2章07 『辿る足跡、迫る足音』 ④


 オールドスタイルな借金取りのように医師の控室に踏み込んでいったご主人を使い魔は追う。



「な、なんなんだ……っ⁉」



 部屋の中ではネクタイを緩め胸元を開けた白衣の男が椅子の上で縮こまっていた。


 当然のことだが酷く怯えている。



「鍵を閉めろ」


「ヘ、ヘイッ、アニキ……ッ!」



 男の言葉には答えず、弥堂はメロに指示を出す。


 何が何だかわからなかったがとりあえず彼女は従った。



 内開きの扉を閉めてガチャリと鍵を回すが、先程アニキがイカついナイフでぶっ壊してしまったので鍵はかからない。


 メロは周囲をキョロキョロして、その辺にあった棚や小さなソファを引き摺ってきて入り口を塞いだ。


 監禁罪の要件が成立した。



 メロは「ふぅ~」と額の汗を拭い、改めて部屋の中へ目を向ける。


 そこには椅子の上で身体を丸める痩せぎすの30歳前後の男と、抜き身のゴツいナイフをぶら下げた自称男子高校生という絵面が。


 メロは反射的に人避けの魔法をこの部屋に展開した。



「――おい、飯田。飯田 誠一」


「な、なんなんだいきなりっ! 僕はちゃんと言うことを聞いてるだろぉっ⁉」



 どうも二人は知り合いのようだ。


 細かい事情はわからないが、このシチュエーションから何となく想像出来るものはある。


 もしかしたらこれは今日の“やらかし”を帳消しに出来るチャンスかもしれないと、メロはヤケクソになってノリで合わせにいった。



「オゥコラ、イイダ、このやろー!」


「な、なに……、え? 子供……?」


「ナメんなイイダこのやろー! アニキがきたんじゃ! さっさと金を出さんかい!」


「あ、あいたっ⁉ や、やめたまえ……!」



 イキり散らかしながらヨタヨタと飯田医師に近づいていくと、彼の脛に女児キックをビシビシと見舞う。


 そして乱れた白衣の懐にちっちゃなお手てを突っこんだ。



「オイシャさまは稼いでんだろ? ちぃとワシらもに分けてくれやイイダこのやろー」


「こ、子供がなんてことを……。か、かえしなさい……!」


「じゃかぁしいッス! これはもうアニキの金っス! 金寄こせよイイダこのやろー!」


「ブフゥっ⁉」



 メロはお医者さんの懐から長財布を抜き出すと、ビビビっとお札の枚数を数える。そして空になった財布で飯田医師の頬をバシンっとビンタした。



「さ、アニキ! 金ッスよ! ジブンやったったッス!」


「勝手なことをするな馬鹿が」


「ぁいたぁーッス⁉」



 十数枚の紙幣を嬉しそうに差し出してくる女児の頭に、弥堂はゴチンとゲンコツを落とした。


 メロは両手で頭を押さえてしゃがみこむ。


 弥堂はその女児の手から紙幣を奪い取った。



「すまなかったな、飯田医師。ウチの若いモンが失礼をした」



 そして一万円札を一枚だけ抜いて残りを飯田に返してやる。



「わ、若いモンって……、若すぎるだろ……。正気か……?」



 小学校高学年ほどの年齢にしか見えないやけに露出度の高い服装のメスガキを茫然と見ながら、飯田は金を受け取って財布に仕舞った。



「少なくとも俺の方は正気だな」



 弥堂は適当に答えながらお客様から頂いた手数料を、屈みこんでいるメロの前に差し出す。


 メロは何も考えずにその金を受け取ると、出来立てのタンコブを擦りながら立ち上がる。とりあえずその紙幣は縦半分に折ってスカートとお腹の間に挿しこんでみた。



 その万札の少し上、女児のお腹に刻まれた卑猥な紋様を見て、飯田はさらに顔色を悪くする。


 若干満足げな顔をする女児を置いて、弥堂はそんな医者をギロリと睨みつけた。



「随分と景気がよさそうじゃねえか。クズ野郎」


「え?」



 飯田はその顔に不満を滲ませる。



「……それは皮肉かい? 御蔭様で不景気だよ。頗るね」


「イイダこのやろー! アニキがケーキっつったらケーキなんじゃい! ケーキだせよこのやろー!」


「お前は黙ってろ」


「ぁいたぁーッス」



 女児の後ろ頭をパシンっと引っ叩いて黙らせた。


