1章67 『それぞれで歩くグリーンマイル』 ①

「――えいっ! 【光の種セミナーレ】!」



 魔法少女ステラ・フィオーレ――水無瀬 愛苗みなせ まなの放った魔法の弾が当たり、ゴミクズーが消滅する。


 今回は鳩にカエルの足が生えたような魔物だ。


 混ざっているところを視ると即席で無理矢理造られたモノではなく、おそらく天然モノだろう。



 天敵に出遭ってしまった不運な野生のゴミクズーの“魂の設計図アニマグラム”が解け、霊子と魔素の結合が解かれる。


 誰のものでもなくなった魔素がキラキラと輝きながら『世界』へ還る。



 そしてその一部が、水無瀬の胸の青い宝石に吸い込まれていくのを俺は視ていた。



 何故、家で阿呆のようにしりとりなんぞをしていた俺たちが、外に出てこんなことをしているかというと、外出していったネコ妖精を名乗るメロがなかなか戻ってこなかったためだ。


 探しに行くと言い出した水無瀬を最初は放っておこうかと思ったのだが、迷子になられても面倒だからと俺も付き添ったのだ。



 家を出てしばらくして、ゴミクズーを発見して水無瀬が戦い始めたところあたりで、別に迷子になられてもそのまま別れてしまえばいいだけのことだったと気付き、俺は少し苛ついていた。



 周囲の風景にガラスに罅が入ったような亀裂が走り、次いでパリンっと砕け散る。


 一瞬の光の後、結界を展開する前の元の風景に戻った。



 ニコニコと笑いながら水無瀬がこちらへ駆け寄ってくる。


 笑ってる場合ではないと思うのだが。



 そもそも、こいつは何故まだ戦うのだろうか。


 守るべき家族や知人はもう居ないのに。



 一度そう決めたから?


 他には何もないから?



 退く道がないから進み続けるのだろうか。



「今日はなんか人が少ないね」


「外出禁止令が出ているからな」



 キョロキョロと辺りを見回しながら言った水無瀬の言葉に適当に返し、俺たちはまた歩き出す。



「私たちもお外にいたら怒られちゃうのかな?」

「別に。大丈夫だろ」


「そっかぁ。メロちゃんどこに行っちゃたんだろうね」

「そうだな……」



 気のない相槌を打ちながら、頭の中では別のことを考える。



――さてどうするか、と。



 今日、今から何をするか――ではなく、水無瀬の今後のことについてだ。



 結局、俺は今朝になってもまだ彼女のことを覚えていた。


 昨日までの水無瀬 愛苗のことを憶えていて、今日の彼女が水無瀬 愛苗だとわかる。



 その理由について少し考えてみる。



「――あっ⁉ ゴミクズーさんのニオイ!」

「そうだな」


「私ちょっと行ってくるね?」

「キミは素晴らしいな」



 タイミングよくあっちへ行ってくれた。


 俺は立ち止まって、先程辿り着いた答え――廻夜部長が示唆してくれていた内容について考えを深めることにする。



 この答えが正しいものだとする。


 リンゴ――水無瀬の意味が変わっている。



 確かに彼女の“魂の設計図アニマグラム”は日々変わっている。日々変わってきていた。


 俺はそれを視てきていた。



 ただ、それは単に彼女の“魂の設計図アニマグラム”に知識や経験などの情報――つまり記憶が蓄積され、それによってその魂の輝きが増し、そして存在の強度が上がっていっているものだと判断していた。


