2章05 『嘘と誤認のスパゲッティ』 ③


 数千年ほど熟成されたメンヘラは涙ながらに訴える。



『ユウくんはね! 可哀想なの! 異世界で悪い大人とブスな女に散々騙されて……! 勇者として無理矢理戦争させられてきたの! あんなに優しくてカワイイ男の子だったのに、人格が変わるまで人殺しなんかさせられて……! いっぱい酷い目に遭ったのよ! 薄汚いニンゲンどものせいで!』


「は? 勇者? ダレが?」


「おい、勝手に喋るな」



 弥堂が不快そうに制止するが限界化したお姉ちゃんは止まらない。



『控えろ! 悪魔風情が! ここにおわす方こそが三代目勇者ユウキビトー様であらせられるぞッ! 頭が高いわ!』


「え? コイツが? 勇者……?」


「チッ」



 弥堂は舌打ちをする。



 異世界のことも勇者のことも特にメロに教える気はなかった。


 だが、それは意図があって隠しておこうとしていたわけでもない。



 説明するのが面倒でもあるし、何より自分のことを語るのが好きではない。


 そんな理由が強かった。



 だから、それを話すこと自体に問題はないのだが、いかんせんこの場はそういう場ではない。


 今のこの時は弥堂の過去について話す時ではなく、愛苗の未来について話す時だ。



 やはりメンヘラなどに自由に口をきかすべきではなかったと、弥堂は己のミスを認めた。


 話の進行に関して効率が悪くなったことに辟易としながらメロに視線を向ける。


 すると、弥堂が話を打ち切って本題に戻す前に、メロが先に口を開いた。



「――カ……」


「あ?」



 メロはボソッと呟いてから、ガバっと顔をあげて弥堂を見上げる。


 その目は冒険に憧れる純真な少年のようにキラキラと輝いていた。



 彼女のその反応とその表情が弥堂の思っていたものと違ったために、思わず制止するための行動を遅らせてしまった。



「――カカカカカ、カッケエエーーーッ! 勇者カッケエーーーッ!」


「は? なんだと?」



 意味がわからずに弥堂が眉間に皺を寄せるのとほぼ同時に、メロは洗濯機の上からビョンっと跳ねる。


 そして宙を飛んで弥堂の顏の近くまで寄ってきた。



「オイ少年ッ! オマエ勇者ッスか!? ガチ勇者ッスか⁉」


「やめろ。毛がつくだろ」


『そうよ! ガチ勇者よ!』


「ひゅぅぅーッ!」



 弥堂が迷惑そうに顔を顰めている間にエアリスさんが勝手にガチさを強調する。


 メロはさらにテンションを上げた。



『しかも三代目よ』


「さささ三代目……ッ⁉ ハンパねえッス……!」


「なんでだよ。何代目でも変わらねえだろ」



 メロが大袈裟なリアクションをとることで何故かエアリスが得意げになる。


 勇者ご本人のご理解を置き去りに、場の空気は過熱した。



「うわーカッケエー! オーラは⁉ 勇者オーラとか出ねえんッスか⁉」


『もちろん出るわ! 出てたでしょこないだ』


「でてたー! そういや出てたーッ! カッケエー!」


「なんだこいつ」



 スーパーカーに興奮する子供の様に燥ぎ、メロは弥堂の周囲をグルグルと走り回った。


 ペシペシと足にぶつかってくる長いシッポに、弥堂は非常に鬱陶しそうな眼を向ける。だが、当然そんなことでこの流れは止まらない。



「聖剣は⁉ 勇者といえば聖剣ッスよね⁉ どこにあるんッスか⁉ みせてみせてーッス!」


『フッ、ここにいるでしょう? そう! 何を隠そう、このワタシこそが伝説の聖剣エアリスフィール様よ!』


「うわースゲエー! お姉さんスゲエー! カッコいいッス……!」


『そ、そう……? へ、へぇ……? ワタシって伝説の聖剣でもあり初代聖女さまだからそういうミーハーなのはよくわからないというか……。ほら? 「聖女さまって高潔で浮世離れしてますよね」とかって下々の者によく言われたし……。なんていうか俗世? とかのことには疎かったりするし……、高潔だから』


「せせせ聖女……ッ⁉ 聖女で聖剣とかヤベエッス! 全女子の憧れッス! お姉さんマジカッケエー!」


『ふ、ふぅーん? 全女子の……? そ、そうなんだ……。ま、まぁ? 貞淑な聖女であるこのワタシにはそういう浮ついた気持ちはよくわからないけれど……。ところで、唐突だけど、アナタ悪魔にしてはなかなか見所があるわね?』