 弥堂は自身の用件を続ける。



「不景気? 俺にはとてもそうは見えないな」



 言いながら、飯田の服装の乱れを視線で指摘する。


「ゔっ⁉」と呻いた飯田は慌ててネクタイを締めた。



「職場だというのに、随分とお楽しみだったようじゃねえか。あ?」


「そ、それは……っ」


「んん?」



 飯田が気まずげに口ごもると、メロは首を傾げる。


 そしてクンクンと鼻を鳴らした。


 するとメロの脳裏に先程走り去ったナースさんが浮かぶ。


 卑と猥が繋がり、メロはニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。



「ヘイヘーイ! イイダさんよー! オメエ一体ここで何してたんだァ? ナースさんとナニしてたんだよォ~⁉」


「い、いやっ、それは……っ」


「きかせてー? 小学生のジブンにもわかるようにおしえてー? 頭のいいお医者さーん?」


「あっ、こら、やめなさい……!」



 エロのニオイを嗅ぎつけて俄然調子づいたサキュバスは狼狽える医者の膝の上に昇る。


 そして横抱きにされるような姿勢で座り、ペチペチと飯田医師の頬を叩いて煽り始めた。



「えー? 言えないのー? 子供に言えないようなことしちゃったのー? ねー、イイダー?」


「そ、そんなわけ……」


「なんでイイダのシャツはボタン開いてるのー? なんでさっきのナースさんはブラ外れてたのー?」


「な、ななな……っ⁉」


「ねー? いいなよイイダー」



 年端もいかぬ少女に詰られ、飯田医師は只管に言い淀む。


 その苦しげな顔をメロは嬲るように見上げながら、わざとらしく彼の腿の上にのせたお尻を捩った。



「ねぇー、オジさん。なんかお尻に当たってんですケドー?」


「うっ、お、おりなさい……!」



 メロに指摘されると飯田はハッとし、わかりやすく顔色を変えた。



「クスクス、キモぉ~い。ねぇ、オジさんってばわかってるぅ? アタシ小学生だよ? こぉーんなちっちゃな女の子にコーフンしちゃってるのぉ~?」


「そ、そんなわけないだろっ! バカなことを言うな!」


「へぇ~? じゃあ、コレは最初っから“こう”なってたんだぁ? ふぅ~ん。ココをこぉーんなにしてぇ、イイダはこの部屋で一体ナニをしてたワケェ?」


「ち、ちがう……っ! 僕は何もしていないっ!」


「えー? まーだ誤魔化すのー? だっさぁ」



 メロは愉悦を浮かべた余裕の表情で大の大人を甚振り続ける。



「もっかい聞いてあげるね? イイダ」


「ぐぅっ……」



 Yシャツの上からメロが飯田の胸を爪で刺すと、苦し気な声が漏れた。



「コレはぁ、アタシで“こう”なっちゃったの? それともぉ、最初っから“そう”だったの? ねー? 言いなよイイダー」


「ク、クソぉ……っ! このメスガキ……ッ! 大人をバカにしやがって……!」



 エリート街道を進む高収入の男に『わからせ』の性癖が芽吹きそうになったその時――



「――いい加減にしろ」



 弥堂は、過剰に三十路男性を攻め立てる女児の首根っこを掴んで持ち上げた。


 するとメロは首だけで振り向いて激しく抗議をしてきた。



「ジャマしないで欲しいッス!」


「それは俺の台詞だ」


「これはハッキリこのヤロウの口から白状させなきゃいけないことッス!」


「どうでもいいだろうが」



 メロを手に持ったまま弥堂はうんざりとする。


 どうやらこの悪魔はまた“不要な栄養リュクス・アーモンド”に目が眩んでいるようだった。



 メロは再び飯田医師に顔を向けると強く彼を責め立てる。



「オラ! 白状しろよこのドスケベドクター!」


「ドスケベドクター⁉」



 エリート街道を邁進してきた若き外科部長はあんまりな呼称にびっくり仰天した。



「やったっしょ⁉ オマエやったっしょ⁉ 部長というその立場を利用してナースさんにメディカルスケベかましたんしょ⁉ い、言えよぉ~、もぉ~っ」


「な、なにを言ってるんだキミは……⁉」


