1章54 『drift to the DEAD BLUE』 ㉒


 蛭子は目線だけを動かして周囲を窺い、少し声を潜める。



「よぅ、どういうつもりなんだよ?」


「……はぁ?」


「――っ!」



 蛭子に問われると、望莱は顎を突き出し片眉と口の端を吊り上げて顔面の煽り性能を上げた。


 マリア=リィーゼ様のモノマネだ。



 蛭子は反射的に怒鳴り散らしそうになるが、グッと押さえて言い直す。



「……結界の強化だよ。準備だけなら数時間で終わるぜ?」


「知ってますよ?」


「オマエ……」


「つまり“そういうこと”です」



 望莱は椅子に座り直し、蛭子の方を向く。



「御影を急かしてください。わたしからも連絡入れます」


「……行かせる気はねェってことか」


「当然です」



 蛭子は安堵の溜め息を漏らし彼女の隣に腰掛けた。



「安心したぜ。オマエもそこのラインは守ってくれるんだな。ガチでイッちまってんのかと心配してたぜ」


「当たり前じゃないですか。陰陽府や美景、それに郭宮が滅んでもどうでもいいですが、七海ちゃんのお家が失くなっちゃうのは許せません」


「そこにライン引いてんのかよ……、マジか……」


「今に始まったことではないです。わたしはずっと“そう”ですよ?」



 言いたいことは色々あったが蛭子は疲労感に負けて諦めた。



「それでオマエ怒ってたのか?」


「別に怒ってないです」


「…………」


「…………」



 どう考えても怒っていたし、なんなら今も怒っている。


 普段は貼り付けたように笑みを絶やさず、黙れと言っても止まらないお喋りがすっかりと鳴りを潜めている。



 しかし、『怒っていない』と主張する女の子にそれを指摘してもロクなことにならないことを、蛭子はこれまで彼女らと共に育ってきた環境でしっかりと理解していたので口を噤んだ。


 今日はこれ以上の言い争いは御免だったので、卑屈な笑みを浮かべて話題を変える。



「そ、そういやよ……、オマエもアレだけど、アイツもなんかキゲン悪くね?」


「……はい?」


「い、いや、七海だよ、七海」


「…………」



 だが、所詮はヤンキーに過ぎない蛭子くんはBAD COMMUNICATIONを引き、みらいさんにジロリと睨まれてしまう。


 望莱はダメな男子に侮蔑するような目で圧をかけてから、彼が示す方を見る。


 そこには物憂げな表情でお肉を焼きながらスマホとにらめっこする七海ちゃんだ。



 はぁ、と諦めの溜め息を漏らして口を開く。



「七海ちゃんは別にキゲン悪くはないですよ」


「そ、そうか……? さっきここでスマホ見てる時もなんかイライラしてるみてェでよ……」


「はぁ……、蛮くんは本当にダメダメですねぇ……、そして女の子の顔色をビクビク窺うヘタレヤンキーです」


「グッ……⁉ か、仮にそうだったとしても、オレがこうなったのは間違いなくテメェらのせいだからな?」



 何やら情けない負け惜しみのような言い訳をする雑魚男子に興が乗り、少し機嫌を良くした望莱は口の端を持ち上げる。



「あれはイライラしてるんじゃなくって、ヘラヘラしてるんですよ?」


「ヘラヘラ……? ベツに笑ってなくね?」


「いいえ。そっちのヘラヘラじゃなくって、メンタルがヘラヘラしてるんです」


「ア? あぁ……、ヘラってるってことか」



 そんな表現の仕方を聞いたことがなかったので『じゃあ、最初からそう言えや』と蛭子くんは思ったが、まださっきまでのことが尾を引いているので強気な態度には出られなかった。



「……水無瀬のことか?」


「う~ん……」



 希咲を自分たちの事情に巻き込んでしまっているせいで、彼女自身の交友関係を蔑ろにさせてしまっている。


 彼女に対してそういう罪悪感を持っている蛭子は、さらに声を潜めて慎重にそう訊いた。



 しかし、それとは対照的に望莱は唇に人差し指を当て、軽い声を漏らしながら宙空を見上げる。


 そういった仕草から彼女の機嫌が戻ってきていることを蛭子は見て取った。



「……正解ではあるんですけど、だいぶ足りませんね」


「なんだそりゃ」


「大きな括りで見ればその範疇でのことなんですけど、でもクリティカルではありません。その程度では『七海ちゃん検定3級』はあげられませんね」


「なんの資格なんだよ。オマエは何級なんだよ」


「わたしは三百十二段です」


「…………」



 とても頭の悪そうな数字が乗った段位に蛭子はゲンナリとした。



「仕方ありませんね。マスタークラスであるこのわたしが解説してあげましょう」


「……どうも」


「まず、問題の根源というか本質は『大好きな親友の愛苗ちゃんがピンチ』ってことです。そんな時に彼女を助けに行けない。まずここを大変気に病んでいて、プラスして彼女のことを心配しています」