 つまり、それはどんな生物にでもある、成長の範疇だと思っていたのだ。



 だが、どうやらそうではなかった。



 先程アパートでそうしたように、事細かく過去の彼女の“魂の設計図アニマグラム”と比較していくと、日々少しずつそのカタチが変わっていっていたことがわかった。


 何故これまでに俺がそれに気が付かなかったかというと、『変化している』という結論ありきで、間違いを探すつもりで視てみなければわからない程に微細なものだったからだ。


 もう一つ言い訳を付け加えるのならば、やはりそれが成長の範疇だと思っていたからでもある。



 だが、改めて1年近く前の、初めて彼女と出逢った日。


 俺が美景台学園に転入してきて、教室で初めて彼女の姿を眼にした瞬間と比べれば、確かに『変わっている』と言ってもいい程の差異があることがわかった。



 つまり、水無瀬の身に起きているこの事態は、最近急に起きたものなどではなく、実際はもう大分前から徐々に起きていたものなのだろう。


 そして、最近になってようやく目に見えるくらいに顕在化してきた。


 これが正確なところかもしれない。



 人々が水無瀬 愛苗を忘れるのではなく、水無瀬が水無瀬 愛苗でなくなっている。



 この事態は主に二つの現象によって成り立っている。



 水無瀬――彼女を記憶にある水無瀬 愛苗と同一視出来なくなること。


 それから水無瀬 愛苗という存在の意味を忘れること。


 この二つだ。



 もしも彼女が水無瀬 愛苗でなくなるだけのことなら、あいつが名前を名乗った時に出てくる相手の反応は、


『あなたは水無瀬さんじゃないよね』


 こうなるはずだ。


 元々の記憶にある水無瀬 愛苗と、目の前の水無瀬を比較して、それが同一人物ではないと判断する。



 ところが、現実に見られた反応は、


『水無瀬って誰?』


 こういった反応だった。



 彼女が水無瀬 愛苗だとわからなくなることと、水無瀬 愛苗という存在が記憶から消えることは同じことではない。


 だから、この二つが同時に起きているのだ。



「――おまたせ、弥堂くん」

「あぁ」


「メロちゃん見つからないねー」

「キミの言うとおりだ」



 また彼女と歩き出し、思考を再開する。



 おそらく、ここまでは合っているはずだと思う。


 廻夜部長は答え合わせはしないと言った。


 だから答えを俺が自分で見つけなければならない。


 そして彼は、失敗をしたらやり直しを命じるというようなことも言っていた。



 それはどういう意味か。



 きっと、彼は俺のことを完全に、総て、余すことなく見透かしているのだろう。


 やはり部長には敵わない。


 つまり彼はこう言っているのだ。



 失敗したら殺す――と。



 チラリと水無瀬を横目で見る。



 だから、少なくともその答えを解き明かすまでは、それまでは俺がこいつの面倒を見るべきなのかもしれない。


 廻夜部長がそう望んでいるのかもしれない。



 だとしたら、現状の行動で正解なのだろうか?



