2章10 『ドロドロのミスゲート!』 ②


 学園の正門と昇降口とを繋ぐ桜並木。



 放課後の今時分にはこの並木道には人通りが多い。


 その道の真ん中で何やら人だかりが出来ているのに気が付くと、何が起きているのだろうと自分も人垣に参加する生徒がどんどんと増えていく。



 5月に入った初日。


 他の場所ではもうとっくに散ってしまった桜も、この学園にあるものは未だに咲き続けている。


 何故か毎年他の場所よりも咲いている期間の長い桜の花が枝から離れて、彼ら彼女らの頭上を漂っている。



 その中心で――



 弥堂 優輝びとう ゆうき希咲 七海きさき ななみは向かい合っていた。




「――あたしちょっとド忘れしちゃったことがあってさ……」



 半月ほど前に、この桜の花びらを浴びながら彼と一緒にこの道を歩いた時のことが頭に過る。


 希咲は頭を振ってそのことを思考から振り落とすと、そう口火を切った。




「忘れたということは大したことじゃないんじゃないか? 憶えておく価値のないものだ」


「――っ⁉」



 弥堂が適当にそう返すと、希咲はキッと眦を上げた。



 内心で「しまったな」と弥堂は失敗を認める。


 特に何も考えずに適当に返しただけのつもりだったが、それは今の彼女にはクリティカルな皮肉になる。


 普段からそういう会話しかしていないせいで、弥堂の口は勝手に相手を煽ってしまうのだ。



「そういうヘリクツいらない」


「……で? 何を忘れて、それで俺に何を訊きたいんだ?」



 本音としてはそんなもの聞きたくないのだが、一つ前に余計な口をきいてしまって彼女の敵意と疑心を煽ってしまったので、それを誤魔化すために自発的に先を促す羽目になってしまった。



 希咲は反射的に何かを言い返そうとするが、それを止める。


 一度息を吐いて感情を制御してから、弥堂へ静かな目を向け直した。



「……ちょっと前にさ、一緒にモメたじゃん?」


「なんの話だ?」


「ほら、あたしが旅行行く前に、文化講堂で、この人たちと」


「あぁ、そんなこともあったな」



 なんでもない共通の思い出話の始まり。


 だが、弥堂は警戒心を高めて慎重に当たり障りのないことだけを言う。



「あの時さ――」



 仕掛けてきた――と、弥堂は察知した。



「――この先輩が言ったじゃん? あたしが『過保護』だって」


「…………」


「それって、誰に対して『過保護』だって言われたのか、ド忘れしちゃったのよね……」


「…………」



 弥堂は彼女の物言いを訝しみ、とりあえず回答は避けておく。


 そして彼女の意図を考えてみる。



 まず、その過保護の対象とは水無瀬 愛苗のことだろう。


 希咲が過保護になると謂えばそうとしか考えられない。


 だからこそ、あの時の希咲は彼らに対して怒りを露わにしていたのだから。



 だが、そんなことを希咲が忘れるわけがない。


 愛苗が、元の『水無瀬 愛苗』としての意味を失ったことで起こった記憶や認識の改変は、愛苗を憶えている側である希咲には起こっていないはずなのに。



 弥堂は急いで記憶の中に記録された当日の出来事を洗う。



「……それを俺に訊きたいというのが用件なのか?」


「んー……」


「そこに本人がいるんだ。わざわざ俺に訊く必要などないだろ」



 それまでの時間稼ぎに法廷院に話を振ってみると、彼はニヤリと厭らしい笑みを顔面に張り付けた。


 そしてベラベラと口を回し始める。



「いやぁ、それがねぇ? 聞いてくれよ狂犬クン。実はその発言をした本人であるところのこのボク自身がさぁ。どうもうっかり忘れてしまっているんだよぉ」


「なんだと?」


「いやはや参ったよ! でもさ、そういうのってあるよね? ついこないだのことなのに。忘れるようなことじゃないのに。ここまで出かかってるのに。何故か思い出せない。誰にだってあるよねぇ? 『公平』で『平等』なうっかりだぁ。だからキミはこのボクを許すべきなんだよ、狂犬クン。だってそうだろぉ? 『うっかり忘れて何故か思い出せない』、キミにだってこういうことがあるんだからさぁ」


(……そういうことか)



