2章09 『絡まる糸の結び目』 ④
『――実はしばらく帰れなくなってしまったのです』
弥堂が御影理事長との対話に応じると、彼女はそう口火を切った。
「どういうことだ?」
しかし、それは弥堂が聞きたかった話とは少しずれていたので彼は眉を顰める。
『私は出張で京都に来ているのですが、現在足止めをされています』
「そんなことを俺に言われてもな」
御影とは何度か仕事を一緒にしたことがあったので、彼女がここで完全に無関係な話をしだすような人間だとは思っていない。
(京都、ね……)
おそらくここから関連が見えてくるのだろうと、弥堂は自身が先に余計なことを口にしないよう努めることにした。
『美景で起きた事件のことで、現在国から京都へ問い合わせや抗議が殺到しているんです。その国への説明役として私に残るよう圧力をかけられていまして……』
「それは気の毒だな。ところで、国というのは政府かなにかのことを言っているのか?」
『えぇ、まぁ。針の筵ですよ』
「何故美景で起こったことで京都に話が行くんだ? 俺にはそもそもそこから意味がわからんのだが」
『色々と面倒な
弥堂は現在の自身の設定を確認しながら慎重に当たり障りのない発言をする。
御影からも決定的な言葉は返ってこない。
『それと、これは私とは別件ですが。普段から美景の守護に協力してくれていた者たちも、他所へ出張したまま戻れなくなっているのです』
「へぇ、それは大変だな」
気のない返事をしながらピクリと眉が動きそうになるのを自制した。
(紅月たちのことか……?)
現状の盤面を見るとそう予想出来る。
『つまり、ですね。少しの間、美景の戦力が足りないんです』
「だから?」
『せめて。G.Wが終わるまででいいので、有事の際には協力して頂けないでしょうか?』
「あんたの言う有事が何を指すのかがわからない。答えようがないな」
『先日の事件のようなことです』
「それなら、俺にはまるで何のことだかわからない。悪いが役には立てないな」
お互いに具体性に欠ける物言いで、話は平行線になっていきそうだ。
『……一度、アナタとは腹を割ってお話がしたいです』
「心外だな。俺はいつも正直に話しているよ」
すると、相手も同じことを考えていたのか、今までよりも踏み込んできた。
しかし、弥堂は回答をはぐらかす。
(俺が腹を割るかは、お前たちがどれだけの実権を持っているか次第だ)
安易に泥船に乗るつもりはないと示唆する。
そして、これ以上の情報が出てこないのならこの話に付き合うつもりも弥堂にはない。
「悪いが無理だ。連休中はバイトで忙しい」
『またそんなことを……』
「本当のことだ。金が必要でな。俺に払える報酬がお前らにあるのか? それなら話を聞いてやらないでもない」
そう告げると、ここまで冷静に話していた御影理事長は苦し気に呻いた。
『ゔっ……⁉ お金の話をされると苦しいのですが……。に、にじゅうまんえん、くらいまで、なら……、どうにか……っ』
「話にならんな。桁が二つ足りない。それならバイトをしていた方がマシだ」
本当に絞り出すような声での提案を、弥堂は即座に蹴る。
『あの……、バイトって彼女の事務所のことですか? あそこでそんな高額の案件は……』
「無いのなら他へ行くだけだ。それに、これは俺の生活に関わることだ。他人に口出しをされる謂れはない」
『それは、そうですが……。しかし、そんな大金……』
「それこそ関係ないだろ」
弥堂の取り付く島のない物言いによって、交渉は一旦そこで途切れる。
すると、カタカタという打鍵音が鳴った。
『――え……?』
少しのラグの後、電話口から御影理事長の戸惑う声が聴こえる。
『お嬢さま……?』
その呼び掛けにカタカタとキーボードの音が応える。
『ご自分で言ってくださいよ……』
呆れたような声にもカタカタと返事をする。
すると溜息を吐いてから、理事長の声は再び弥堂へと向けられた。
『先日の事件から、普段よりも街の空気に魔が満ちています。これらは自然のモノを活性化させたりもしますが、逆によくないことを起こす場合もあります……』
同じ室内にいる郭宮会長から京都に居る理事長へメッセージが飛び、それを電話口で読み上げて会長の目の前に居る弥堂に伝える。
そんな謎の構図が出来上がった。
『その魔が悪い気と混ざると悪霊としてカタチを得てしまいます。人々に害を為すようになる』
(魔物のことを言っているのか……?)
