2章10 『ドロドロのミスゲート!』 ①

「――さぁ、始めようぜぇ……、強敵っ!」



 好戦的な眼差しで法廷院 擁護ほうていいん まもるが吠える。



「…………」



 その法廷院には答えず、弥堂 優輝びとう ゆうきは自身の正面に立つ少女に眼を向けた。



「あによ。どうしたわけ? なんか顔色悪くない?」



 高飛車に顎を上げ、希咲 七海きさき ななみは嗜虐的に薄い笑みを浮かべる。


 己の優位を喧伝するかのように。



 それは事実そうだなと、弥堂は認めた。




 今日これからの時間――



 こうして希咲が自分の前に現れるだろうことは予想していた。



 とはいっても、弥堂が想定していたのは決してこのような形ではない。



 だから、彼女は見事に弥堂の不意を突いたことになる。



 だが――



(――どういうつもりだ……?)



 表情に出さぬよう内心で眉を顰める。




 希咲の目的は水無瀬 愛苗みなせ まなを捜し出すことだろう。


 そして彼女は弥堂のことを数少ない愛苗への手掛かりの一つだと睨んでいる。


 だからこうして弥堂の元を訪れること――それ自体は何もおかしなことではない。



 だけどその話は、こうして多くの一般人に囲まれる中で出来るような話ではないはずだ。



 現在一般人たちは皆、愛苗のことを忘れてしまっている。


 最初から彼女は存在していなかったという扱いだ。


 それを覚えている人間は必然的に普通でない人間だということになる。



 希咲自身、大っぴらにそれを明かすことは出来ないはずだ。


 だからこそ、昨日のようにコソコソと尾行をしたり、4月28日の朝の教室でもはっきりと物を言えずに逃げ出したのだろう。



 弥堂は愛苗のことを知らないと希咲に伝えた。


 希咲はそれを信じていない。


 それは弥堂もわかっている。



 希咲は弥堂のことを普通の人間でないと疑っているだろう。


 なんなら彼女に退魔士エクソシストとの繋がりがあるのなら、港の事件のことで弥堂を捕らえに来ている可能性すらあると想定している。


 その想定はそう大きくは外れていないはずだ。



 なのに、こんなに目立つ場所で余人に囲まれながらでは、お互いに何の話も出来ないではないか。


 敵対するにも、取引をするにも、何も出来ない。


 だからこそ、今ここでこの形になることは全く想定していなかった。



 その上――



(何故こいつらを……)



 希咲は一人で来たわけでなく、味方を引き連れてきた。


 それ自体は別におかしなことではない。


 だが、その連れて来た面子に疑問が浮かぶ。



 先程生徒会長室で会った者たちや“紅月ハーレム”のメンバー――



(――それに、警察もか)



――その辺りの人間を連れてくるのならまだわかる。



 だが――



「――フフフ、久しぶりに同士が揃っての活動だねぇ。燃えるね、高杉君」

「はい。代表」

「あれ? でも白井さんが居ませんよ? 代表」


「それが、実はね西野君。一応彼女にも声かけたんだけどさ。希咲さんの名前出した途端怒っちゃってね……」

「あぁ、なるほど。ふふっ、本田と真逆ですね」

「も、もぉっ! やめてよ西野君。き、希咲さん、今のは西野君の冗談だから気にしな――」


「――うるさぁーーいっ! 気が抜けちゃうからちょっと黙ってて!」



――七海ちゃんにガァーっと怒られて気をつけの姿勢をとる彼らを弥堂はジッと視る。



 法廷院を筆頭とし、『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』を名乗る頭のおかしい集団だ。


 ただ、頭がおかしいだけで、彼らは普通の一般人だ。


 こんな連中を連れて来たところで、今回の件には何の役にも立たない。



 彼らは当然愛苗の情報を持っていないだろうし、弥堂にぶつける戦力にもならない。


 実際に、先日は弥堂と一緒に希咲も彼らと戦ったのだ。


 そんなことは彼女にもわかっているはずだ。



 だからこそ弥堂は余計に訝しむ。


 とはいえ、だからといって黙っていても仕方ないので、その疑問を直接ぶつけようとする。



 だが、弥堂は口を開きかけて、すぐに言葉を発するのを止めた。



(チッ、面倒だな……)



