1章64 『這い寄る悪意』 ②


 薄暗い部屋の中で、椅子に座る水無瀬と見つめ合う。


 時折彼女の鼻が鳴らすスンっという音を聴きながら、弥堂は口を開いた。



「そろそろ話す気になったか?」



 彼女を見下ろしそう訊くも、彼女は悲しげに眉を下げて俯いてしまった。



「オイ……! オイ、少年!」



 すると足元でソワソワとしていたネコ妖精のメロが、弥堂の足をペチペチと叩いた。



「なんだ?」



 弥堂は不愉快そうに四足歩行動物を視る。


 このアパートはペット禁止なのだ。



「圧……っ! もうちょい圧を弱めろよッス!」


「圧? なんだそれは?」


「いや……、だから……!」



 話の通じない男にメロは苛立ちながら、改めて彼の立ち振る舞いを目に入れる。



 物の少ない部屋の真ん中に申し訳程度に置かれた壊れたテーブル。


 その近くに配置されている何処で拾ってきたのかわからないような錆びたパイプ椅子に水無瀬を座らせ、そしてその正面――彼女の膝に触れそうな近い位置に立って彼女を見下ろしている。



「なんでそんな尋問みたいなことするんッスか!」

「尋問などしていない」


「そんなとこに立たれて見下ろされたらコワイだろうがッス!」

「それは受け取る方の問題だ」


「今のマナは傷ついてるんッスよ! もっと配慮して欲しいッス! お前もちゃんと座って向かい合えばいいだろッス!」

「生憎椅子は一つしかないんだ。諦めろ」


「ど、どうなってんッスか……この部屋は……」



 メロはドン引きしながら部屋の中を見回す。



 とにかく物が無い。


 余計な物を置かないと言えば、彼の性格を考えればありえそうだが、それにしたって家具の類が足りていないと感じた。



 先に触れたテーブルと椅子。あと目立つ物といえば床に直に置かれたTVくらいのものだ。


 キッチンには一応冷蔵庫は置かれているようだが、それ以外では部屋の隅にあるゴミ袋と、その脇に積み重なった何点かの脱いだ衣服が見えるくらいだ。



 ごく一般的な家庭である水無瀬家で何年か暮らしてきたメロからすると、人間の住処として違和感をもってしまう。



 床につけた前足を上げてみると、その下には肉球の跡が。


 碌に掃除もしていないようで、床に僅かばかり埃が積もっている。



「オマエまさか掃除したくないから土足で部屋に入ってるんッスか?」

「それもあるな」


「他には何があるんスか? つーかスリッパ使えよッス」

「スリッパはスリッパにしか使えない。だが室内用の靴は履いたまま外に出てもそのまま使えるだろ」


「室内用って、さっき履いてた革靴と変わらねえじゃないッスか」

「同じ物だからな」


「オマエ日本人だろ? ちゃんと靴脱げよッス」

「うるさい。靴を履いたままの方が、不意にヤサに襲撃を受けてもすぐに逃走に移れるだろうが」


「襲われるような生活すんのをやめろよッス……」

「その台詞はそのまま返す」



 家主のあまりの民度の低さに呆れたメロは自身のパートナーの足裏に目を遣る。



「あー、あー。マナの靴下がこんなに真っ黒になっちまって……」


「ひぐっ⁉ く、くつした……、ぅぇぇぇ……っ」



 気遣ったネコさんがペロペロと靴下を舐めると、水無瀬は悲しげに泣きだした。



「靴下くらいで泣くんじゃねえよ。大体お前靴履かないで外歩いてたんだから、とっくに汚れてただろうが」


「う、うえぇぇぇ、ごべんなざぁい……っ!」

「オイ! これ以上マナを泣かすんじゃねェッスよ!」


「これは俺が泣かせたのか?」



 釈然とせずに弥堂は首を傾げるが、しかし昔の女であるエルフィーネにも『女が泣いたら貴方が悪い』と口煩く言われていたので、まぁそういうものかと納得することにした。



「少年、とりあえず何か飲み物くらい出せよッス!」


「あ?」



 しかし、ネコ如きの厚かましい要求に即座に眉を顰めることになった。



「女の子が泣いてるんッスよ? 少しは気を利かせろよッス」


「飲み物があれば泣き止むのか?」