 街中で有名人に遭遇したファンのように狂乱するメロにヨイショされると、数千年ぼっちだったエアリスさんは気持ちよくなる。その承認欲求はみるみると満たされていった。



「マジカッケエーッス! ちょっとジブン持ってみてもいいッスか? 聖剣振ってみたいッス!」


『し、仕方ないわね……。今回だけよ?』



 しっかりと本人の許可を得てから、ネコさんはしましまのブラジャーを前足で掴んでブンブンっと振ってみる。



「うわーっ、スゲエー! 聖剣スゲエー! やっぱ普通のブラとは違うッスね! こう歴史的な重みがあるっつーか……」


『当然よ。なにせ聖剣ですから。伝説の金属とか使ってるし。ワタシはお金のかかっている女なの。そんじょそこらの工場生産の量産ブラと一緒にしないで』


「うわぁーっ! カッケエー!」



 全国の下着メーカーさんもこんな不気味な呪いの装備と一緒にされたくはないだろう。


 弥堂はそのように思ったが、今の彼女らに話しかける気にはならなかった。


 しかしそういう時には向こうからちょっかいをかけてくるものだ。



「なんだよ少年! オマエ実はスゴかったんッスね! そりゃ魔王様もぶっ殺すよな? だって勇者だもの」


『そうよ! だって勇者だもの。当たり前でしょ! ユウくんはね、異世界でも魔王をぶっ殺してるのよ!』


「う、うわぁーっ! そりゃスゲエーッス! 魔王様を何人も殺れるヤツなんて、勇者の中でもなかなかいねえんじゃねえッスか⁉」


『フフフ、いい気付きね。よく聞きなさい。ユウくんは特別なの! だって歴代最強だもの!』


「れれれれきだい最強……ッ⁉ それって最強より最強ってことッスか⁉」


『そのとおりよ! ユウくんは誰よりもスゴくて強くてカッコいいの! 女もいっぱい抱いてるし! だって異世界帰りの勇者様だもん……!』


「うわぁーっ! 異世界帰りの勇者様ァーッ! うわぁーッ!」



 テンションが最高潮となったメロは空中でピョンコと跳び上がる。


 何やら魔法を使ったようで、ボフンっと噴き出した煙のエフェクトがネコさんボディを包んだ。


 メロが持っていた呪いのブラジャーは宙を舞い、弥堂の頭にファサと着地する。



 弥堂は白目になった。



 現在の状況のあまりの馬鹿々々しさもそうだが、なによりも去りし日のクソガキがこうして「スゲースゲー!」と持て囃されるシチュエーションに憧れていたことを思い出して死にたくなったのだ。


 精神の自衛のために自身の知能を著しく低下させた。



 そうしている内にメロの魔法のエフェクトが晴れる。


 そこから姿を現したのはメスガキフォームのメロだ。



 ここまでの騒ぎなどなかったかのように、メロは静かにスススっと近寄って来る。


 そして、二の腕をスリスリと弥堂の身体に擦り付けながらなにやらモジモジとした。



「も、もぉ~っ、お兄さんったらぁ……、言ってヨネ? まさか勇者サマだったなんて……。なんでナイショにしてるの? もぉっ、ばかばかばかぁっ……!」



 頬を染めてチラチラと上目遣いを送りながらメスガキは勇者サマに媚びた。


 弥堂は激しくイラっとしてコメカミにビキっと青筋を浮かべる。



「え、えっとぉ……? 前はあんなこと言っちゃったけどぉ……、勇者サマだったら話はベツってゆーかー……。歴代サイキョーだしぃ……。ちょっとならお家に行ってあげてもいいかなぁって……」


「あ?」



 彼女の態度の変わり様があまりに不可解で弥堂は眉を寄せる。



「カ、カンチガイしないでヨネ……! 誰でも許すってワケじゃないんだカラ! だって、異世界帰りの勇者サマだし……! 有名インフルエンサーとかベンチャー社長よりウエだし……! でもっ! それでもAV男優さんにはまだ敵わないんだからネッ! チョーシにのらないでヨネッ!」