 それについて確証は持てないが、水無瀬の問題が解決するか、それとも彼女が消えるか――それまでは監視をしていろと。


 そう命令されていると受け取ることも出来るかもしれない。



「あ、またゴミクズーさんが……!」

「そうだな」



 水無瀬がまたペンダントを片手に路地の中へ走って行く。



 それはともかく。



 話が逸れたが、水無瀬が水無瀬 愛苗でなくなっていっている。


 その為に、人々が彼女を正確に認知出来ず、また元々の水無瀬の記憶も失くす。



 この現状の中で、じゃあ何故、俺が彼女を忘れないのかというと――



 “魂の設計図アニマグラム”を視ることが出来て。


 なおかつ、過去の記憶を正確に思い出すことが出来て。


 そして今目の前に居る彼女と、記憶にある過去の全ての水無瀬 愛苗と比較することが出来る。



――だから忘れない。


 俺に関してはこう説明することが出来る。



 ただ、今回の事態は、幾分俺にとっても初めてのケースで、二代目が残したノートにもこのような事例はなかった。


 だけど、その上でも、ここまでの仮説はほぼ間違いがないと思っている。


 これ以外には俺という人間の特別性が何もないからだ。



 一旦整理して――



 彼女を水無瀬 愛苗と認知することが出来ない。


 何故俺には可能か。



 この二点に関しては、水無瀬自身の“魂の設計図アニマグラム”の変化、俺の魔眼――この二つで説明が出来た。



 では次に、もう一つ考えなければならないことがある。



 元々の水無瀬 愛苗に関する記憶が人々から消えていく。


 これについては上記の内容で説明が出来ない。



 水無瀬の“魂の設計図アニマグラム”と、俺の【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】。


 これらは水無瀬の身体、俺の身体、そこにそれぞれ在るモノだ。



 俺たちと同じ場所に居るわけでもない全ての他人の“魂の設計図アニマグラム”から、水無瀬 愛苗に関する記憶の記載が消える。


 そんなことはありえない。



 では、このことについて、別のもので説明をつけるのならば。


 それは“影響力”によるものなのではないかと俺は考える。



 全ての存在には優劣があり、それは“魂の強度”によって決まる。


 弱い者は強い者に常に影響される。


 そして、強い者はたとえ本人が望まずとも意図せずとも、あらゆる行動において他者に影響を及ぼしてしまう。



 水無瀬はその強者の中でも最上位に近い。



 彼女自身が意図していなかったとしても、彼女自身が別のナニカに変わることによって、元々の彼女についての記憶が他人の“魂の設計図アニマグラム”から消えるように影響を及ぼしている。


 或いは、元々の水無瀬 愛苗という意味を思い出せないように圧力をかけている。


 人によって、水無瀬を忘れるまでの速度や、忘れ具合に差異があったのは、そいつらそれぞれの“魂の強度”が違うからで、水無瀬の“影響力”に対する耐性というか抵抗値のようなものに差があったからなのではないか。



 そういうことなのではないかと考える。



 だが、この仮説にはあまり自信がない。



 先例が無いから――というのも勿論そうなのだが、この仮説が正しいとすると、俺と希咲との差が説明出来ない。



 俺は一般人に比べれば“魂の強度”が多少高い。


 自分自身では誤差に過ぎないと思ってはいるが、早期に水無瀬を忘れてしまっていた者たちと比較すれば、それよりは上だということは間違いない。



根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】により水無瀬を視間違えず、“魂の強度”により水無瀬の“影響力”に抵抗し、自身の“魂の設計図アニマグラム”内の記憶を保全する。