「ちゃんと段階を踏む必要があるッス。まずは飲み物からッス」


「チッ、めんどくせえな。ちょっと待ってろ」



 捨て台詞を吐きながら弥堂はキッチンへ向かう。


 そして冷蔵庫を開けて中から目的の物を取り出す。


 それから水無瀬のもとへ戻ってくると、彼女の前のテーブルにドンっと飲み物を置いた。



 ぱちぱちと水無瀬はまばたきをする。



 彼女の前に置かれているのは、2ℓの水のペットボトルだ。



「おみず……」


「オイ! なんッスかこれは⁉ こういう時は普通は甘いココアだろうが! あったかいヤツな!」


「そんなものはない」



 茫然と水無瀬が呟きを漏らすと、メロは猛然と抗議をしてくる。


 しかし無いものは無いので、弥堂にはどうすることも出来ない。



「オマエ、せめてコップかグラスくらい一緒に出してくれよッス」


「そんなものはない。そのまま飲め」


「ど、どういう家なんッスかここは……」


「おみず……」



 戦慄するネコさんを余所に、水無瀬はノロノロとペットボトルに手を伸ばした。


 未開封のボトルの蓋を回そうとするが、MAX15㎏のへなちょこ握力では足りないようでなかなか動かない。


 弥堂はその様子を無感情に見ているだけだ。



 やがて彼女が「むぅ~っ」と力をこめた際にかかった体重に耐え切れず、半壊中のテーブルがガムテープで繋いだ継ぎ目から真っ二つに割れた。


 壊滅的な音を立ててテーブルの上の物を割れ目に飲み込みながらテーブルが沈むと、床下から何やら慌てて走り出すような音がした。



 ガァ~ンッと愛苗ちゃんに衝撃が走る。


 そして――



「ひっ――う、うえええ、こわしちゃっ……ぅぇぇぇぇっ」



 またもピーピーと泣き始めた。



「これくらいで泣くな。元々壊れてたから別に気にしなくていい」



 一応のフォローを入れながら、弥堂はテーブルの半分にガンッと蹴りを入れてどかすと、その下にあった水のペットボトルを拾う。


 そしてキャップを開けてから水無瀬に渡してやった。



 お膝の上にのったそのボトルを水無瀬は一度ジッと見てから両手でそれを持ち上げ、先端に口をつけて「んく……っ、んく……っ」と飲み始めた。



「こ、ここは盗賊のアジトかなんかなんッスか……?」


「賃貸物件だ」



 ドン引きするネコさんにきっぱりと告げる。


 そうすると、ある程度喉を潤した水無瀬がペットボトルから口を離し、それをまたお膝にのっける。


 両手でそれを支えながら辺りに目線を遣り、オロオロとすると――



「うっ、ぅぇぇぇっ、おくとこないよぅ……っ」



 また泣いた。



「オイッ! ウチのマナが困ってんだろ! なんとかしろよッス!」



 人様の家に上がり込んでおきながら傍若無人に振舞うモンスターどもを軽蔑しつつ、弥堂は仕方なく動き出す。



 先程蹴り転がしたテーブルを拾って、もう半分と割れ目を合わせる。



「おい、ちょっとそこのガムテープとれ」


「ん? これッスか?」



 さっきテーブルから落ちたテープを拾うようネコ妖精に命令し――



「お前ちょっとそっち持ってろ」


「あ、はい」



 ぽけーっと見ていた水無瀬に指示をすると、彼女は床に水のボトルを置いて片方のテーブルをはしっと掴んだ。


 ビーッとガムテープを伸ばして再びテーブルをグルグル巻きにする。



 作業が完了すると弥堂は水のボトルを拾って、テーブルの上にそっとのせた。



「これで文句ないだろ」


「……ありがとう」

「……ッス」



 自身の作業に一定の満足感のあった弥堂だったが、彼女らは何やら浮かない顏だった。



「そもそも何でテーブルぶっ壊れてるんッスか? つーか、何したらこんな壊れ方に……」


「希咲のせいだ。俺は悪くない」


「ナナミ? ナナミここ来たことあるんッスか?」


「ない」


「それで何でナナミのせいになるんッスか。意味わかんねェッス」



 弥堂とネコ妖精が話していると、水無瀬はふと足元に落ちている物に気が付き、それを拾い上げる。



「弥堂くん、ペン落ちてたよ。はいっ」


