1章60 『4月24日』 ②


 おともだちがだいすきで


 みんなが「えへへー」ってわらってくれて


 わたしも「えへへー」ってわらった


 みんなでいっしょにあそんだ



 かけっこしたり


 かくれんぼしたり


 ボールなげしたり


 みんなでいっしょにあそんだ



 おかあさんといっしょに「ただいまー」ってして


 おとうさんが「おかえりー」っていった


 みんなでいっしょにごはんをたべた



 おとうさんが「おともだちすき?」っていって


 わたしは「なかよし」っていった


 おかあさんが「よかったね」っていって


 わたしは「えへへー」ってわらった



 おふとんにはいったらねむくなって


 あしたまた「いってきます」したら


 またおともだちとあそびたいなっておもって


 わたしはめをつむった










「――いってきまーす!」


「あーい」



 朝食を終えたみらいが席を立って、そう声をあげながら食堂の出口へ向かう。


 あたしはそれにおざなりに返事をした。



「オイ、皿くれぇ片付けてけよ。あと勝手に行くな」


「えー? 蛮くん束縛うざいです」


「キメェこと言うなや。今日はオレがオマエを監視するって言っただろ」



 食堂の入り口で振り返って不満顔をするみらいに言い返しながら、蛮も席を立つ。



「あー、いいわよ。そのまま置いといて。あたしがやるし。ありがと」


「そうか? ワリィな」


「ん」



 カチャカチャと音を鳴らして、自分の使い終わった食器にみらいの食器を重ねる蛮の作業を肩代わりしてあげる。


 あたしの分のお皿を二人の物と重ねて持って席を立った。



 キッチンに入って洗い場へ行く。


 シンクの中にお皿を置いて水を出す。



 蛇口から落ちた水が白いお皿に塗られた色に穴を空ける。


 水が流れて穴は拡がって、やがて食べた痕を消してしまう。



 こんな場所にしてはしっかりとした水圧でお皿を真っ白に戻してしまう。


 まるで何もなかったかのように。



 お皿の中心を人差し指で撫でる。


 指には油がついた。



 何もなかったように見えたとしても、ちゃんと残っている。




「――残りの食器ここに置くね?」


「ひゃっ――⁉ え……? あ、ありがと……」



 いつの間にか近くにいた聖人に話しかけられて、カッコ悪い声を出してしまう。


 今のはダサすぎるからなかったことにして表情を繕った。



「これでもう全部だから」


「ん。さんきゅ」


「洗い物手伝おうか?」



 胸の奥に刺さった棘が震える。



「んーん。だいじょぶ」


「そう?」


「ん。あんたもこれから忙しいでしょ? もう出掛けちゃいなさいよ」


「うん。わかった。じゃあ行ってくるね」


「ん。ありがと」



 自分の口から出た声に、自分で薄ら寒さを感じた。


 聖人が持ってきた食器に水を落として、その音で頭の中を埋める。



「テーブルは拭いておいた。布巾を置いておくぞ」


「ありがと、真刀錵」


「では私も行ってくる」


「ん。がんばってね」



 蛇口から零れる水を布巾で受け止めて、布で水をグチャグチャに掻き回した。



(サイテー……)



 あたしはサイテーだ。



『ありがとう』って言ったのも嘘じゃないし、ちゃんと『ありがとう』って思った。


 でもそれと同時に、裏側で、感じてしまった。



 仕事をとらないで欲しいって――




 朝食が終わってこれからあたし以外のみんなは昨日みたいにまた島中に散って、ここに来た目的を果たすために必要な作業を始める。


 でも、あたしだけはこのお屋敷に残って連絡の中継係をしながら家事をする。



 別に家事が嫌いなわけじゃない。


 ただ、旅行先での最低限の家事に過ぎないのですぐに終わってしまって、その後は何もトラブルが起きない限りは多分手持無沙汰になっちゃう。



 やることがないと、考えてしまう。


 考えても解決しないことを。



 今はそれがちょっとイヤで。


 だから少しでも多くやらなきゃいけない仕事が欲しかった。


 なんてワガママな女なんだろう。



 自分で自分のことやって他の子の分までやってくれようとした蛮と、やってくれた聖人、片付けの手伝いをしてくれた真刀錵。


 三人に「ありがとう」と口では言いながら、心の中では『うざい』とか感じて。


 自分で自分のことも何にもしないで行っちゃったみらいには、いつもは口煩くお説教するくせに今日は『ありがとう』と感じる。



 なんてイヤな女なんだろ。



(てゆーか、あの子……)



