1章81 『4月27日』 ①


 ふわふわしてる。



 白いぼんやりとした光の中で『私』は身体を丸めている。



 その光がうっすら隠してくれてるけど、なんにも服を着ていない裸んぼうだ。



 赤ちゃんみたい。




 自分がこうしている――というか、こうなってることに気が付いたのはついさっきのことで。



 それまではずっと“まっくら”の中に居たような気がした。




 どうしてこうなっちゃったんだっけ。



 思い出そうとしてみるけど、なんだか頭の中もふわふわで、考えがぼんやりしちゃって上手く思い出せない。



 なにかとっても大変なことがあって、がんばったけど上手くいかなくって。



 それで『私』が段々と失くなっちゃったような気がする。



 そうだ。



 失くなっちゃったから、“まっくら”になっちゃったんだ。



 なんにも無い、真っ暗な世界で。



 残った『私』も消えていっちゃう。




 あれ?



 でも。



 それなら、この白い光みたいな“ぼんやり”は何なんだろう。



 どうして『私』の近くだけ明るくなったのかな。



 不思議だなあ。




 そんな風に思ってると、少し離れた“まっくら”の中に、『私』を包んでるのとおんなじような“ぼんやり”が浮かぶ。



 白いその光は段々と大きくなって、その中に誰かが居ることに気が付いた。



 そこに居るのは一人じゃなくって何人か――ううん、何人も居る。



 誰だろう。



 もっとよく見たくって、『私』は丸めてた身体を真っ直ぐにして、何処かわからない所に立つ。



 じぃーっと見てると、その人たちを覆っていた“ぼんやり”が溶けていって、それが誰だか段々とわかってくる。



 ううん、そうじゃない。


 思い出した。




 お父さん。お母さん。メロちゃん。



 クラスのみんな。



 モっちゃんくんたち。



 ボラフさんと。アスさんとクルードさん。



 他にも、知ってる人たちが。




 どうしてすぐにみんなのことわからなかったんだろう。



『私』がそうしているように、みんなもじっと『私』の方を見てる。



 だけど――




 一人、また一人と――



 顔を背けて、背中を見せて――



 あっちへ歩いていく。



 何処か遠くの方へ。




――いかないで!




 思わず『私』は口を開けて、息を吐いて、そう叫んだ。



 だけど、声にはならなかった。



 ここには音が無い。




 それに戸惑っている内に、みんなはもう居なくなっちゃった。



 でも、三人だけ残ってる。



 ななみちゃんと、弥堂くんと、あと知らない女の子。



 あれは誰だろう。



 銀色の髪でおめめが赤くて、小学生くらいのちっちゃいカワイイ女の子。



 知ってる子かな?



 誰だったっけと、思い出そうとしていると――



――あ……っ⁉



 その女の子もあっちへ歩いて行っちゃった。



 反射的に出した『私』の声にはやっぱり音が無かった。




 そして次は、ななみちゃんが――



――まって! ななみちゃん……っ!



 あっちへ行っちゃうななみちゃんを、『私』は追いかけようとした。



 ななみちゃんが居なくなっちゃうのは、もちろんやだ。



 だけどその前に――



 ななみちゃんは一番のお友達だから、お顔をプイってされちゃうだけで『私』はすごくショックで。



 だから思わず反射的に走って追いかけようとした。




 だけど――




――ぅくっ……⁉



 前に出ようとした『私』の身体がグイっと後ろに引っ張られる。



 いつの間にか『私』の身体には蔦が絡みついていた。



 何処かから伸びてきた木の根みたいな蔦が――腕に、足に、おなかに、首に、巻き付いていて『私』のことを離さない。



 そういえばそうだった。



 こうやって蔦に絡めとられて、一緒に為ってしまって。



 それで『私』が失くなっていって。



 この蔦や根や樹も――



 全部と『私』が一緒になっちゃって。



 全部が『私』に為っちゃう。




 ななみちゃんが離れていっちゃう。



 もがきながら音の無い声を出して呼ぶけど、ななみちゃんには届かない。



 涙がポロポロこぼれていく。



 そんな『私』の姿を、最後に一人だけ残った弥堂くんがジッと見てる。



 こんな『私』を映す弥堂くんのおめめが、きれいな蒼と銀で光ってた。




 あれ――?