「疚しいことないならちょっとそこで立ってみろよ! なに若干前屈みになってんだこのドスケベドクター! 否定するなら立ってみせろよ! 勃起見せてみろよ!」


「しょ、小学生がそんなことを言ってはいけない! やめなさい!」


「そうッス! 小学生ッスから! ジブン小学生ッスから! どうせ聞いても何のことかわかんないッスから! だから言えよ! 大丈夫ッスから!」



 弥堂に掴まれながらメロはジタジタと暴れつつ、グイグイと30代男性に迫る。


 すると――



「お前のような小学生がいるか。馬鹿が」


「にゃー」



 興奮しすぎて使い物にならなくなった悪魔を弥堂はペイっと背後に投げ捨てた。



 メロは先程入り口を塞いだソファの上にバフンっとお尻から着地する。


 すると、概ねもう満足したのか――ソファの上で足をプラプラさせて大人しくなった。



 弥堂は嘆息して、改めて医師の脅迫を再開した。



「というわけでお楽しみだったようだな。随分と余裕があるじゃないか」


「くっ……!」



 弥堂が冷たく見下すと飯田医師は悔しげに呻いた。


 済し崩しの内にそういうことになったらしい。



「無節操な男だなお前は」


「か、彼女とは結婚の約束をしている……っ! 確かに職場で……というのは落ち度だったかもしれない。だが無節操だなどと言われる筋合いはない!」


「どの口が言ってんだよ、このドスケベドクター」


「あぁ……っ! それは……っ⁉」



 呆れたように言いながら弥堂は封筒を取り出し、その中身を床にぶちまけた。


 それは何枚かの写真だ。


 飯田はそれを見ると激しく狼狽する。



「ん? なんッスか? これ……、こ、これは――っ⁉」



 興味を惹かれたメロがトコトコと歩いて来て、写真を一枚拾い上げる。


 それに映っているものを見て驚愕で女児アイを見開いた。



「もう一度言ってみろよ、クズ野郎」



 弥堂は軽蔑の眼差しで飯田を見下ろす。



 写真に写っているのは“とある男女”がホテルから出てくる姿、そしてどこかの室内で絡み合う姿だった。



「ひゅぅ~っ! ヤってんなぁっ! イイダァ!」



 メロが口笛を吹いて囃し立てる。



「でも、あれ? これ男の方はイイダッスけど、女の人はさっきのナースさんじゃねッスね。けっこう歳いってそうに見えるんッスけど、これ誰ッスか?」


「そのババアはこの病院の院長の妻で、そして理事長一家の娘だ」


「ってことは不倫じゃぁーん! いぇ~ぃっ。イイダやるなオメー!」



 不倫の事実を知った女児は何故か嬉しそうにテンションを上げた。



「俺に証拠を握られているのをわかってる癖によくも言えたな。お偉いお医者様はプライドが高くて随分と苦労をされているようだ」


「ぐっ……、くそっ!」


「オイオイ、イイダー。これさっきのナースさんにどう説明すんだよオイー」


「結婚の約束だと? 彼女にその約束を囁いたその口でババアの股を舐めたんだろ。何を偉そうに」



 愛苗ちゃんに結婚の約束を囁いた口で脅迫の言葉を吐いた男が鼻で嘲笑うと、飯田は怒りを滲ませた。



「ぼ、僕だって……、好きでこんなこと……っ」


「アーン? どうしたんッスかイイダ? なんか事情があんのか? ジブンに聞かせてみろよッス」



 悪魔が不倫の背景を根掘り葉掘り尋ねると、飯田医師は苦し気に吐露した。



「し、仕方なかったんだ……! 僕だって最初は断った……」


「ん? どういうことッスか?」


「雇用関係や人事権を盾に関係を迫られ、出世を餌にされて喰いついた。どうせそんなところだろ」


「く、くそっ……! 一回だけっていったのに……!」


「んなワケねーじゃん。そんなの女児にだってわかるッス」



 弥堂もメロも呆れた目を向けた。



「でもよー、イイダ――」



 メロは写真を見て気付いたことがあったので、さらに飯田を詰る。



「オマエ嫌々だったって言うけど、これバッキバキじゃねえッスか。こんなババア相手にマックスパワーじゃねえッスか。ホントは楽しんでたんだろ? ん? どうなんッスか?」


