1章60 『4月24日』 ③


「――ちょっと、ナナミ?」



 ジャーッと流れ続ける水道の音を遮った声に過剰に反応しちゃって、あたしの肩が跳ねる。


 昨夜のことを深く考え過ぎてたみたいで、動画の視聴中に間違って別の動画を再生しちゃったみたいに、あたしの意識は強制的に現実に切り替えさせられた。



 慌てて蛇口を止めて声のした方に顔を向けると、誰も居なくなったはずのテーブルにはまだ残ってる子が居た。



「わたくしもうとっくに食事が終わっているんですのよ? いつになったら食後のお茶が出てくるんです。これは明確にあなたの失態だと言わざるを得ませんわね」


「え? あ、ごめん。すぐに……って――」



 反射的に謝っちゃいそうになっちゃって、それにムカついたあたしは彼女をジッと睨む。



「――って、あんたなんでまだいるのよ?」



 とっくに聖人と一緒に出掛けているはずのリィゼに問いかけた。


 訊いたはいいものの、どうせまともな答えなんか返ってこないんだろうなって思いながら。



「笑止、ですわ。わたくしは第一王女。食後のお茶を欠かすことはできません」


「みんなもう出掛けちゃったじゃん。あんた後から一人で追っかけらんないのに、どうすんのよ」


「無礼者ぉーーっ!」



 ほら、これだもん。


 呆れた目でリィゼを見ながら、一応言い分くらいは聞いてあげることにする。



「エルブライト公国第一王位継承者であるこのわたくしに朝から働けと?」


「みんな働いてんのよ」


「王族は午前中は働かないものです。覚えておきなさい」


「そんなわけないと思うけど」


「それよりもお紅茶をいただけませんこと?」


「いい加減やり方覚えてよ。成長しないわね」



 口ではうんざりと文句を言いながら、あたしは紅茶の準備を始める。



 この子に言ったってどうせ出来ないし、覚えようともしない。


 だから結局あたしがやってあげる。


 成長しないのはあたしも一緒で、こうやって結局やってあげちゃうからこの子が成長しないのかもしれない。



 それに、今は仕事を与えてくれるのはちょっと嬉しい。



 カチャカチャと食器を鳴らしながらお茶を用意した。









 すこしおっきくなって


 みんなはせがのびて


 わたしはあんまりかわってなかった



 みんなはかけっこがはやくなって


 でもわたしはぜんぜんだめなままで



 みんなが「がんばれー」って


 わたしは「うん」って


 いっぱいがんばろうとおもった



 ずっといっしょにあそびたいから











 カチャリとリィゼの前にティカップを置いて、あたしはテーブルを離れる。



「ご苦労さま」


「ん」



 適当な返事をして流しに戻り、洗い物の残りをやっつける。


 チラリとカウンターに置いたスマホを見れば、未確認の通知を報せるランプは点灯してなかった。



 考え事に戻る。



 すごくイヤな予感がしていた。



 愛苗からのメッセは昨夜からまだ返事はない。



 って言っても、最後に送ったあたしのメッセは別に重大な用事や質問を送ったわけじゃない。


 いつも通りの他愛のない言葉だ。



 それがこの時間に返ってきてないのは別にヘンなことでもない。



 あたしと愛苗の普段のやりとりは、夜にメッセしあってる内に愛苗が寝ちゃって、それであたしが送ったメッセが最後になることが多い。


 だからヘンじゃない。



 それで朝になって登校前に愛苗が『おはよー』って返事してくれることが多いけど、でも家を出る前にバタついてると学園で直接『おはよー』ってすることもいっぱいある。


 だからヘンじゃない。



 今はあたしが学園に居ないから、それが出来ないだけ。ギリギリの登校になっちゃったからメッセ送れなくて授業が始まっちゃった。そんなのありえ過ぎること。


 だから全然ヘンじゃない。



 でもイヤな予感は止まらない。



 こっちから『おはよ』って送りたくなる。


 でも、ガマン。



 あの子はのんびりした子だから、あんまり急かすようなことしちゃダメ。


 いつもメッセとかお喋りしてる時も、ちゃんとあの子が最後まで言い終わるまで待つように気をつけてる。