 なにか、不思議な感じがした。



 弥堂くんのいつもは色が薄くて黒い瞳が、今は蒼白く輝いてて。



 弥堂くんはそのきれいな眼で、泣いてる『私』を一人で見てる。




 そういえば――



 他のみんなが『私』のことを忘れちゃった後も――



 弥堂くんだけは最後まで憶えててくれて、それで最期まで一緒に居てくれた。



 だけど、その弥堂くんも――




――あれ?



 なんか、また不思議だ。



 弥堂くんも『私』を忘れちゃったんじゃなかったっけ?



 忘れて、それで――



――どうしたんだっけ?



 わかんない。



 記憶が“ぼんやり”しちゃってる。



 それに、『最期』ってなんだっけ?



 それもわかんない。



 みんなだけじゃなくって、『私』もみんなを――



 それから『私』を忘れちゃうのかな?



 そんなのやだな。



 “や”だ。




 そうやって落ち込みそうになると、弥堂くんもフイってして後ろを向いちゃった。



――あ……っ! 待って、弥堂くん……っ!



 でも、やっぱり『私』の声は聴こえない。



 追いかけなきゃって身体を動かそうとして、止まる。



 向こうへ歩いていく弥堂くんの背中を見て、なにか思い出しそうになった。



 今度は蔦に引っ張られたからじゃなくって、そのことで『私』は動きを止めてしまった。



 あれ?