「ん? あぁ」



 弥堂はそれを受け取ろうと手を伸ばす。


 受け渡しの瞬間、水無瀬の鼻がクンクンと動いた。



 弥堂の手にそれが渡った後も、彼女はキョトンと不思議そうな顏でそのペンを見ていた。



「なぁなぁ、マナ。コイツとナナミってアヤシイ感じなんッスか?」

「えっと、あやしくはないけど……、でもね? あのペン、七海ちゃんのニオイがしたの」


「クッソあやしいじゃねェッスか!」

「七海ちゃん弥堂くんちに遊びに来たのかなぁ?」



 何やら面倒そうな密談が聴こえたので、弥堂は床に転がるコーヒーの空き缶を拾ってその飲み口にペンを刺してテーブルに置く。


 それからパンパンっと手を叩いて彼女らの注意をこちらへ向けた。



「無駄口を叩くな。お前らはそんなことよりも――」



 話を主導しようとしたところで、『きゅるるるぅ~』とラブリーな音が鳴る。


 音の発生源に眼を向けると、両手でお腹を抑えた愛苗ちゃんがふにゃっと眉を下げ――



「うっ、ぅぇぇぇっ……、おなかすいたぁ……っ」



――ダーッと涙を流す。



「オイ! ウチのマナが腹空かしてんだろぉがッス! この家は茶菓子も出てこねェのかッス!」


「……お前らあまり調子にのるなよ」


「甘いのな! 甘いのくれッス! つーか、メシも食わせてくれよッス!」



 飼い主の代わりにペットが図々しく要求をしてくる。


 それに弥堂は苛立ちを覚えるが、しかし元来ネコとはそういう動物だったなと思い出し、諦めることにした。



 舌打ちだけを残しその場を離れる。


 またキッチンへと入り、冷蔵庫の横に置いてある段ボールから中身を一つ取り出す。


 淀みのない動きで戻ってくると、水無瀬の前のテーブルに運んできた物を置いた。



 水無瀬とメロはそれをジッと見る。



「……なんッスかこれ?」


「メシだ」


「メシって……」



 弥堂が配膳したのは、彼が常食している完全栄養食品である“Energy Bite”だ。


 手のひら大のビニールの包装にブロック状の棒が一本入っている。



「お菓子ッスか?」


「メシだ」


「こんなメシがあるかーッス!」


「そんなことはない。下手な料理よりも、これには必要な栄養素が全て含まれている」


「こんなもんで生きれるわけねェッス! 騙されねェッスよ!」


「嘘ではない。その証拠に俺は1年近くこれしか食ってない」


「ウソだろ……ッス……」


「弥堂くんお家でもこれ食べてたんだ……」


「狂ってるッス……」



 メロが呆然とした目を向ける先で、水無瀬はペリペリと包装を剥がした。


 彼女の手の中には、男性の指より少し長いか程度のスティックがチョコンと。



 愛苗ちゃんはパクっとそれに食いついた。



 歯を当てると想像していたよりも遥かに硬い感触がする。


 お目めをぎゅっとしながら顎に力を入れるとようやくゴリっと1ブロック噛み切れた。


 ゴッ……ゴッ……と、それを潰していくと口の中に味が拡がっていく。



「すっぱい……」


「酸味ブロックだな。ミネラルとかが何かこういい感じになる」



 弥堂の解説を受けながら噛んでいくと食感が微妙な感じに変化していく。



「ニチャニチャするぅ……っ、ぅぇぇぇぇ……、ひもじぃよぉ……っ!」


「何でそれで泣くんだよ。バカじゃねえのか」



 とっても傷つきやすくなっている女の子に冷たい言葉をかけながら、しかし弥堂は彼女をジッと見て少し考える。


 徐に手を伸ばし彼女の頬を指で突っつく。


 指先で頬を撫でてやると、彼女は擽ったそうにした。



「なぁに? 弥堂くん。ほっぺ好きなの?」


「…………」



 無言で今度はほっぺを指で摘まんで軽く抓ってみる。



「ぁいたぁっ⁉ い、いたいよぅ……」



 するとジワッと彼女の目に涙が浮かぶ。


 弥堂は彼女のほっぺを解放してやり、離した手を上に上げる。


 すると、水無瀬の目線も釣られるようにその手を追った。



 不思議そうに見上げる彼女の顔をジッと見て、その手を下ろし、パシンっと彼女の頭を引っ叩いた。