 普段あたしの、多分うざい愚痴とかをニコニコ聞いて、それで「困ったねー」って言ってくれる。だからあたしもあの子の話をちゃんと聞きたい。


 それは全然イヤなことじゃなくって、頑張ってお喋りしてるとこはカワイイと思うし、あたしに一生懸命伝えようとしてくれるのが嬉しい。



 今は、多分心配とか迷惑をかけないようにって、自分の困ったことをあたしに言わないようにしてる。多分そうだと思う。


 そんな時に下手に聞き出そうとして、余計言いづらくさせちゃったらカワイソウだ。


 だから、まだ、待たなきゃ。



 でも、本当にそれでなにかになるんだろうか。




 じゃあ、野崎さんたちは?



(――ダメ……)



 多分もう、少しヘンに思われてる。


 ここ二日くらいで少し聞きすぎた。


 あんまりやりすぎると信用してないのかって勘違いされて、それで避けられるようなことになったら目も当てられない。



 最悪の場合はそれでも構わない。けど、それはあたしがあっちに居る場合だ。


 こっちに居る間は我慢しなきゃ。



 でも、本当にそれでなにかになるんだろうか。




 だったら――



 そこであたしは自分がスマホを手に持っていることに気が付いた。


 考え事をしてたらいつの間にか洗い物は終わっていて、メッセ相手の一覧を開いてたみたいだ。



(こわ。地雷じゃん)



 たまに考え過ぎると頭の中と身体が切り離されちゃったみたいになることがある。これも悪い癖だ。



 切り替えて、または切れちゃってたものを繋いで画面を見る。


 そこに表示されてるアカウントを睨んだ。


『ば か』って書いてあるふざけた名前。



 一番聞きやすいのは弥堂だ。



 嫌われてもノーダメだし、なんならもうとっくに嫌われてるし。


 だけど、昨夜みらいに釘を刺されたとおり、やりすぎてブロックされたら困る。



 ムカつくけど、あたしがこっちに居る間は、向こうで何かあった時に割と無茶を頼めるのもアイツくらいしかいない。


 今の状況を考えるとブロックされちゃったらホントにもう終わりだ。そういうことにもなりかねない。


 だからガマンしなきゃ。



 でも、本当にそれでなにかになるんだろうか。



 今は。


 まだ。


 もう少し。


 様子見て。


 慎重になって。


 何があってもいいように。


 バランスをちゃんととって。



(いつまで?)



 それを考えることすらもう遅いんじゃないかって感じちゃう。


 もう考える段階にないんじゃないかって。



 みらいは今日が山場みたいなことを言ってた。


 今日一日の状況次第でって。



(決めなきゃ……)



 スマホの画面を消す。


 見てるとどうしても気になっちゃう。


 あんま見ないようにして、余計なこと考えて余計なことしないようにガマンしなきゃ。



 気分転換に少し散歩でもしようかと思いついてキッチンから出た。



「ちょっとナナミ? 主人であるわたくしを置いてどこに行くつもりですの?」


「は? あんたにも草むしりさせるわよ」


「いってらっしゃいまし~」



 リィゼに快く見送られてあたしはお屋敷の外へ出る。





 玄関口の大きな扉を開けて外に出ると門までの道が伸びている。



 学園の正門の並木道にちょっと似てる。


 そういえば、ここへ来る前は満開だった学園の桜は、あたしたちが美景へ戻った頃にはもう散ってしまっているんだろうか。


 そう考えたら少し寂しくなった。



 門の方へ歩き出す。



 ここの植木や花壇は荒れてしまっている。


 雑草もなんもかんも生え放題伸び放題だ。



(そりゃそうよね)



 あたしたち――正確には聖人たちがここに来るのは精々年に一回か二回くらいだ。


 それ以外の時は、一応本家に頼まれた人が定期的に見に来てくれている。



(ってことになってる)



 一応来てはいるみたいだけど、こういう所までは面倒を見てはくれないし、一番の用件のところも大してマジメにはやってくれてない。



(たぶんわざと)



 あっちにしてみれば、あたしたちにここでの時間を快適に過ごさせる理由なんてないし、なんなら任務失敗してくれた方が都合がいい。



(めんどくさ)