 あの背中――



 すごく強い印象と記憶が繋がってて、何故か見覚えがあるような気がした。



 なんだっけ。



 すごく大変で、疲れて、眠くなっちゃって。



 でも、世界が大変だから、もっと頑張らなきゃいけなかったのに。



 だけど『私』はもう頑張れなくなっちゃって。



 そうしたら、代わりに――



 あの背中が、私を――




 一生懸命“ぼんやり”の先にある答えを見つけようとするけど、わからない。



 上手く思い出せない。



 そうしている内に弥堂くんも離れていっちゃう。



『私』は必死にその背中に声を出そうとした。



 でも、やっぱり音が無くって、届かない。




 だめ――



 やだ――



 まって――



 だって――



 弥堂くんまで居なくなっちゃったら――



 もう誰も――




 そうなったらもう、がんばれない気がした。




 だから――



 おねがい――





「――たすけてっ!」





 声が徹った。



 はっきりと聴こえた自分の声に自分でビックリしてしまう。



 そして、その声は弥堂くんにも聴こえたみたいで、彼は足を止めた。



 弥堂くんがゆっくりと振り向く。



 いつも通りの真面目で静かなお顔。



 蒼白い光の消えた、いつもとおんなじ黒い瞳で私を見た。




 弥堂くんの手が動く。



 弥堂くんはゆっくり動かしたその手を自分の胸に持っていった。



 そして――



 トントンと、胸の中心を人差し指で叩く。




 なんだろうと不思議に思うと、突然私の首と胸に重さが顕れた。



 目線を下げて“それ”を見る。



 なんにも着ていない裸の私の胸元には、さっきまで無かったペンダントが――



「“Blue Wish”……?」



 突然現れたそれは私がいつも身に着けていたもので、魔法少女に変身するためのものだ。



 驚く私を弥堂くんが変わらない表情で見てる。



 その弥堂くんの瞳に、蒼い焔が灯った。



 すると、私の胸の“Blue Wish”も輝き出す。



 ハート型のペンダントの青い宝石の中――



 ちょっと前までは、その中にはお花の種みたいなものが浮かんでいたのに――



 今はそこには、逆さまの十字架みたいなものがあった。



 その十字架に吊るされた血のように赤い涙が光る。



 すると、私を縛り付けていた蔦が、全部切れた。



 私は自由になる。




 一体なにが起きたんだろうと不思議がる私を、弥堂くんはやっぱり黙って見てる。



 いつもどおり、『当たり前のこと』を見てるだけ、みたいに。



 なにか言わなきゃって考えると、今度はそこら中の“まっくら”が切れた。



 黒い画用紙にカッターナイフで滅茶苦茶に切れ目を入れたみたいに、世界の真っ暗が切れていく。



 そしてボロボロと小さな黒になって剥がれ落ちていった。



 “まっくら”が剥がれた向こう側からは、明るい光が溢れ出してくる。



 そうか。



 弥堂くんが助けてくれたんだ。



 やっとそれに気が付くと、光に塗り替えられていく世界にいっぱいのキラキラが顕れた。



 そうだった。



 今だけじゃない。



 この“まっくら”に来る前も、弥堂くんが助けてくれたんだった。



 それで、今と同じように、弥堂くんがいっぱいのキラキラで『世界』を――



「弥堂くん……! ありが――」



 おっきな声でお礼を言おうとしたけど、世界に溢れた光が弥堂くんを見えなくしちゃう。



 光に包まれる直前――



 弥堂くんはやっぱりプイってそっぽを向いちゃった。



 いつもどおりすぎて、どこか安心しちゃうその仕草に思わずクスリと笑ってしまうと、私も光に包まれて、そしてまた何も見えなくなる。



 だけど、今度はもうこわくない。



 だって――



 まっくらで閉ざされた世界はキラキラで満たされた。



 それってまるで――



 そんな風に考えたところで、また“ぼんやり”が強くなってきて、私はまた眠くなってしまう。



 今度は光の中で何も見えなくなっちゃったけど、いっぱいのキラキラが傍に居てくれるのを感じる。



 もうさみしくない。



 こわくない。



 なんかぜんぶ大丈夫になった気がした。




 キラキラの優しい輝きに包まれて『私』は――




『世界』は――











 パッ――と、瞼が開く。



 最初に目に映ったのは――



――白い天井だった。




 それはとても見覚えのある天井だった。



 記憶にあるそれと全く同じものではない。



 それでも、それが病室の天井であることが、愛苗には直感的に感じられた。



 長い夢を見ていたような気がした。




 ずっと病室で過ごしてきた幼き日々。



 魔法と出逢って奇跡的に生命が助かって。



 また学校に通えるようになって。



 また家族に笑顔が戻って。



 魔法少女としてドキドキを体験して。



 一番の友達も出来て。



 高校生として過ごしたこの一年間はまるで夢のような日々だった。




 でも――




 それは本当に夢だったのでないか――



 目が醒めたらまたこの天井の下に――病室に帰ってきてしまっていて。



 愛苗はそんな風に思って、茫っと天井を見た。



「ぜんぶ……、夢だったのかな……」



 思わずそんな言葉を口から出してしまうと――




「――そうだ」



「え――」




 まさか誰かの返事が返ってくるとは思っておらず、愛苗は驚いて目を大きく開く。



 声のした方へ顔を向けると――



「目が醒めたか――」


「――弥堂くん……?」



 さっき見た夢の中と同じ――



「体調はどうだ?」



――無表情で渇いた瞳が、愛苗を視ていた。




 彼が自分の病室に居るということは――



 少なくとも美景台学園で過ごした一年間の高校生活は夢ではなかったのだ。



 そんな喜びを感じるも束の間――



「――あっ……!」



 自分は彼と共に戦っていたのだということを思い出した。



 反射的にベッドの上で身体を起こす。



「弥堂く――」


「――動くな」



 ベッドから降りて彼に駆け寄ろうとしたが先に言葉を挟まれてしまい、布団をひっぺがす前に止められた。


 代わりに彼が座っていた椅子から立ち上がり、ゆっくりとベッドに近づいてくる。



「点滴がついてる。暴れるなよ」


「え? あ……、ほんとだ……」



 自分の腕を見下ろして初めてそれに気が付いた。


 一回息を吸って吐いて、それからベッド脇に立った彼に問いかける。



「弥堂くん。あのね? 悪魔さんは……⁉」


「悪魔?」



 だが、彼から帰ってきた反応は思っていたようなものではなかった。



「なんの話だ?」


「え……?」



 まるで認識が噛み合っていなく、愛苗は戸惑う。


 そういえば似たような現象で、他の人が自分のことを忘れてしまって、正しく認識してもらえなくなっていたことを思い出した。



 目の前の弥堂の反応からすると、少なくとも自分のことを忘れたりはしていないようで、それに関しては一つ安心をする。


 でも――



(――あれ……?)