 今の弥堂は他の者たちと同様に、愛苗のことを忘れている一般人という設定だ。


 希咲の背後や素性を探るようなことも口に出しづらいし、現在の設定を守るのなら弥堂の方から攻撃的な意思を発することもなるべく慎むべきだ。


 完全に戦闘状態に陥るまでは受動的な対応しか取れないことに気が付いた。



(なるほど)



 言論の不自由はお互いさまだが、それでも相手の方が有利なのは間違いがない。



「なんだったら希咲さんの方から白井さんに連絡してみてくれないかな? まだ校内に居たら来てくれるかもしれないし」


「やーよ。あの子さ、こないだからなんか『代理人がどうとか』ってワケわかんないメッセ送ってくるし。居たら居たで、どうせジャマしてくるだろうし……」


(ナメやがって)



 余裕綽々と気の抜けた会話をする彼女らへの殺意を隠す。


 弥堂はとりあえず普段通りの態度を心掛けて、相手の出方を見ることにした。



「なんの真似だ?」



 希咲へそう尋ねると、彼女は「ふん」と高慢に鼻を鳴らしてこちらへ向き直る。



「ベツに? マネとか言われてもたまたま偶然だし?」


「そうか。話があるようなことを言っていたから俺に用なのかと思ったが、それなら帰ってもいいな?」


「ダメよ。今日はののか達に相談あって待ち合わせしてたんだけど、あんたにもあるから」


「早乙女……?」


「おーい、七海ちゃーん!」



 眉を顰めると、ちょうど群衆の中から早乙女が手を挙げて希咲へ自分の存在をアピールしてくる。


 希咲はそれにヒラヒラと手を振り返すと、キッと弥堂を睨んだ。



「あんたなんかただの“ついで”だけど、偶然ここで会っちゃったんなら一緒に話を済ませるわ。ついでに、ね」


「…………」



 そういうカラクリかと、弥堂も早乙女を一瞥する。


 彼女だけじゃなく、他のクラスメイトたちがやけに野次馬の中に多いと思ったら、どうやら希咲が呼びつけたようだ。



(だが、なんのために……?)



 法廷院たちと同様に戦力になるとは思えない。


 そう考えながら野次馬に参加しているクラスメイトの顔をチェックしていく。



 クラス全員というわけではないが、特に部活に参加しているわけでない者たちはほとんど居るようだ。


 先程見つけていた野崎さんや鮫島のグループだけでなく、希咲とは然程仲がいいわけでもない寝室 香奈ねむろ かな結音 樹里ゆいね じゅりの白黒ギャルコンビまでもが参加している。



(ふふ、ちょっと焦ってやんの)



 周囲を見回す弥堂の姿に、希咲はほくそ笑む。



 望莱との約束で弥堂と接触する際には人目の多いところで――ということになっていた。



 そのため、放課後の人通りが多いだろう正門への並木道を選び、法廷院たちに弥堂の足止めをしてもらうよう頼んだのだ。


 そして、弥堂の正確な下校予定時間がわからないため、万が一下校途中の生徒が少ない時間になってしまってもいいように、クラスメイトたちにも適当な理由をつけて協力を要請していた。



 自分と弥堂で話し合いをするから、ケンカにならないように立ち会って欲しいと。



 後者に関しては、弥堂が多くの生徒たちに怖がられているので、もしかしたらみんな嫌がるかもしれないと思っていた。


 だが、意外にも野崎さんたちだけでなく、鮫島たちや寝室たちまで積極的に参加してくれた。


 ちなみにその連絡は弥堂だけが参加していないクラスのグループチャットで行われていた。



(でも……)



 一つだけ気になったのは、何故かみんながやけに親身というか同情的というか、そんな様子だったことだ。


 言葉に言い表しにくいが、やたらと自分が気遣われているような気がして、その部分を希咲は不自然だと感じた。


 しかし、今は細かいことを気にしている場合ではないと、希咲はとりあえずスルーした。



(絶対に、ここでキメてやるんだから……!)



