1章55 『密み集う戦火の種』 ⑧


「連絡は以上だ。俺はこの後は南口に居る」


「“South-8”ですか?」


「あぁ。だが、その前に教会に顔を出さなければならない。それから基本的にあっちの路地裏を廻って、きっかけを見つけたらそこに踏み込む」


「なるほど。了解しました」


「いやぁ~、なんかスッゴイ大変そうだねぇ……、このお店ってマフィアの基地とかじゃないよね?」



 弥堂と黒瀬が話をつけると、マキさんの能天気な声があがる。


 弥堂も黒瀬も呆れた仕草を見せた。



「違う。むしろそのマフィアが敵だ」


「えぇ……、でも絶対正義の側じゃないよね?」


「マキさん、なにを他人事みたいに言っているんですか」


「え?」


「アナタ、この後食事に行くと言ってましたよね? 外出禁止です」


「えぇーっ⁉ なんでぇっ⁉」



 世間よりも一足早い外出禁止令にマキさんはびっくり仰天してみせる。



「なんでもなにも、話を聞いていなかったんですか? 安全のためです」


「でもさぁ……」


「店に『UMAeatsウーマーイーツ』を頼んでもいいですから。特別に今日は会計を持ってあげます」



 UMAeatsとは近頃日本人の生活インフラにガッツリ喰いこんできた出前サービスだ。


 サービスに登録されている飲食店のメニューならどれでも専用アプリから注文ができ、未確認配達員がご自宅まで届けてくれる。


 たまに注文先の飲食店も未確認だったり、届けられる料理も未確認だったりすることもあり、料金が未確認だったりもすれば、実際に料理が届けられたかどうかの事実も未確認だったりすることもある。

 そもそものサービスを運営している会社の国籍も未確認だったりするが、ユーザーが会員登録をする時の各種個人情報や不必要に種類の豊富な支払い方法に、規約への同意だけはやたらと念入りに確認される。


 使う者、提供する者、関わる全ての者の正気が疑われるサービスだ。



「いや、黒瀬さんそうじゃなくって、今日のご飯は人と約束してるの」



 マキさんの黒瀬への反論にピクリと反応したのは弥堂だった。



「マキさん」


「ん?」


「その約束をしているという人物は元々の知り合いか?」


「えー? なぁに? 気になるのー?」


「真面目に訊いている」



 意地の悪い笑みを浮かべながらチャカそうとしたマキさんだったが、弥堂の真剣な雰囲気に圧され、そして次に気まずげに目を泳がせた。


 その様子を華蓮さんが見咎める。



「ちょっとマキちゃん。アナタまたうちのお客さんに手を出してるんじゃないでしょうね?」


「ぅえっ⁉ ち、ちがうし……っ!」



 何故それをとマキさんは焦りを見せる。



「何人かのキャストはガチで根に持ってるわよ? やめなさいって前にも言ったわよね?」


「ち、ちがう……! ちがいますってば!」



 必死に否定をする彼女へ三人でジト目を向ける。誰一人として信用していなかった。


 やがて黒瀬がため息混じりに口を開く。



「マキさん。私も前にも言いましたが、そんなにお金が必要ならキャストをすればどうですか? 言いたくありませんが、貴女ならエスコートよりも遥かに稼げますよ」


「ゔっ⁉」



 見透かされたような黒瀬の誘いに思わず彼女は胸を押さえた。



「わ、わかってるんだけどさ……、でもほら? うちのお店って大学の教員とか生徒もたまに来てるし……。バレたくないのよね……」


「そのリスクはエスコートをしてても同じではないのですか?」


「いやね? それが結構イケるのよ! お店の中って席は少しライトアップされてるけど、通路は基本薄暗いし。それにバニーさんしてると大概の男は胸かお尻しか見てないのよ。そんでプライベートとはメイクの仕方もガッツリ変えてるし。だから結構バレないのよね」


「そうですか……」



 黒瀬はそれ以上は彼女を止めなかった。



 代わりに弥堂が口を開く。



「風俗で働けばいいだろ」


「…………」

「…………」


「金もいいしキミの趣味嗜好とも合致して効率がいい」


「サイテー」

「サイテー」



 普段あまり関係が良好ではないはずの女性二人がジト目で声も言葉も揃えてきた。



「なんだ? やってることは――」


「――弥堂さん。それ以上はいけません……」



『やってることは変わらないだろ』と弥堂は言おうとしたが、全てを口にする前に黒瀬が止めに入り、沈痛そうな面持ちで首を横に振った。



 黒瀬マネージャーは二十代後半のデキる男だ。


 納得がいかない部分はあったが、彼がそう言うのならそうなのだろうと弥堂は口を噤むことにした。



「……まぁいい。で? 相手は誰なんだ?」


「う~ん……、キミがもう少し可愛げのある男の子ならそうやってグイグイこられても悪い気しないんだけど……、絶対そんな気ないのわかってるから面白くないなぁ……」


「訊かれたことに答えろ。それともなにかやましいことがあるのか? もしかしてうちのキャストの客なんじゃないのか?」


「ほら、すぐそうやってイジワル言うし。もぉ、しょうがないにゃぁ……」



 おどけた態度をとりつつもマキさんはチラチラと華蓮さんの顔色を気にして、ハンドバッグからスマホを取り出した。



「誰って聞かれても説明しづらくってさ。SNSで繋がった人なのよ」


「繋がった……?」


「知り合ったって意味よ」


「そうか。ご苦労」


「気に喰わないわね……っ!」



 言葉の意味がわからずに弥堂が眉を寄せると華蓮さんがコソっと教えてくれる。


 しかし彼の返した尊大な態度に善意を仇で返されることになった。



「ほら、コイツ」


「これは……“edge”か」


「そうそう。これはワタシの裏垢なんだけど、ユウキくんが繋がってくれるなら本垢教えてあげるよ?」


「生憎と宗教上の理由でSNSは出来ないんだ。残念だ」


「きゃはは。この子やっぱウソしか言わない」


「そんなことより」



 軽薄に笑う彼女にとりあわずに先を促す。



「先週くらいかな? いきなりDMきてさ。近いから一回ご飯いかない?って」


「それで着いていくのはどうかと思うぞ」


「まぁ、そうなんだけどそういう遊びだしさ」


「遊び?」


「ほら、これ見て」



 そう言って彼女が示したのは、顔は写さずに際どい恰好をして自撮りをした写真の投稿だ。


 彼女のアカウントで投稿されたもので、その投稿へのコメント欄には多くの男たちからの知性と品性をかなぐり捨てた欲望が短冊のように吊るされている。



「こうやって釣って、よさげな男とかお金持ってそうな人とかには実際に会って遊んでるの。効率がいいって思わない?」


「リスクが伴わなければ」


「そこはDMである程度見極めてるしさ」


「まぁいい。それで?」



 前回会った時に彼女には警告している。これ以上は自分から言うことではないと弥堂は本題に戻るよう要請した。



「んー、なんか在学中に起業した青年実業家みたいなこと言ってたけど、多分ホストかなんかだと思うのよね」


「どれどれ、見せてくれる?」


「どぞどぞ」



 スマホを覗き込んでくる華蓮さんにマキさんは画面を向ける。



「あー、そうね。少なくとも真っ当な経営者ではないわね」


「ですよねー。頑張って覚えたそれっぽい単語使ってるんですけど、全体的に文章に知性を感じないっていうか?」


「いるわね。覚えた言葉を使いたいだけってよりは、言葉に使われてるだけのバカ」


「そーですそーです。それそれ」


「昔はさ、男がイキる時って不良ぶって武勇伝語ってくるのばっかだったんだけど、最近はこういう方向にイキるヤツの方が多くってさ」


「即バレですよねー」


「そーそー。ま、どっちもわかりやすくっていいけど」


「必死こいて上手いこと言ってるつもりだけど、言葉より先に口からガマン汁出ちゃってるんですよねー」


「イカくせーからまず歯ぁ磨いてこいっつーのよね」



 下品な物言いでギャハハと笑いあう二人はふと弥堂と黒瀬へ目を向けてスッと真顔になる。



「でもこういう男はそれはそれで問題よね」


「ですねー。何考えてるかわかんないっていうか。こっちは逆に少しは性欲見せて欲しいですね」


「たまにホントに虫なんじゃないかって思う時があるわ」


「華蓮さんヒドーっ。でも虫はウケる」



 好き放題に言っている女性陣に弥堂も黒瀬も特に口を挟まない。


 男女に関わらずこうして浅い知識と人生観で『こういうのは“こう”』と型にハメたがるのは不安の表れであり、だから安易に決めつけて安直な安心が欲しいのだ。



 弥堂も黒瀬も、こういった男を見下してマウントをとり悦に入るタイプの女は、とりあえず「はい、はい」と適当に頷いて諂っていれば、『この男は安全だ』とか勝手に勘違いをして勝手に聞いてもいないことをベラベラと喋ってくれることをよく知っている。


 そして油断してノコノコと密室まで着いてきて二人きりになった時に、急に強気に出てやれば途端に従順になるのだ。



 そんな風に黙って安直な決めつけをし内心で女性を見下していると、彼女らの話が落ち着く。



「てなわけで、女の身体触るのは慣れてそうだし試しに一回くらいいいかなって思って」


「そうか。タイミング的にはほぼクロだな。やめておくことをお勧めする」


「えー」


「えー、じゃないの。ねぇマキちゃん。そんなにお金に困ってるなら私が貸してあげるからやめときなさい。せめて今月いっぱいは」


「う~ん……」



 諭すような華蓮さんの言葉にマキさんは少し迷うような素振りを見せてから話し出す。



「その、お金に困ってるってわけじゃないんです。困ってないわけでもないんだけど切羽は詰まってないっていうか……」


「どういうこと?」


「……ワタシ、大学のために田舎から出てきてるんですけど……、ウチのパパが結構無理して仕送りしてくれてて……」


「…………」



 田舎の両親のことを口にする彼女の顔は今までに見たことのない表情だった。



「だから自分が遊ぶお金と、あと奨学金の返済は自分でどうにかしようって思って。でも卒業して社会に出たらいきなり借金生活とかジョーダンじゃないんで、比較的時間に融通がきく今の間に稼いでおこうかなぁって……」


「なるほどね……、でも、それで身を持ち崩したら元も子もないわよ?」


「同じように学費や奨学金の返済のためにこの業界に来る子は多いです。いつでも相談してくださいね」


「では、俺は予定があるからこれで」


「…………」

「…………」

「…………」



 流れで抜けようとした血も涙もない男に全員が真顔を向けた。



「キミね……」



 華蓮さんが頭痛を堪えるように額を押さえているが、弥堂としてはここでの用事は済んだし、マキさんに関しても言うことは言ったので後のことはもう関係ないと考えている。それ故何故このようなリアクションをされるのかと気分を害する。



「なんだ?」


「あのね? 何度も言っているけれどもう少し人の心というものを――」


「――それはまた今度聞こう。では」


「待ちなさい。大体私の方の用事はまだ済んでいないわ」


「……もういいだろ」



 うんざりとした顔の彼を見て、マキさんはクスリと笑った。



 そして――



「――ねぇーっ! なんで行っちゃうのぉ⁉」


「おい、やめろ。纏わりつくな」



 弥堂の腕に抱き着いて駄々を捏ね始めた。



「もっと心配してよー! もっとワタシを止めてよーっ!」


「意味のわからんことを言うな」



 そうやってじゃれついていると、華蓮さんが目を細めて身を引かせた。


 それを見てマキさんは口の端を持ち上げ、弥堂の腕に組みついてエレベーターの方へ引っ張る。



「どこに行くつもりだ」


「え? 店出るんでしょ?」



 彼の言葉の意図を無視しながら呼び出しボタンを押す。



「何故キミも一緒なのか聞いてるんだ」


「ご飯付き合ってよ。そしたらあっちの男はキャンセルしてあげる」


「あのな――」


「まぁまぁ、とりあえず乗った乗った」



 勢いで到着したエレベーターに弥堂を押しこむ。



「それじゃ開店までには戻りますんでー」



 残された黒瀬と華蓮さんの返事を待たずにエレベーターは閉ざされた。



「おい」



 エレベーターが動き出してすぐの弥堂のその声と同時に彼女はスッと身を離した。


 そして得意げな顔でジッと見上げてくる。



「華蓮さんみたいなね、女傑?タイプって、他の女の前で男にベタベタするのはカッコ悪いって思ってるのよ」


「…………」


「助けてあげたんだから感謝してよね?」


「そりゃどうも」



 エレベーターはすぐに1階に到着する。


 並んでビルから出ると彼女はまた右腕に抱き着いて身体を押し付けてきた。



「……歩きづらくないのか?」


「少しはドギマギしろよ。可愛くないなぁ」


「普通に邪魔なんだよ」


「ヒドイ男ー。助けてあげたお礼に向こうまでこのまんまね? 南口行くんでしょ?」


「……せめて逆の腕にしてくれ」


「はいはいー」



 彼女はクルリと身を躍らせながら逆サイドに回って今度は左腕に組み付く。


 弥堂は細く嘆息した。



「人目に付く所でだけベタベタしてくるタイプの女は、どういう志向を持っているのか教えてくれないか?」


「えー? そんな女いるのー? ワタシわかんないなぁ」


「…………」



 弥堂はもう諦めて口を閉ざし、周囲を警戒しつつそのまま彼女と駅の反対側である南口まで歩いた。



 南口のロータリーへ繋がる階段を降りると、マキさんはまたあっけなく身を離した。



「おい、どこへ行く」


「えー? だってご飯付き合ってくれないんでしょ?」


「忙しいんだ」


「でしょー? もしもホンキでワタシを止めたいんなら――」



 言葉を切って彼女が一気に顔を近づけてくる。



「――俺の女になれって言ってよ」


「…………」


「他の男と遊ぶなって嫉妬してみせてくれたら、考えてあげるよ?」



 蠱惑的な流し目を送ってから得意げな顔で離れていく。



 弥堂はその彼女の腰をガッと乱暴に掴まえた。



「――えっ⁉」



 強引に引き寄せて周囲に聴こえないよう彼女の耳元で囁く。



「――South-8ってライブハウスには絶対に近づくな」


「――ふぁぁっ⁉」


「北も南もメインストリートから外れなければまだ安全な方だ。路地裏には入るなよ。特に一人では」


「ふぁ、ふぁぃ………」



 言うことを言って顔を離す。


 目に入った彼女の顔は何故か蕩けたように呆けていた。



「おい、聞いてたのか?」


「ふぉぉ……こ、これがASMR……っ⁉ あなどれない……っ!」


「なに言ってんだ?」


「ねーえ、やっぱID交換しようよー。寝落ち通話しよー。今みたいに喋ってよー」


「意味のわからんことを言うな。離れろ」



 ベタベタと顔に触れてこようとする彼女の手を振り払う。


 すると口ぶりや態度とは裏腹に彼女はあっさりと身を離した。



「と、いうわけで。お姉さんを独占したかったら寝落ち通話必須だから。それしてる間だけはワタシはユウキくんだけのものだぞー?」


「考えておくよ」


「フフッ、ウソばっか。じゃねーっ」



 軽やかに人波の間を縫ってマキさんは“はなまる通り”の方へと去って行った。



 消えゆく背中に眼を細め、弥堂も歩き出す。



(あとは自己責任だ)



 駅へと上がる階段を戻り、改札前のコインロッカーへと向かった。

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