 何かそれに違和感を覚えた。



 首を傾げる愛苗の様子を弥堂はジッと視る。



「夢でも見ていたんじゃないのか?」


「ゆ、め……?」


「変な夢を見たから飛び起きたんだろ」


「でも……」


「お前はゴミクズーとの戦いで力を使い果たし、倒れて眠ってしまっていたんだ」


「そうだったんだ……」



 彼女の反応を見つつ、弥堂は当たり障りのないことを説明する。


 すると、愛苗はハッとした。



「戦い……、そうだ……! あのね? ハエさん――魔王さんとアスさんは……⁉」



 気を失う前のことを思い出してきたようで、先程よりも具体的な質問が出てきた。


 弥堂は変わらない調子で答える。



「蠅? 知らないな」


「あれ……? だって、弥堂くんが……」


「俺が?」


「え……? だって、たすけてくれた……」



 自分自身の記憶に首を傾げながら喋る愛苗に、弥堂はさらに近づく。



「この病院までお前を連れてきたという意味でなら、助けたかもしれないな」


「あ、そっか。そうだよね。ありがとう」



 どうやら眠っている間に彼に迷惑をかけてしまっていたことを知り、礼を述べる。


 だが、やはりそれだけでは納得がいかない部分もあった。



「でもね? それもあるんだけど……、あの時、弥堂くんが戦ってくれてたような……」


「どの時の話だ。俺に魔王だの悪魔だのをどうにか出来るチカラがあるわけないだろ?」


「あれー? でも……」



『うん、うん』唸りながら考えこむ愛苗の背後――枕元へ弥堂は手を伸ばし、ナースコールを押す。


 それからまた話を続けた。



「お前が頑張ってクルードを斃した。それに因ってアスは撤退し、それを以て戦いは終わった。それが今回の顛末だ」


「でも……、そうだったかなぁ……」


「そうだ。お前が街を守ったんだ」


「私が……?」


「あぁ。よく頑張ったな」


「へ……?」



 ナースコールから手を離し姿勢を戻した弥堂の手が愛苗の頭に触れる。


 そして、一度だけ頭を撫でてから、手を離した。



 ここで愛苗は気が付いた。


 彼の雰囲気がどこか、いつもと少しだけ違うことに。



 それについて思いを巡らせる前に、彼は一歩距離を離れてしまった。



「だから、夢でも見ていたんじゃないか?」



 また同じ指摘に戻る。



 元来素直な彼女は、あまり他人の言うことを否定したりしない。



 彼との記憶違いにどこか据わりの悪さがあるが、弥堂がそうまで言うのならそうなのではないかと思い始めた。



「夢……だったのかな……? ってことは私、戦って、倒れちゃって、病院に運んでもらって……。それで昨日からずっと寝ちゃってたんだ……」



 確かめるように口にして、その認識を自分に刷り込もうとする。



 だが――



「――昨日じゃないぞ」


「え?」



 それすら彼に否定されてしまう。



 反射的に弥堂の顔を見上げるが、彼はベッドに背を向けて歩いていき窓際に立つ。



 そしてシャッと音を立ててカーテンを開いた。



 途端に外から這入り込む光に目が眩んでしまうと、カラカラカラ……と、窓を開ける音が聴こえた。



 目を細めて光の中の彼の姿を見つめる。



「――一昨日だ。お前が戦って倒れたのは4月25日の土曜日。今日は4月27日の月曜だ」


「うそ……」



 そんなに長い時間――と驚く。



「つまり、まる一日以上お前は眠っていたんだよ。だから――」



 そこで弥堂が言葉を切ると同時に病室のドアが開く。



 廊下からここへ入ってきたのは医者と看護師だ。



 彼らは足早にベッドの上の愛苗に近づき、すぐに容態を聞いてくる。



 突然のことに驚いた愛苗は『あうあう』と口籠ってしまい、白衣の向こう側へ助けを求める視線を送る。



「込み入った話をする前に、まずは検査を受けることだな」



 彼はいつもの平淡な声でそう言って、どうでもよさそうに肩を竦めた。



 でも――



「ちゃんと後で聞いてやるから。先にそいつらの質問に答えてやれよ」



 やっぱり彼の態度はどこか前よりも柔らかいような気がして――



「じゃねえと終わらねえぞ」



 窓から差し込む光が眩しくてちゃんと見えなかったが――



 その光の中で、少しだけ意地が悪そうにうっすらと――



――彼が笑ったような気がした。




 終わってしまったと思った時間も日々も、まだ続いていた。



 眠っている間でも、ちゃんと続いていた。



 どうかこれは夢ではありませんようにと――



 水無瀬 愛苗みなせ まなは願った。



 パジャマの下で、青い宝石が一度だけ淡く光った。

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