「そ、それは……」


「おい、やめろ――」



 ニヤニヤとしながら甚振ってくるメロに飯田が苦しそうにしていると、何故か弥堂がメロを窘めた。


 静かだが強い声だった。



「生理現象というものもある。それは決して責めるべきではない。デリカシーに欠けるぞ。もうやめろ」


「え? お、おぉぅ……? イ、イイダ……? なんかゴメンな?」


「え? あ、い、いや……?」



 脅迫の主犯に取り成され、二人は困惑しながら手打ちにした。



「さて、そんなことより本題だが――」



 弥堂が話題を変えると飯田はハッとした。



「か、金ならもう渡しただろ……⁉ キミの言う通りに入院の環境も整えた! なのにこれ以上なにを……っ」


「お前に頼みがあるんだ」



 飯田の問いには答えず、弥堂は淡々と要求を突きつける。



「入院期間を延ばせ。そうだな、あと二ヶ月くらい」


「なんだって……⁉」



 飯田医師は不倫をネタに弥堂に脅迫をされ、身元の不確かな少女の入院手続きや個室の用意にカルテの偽造など、様々な不正を強要されていた。


 そして今さらなる要求をされて驚愕する。



「む、無茶だ……っ!」


「ほう、何故だ」


「……彼女の担当医から上がってきたカルテや検査結果に僕も目を通した。彼女は十分に健康だ! そんなに長く入院をさせていられない……!」


「へぇ、それはよかったよ」


「既に怪しまれている……! 担当の医師やナースも不審に思い始めている……!」


「そうか。なんとかしろ」


「事務の方だって誤魔化さなければならないっ。入院する時だって相当危ない橋を渡ったんだ……! 同じ外科の中だけなら僕にもなんとかなるけど、あっちの方までどうにか出来るほどの影響力は……っ!」