 弥堂は眼を細め、そして状況を理解する。



 恐らく愛苗のことを示唆して怪しい発言をした法廷院に真意を確かめる。


 だが、先日の事件のせいで愛苗のことを彼は忘れてしまっている。


 だから、その時同じ場所に居た弥堂にもそれを訊いてみる。



 話の流れとしては納得が出来る。



 そして、希咲が自分でわかっているはずのそれをわざわざ訊いて回っている理由――



 現状の彼女から見れば、愛苗は行方不明だ。


 そして何故か人々は愛苗のことを忘れてしまっていて、誰に訊いても有用な情報が得られない。


 手掛かりの第一候補だった弥堂からも情報が取れなかった。


 だから、次の候補として直近で怪しい言動をしていた法廷院を当たった。



 こういうことであるのなら、一応筋は通っていると思えた。



(しかし……)



 今度は希咲のことではなく、法廷院の物言いに引っ掛かりを覚えた。



――『うっかり忘れて何故か思い出せない』、キミにだってこういうことがあるんだからさぁ。



 法廷院のこの言葉がどこか自分への当てこすりのように聞こえたからだ。



 法廷院のことは以前にモメた時に魔眼でその“魂の設計図アニマグラム”を視ている。


 他の『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』のメンバーに比べれば確かに彼の“魂の強度”は高いが、それでも一般人の範疇は出ないと判断していた。


 彼が憶えている側だとは思えない。



「…………」



 弥堂は反射的に【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】を使って、もう一度法廷院を視ようとする。



 だが――



 両眼に魔力を送ろうとしたところで止める。




「あによ」



 希咲がジッと自分のことを見ていることに気付いたからだ。


 彼女に自分と同じような魔眼があるとは思えないが、何か嫌なモノを感じて咄嗟に魔力の使用を取りやめた。



(これはノイズだ)



 法廷院のことを思考から除外する。



 確かに彼の存在はどこか不気味で怪しいが、今の相手は希咲だ。


 弥堂にとって重要なことは彼女に嘘を見破られないことである。


 今はそれに集中すべきだと切り替えをした。



「…………」


「……ふん、まぁいいわ」



 僅かに不審な動きを見せた弥堂を訝しんだが、希咲は自分の話を続けることにした。



「というわけでさ。あの時あんたも同じ場所に居たじゃん? あんたは何か覚えてないかなって思ったの」


「……悪いが記憶にないな。俺が介入する前の出来事なんじゃないのか?」


「そーね。一回目はね」


「……なんだと?」


「二回言ってたのよ。二回目は別れ際。あんたがあたしを無理矢理抱き上げてた時。一緒に聞いてたじゃん」


「…………」



 スッと希咲の目が細められ視線が強くなる。


 弥堂はどう答えるべきか考えを巡らせた。



 そうして出来た沈黙の間に、周囲からはまたヒソヒソ声が。



「抱いた……⁉」

「ムリヤリ⁉」

「一緒に……⁉」

「うわぁ……っ」

「やばすぎ……」



 極めて不名誉でえげつない誤解が急速に広まっているが、二人ともに今は相手のことに集中していてそのことに気が付かなかった。




 弥堂は記録を再生させて、以前の出来事の該当箇所を視る。



『過保護――』

『――過保護。優しくて過保護な希咲さん。キミにひとつ忠告だ』

『先に言っておくし、先に言った通り。ボクはキミの大切なその『ダレカ』を知らない。知らないし、キミやそのダレカにこれから何が起きるのかも全く知らない』

『だけどね……いや、だから、かな? だから。キミは大切な宝物をなるべく手元に置いておくべきだ。もしくは、なるべくキミが離れないようにするべきだ』



 おそらくこの発言のことだ。


 確かに希咲に指摘されたとおりに自分も一緒に聞いていた。


 しかし、これだけならまだ何とでも言い逃れが出来る。



 それよりも――



『だからね、偉そうに忠告とか言っておいて申し訳ないんだけれど。ボクの言ったとおりにキミが注意してもそれで何かを回避できるとは限らないし、ボクの言うことを無視したとしても何も起こらないかもしれない』


『そうだね。『当たり前』で『普通』のことだ。先のことは――未来は誰にもわからない。だってそうだろぉ? もしもそれを知ることが出来る者がいたとしたら、そんなのずるいじゃあないかぁ。とっても『不公平』なことだろう?』


『『不公平』だと思ったからさ。本来知るべきではない未来を知っているかもしれないヤツがいる。他のみんなは得ることができないものなのに、一人だけ世界から『贔屓』されてるみたいにその知識をそいつだけが持っている。そんなのずるいだろぉ? だから少しだけキミに肩入れしてみたのさ』


『その通りだよ。そしてキミも役に立てずに失敗してしまうかもしれない。その時はボクのとこに来るといい。キミの弱さももちろん許されるべきだからね。このボクが擁護して、許してあげようじゃあないかぁ』