「うぇっ⁉ な、なんでぶつのぉ……⁉ ぅぇぇぇぇっ……!」



 そうしたら水無瀬はまたギャン泣きし始めた。



「コラァァァッ! なにやってんだテメェッ⁉」



 メロが怒りを露わにする。


 弥堂は悪びれることはなく、ジッと観察するように泣いている水無瀬を見ている。



「いや、別に。特に何ということもない」


「なんでこんなヒドイことするんッスか⁉」


「別に。特に理由は無い」


「ふざけんなよこのDV野郎がッ! 今のマナによくこんなこと出来るッスね! ひとでなし!」


「ただ、何しても泣くなって思ってな。少し面白くなった」


「恐ろしいこと言うなァ! このサイコパスがァッ!」



 理由もなく暴力を奮う野蛮人を強く非難したメロは水無瀬へ駆け寄り彼女を慰める。



 弥堂はしばらくその様子を視ていた。



 いい加減に実のある話をしなければならない。


 その前にまだ泣けるなら今の内に泣かし切ってしまおうと考えたのだ。



 少しして、水無瀬が落ち着いた様子を見せると、弥堂は改めて彼女へ声をかける。



「さて、そろそろ話を聞かせてもらおうか」


「お話……? お喋りしたいの? いいよー」


「あぁ。意味のあるお喋りをな」



 どこか含みのある弥堂の口ぶりに、メロが警戒する様子をみせた。



「オマエ、もうマナをイジメるのはやめろよ。これ以上傷つけないで欲しいッス」


「それは約束できない」


「はぁ?」



 メロは非難の声をあげるが、しかし、弥堂の様子が違うことに気が付く。


 普段のような憎まれ口や減らず口ではなく、より真剣な色を感じたのだ。



「一度した質問をもう一度しようか」


「あ、うん……」


「水無瀬」


「はい」


「お前はまだ水無瀬でいいのか?」


「え?」



 水無瀬の目が大きく見開かれる。



「両親に忘れられたお前はもう水無瀬の家の子供じゃない。お前は誰だ?」


「わたし、は……っ」


「少年ッ! そんなこと――」


「――言うのはやめろと? 言わないでどうする? 考えないでどうする? 上辺だけの言葉で慰めて、上っ面を誤魔化し続けていても現状は何も変わらない」


「それは……、そうッスけど……」


「そんなことをしていても野垂れ死ぬだけだぞ。なにせもう家がないんだ。違うか?」


「…………」



 ギロリと鋭い眼を向けると、メロは下を向いて沈黙した。



「水無瀬」


「……はい」


「お前は友人・知人どころか家族にまで、まるで忘れられてしまったかのようになっている。とてもヒドイ目に遭ったな?」


「……うん」



 伏し目がちに水無瀬は頷く。


 弥堂は表情を変えることなく話を続ける。



「だが、この『世界』にはそんなヒドイことはいくらでもある。溢れかえっている。それが何故だかわかるか?」


「……わかんない」


「それは『世界』にとってニンゲンなどどうでもいい存在だからだ。無数にある『世界』を構成する要素のほんの一部に過ぎないからだ。そんなものの一つ一つの心情になど関知はしない」


「……神さまは助けてくれないってこと?」


「違う」



 控えめな水無瀬の問いに弥堂ははっきりと首を振った。



「神などいない。『世界』がただ在るだけだ。『世界』だけが在る。俺たちはそのほんの一部程度の存在でしかない。お前が毎日通う学園の正門を潜ると、並木道には花壇があるな? その花壇の砂粒が一つ減ったとして、お前はそれに気が付けるか? それを気にしたことがあるか?」


「それは……っ」



 水無瀬は言葉に詰まる。


 その花壇は親友である希咲との大事な思い出のある花壇だ。


 だが、そんな大事な場所でも、砂粒ひとつのことまで考えたことなどない。



「『世界』にとっての俺たちはそんな砂粒程度のものでしかない。俺たちが“ヒドイ”と感じることは、ニンゲンが勝手に“ヒドイ”としていることで、それは『世界』には関係ない。だから“ヒドイ”ことなどこれからもいくらでも起こるし、永遠に無くなりはしない」


