1章54 『drift to the DEAD BLUE』 ㉑

 チッと誰かが舌を打つ音を希咲は呆然としたまま聴いた。



 ここまで黙って話を聞いていた聖人が言い出したことに、いの一番に反応したのは蛭子だった。


 眉を寄せ険しい目つきを聖人へ向ける。



「どういうつもりだ? 聖人、オマエ――」



 聖人はその視線を静かに受け止め、だが揺らがない。



「ゴメン、蛮。でも、ここまでの話を、今日言われたことを忘れたわけじゃないよ」


「だったら、そんな言葉は出てこねェはずなんだがなァ……っ!」



 隠そうともせず怒りを露わにする。



 それも、無理もない。


 この旅行中、だけでなくこれまでに彼に対して抱えていた不満をようやく理解してもらえたとそう思っていたからだ。



「それでも、だよ。ここでのことが大事なのはわかってる。だけど、実際に何かが起こっているのはここじゃない」


「だからって全員でそっちに突っ込んでいってもしょうがねェってこともさっき説明しただろうが!」


「だけど、困ってる人が居るんだ。京子先輩もそうだし、“まきえ”や“うきこ”も。それに水無瀬さんも」


「アイツらはアイツらでそれが役目だ! それに水無瀬のことはまだわかんねェだろうが……!」


「でも放っておいたらわかるようになるわけじゃない。それに彼女が敵じゃなかったら、今とても心細いはずだ。それを放ってなんておけないよ」



 女子二人の議論から、今度は男子二人の議論に場が変わる。


 さっきまでと違うのは、聖人が強い意思でしっかりと反論することだ。



 彼の意見を通させるわけにはいかない。


 止めなければいけないはずなのだが、希咲は呆然と見ていた。



 蛭子と聖人を――ではなく、先程舌打ちをした人物を。



 その人物は紅月 望莱だ。


 彼女は昏い瞳で言い合いをする二人を見ていた。



「――だから! ここはどうすんだよ⁉ ここだって放っておいていいわけねェだろ⁉」


「基本的にはここは安定してるんだろ? 昨夜だって学園を襲われたから暴走したって言ったじゃないか。だったら元を守ればここも守れる。それに襲撃は一回で終わりとは限らない」


「だからこそだよ! もしもここを空けている間にあっちでまた同じことをされれば終わりだぞ⁉ 昨夜はある意味運がよかったとも言えるんだ! オレらがここに居たからな!」


「じゃあ、蛮はここに残るってのはどう? なんなら美景に帰るのは僕だけでもいい」


「いいわけねェだろ! 本来はオマエこそここに居なきゃなんねェんだって言っただろうが!」


「数日であっちをどうにかする。それで急いでここに戻れば大丈夫だろ?」


「どうやってどうにかすんだよ⁉ まだ何もわかってねェんだぞ⁉」



 二人は――特に蛭子が段々とヒートアップしていく。



「――ざけんな! 罠に決まってんだろ! オマエがここを離れて向こうで顔を見せた途端ヤツらはここに監査を送り込んでくるぞ⁉ そうしたらそこでアウトだ! 失敗の烙印を押されて最悪役目を奪われるぞ!」