 いつもは自分の使ったお箸やスプーンにフォークくらいは必ず自分で片付けるあの子が、今日に限って何一つしなかったのは多分あたしのこんな心の中を見透かしたからだ。


『ありがとう』って感じたのは間違いないけど、やっぱ『ナマイキ』って思う。


 なんてメンドくさい女なんだろう。



 こんなのはダメだ。



 誰かに何かをしてもらったら「ありがとう」って言って、相手にも同じだけのことかそれ以上のことをお返ししてあげる。


 そうじゃなきゃ愛苗に嫌われちゃう。



 それに、こんなんじゃアイツにももう『女の子にメンドイって言うな!』ってお説教出来ないし、こんなんだから多分アイツに切られちゃったんだ――



 そこまで考えてハッと顔を上げる。



 何処か遠くに聴こえていた水の音が一気に近くになった。



「今のナシ……」



 つい口に出してしまって、多分眉間に出来てしまってるであろう皺を指で伸ばす。


 それからスポンジと洗剤を手に取った。



 水に晒した食器から洗っていく。


 お皿にスポンジを滑らせると油の痕が消える。


 すぐに泡を水で流して、お皿の表面をまた指で撫でる。



 このお屋敷に置いてあった洗剤で普段使うものと違うけどなかなか悪くない。


「うんうん」と頷いて合格点をあげる。



 それから他の食器をスポンジで擦る。


 先に全部の食器を泡だらけにしてから、最後にまとめて水で流す。



 流しっぱなしの水道の水がジャバジャバとシンクを打って音を鳴らしていた。


 一回止めなきゃと思って、蛇口のレバーを一番下まで下ろす。


 最大まで勢いを増した水がシンクで撥ねてあたしの頬を濡らした。



 頬についた水滴をスポンジを持った方の手の甲で拭う。


 あ、今ゼッタイ泡ついた。


 ベツにいいや。



 今はこの音を聴いていたくて。



 頭の中で色んなことがガチャガチャと散らかる。


 あれもこれも全部この水に流れてしまえばいいのに。



 消えて欲しくないはずなのに、消えて欲しいとも願う。


 もうわけわかんない。



 油断すると手が止まって流れ落ちる水を見つめてしまう。


 これじゃよくないとまた手を動かす。



 あたしがこうなってるのはアイツのせい。


 昨夜のアイツとの電話のせい。



 こんなんじゃもうアイツに「メンヘラじゃないから!」なんて言えなくなっちゃう。



 あの電話の後、どうしたらいいかって蛮とみらいに相談した。


 今すぐここで出来ることはないし、考え過ぎてもよくないって言われて、あたしもそれに納得した。



 だから、こんなザマじゃダメ。


 でも、どうしても考えちゃう。



 だから昨夜の話をもう一回ちゃんと思い出す。



 流れ落ちる水を見つめて、その向こう側にその時の光景を写す。













 4月23日 夜




「――どう思う?」



 自室のベッドに座って、向かいに居る紅月 望莱あかつき みらい蛭子 蛮ひるこ ばん希咲 七海きさき ななみは問いかけた。



 弥堂 優輝に一方的に通話を切られた後、すぐに掛け直してしばらくコールを鳴らし続けたが一向に彼が通話に出る気配がないので、慌てて希咲は入浴も済ませずに浴室から自分に割り当てられた寝室まで戻った。