 だとすると、希咲 七海きさき ななみとその仲間たちについての説明が出来ない。



 あいつと、あいつら――正確には『紅月ハーレム』と呼ぶべきか――は、全員が俺よりも“魂の強度”が高い。


 だから記憶が保全される。


 少なくとも二日前までならそれだけで説明がついた。



 しかし、希咲は――あいつらは、俺よりも先に水無瀬を忘れてしまった。



 希咲たちのことに関しては、わからないこと、説明が出来ないことが多い。



 まず、あいつが水無瀬を正確に認知し続けていたことと、希咲自身の水無瀬に関する記憶が保全されていたこと。


 この二点についての説明は二通り思いつく。



 一つは、希咲自身の“魂の強度”の高さだ。水無瀬からの影響に対する抵抗値が高い。これによって認知と記憶を維持していた。



 もう一つの候補は、距離だ。


 希咲たちはこの事態が深刻化したタイミングで、ちょうどこの美景の地を離れた。


 今のような状態になってから一度も水無瀬と会っていない。


 だから希咲の“魂の設計図アニマグラム”は、水無瀬の“魂の設計図アニマグラム”からの影響範囲外に在ったのではないだろうか。


 そのように仮説する。



 俺はその二つの仮説は、どちらもあるようで、どちらもないようにも思える。



 ここまで来てしまうと、これ以上はもう考えても仕方がない。


 確証に至るまでの材料が少なすぎて、考え出したら、言い出したら――キリがなく、何でもアリになってしまうからだ。



 例えば、希咲たちに俺の知らない、この状況に有利な何かしらの“加護ライセンス”があるから。


 そんなことも考えられる。



 むしろそんな加護があれば、他の全ての条件を無視して、それだけで説明がついてしまう。



 いくら理屈に合わなかろうと『世界』がそれを許したのならば、そうであると定めたのならば。


 矮小なニンゲンの理屈や納得など何の“影響力”も持たない。



 駄目だな。


 答えに行き着いたと思ったが、希咲たちのことを考慮に入れるとあちこちボロが出る。


 クソギャルめ。


 ここでも俺の前に立ち塞がるのか。


 死ね。



 ともかく。


 ただ単に、水無瀬 愛苗でなくなってしまった水無瀬の“影響力”が、希咲たちの抵抗値を上回ってしまった。


 そんなシンプルな話なような気もする。



 だが、そうすると、俺自身にも問題が出来てくる。



 俺の“魂の強度”による抵抗値、魔眼による認知能力。


 これらを水無瀬の“影響力”が上回る日はそう遠くなく、そして必ず訪れる。


 むしろ、希咲たちよりも先に俺がそうなっていない方がおかしいのだ。



 仮に上記の仮説が正しければ、そういうことになってしまう。



 そうすると昨夜水無瀬に伝えた通りの出来事が起こる。



 ある日突然、俺の部屋に俺の知らない人物が現れる。


 俺は必ずそいつを殺しにかかるだろう。


 そうしない理由がない。



 まともに俺と水無瀬が戦えば、戦いとして成立しないレベルで水無瀬が圧勝する。


 だが、彼女は俺とは戦おうとはしないだろう。


 彼女の性格からすると考えるまでもない。



 すると結果は、彼女は俺に殺されるか、それかよくて逃げ出すかだ。



 逃げるのなら逃げるでいいのだが、しかし俺は俺のことをよく知っている。


 そんな怪しい人物の生存を俺は絶対に許さない。


 地の果てまでも追い込みをかけて、必ず彼女を殺そうとする。



 それならばいっそ――



 今ここで、ここでもう。



 彼女を覚えている内に別れて、そして忘れてしまってからもう一度出遭うなり、出逢わないなりした方がいいのではないか。


 それがベターな選択だと思うのだが、そうした場合に廻夜部長はそれを成功と認定するのか、それとも失敗と見做すのか。


 それはわからない。



「ごめんねぇ。またお待たせしちゃって……」

「キミは素晴らしいな」



 戻ってきた水無瀬のペンダントが魔素を吸い込むのを視る。





 そもそも。



 水無瀬が水無瀬 愛苗でなくなるとは、なんだ。



 そのように表現をしたものの、俺に視えるのは、彼女の“魂の設計図アニマグラム”が少しずつカタチを変えていることで。


 ただ、それが本当に別のモノ――別のナニカに変化しているのかまでは実際には判断出来ない。



 そしてその“変化”を齎していると思われるモノが、“生まれ孵る卵リバースエンブリオ”だ。


 俺はこの“Blue Wish”とかいうペンダントがそれなんじゃないかと思っている。



 前々から気付いてはいたが、水無瀬が魔法を使うと周囲に魔素が散らばる。



 これは別に彼女に限らず、例えばセラスフィリアとかいう頭のイカレた女が魔術を使ったとしても同様の現象が起こる。



 魔力運動を起こして発生した魔力というエネルギーが、魔法や魔術自体がその用途目的を終えて霧散すると、残った余剰な魔素が、誰のモノでもない魔素として『世界』へと還る現象だ。



 俺も少しなら魔術が使えるが、俺は自分の外の『世界』へ干渉する類の魔術がほぼ使えない。そう言ってもいいくらいに苦手なので、俺が魔術を行使しても同様の現象はほぼ起きない。