 その後に続いていた法廷院の発言の方に意識を持っていかれる。



(なんだ……? こいつ)



 思わず彼の方へ目線を遣ってしまう。



 あの時は全く興味が無かったので碌に話を聞いていなかったが、まるでこの現状を――未来にこうなるということを知っていたかのような物言いだ。


 法廷院はこれを自分自身で知ったわけではなく、彼の『友人』という存在から聞かされたと言っていたが――



 果たしてこれは彼の仲間である西野が言ったように、ただの適当な発言なのか。


 偶然そうなっただけなのか。


 それとも――



「――ちょっと」



 思わず熟考してしまうと、希咲に呼び戻される。



「なに無視してんのよ」


「無視はしていない。よく思い出そうとしていただけだ」


「あっそ。じゃあ早く答えてよ」


「…………」



 弥堂は心中で法廷院 擁護の警戒度を三段階ほど上げて、希咲へと意識を戻す。


 そして慎重に唇を動かした。



「……確かにお前の言う通り同じ話を聞いてはいたが」


「いたが?」


「そいつは肝心の『誰』についての話なのかということには言及していなかった。よって、俺の記憶には当該人物の情報はない」


「へぇ? ホントに?」


「仕方ないだろ。事実、俺にとっては他人事だったんだ。あまり注意を向けて聞いてもいなかった」


「誰のことかも見当つかない?」


「悪いがまるでわからないな」


「ふぅん……」



 希咲は醒めた目で気のない相槌を打つ。



(これでミスはないはずだ……)



 その彼女の顔を視ながら、弥堂は自身の回答に瑕疵がないことを確認した。



「でもさ――」



 ジロリと、希咲に睨まれる。



「……なんだ」


「あんたも言ってたわよね」


「……俺が? 何を?」


「『余計なお世話』って」


「……?」



 弥堂は眉を顰める。


 そういった類の言葉は彼女へ向けて何度か言ったような覚えはあるが、それと今している話がまるで繋がらない。



 希咲は静かに、淡々と突き付けていく。



「覚えてる? あの時。あんたが高杉を殴り倒して。法廷院に爆竹投げつけた後。あたしがあんたに怒ったじゃん。そんなことしちゃダメって」


「……それがなんだ?」


「そうしたらあんたは言った。『世話をするなら、一番大事なものにしろ』って」


「…………」


「それから『お前らがどうなろうが、俺の知ったことじゃない』って」



 記憶を探って、弥堂は思わず舌打ちをしそうになった。


 あの時、希咲と彼らの揉め事に介入する前、奇しくも今立っているこの桜並木で愛苗の“魂の設計図アニマグラム”を視た。


 その強烈な輝きを。



 それ以前からも約1年間、毎日彼女のソレを視る中で、日々強度を増していくその“魂の強度”と魔力に得体の知れなさを感じていた。


 そういった人物は数奇な人生を歩むことが多い。


 だからあの時、つい、希咲に向けてそんなことを言ってしまったのだ。



「あの時はあたしワァーってなっちゃってたから気付かなかったけど――」



 希咲は逃がさないとばかりにトドメを刺しにいく。



「――ねぇ? これって何のこと? 『お前ら』って、あたしと『誰』のことを言ってたの?」


(クソが)



 弥堂は内心で毒づく。



 それは確かに言った。


 あの時はまさか半月後にこんな場面が待ち受けているとは思っていなかったので、つい迂闊にも余計なことを言ってしまった。


 そんな自身のミスを認めた。



「あたしにしてみたらさ? これって同じ人のことにしか思えないのよね。あんたと法廷院、同じ時にこんなに同じような話をしてたらさ。そうでしょ?」



 希咲は真っ直ぐに視線を向けてくる。


 僅かな言い逃れも許さないといった強い力がその瞳にはある。



 弥堂は思わず視線を逸らしそうになって、それを自制した。


 すると――



(――なんだ……?)



 希咲はほんの一瞬、近くに居る法廷院に目線を送った。


 希咲の斜め後ろで車椅子に座る法廷院はほんの小さく顎を動かし、そして何かを手に取った。



 彼に直接視線を向けないよう間接視野で様子を視ていると、それはスマホのように視える。



(何をしている……?)



 もっとよく観察をしようとする。


 だがさりげない動きで、身体の大きな本田が弥堂からの視界を遮るように法廷院の前に立った。


 本田がブラインドとなって法廷院の動きが見えなくなってしまった。



(なにかある……!)