 希咲がそんな風に決意を固めている中、弥堂は野次馬の中に居たある人物の存在に気付く。



(――あれは……)



 クラスの中でも大人しい性格で、このような騒ぎなどには無縁だと思える空井 蒼そらい あおい暗尹 冬優くらい ふゆの姿を見つけた。


 中でも、やけにオドオドとした様子の空井さんの姿が特に気になった。



(まさか――)



 弥堂の脳裏に雷が奔る。



(これは、逆だったのか……?)



 希咲がクラスメイトを呼んだのではなく、クラスメイトどもが希咲を呼んだのではないかと思いつく。



(まさか、空井さんを妊娠させようとした件についてか……⁉)



 今朝に起こった事故によって、自身に容疑がかけられていたのではと疑う。


 おそらく希咲は弥堂に対して強気に出られる人材として招聘されたに違いない。


 このままでは青空学級裁判が開かれ、衆人環視の中で強姦魔として裁かれてしまう。



(マズイな……)



 限られた人数しか知らないのであれば揉み消すのは容易だが、これだけの人数の口を封じるのは骨が折れる。


 スパイとはいえ、いやスパイだからこそ、風紀委員である自分が婦女暴行の前科を付けられるわけにはいかない。



(どこまで否認するべきか……)



 完全に事実無根とはいえ、これだけの数の者が証人として原告側に付いているとなれば、100%の無罪を勝ち取ることは難しいだろう。


 ならば、容疑の一部は受け入れて致命傷だけは避ける方向へ舵を切るべきかもしれない。



 弥堂は頭の中で素早く計算する。


 ここは性行為に及ぼうとはしたが避妊をする意思はあったことを強調すべきではないかと思いついた。



 確かに性交渉の交渉はしたが、実際に行為に及んだ事実はなく、またきちんと避妊をするつもりがあったと、そう主張することにした。


 それならば万が一負けても、せいぜいセクハラ程度で済むはずだ。



 そうなると避妊の証拠が必要だ。



(そうだ――)



 起死回生の一手を思いつく。



 そういえば、お金とスマホをくれるキャバ嬢の華蓮さんに避妊具を持たされていたことを思い出した。


 とりあえず一個は財布に入れておけと命じられていた。


 弥堂は懐に手を入れる。



 愛苗ちゃんがお誕生日にくれたお財布の中に、キャバ嬢がくれた避妊具が入っている。


 それを証拠品として提出するのだ。



 弥堂が避妊によって容疑を否認する準備をしていると――



「――や、違うから」


「…………」



 制服の内ポケットから財布を抜きだそうしている男を希咲がジト目で見ていた。



「なに考えてるのか知んないけど。絶対あんたが思ってるようなことじゃないから」


「…………」



 弥堂は慎重な動作で財布から取り出しかけていた避妊具をスッと仕舞った。



「ん? あれ……?」



 すると、その動きを希咲に見咎められる。


 弥堂は嫌な予感が膨らんだ。



「ねぇ――」



 常よりも一段低くなった希咲の声に、弥堂の心臓がギクリと動く。



「使ってるんだ? そのサイフ」


「……あ?」


「ふぅん……?」



 弥堂は慎重に希咲の顔を窺う。


 希咲は意味ありげな視線を寄こしてきた。




「サイフずっと持ってないって言ってたじゃん」


「……お前が財布くらい持てと言ったんだろう」


「んー? そーだっけ? あたし忘れちゃったなぁ?」



 空惚ける希咲の態度を訝しむ。


 すると、おもむろにジッとした目で見られた。



「でもさー、それ。あんたの趣味? 自分で買ったわけ?」


「なんだと?」



 弥堂はますます眉を顰める。



「だってさ。チラっと見えたけど、なんかアップリケとかついてんじゃん。タヌキさんの。あんたそういうの選ばなそうじゃん? だからヘンだなーって」


「何を言っている。白々しい」


「ん? なにが?」


「この財布は――っ⁉」



 言いかけて直前で、弥堂は無理矢理を口を閉じる。



(この女……っ!)