 水無瀬やセラスフィリアのように、魔法・魔術でナニカを『世界』に創造し、それによって他の物体や生物などに影響を与えること。


 単純に言うと強い魔法・魔術を使って大きな威力を実現出来るということは、その存在の影響力が強いからだとも謂える。


 術行使の腕の良し悪しや魔力の多寡などの条件もあるので、これは大分乱暴な言い換えで必ずしもそうであるとは言えないが。



 だが、少なくとも俺に関してはそうだ。


 魔力が少なく、身体が魔力の運用に適していなく、それを魔術として構成して外へ発する才能にも乏しい。


 だから俺に使えるのは、自分の身体能力を強化するなどの、自分の身体の中で完結する魔術がほとんどだ。


 そして、そういったタイプの魔術は、自分の外の『世界』に魔素を発することはない。



 俺の話はどうでもいいが、つまり、水無瀬が魔法を行使した後に周囲に舞う魔素。


 これらは通常は『世界』へ還るはずなのだが、俺の魔眼で視る限り、その一部が水無瀬の持つ、彼女が“Blue Wish”と呼ぶペンダントに吸われているように視えた。



 最初は、使い終わった魔素をそれで回収し、もう一度自身の魔力として再運用して、魔力運用の効率化を行っているものだと思っていた。



 だが、あれが“生まれ孵る卵リバースエンブリオ”とやらの仕業なのだとしたら。


 “生まれ孵る卵リバースエンブリオ”が魔力を吸って、それを使って水無瀬の“魂の設計図アニマグラム”に変化を与えている。



 “魂の設計図アニマグラム”を書き変えるような道具。


 俺はそんなものの存在にも、それが可能なことなのかも、見当がつかない。



 仮に可能だったとして。



 しかし、生まれ孵る卵。


 その言葉の意味とは合わない気がする。



 生まれ孵る。


 生まれ変わる――なら、それで意味が合致すると謂えるかもしれない。



 だが、孵る。



 ペンダントは卵で。


 魔力を吸って。


 成長し。


 ナニカが孵る?



 魔法少女はその母体だとでも言うのか?



 そうだとしても、水無瀬自身の“魂の設計図アニマグラム”が変化する理由がやはりわからない。


 あれはあくまで道具で別個の物体。


 水無瀬とは同一ではなく、違う存在だ。



 駄目だな。


 やはりわからない。



 それに、“闇の秘密結社”とはなんだ。


 というか、あいつらは悪魔だ。



 悪魔が魔物を使役し、人間の街でわけのわからない活動をしている。


 あれは一体なんなんだ。



 ボラフにしろ、アスにせよ。


 一目視た瞬間に悪魔だとわかった。


 だが、その目的が不明だ。



 侵略ではまずない。


 やろうと思えば簡単に出来るだろうが、だが、悪魔とはそれをする存在ではない。



 悪魔には悪魔の生息地のようなものがあるし、人間を侵略する意味も、支配や滅亡を目指す理由もない。


 ヤツらが本当にその気なら、もっと効果的に結果を出している。



 悪魔というモノを多少知っている俺からすると、奴らがやっていることは悪ふざけにしか見えない。


 ただ、悪魔という連中はその悪ふざけを嬉々としてするような連中でもある。



 人間とは身体だけでなく、思考や価値観も、何もかもがまるで違う。


 そんな連中のとる行動の原理や理由をいちいち理解しようとするのも無駄なことだと云える。



 そもそも――



 俺は隣を歩く水無瀬を視る。



 こいつ自身はどう思っているんだ。


 それもわからない。



 ここまで考えたところで俺はとうとう面倒になり、直接聞いてみようと思った。



「おい、水無瀬」


「なぁに? 弥堂くん」



 声をかけると、彼女は嬉しそうに俺を見上げてくる。


 だから笑ってる場合じゃねえだろ。



「お前は自分の身に起きていることをどう思ってるんだ?」

「みに……?」


「色んな奴に忘れられてる件だ」

「えっと……、わかんない……。弥堂くんはどう思う?」


「……今考えていたが、俺にもわからない」

「そっかぁ。不思議だねー」


「…………」



 不思議だねーで済ますんじゃねえよ。


 やはり聞くだけ無駄だったか。



 だが、いや、待てよ。



 俺はここまで考えてもわからない無駄なことを長々と考えてきて、そして結局わからなかった。


 一方でこいつは、聞かれてからちょっと考えて、不思議だねーで終わらせた。



 どうせ考えてもわからないのなら、とっとと『不思議だねー』で済ませた方が、むしろ効率がいいのではないか。



 俺は俄かに衝撃を受けて、マジマジと水無瀬の顔を視る。



 俺はこいつのことをずっと馬鹿だと思ってきたが、実はこいつ賢いんじゃないのか?