「そんなのどうだっていいだろ! クラスメイトが困ってるんだ! みんなが通ってる学園が襲われてるのに、そんなことを気にして何もしないなんて!」


「いいわけねェだろ、バカ野郎がっ! その“みんな”が暮らす街が失くなっちまうかもしれねェって言ってんだろうが!」



 ついには聖人も怒鳴り返すようになってしまった。


 対等に言いあっている様には見えるが、このまま放っておくと最終的には蛭子が折れてしまうかもしれない。



 だから、どうにかしなければと――希咲は望莱から目線を動かして彼らの方を見る。



 しかし、すぐには言葉が出てこなかった。



 今しがた言おうとしていたこと。



 聖人に先に言われてしまったこと。



 それを思って唇を噛む。




 この島でやらなければいけないことと、美景で起こっていること、そして水無瀬に起こっていること。


 その全てに同時に対応するために、自分だけ美景に帰ると、そう言い出そうとしていた。



 この島で必要となるのは龍脈や陰陽術に関する知識や技能だ。


 希咲にはそれらはなく、だが生活能力のない彼らのサポートとしてここに着いてきていた。


 そして彼らのように陰陽府に関わるような出自でもなければ、それに関わる役目もない。


 つまりこの島から離れて一番問題がないのは希咲だった。



 学園での異変に気付いてから少しずつ考えていたことでもある。


 だが、まとまりに欠け、生活能力が皆無な彼らを置いていくわけにもいかず、迷い決断できずにいた。



 しかし、先程次々と懸念材料を語る望莱の言葉を聞いて危機感が膨れ上がり、ようやく決断が出来て、それを言い出そうとした矢先の聖人の発言だった。



 当然、ここを放り出していくことなど許されない。


 希咲も彼を止めようとしている蛭子と同じ考えだ。



 だから、今のこの状態で、この空気で――



 美景に帰るとは、もう言い出せなくなってしまった。



「――役目さえ守れれば、街全体が守れさえすれば、一人一人のことはどうでもいいって言うのか⁉」


「そうは言ってねェだろうが! 守れる人数を少しでも増やすために物事の順番を守れって言ってんだよ!」


「その言い方……っ! 犠牲が出る前提じゃなきゃそんな言い方にならないだろ! 順番なんて本当は必要ない! 全部守ればいいじゃないか!」


「それが出来りゃァ苦労しねェんだよッ!」


「だからその為に僕だけでも引き返すって言ってるんだ! それで失う可能性があるのは僕らの立場と役目だけだろ⁉ そうなった後にうちの会社とお金は無くなるかもしれないけど、そんなの個人の――自分の都合だ! 失くなるのは生命じゃない!」


「ざけんな! 自己犠牲みてェに酔ってんじゃあねェよ! 金や会社? 個人の都合? それらはオマエのもんじゃねェだろうが! オマエの親父のモンだよ! テメェはなにも痛まねェじゃねェか!」


「そんな風には思ってないよ!」


「そういうことだろうが!」



 希咲が逡巡する間にも彼らのぶつかり合いは激しくなっている。



(あたしは……)



 遅い。



 いつも遅い。



 今ここで彼らを止めるために、自分の希望や立ち位置を修正することも。


 水無瀬の為に幼馴染たちから離れて美景に帰ると決断することも。


 いつか終わらせなければいけないとわかっている関係にケジメをつけることも。



 いつもいつも、なにもかもが、遅い。



 今必要なこともこのような自罰・自虐の思考ではなく、速やかな解決への梶切りだ。



 今自分たちがどういった方針をとるべきか。


 それは一択だ。



 蛭子が言ったように『まずこの島を片付ける』、他のことはそれからだ。


 これには議論の余地はない。



 だから『美景へ急行すべきだ』と主張する聖人を納得させた上で、本来の目的でもある『この島の調整』も同時に解消するのなら、無難な妥協案としては先程希咲が言いかけた『希咲だけ美景へ戻る』――この案になる。


 だから、さっさとそう言えばいいようにも思えるが、その実真逆だ。逆に希咲はもう『美景へ戻る』とは言い出せなくなった。



 どのみちこの島から美景の港まで渡るためのボートを動かせるのは希咲だけなので、聖人の要求が通った場合にも希咲は同行することにはなる。それは元々の希咲の意にも副うことにもなるが、他の事情を考慮すると聖人をこの島から出すわけにはいかない。