頭ではそう思いつつ、口では違う言葉を発する。
郭宮会長の方へ眼を向ける。
彼女は僅かに身動ぎをして目を伏せた。
「何の話かわからないが、俺はその“人々”には入らないのか?」
『それを言われると心苦しいのですが、どうかお力を貸してはもらえないでしょうか』
ここからは恐らく理事長の言葉に変わったのだと判断し、今度はスマホの方へ眼を戻す。
「さっきも同じようなことを言ったが、『力を貸す』の意味がわからない。何の為にどんな力を貸せと言うんだ。具体的に言え」
『……護衛・防衛の戦力として、連休中は学園に滞在して欲しいんです』
「断る」
それではまだ足りないと斬り捨てた。
どちらが先に明かすかという探り合いはまだ続いている。
すると、理事長の語調が変わる。
『アナタのことがわからないと、警察から庇いようがありません』
それはある意味で最初と同じ言葉のようで、ある意味でもう一歩踏み込んだ発言だ。
「……まるで、場合によっては国家権力を相手に庇えると言っているように聞こえるな」
弥堂もそれに乗る。
『事件当日の港の監視カメラにアナタが映っていました』
「…………」
スッと、弥堂の眼が細められた。
「……それは脅迫のつもりか?」
言葉と同時に室内の空気が張り詰める。
言葉は電話に返しながら、蒼銀の光を佩びた瞳は生徒会長へと向けた。
ジッと、視線を固定する。
郭宮会長はブルリと震え、その前に“まきえ”が立ちはだかって彼女を隠した。
「ふ、ふーきいん……っ、オマエ……ッ⁉」
“まきえ”の顔色は悪くなっている。
弥堂の方も彼女らにわかりやすいように、あえてわざと殺意を露わにした。
「“ふーきいん”。調子にのりすぎ。それ以上は殺す」
すると、こちらは顔色を変えず、“うきこ”は同等の殺意を弥堂へ返してきた。
弥堂は目線を“うきこ”の方へ動かした。
そして――
「こっちに来い」
「やぶさかではない」
さっきと同じようなやりとりを経て、“うきこ”はトコトコと無防備に近寄ってきた。
弥堂はまた彼女の手に何かを握らせる。
カサリとしたそれを“うきこ”はニギニギする。
弥堂は彼女に耳打ちをした。
耳にかかる吐息に一度だけピクリとした“うきこ”は「ふんふん」と頷く。
弥堂がスッと自分のスマホを出すと“うきこ”はそれを受け取り、理事長と繋がったままの会長のスマホと突き合わせて何やら操作をする。
『“うきこ”……? そちらは一体どうなっているんです?』
理事長の声を無視して“うきこ”は弥堂に彼のスマホを返す。
それから耳を押さえながら少しだけポーっとした表情でトコトコと歩く。
生徒会長の前まで来ると彼女へスマホの画面を向けた。
会長はクワッと目を見開いた。
“うきこ”はコクリと頷く。
「お嬢さま。“ふーきいん”が卑劣にもこれをネットにアップするって言ってる。ここは悔しいけど、お嬢さまは“ふーきいん”の言うことを聞くべき」
何やら降伏勧告でも持って来た使者のようなことを言い出した自身のメイドに、お嬢さまはガーンっとショックを受けた。
一体何の話だと首を傾げた“まきえ”が横からスマホを覗き込む。
すると、その画面に映っていたものを見て彼女もゴーンっと白目を剥いた。
すぐに弥堂に喰ってかかる。
「テ、テメエッ、“ふーきいん”っ! なんでこれがまだあんだよ……ッ⁉」
「あるからだ」