 彼女の言い訳のような言い分は、弥堂には当然これっぽっちも理解出来ない。


 だが、どうやらネコ妖精たちの間では、『ポルノ男優>異世界帰りの勇者>有名インフルエンサー≒ベンチャー社長』という職業の格付けがあるようだった。



「異世界帰りの勇者サマならぁ、将来的にタワマンの一つや二つもヨユーだよネ……?」



 肩書の持つブランドに目が眩んだ卑しい女児は濡れた瞳でジッと見上げてくる。


 将来性と資産のポテンシャルを測っているのだ。



「はぁ……、アタシったら気付かなかったな……。こんなにも近くにいただなんて……。スゴくてカッコいいアタシの――」



 熱っぽく呟いて弥堂の顏を見つめるが、



「――ぶっ! ゆうしゃ!」



 今度は突然噴き出した。



「ぶひゃっ! ぶひゃひゃひゃひゃひゃ……! ゆーしゃさまァーっ!」



 興奮し過ぎて何かが一周回ったのかどうかは不明だが、メロは涙を溢しながら今度は突然爆笑し始めた。



『あっ――⁉』


「ゆうしゃ! ゆうしゃって! 犯罪者みてえな目つきでゆうしゃ……! ムショ帰りみてえなツラして異世界帰り! うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ……っ! に、にあわねぇーッ!」



 エアリスさんがその無礼を見咎めるが、ツボに入ってしまったようでメロの笑いは止まらない。


 お腹を押さえながら床に背中をつけて転げまわった。



 いい加減に腹を立てた弥堂は、足をバタバタさせて笑い転げるメロのお腹を踏みつけた。



「ぶほぉっ⁉」


「ナメてんのかこのクソネコ」


「ぶひゃははは! 出る……っ! 口から子宮でちゃうぅぅっ! うひゃひゃひゃひゃ」


「テメエにそんなモンねえだろうが」


「ありますぅー! むしろそれしかありませんー! だってサキュバスッスだもの!」


「どんな生き物なんだよ」



 弥堂に踏みつけられてもメロの笑いは収まらない。


 そしてついに彼の狂信者がキレた。



『おのれ邪悪な悪魔め……っ! ちょっと甘い顔をすれば調子にのりおって……! よくも我が神を愚弄したなッ……⁉ 聖なる女子の加護でバラバラに切断してくれるわ……ッ!』



 エアリスは一瞬で黒光りする立派な触手を数本創り出し、それらを爆笑するメロへと向けようとするが――



「――キャアアァァァーッ⁉」



 その前にランドリー内に甲高い悲鳴が轟いた。



 反射的に声の方に眼を向けると、そこに居たのはお洗濯をするためにこの部屋へ訪れた病院利用者の普通のオバさんである。


 オバさんの目に映るのは、ブラジャーを片手にロリを足蹴にしながら触手を展開する人相の悪い男だ。



「…………」



 さすがにこれはマズイと思ったのか、弥堂は申し訳程度に女児ボディから足をどけた。


 すると、弥堂の靴で隠れていたモノが露わになる。



 ぷっくりとした女児のお腹。


 そのおへその上に描かれていたのは、ピンクと紫の中間のような色の妖しい紋章だ。



「あっ⁉ オ、オバさん! これはヘソの上ッスから! 下じゃないからセーフなんッス……!」



 オバさんがその紋章をジッと見ると、メロはハッとする。


 そして、慌ててよくわからない言い訳をした。


 しかし――



「へ、変態……っ! ロリコンの変態……ッ⁉」


「こ、こりゃニャベーッス!」



 オバさんのごもっともなリアクションにメロは急いで動き出す。


 再びボフンっとその身を煙で包んだ。



 さらに大きな悲鳴をあげるためか、オバさんはスッと息を吸い込む。


 だが、間一髪で――



「――ネネネネネネコさんフラァーッシュッ!」


「ギャアアァァァ、目がァーーッ⁉」



 ぺかーっと溢れた光がオバさんの目を眩ませた。


 またも罪のない一般人が悪魔メロの繰り出したネコさん魔法によって無力化されてしまった。



「ふぅ……、危なかったッス……」



 虚ろな目のままゾンビのようにフラフラとした足取りでランドリーから遠ざかっていくオバさんを見送り、メロは汗ばんだ肉球でコシコシとおでこを擦った。



「…………」



 なんでこの部屋に人が近づかないように魔法を使わないのかとか、他にも何か言うことがあるような気もしたが、弥堂は声を出す気にはならなかった。


 強い疲労感から色々なことがどうでもよくなってしまった。




 少しして気を取り直し、ここまでの話を締めることにする。



「とりあえず俺のことはどうでもいい。それよりも希咲のことはさっき言ったとおりだ。わかったな?」


「わ、わかったッスけど……」



 まだ言うべきことがあったかもしれなかったが、面倒になった弥堂は強引に言いつける。


 すると頭にタンコブをのっけたネコさんは渋々頷いたが、まだ納得はいっていないようだった。



「で、でも、ホントにナナミが――」


「――しつこいぞ。少なくとも背後関係を探るまではこちらの情報を先に明かせない。俺はこの世界のファンタジーについて余りにも無知だ。知らないモノを信用するような馬鹿が生き残れるわけがない」