 今から彼を説得しなければならない中で、自分が代わりに美景に行くから聖人はここに居ろと言って、彼がそれで納得してくれれば御の字だが、おそらくそうはならない。


 むしろ『七海だけ行かせるのは心配だから』と、彼が美景へ行く理由を増やしてしまうことになる可能性の方が高い。



 ということは、希咲のやることは先程までそうしていたように彼らを叱りつけ落ち着かせて、それから諭して宥めて、ここの仕事に従事してもらうことになる。


 それはほぼ考えるまでもないことだ。



 なのに、言い出せず、迷う。



 ここで聖人を止めてしまったら、希咲が美景へ先に戻るという選択を今後この島に滞在する時間の中でとれなくなってしまう。とりづらく提案しづらくなる。


 それを言えばその時に聖人が『自分も』と言い出す可能性があるからだ。



 今ここで彼を止める以上、希咲もこの島の仕事が終わるまでは彼らに付き合わなければならなくなる。


 その選択をしてもいいものかと、迷いを持っていた。



 この考えを口にすれば蛭子には『優先順位を考えろ』と叱られるだろうし、なんなら数分前までの自分も同じことを言うだろう。



 だったら合理性に身を委ねてその優先順位を守ればいいだけのことだ。



 だが、それに踏み切れないのは、恐ろしいからだ。



 聖人だって馬鹿ではない。



 今日ここまでに話した内容も、蛭子に言われている優先順位も、彼はきっとわかっている。


 わかった上で美景に戻りたがっている。



 そのことに希咲は恐怖を感じている。




 紅月 聖人はトラブルメイカーだ。



 彼や彼の周囲に集まった少し変わった人々との間でトラブルを起こしたり、行く先々でトラブルを起こしたりする。


 それだけでなく、自分たち以外のトラブルに巻き込まれることも非常に多い。



 トラブルに巻き込まれるということは、既にトラブルが起きている場所に居なければならない。これからトラブルが起きる場所に、トラブルが起きる瞬間に立ち会わなければならない。


 彼は彼自身がトラブルを起こすことよりも、この他のトラブルを直感的に嗅ぎつける能力が異常に高い。



 その彼が大事な役目を、大事だと説明され納得もしたばかりの役目を放り出してでも美景に帰りたがっている。


 ということは美景で何かが起こっている、もしくはこれから起きる――そう考えることが出来るから、希咲は恐ろしさを感じたのだ。


 もしかしたら、この島よりももっと重要で重大ななにかが起きるか、起こっている可能性がある。



 なら、聖人の提案に乗ればいいと考えることも出来るが、それは希咲には出来ない。



 これはきっと本人に言ったら怒るかもしれないが、希咲の見立てでは――紅月 聖人の直感で見出せるのは救いや解決の糸口ではなく、最も被害が大きくなる場所だけだ。


 彼のことをそう見ている。



 彼が飛び込んだトラブルの爆心地が問題の根源だった場合には問題はほぼない。そこに居る者たちと戦って勝てばそれで解決する。


 だが、そうでなかった場合は戦って済むだけの話ではない。他の場所に問題の根源があり、その場合はそっちを解決しない限りただ騒ぎを大きくしただけのことになってしまう可能性もある。



 そして、実際に後者の場合をこれまでに何度も体験してきて、そして希咲がそのトラブルの爆心地以外にある問題の根源を探してどうにかしてきたのだ。



 だから、希咲と聖人が一緒に爆心地に行くわけにはいかない。希咲と聖人が同時にこの島を離れるわけにもいかない。



 本音を言うのなら、もしも感情だけで希望を言ってもいいのなら――



――今すぐに美景に帰って自分の親友を助けてあげたい。



 それが希咲の本心だ。



 だが、それが上手くいって、短期的に水無瀬のことを助けられたとしても、そのことで蛭子が懸念していたような事態が起こり長期的には多くの人が苦しむことに繋がる可能性がある。