「ふざけんなよ! 人に穴掘らせて回収させておいて何でテメエは捨ててねえんだよ……!」
「さる有識者が言っていた。消せば増えると」
現在生徒会長のスマホに表示されているのは、以前にパンチラ写真の専門家である写真部の山下君より弥堂が押収した、郭宮 京子のパンチラ画像だ。
自身のあんまりな姿に会長はプルプルと震える。
「このままじゃお嬢さまのぱんつがネットのオジさんたちに保存されちゃう。このあられもない油断ぱんつが」
会長を説得してる風なことを言う“うきこ”の顏はどこか嬉しげだ。
油断パンツを晒した女がいるという事実が何か重要なのかもしれない。
その勧告を受けて、顔を青褪めさせた会長は震える手をキーボードへ伸ばす。
カタカタと打鍵音が鳴った。
『……は? なんです? これを読めということですかお嬢さま?』
スマホからは御影理事長の戸惑ったような声が。
郭宮会長はコクコクと何度も頷くが、生憎相手にそのジェスチャーは見えない。
だが、自身の主のその行動が目に浮かんだのか、諦めて御影は読み上げ始める。
『えぇっと……? 有事の際にもし予定が空いていたら協力してもらえるということでいいですか……?』
「うむ。それならいいだろう。行けたら行く」
それに対して弥堂が絶対に行かない人の返事をして、話は急速で終わってしまった。
想定外のことに御影はビックリする。
『ちょっと⁉ お嬢さま? なんですかこれは……!』
主へのクレームの声を上げるが、お嬢さまは悲しげにフルフルと首を横に振るだけだ。
『“うきこ”! 一体そっちで何があったんです⁉』
「メイド長が悪い。居ないから」
『はい? どういう意味です⁉』
「か弱い私とお嬢さまは“てごめ”にされた。ついでに“まきえ”も。“ふーきいん”は本当にワルイ男」
『て、てごめ……? ど、どういうことですか……っ⁉』
「では俺はもう帰る。あまり気安く呼びつけるなよ。次からは30分5000円の相談料が発生する」
『ちょっと⁉ 待ちなさい……!』
いい感じに相手が混乱していたので弥堂はこの機を逃さずに離脱する。
理事長の呼び止める声が聴こえたが無視をした。
『“うきこ”っ! 捕らえなさい! 何をしているんですっ!』
「およよ……。私たちは撮影された……」
『撮影っ⁉ ほ、本当に何がどうなってるんです……っ⁉』
パタリと扉を閉めると、それ以上は彼女たちのやりとりは聴こえなくなった。
しっかりと防音が効いているようだなと考えながら、弥堂は昇降口へと向かう。
廊下を歩きながら、今しがた得た情報を少し整理する。
まずは、『京都で圧力をかけられている』。
この美景市では名士としてそれなりに力のある郭宮とその配下の御影。
それに対して圧力をかけることの出来る存在――あるいは団体。
それが京都に在る。
そしてその団体に対して国が何かを言っている。
政府や警察などの機能の下に属しているわけではなく、加えて決して関係は良好ではない。
(京都に、陰陽師、ね……)
廻夜部長に読まされた漫画などではいかにもありがちだが、それがまんま現代の現実に存在しているのだろうか。
だが――
(――国と対立している……?)
もしくは、国に属している者だけでないと見るべきかもしれない。
そして次に、『警察から庇う』。
(よく言うぜ)
これは全くの嘘ではないだろうが、真意は逆の意味だろう。
(俺の素性を洗うまで軟禁するつもりか……?)