 そしてそこにまだ入り浸っていた望莱を捕まえ、もう寝る準備をしていた蛭子を電話で呼びつけ、弥堂から聞いた話を報告したのである。



「どうって、なぁ……」



 その話を聞いた蛭子は腕と足を組んだまま腰掛けた椅子の前足を浮かせて背もたれに体重をかける。


 難解そうに眉間に力がこもると、ギシっと椅子が音を鳴らした。



 すぐに答えが出てこないのは希咲にもよくわかるので、彼が考えている間にローテーブルの上にペタンと女の子座りしている望莱へ視線を向ける。


 非常にお行儀が悪かったが、今は非常時なのでとりあえず不問とし、後でお尻をぶつことにする。



 望莱は余所見をしていて目線を向けた希咲とは目が合わなかった。


 彼女はどうもこちらのお尻あたりを見ているようだ。



 なんだろと思って其処へ目を遣ると、お尻の横には充電ケーブルに繋がった画面が点いたままの希咲のスマホがある。



『いみわかんない』と思って目線を望莱へ戻したら今度は彼女と目が合った。


 みらいさんはニコッと笑い、特に何も言わなかった。


 ムッと眉を寄せた希咲が何か文句を言ってやろうとすると、その前に熟考していた蛭子が口を開いた。




「――ワリィ、わかんねえわ」



 考えたわりに何も出てこなかったようだが、そんなことを言えた立場ではないので、希咲も困ったように眉を下げて彼へ言葉を返す。



「あんたでも知らないこと?」


「あー……、『魂の設計図アニマグラム』に『存在の強度』、それから……なんだっけか?」


「『影響力』ですよ。蛮くん」


「あー、サンキュ。聞いたことねェな……」


「そっか……。みらいは?」



 人差し指を立てて蛭子へ補足をしたまま満足げな顔をしていた望莱へ話を振る。



「うーん……、知っているか知らないかで言うと知りませんね。わたしも聞いたことありません」


「そう……、どう思う?」



 話は進まず最初の問いに戻ってしまう。


 少し考えてから蛭子が話しだす。



「……オレらが知らなかったとしても他の宗教体系――例えば仏教だったり密教だったりキリスト教……、他にもいっぱいあるが、それらは意外と似通った部分がある」


「そうなの?」

「所詮はどれも人間が考えたことですからね」



 不敬な発言をした望莱を一度ジッと睨んでから蛭子は続ける。



「それぞれの宗教ごとに教えや信仰があって技術がある。祭事とかの儀式だったり、陰陽術、魔術、祈祷術などの術式。それぞれの宗教でカタチは異なるが、それらの原理は大体一緒だ。殴るか蹴るか、そんな流派の違い程度でしかない」


「そういや、信仰とかマナー? 割と似てるとこがあるって昨日言ってたわね」


「そうだな。だが、その弥堂が言ってた話はなんか全然違うようにオレには聞こえちまう」


「宗教じゃないってこと?」


「うーん……、わっかんねぇんだが、なんか概念がオレには受け入れがたいっつーか……」


「え? ごめん、あたしそれも全然わかんない」


「なんっつったらいいか……、オイ」



 説明に窮した蛭子は横でニコニコしていた天才さまへバトンを投げつけた。


 それを受け取ったみらいさんはコクリと頷く。



「はい。多分蛮くんが違和感を感じるのは、弥堂先輩のお話が宗教的な概念とは在り方や考え方が異なるからですね」


「ゔっ……⁉ なんかむつかしい話……?」


「いえいえ。蛮くんはパッと聞いて弥堂先輩のお話を宗教的なものとして受け止めたようですが、私はスピリチュアルなものよりもむしろ、この世の真理を解き明かす科学的なお話だと解釈しました」


「科学かァ……? あれが?」


「まぁ、哲学と言ってもいいんですけど、あれが実際に現実で活きている仕組みだと前提して科学と言いました」



 望莱は二人へ自分の考察を説明する。



「まず、蛮くんが例に出した実在の宗教って、身も蓋もない言い方をすると、人間が人間の為に創り出したモノじゃないですか?」


「……ノーコメントだ」


「結構雑に話しますけど、今よりもずっと大昔は宗教で教育・道徳・法律などを一手に担っていたわけじゃないですか? ローカルな風習や言い伝えから国教みたいな大きなものまで」


「う、うん……」


「人とはどう在るべきか、人とはどう成るべきか、人は何をしてはいけないか。そういった指針を示し、律し、罰し。そうやって人間が人間を管理する為の仕組みだったわけです」


「ちょっと悪意的すぎない?」


「そうですか? あんな昔によくこんな出来のいい集金システムを作ったなぁってわたしは褒めてるつもりなんですけど」


「オマエの言い方が最悪なんだよ」


「だってだって、人は清貧を尊ぶべし! とか言って、支配者が贅を貪ってるのに貧しい民は喜んで財を差し出すし、おまけにタダで労働力になってくれたりするんですよ? 最高です」


「あんたわざとヤな言い方してんでしょ!」



 二人に咎める目を向けられ、みらいさんは嬉しそうに笑う。



「ともかく、そんなヤな仕組みなのに何故多くの民衆が従ったかというと、そうすることで自分が救われると信じたからです」


「まぁ、宗教って大体そうだもんね。悪いことしたら神さまに怒られちゃうし、いいことしたら認められて救われますよーって」


「ですね。言い回しの部分で本職の方々に怒られちゃいそうですが、基本的に人間って現金なもので、そしてそれは人間の行動原理としてとても正しいです。自分の為に自分が得をすることをする。そうしたら自分は幸せになれる。真理です」


「なんか言い方が鼻につくんだよな……」


「今の世で言うと、お金があればあるだけ幸せになれる確率が上がりますよーって教えを信じて誰もが資本主義という宗教にドハマりです。かくいうこのみらいちゃんも資本主義の狂信者ですが」