 これらが、希咲が自分の我を発することも、聖人を止めることも、全ての利己性を排することも出来ずに迷ってしまっている原因だった。



 誰か――と後ろ向きな願いで視線を他のメンバーに向ける。



 目に映した天津やマリア=リィーゼは聖人と蛭子の口論に参加する様子はない。


 先程は『たまにはあんたたちも止めてよ』という希咲の言葉に申し訳なさをみせていた彼女らだったが、やはり本質的な部分は変わらない。


 彼女らはどうなっても聖人に着いて行くだけだし、今は激しく言い合っている蛭子もやがては折れてしまうだろう。



 続けて望莱へ目線を向ける。


 彼女だけは他の者と少し様子が違った。



 彼女のことも希咲には気掛かりな材料だった。



 先程、『美景へ戻ろう』と聖人が言いだした時に舌打ちをした彼女。


 口論をする聖人や蛭子へ向けていた彼女の目は、敵意さえ存在するような――そんな瞳をしていた。


 今はつまらなそうに彼らのことを見ている。



 こういった状況の時、通常なら彼女は言い争う彼らを楽しそうに眺めているか、嬉々として自ら場をかき乱すような言動をするはずだ。


 なのに、先程希咲を追い詰めている時に見せていたような楽しげな雰囲気が全くない。



 彼女はどこか『どうなってもいい』そういった考え、というか気質がある。


 質の悪いふざけかたをして、場を引っ掻き回して、人の心を搔き乱して、その結果自分自身になにか不都合や重大な問題が起こったとしても、それすらも楽しむ。


 そんな人間だ。



 そんな望莱が今の状況を楽しんでいない。


 ということは、この状態は彼女の望んだものではないということになる。



 状況を引っ掻き回すのが得意な彼女は、状況を操ることにも長けている。



 先程の希咲との議論は、ただ希咲をイジメて楽しむためだけのものではなく、もしかしたらその先に描いた何かに状況を繋げようとしていたのかもしれない。


 そして聖人の発言はその彼女の思い描いたものにそぐわないものだった。


 だから不快感を露わにした。


 そういうことなのだろうか。



 ただ、彼女が何を描き、聖人が何を阻んだのかは希咲にはわからず、ただ懸念材料の一つとなっただけだった。



 そう思い悩んでいると、希咲の視線が自分に向いていることに気付いたようで、望莱がこちらを向く。



 すると、表情を一転させ、ニコッと笑った。



 彼女が希咲に向けたのはそれだけで何も言うことはなく、望莱はすぐに口論をする男子たちの方を見た。




「――大体っ、弥堂がどうとか、水無瀬さんがどうとか、ここで話してたってわかんないだろ⁉ 実際に会って話せばいい!」


「それで何も問題がなければただの無駄足だろうが! そもそもっ、わかりやすく敵が襲ってきてくれるんならいいが、そうじゃなかったらオマエに術の痕跡やらを見つけられんのかよ⁉」