場合によってはいつでも警察に引き渡せるように。
警察が弥堂をマークしていて、怪しんでいる。
証拠の映像もあって、おそらく容疑もかかっている。
それならとっとと捕まえに来ればいいのだ。
それをしない――或いは出来ないということは、
(俺のことを同類だと見ている)
そういうことになる。
普通の警官では手に負えないと考えているのだ。
さらに、『連休明けまで理事長や紅月たちは帰って来られない』。
彼らが居ないと美景は手薄になる。
つまり――
――国側の退魔士は数が少ない。
そう考えることができ、既にしていた予測が一つ裏付けられた。
(どこまで港でのことを掴んでいる……?)
現状で警戒されているのは間違いがないが、実際に彼らは弥堂の戦力をどこまでと想定しているのだろうか。
それとも魔王級を仕留められるほどの危険人物か。
彼らがどこまでを想定してこの対応をとっているのかによって、弥堂の方も彼らの戦力への想定が変わってくる。
もしも、理事長や紅月たちが揃えば、魔王級を倒せる存在にも対応可能だと彼らが考えているのなら――
(なんにせよ――)
頭を振って現状で答えを得られない疑問を振り払う。
彼らには弥堂を捕まえる為の確実な戦力が今は不足している。
それは間違いなく弥堂にとってはアドバンテージだ。
(それが揃うまで俺を青チビにでも見張らせるつもりか)
先程の交渉はおそらくそういう話だ。
戦力が揃うまで監視し、平行して素性を洗う。
その結果、使えるようなら取り込む。
そうでないのなら始末する。
(らしくなってきたじゃねえか)
鼻で嘲笑ってペッと廊下に唾を吐き捨てる。
複雑な状況ではあるが、こんなものは異世界で既に嫌というほど経験した。
むしろこの状況、この
だから自分は頭がよくないと自覚している弥堂にも正確に状勢が読める。
そしてこの不自由さに居心地の良さすら感じてしまう。
(とはいえ――)
ここまでの相手の反応を鑑みて、仮に愛苗の存在がバレたら――と考える。
(やはり戦力として取り込もうとしてくるか……)
その可能性が高いと思えた。
そしてそれは弥堂にとっても彼女にとっても望ましくはない。
(時間がないな)
改めてそれを認識する。
だが、弥堂はまだ決断を下さない。
それは弥堂にしては遅い対応だ。
異世界に居た頃の弥堂であったら、この時点でとっくにもう夜逃げの決断をしている。
なんなら既に街を出た後だろう。
弥堂本人もそれを自覚していた。
そうなってしまっている原因としては、やはり愛苗の存在――
――ではなく、廻夜 朝次の存在が気にかかっているからだ。
あの廻夜 朝次ならば、弥堂の現状を正確に且つ十全に把握しているだろう。
なのに今朝の彼からは、この件についての言及が一切なかった。
それはつまり――
(――とるに足らないこと)
こう見えても弥堂にとっては中々の危機ではあるが、廻夜ほどの男からしてみればその程度の案件なのかもしれない。
もしもその必要があるのなら、彼から夜逃げの指示が出ているはずだし、そうでないのなら現状を継続するということになる。
仮に廻夜が弥堂を斬り捨てるつもりだったとしても、それなら内部情報の口止めや口封じをするための何らかのアクションがあったはずだ。
(もしくは俺を始末するか……)
普通に考えればそうだが、しかしそれは違うと感じた。
もしも弥堂を始末するつもりなら、
(俺にわざわざ水無瀬を助けさせる必要がない)
そういうことになる。
しかし、それ以上に、例の魔法少女や悪魔との件は愛苗の為にというよりもむしろ――
「…………」
弥堂はまた頭を振る。
気がしただけなら気のせいだと。
ともかく、部長が何も言わなかったのなら、現在の事態はこのままで乗り切れるものだということになる。
彼は連休後のことのみ指示を出した。
ならば、G.Wが終わった後も弥堂がこの学園に居ることを彼は予定しているのだ。
弥堂にはまだその道筋は視えない。
しかし――
(『ある』のなら『いける』)
つい数日前に、同じように先行きの見えない状況を、廻夜の言葉どおりに切り抜けることが出来た。
それなら今回も出来るのかもしれない。
(それは、なんだ……?)