 危なかったと内心で息を吐く。


 この財布は愛苗から貰ったものだ。


 そして、弥堂の誕生日に財布をプレゼントをするといいと愛苗にアドバイスしたのは、希咲のはずだ。


 おまけにその誕生日の後に、財布をちゃんと使っているかどうかと探りまでわざわざ入れてきた。


 つまり、その希咲がこの財布の出所を知らないはずがない。



 だから弥堂は彼女の言動を白々しいと感じ、いい加減苛立ってそのことを指摘しようとしたのだが――



(――こいつ、カマをかけてきやがったな……!)



 うっかりそのことを言ってしまえば、愛苗を覚えていないという設定がたちまちに破綻してしまう。


 こうして探りを入れてきているということは、やはり彼女は弥堂のことを疑っているようだ。



「で? どうしたの? そのおサイフ」


「…………」


「なに黙ってんの? 言えばいーじゃん。買ったとか、貰ったとか」


「……もらった」


「へー? だれに?」


「……お前には関係ないだろ」


「言えばいーじゃん」


「……忘れた。気付いたら持っていた。覚えていない」


「へー。覚えてないんだ。それも」


「…………」


「記憶力いいってゆってたのになー」


(クソが)



 弥堂は内心で毒づく。


 この財布に関して迂闊な返答は出来ないので、あまり強気に対応することも難しい。


 うっかりと希咲の目に触れる場所に出してしまったことで、余計な付け入る隙を彼女に与えてしまった。


 こんなことならば、避妊など考慮しなければよかったと後悔した。



 そうしてチクチクと希咲に責められていると、周囲からはヒソヒソ声が聴こえてくる。



 その一部の、近い位置からの話し声が弥堂の耳に入ってきた。


 結音と寝室だ。



「あれって浮気相手にもらったんじゃね?」

「えー? それこの場面でわざわざ出すのー? サイアクすぎー」


「つーかさ、あいつと七海じゃ七海の方が格上じゃん?」

「ねー? ベツにどうでもいいけど、弥堂の方が浮気するってナマイキだよねー」



 どうやらまたおかしな誤解が発生していて、こうして余計に『浮気説』が補強されてしまっているようだ。


 彼女たちだけでなく、他のクラスメイトからも弥堂への非難が向けられている。



 だがこの場にあるのは、弥堂への非難だけではなかった。


 別の場所の他のクラスや学年の生徒からは――



「――ねぇねぇ、あの二人やっぱ付き合ってたんだぁ」

「こないだ抱き合ってたしねー」

「あー、バックハグでしょ? 見た見たー」

「んで、弥堂が浮気してるってのもマジだったんだねー」



 知らない女子たちが好き勝手な噂話を展開している。



「てゆーかさ、どっちもどっちじゃない?」

「ねー。七海だって他の男子二人と旅行でしょ? なくなーい?」

「それで浮気されたって被害者ぶられてもねー」



 どうやらこちらでは希咲へのヘイトが溜まっているようだった。



「でもでも、こんなのマジであるんだねっ」

「こんなのって?」

「ほら。彼氏に浮気されたからって、あてつけで他の男に手出す女いるじゃん」

「あー! そういえばこれってそういうヤツか」

「それで逆ハー引き連れて“ざまぁ”しに来るとか、こんなのリアルであるんだ」

「マジどんびきなんだけど」

「つかさー、それでも“アレ”はなくない?」

「ねー。なんかオタクっぽいのばっかだし」

「あんなのばっか連れてきても逆にダサくない?」

「やっぱそれがリアルの限界なんじゃない?」

「とはいってもさ。結局紅月くんたちもなんでしょ?」

「そーいやそうか。やっぱ希咲ムカつく」

「ねー? うざいよねー」

「希咲が先に浮気したんじゃないの?」



 話している内容は弥堂にはよく理解出来なかったが、どうもこっちの女子集団はアンチ希咲のようだった。


 いざとなったらこの女どもを買収して味方につけることを弥堂は計算する。



(というか……)



 周囲のこの反応を見ると、どうもこの場は妊娠裁判に関してではなく、弥堂の浮気疑惑についての弾劾のために集められたように思えた。


 だが希咲自身は弥堂と付き合っていて浮気をされたなどという誤解はしていない。


 彼女にとって重要なことは愛苗のことなはずだ。



 それなのに何故このような意味の分からない場を設けたのか――



 弥堂はますます希咲の意図が読めなくなる。






「ん……? なに……?」



 しかし、この場を用意した七海ちゃん本人も周囲の反応に戸惑っていた。



 ちょっとジャブ程度にウソつき男をイジメてやったら、何故か周囲の人々が一斉にヒソヒソと何かを喋り出した。


 それら一つ一つを正確に聴き取ることは出来ないが、何故かやたらと『浮気』という単語が聴こえてくるような気がする。



「ボクたちはキミの味方だよ……」



 法廷院たちの方を見てみたら、何故かやたらと優しげな目でそんなことを言われる。


 どうにも居心地が悪く、不可解だ。



「え……? なんなの? これ……」



 思わず首を傾げてしまうと――



「――ところで、早乙女たちと話さなくていいのか?」


「え?」



――希咲が勢いを失ったことで話題を逸らす好機と見たのか、弥堂からそう水を向けられる。


 なんとなくムカっときたが、しかし、確かに今は関係ないことに囚われている場合ではないと、希咲は頭を振って瞳に力を入れ直した。



 二人のそんな様子を敏感に察したのか、周囲の野次馬の方々も気を遣って声を潜めてくれた。




「あたしさ、旅行中のことをあの子たちに頼んだじゃん? 色々訊こうと思って」


「……俺のことを頼んだんだったか?」


「ふぅん?」



 他の者たちの記憶違いに合わせた返答をすると、希咲はまた目を細めた。



 するとまた周囲からヒソヒソ話が。



「え? それって彼氏の行動監視させてたってことか?」

「女こっわ」

「えー? それは普通じゃない?」

「うんうん。それは普通にやるよ」

「マ、マジかよ……」

「希咲ってメンヘラだったのか……」



 今度は男女混合の集団だ。



 うっすらと聴こえてきたその会話に、希咲はこのまま進めるとなにか取り返しのつかないことが起きそうな予感を覚える。


 しかし大好きな親友の愛苗ちゃんのために立ち止まるわけにはいかないのだ。


 頑張って聴こえなかったフリをして先を続ける。



「でも、それは後回しでいいわ」


「なんだと?」


「せっかく偶然にもあんたとこの先輩たちにも会えたから、あんたたちに訊きたいことから先に訊くわ」


「俺と、こいつら……?」



 眉を寄せる弥堂へ、希咲は表情を変えぬように静かに見る。



 言葉とは裏腹に希咲の本命のカードは真逆だ。


 実際は法廷院たちがメインの武器で、クラスメイトたちはそれが通じなかった時の保険のために呼んだのだ。



 希咲の目的は、弥堂とそれ以外の人間の認知や記憶のズレを見つけ出すことにある。


 その為にこの状況を作り出した。



 問題は望莱も言っていた『嘘の暴き方』だ。


 さっきは嘘吐きクズ男がついポロっとボロを出したので、うっかり詰めてしまったが――



『ほらやっぱウソじゃん』



――と、完膚なきまでに論破してはいけない。



 ただ他人と彼とのズレを見つけて、弥堂には悟られずにこちらだけが彼の嘘に気が付く。


 それがこの場での理想的な勝利の形だ。



 彼本人にもわかるように嘘を暴いてしまうと、戦闘になるか逃げられるか――


 そういった事態になってしまう。



 だが――



(――最悪それでもかまわない……!)