「それは出来ないかもしれないけど、でも襲撃から守ることが出来る。何日かすれば御影理事長も帰ってくるだろ? それまで――」


「――そこまで、ですよ? 二人とも」



 未だに納まらない男子たちの怒鳴り合いに望莱が口を挟む。



「ジャマすんじゃあねェよ、みらい――」


「――でしたら、兄さんごときとっとと論破して下さいよ。それくらいの時間は与えたつもりですが?」


「ごときって……っ。みらいっ、僕は間違ってなんか――」


「――いいえ。大不正解です。 わたしたちを殺す気ですか? 勝手に一人で死んで下さい」



 抗議してくる男どもをハイライトの消えた瞳で圧をかけ黙らせた。



「とりあえず、二人に任せていたら平行線なので、わたしが妥協案を出します」


「…………」

「…………」



 口答えをしてこない男たちに満足げに頷き続ける。



「まず、兄さんが美景に戻るというのは今すぐは絶対にナシです。諦めてください」


「……っ! みらいっ、それは――」


「――最後まで聞いてください。『今すぐは』と、わたしは言いました」


「……どういうこと? みらい」


「数日は待ってください。蛮くん、この島の認識阻害の結界は弄れますか?」


「ア? なにをするかによるな……、どう弄るってんだ?」


「シンプルです。ただ強くしてください。只管強力に」


「なんだと?」



 望莱に提案に蛭子も聖人も眉を顰めた。



「なんのためにだ?」


「はい。この島に来る監査の人たちを辿り着けなくするためです」


「……出来なくはねェが、陰陽府から派遣されてくる術者相手ってこととなると――」


「――ですから、龍脈の力を使います。幸いなことに今は余ってるんですよね? 他所へ捨ててしまいたいくらいに」


「そういうことか……!」


「待ってよ二人とも。大変なことになってるのは学園の方なのになんでこっちを……」



 蛭子は何となくこちらの意図を察したようなので、望莱は今度は聖人を説得にかかる。



「いいですか兄さん。兄さんが美景に行くことの最大のリスクは?」


「え? えっと……、僕が不在の間にここに監査に来て、責任を問われるから……?」


「そうです。つまり、だったらその監査がここに来れないようにしてやればいいということです」


「で、でも、そんなことしたら、そのことで責められない?」


「そこは龍脈の不調が起きたせいで術式にも不具合が起きたと説明します。嘘ではないですしね」


「そ、そうか……」


「その間に兄さんが向こうを片付けて戻ってきてくれればどうにか誤魔化せるはずです。ですがその術式の調整には準備がいります。なにせ龍脈を弄るわけですから、ミスは許されません。それはわかりますね?」


「うん、そうだね……」


「一応言っておきますが、これも実はとりたくない手段なんです。リスクがないわけではないですからね。ですので、これが最大限の譲歩です。どうしても美景に行きたいのならせめて術式の準備が終わるまで待って下さい。これを呑めないのならこちらも譲れません」


「……蛮、それってどれくらいかかるの?」



 望莱が強い口調で条件を突きつけると聖人は少し考え、実際に術式の調整にあたる蛭子に水を向けた。



「……そうだな。早くて数じ――」


「――数日です」


「は?」



 答えようとした蛭子の言葉に重ねる形で望莱が答えた。


 目を丸くして驚く蛭子へ望莱はさりげなく視線を送り、目で合図を送る。



「数日、です。兄さん。ですよね? 蛮くん」


「…………あぁ、そうだ。上手くいってもそれくらいだな」


「数日、か……」



 準備期間の長さに考え込む聖人の様子を見ながら蛭子は背中に冷たい汗を流した。


 望莱はなんでもないような顔で先を続けてしまう。



「言いたいことはわかります。ですが、その数日の間には御影理事長が戻れる可能性があります。そうしたら問題はないです」


「それは……、うん……」


「兄さんがこちらを発つ前にもしも御影が先に戻れたら一旦彼女に任せましょう。彼女がこちらからの増援を希望しない限りは兄さんの帰還はなしです」


「え? で、でも……」


「あちらに今一番必要な人材は御影です。兄さんの場合、敵が連日連夜襲ってきてくれるわけでもなければ基本的に出来ることはないですよね? それとも学園に何か術式が仕掛けられていた場合、それを見つけ出して適切に対処することが出来ますか?」


「そ、それは……」


「さっき兄さん自身が何日かして御影が帰ってくれば、と言いました。御影がいればとりあえず問題はないですよね?」


「……そうだね」


「それはよかったです。では、これで話がつきましたね。わたしたちはここでの食事が終わり次第この島の認識阻害結界の強化に移ります。それが終わり次第兄さんは七海ちゃんと一緒に美景へ向かう。その前に理事長が学園に帰還した場合は、元の予定通り全員でこの島に滞在、別途理事長の指示を待つ。二人とも、よろしいですね?」