「そんなの……、悲しい……」


「あぁ、そうだな」


「でも、たのしいこともあるよ? うれしいことだって……」



 水無瀬は縋るように反論を試みる。


 弥堂は先と同様にあっさりと、しかし今度は首を縦に振って肯定をした。



「その通りだ。楽しいことも嬉しいことも、やはりニンゲンが勝手にそう決めただけのものだ。だから『世界』がいちいちそれを無くそうと邪魔をすることもない」


「え……?」


「水無瀬。お前は人々に――おそらく全ての人々に忘れられ、街に社会に居場所を失くした。それは確かな事実であり、そしてヒドイことだ」


「……なんで、なのかな……? 私なにかいけないこと……」


「していないな。少なくとも俺の知る限り、お前は。だが、何故かと、その理由は簡単なことだ」


「えっ?」



 顔を上げた水無瀬の目を真っ直ぐに見下ろして言い放つ。



「――運がなかったのさ」


「…………っ」



 身も蓋もない、自分自身ではどうにもならないその答えに水無瀬は息を呑んだ。



「少年……、お願いだから、マナをもう追い詰めないでほしいッス……」



 悲しげなメロの声を無視して、弥堂はあくまで平淡な声で語って聞かせる。



「だが、お前はまだ死んでいない」


「――っ⁉」


「とてもクソッタレな出来事で、運がないとしか言いようがないが、だがそれでもお前はまだ生きている。死んでいないからだ。明日もまだ生きているだろう。しかしそれは永久に約束されたものではない。生きているから死ぬ」


「わたし……」


「まだ死んでいないのなら、生きなければならない。自殺願望でもあるなら話は別だが、お前は死にたいか?」



 水無瀬は強く首を横に振った。



「そうか。だが、泣いているだけで何もしなければ死ぬぞ? お前にはもう家族も友人もいないんだ。泣いていても誰も助けてはくれないし、腹を空かせても誰もメシをくれない。自分ひとりでどうにかしないとならない。欲しい物も必要な物も自分で手に入れなければならない」


「わたしが、ひとりで……」


「お前にはこう言った方がいいか。そこのネコだ」


「メロちゃん……?」



 弥堂が顎で指し示すと水無瀬もメロの方を見る。



「そいつはお前のペットだろ? お前がそいつの餌を用意してやらなければ、そいつが野垂れ死ぬぞ? いいのか?」


「だめ……っ、そんなのだめ……! おともだちだもん……っ!」


「そうだな。そいつはどうもお前に付き合うつもりのようだから、だったらどうにかしなきゃならないな」


「うん……、そうだった……!」



 水無瀬は食べかけの“Energy Bite”をテーブルに置くと、椅子から降りて床に膝をつける。


 そして、ここまで一緒に来てくれた友達を抱きしめた。



「メロちゃんごめんねっ、私自分のことばっかりで……! メロちゃんまで巻き込んじゃったのに……!」


「マナ……、そんな……、ジブンは……」



 涙ながらに飼い主に抱きしめられるネコを弥堂はジッと見下ろす。


 少しそのままにさせてやってから、改めて口を開いた。



「というわけで、お前には考えなければならないことがある。死にたくないのなら」



 水無瀬は弥堂の方へ顔を向ける。



「もしも死んで楽になりたいのなら、それもいいだろう。俺はそれを悪いことだとは思わない。自分で死ねないのなら、俺が殺してやってもいい。報酬はそうだな……、一晩お前の身体を好きにさせてくれたら、その後で苦しめずに殺してやる。報酬はそんなものでいいが、どうする?」


「…………」



 水無瀬は少し考え、それから答えた。



「……運が悪かったってことは、運がいいこともあるよね?」


「なんだと?」



 だが、話の繋がりが微妙な問いで返され、弥堂は眉を顰めた。



「弥堂くんさっき言ってた。ヒドイこともあるけど、別に『世界さん』がそうしたくってしてるわけじゃないから、たのしいことも、うれしいこともちゃんと全部あるって……、そうだよね?」


「……そうだな」


「じゃあ、今回は運が悪かったかもだけど、頑張って生きてたら……、一生懸命やってたら、その先で運がいいことも、きっとあるってことだよね……?」


「…………」



 弥堂は少し考える。


 その答えは知っていたが、それをそのまま伝えるか僅かに迷った。



 彼女を説得するなら嘘を吐いて肯定した方が都合がいいが、しかし結局誠意を見せることにした。



「……『ある』、かもしれない」


「かも……?」


「あぁ。運がいいこともあるだろうし、もしかしたらもっと運が悪いこともあるだろう。頑張っても報われることは保証はされない」


「そっか……」



 その答えに水無瀬は寂しそうに目を伏せた。



「だが――」



 しかし、弥堂の答えはまだ終わっていない。



「絶対に『ない』ということも保証はされない」


「……『世界さん』はそんなこと――」


「――あぁ。知ったことではないからだ」



 変わらずの身も蓋もない言い様に、しかし水無瀬はクスリと笑った。



「結局お前がどうするかだ」


「わたしが……」


「似たようなことを前に言ったかもしれないが、『やる』か『死ぬ』かだ」


「うん……」


「未来が確約されないからと言って何もしなければ、やはり死ぬだけだ。それが嫌なら、保証されていようがいまいが、どのみち『やる』しかない」


「そっか……、簡単だったんだね」


「そうだ。答えは至ってシンプルだ」



 水無瀬は涙を溢しながら笑う。


 弥堂は笑わなかった。



「だが、決して不利な戦いではない」


「え?」


「今回は運が悪かったが、それでもお前は『神意執行者ディードパニッシャー』だ」


「でぃーど、ぱにっしゃー……」


「お前は普通のニンゲンよりも存在の強度が高く、優れた“魂の設計図アニマグラム”を持っている。特に良く、特別にデザインされていて、例外的な“加護ライセンス”を能えられている。お前は『世界』に贔屓されている」


「そうなの……?」


「あぁ。どうでもいい砂粒の中でもマシな砂粒で、極上の砂粒だ」



 弥堂ははっきりと言い切るが、水無瀬には意味があまり伝わっておらず彼女は首を傾げる。


 彼女の理解を必要とせずに先を続けた。



「だから、もしもお前が何かを欲して、それを手にしようと真剣に行動したのなら――それはお前以外のニンゲンが同じことをしようとした時に比べて、成功する確率が高い。格段に」


「わたしは、そんな……」


「しかし、何もしなければ、何も願わなければ、それは叶わない。お前の魔法もそういうものだろ?」


「うん」


「だったら『やれ』よ。そうしなければ勝てない。戦うとはそういうことだ」


「弥堂くんも、そうやって頑張ってきたってこと……?」


「……さぁな。頑張れていたかはわからない。だが、戦ってきたつもりではある」


「そっか……」



 水無瀬は言葉をゆっくりと咀嚼するように考え、そして弥堂の眼を見上げる。



「……私にも、できるかな……?」


「…………」



 弥堂はその不安げな目を受け止め、そして――




――唐突に面倒になった。



「うるせえな。お前なんだ? 俺が出来るかもしんねえって言ってんだろ」


「えぇっ⁉」



 唐突にキレられた愛苗ちゃんはびっくり仰天した。


 チャームポイントのおさげがピョコンと跳ね上がる。



「お前俺が嘘を吐いてるとでも言うのか? クラスメイトを疑うのか? この人でなしめ」


「そ、そんなことないもんっ」


「だったら、とっとと『はい、わかりました』と言え」


「は、はいっ! わかりましたぁ!」


「女のくせに口答えをするな。生意気だぞ。謝れ」


「ご、ごめんなさい……」



 結局最終的にパワハラでゴリ押しをしてきた唾棄すべきミソジニストに、“よいこ”の愛苗ちゃんは『ごめんなさい』をしてあげた。


 メロが呆れた目を向けてくる。



「オマエ……、ツンデレが過ぎないッスか?」


「何を言っているかわからんな。四つ足の獣風情が余計な口を挟むな。生意気だぞ。謝れ」


「はいはい、ごめんなさいッスよ」



 弥堂は改めて水無瀬と目を合わせる。



「そういうわけで、お前が生き残るために必要なことを考えて、それを話せ」


「生き残る……」


「クラスメイトのよしみだ。今晩くらい泊めてやる。見てのとおりこの家には何もない。だから暇つぶしにお前の話し相手になってやる」


「いいの……?」


「つい今、自分でクラスメイトだと言っちまったからな。自分のミスのツケは自分で払わなければならない。運がなかったと諦めるさ」


「そっか……、フフフ」


「マナ、やっぱこいつツンデレッスよ。相当拗らせた」


「うるさい黙れ」



 弥堂が肩を竦めてみせると水無瀬はおかしそうに笑った。



「さっきも言ったが決めるのはお前だ。どうする?」



 最後通牒のような問いかけに、水無瀬はゴシゴシと涙を拭って弥堂の顔を見た。



「うんっ、私もお話したい……、聞いてほしい……! おねがいっ!」


「魔法少女にお願いをされてしまったら、一般人の俺は従う他ないな」


「うふふ、変な弥堂くん」



 ここに来た時には見る影もないほどに光を失っていた彼女の瞳には、いつものような強い輝きが少しは戻ってきた。


 コロコロと笑う彼女のその眼窩の奥を無情に覗きそれを確認する。



 場の空気が弛緩し、途端におちゃらけだしたネコ妖精と楽しそうに話す彼女に少し時間をくれてやりながら、弥堂は頭の中では次のことに切り替えをする。



 彼女にとって本当に重要なことは、これからだ。

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