思わず魔眼に光が灯る。
郭宮や御影をケツモチにしろということだろうか。
御影の口ぶりだと、彼女らは国と京都との間に居るような風に聞こえた。
そして警察から庇うことが出来るとも。
彼女らに与すれば国の機関に属さないままで外敵からも守られるような環境を、愛苗の周辺に構築することが出来るのだろうか。
だが、そうだとすると、郭宮やこの学園はどういった目的で運営されている組織になるのだろうか。
それがわからない内はおいそれと降ることは出来ないと思った。
なら、皆殺しにしろということなのだろうか。
しかしその場合は学園が存続できなくなってサバイバル部の存続も危ぶまれる。
その判断を下すのも尚早な気がした。
廻夜の導線通りに美景から出ないとしても、その見極めは出来るだけ早くして、身の振り方を決めなければならないだろう。
それをしないまま連休が終われば、理事長や紅月たちに包囲される。
どちらにせよ時間がないことには変わりはない。
だが――
(――今なら希咲一人……)
結局その希咲 七海は、今日も学園には姿を現さなかった。
先程の理事長たちと連携して様子を見ているのだろうか。
(いや、違う――)
即座に否定する。
何故なら――
(――あいつには他の連中とは別の目的がある)
郭宮家、警察、国、京都、そして紅月家。
希咲 七海だけはそのどれからも浮いている存在だ。
(あいつには、あいつだけの目的がある……)
それは当然、水無瀬 愛苗だ。
病院のコインランドリーで弥堂は言った。
希咲と愛苗の友情は本物で、希咲は本気で愛苗のことを想っていると――
であるならば、そこには必ず執着が生まれる。
組織ではなく個人にのみ絡みつく執着が。
理事長たちは愛苗の――魔法少女ステラ・フィオーレのことを認知していない。
魔王級を倒した魔法少女のことを。
それを認知しているなら、さっき必ず弥堂にそのことを聞いていたはずだ。
愛苗ではなく、弥堂が警察に狙われていることを脅しとして使った。
それは――容疑者か参考人かは不明だが――弥堂の方が優先度が高いということになる。
ということは、少なくともまだ愛苗のことは余所にバレていない可能性が高い。
(それなら――)
昇降口に着き、自身のシューズロッカーへと向かう。
それなら、自分が疑われ、自分が狙われているこの状況は酷く都合がいい。
弥堂はそう考える。
そして愛苗の正体に気付いていないのなら、現在の希咲の行動は――
自身の友人の――あのか弱いままの少女の――そんな水無瀬 愛苗を捜している――
――そういうことになる。
ロッカーを開けて、中から落ちてくる物を足で適当にどかしながら靴を履き替える。
あの弱々しく幼い少女への心配を押し殺して、組織の都合を優先して、愛苗のことを斬り捨てる。
そんなことが希咲に出来るだろうか。
(無理だ――)
彼女らの友情がホンモノであればあるほど、お互いのことを想い合えば想い合うほどに。
それは出来なくなる。
己の妄執に囚われ、その身を持ち崩すのだ。
だから、希咲 七海は他の潜在的な敵の中でも別種の存在だということになる。
靴を履き替え建物の外へと向かう。
だから――
(――あいつは必ず来る)
昇降口棟の外へ出て正門へと進路をとった。
もしも希咲が理事長たちと連携して、もしくは指揮下に入って動いているのなら、現在は待機中である可能性が高い。
理事長は交渉で弥堂をどうにかしようとした。
そんな日に希咲を嗾けたりはしないだろう。
だが、希咲は単独で、彼女だけの理由で愛苗を捜して動いている。
だからこの後、必ず来ると――
弥堂はそう確信した。
(もしも来るのなら――)
人気のない場所であろうと見当をつける。
他人の目がある場所で弥堂が口を割るとは彼女も考えていないだろうし、彼女自身もそれは都合が悪いはずだ。
仮にそれを気にしないのなら、朝から学園に登校してきているはずである。
(それなら――)
今日も彼女の尾行を釣り出そうと決める。
学園の外に出て少しの所にメロを待たせてある。
あのネコの感知能力は中々に便利だ。
(……なんだ?)
少し歩きながら正門へ繋がる桜並木の道へ入ると、妙に人が多いような気がした。
放課後になってすぐの時間ならわかるが、弥堂は帰りのHRが終わってから生徒会長室に連行されていた。
そこで時間をロスしたのでピークの時間とは少し外れているはずだ。
いつもなら気にするほどのことでもないと流すのだが、妙な胸騒ぎがした。
さらにもう少し進んでいくと、先の方が騒がしいことに気が付いた。
何人かの男子生徒が大声で何かを喚いている。
何歩か近づくと段々とその声が言葉として聞き取れるようになってきた。
「募金のご協力をおねがいしまーーっす!」
「学園の車椅子が不足してまーーーっす!」
その声に聞き覚えがある気がして弥堂は眉を顰めた。
どうも何人かの生徒が一人に絡んでいるようだ。
周囲には野次馬も出来上がっている。
「おいおいおいおい、そこのキミぃっ! そうキミだ! なんで無視するんだよぉ?」
「べっ、別に無視してなんか……」
「おっと失礼っ! ボクの早とちりだったねぇ! これは申し訳ないことをしてしまったよぉ! ボクの思慮が至ってなかったよぉ。でもそんなボクをキミは許すべきだぁ。だってそうだろぉ? これもボクの『弱さ』故の過ちなんだからさぁ!」
「な、なんだこいつ……」
「でも代わりと言ってはなんだけどさぁ。ボクもキミのことを許して差し上げるよぉ!」
「な、なんだと……?」
「どうもキミの聴力が弱かったみたいだからねぇ。それは仕方のないことだ。ちゃぁんと配慮してあげるよぉ。そういうわけでもう一回いっとくかぁ。西野くん、本田くん。もういっちょ頼むよぉ!」
「募金のご協力をおねがいしまーーっす!」
「学園の車椅子が不足してまーーーっす!」
「う、うるせぇなっ! 聴こえてんだよっ!」
「おやぁ? おやおやおやおやおやおやおやぁ……? それはおかしいねぇ?」
「な、なにがおかしいってんだ……⁉」
「だってそうだろぉ? キミはついさっき『無視はしていない』と言った。つまり聴こえてなかったってことだろぉ?」
「は、はぁ……?」
「それが聴こえてただって? おいおい、キミはなんて『酷い』人なんだぁ。聴こえてたってことは無視したってことだろぉ? 困ってる人を助けることを無視した。違うかい?」
「そ、そういうわけじゃあ……」
「じゃあ、なんだい? ボクたちみたいなのの話なんて聞く必要がない。だから聞いてなかったと。そう言いたいのかい?」
「な、な……」
「なんてこった! これは明確に『差別』だぜ! だってそうだろぉ? 相手によって話を聞くか聞かないか。選んで対応を変えるだなんて『差別』の典型じゃあないか! キミは『差別主義者』なんだね!」
「や、やめろ……、デカイ声でなに言ってんだ……」
「何を言っているだって? ボクたちは最初から同じことしか言ってないぜ? 困ってる人、弱い人に救いの手を差し伸べてくれと、そんな当たり前のことを言っているのさ!」
「わ、わかった……! する! 募金するよ! だからもう勘弁してくれ……!」
「あれ? 300円もくれるの? これは助かるねぇ。1名様300円入りましたあああぁぁぁっ!」
「「「ありがとうございまあぁぁぁっす!」」」
「うるせぇっ! もう帰らしてくれっ!」
酷く気分を害した様子の生徒は、車椅子に座る男の抱える箱に小銭を投げ入れると、周囲の目を気にしながら足早に逃げて行った。
その様子を野次馬たちがドン引きしながら遠巻きに見ている。
騒ぎの主は弥堂の見覚えのある者たちだったが、とても面倒な連中なので今日は特に関わり合いになるのを避けたい。