 でも、この荒れ具合なら、今のあたしの心の隙間を埋めるための手慰みの仕事を見つけるのには困らなそうだ。



「このあたしの鬱憤晴らしの生贄になるがいいわ、フフフ……」



 そんな風に一人でおどけてみせながら、選り取り見取りの雑草たちを品定めしていると一つの花壇が目に入って足が止まる。


 雑草や隣の植木から伸びた葉で埋め尽くされた花壇。



(あの時も――)



 荒れた花壇を一人で何とかしようとしてるあの子に声をかけたんだっけ。


 それがあたしたちの始まり。



 その花壇の方へ近づいて同じ距離で止まる。



「あんたなにしてんの?」



 誰も振り向かない。


 ここには誰も居ないんだから当たり前だけど。



 胸に寂しさが過って思わず俯くと、花に気が付く。


 雑草に埋もれた花壇の中に一つの小さな花。



 花壇の前にしゃがみこんで、周囲の葉や雑草を避けてその花を見下ろした。



 名前はわかんない、薄いピンクのちっちゃなお花。



(愛苗に聞いたらわかるかな……?)



 話のタネにと、その花をスマホでパシャリ。



 そのまましゃがんだままでボーっとお花を見る。



『――お前もぶち撒けてみたらどうだ?』



 すると、呼んでもないのに、思い出してもないのに、ムカつく声が頭の中で勝手に聴こえてきた気がした。



『今までやってきたことを全て捨ててしまってでも――』



 手が勝手に動き出す。



 雑草を毟って、枝を折って、花の周囲を綺麗にしていく。



 花だから。


 雑草だから。


 伸び過ぎだから。



 なんて独善的で身勝手なんだろう。


 でも――



『そうして開き直ってみたら、もしかしたら――』


「――うっさい」



 パンパンっと手を叩いて土を落とす。


 小さな花の周囲はすっきりとして、まるでこの花のためだけの花壇であるかのように為り変わった。



 本当はわかってる。



 何をすればいいか。


 何をしなきゃいけないのか。



 最悪の場合、それしかなくって。


 その最悪の時はたぶん近くて。


 もしかしたら、もうその時なのかもしれない。



 本当に一切の形振りを構わなければ。


 そうすればきっと――



『――当然、運がよければだがな』


「……うっさい、つってんじゃん。ばか」



 見つめる先へ土で汚れた指を伸ばす。



「あんた、なにしてんの……?」



 小さな薄ピンクの花びらにチョンって人差し指で触れた。



 一瞬表情が歪みそうになり、歯を食いしばってそれに耐える。


 そして勢い任せに立ち上がった。



「さて、このへんパパっとキレイにしちゃうか」



 自分にそう命令をして身体を動かす。



「終わったらシャワーしよ。昨夜あのまま寝ちゃったし……」



 確かあっちの方に道具小屋があったはずよね。


 前に来た時の記憶を思い出しながら、昨夜の記憶を追い出していく。



「オマエがなにしてんだよ。ばか七海……」



 身体を動かす。










 希咲 七海がそう自罰を口にした時、屋敷の食堂のテーブルには誰も居なくなっていた。



 最後にそこに座っていたマリア=リィーゼは窓際に立っている。



 カーテンを僅かにずらして彼女は外を覗いていた。


 そこから見えるのは屋敷の玄関口から門まで繋がる並木道。



 その道にしゃがんでいた希咲が立ち上がって歩き出した。その姿を目に映してマリア=リィーゼは睫毛を震わせる。


 そして物憂げな顔で踵を返した。



 食堂のテーブルへは戻らず、二階の自室へ向かうために階段を昇り始める。



――と、思ったら何段か上がったところで引き返してくると、足早に食堂へと向かった。



 テーブルまで行って、先程まで自分で使っていたティカップとソーサーを持ってキッチンへと移動する。


 そして、流しにそれらを入れると水道のレバーを下ろしてジャーッと水を入れた。



「ふぅっ」っとかいてもいない汗を拭い、「うんうん」と頷く。


 ここまではお片付けをしないと、七海ママに叱られてしまうのだ。



