだ。



 それはいいとして、だが――



《――お前、あれをどうやって動かしている?》



 電子機器類をエアリスが操るには弥堂のスマホからネットを経由しなければならなかったはずだ。


 それを尋ねると、エアリスは口ごもった。



《え、えぇっと……、供物を捧げさせるカタチでどうにか所有ってことになったというか……?》


《供物……? なんのことだ?》


《そ、その話はあとよ……っ! それよりもまずはこの場を……っ!》



 それは確かにそうかと、一旦流して切り替える。


 希咲の方へ向ける視線を鋭くさせた。



「どうした? 答えてやっただろ?」


「くっ……!」



 今度は弥堂の問いに希咲が苦しげに呻くカタチに為った。



(どうして……⁉)



 内心で希咲は激しく動揺する。



 目線だけを動かして法廷院のスマホを見る。


 悪あがきをするようにもう一度それを確認すると、そこには――



『紅月望莱』と――



 それだけが本文に記されたメールが表示されていた。



 この結果は希咲の思惑とは大きく外れていた。



 あわよくば、このメールに記されている名前が『水無瀬愛苗』になればいいと考えていた。


 そうすると弥堂の嘘を暴くことは出来なくなるかもしれないが、このメールの主は愛苗を憶えている人物だとして、そっちを追うつもりだった。



 だが、法廷院もその友人も愛苗のことを憶えてはいないようで、その答えは『紅月望莱』に変わってしまっていた。


 しかし、それは想定内で、納得も出来ることだった。



 希咲が過保護になる相手と言えば愛苗だが、彼女の存在がなかったことになってしまったのなら、そこが望莱に置き換わることはそんなに不思議なことではない。


 望莱も希咲にとっては大事な幼馴染だし、仲の良い妹分だ。



 だが、弥堂の答えもそれに一致するとは思っていなかった。



 弥堂も望莱のことを知らないわけではない。


 ほぼ毎朝教室で彼女の姿を見ているのだから。


 だから、弥堂の口から望莱の名が出ることも可能性としては無いわけではない。



 しかし――



(――これって、たまたま……?)



 適当に言ったとしても一致することはあるだろうが、弥堂の口から望莱の名が出てきたことに納得ができない。


 当然幼馴染だということは知っているだろう。


 しかしあの時の弥堂は望莱と一回も話したことすらないはずだ。



 彼女のことをよく知らないはずだし、希咲と望莱がどれくらいの関係なのかも知っているはずがない。


 なのにあの場面で、唐突に望莱のことに言及してくるはずなんてない。



 それなのに望莱の名が出てくるのは――



(――まさか、本当に忘れてるの……?)



 そういうことになってしまう。



 希咲はその可能性を少しも考えていなかった。


 グラリと足元が崩れたような感覚に襲われる。



 それでも――



(――ううん。そんなはずない……っ!)



 それでもまだ、彼女の勘はそう言っている。


 弥堂は愛苗のことを忘れていないと――



(なに……? どんなトリックで……?)



 見下すように見下ろしてくる弥堂を睨みつけた。



 そして、一体どんな手を使って自分の罠を抜けたのかと考える。



 だが――



 周囲にはまたざわめきが。


 漏れ聴こえてくる声がどうにも思考に集中させてくれない。




「――え? 紅月望莱って?」

「ほら、紅月くんの妹よ」

「あー、一年か。可愛いよな」

「え? ちょっと待てよ。だって紅月の妹ってことは希咲とも幼馴染だろ?」

「うっわ。それに手出したってことぉ⁉」

「さいあくー」

「彼女の友達に手出すとか一番サイテーな浮気なんだけど」

「しかも同じクラスにその兄貴もいるんだろ?」

「うえぇ、ドロドロすぎだろ……」



 先程とはまた違った興奮が群衆に拡がっていく。



「は? え? なんなの……?」



 希咲は弥堂のことに集中が出来ない。


 聞き捨てのならない単語が多すぎるのだ。



 ここまでに感じていた違和感がより強くなる。



 今日のこの場は、自分が弥堂を追い詰める為に設定した場のはずだ。


 しかし、さっきからどうもおかしい。


 ここに集まっている人たちは、希咲の知らないまったく別の何かに強い興味関心を持ってこの状況に参加しているような気がしてならない。



 なにかとても大変なことが起きているようにしか思えず、弥堂が何をしたのかを見破ることに集中できなくなる。


 そうしてまたオロオロとしていると――



――ピピーッと、甲高い笛の音が鳴る。



 それとほぼ同時に――




「――こらーっ! なに騒いでんだオマエたちーっ!」



 この場の集まりを咎める声が響く。



 しかし、その声は全く迫力のないソプラノボイスだ。



「あ、あなたは――⁉」



 声の正体を知っているのか五清さんが驚いている。



 その五清さんが現れた時と同様に野次馬たちが左右に分かれ、そのスペースを小さな影がトコトコと歩いてくる。



 その人物は群衆の中心に姿を現すと――



「ワタシが風紀委員会委員長、豪田 ノエルである――!」



 バンっと短い腕を振り下ろしてそう名乗りを上げたのは金髪のガチロリだ。



「またなんかきたーっ⁉」



 新たに現れたよくわからない介入にビックリして、七海ちゃんのサイドテールがぴゃーっと跳ね上がる。



 驚愕する希咲とは対照的に野次馬の生徒さんたちはロリの登場にワっと湧きあがった。



 彼女はちびメイド同様に学園のマスコットキャラとして生徒たちに大人気の風紀委員長さんだ。



 事態の混沌さはますます加速する予感を強めた。


 この新たな介入者によって、また希咲のしたい話とは全然違う方向に引っ掻き回される気がしてならない。



 この理不尽さに思わず力いっぱい叫ぶ。



「ここはあたしの戦場フィールドでしょ……っ⁉」



 希咲は切実にそれを訴えるが、当然聞いてくれる人は誰も居なかった。

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