なので、今日は風紀委員も非番であるし、無視して通り過ぎることにした。
だが――
「――おいおいおいおい。そりゃあないんじゃあないのかなぁ?」
弥堂が近づくと彼らは行く手を阻むように動いた。
「ボクたちとキミは知らない仲じゃあないだろぉ? なのに挨拶もしないで通り過ぎようだなんて、そんなのとっても『酷い』と思うぜ? だってそうだろぉ? それってボクたちには挨拶をする価値もないって言っているに『等しい』からね」
「…………」
アームホルダーで片腕を固定した大男が車椅子を移動させ、主を弥堂と向き合わせる。
すると、ザッ、ザッと――
その周囲に眼鏡をかけた男と、太った男が展開した。
「……一応聞くが、何の真似だ?」
「なんの? ハッ――そんなの聞くまでもないだろぉ? このボクは弱者の味方だと既に名乗っているぜぇっ⁉」
周囲のざわめきが大きく拡がっていく。
学内で『風紀の狂犬』と悪名高い男に、よくわからない不良でもないおかしな集団が絡んだ。
それが物珍しいのか、あるいは恐いもの見たさからか。
さらに野次馬が増えているようだった。
しかし――
「お? お? もう始まってる?」
「ちょっと、ののか。あんま近づかない方がいいって」
「ねぇ楓。あれって風紀委員的にどうなの?」
「許可をとって募金集めてるなら大丈夫なはずだけど……」
野次馬の中にはよく知る顔も居た。
それを訝しむ間もなく――
「――どこを見ているんだい? キミの前に立ったのはこのボクだぁ。キミが見るべきはボクだろぉ?」
車椅子に座った男に挑発をされる。
弥堂は静かに視線を戻した。
「俺に喧嘩を売りに来たのか?」
「いーや、違うね。だってそうだろぉ?」
相変わらずの迂遠な言い回しに弥堂は眉を顰める。
「『来た』のはキミだよ狂犬クン」
「なに?」
「ボクたちは待っていて、待ち伏せていて、そこにキミが来たのさぁ」
「待ち伏せだと……?」
「そうさ! 待っていたぜぇ! この機会を……ッ! ボクは『弱者の味方』だ! だからいつだってキミの前に立つのさ! 待ちわびたぜぇ、強敵ぃ……ッ!」
その男は細い腕をバッと大袈裟に広げてみせた。
「どうもお集りの皆さま! こんにちは、初めまして、以後お見知りおきを! ボクたちは……『
男の――
よくわかっていない者の中には何故か拍手まで送っている者までいた。
「チッ」
面倒なことになったと弥堂は舌を打つ。
強引に突破することを考えた時――
「――アン? なんか違うヤツとケンカしてね?」
「誰だアイツら?」
「知らねえな」
またも聞き慣れた声が野次馬に混じって聴こえる。
そちらを見ると同じクラスの鮫島グループ三人が居た。
あちらには野崎さんたちも居たし、下手にクラスメイトに絡まれてはさらに時間を無駄にすることになると懸念する。
だが、それだけではなかった。
(なんだ……?)
野次馬をよく見れば、何故かやたらと同じクラスの者たちが多いようだ。
こうして野次馬に囲まれることはこれまでに何度もあったが、こんなに知り合いが多いのは珍しい現象だった。
そのことを訝しむが、弥堂は視線を法廷院に戻し、思考を無理矢理切り替えた。
これから自分は希咲と事を構える予定だった。
こんなところで、こんなどうでもいい連中に無駄な時間をとられるわけにはいかない。
希咲はおそらく人目のつかない場所とタイミングを選んでコンタクトをしてくるはずだ。
このような余計な騒ぎに巻き込まれていては支障を来す可能性もある。
弥堂は問答無用に目の前の障害を暴力で打ち伏せることにした。
だが――
拳を握ったところで、違和感が大きくなる。
(なんだ……?)