「そうか。どうにかしろ」



 飯田は真剣に訴えるが、弥堂は興味がなさそうに切り捨てた。


 二人のやりとりを聞いて、メロにもようやく事情が呑み込めてきた。



「あぁ、そういうことッスか。だからあんなことになっちゃったマナがスムーズに病院に入れたんッスね」


「そういうことだ。で、俺がお前をここに連れて来た理由はわかるか?」


「んー……、ツラ通しッスか? これからはオマエの代わりにこいつを脅せってことッスよね?」


「脅すなんて言い方はよせ。お願いをするだけだ。俺と彼は仲良しだからな。友達の友達は友達だ、みたいなことを水無瀬も言っていただろ」


「へへっ……、これからよろしくなっ、イイダっ」


「あぁ……、終わりだ……、僕はもう終わりだ……」



 調子にのったメロは飯田医師に肩を組み、また彼の頬をペチペチする。



「嫌なら断ってくれてもいいぞ」


「え……?」



 弥堂がそう言うと、絶望に沈みかけていた飯田はパッと顔を上げた。



「お前がやってくれないのなら、他の者に“お願い”をしに行くだけだ」


「ほ、他の……?」


「あぁ。例えばそうだな……、この病院の院長とかな」


「なっ――」



 遠回しな脅しに飯田は絶句する。



 ちなみに、この病院の院長も別口で弥堂に弱みを握られており、すでに別で脅迫を受けている。


 そのことを知らない飯田には、「不倫をバラすぞ」という風にしか聞こえない。



「待ってくれ! そ、そんなことをされたら本当に僕は終わりだ……っ!」


「それはやめて欲しいというお願いか?」


「そ、そうだ! お願いだからやめてくれっ!」


「そうか。なら俺のお願いも聞いてくれるよな? 持ちつ持たれつ。フェアにいこうぜ?」


「ぐっ……、わ、わかった……っ! なんとか、してみる……っ!」


「そうか。頼もしい友達を持って俺は嬉しいよ」



 結局飯田は脅迫に屈し、ガックリと首を垂れた。



「そんなに気落ちするなよ。今日は土産もあるんだ」


「え……?」



 言いながら弥堂は持って来たアタッシュケースを開けて、床で膝を着く飯田の上にその中身をぶちまけた。



「こ、これは……⁉」



 それはいくつかの札束だ。



「一千万ある。ちょうどお前の年収と同じくらいだろ?」


「ど、どういうつもりだ……」


「なに。前回お前からは取りすぎちまったからな。これはお詫びも兼ねた報酬だよ。言っただろ? 俺とお前は友達で、持ちつ持たれつだと」


「…………」



 飯田は茫然とした目を金に向ける。



「どうした? 拾えよ。お前の金だ」


「ぼ、ぼくは……」


「お前だって色々と入用だろ? なんだったか。結婚するんだって?」


「…………っ」



 飯田医師は考える。



 最初の脅迫で大金をとられたせいで手持ちの資金は少ない。


 それはこの病院で勤務を続ける限りは生活に支障を来すほどのものではない。


 しかし、ここで働き続けるということは、これからもこの男に脅迫をされ続けることにもなる。



 それから逃れる為に転職をして結婚もするのなら、纏まった資金は必要だ。


 だが、場合によってはもう病院関係の仕事には就けなくなる可能性もある。



 何秒か考え、そして飯田医師は札束の一つを拾い上げた。



 すると――



「なっ――⁉」



 パシャッパシャッと――シャッター音とともにフラッシュが瞬く。


 顔を上げるとそこには使い捨てカメラを構えた弥堂だ。



「な、なんの真似だ……⁉」


「別に。ただの友達同士で撮るなんでもない写真だ」


「だ、誰が……」


「ただ。俺はそのつもりだが、今のシーンを見た第三者がどう思うかはわからないな……」


「あっ……あっ……、あぁぁぁぁぁ……っ」



 新たな脅迫ネタを握られ、飯田医師は床に崩れ落ちた。


 弥堂はそんな彼に近寄り、だらしなく身に着けられたネクタイをキチッと締めてやりながら眼を合わせると――



「せいぜい俺の機嫌を損ねるなよ」



――そう言い捨ててドンっと乱暴に飯田を突き飛ばす。


 再び崩れ落ちた彼の頭上をつまらなそうに見下ろし、「ふん」と鼻を鳴らしてから弥堂は踵を返した。



 男の啜り泣きを背景に部屋の出口へと向かう。



「なんだこれ。邪魔だな」



 そしてメロが作ったバリケードを迷惑そうに蹴り倒してどかすと廊下に出た。


 ガタンっと床に倒れた棚からバサバサっと落ちた本やファイルが床に散らばる。



「オマエちゃんと片付けとけよな、イイダァ!」



 三下子分のような捨て台詞を吐いてドアを閉めたメロも、弥堂のアニキの後に続いた。




 二人は来た道を戻っていく。



「オマエ手馴れすぎてねえッスか?」



 少し歩いてからメロがジト目を向けてきた。



「なにがだ」


「脅迫ッスよ脅迫。日常会話は儘ならねえコミュ障のクセに、人を脅す時だけは流暢に喋るじゃねえッスか」

「別に。あれくらい普通だろ」


「あんなフツーがあってたまるかッス。異世界に飛んで女神さまに犯罪チートでも貰ったんッスか?」

「そんなもんでも貰えてたらもう少し楽だったんだがな」


「オマエは異世界で何してきたんッスか?」

「別に。ただ世界を平和にしてきただけだ」


「ウソくせぇ!」



 冗談にでも受け取ったのか、メロは一笑に付した。



「大体お前もノリノリでやってただろうが。人のことを言えんだろ」


「ん? あぁ……」



 メロは頭の後ろで手を組むと少し天井を見上げながら歩き、それから弥堂を見上げてニカっと笑う。



「ジブン悪魔ッスから。マナと仲いいヤツとか、優しい人たちとかなら話はベツッスけど。よく知らんニンゲンのことなんか基本どうでもいいッス」


「まぁ、そりゃそうか」


「面白けりゃなんでもいいッス」



 実に適当な物言いだったが、「悪魔ならそんなものか」と弥堂は納得した。



「俺は連休中はあまりここには来れないからな。必要な時はお前があいつに要求を伝えろ」


「わかったッス」


「甘やかすなよ」


「任せろッス。ジブン、イイダには可能性を感じるッス」


「なんだと?」



 よくわからないことを言うメロに弥堂は眉を寄せる。



「金持ち、頭いい、医者。顔も悪くねえしまだ若いッス」


「だからなんだ」


「アイツにはもっと色んな女に手を出させるッス! ジブンそれでウッハウハになれるッス。目標はこの病院のナース全員と関係を持たせることッス!」


「……余計なことをして騒ぎを起こすなよ」



 面倒ごとは御免だが、あの医者からこのサキュバスが定期的に“不要な栄養リュクス・アーモンド”を補充してくれるなら、それはそれで自分が楽になるかと考える。



「つーか、少年」


「なんだ」


「オマエいつの間に準備してたんッスか?」


「なんの話だ?」



 弥堂は考えごとを中断し、眉を寄せてメロを見下ろす。



「いやだって、マナが港であんなことになってから病院に運ぶまでに時間なんてなかったじゃないッスか。よくタイムリーに脅迫ネタなんて握れたッスね」


「あぁ、そういう意味か」



 彼女の言わんとしていることが理解でき、弥堂は答える。



「別にあの時にその場で準備したわけじゃない」

「ん? もっと前から脅迫してたってことッスか?」


「いや、あの男のネタを使ったのはあの時が初めてだ。もっと前にネタだけ掴んでいて、いつか使えるかもしれんと寝かせておいたんだ」

「へぇ、マナのために用意してたわけじゃないんッスね」


「あぁ。たまたまだ。お前らのことに関わる前に、偶然手に入れた」

「ひゃぁ~、それが地元のエライ医者のネタだなんて、どうなるかわかんねえもんッスね」


「医者か弁護士に絞って探してたからな」

「どういうことッスか?」



 今度はメロは首を傾げる。



「医者と弁護士の友達はもっておけ――そういう格言がある」

「そうなんッスか。随分現代的ッスけど、なんかエライ人が言ってたんッスか?」


「いや、ヤクザに聞いた」

「犯罪スキルじゃねえか!」



 大袈裟に驚いてみせてからメロはまた笑う。



「まぁ、運がよかったってことッスね」

「そうだな。特に仕事で調べていたわけでもないんだが、時間の空いた時にインターネットでたまたま見つけた」


「ネットって恐いんッスね」

「そうだな」



 この迂闊な悪魔にネット環境を与えても大丈夫なものだろうかと考えていると、メロが違う話題を振ってきた。



「あ、そうだ」

「今度はなんだ」


「オマエあれ警察にバレたぞ」

「あれ? どれのことだ?」



 警察にバレたらマズイことには複数心当たりがあったので弥堂は眼を細める。



「水無瀬家に置いてった金ッスよ! あれママさんたちが警察に届けたみたいッス」

「あぁ、あれか。なんであれで警察が出てくるんだ?」


「いやいや、どう考えても不審だろ! 強盗が何も盗らないで金置いてったって!」

「強盗などしていないが」


「ウッソだろオマエ⁉」



 目の前のニンゲンさんのあまりの法知識のなさに女児はビックリする。


 しかし、この男に言って聞かせても無駄な気がしたので、とりあえずもっと重要な件について聞くことにした。



「オマエあんな大金どうしたんッスか?」

「稼いだんだが?」


「どうやって?」

「どうって、色々あるが。言えることと言えないことと。聞きたいのか?」


「……今日はやめとくッス」



 メロは聞いたら自分も共犯になるような気がしたので日和った。



「それよりッスよ。あっちに二千万で、こっちには一千万だろ? オマエどんだけ金持ってんッスか?」

「こっちの一千万についてはプラマイゼロみたいなものだしな」


「どういうことッスか?」

「前にあいつを脅して金を巻き上げたんだ。それをそのまま使ったようなものだ」


「ん? そうだったんッスか。返してやるなんてオマエにも優しいとこがあるんッスね」

「返す? 何を言っているんだ?」


「え?」



 出来事を理解出来ていない様子のメロに説明してやる。



「さっきのアレは貸した金が返ってきてチャラ、なんて話じゃないぞ」


「え? ジブンわかんねえッス」


「醜聞を隠す為に金を払ったことと、今回金を受け取って不正を働くことは別々の話だ。あいつは不倫以外に二つも人に言えないことを増やしたんだ」


「そ、それって例えば不倫がバレてそのネタで脅せなくなったら、今度はそっちで脅すってことッスか……?」


「そうだ。医者なんて世間知らずだ。チョロイもんだな」


「オ、オマエ、マジでパクられねえッスよね? ジブン知らねえッスよ……」


「何を他人事みたいに。お前も共犯だろ」


「は?」



 ブルブルと震えながらさっき見たことを記憶から消し去ろうとしていると、弥堂に言われた言葉にメロは固まる。



「な、なんで……? ジブンちょっと言葉責めしただけッスよ?」


「…………」



 弥堂は答えず黙ってメロのお腹をジッと見る。


 釣られて同じ場所を見ると、そこにはスカートに挟まった一万円札が。


 メロは目を剥いた。



「はぅぁっ⁉」


「馬鹿だろお前。きっちり金巻き上げてたじゃねえか」


「オ、オマエまさか、これ……っ」


「もう受け取っちまったからな。言い逃れは出来んぞ」


「オマっ……、こ、このためにジブンに……っ」


「俺がパクられる時はお前もパクられる時だ。嫌なら必死に協力することだな」


「ジ、ジブンネコさんッスから!」


「そうしたら保健所送りにして道連れにしてやるよ」



 わざと犯罪に関与させ、そこから脅迫をしていくのは反社の人間の常套手段なのだが、そんなことは見た目女児の悪魔にはわからなかった。



「ち、ちくしょうっ! オマエっ……! クズっ! このクズ……っ!」


「そのクズの犯罪の片棒を担いだのがお前だ。精々俺の機嫌を損ねるなよ」


「お、終わりッス……、ジブンはもう終わりッス……」



 先程の医師と同じように、メロは病院の廊下に手と膝をついて深く項垂れた。



「うぅ……っ、どこかにか弱いネコさんを弁護してくれる人はいねえッスか……」



 人気のない廊下にはその弱りきった声を拾う者はいなかった。












「――キミのその『弱さ』をこのボクが擁護してあげにきたよぉ」


「法廷院……」



 先日、魔法少女ステラ・フィオーレと巨大ゴミクズーのアイヴィ=ミザリィの決戦があった中美景橋の中ほどで――



 希咲 七海きさき ななみ法廷院 擁護ほうていいん まもると向き合っていた。



 自宅へ帰る前に買い物に行こうとしていた希咲を、彼が橋の上で待ち受けていたのである。



「…………」



 希咲は警戒する。


 前回彼と関わった文化講堂の時と全く同じだと思った。



 4月16日の放課後、たまたま文化講堂の二階を通った希咲を彼らは待ち伏せしていた。


 そして今日も、様々なイレギュラーに遭遇した結果、予定外にこの時間にここを通ることになったのだ。


 それを彼は知っていたかのように行く手に現れた。



「……なに?」


「おいおーい、そんなに嫌そうな顔をしなくたっていいだろ? それはとっても『ヒドイこと』だぜぇ? 後輩女子にそんな態度をとられてしまったらボクは深く『傷ついて』しまうよぉ。だってそうだろぉ? ボクはとっても心が『弱い』んだぁ」



 粘着いたような迂遠な言い回し、厭らしい笑み。


 それらも全て文化講堂で遭遇した時と同じように希咲には感じられた。



 あの時の経験を思い出して、希咲は尚更顔を顰めた。


 法廷院は口ぶりとは裏腹に、希咲の反応に嬉しそうに笑う。



「だからなによ。だったらこうやって女の子を待ち伏せしてるのは許されるわけ? また弱いのは免罪符だって言うつもり?」


「なんてこった! これからそれ言おうと思ってたのに。先に言っちゃうなんて普通に酷いよ! それはボクのキメ台詞だろぉ」


「そんなの知らないわよ」


「それに。待ち伏せなんかじゃあないぜ? 言っただろぉ? 会いに来たって。待っていたのはキミの方さ。だってそうだろぉ? キミは今弱っていて、そしてボクは『弱者』の『味方』なんだからさぁ!」


「……意味わかんない」



『弱っている』


 その部分だけを切り取れば、確かに今の自分はそうかもしれない。


 だけど、それを見透かされていると認めるのはとても腹立だしいので、希咲は無視して立ち去ることにした。



「おやぁ?」



 希咲の進行方向は車椅子に座る法廷院のいる場所の向こう側だ。


 自分の方へ近づいてくる希咲を、法廷院は片眉を上げて面白そうに見遣った。



「あたし今マジで忙しいの。あんたなんかに構ってらんない」


「そうかなぁ?」



 法廷院は煽るように首を傾げてみせる。


 希咲は歩く速度を上げ、そのまま彼の横を通り抜けようとした。


 法廷院の後ろに控える高杉にも希咲を止める様子はない。



「――本当にいいのかい?」



 擦れ違い様にポツリと呟いた法廷院の言葉に希咲の心臓がドキリと跳ねる。



 本当に――


 いいのだろうか――



 そんな疑問が脳裏に過ぎる。



 この法廷院という男は不気味で意味ありげな物言いをする。


 だが、適当な言動もする男だ。



 前回初めて遭遇した時も最初はこのように不気味な印象が強かった。


 だが、その後、弥堂が現場に介入してきた以降は、ただの間抜けで適当な人間であることが露呈した。


 そのはずだ。



(――待って。前回と同じ……?)



 何か引っかかりを覚えて希咲は足を止める。



 前回彼は何の為に自分を待ち伏せていたのだろうか。



「あれぇ? どうしたのかなぁ? 急に立ち止まっちゃって。何かあったのかい? 希咲さん。『過保護』な希咲さん」



 そうだ――



 前の時も彼はこう言って自分の前に立ちはだかってきたのだった。



 振り向きもしないまま適当な口調で言い放った法廷院の言葉に記憶が蘇る。



 彼は最初にそう言って現れ、そして――



『――過保護。優しくて過保護な希咲さん。キミにひとつ忠告だ』



 去り際にも、もう一度『過保護』と言った。



 さらに――



『キミは大切な宝物をなるべく手元に置いておくべきだ。もしくは、なるべくキミが離れないようにするべきだ』



 こう言ったのだった。



 その言葉の真意はわからない。


 だけど、これらの言葉はまるで現在の自分の状況を予言していたようではないか。



 今になってようやくそれに気が付いた。



 彼は彼女のことを匂わせてきていた。



 それなら――



「――ねぇ?」


「アーハァン?」



 希咲は呼びかけながら振り返る。



 それに合わせてか、高杉が車椅子を動かして希咲と正対するように法廷院の向きを変えた。



「なんだい? 希咲さん。キミは忙しくてボクになんか構っていられないんじゃあなかったのかな?」


「……うん、ゴメン。それは謝る。だからちょっと聞かせて欲しいの」


「アハァ――」



 希咲が素直に詫びを入れると法廷院は歯列を剥き出しにして笑う。



「いいとも! もちろん許すとも! キミがそうやって謝ってくれたからね! いや、謝らなくたって別にいい! ただ、キミが素直に自分の『弱さ』を認めたのなら。ボクは何度でも、どんなことだって許して差し上げるよ! だってそうだろぉ――」



 乱雑に伸びた前髪の隙間から、法廷院はギラついた眼差しを希咲へ向けてきた。



「――『弱さ』は『免罪符』だからね……ッ!」



 そして、先程言いそびれたその言葉を放った。



「…………」



 希咲はそれを黙って受け止める。



 先程は「忙しいから」と言った。


 それは嘘ではない。



 だがそれ以外に、希咲にはここを立ち去りたい理由があった。



 希咲はこの法廷院 擁護という男に、不気味さと同時に恐怖も感じている。


 得体の知れなさを感じているのだ。



 仮に戦いになっても、彼の背後に控える高杉もろともに簡単に倒すことは出来る。


 その確信はある。



 だが、それなのに、それとは別種の、怖れを彼に対して感じていた。


 苦手意識にも近い。



 だけど、それを言い訳にこの場を逃げ出すわけにはいかない。



 半月ほど前に法廷院に言われた『大切な宝物』――



 彼女に近づくためには絶対にここで聞かなければならない。




「ねぇ。あんたさ、水無瀬 愛苗みなせ まなって知ってる――?」




 だから、この『世界』に意味の存在しないことの答えを、直球で求めた。


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