 だが、それもどうせ考えても無駄なので、『不思議だねー』で済ますことにする。


 もう一件の大事な話をすることにした。



「お前もう魔法少女やめろ」

「えぇっ⁉」



 端的に告げた俺の言葉に水無瀬は大袈裟に驚いてみせる。


 今朝に一度彼女へ言いかけた言葉だが、もうめんどくせえから言っちまうことにした。



「お前が今こうなってる原因。詳細はわからずとも、確実にその起因となっている一つのこと。お前にももうわかっているだろう?」

「それは……」


「魔法少女。一般人はそんなものには為れない。まず間違いなく魔法少女としての活動が影響していると思わないか?」

「……思う」



 水無瀬は足を止めて顔を俯ける。


 俺も立ち止まって彼女の方を向いた。



「でも、私が戦わないと――」


「――ゴミクズー。魔物はもっと昔から存在していた。そのはずだ」


「え?」



 彼女の言葉を遮って、俺は説明をしてやる。



「考えてもみろ。お前が魔法少女をやっているのは、せいぜいこの1年とちょっとだろ?」

「うん。高校に入る少し前から」


「じゃあ、お前がそれを始める前までは誰が街をゴミクズーから守っていたんだ?」

「え? あっ、そういえば……」


「考えたことなかったのかよ。まぁいい。ゴミクズーは――いや、魔物はお前が魔法少女になったのと同時期に、この世に初めて発生したものではない」

「そうなの?」


「じゃなかったら、俺に魔物の知識があるはずがないだろ」

「あ、そっか」



 俺は一瞬呆れそうになるが、彼女のポンコツ具合に関しては『不思議だねー』ということにして集中力を保つ。



「俺が初めてゴミクズーを実際に視たのは、魔法少女としてのお前に初めて出遭った時だ。だが魔物の知識はその前からあった。情報源は俺の先代の遺した知識だ。つまり昔からある」

「昔から……」


「何が言いたいかわかるか?」

「……? 不思議だねーってこと?」


「ちげえよ。俺が言いたいのは、お前が魔法少女に為る前から、お前が戦わなくても、この世界の平和は保たれていた」

「……っ」


「つまり。必ずしもお前が戦う必要はないということだ」

「そ、それは……」



 動揺する水無瀬へさらに説得を重ねようとした時――



「――それは困りますね」



 背後から声がして、俺は反射的に振り返る。



 そこに居たのは――



「どうも。こんにちは。ご機嫌は如何でしょうか」



――“闇の秘密結社”の幹部アスだった。



 タキシードのようなスーツを几帳面に身に着けた人間のようにしか見えないその男は――銀髪の悪魔は、被っていたシルクハットを取ると恭しく一礼をしてきた。



「あ、アスさんこんにちは。昨日はどうも――ぁいたぁーっ⁉」



 俺は敵に挨拶をしてお礼を言おうとしたポンコツの後ろ頭を引っ叩いて黙らせる。


 そして「なんでぶつのぉ?」とこっちを見てくる彼女を無視して、敵を睨みつける。



「ケリをつけにきたのか?」


「はい。ですが、今ここで――ではありません。そしてその相手は貴方ではない」


「……どういう意味だ?」


「僭越ながら、それに相応しい場所と舞台を用意致しました。今回はその招待状をお持ちしたのです」


「招待状だと……?」



 俺が眉を寄せると、アスは大仰な仕草でパチンと指を鳴らした。



「わ……っ、これ、お手紙……?」



 すると水無瀬の頭上から便箋がヒラリと舞い落ちてきて彼女の手の中に納まる。



「中をご覧ください」



 俺は水無瀬に開けるよう促し、俺自身は油断なくアスを監視する。



「あわわ……っ」



 すると水無瀬の聞き慣れた奇声とともに、開けた封筒の中から光が放たれ、まるで立体映像のように宙空に何かを写し出した。



「――メロちゃんっ!」



 水無瀬の言葉どおり、その映像に映っていたのは、小さな檻の中で横たわっているネコ妖精の姿だった。



(なるほどな……)


「ちなみにそれは映像だけです。リアルタイムでの通信はしていません」


「な、なんでメロちゃんが……⁉」


「ノコノコと一匹で外を歩いていましたのでね。先に会場の方へエスコートさせて頂きました」


「そ、そんな……、メロちゃんを返してくださいっ!」


(返すわけねえだろ)



 水無瀬の悲痛な叫びに心中で嘆息する。


 返せと言われてすぐに返すのなら、わざわざ攫ったりなどしない。


 それになにより――



「――いいですよ」


「あ?」



 俺の考えとは裏腹に、アスはあっさりと水無瀬の要求を承諾した。



「ほ、本当ですか……⁉」


「ただし――」



 アスはそこで言葉を溜める。


 奴の付けているモノクルがキラリと煌めいた。



「――何が言いたいか、わかりますね?」


「…………」


「ステラ・フィオーレ。アナタが一人で、来てください」


(そういうことか)