こんな連中ごとき大した障害ではない。
なのに、なにか空気が違うように感じた。
この空気は慣れ親しんだ――
「――ちょっと、通してってば。ジャマなんだけど?」
そこまで考えたところで、その声が聴こえた。
一瞬で身体が緊張状態に入る。
またも聞き覚えのあるその声は、法廷院たちの背後に群がる野次馬たちのさらに向こう――正門の方角から聴こえてきた。
「ほら、どいたどいた。道空けろっての――」
次に聴こえた言葉に応じて、その野次馬が真っ二つに割れていく。
そうして開いた道を通って、声の主が――彼女が、歩いてきた。
その姿を眼に映して、弥堂は驚く。
「希咲――」
「なに? あんたたちまた騒いでるわけ?」
そんな弥堂へ目を向けることなく、彼女は――希咲 七海は法廷院たちの後ろで立ち止まり、彼らへ呆れたように言った。
「おやぁ? これは希咲さんじゃないかぁ。偶然だね。ボクたちちょっと狂犬クンに話があってねぇ」
ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべながら、彼女の登場に特に驚くことはなく、法廷院は制服姿の希咲に答えた。
「あっそ。それは偶然ね。実はあたしもそいつに用があって、わざわざ会いにきたの」
二人のやりとりは弥堂には何処か白々しく聴こえた。
(だが、なんだ……?)
現状の不自然さに眉間を歪める。
希咲が登場するなら人目のない場所で来るだろうと考えていた。
まさかこんなに生徒の多い場所に現れるとは完全に想定外だったのだ。
しかし、こんな場所ではお互いに何の話も出来るはずがない。
彼女がどういうつもりなのかわからず、弥堂はただ警戒を強めた。
「悪いがこいつらが先客だ。お前が何の用かは知らんが出直してくれ」
「ふん――」
黙っていても仕方がないので、弥堂はとりあえず牽制のつもりであしらってみる。
すると、希咲は酷くつまらなそうに鼻を鳴らし――
――そして法廷院たちへ目配せをした。
法廷院はニヤリと哂い、スッと片手を上げる。
「御意――」
その合図に従うように高杉は車椅子を横にずらす。
西野と本田も脇にずれた。
(なんだ……?)
弥堂が眼を細める中、両サイドに割れた彼らの間を希咲は進み出て来て、彼らの一歩前でまた立ち止まる。
そして高杉は法廷院の乗る車椅子を希咲の横、わずかに後ろの位置に調整する。
さらに西野と本田も希咲のサイドの一歩後ろへ展開した。
まるで彼女に付き従うかのように――
(こいつら、まさか……)
弥堂のその思考を肯定するように法廷院はまたニタリと哂った。
「ハッハァー! 言ったろぉ⁉ ボクが誰の味方かって!」
実に楽しそうに吠えながらまたも大袈裟にポーズをキメてみせた。
「まぁ、実際何をするのか聞いてないんですけどね」
「本田なんてここんとこずっと休んでたのに、希咲さんが呼んでるって言ったらウキウキで登校してきたもんな」
「や、やめてよぅ西野くん……! 希咲さんに誤解されちゃうだろ……っ」
「ちょっと! 気が抜けちゃうからそこで大人しくしてて!」
「「はいっ!」」
チラッチラッと視線を向けてくる本田にジト目を返しつつ、希咲は彼らにステイを命じた。
彼らはそれぞれの思うカッコいいポーズをキメて大人しくする。
「…………」
弥堂は黙って右足を僅かに引き、半身を作って希咲を視た。
その視線を受けて、希咲はパッと手を払いサイドテールを打ち上げながら自身も半身になる。
「あんたに聞きたいことがあんの」
打ち上がった長い尻尾がパラパラと降りてきてから、彼女は弥堂へ宣戦を布告した。
「もちろん、逃がさないわよ――?」
『Nanami With Naive Nursing』の即席ユニットが組まれ、弥堂の前に立ちはだかる。
弥堂にとっては完全に不意を討たれた格好で、ついに希咲との対面が始まってしまった。
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