 それからマリア=リィーゼはスンっと表情を戻し、物憂げな顔をしながらまた二階への階段を上がっていった。



 どれだけ言っても何も出来るようになろうとしないと、七海ママはそのように嘆いていたが、一応度々口煩く注意をしてきた成果は少しはあったようだ。


 マリア=リィーゼ様も少しは成長をしている。



 しかし、ちゃんと最後まで食器洗いが出来るようになるまでは、まだあと何年かかかるかもしれない。










 いっぱいがんばって



 でもあしははやくならなくって



 なのにまえよりもすぐにつかれちゃうようになって












「――ギャハハハッ! 授業とかマジダリィよな……!」



 美景台学園。


 正門と校舎を繋ぐ桜並木の物陰で、そんな下品な笑い声が響く。



 もうとっくにHRが始まっている時間だが、そこには数名の男子生徒が居た。



 彼らは今年入学したばかりの一年生ヤンキーだ。



 この学園の不良生徒たちのサボリ場といえば、部室棟の方の校舎と校舎の隙間などが定番だ。


 しかし、あちらは恐い先輩たちがいっぱいいるので一年坊主たちはこんな場所でHRをフケて不良活動に勤しんでいた。



「オ~ゥ、オメェらァ……」


「――だ、だれだ……⁉」



 そんな彼らへ声をかけて近づく者たちが居た。



 バッと振り向いた一年生たちの視線の先、桜の木の向こうからやけに大物ぶった仕草でユラァっと現れたのは上級生たちだ。


 モっちゃん軍団のメンバーであるサトル君とタケシ君であった。


 ポッケに手を突っ込んでヨタヨタと歩いてくる。



「テメェら1年のくせになにサボってんだよ」


「上等か? 上等なんか? オォォン?」


「オイオイ、よせよサトル。一年坊がビビっちまうだろ」



 チャリチェーンをヒュンヒュンさせて下級生を威嚇するサトル君を彼の仲間が宥めた。



「ヤ、ヤベェよ、コイツら二年だ……ッ」



 今月高校に入学したばかりの幼気なクソガキたちは上級生のお兄さんたちに怯える。



「フン……」



 しかし、中にはイキのいいクソガキもいる。



「二年だからってチョーシこいてんなよ?」


「アァ?」


「パー坊くん……っ!」



 反抗的な態度の一年生に二年生たちは気色ばむ。



「たった1年先に生まれただけでエラそうにすんなよ」


「テメェ、一年のくせにナメたクチきくなよ⁉」


「パ、パー坊くんはなァ、パトカー燃やしたことあんだぜ!」


「な、なんだとォ……⁉ テメェ、ポリ公上等なんか……⁉」



 パー坊くんは、中学時代にヤンチャが過ぎてパトカーを盗んで運転をしたら無事に事故って炎上させてしまったことのある、“ダイコー”不良界隈期待の新星だ。


 頭がパーなことで有名なクソガキである。



「――なに騒いでだよオマエら」


「モっちゃん!」



 ナマイキな一年生のダメ武勇伝に二年生三人組が慄いていると心強い助っ人が現れる。


 彼らのリーダーであるモっちゃんだ。



「モっちゃん、コイツよぉパトカー爆発させたとかフカしてんだよ」


「アァ?」



 モっちゃんがジロリと目を向けると一年生たちは僅かにたじろいだ。



「一年のくせにナマイキでオレらに上等くれやがったんだ」


「へェ?」


「し、知ってんだぞ……!」


「ア?」



 キッと強気な目を返す一年はモっちゃんへ上等をこく。



「アンタ佐川センパイだろ? アンタらどこにも入ってねェんだってな?」


「なにが言いてェんだ?」


「オ、オレら佐城さんトコ入れてもらったんだ……!」

「そうだ!」

「このガッコは佐城さんがシメてんだろ……!」



 一年坊たちは、虎の威を借りて口々にピ-チクパーチクと鳴き声をあげた。



「オレら佐城派だからよォ……!」

「二年だからってウエだと思うなよ⁉」



 完全にマウントをとれたと俄然調子づき始めるが、



「フ……」



 モっちゃんは余裕の態度だった。



「な、なんだよ……⁉」

「テメェ、佐城さんナメてんのか……⁉」



 その様子に不気味さを感じて一年たちは若干腰が引ける。


 モっちゃんだけじゃなく、彼の仲間たちもニタニタと笑みを浮かべていた。



「なにがおかしいってんだ⁉」


「いや? なにって言われてもボクの口からは……」


「アァ⁉ ビビってんのかテメェ⁉」


「ふぅ……、仕方ないなぁ。言ってやってくれたまえよ、サトル君」


「オォ!」



 モっちゃんに催促されサトル君は一歩前に出る。



「ヨォ、一年坊どもォ……。鼻タレのオメェらでもスカルズは知ってんよなァ……?」



 サトル君の問いに一年生たちはお互いの顔を見合わせた。



「知ってるもなにも……」

「そんなもんジョーシキだろ?」


「じゃあよ、オメェら“RAIZIN”も知ってんよなァ?」


「バカにすんなよ! スカルズの中の喧嘩最強チームだろ?」

「オレらパンピーだとでも思ってんのか⁉」



 これは話が早いとサトル君は満足げに頷く。



「ならよ、その“RAIZN”の瀬能 盾兵って男も知ってるか? コゾウども」


「あ? 瀬能……?」

「“カゲニシ”の人だろ?」

「クソ強ェってウワサだよな」

「ま、まさか……、アンタら“RAIZIN”に入ったのか……⁉」



 知らずの内に“R.E.Dレッド SKULLSスカルズ”に喧嘩を売ってしまったのではと一年生たちは震え始めた。



「ハッ、ちげえよ」


「ア?」

「じゃ、じゃあ、ライジンだの瀬能だの、なんだってんだよ……⁉」



 しかし、それは勘違いだったものの、不穏な空気に焦り始める。


 サトルくんはニタリと嗤った。



「ライジンなんぞ、入るまでもねェよ」


「ど、どういうイミだ……⁉」


「オメェら、チビんなよ?」


「な、なんだコラァ……!」


「このモっちゃんはな、そのライジンの瀬能にタイマンで勝ったんだぜ?」


「「「「なななな、なんだってぇーーーっ⁉」」」」



 衝撃の内容に一年生たちはビックリ仰天した。



「や、やべぇ……、やべぇよ……!」



 そしてすかさずビビリ始める。



「ウ、ウソだ……!」



 しかしパー坊くんだけはまだ反抗的だった。



「ウソなんかじゃねェよ。つい昨日の話だぜ」


「で、でもよ、パー坊くん」


「なんだよ⁉」


「そういえば昨日駅前でスカルズが派手にモメてたって……」


「え?」


「なんでも、ウチの制服着たヤツがスカルズの兵隊ボコりまくってたって今朝聞いたぜ……!」


「マ、マじかよ……」



 呆然とした目を彼らはモっちゃんへと向ける。


 ちなみにその噂になっているのは“はなまる通り”で暴れていた高杉君のことである。


 しかし、そんなことは知らない彼らは勝手に勘違いをし、この街を仕切る不良チームの中心人物の一人にタイマンで勝ったという目の前の先輩にビビリ散らかした。



 モっちゃんは余裕の態度でビッとリーゼントの横髪を流してキメた。



「テメェら、ライジンをブっ倒したこのオレと――ヤんのか?」


「ひ、ひぃぃーーっ⁉」



 恐れ戦いた一年坊たちは一目散に逃げだした。



「フッ、一年なんてカワイイもんだぜ……」


「……あっ⁉ モっちゃんアブねえぞ⁉」


「えっ――」



 目を閉じてチョーシこいていたモっちゃんに走ってきた人影がぶつかる。


 モっちゃんの腹にドンっと衝撃が走った。



「――なななな、なんだコラァッ⁉ ややややや、やんのかオラァッ⁉」



 逃げたフリして奇襲をしかけられたのかとモっちゃんは焦り、威嚇の鳴き声を上げるが――



「――あれっ……?」



 ぶつかってきた人物に目を向けると思っていたような者ではなかった。


 今自分の胸辺りに頭を押し付けているのは女子の制服を着た背の小さな女の子だった。



 その女の子の肩が震えている。



「うっ、うわあぁぁーーっ! モっちゃんが女子泣かしたぁーっ⁉」


「バッ、ババババカちげェよ……!」



 途端に騒ぎ出したサトルくんの言葉に、モッちゃんは今度は別の意味で焦り始める。



「お、おい? オマエ大丈夫か……?」



 このままではマズイと、顔を俯けたままのその子へ声をかけた。



「ご、ごめんな……、あ……、モっちゃんく……」


「え……?」



 そこでようやくこちらを見上げたその子の顔が見える。


 思いもしない人物でモっちゃんは驚きに目を開いた。



 モっちゃんにぶつかってきたのは水無瀬 愛苗だった。


 教室から逃げ出してきた後、上履きを履いたままで無我夢中で外まで走ってきたようだった。



「お、おぉ……、カワイイなその子……」

「モっちゃん女子の友達いたのかよ」

「ま、まさか、カノジョじゃねェよな……⁉」



 すると仲間たちが好き好きに口を開く。



 その言葉を聞いた水無瀬の顔が歪む。


 すでに泣いていた彼女は一層に悲しみを表情に表した。



 その様子を見てモっちゃんはガリガリと頭を掻く。


 そして咎める目を仲間たちへと向けた。



「オイ、オマエら好き勝手言ってんなよ」


「あ、ワリィ、モっちゃん」


「オマエらよどうしたんだ? なにワケわかんねェこと言ってんだよ? つか、昨日も路地裏でスカルズとケンカしてた時に同じようなこと言ってたよな?」


「え?」



 怪訝そうな顔をするモっちゃんにサトル君たちは首を傾げる。



 それとは真逆にバッと顔を上げて、水無瀬は期待をこめた瞳でモっちゃんの顔を見た。



(モっちゃんくん……、まさか私のこと覚えて――)



「――オレに女子の友達なんかいるわけねェだろ?」



 しかしその期待はすぐに悲愴に穴を空けられ一瞬で萎む。



「オマエらが変なこと言うからこの子怯えて泣いちまってんじゃ――って⁉」



 言いながら水無瀬の顔を見たモっちゃんの顔が固まる。



 ボロボロと大粒の涙が、彼女の目から零れていた。



「わ、わたし……っ」


「えっ⁉ あ……、ど、どうした……⁉」


「わたし……、みなせ……、モっちゃんくんの……っ」


「え、えっと、なんで……、つか、なんでオレの名前……」


「おとも……、わたし……っ、ひぐっ……おともだち……っ」


「え……?」



 嗚咽で上手く言葉が出てこない女の子の様子にモっちゃんは焦る。


 しかし、なにかを訴えかけてくるその瞳に困惑を浮かべた。



「わ、わたし……、ぅぇ……っ」


「お、おい……」


「……ごめんなさい……っ!」


「あ、おい……!」



 水無瀬は走り出す。



 彼らの――昨日友達になった彼らの自分を見る目に耐え切れなくなったのだ。


 まるで知らない人を見るかのような目が。


 かなしくって。












 またすこしおっきくなって


 みんなとかけっこして



 みんなはもっとあしがはやくなって


 わたしはやっぱりぜんぜんできなくって



 わたしをまってると、みんなは“や”なかおになっちゃって


 おともだちじゃなくなっちゃうのは“や”だから


 いっしょにあそぶのがまんして


 わたしはひとりでがんばった



 いっしょにあそべなくなったら


 みんなわたしのことわすれちゃって



 おともだちじゃなくなっちゃった








 水無瀬は正門へ走る。



 高校生になって昔よりは速く上手に長く走れるようになった。



 その速くなった足で友達から離れる。



 背を向けて逃げる。



 彼女は正門を抜けて学園の外へと出て行ってしまった。










 2年B組教室。



 HRが終わり、もうすぐで一限目の授業が始まる。



 弥堂 優輝は窓の外を見ていた。



 眼を向けていても心にはなにも映らない。



 目的のない視線の先には何も視えない。



 窓の外へ眼を向ければいつもなら障害になるはずのモノがない。



 自身の左隣の窓際の座席。



 その席に座るモノの姿がない。



 誰の記憶からも消え、心からも消えた。



 だから見えない。



 だが、まだ。



 弥堂の記憶からも心からも彼女は消えていない。



 だから、何かをするべきなのだろうか。



 ならば、何かをしなければならないのだろうか。



 だけど、やはり理由が足りなかった。



 だから、窓の外を見続けていた。

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