「場所は美景の港。新港の方で特設会場を用意しています」



 アスは要求を続ける。


 人質をとっての要求。


 それは実質命令に等しい。



「もしもアナタが来なければ。我々はこのゴミを殺し、そしてそのままゴミクズーの大軍を引き連れて街へと侵攻を開始します」


「そ、そんな――っ⁉」


「タイムリミットは本日の日没まで。きっと来ていただけると信じていますよ」


「アスさん……、昨日は助けてくれたのに……っ。どうして……」


「それは当然、我々の目的の為に必要だからそうしたまで。それでは、お待ち致しております」



 再度恭しくお辞儀をして、帽子を被り直してからアスは踵を返す。


 そして数歩ほど離れたところでその姿が掻き消えた。



 水無瀬はアスが居なくなった空間を見ている。


 呆然としているようで、しかしその瞳は――



「言うまでもないが、罠だぞ」

「うん」


「お前が勝てなかったと言っていた奴も居るだろうな」

「そうだね」


「たとえ勝ったとしても、お前は今以上に自分を失うかもしれないぞ」

「そう、かもしれないね」


「行くのか?」



 水無瀬は返事をせず、只俺の方を向いて笑った。


 俺は苛立ちを覚える。



「間違いなく負けるぞ」


「うん……。だから、弥堂くんは逃げて?」


「――っ⁉」



 まるで他人事のような笑みを浮かべた彼女の言葉に、俺の記憶の中から何かが呼び起こされる。



『ったくしょうがねェなテメェは。いいから逃げろよ』



 画面にノイズが入るように“魂の設計図アニマグラム”に記録された記憶の記載が、ジジッ、ジジッと現実の映像を侵食する。


 そのせいで、俺は彼女へ上手く言葉を返せなかった。



「私、がんばるから……! ちゃんと街も、弥堂くんのことも守るね……!」


『言っただろ? 弱い弱いユキちゃんはヤバかったらとっとと逃げてお姉さんに泣きつけって。そうしたら守ってやるってよ』



 栗色の髪の背の低い少女に、緋い髪の長身の女が重なる。



 踏ん反り返って立つ女の前で、少女が深く頭を下げたことで映像がズレる。


 そして少女が頭を上げたことで、また重なった。



「ちゃんと言ってなかったけど、泊めてくれたこととか、同じクラスでお隣の席だったこととか、お喋りしてくれたり、遊んでくれたり……」


『アタシはオマエらのボスだ。それに家族だって言っただろ。だからケツもつのはアタリマエだろうがよ』



 女が少し離れると、残された少女の姿が露わになる。



「あと、お友達でいてくれたこととか……、いっぱい、いっぱい……」


『死ぬんじゃねェぞ、クソガキ。死んだら負けだからな』



 女が立ち去ってその姿が消える。



「弥堂くん。今までいっぱいありがとうっ」



 満開の桜のような笑顔を浮かべて、少女は笑った。



「ななみちゃんと、なかよしでいてねっ」



 そして少女も踵を返した。



 思わず手を伸ばそうとするが、自分と少女を阻むように、過去の映像が連続で再生される。



 燃え盛る炎。


 つんざく怒号。


 雨が降って。


 並べられる顔――


 顔、顔、顔、顔――


 その中に見慣れた肌と――


 緋い髪――


 膝の上でそれを指で梳いて。


 響く少女の悲鳴。


 その首を斬り落として――


 全てを怨嗟の炎で包んだ。


 灼けて焦げて煤けてしまって。


 風に舞う灰を浴びながら。


 炭でココロを黒く塗り潰した。


 怨嗟の炎、氷は溶かせぬまま。


 だけど未だに燃え尽きぬまま。


 その炎の種は常に――


 今も胸の奥で燻ぶり続けて。





 記録の再生が止まる。



 過去の情景が消えた跡にはもう彼女はいない。



 俺は誰も居ない通りを視た。



 彼女の進んでいった方向を見つめて。



 しばらく立ち尽くして、そして――




――踵を返した。



 昔と変わらず、戦場から背を向けた。

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