「お? お、おぉ……」

「え? あ、うん……、うん……?」



 言質はとったとばかりに畳みかける望莱に蛭子は若干引きながら、言い包められた恰好の聖人は首を傾げながら了承した。


 考えられると面倒なことになるので、望莱はさらに言葉を重ねていく。



「では、この後の予定の具体的な修正をします。蛮くんは要石を龍脈の力に耐えられるようにする呪符を作ってください」


「わかった。それまで時間がかかる。先に祠の修繕を終わらせてくれねェか?」


「わかりました。どこをやればいいですか?」


「北と東はもう終わってる。オマエと真刀錵で他の二カ所を周れ」


「構いませんけど……、なんで真刀錵ちゃんも?」



 望莱が首を傾げると蛭子は懐から呪符を取り出して彼女へ手渡した。



「オマエだけだと途中でバックレるかもしんねェし、そうじゃなくても途中でバテて投げ出すかもしんねェからな。真刀錵に運んでもらえ」


「なるほど。それはありえますね」


「自分で言うんじゃねェよ。とりあえず祠の周囲と中を通れるようにしてくれればいい。そんでこの札を要石に貼っとけ。真刀錵、コイツを逃がすなよ?」


「心得た」



 天津が短く頷くと、所在なさげにした聖人がおずおずと手を挙げる。



「あ、あの……、僕は……?」


「兄さんは島の中心の泉に行って待機してて下さい。リィゼちゃんと一緒に」


「わたくしも、ですか?」



 キョトンとしたマリア=リィーゼに望莱はニッコリと微笑みかけた。



「この準備期間中にも何が起こるかはわかりませんからね。とりあえず火力の高い二人は門を見張っててください。もしも何かが出てくるようなことがあれば、全力でぶっぱしてください」


「あ、そういうことか……、わかったよ」


「マサトが行くのならわたくしも着いていきますわ」



 了承をする二人には目を向けず、望莱はこちらを見てきていた蛭子を目線で黙らせる。



「あれ? そういえば七海は?」



 思いつきを聖人が口にすると全員の視線が希咲へ向く。



 先程の聖人以上に所在なさげにし心細げにしていた希咲は、集中した視線に反射的にビクッと肩を跳ねさせた。



「七海ちゃんは連絡係です。全員が四方に散る形になりますから多分場所によってはスマホで連絡がつかなくなるので」


「あ、うん……」


「今夜からは多分泉の近くの屋敷に拠点を移すことになると思いますが、まだわかりません。とりあえず東のロッジの荷物を回収して、ここで待機していてもらえますか?」


「ん、わかった……」



 希咲がおずおずと頷くとみらいさんは押し倒したい衝動を必死に抑えつつ、にかやかに手を打つ。



「はい、そういうわけでこの話はもう終わりです。以後はケンカは禁止ですよ? いいですね?」


「……悪かったよ」

「うん、僕も。ありがとうみらい」


「はい。あ、兄さんに先に言っておきますが、弥堂先輩や水無瀬先輩に電話して聞くってのもナシですからね?」


「え? なんで?」


「彼らが敵だった場合、そんなことしたら行方を晦まされて余計に状況が難しくなります」


「あ、そうか」


「水無瀬先輩はわかりませんが、弥堂先輩は外法師ハグレである可能性が高いです。はっきりとした味方ではなくても非常時には学園に協力する。そういう契約である可能性があります。外法師の方々は基本的に業界から離れてもう関わりたくないって人が多いです。そんな人に紅月家から尋問の電話が掛かってきたらどうなるか――わかりますよね?」


「……そっか、別に敵じゃなくても逃げちゃうかもしれないのか。そうしたら学園の防衛が減って余計に不利になる可能性があるんだね」


「よく出来ました。島の準備が終わるまでは大人しくしてて下さい。もうワガママ言っちゃダメですよ?」


「別にワガママを言ってるわけじゃないんだよなぁ……」



 ぶつぶつとぼやく聖人を無視して望莱は全体に号令をかける。



「はい、では楽しい昼食の再開です。みんなお残しはダメですよ?」



 そのかけ声を最後に面々は思い思いの行動に移った。



 聖人の周囲に天津やマリア=リィーゼが料理を運んで腰かける。


 先程あれだけ言い争っていた蛭子もそこへ近付き聖人と言葉を交わしている。



 それを見守ってからみらいさんはぐでっと力を抜いた。



(働きすぎました……)



 疲労感に圧し掛かられながら凝ってもいない肩を解していると、そこに近寄る者がいた。



「あの、みらい……?」



 希咲だ。



 おや、と望莱は彼女を見上げる。



 すると七海ちゃんは消沈したようにお目めを彷徨わせていた。


 みらいさんの性欲がグンっと増す。



「その……、ゴメンね? ありがと……」



 きっと彼女は事態の収拾を望莱に任せてしまったことを気に病んでいるのだろう。


 苦労性な彼女は一人で背負いこみすