1章80 『闇を断つ原初の光』 ⑤


 空から視線を落とす。



 魔眼へ意識して魔力を流し、もう一度眼玉をゆっくりと左右へ動かして周囲を視た。



 すると唐突な眩暈を覚える。



 さすがに疲弊をしているようだ。



 無限に魔力があると感じたのはどうやら錯覚だったらしい。



 薄く息を吐き出して、弥堂は振り返る。




 荒れ果てた埠頭のコンクリートの上を、コッコッコッ――と一定の間隔で鉄骨入りのブーツの靴底で踏んで歩く。


 向かう先は守るべきモノ――今日、弥堂 優輝が守った少女だ。



「――少年……ッ!」



 ある程度近づくと、放心状態にあった悪魔の少女――メロがハッとして叫ぶ。


 その甲高い声に不快感を覚え、弥堂は眉間を僅かに顰めた。



「なんだ?」


「だ、大丈夫なんッスか……?」


「……?」



 怪訝そうに瞼を歪めながら数歩進むと彼女らの目の前に着き、弥堂は足を止める。


 そこで自分の姿を見下ろすと、あちこちに負傷の痕が視られた。


 そういえば魔王の眷属の蠅に集られて喰われていたことを思い出す。



「あぁ、この程度――」


「――ッ⁉」



 言いながら弥堂は黒鉄のナイフを左手で握り、右の眼窩に突っ込む。


 一気に脳までを貫いて絶命に至り、弥堂の身体はゆっくりと背後へ倒れた。



 その最中で刺さったナイフがズルリと抜け、眼下から血が噴き出る。


 宙に舞い散った鮮血がメロの頬にピピっと落ちた。


 ヘナヘナと腰が抜けて、彼女は地面にヘタりこむ。



 会話の途中で唐突に目の前で自害をされるという異常事態にメロが茫然としていると――



『――【殺害再開キリング・リスタート】』



 透き通るような清廉な女の声がどこかから聴こえる。


 それと同時に弥堂の血塗れの顔面が修復され、失った眼球も元に戻った。



「――問題ない」



 ムクリと起き上がった弥堂は当たり前のように自身の無事を報せた。



 だが、メロから何も反応が返ってこないので訝しむ。


 とはいえ、彼女に構う理由もないので、無視して愛苗の方へ歩き出そうとした。


 しかし、一歩踏み出したところでブーツの爪先がピチャリと音を鳴らす。



 立ち止まって足元を確認すると、そこには小さな水たまりが出来ていた。


 ジロっと目の前の悪魔を視る。



 地面にペタンと座り込んだメロの短いスカートの中、お尻の下からこちらまで水面が拡がってきていた。


 弥堂は露骨に不快感を露わにする。



「野良猫が。こんなとこでいきなりションベンすんじゃねえよ。汚ねえな」


「オマエのせいだが⁉」



 口を開けて放心していたメロは弥堂の物言いのあまりの酷さに、反射的に再起動して反論した。


 弥堂は他責思考しか出来ない四足歩行動物を強く軽蔑する。今は二足歩行だが。



「俺がいつお前に放尿を要求した。クソネコめ」


「いきなり目の前で自殺なんかされたらビックリするに決まってんだろうが!」


「……? 俺が死ぬとこなぞ、さっき何回も見ただろう」


「そうかもしんねェッスけどッ! あれは戦いの中でだろッス! 普通の会話中にいきなり自殺すんなしッス! ビビりすぎて漏らしちゃっただろ! どうしてくれるんッスか!」


「知ったことか。砂でもかけとけ」


「オマエは頭がおかしいッス!」



 尚も抗議を続けようとするメロを無視しようとするが、彼女は海の方をバッと指差した。



「つーか! ジブンが言いたかったのはアッチの方ッス!」


「あっち?」



 彼女の示す方を視ると、そこは割れた海だ。


 弥堂の魔法によってコンクリの地面ごと割られた海はまだそのままで、モーセさながらの光景を演出していた。



「あれがなんだ?」


「いや……ッ! あれヤバくねェッスか? 元に戻るんッスか?」


「戻るんじゃないか? なんか水流れてるし」


「オ、オマエ、テキトーすぎねェッスか? 大丈夫っスよね? 津波とか起きないッスよね?」


「さぁな」



 不安そうな目を海に向けるメロに適当に肩を竦める。



「な、なんなんッスか、どうでもよさそうに……。災害とか起きて人が死んだりしたらどうするんッスか……」


「どうでもいい。誰が何人死のうが俺の知ったことか」


「あ、あれ……? オマエついさっきまで人々を守るために一万の悪魔軍団と戦ってなかったっけ……?」


「そんな気はない。顔がムカついたからちょっと皆殺しにしてやっただけだ」


「や、やっぱ頭イカれてるッス……。そんなチンピラみたいなモチベで地獄みてえな大決戦すんじゃねえッスよ……」



 プルプルと震えるメロにそれ以上は取り合わず、弥堂は彼女の横を通って愛苗の傍で膝をつけた。



「あっ――」



 その様子を見てメロも近くに寄ってきて隣に膝をつける。



「マ、マナは……、マナは大丈夫なんッスか……⁉」


「さぁな」



 同じように適当な返事をして、愛苗の身体を包む半透明な黒い棺に手を翳す。


 掌の中が僅かに発光すると、魔法が解除され棺がパっと消え失せた。



「…………」


「少年……?」



 弥堂は愛苗の姿をジッと視る。



 愛苗にかけていた魔法は、黒い棺の中の時間の進行を遅らせる魔法だ。


 全ての存在の時間の経過も記憶として“魂の設計図アニマグラム”に記録される。その蓄積に関して誤魔化しを入れることで実現している、疑似的な“時止め”の魔法だ。



 時間と共に魔王と同化していく愛苗の症状を抑える為にとった応急措置だったが――



『――これはダメね』


「そうだな」



 キッパリと判断したエアリスの言葉に弥堂も同意した。



 愛苗の“魂の設計図アニマグラム”を魔眼で視てみたが、進行を遅らせるという点では一定の効果はあったようだ。


 だが、当然のことながら、それで回復に向かうわけではなかった。



 彼女が完全に悪魔に――魔王に為ってしまうのは、このような小細工ではやはり止められないようだ。



 そうしている間にも、背後の巨木からスルスルと蔓が伸びてきて彼女の身体に絡みついていく。アクシデントにより愛苗の人間体の部分だけが巨木から離れてしまったが、また一体化しようとしているように視えた。



「少年……ッ! なんとか……」


「うるさい」



 感情的になるメロを端的に切り捨てる。


 そしてエアリスに見解を問う。



『……時間の問題ね。心臓が悪魔と結びついてしまっているわ。今の状態は「この子が悪魔に為りつつある」のではなくて、「既に悪魔に為っていて躰が後からそれに追いついている状態」というのが正確なところよ』


「そうだな。俺の眼にもそう視える」



 弥堂が眼にしたモノをエアリスも見ているので当然のことだが、彼女の言葉に同意をした。


 ジッと、愛苗の“魂の設計図アニマグラム”を睨みつける。



『だからユウくん――』



 若干声色の変わったエアリスの言葉に、魔眼の効果を弱めた。



『――殺すべきだわ。今の内に。魔王として目覚める前に』


「そんな……⁉ ちょっと待ってほし――」


「――そうだな」


「――少年ッ⁉」



 冷徹なエアリスの言葉に驚きメロは取り縋ろうとしたが、その最中であっさりと弥堂も同意したことで勢いよく彼へ顔を向ける。


 裏切られたと謂わんばかりの表情で彼の顏を見上げた。



「オ、オマエなに言って……」


「うるさい黙れ。ところでエアリス」


『なぁに? ユウくんっ』



 名前を呼ばれたことでエアリスは嬉しげに弾むような声で返事をする。


 彼女自身は口ぶり通り弥堂第一主義で、愛苗のことはどうでもいいようだ。



 弥堂はそのエアリスに世間話でも振るように口を開く。



「ところで――聖剣の伝承についてなんだが」


『あら? お姉ちゃんのこと知りたいの? いいわよ、何でも答えます。ちなみに生前はHカップでした。爆乳聖女です』


「…………」



 果たしてあっちの世界のブラジャーにカップの概念があっただろうかと思いを巡らせようとして、弥堂は余計な方向へ逸れそうになる思考を矯正した。



「聖剣エアリスフィール。初代勇者に相応しい武器を造るために、聖女エアリスが炉に身投げをして自らの加護を捧げた。あっちの世界で、一般的にはそのように伝承が残されている。そうだな?」


『えぇ、そのとおりよ』


「あっちの世界……? 少年、一体なんの――」


『――ウルセエんだよションベン悪魔がァッ! 今ユウくんがお喋りしてんだろうがァ! 尻に触手捻じ込まれてェのか……ッ!』


「ギャアアァァッ⁉」


『異世界帰りの勇者さまナメんじゃねェぞォォッ!』


「ヒッ、ヒィィィ……ッ、なんなんッスかコイツ……⁉」



 愛しの勇者さまとの会話に口を挟まれて即座にぶちギレた聖女さまは、勝手に聖剣から触手を伸ばす。


 先端の肉が裂けて露わになった口でシャーッと歯を剥くと、ビックリ仰天した悪魔は恐怖に身を震わせてお尻を庇った。



 弥堂は一度溜め息を吐いてから二人のやりとりを無かったものとし、先を続ける。



「だが、その伝承には隠された真実がある……」


『……二代目のノートね』


「そうだ。ノートにはこうある。加護を宿した人造の魔剣を造る為に、加護持ちの人間を集めて鉄と一緒に炉に放り込んで殺した。聖剣が完成したのは偶然の産物だったと」


『…………』


「事実か?」


『……そうね。そうよ』



 確認を迫ると、エアリスは少し遅れて肯定した。



「さっき、大魔法を使う直前に“吸収アブゾーブ”とか言ったな? あれは魔法か?」


『……“加護ライセンス”よ』


「お前の加護は“切断ディバイドリッパー”だな?」


『……わかったわ』



 彼女は声だけで、諦めたように息を吐いた。



『普通に考えればわかるけれど、人間と鉄を一緒に溶かしたって加護が宿ったりなんかしないわ』


「そうだな」


『犠牲になった人々には必ずしも同意があったわけではない。ワタシもそうよ。騙されて眠らされて、それでそのまま……』


「そうか」


『この聖剣に溶かされたのはワタシ一人じゃない』



 感情を押し殺すようにして自らの生の終わりを語る彼女の様子から何やら重い雰囲気を感じとり、メロは気まずげな顔をしてからとりあえず神妙そうな表情をつくる。


 それとは対照的に弥堂は軽く流した。


 既に死んでいる大昔の人間の生命などどうでもよく、そして今聞きたいのもそんな話ではないからだ。



「で?」


『……本当はこの剣の管理人格になるのはワタシではなかったの』


「そうか。誰が?」


『……とある錬金術師。彼女が持っていた加護は“融合”よ』


「なるほどな」



 理解が追い付かずにキョロキョロ目を泳がせる悪魔を置き去りにして、二人は話を進める。



『まず、“分解”の加護を持った人間と“融合”の加護を持った人間を二人ずつ用意する。最初に錬金術師を炉に入れて人体と“融合”を分解し、剣の素材になる鉄と融合させる。次に“分解”の加護持ちを炉に入れて同様に分解してから加護を融合させる。それから他の加護持ちも追加していくの。そして最後に管理人格の魂を分解して融合させる。そうやって出来上がったのが聖剣エアリスフィールよ』


「お前が管理人格でなかったのに何故お前の名が?」


『聖女の名前があった方が箔がつくからよ。剣の所有権を教会が主張しやすくもなるわ』


「なるほど。いつもどおりのクソッタレか」


『そうね』



 吐き捨てるような弥堂の言葉にエアリスは苦笑いをした。


 教会はエアリスにとって古巣であり、聖女であった彼女は元は敬虔な信徒だった。


 しかし聖剣の中で数千年もの間、教会の所業を見続けてきて、彼女の神への信仰心はまだ残っているが、教会への忠誠心はとっくに消え失せていた。



『そうしてワタシの意識は沈み、聖剣の中で勇者を見守ってきた』


「どうして管理人格になった?」


『それがね! 聞いてよユウくん……ッ!』



 急に前のめりに語気を強めてきたエアリスの様子に、弥堂は地雷を踏んだことを自覚した。



『最初はねあのカス……、あ、初代のことね? ワタシが身投げしたって聞いて悲しんでたのよ……!』


「初代には真相は知らされてなかったのか」


『そうなの! だからアイツ泣いてたんだけどね! でも一週間もしないうちに次の女を作ったのよ!』


「…………」



 弥堂は聞いたことを後悔した。


 全く興味のない話だが、女が昔の男の愚痴を言い出した場合、途中で止めたら高確率で不貞腐れるのだ。この後のことを考えたら彼女にヘソを曲げられて協力が得られなくなることは避けなければならなかった。


 弥堂は素早く女の話に自動で相槌を打つスキルを実行する。



『それでね! そのまま監視してたらね! どうもあのカス、前々から複数の女と関係を持ってたっぽいのよ! ワタシって敬虔な聖女さまじゃない? 引退するまで処女じゃなきゃいけないじゃない?』


「あぁ」


『だから魔王を斃すまでは、お口だけで我慢してねって言ってね? アイツ「いーよ」って言ったのよ! ワタシがヤらせてあげないからって他の女で済ませてたのよ! あのカス野郎マジで許せないわ……っ! そう思わない⁉』


「キミの言うとおりだ」


『それでねそれでね? ワタシもうマジで怒ったの! そうしたら段々意識がハッキリしてきて聖剣本体や他の加護に干渉出来るようになってきて。それでね、カスが寝てる時に枕元で恨み言吐いてやったのよ! 当然の権利よね?』


「……そうだな」


『そうしたら元の管理人格のオタ女がね? 邪魔してきたの! ムカついたからそいつの魂を“切断”でバラバラにしてぶっ殺してやったわ! そしたらなんかワタシが聖剣のっとっちゃった』


「…………」


『それから毎晩枕元に立ってやってオリジナルの呪詛を唱えて弱らせてね? あとはカスに近寄ってくる女の処女をみんなこの触手で散らしてやったわ! そうしたらね? しばらくしてぇ、あのカス野郎ってばぁ、メンタル雑魚だからぁ、ノイローゼになって自殺したのぉ! マジざまあだわ! アーッハハハハハハ……ッ!』


「…………」

「…………」



 特級呪物のヤンデレの高笑いに弥堂もメロもドン引きした。


 ススッとメロが耳元に口を寄せてくる。



「オ、オイ少年。コイツって呪いの魔剣かなんかッスか?」


「……そうかもな」


「ジブン悪魔だからわかるッス! 淫魔センサーがビンビンッス! 尋常でない怨念ッスよ! マジヤバ事故物件ッス!」


「…………」



 弥堂のメンヘラセンサーもビンビンだったので否定する言葉がなかった。


 二代目のノートにも書いてなかった、謎の死を遂げたという初代の結末に何とも言えない気持ちになる。


 だは、何とも言えないなら別に無理して何か言う必要もないかと放り捨てた。


 何千年も前の知らない人の痴話喧嘩などどうでもいいので、話を戻す。



「しかし、これだけで加護の融合などという奇跡が実現するとはとても思えんのだが」


『……二代目よ。当時は魔王だったわね。聖剣を造る話を聞きつけて鍛冶師に化けて、あのクソ野郎も作業に参加したのよ。多分アイツが何かをしたせいで成功してしまったのだと思うわ』


「なるほど。それならありえそうだ」



 理屈はともかく、あの男ならそうだろうなと弥堂は納得をした。



『それで、ユウくん』


「なんだ?」


『これを確認して、それでどうするの?』


「わかっているだろ」


『…………』


「可能か?」


『…………』


「おい」



 回答を渋るエアリスに、さらに声を低くして問い詰めると、彼女はようやく観念した。聖剣の剣身が寂しげに光る。



『……理論上は可能よ』


「そうか。やれ」


『でもユウくん。あくまでの理屈の上でならということよ。成功実績があるとは言っても、今回のケースとはまるでベツモノよ。二代目も居ない。何が起こるかわからないわ』


「そうか。やれ」



 問答は無用だと弥堂はエアリスに実行を迫る。



『……ユウくん。アナタはせっかく……、今日ようやく……』


「どうでもいいな」


『わかっていると思うけれど、これをやったらアナタはまた……』


「どうでもいいと言っただろ。元々無かったモノだ」



 エアリスは消極的に弥堂を説得しようとしている。だが、まるで取りつく島がない。



「チカラも――道具も、手段も、総ては使うモノだ。大事に取っておくようなモノではない。そしてお前も道具だ」


『…………』


「命令だ。やれ」


『……ハァ、わかりました』



 結局エアリスの方が折れ、溜息と同時に霊子の糸を何本か創り出す。


 そしてその糸を愛苗へと纏わりつかせた。



「あ、あの……なにを……?」



 その糸はメロには見えていないはずだが、何かをしているという気配だけは察知したのか、不安そうな目を弥堂へ向けた。



「どけ」



 弥堂は答えずにメロをどかして離れさせる。


 そして左手で愛苗の背を支え、右手の聖剣の形状を細長いナイフのように変えた。



「しょ、少年……ッ⁉」


「黙ってそこに居ろ。出来ないなら死ね」



 ただごとでない様子にメロは慌てるが、弥堂にも彼女に構っている余裕はない。



「どうだ?」


『…………』



 不可視の糸を穴という穴から愛苗の体内へ侵入させ、何かを探っているエアリスに声をかける。



『……やっぱり心臓ね。ほぼ同一化してる』


「わかった」


『まずワタシの“切断”で彼女の元の心臓と“生まれ孵る卵リバースエンブリオ”を切り離すわ。多分“分解”じゃ格が足りない。だからワタシの加護で一回繋がりを断ってから“分解”でお互いを別のモノに別ける……』



 弥堂は余計な口を挟まずにエアリスの説明を聞く。



『おそらく二代目も、聖剣を造る時に最初に同じ様なことをしたはずなのよ。けれど、この子の元の心臓は病気だから単体じゃ稼働できない。だから一度別けてからまた“融合”で一緒にする……』


「だが、それでは結局同じ道を辿る。だから――」


『――えぇ。だからこの子と“生まれ孵る卵リバースエンブリオ”。それらと一緒にワタシ――聖剣エアリスフィールも融合する。そして、この子が吸収する魔素が“生まれ孵る卵リバースエンブリオ”に流れ込む量を管理・調整し、必要であれば“分解”して魔王化するのを防ぐ……、これでいけるはずだわ』


「わかった」



 話はついたとばかりに二人は会話を終わらせる。


 メロは一人だけ話に着いていけていない。


 しかし二人の雰囲気からとても危険なニオイを感じとって、堪らずに弥堂の腕に縋った。



「しょ、少年……、何をするつもりなんッスか……?」


「あ? あー……、あれだ。こいつの心臓に聖剣をぶっ刺す。すると治る。手術オペだ。病気だからな」


「はぁッ⁉」



 面倒だからとかなり端折った弥堂の説明にメロは目を剥く。



「オ、オマエ! こんな時にまたおかしな冗談を……」


「冗談じゃない。本気でこいつをどうにかするつもりだ」


「ホ、ホントに……?」



 弥堂の真剣な眼にメロはしばし呆然とした。



「……マナは助かるんッスか……?」


「さぁな」


「さぁなって……そんな……ッ! なぁ、少年頼むよ……、マナを助けてくれ……! ジブンなんでもするから……ッ!」


「神にでも祈ってろよ。悪魔」



 冷淡な皮肉で突き放し、それから手でメロを押しやって物理的にも突き放す。



「運が良ければ助かるし、運が悪ければ死ぬ。いついかなる時も。俺たちはずっとそうだ」



 もはやメロには眼も向けず、愛苗の様子を視ながら身も蓋もなく話を打ち切る。



 すると、腕の中で愛苗が身動ぎをし、彼女はうっすらと瞼を開けた。



「……ゆう……くん……?」


「呼び方伝染うつってんじゃねえか。寝てろよ」



 開口一番、やはりこちらを脱力させてくる彼女に苦笑いを浮かべそうになる。



「わたし、もう……」


「夢だって言っただろ」


「でも……」



 意識が揺らいでいても今の自分のことがわかっているのか、愛苗は弱気な様子だった。


 弥堂は彼女を励まそうと、言葉を考えてから口を開く。



「安心しろ」


「あんしん……?」


「あぁ。もしもお前がおかしくなったら、俺が必ず殺してやる」



 だが、やはり弥堂に女子を励ますスキルは具わってはいなかった。そしてやはり人に安心を促すような眼つきではなかった。


 だけど、物騒な台詞だったが、愛苗は気持ちだけは感じ取ったのか薄く苦笑いを浮かべる。


 その表情に、弥堂は励ましは成功したと見做して、次の行程に進むことにした。



「安心して寝てろ」


「……ねぇ、びとうくん」


「なんだ」


「わたし、しんじゃうの……?」



 励ましは全く成功していなかった。


 彼女にしては珍しく、酷く直接的な表現を用いた。



「死なない」



 弥堂は即答する。


 それはやはり、嘘だ。



「お前の加護は『願えば叶う』だろ。だったら大人しく願ってろ。死んだらお前の努力不足だ」


「おねがい……」



 呟いてから、愛苗は茫洋とした瞳で虚空を見つめた。


 ポロリと、その目からまた涙が零れる。



「わたしね……?」


「あぁ」


「また……、おとうさんと、おかあさんと、メロちゃんと……、いっしょにくらして……、いっしょにごはん食べたり、したい……」


「そうか」


「あとね……?」


「あぁ」


「ななみちゃんと、びとうくんと……、また、がっこういきたい……」


「じゃあそう願え」


「おねがい、したら……、かなうかなあ?」


「叶うさ」



 弥堂はまた嘘を吐いた。


 その願いは精々一割が叶えばいい方だろう。それでも十分な奇跡だ。



 だが――



 それはつまり、一割なら叶うのだ。



 だから――



「――叶えてやる」



 そう誓いを口にすると、またとめどない魔力が湧き上がってきた。



「びとうくん……、キラキラ……いっぱい……」


「どうでもいいだろ」


「わたし、もう……」


「うるさい黙れ」



 尚も弱気を口にしようとする彼女に苛立ち、結局弥堂はパワハラを繰り出した。



「さっきからなんだ、お前は。うるせえな」


「ご、ごめんなさい……、でも……」


「治してやるっつってんだろ。夢だけどな」


「わたし、でもね……」


「いいから目を閉じて力を抜いてろ。お前は黙って俺のすることを受け入れてればいいんだ」


「……うん」


「多少痛むかもしれんが我慢しろ。根性をみせろ。ピーピー泣き喚いてもやめてやらねえし、あんまり煩いようなら、おぱんつ脱がして口に突っ込むからな。わかったな?」


「うん、いいよ……? びとうくんのしたいこと、して……」



 こんな時でも素直な彼女は、言われたとおりに瞼を閉じて力を抜いた。


 左手にかかる重みが増したのを感じながら、『なんでこんなクズの言うことを簡単に信じちまうんだ』と弥堂は心中で苦笑した。



『ユウくん、ここよ』


「わかった」



 エアリスが霊子の糸を使い、愛苗の胸の上で位置を示す。


 それを確認してナイフの切っ先を向ける。



 そういえば静かだなと目線を横へ向ける。



 そこには膝をついて両手を顔の前で組み、まるで教会でシスターがそうするような姿で、必死に祈りを捧げているメロの姿があった。



 悪魔が神に祈りを捧げるとかどんな冗談だと嘲笑する一方で、こいつまで自分を信じているのかと呆れる。


 だが、だからこそしくじれないと思った。



 子供たちから向けられる無条件の信頼や信用に、何か感じるものはある。


 だがしかし、それは弥堂のパフォーマンスには影響しない。


 心の置き所はいつだって同じだ。



『……一応言っておくわ。理屈の上ではさっき言った通り。だけど、やったことがない。だから実際にどうなるかは結果を見ないとわからないわ』


「知ったことか」


『正直成功率は高くないと思ってる』


「それがどうした?」



 最終確認をとるエアリスに、弥堂は動じない。



「失敗する確率の方が高いだけで、成功する確率がないわけじゃないんだろ?」


『それは、そうだけど……』


「それなら、成功するという結果も未来に在るということだ。ならば、その結果までの道筋ルートはある」


『…………』


「『ある』のなら『いける』。廻夜部長がそう仰った。ならば、それに間違いはない」


『わかったわ』



 エアリスは納得をみせる。



『でもねユウくん。なんというか……、ユウくん仲良しみたいだから言いづらいんだけど。あんまりね、あのデブのクソオタの言うことは真に受けない方が――』


「――おい。貴様、それはもしかして部長のことを言っているのか? 不敬だぞ。塩水に浸けられたいのか鉄クズが」


『えっ――⁉ 待って⁉ ウソよね⁉ 長年連れ添ったお姉ちゃんよりもあのデブの方が格上なの⁉ ワタシ初代聖女さまで伝説の聖剣の管理人格なんだけど……ッ⁉』


「黙れ。いいからやれと言ったらやれ。無駄口を叩くな豚女が」


『そ、そんな……』



 この土壇場で弥堂のメンタルは微塵も揺らがないが、聖女さまのメンタルはポッと出のクソオタに負けたことで揺らいだ。


 しかし、彼女も歴戦の英雄だ。どうにか持ち直す。



 準備が整った気配を察し、弥堂はナイフの先を愛苗の胸につけた。



「いいか? いくぞ」


「……うん、いいよ……?」



 目を閉じたまま、彼女は簡単に答える。



 刃物が肌に触れても、彼女は身を強張らせることもしなかった。


 反射反応すら起こらない。


 彼女は心の底から、嫌がることも恐がることもしない。



 彼女の背を支える左手から伝わる。


 彼女は緊張も忌避も期待も嫌悪も何も感じてなどいない。


 疑念も危機も抱くことなく弥堂を信じ切っており、彼の持つモノならナイフですらその身の裡に受け入れようとしている。



 何故そうなのかということは弥堂には理解出来ない。


 だが、彼女は“おあいこ”だと言った。



 だから、理解は出来なくとも、そんな彼女を――


 彼女がそうであることを――



 せめてそれだけは自分も受け入れようと、弥堂はそう思った。



 切っ先を鎮める。


 肌が押し込まれ脂肪がヘコみ、ナイフが刺さって、肉の間に埋まっていく。



「……んっ、んぅ……っ」



 僅かに眉間を歪めて愛苗が喘ぐ。



 思っていたよりは痛みを感じていないようだ。


 おそらくそれは、彼女が悪魔に為っているおかげだろう。


 普通の人間が胸にナイフを刺されたら、のたうちまわって絶叫しているはずだ。



 弥堂は眼を細めて愛苗の様子を確認し、もっと奥まで聖剣を推し進めた。



 慎重に骨の間を通して、ついに先端が柔らかい心臓の肉に触れる。



『……なるほど。思った通りね。この子が周囲の魔素を大量に取り込んで魔力を生成する。心臓と同化した寄生悪魔にその魔力が流れる。そして成長する。それを管理しているのが――』



 シュルシュルと糸が伸びて黒い宝石に絡みつく。



『――コイツね』



 元は魔法少女の変身ペンダントだった“Blue Wish”だ。



『コイツも融合させて、その機能をワタシが乗っ取れば……、いけるはず……!』



 手応えを感じている様子のエアリスへ、弥堂は黙って慎重に魔力を送り込んだ。


 偉そうにイキがってはみたものの、結局実務的な部分は彼女に丸投げするしかない。


 ここでの自分の役割が何かは、弁えている。



「……びとうくん」



 すると、苦しげな顔の愛苗が目を開けてこちらを見上げていた。



「我慢しろ」


「うん、でも……」



 愛苗は頼りない動作でノロノロと手を伸ばしてきた。



「手、つないで……?」



 流石に少し不安を感じていたのだろう。痛みも多少はあるだろうし。


 それでも決して「こわい」とは言わなかった。



 弥堂は掌で支えていた彼女の背を腕で支える。


 そして彼女を抱き込むようにして手を身体の前面へ回した。



 彼女の両手を左手でしっかりと握る。



 強く、強く、だけどけして壊さないように、小さな手を握る。



 その手にもう一つ、誰かの手が重なる。



 メロだ。



 ポロポロと泣きながら、だけど彼女は歯を食いしばって絶対に声を出さないようにしながら弥堂と愛苗の手に自分の手を重ねてきた。



 弥堂はその手を払う。



 そして愛苗とメロの手を合わせて、彼女たちよりも大きな自身の手で纏めて握り直した。



 その弥堂の手の甲に、メロのもう片方の手が合わさる。



 弥堂は何も言わず、愛苗の目を見つめた。



「大丈夫だ。必ず俺がお前を守ってやる――」



 自然と口から出たその言葉。



 それが嘘かどうか。



 それは自分でもわからなかった。



 だが――



 これまで以上に、魔王を斃した時以上に――



 もっともっと強く、大きな魔力が湧いてきた。



 それを全て、聖剣を通して愛苗の中へ――




 強い光が彼らをみな包み込んだ――



 世界の全てに拡がるように――



 その光が消えたら『世界』は――


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