「じゃあ、合ってんじゃねェの?」


「甘いですね」



 眉を顰める不出来な生徒にみらいさんは人差し指を立ててキュピィーンっと目を光らせる。



「そんな中でも七海ちゃんは出来るだけの努力をしています。何かあってもいいようにとクラスの女子たちに愛苗ちゃんのことをお願いしておいたり。ちょっと狂犬病の注射を射ってないところが玉に瑕ですけど番犬をつけておいたり……」


「ちょっと玉に瑕っつーか、それ致命的なんじゃねェのか……?」


「そして彼女たちや頭のおかしいワンちゃんと連絡を取り合いながら日々対応をしています。でもそれだけでは後手を踏んでしまい、不足してしまっていることに『あたしがもっとカンペキに出来れば……』とヘラヘラしているのが一点」


「オマエ、そのモノマネやめろよ。怒られんぞ? ちょっと似てるとこが腹立つな」


「しゃらっぷ。授業中の私語は慎んでください」



 胡乱な瞳を向けてくる集中力の足りない生徒さんを注意して、みらい先生(34歳バツイチ)はイメージ上の眼鏡をクイっとする。



「二点目はワンちゃんのことです」


「弥堂のことか?」


「はい。スマホとにらめっこしてる時のは彼のことを考えてます」


「……アイツが白か黒かって悩んでんのか?」



 少し表情を改めてそう問うと、みらい先生はこれみよがしに盛大な溜息を吐いた。



「ハァ……、ホントだめだめです。留年ものです」


「……ンダよ。なんだってんだ」


「七海ちゃんは彼を敵だと思っていません。正確にはそう思いたくない。これは恐らく本人もまだ自覚していない思考です。ですが、『七海ちゃん検定三百十三段』のわたしにはわかります」


「……? よくわかんねェな? 自分が手配したヤツが敵かもしんねェってなって後悔してるって意味か?」


「ぜんぜん違います」



 みらいさんは表情を操り、誰が見ても見下しているとわかるような顔で一度彼のことを馬鹿にしてやってから表情を戻し説明をする。



「昨夜わたしと七海ちゃんで弥堂先輩のこと色々考察してたじゃないですか?」


「……オマエ、ほんっとムカつくよな」


「こちらが彼は敵である可能性があるとか散々疑っていたのに、彼は態度では嫌がりながら、口では文句を言いながらも、一応は水無瀬先輩のために、七海ちゃんがお願いしたことをやってくれてました。今朝実際にそれを見ましたしね」


「ビデオ通話がどうとかって言ってたやつか?」


「はい。まぁ、やってたことは完全に“あたおか”なんですけど、それでも一応彼なりに協力してくれていたわけです」


「……でも、それだけでアイツが敵じゃないってことにはならねェよな?」


「んもぅ、そういうことじゃないんですよぉ」



 察しの悪い男子に呆れつつ望莱は詳細を語る。



「七海ちゃんは無意識下で先輩を敵だと思いたくないモードになってるので、彼が敵じゃない前提で考えてるんですよ」


「ん……? あ、おおう……?」


「さらに、そんな彼が深夜に人知れず学園のピンチにたった一人で立ち向かっていたというではないですか?」


「そ、そんな話だったか……?」


「あたしはあいつのこと疑っちゃってたのに、なのにあいつは意外とちゃんとやってくれてて、それに死んじゃうかもしれないのに怪物に立ち向かってくれたりとかも……。もしも学園のことと愛苗に起きてる異常が関係あるなら、それって愛苗のため……? でも、それってあたしのお願いを聞いてくれたってことにもなるし……。あたしがこんなお願いしなきゃあいつはそんなキケンなことしなくてよかったのに……。なのに、そんなあいつをあたしは疑っちゃって……。でもでも、ちゃんとハッキリするまではそんなあいつのことを疑わなきゃいけないし……。でもでもでも、それなのにあいつは…………、って無限ループしてますね」


「メ、メンドクセェな……」



 キュッと握ったお手てを口元に添えてうじうじモジモジとモノマネをする望莱へ、蛭子は顔を青褪めさせながら化け物を見る目を向けた。


 それからなんとも難しい表情になり、なにやら歯に物が挟まったかのような物言いをする。



「その……、なんだ? まさかそういう……?」


「いいえ。“そういうの”ではないです」


「……なのに、そんなにヘラるのか……?」


「そういうのはそういうの。それとこれとは別です」


「…………」


「あとはぁ、今だと、さっきの兄さんの暴走を上手く止められなかったなぁーってのも追加されてますね」


「そ、そうか……」


「どうです? 重すぎカワイイですよね?」


「……ワリィ、ちょっとなに言ってんのかわかんねェわ……」



 学園最強のヤンキーは消沈した表情で年下の女の子に詫びを入れた。



「女って、メ……、難しいのな……」


「今メンドクサイって言おうとしましたよね?」


「い、いや……」


「まぁいいです。あとは、そうですね。見ちゃったからですかね」


「アン?」


「裸です」


「は?」


「ふふ、は・だ・か、です」



 想像の外の言葉を聞かされ言葉も思考も失う蛭子に望莱はニンマリと笑う。



「さっきビデオ電話の時に見ちゃったんですよ。弥堂先輩の素肌を」


「……教室から掛けてきたって言ってなかったか?」


「そうですよ?」


「アイツ、そこまで頭おかしいのか……。なんでそんな……」


「乳輪のサイズを測って教えてくれたんです」


「マジでなんなんっ⁉」



 クラスメイトとなにをどうやりとりをすればそんなことになるのか。


 彼には想像することすら出来ずただビックリ仰天した。



「オ、オマエらまさか……、なんかイカガワシイことしてんじゃねェだろうな? オマエらのそういうの聞きたくねェって言ってんだろ」


「安心して下さい。エロ通話ではないので。話の流れ上そういうことになってしまったんです」


「どうすれば乳輪を測る、それも男の――そんな流れになるんだよ……、しかも他の奴らが周りに居る中で。意味わかんねェよ……」


「まぁ、乳輪は実際どうでもいいんですが、ただ……。その時に見てしまったんですよね」


「見た? なに、を……って、やっぱいいや。どうせもっとエゲつねェこと言うんだろ? 事件とかと関係ねェなら聞きたくねェよ」


「そんなことはないですよ。今言おうとしたこととは別ですけど、収穫もありました。僥倖というか棚から牡丹餅とでも言いますか」


「……なんだよ?」


「いいえ。今わたしが言いたいこととは別なのでそれは言いません」


「なんでだよ!」


「ところで蛮くんの乳輪は直径何cmですか?」


「知らねェよっ! 知ってても言わねェよ!」


「まぁ、乳輪は実際どうでもいいんですが、ただ……。その時に見てしまったんですよね」


「…………なにを?」



 この流れからは逃れられないのかと、蛭子くんは諦めて聞きたくもないことを聞く。


 すると、みらいさんはほくそ笑んだ。



「フフフ……。そしてその時に見てしまったものこそが今こうして最も七海ちゃんをヘラらせているのです。それがなんだか蛮くん――あなたにはわかりますか?」


「オイ! いっちょまえに勿体つけてんじゃねェよ! 言っとくけどこっちは聞きたくもないのに聞いてやっ――」


「――ちょっとよろしくて?」



 蛭子くんの本気の叫びは新たな参入者によって流された。


 二人が声の方に目を向けると、そこに居るのはマリア=リィーゼだ。



 途中で言葉を遮られた形の蛭子だが、正直助かったと感じていたので大人しく彼女へ発言を譲る。



「どうしました? リィゼちゃん」


「ミライ、貴女にお話があります。が……」



 そこで言葉を切ってマリア=リィーゼは一度蛭子の顏をジッと見る。



「な、なんだよ……?」


「……まぁ、いいでしょう。よろしくて?」


「よろしくてです」



 価値の無い物から目を切るように目線を戻し、再度望莱へ問いかける。



「感心しませんわ」


「えー?」


「あのように相手の回答を操り追い詰めて結論に誘導するのは感心しません。これは交渉ではないのですよ」


「兄さんのことですかー?」


「わかっているでしょう?」


「えー?」



 真剣な表情で何かを咎める彼女に望莱はあくまで飄々とした態度で惚ける。



 マリア=リィーゼは数秒ほど望莱の顔を見つめ、そしてフッと目を逸らした。



「……それだけです。失礼致しましたわ」



 そう言って踵を返す。



 その直前。



 キッと、強い視線を蛭子へぶつける。



「今の話は聞かなかったことになさい、バン。これは命令ですわよ」


「お、おう……?」



 その生意気な物言いには思うことがないわけではなかったが、思いの外強い彼女の眼差しに圧され、思わず頷いてしまう。


 正直なところ彼女らの会話は何の話なのかさっぱりわからなかったので、そのまま去り行く王女様の背中を見送る。



「…………女ってコエェよ」


「ふふ、蛮くんのヘタレヤンキー」



 言うことが無くなったので無意識に今の本音を漏らしてしまうと、望莱からは聞き慣れた揶揄いの言葉が投げつけられる。


 耳が痛い部分もあったので聴こえないフリをして誤魔化すためにフイッと視線を振った先は、川縁でお肉を焼きながら時々スマホとにらめっこしつつヘラっているギャルだ。



 望莱からの話を聞いた上でも、やっぱり彼女が何故ああなっているのかはさっぱりわからなかった。



 多分女のそういうのは自分には一生わかんねェんだろうなと、視線と思考を別の方向へと向けた。

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