 その詳細は知れないが、これまで戦争や宮中の陰謀の中に身を置いていた弥堂の経験が最大レベルでアラートを鳴らしてくる。



 少しして高杉が車椅子を押して、法廷院を希咲の真横に移動させた。


 車椅子の上、法廷院は座ったままで膝を少し上げる。


 そして自身の腿の上に、画面を上に向けたスマホを置いた。



 すると、希咲がそれにチラっと視線を向ける。


 角度的に弥堂の方からはその画面を見ることは出来ない。



 そして、希咲はたっぷりと空いた間を切り――



「ねぇ? あんたはあの時、誰のことを言っていたの?」



――チェックメイトとなる一手を置いた。



「…………」



 弥堂はすぐには答えられない。


 何か自身に対しての致命的となるような罠を置かれた。


 それだけは察知した。




(――これでどうよ……っ!)



 希咲は沈黙する弥堂への視線を強める。



 今したことは、昨日の中美景橋の上で法廷院にした『一つ目のお願い』だ。



 弥堂に突き付けた問い。


 あの時に弥堂と法廷院が示唆していた人物は同じで、それは愛苗のことのはずだ。



 だが、この場で弥堂の口から愛苗の名前を引き出すことが目的ではない。


 今回の希咲の目的は、弥堂と法廷院の答えが一致するかどうかを確かめることだ。



 あの日の法廷院は、彼の友人に頼まれ、そして希咲を待ち伏せしていた。


 希咲が『過保護』になっている『誰か』を法廷院は知らず、その友人は知っている。


 だから、その友人にそれが誰のことだったのかを聞いてもらった。



 だが、この状況を作るより前に、法廷院が弥堂に捕まって今日の計画のことを白状させられることは防がなければならない。


 そのため、法廷院には彼の友人に答えを聞くことを事前にはさせないようにしていた。


 ただ、今日のこの時間にメールを送るので、それを見てすぐに返事を出来るよう約束を取り付けるだけ。


 それだけを準備させた。



 そして、今この場で法廷院に友人宛に質問をメールさせ、滞りなくその答えが返ってきた。


 法廷院のスマホの画面にその人物の名前が表示されている。



(ふぅん……、そうなっちゃうんだ……)



 その答え自体に希咲は思うことがある。


 だが、今この場で最も重要なことはそれではない。



 弥堂の口から出てくる答えと、法廷院のスマホに表示されている名前が一致するかどうか。


 それを確かめる。



 仮に弥堂が本当に愛苗のことを忘れているのなら、その答えは――記憶や認知の改変は一致したものにならなければならないからだ。



 この問いへの答えは弥堂と法廷院以外に持っている人間はいない。他から答えを得ることは出来ない。


 さらに、例え二人の答えが一致しなくても、法廷院の方の答えを弥堂には教えない。


 そうして希咲が答えの不一致を確認したことを弥堂に悟らせなければ、この戦いにおける勝利条件を100%満たすことが出来る。



 それを達成したら、あとは弥堂をいつでもどこでも追跡できる手段をアクティベートすることで、希咲は完全勝利をおさめることが可能となるのだ。



 これが希咲が準備した完璧な『嘘の暴き方』であり、『弥堂討伐』のトラップの概要だ。




(マズったな……)



 希咲の意図や工作を弥堂はまるでわかっていない。


 だが、この問いに対する自身の答えが、重大かつ致命的なものになり得る。


 それだけは肌で感じ取れた。



 馬鹿正直に希咲の問いに答えるのなら、その答えは『水無瀬 愛苗』になる。


 だが、現在弥堂はその『水無瀬 愛苗』という人物を知らないことになっているので、そのまま答えるわけにはいかない。



 愛苗を知らないと言った弥堂の言葉を希咲が信用していようが、そうでなかろうが、弥堂はここで『水無瀬 愛苗』とは答えられない。


 そんなことは、希咲も百も承知だろう。



(ということは――)



 ここで愛苗以外の誰の名前を言うか。


 それに正解と不正解があるのだろう。


 その正誤によって希咲は弥堂の嘘を見破ろうとしているに違いない。



 そこまでは弥堂にもわかった。



 だが――



(本当に余計なことを言ったな……)



――その絡繰りがまるでわからない。


 おまけに適当に答えても当てられる気がまるでしない。


 さらに問題なのは、答えた後の希咲の反応や行動次第では、自分が正解したのか不正解したのかも判断が出来ないことだ。



(ならば――)



 他にもやりようはあるので、とりあえずそちらの方法を試してみる。



「悪いが、風紀委員の業務中に起きたことには守秘義務が発生する」



 正解をすることが難しいのであれば回答自体をしなければいい。



「守秘義務って……、あんたとあたしの間での話でしょ?」



 希咲の眉が寄る。


 彼女は苛立ちを感じている。


 つまり、こうされると困るということだ。



「確かにそうかもしれんが、だとしてもこんな場所ではおいそれとは話せない。特にこんな大勢の一般生徒の居る中では。何故こんなに人が集まっているのか知らんが、運が無かったな」


「……っ! あんた……っ!」



 こんな仕込みをした希咲に皮肉を言ってやると、彼女は悔しげに睨みつけてきた。


 この方向性で押し切れると、弥堂は手応えを感じる。



 次に彼女が言うとしたら「じゃあ、人の居ないところで」というようなことだろう。



 それに対する答えはもうある。


「時間がない」

「自分で呼びつけておいて野崎さんたちを待たせ過ぎるな」


 何とでも言える。



「悪いがこれは俺一人の問題ではない。風紀委員全体の問題に発展する可能性がある。お前一人の為にそんなリスクは犯せない――」



 そうやって一気に押し切ろうとした時――



「――その心配には及ばないわ!」


「なに……?」



 群衆の壁の向こうから誰かの声が響く。



 弥堂も希咲もそちらへ顔を向ける。


 すると――



「――風紀委員よ! 道を空けてください!」



 気の強そうな女生徒の声が命じ、野次馬たちが左右に分かれる。


 その間を歩いて弥堂たちの前に姿を現したのは――



「――貴様……、五清……っ!」



 風紀委員会副会長の五清 潔いすみ いさぎだった。



 几帳面そうな黒髪おかっぱ頭の五清さんは何名かの風紀委員を引き連れて中心地まで来ると、「ふん」と鼻を鳴らして弥堂を一瞥した。


 だが、彼女は弥堂には何も言わずに希咲の方へ顔を向ける。



「希咲さん」


「へ? は、はい……?」


「教えて欲しいのだけれど、アナタが今言っていた出来事っていつの話?」


「えっと、4月の16日……?」


「ふぅん……、ありがとう」



 五清さんはそれだけ聞き出すとスッと横に手を出す。


 するとお付きの者の一人が何かのファイルをその手に乗せた。



「ありがとう」


「おい、五清。なんのつもりだ?」



 五清は弥堂を無視してそのファイルをパラパラと捲る。


 突然風紀委員たちが現れたことで場に緊張が張りつめる。


 ちなみに弥堂も風紀委員だということは誰もが知っているが、誰も彼が風紀委員だとは思っていない。



「……通報があってね。並木道で騒ぎが起きているって。それで少し前から野次馬の後ろで状況を見守っていたの」


「そうか。ここは俺の現場だ。貴様らは不要だ。帰れ」


「おかしいわね――」



 弥堂のナワバリの主張には答えず、五清は開いたファイルを弥堂の方へ向けてみせた。



「4月16日のアナタの活動報告には希咲さんが言っていたようなことは記録されていないわ」


「……報告するまでもない出来事だったから省いただけだ」


「そうかしら? 生徒へ暴力を奮った? 爆竹を投げた? 私には省いていい内容とは思えない。ここには下校時間を過ぎても滞在していた生徒を安全に帰した――そうとしか書かれていない」


「…………」


「もしもアナタが自分に都合の悪い報告を意図的に省いたのなら……、これは風紀委員としても大問題よ。ハッキリとさせる必要があるわ……!」



 非常に都合の悪い指摘をされたので、弥堂は鋭い眼で五清を威嚇して脅そうとする。


 だが、その直前でハッとした。



(まさか――)



 バッと、希咲へ顔を向ける。



「あによ」



 ムッとした顔の希咲を呆然とした眼で視る。



 まさか自分がああいった言い逃れをすることを見越して、希咲はこうして五清までも用意していたのだろうか――と。



 風紀委員会で私腹を肥やす弥堂にとって、確かに五清は政敵とも謂えるような存在だ。


 その関係性も事前に調査していて、そしてここで利用してくるとは。



(運がなかったのは俺の方か……)



 希咲のことは最大限警戒していたつもりだったが、それでも足りていなかった。


 彼女は自分を完全に上回ってきた。


 この状況ではそれを認めざるをえない。


 弥堂はギリっと歯を軋ませる。



「風紀委員会副会長の権限に於いてこの場での発言を許可します。弥堂 優輝、希咲さんの質問にきちんと答えなさい。誠心誠意、正直にね――」



 五清がそう宣言をすると、シンと静まったこの場の全ての視線が弥堂に集中する。



 ふと、異世界で異端審問にかけられた時の記憶が頭に過ぎった。


 あの時は“死に戻り”でどうにか誤魔化して乗り切れたが、この場ではその手段はとりづらい。



 弥堂は希咲によって確実に追い詰められていた。

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