『そうよ! ユウくんは同じミスは繰り返さないの!』


「え? オマエ異世界でどんな目に遭ってきたんッスか?」


「うるさい黙れ。俺のことはどうでもいいと言った」



 メロの疑問を拒絶して話を蒸し返させないようにする。


 しかし――



『――ゴメンね、ユウくん。どうでもよくはないわ』


「あ?」



 意外にもエアリスの方から反論を向けられた。



『小娘の現状についての異論はないわ。ここからはユウくんのことを聞かせて欲しいの』


「お前は知っているだろ」


『ううん。過去のことじゃなくって、今のユウくんのこと』


「どういう意味だ?」



 弥堂が眉を寄せるとエアリスは心配げにピコピコと宝石を点滅させた。



『身体に変化が起きたのはユウくんも一緒でしょ? なにか不調とかないかしら?』


「あぁ、そういうことか……」



 問われて弥堂は少し考える。


 一瞬だけチラリとメロの方へ視線を遣ってからエアリスの質問に答えた。



「若干だが、魔力の流れが変わった気がする――というか、操作に違和感がある」


『魔術の使用は?』


「問題ない。身体強化などの刻印は起動した。操作に少し気を遣うだけだ。おそらく慣れれば違和感はなくなるだろう」


『そう。よかった』


「多分だが、魔力がほんの少しだけ増えているような気もする」


『なるほど……。一度時間を作ってちゃんと調べさせて欲しいわ』


「何故だ?」


『多分通常の魔術の使用などには問題ないと思うけど、一部の――』


「――わかった。今度時間を作るよ」


『……えぇ。お願いします』



 弥堂がエアリスの言葉を遮るように承諾をすると、彼女も慎重な声音で応えそれ以上の言及をやめた。


 二人のやりとりを理解出来なかった悪魔が首を傾げているが、二人ともにそれは無視した。



『他にはなにか、生活で不便はないかしら?』


「生活? そんなもの金以外に特には……」



『無い』と言い切ろうとして、弥堂は言葉を止める。



 スッと眼を細めて青い宝石を視た。



「……そういえば一つ困ったことがある」


『あら、大変。それはなに?』


「Y'sと連絡が取れなくなった」


『…………』


「わいず……? なんッスかそれ?」



 メロの疑問に弥堂は答えない。


 青い宝石を一度ピカピカと点滅させてから、エアリスが代わりに答えた。



『優秀なオペレーターよ』


「オペレーター? なんッスかそれ? そこはかとなくカッコいいッス」


『フフフ、それも当然よ。彼女は凄腕のハッカーでもあり、ユウくんのサポートを万事行うの。最高の相棒って感じね!』


「カカカカ、カッケエー! ハッカーとかカッケエーッ!」


「…………」



 エアリスの説明にメロはまたテンションを上げる。


 だが、対照的に弥堂はさらに眼の奥の色を冷たくした。



『それでY'sが居なくてなにか? やらせたいことがあるの?』


「……別に。居ないなら居ないで構わない。そういえばもう一つ別に困ったことがあってな」


『うん、なぁに? お姉ちゃんに聞かせて!』


「インターネットが壊れた」


『あら、それは困ったわね。具体的な症状とかわかる?』


「俺のいつもの仕事、見ていただろう? 検索してもホシの写真が出て来なくなってな。このままだと収入に響く」


『あー……、うん……、うぅーん……』



 エアリスは曖昧に呻く。


 弥堂はピカピカと点滅する宝石を表情を変えずに観察し、さらに言葉を重ねる。



「お前。俺をずっと見てきたのなら、俺が効率の悪いやり取りを嫌うことを知っているだろ?」


『そうね。知っているわ。ワタシは誰よりも近くでずっとアナタを見守ってきました』


「俺が何を言いたいかわかるな?」


『…………』



 威勢よく言い切ったエアリスだが、弥堂にそう確認をされると黙った。



 弥堂には彼女の沈黙に付き合う気はなく、決定的な問いを投げかける。










「お前がY'sだな――?」



『…………』





 その問いにも、エアリスは沈黙を以て答えた。

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