「聞いてないし。てか、知ってるし」


「で? それがなんなんだ? またマウントとりたかっただけじゃねェだろうな?」


「もちろん違います」



 一つ呼吸を置いて望莱は声のトーンを少し真面目なものに変えた。



「言いたかったのは宗教は人間の為のもの。神の為のものではないということです。これはいいですね?」


「ノーコメントだ」


「各宗教の教えになっている逸話や物語って大抵視点が人間になってるじゃないですか? 人間主観なんですよね」


「神話とか聖書とか?」


「はい。その中で神さまが人間にこんないいことをしてくれました。こうすると神さまが喜んで人間にご褒美をくれました的な。だからみんなもこうしましょうねって」


「雑すぎんだろ」

「でもさ、罰を与えられちゃったり、たまに理不尽にひどい目にあわされちゃったお話とかもあるじゃん?」


「はい。罰を与えられるのは人間にやってはいけないことを規制するため。理不尽系は災害とかとの向き合い方とか、そういうものだとわたしは受け止めています。それも立派な教えですよね?」


「なるほど……」



 望莱は二人の顔色を見て、異論がないことを確認して先に進める。



「対して、弥堂先輩のお話って、これ人間が主観じゃないですよね? えーっと、『世界』……でしたっけ?」


「うん。なんか聞いてて神さまのことを指してるようなニュアンスで『世界』って言ってた。『世界』が許すとか、許さないとか」


「ふぅん……、『世界』は人間のことなんか関知してない、ですよね?」


「そう言ってた。あたしが神さまだとしたら、人間なんてあたしの身体に流れる血の一滴みたいなもんだってさ」


「血はわりと重要じゃねェか?」


「多分ただの例えですね。細胞の一個って言ってもよかったのかもしれないです。なんなら蛮くんのスネ毛でもいいでしょう。スネ毛が全部なくなっても蛮くんは別に困りませんよね? もしかしたら嬉しいかもしれません」


「いや、全部なくなったら体育の時とかちょっと恥ずくね? むしろスネ毛がなくなって喜ぶのはオマエらだろ?」


「は? そんなもんないし」

「セクハラで訴えますよ?」


「ク、クソが……!」



 軽い気持ちで軽口に軽口で返したら、とんでもない重厚感の軽蔑と怒りを女子たちから向けられ、蛭子は男女差別の理不尽さに震えた。


 人は平等であるべきと神様は仰ったが、女子へは特別に配慮するようにとは言及がなかったのだ。



「で、でもよ、自然を崇拝する宗教とかとちょっと似てね?」


「うーん、でもやっぱり人間の視点がないんですよね。自然崇拝って大概『神様といっしょ!』って感じで、自然の恵みは神さまのおかげってことで感謝したり、日照りが続くと神の怒りだーとかってなるじゃないですか? 絶対に神と人間の関係性があるんですよ」


「なんなんだろね……」


「明確な違いとして、救いがないんです。罰もない。勝手に『世界』の中に生まれ落ちちゃっただけ。ひどく見放された感じがします。これは人間が考えた考え方じゃないですよ」


「でも、そうね。すごく諦めた感じっていうか、冷たい感じで言ってた」


「まぁ、あくまでわたしの印象です。直接聞かないとこれ以上はわかりませんね」



 一度会話が切れて三人で「う~ん」と唸る。



「考えてもしょうがないですし、実質的な話にいきましょうか」


「存在の強度と影響力……?」


「そんなもん聞いたことねェがな……。才能とも違うんだよな?」


「うん、なんだっけかな……、たとえば頭がいいとか戦いが強いって才能があっても、存在の強度が低いとダメとか」


「う~ん、オレらの業界、基本的に才能至上主義だしなぁ。才能は血統に依存するってのも未だに濃厚だし……」


「あんたたちの業界とはまったく違うのかしらね……」


「オレには眉唾に聞こえちまうな」



 希咲と蛭子の視線が自然と望莱へと向いた。



「わたしは面白い考え方だと思いました。インフルエンサーみたいな」


「な、なんかいきなりカジュアルというか、俗物的になったわね……」


「そうですか? 我ながら言い得て妙だと自画自賛です。今まで無名な人がすごい影響を持つじゃないですか? 血統なんか関係なく、頭が特別いいわけでもなかったりするし、中には只管滅茶苦茶なことをしているだけの人もいます。才能に左右されず強い影響力を持ちます」


「運がいいだけのヤツもいるだろ?」


「その運は運命とも言い換えられます。逆にどれだけ頭がよくても、どれだけ正しいことを言っていても、正解と謂われる方法論を用いても其処まで行けない人もいますよね?」


「それは運が悪いんじゃねェのか?」


「はい。でも、そういう人たちの失敗談を聞いていると、たまに何でそれで失敗しちゃったんだろうって不思議に思うことがあるんですよね。方法としては正しいと思えるのに。でも明確な理由がないのに失敗した。偶々不運が重なったりして失敗した。つまり、運が悪い。それって存在の強度が低いってことなんじゃないんですか? だから何を以てしても影響力がない」


「そういえば……、アイツよく『運がよかった』とか『運が悪かった』とかって言ってたかも」


「お、どうやらわりとイイ線いってそうですね。さすがみらいちゃんです。これは存在の強度バッキバキに違いありません。めっちゃ出てます。影響力。ぶしゃぁーって」


「汚いわね。でも、アイツ言ってた。あんたと聖人はそれが強いって」


「へぇ」



 希咲の補足に望莱は興味深げに感嘆する。



「ちょっと一度先輩に詳しく聞いてみたいですね。わたし興味もちました」


「やめてよ。アイツとあんた二人にしたら事件起こしそう」


「七海ちゃんも一緒に来ればいいじゃないですか」


「やーよ。絶対あんたたち二人であたしに攻撃してくんじゃん」


「えー?」


「話それてんぞ、オマエら」


「おっと」



 蛭子の指摘に希咲は居住まいを正した。



「あとは、アニマグラム、だっけか?」


「うん。アニマグラム。魂の設計図……」


「人は生まれながらにその設計図で存在を定められている。そんな感じですか?」


「え? うん。よくわかったわね」


「わたしちょっと掴めてきました」


「……オマエそういうとこマジで天才だよな。引くわ。俺はこっちの業界で価値観固まっちまってて、ちょっとキツイわ。どうしても頭っから否定で入っちまう」


「じゃあ、やっぱり陰陽とか他のそういうのとも違うんだ」


「一応京子みやこにも聞いてみる。オレが知らないだけって可能性はある。アイツはそっちのオタクだから、アイツが知らなかったらマジで存在しねェ概念だ」


「そっか……」


「ちなみにオマエの勘は?」


「……ウソじゃないって思った」


「嘘じゃないってのがミソですよね。弥堂先輩が電波受信しちゃってるだけの可能性もありますし」


「あんたはどう思う?」


「う~ん……」



 希咲の問いに、望莱は一度宙空に視線を彷徨わせ思案する。



「少し話を戻しますね?」


「え? うん」


「さっき兄さんとわたしの存在の強度? 魂の格? みたいなのが高いって言ってたじゃないですか?」


「うん。アイツが言ってた」


「他には?」


「え?」


「他の人のことまで言ってませんでした?」


「あっ……、言ってた」


「それを聞かせてください」



 真剣な目を向けてくる望莱に若干気圧され、希咲は慌てて記憶を整理する。



「えっと、まずあんたと聖人が一番上、どっちのが上かまでは言わなかった。そんで次がリィゼで、その次があたし、それから蛮と真刀錵って……」


「オ、オイ……!」

「へぇ……、それはそれは……」



 その答えに蛭子は明らかに顔色を変えて、望莱は嗜虐的に哂った。



「あたしもビックリした……これって――」


「――合ってますよね。わたしたちの序列」

「マ、マジかよ……っ」



 否定的だと公言していた蛭子も一気に信憑性を感じた。



「わたし的には七海ちゃんよりリィゼちゃんのが上なのが若干、いえ大分気に入りませんが。ちなみにわたし番付では七海ちゃんがぶっちぎりのトップです」


「うっさい。それただのあんたの好き嫌いじゃんか」


「トゥンク……、わたしの気持ち、知っててくれたんですね……?」


「あ、こら。あんた集中力切れてきてるでしょ? もうちょっとがんばって……!」



 目が死んできたみらいさんのお口にエナ汁を注入しながら希咲は彼女を励ます。


 それを見ないようにしながら蛭子が口を開いた。



「……まさか、マジの話なのか?」


「わかんない。でも信憑性はあるわよね……。愛苗の件に関するアイツの結論は、みらいや聖人よりも影響力の強いヤツのせいで、愛苗がこうなっちゃってる。そういう風に言ってた」


「…………」

「それってどうしようもねェってことか?」


「そうも言ってた。でも、どうにかしようとしたら、その誰かを捕まえるしかないわよね」


「…………」

「それが誰か、ってことか……」


「ねぇ、みらい」


「……なるほど。そういうことですか……」


「みらいってば!」


「えっ?」



 聴こえていない様子だった望莱に強めに声をかけると、彼女はキョトンとする。


 珍しい反応だった。



「あんたはどう思うって聞いたの」


「あぁ、すみません。エナ汁の後遺症で気が遠くなってました」


「それヤベエんじゃねェのか……?」


「ご心配は無用です。エナ汁は完璧な科学飲料です」


「それで? なにかわかることない?」


「…………」



 繰り返された問いに望莱はまた考える仕草を見せる。


 希咲はそれを訝しんだ。



 彼女はわからない時はわからないと言う。


 なんにせよ即答をしないというのは割と珍しい。



「あんたでも難しいことなんだ……」


「いいえ。いや……、そうですね……」



 彼女はまだ答えない。



「話をわけましょう」


「え?」



 そして答えないまま提案を持ち掛けてきた。



「とりあえず喫緊でわたしたちがどうするか。それと今回の話でわかったことです」


「あ、うん。いいけど……」



 自分がした質問の答えを濁されたことで希咲は少し釈然としないまま、彼女の提案を受け入れた。


 望莱は誤魔化すというよりは押し通すようにニッコリと笑った。



「まず、どうするか、ですが――」


「うん」



 言葉を置いて望莱は希咲のお尻の横を指差す。



「え? あたしのスマホ?」


「はい。まずはそれ止めましょう」


「アン? 止める?」



 何のことかわからずに蛭子は眉を顰める。


 しかし希咲には通じたようで、彼女は若干ばつの悪そうな顔をした。



「で、でも、だって……」


「そろそろやめといた方がいいですよ? 多分ドン引きされてます」


「オマエらなんの話してんだ?」


「わかったわよぅ……」



 蛭子を蚊帳の外に置いたまま、希咲は唇を尖らせながらスマホを手に取り、画面を操作して通話の発信をストップさせた。



「アン? 電話かけてたのか?」


「多分先輩に切られてからずっとですよね? これぞオニ電です」


「え……?」



 みらいさんは嬉しそうにニッコリと笑ったが、蛭子はサァーっと顔を青褪めさせた。



「だって、出ないんだもん……」


「んもぅ、七海ちゃんのメンヘラさん」


「ちがうし。あいつが勝手に切るのが悪いんだし」


「んま。なんたるメンヘラ仕草。男性の立場から見てどう思います? 蛮くん」


「……ノーコメントで」



 蛭子くんはそっと目を逸らし明確な回答を避けた。



「とりあえずブロックはされてないんですよね?」


「うん……」


「やりすぎると完全にシャットアウトされちゃうかもですから、とりあえずは電話もメッセも一旦ストップで」


「……わかった」


「まぁまぁ、そんなに落ち込まないでください」


「は? あんなヤツのことで落ち込むわけないし」


「でも意外ですよね。ブロックしてないのが」


「え?」



 望莱の指摘に希咲は目を丸くした。



「……そういえばそうね」


「変ですよね。あの人なら本当に関係を絶つつもりなら即ブロすると思うんですよ」


「七海にそんなことしたら、他の全員にブロックされて次の日からガッコで居場所なくしそうだから、オレなら恐くてできねェな……」


「んま。蛮くんのヘタレヤンキー。心配しなくても学園最強のヤンキーには最初から居場所なんてものはありません」


「うるせェんだよ!」


「あいつ、なんでブロックしないんだろ……」


「裏を返せば、彼の言葉どおりの完全な拒絶や断絶ではないと受け取れます」


「…………」


「ですが、迂闊なことをして切られてしまえば、いざという時に困ります。本当に必要な時のために今は我慢です」


「……わかった。ごめん」



 シュンとする希咲に、彼女を窘めたみらいさんはニッコリご満悦顏だ。



「で、実際どうする?」



 そして、蛭子の声でその顔を元に戻す。



「兎にも角にも、御影を急かしましょう」


「理事長を?」


「はい」



 希咲へ頷いてみせて望莱は言葉を続けた。



「水無瀬先輩のこと、わたしたちの敵のこと。それらに関係があろうがなかろうが、ここにいる間はわたしたちに出来ることはありません。よって、やることは変わりません」


「そんな――っ」


「落ち着いてください。だから御影を急がせるんです。彼女を学園に帰らせて、そして七海ちゃんは一人で美景に戻る。これが一番バランスのとれる対応です」


「あ、そっか……」


「ですが、それが無理な場合――」



 望莱の真剣な眼差しに希咲は喉を鳴らす。



「――最悪、兄さんと七海ちゃんで美景に戻るべきかもしれません」


「え?」

「オイ、みらい……っ!」



 椅子から立ち上がりかけた蛭子を望莱は手で制した。



「わかってます。今日決めたことを引っ繰り返すようなことだと」


「だったらなんで――」


「――話が変わりました」


「なんだと?」


「仮に弥堂先輩の言ったことが正しいとしましょう」



 彼女の放つ重い雰囲気に希咲も蛭子も呑まれる。



「水無瀬先輩のこととわたしたちの事情――これらが関係のないことだったとしても、見過ごせなくなったかもしれません」


「どうして……?」


「わたしはともかく、兄さん――紅月 聖人を上回る存在がいるかもしれない。直接わたしたちに攻撃しているわけじゃなくても、明らかに無害で友好的な存在じゃないですよね? これは野放しにはできません」


「そうか……」


「それにタイムリミットもあります。弥堂先輩の話ではいずれわたしたちも全員、水無瀬先輩のことを忘れてしまう。もしもそうなってしまったら、わたしたちはこの記憶がない状態でその謎の敵性存在に気が付くことから始めなければならない。これは明確に不利です」


「チッ……」



 希咲も蛭子も納得の姿勢を見せた。


 それに満足げに頷きながら望莱は結論を述べる。



「これはあくまで最悪の場合の最後の手段です。そして弥堂先輩の話が本当だという前提も必要」


「そうだな」

「うん」


「だから、まず最優先は何が何でも御影を学園へ戻す。そしてその成否が確定するまでは、絶対に兄さんにこのことを気付かせない」


「あぁ……」

「そうね。次は――」


「――はい。次に兄さんが帰ると言い出したらもう生半可じゃ止められません。ですから、覚悟だけはしておいてください。特に蛮くん」


「……わかったよ」

「うん……、あたしも」



 二人はそれぞれ胸に何かしらの決意を秘める。



「とりあえず方向性はこんな感じ?」


「はい。たぶん明日。明日の状況の動き方次第で決断を下さなければならないでしょう」


「明日……、弥堂……、あいつ……」


「明日には忘れるかも、でしたっけ? それもどうにか探らなければならないですね」


「そうね。そのためには、今オニ電してる場合じゃないわね」


「いや、オニ電はいつでもやめてやれよ……、こええよ……」


「女の子にはオニ電しなきゃならない時があるんです」

「そうよ。あいつが悪いんだから」


「……そうか」



 絶対に違うと思ったが、蛭子くんは自身の身の安全を考え口答えをしなかった。



「で、次のわかったことって?」


「え? あぁ、そんなことも言いましたね」


「飽きてるんじゃないわよ」


「いえいえ、そんなことないですよ。個人的にはこっちの方が興味あります」


「……オマエが興味もつとか、こええんだが」



 嫌そうな顔をする蛭子と、不安そうな顔の希咲へ微笑みかけて、望莱は口を開く。



「わかったこと。二つあります。というか、わからないこと、ですね」


「え?」

「どっちなんだよ」


「弥堂先輩の話を聞いて新たに出来た疑問です」



 得意げに笑って望莱は指を二本立てて見せた。



「まず、さっきの弥堂教の聖典ですが……」


「ちょっと! イヤな言葉作んないで!」


「えー? まぁ、ともかく。『魂の設計図アニマグラム』『存在の強度』『影響力』、恥ずかしながら寡聞にして知らない概念でしたが、これだけじゃないと思うんですよね」


「え?」


「少なくとも、これだけじゃ説明の出来ないモノがあるんです」


「そ、それって……?」


「それは――あぁ……っ」



 説明をしようとして、みらいさんはわざとらしく眉間を押さえながら身体をよろめかせる。



「ちょっと? どしたの?」


「……失礼。エナ汁が切れて気が遠のいてしまいました……」


「飲んでも切れても眩暈がすんのかよ……、やっぱそれヤバイ汁だろ……」


「七海ちゃん。もう一本頂けませんか?」


「え? いいけど……、あんたこれ飲み過ぎない方が……」


「まぁまぁ、あと一本だけ。いいだろ? かあちゃん」


「よっぱらいオヤジかあんたは! ちょっとまって……、はいっ」



 希咲はどこからともなくエナ汁の缶を取り出して望莱へ渡す。



「ありがとうございます」



 しかし、それを受け取った望莱は缶を開けることもなく、手で弄びながらニコニコと笑みを向けてくる。



「ん? 飲まないの? って、また開けらんないわけ? 貸して」


「はい」



 手を差し伸べる希咲へ望莱はそれを返した。



「あー……、やっぱそれいらないです」


「は?」


「もう一本飲んだら、おしっこが黄金の輝きを放ってしまいそうなのでやっぱやーめた、です」


「きたねえな……」

「そ? ヘンなの……」



 突然前言を翻した彼女を訝しみながら、希咲は受け取ったエナ汁の缶をパッと消し去った。



「フフフ、ところで七海ちゃん」


「ん?」


「それ、どうやったんです?」


「は?」


「何もないところからエナ汁を出したり消したり。それどうやってやってるんですか?」


「あんた知ってるでしょ?」



 首を傾げながら希咲は望莱へ右手の甲を向ける。


 その小指には指輪がつけられていた。



「ほら――」



 指輪の宝石が淡く光り、消えて、また光る。


 点滅を繰り返すたびに、希咲の手にエナ汁が出たり消えたりを繰り返した。



「人の魂には設計図があり、それに書かれていることで、出来ることと出来ないことが定められている」


「え……?」


「仮にそうだとしたら、おかしいですよね?」


「あっ――」


「七海ちゃんのそれ。それからわたしたちのチカラ。これらは先天的な才能ではなく、去年偶然巻き込まれた災害・事件に関わったことで身に着けた」


「そ、そうか……!」


「これらは厳密には技術ではなく、あの出来事が無ければ、他の方法では何をどう足掻いても出来るようにはならなかった」


「……アイツが言ったことだけじゃ、これの説明が出来ない……!」


「そういうことです」



 蛭子の方にも意味が通じたようで、彼の顏にもまた緊迫感が表れた。



「先輩の言ったこの世の仕組み――真理のようなこと。多分まだあれで全部じゃないですよ」


「……そうね」


「そして二つ目。彼はわたしたちの存在の強度、魂の格付けみたいなことをしましたよね? しかもそれはほぼ正確だった」


「うん」


「魂には設計図があって、それによって存在の強度が決まる。それはいいでしょう」


「…………」



 希咲にも次に望莱が言うであろうことが見当がついた。



「魂の強さみたいなものがあったとして――じゃあ、なんでそれが弥堂先輩にわかるんですか?」


「そ――そうか……っ⁉」



 遅れて蛭子もその意味に気が付く。



「フフ……、あの人、ホント狂ってて面白いですよね。今まで隠してきたことをいきなり投げやりにでもなったみたいに七海ちゃんにぶっちゃけた……」


「…………」


「なのに、それでもまだ言っていないことがある。これが意図的なのか、言い忘れなのか、面倒だっただけなのか、それとも全てはただの妄言なのか……」



 望莱の瞳に妖しい紅が灯る。



「わたし、本当に興味があります」


「…………」


「わたしが予想したモノ、全部彼の正体とは違うかもしれない。わたしの頭脳を超えてくるかもしれない存在――わたし、本当に興味があります」



 繰り返し、彼女はそう唱えた。



 しばらく重い無言が続き、



「じゃあ、とりあえず明日は予定どおりで。七海ちゃんは学園の方も気にしながら待機しててください。不安だと思いますけど、くれぐれも一人で美景に行こうとしないで下さいね? そうしたら兄さんも無理矢理着いて行こうとします。強行されたら誰にも止められませんので――」



 望莱のその締めの言葉で解散となった。



 それぞれが自室へ帰っていき一人残された部屋の中で希咲は不安と焦燥感に苛まれる。



 明日、弥堂の記憶が消えるかもしれない。


 明日、親友がひとりぼっちになってしまうかもしれない。



 そうならないで欲しいと願い、布団をかぶる。



 消えないで欲しい。変わらないで欲しい。


 そう願う。



 明日にならなければいいのに。



 そう願っても、それが叶わないことだとわかっている。



 どれだけ拒んでも時間は強制的に流れてしまう。



 それを『世界』が許していないからだ。



『世界』は自分たち一人一人のことなんてどうでもよくって。



 でも、それならやっぱり『世界』は変わらないのだ。



 変わってしまうのは自分たち人間の方で。



 それなら――



 変えられるのも自分たちなんだ。



 そう自分に言い聞かせて、布団の中で丸くなった。



――いつかお前も忘れる



 強く目を閉じてその言葉を否定した。



(あたしは絶対に忘れない……! 絶対に変わらない……!)



 そう願った。



 思考が矛盾を繰り返していることに気付かないフリをして、早く眠りに落ちることを願う。



 明日を願う。



 はっきりと思い浮かべることのできる大好きな親友の顔に



「おやすみ」



 再会を誓って。












 かけっこがみんなよりおそくて


 かくれんぼもじょうずにみつけられなくて


 ボールはすこししかとばなくて


 でもみんないっしょにあそんでくれた



 かけっこがビリでも「がんばれー」っていってくれて


 かくれんぼでまいごになっちゃっても「ここだよー」ってみつけてくれて


 ボールもひろってくれた



 めいわくかけちゃったから「ごめんねー」っていった


 みんなは「いいよー」っていってくれた


 いっしょに「えへへー」ってわらった



 みんなやさしくて


 みんなだいすきで


 ずっとなかよしがいいなっておもった



 またいっしょにあそびたいなっておもった



 おともだちといっしょがいいから


 おともだちとおんなじがいいから



 もっとがんばらなきゃっておもった


 またあしたがんばろうっておもった



 そうおもって


 おやすみなさいって


 わたしはめをつむった


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