 この時にはもう、希咲はかなり確信に至っていた。


 弥堂は愛苗のことを覚えていると。



 何故か弥堂に近しい場所に居たメロのこともある。


 それ以外に、昨日の尾行時のことも後になっておかしいと感じた。



 彼はおそらく自分に尾行されていることに気付いた。


 普通の人間には絶対に気付かれないような方法で尾行していたのにも関わらず。


 だから彼は普通の人間ではなく、それを以て愛苗のことを覚えている可能性が高いと考えられる。


 だが、それだけではない。



 おかしいと感じたのは彼の振る舞いだ。


 尾行に気付いたのに、気付いていないフリをしてそのまま尾行させていたことに違和感を持った。



 彼の人間性を考えたら、気付いた時点で攻撃をしかけてきてもおかしくない。


 なのに、わざわざ行き先を変えてまで自分のことを泳がせていたのには何か理由があるような気がした。


 何か隠したいことがあるから、疚しいことがあるからではないかと。



 彼は自分が普通でないことを隠して生きている。


 だから当然そのことを隠すために、尾行に気付かないフリをしていたという可能性もある。



 しかし、彼は以前に通話をした時に、間接的にではあるが自分が普通の人間でないことを希咲に明かしてきた。


 “魂の設計図アニマグラム”や“魂の強度”。


 そういった情報を与えてくれた。



 例え彼が愛苗のことを忘れてしまったとしても、希咲との通話で話した内容までもがなかったことにはならないはずだ。


 だから、既に自分が普通でないことをバラした希咲を相手に、尾行をされているにも関わらず普通のフリをし続けるメリットはあまりないような気がしたのだ。



 理屈としては穴だらけだが、希咲の勘は間違いないと伝えてきている。



 もしも嘘の暴き方に失敗しても、これだけ周囲に一般人の目があれば、いきなりこの場で殺し合いを挑んできたりはしないはずだ。


 彼はきっと逃走を選択する。



 そうなった場合は一般人の安全の為に、この場では彼を逃がそうと希咲は考えている。


 弥堂はきっと、そのまま行方を晦ませようとするだろう。


 その場合に、彼の居所を追い続ける手段が希咲にはある。



 仮に彼の嘘を暴くことに失敗したとしても、今日は最低でもそれだけは達成するつもりだ。


 彼がこちらの尾行を看破することが可能な以上、そう何度も昨日のようなことは出来ない。



(絶対に逃がさない……!)



 最初に彼へ向けた決意を改めて心に秘めた。




(なるほどな……)



 弥堂も内心で腹を括る。



 希咲が実際に何を考えていて、この場で何をするつもりなのかはわからない。


 だが、彼女が自分を疑っていること。


 それとこちらへ向けられている彼女の瞳にこめられた強い決意。


 その二つだけは理解した。



(生意気なツラしやがって)



 だからそれらに反抗することを決めた。



(勇者の力が残っていれば楽だったんだがな……)



 内心でそう独り言ちるが言葉とは裏腹に一切の未練はない。


 唯一無二の“加護ライセンス”が無かったとしても、自分にも全ての人間が持ちうる普遍的な加護がある。



 これまでの人生のほとんどの場面を嘘で乗り切ってきた。


 その自負がある。



 この場は彼女が用意したフィールドで、彼女に有利なシチュエーションなのだろうが、必ず乗り切ってみせると心に誓った。




 二人は少しの距離を空けて睨み合う。


 その真剣な眼差しに周囲の人々はドキドキワクワクと期待をした。




 弥堂と希咲はお互いに引き返せない道へ続く扉に手を掛ける。



 だが、二人ともにわかっていなかった。



 その扉を潜った先にあるのは、果てが無く底が無い泥沼であることに――


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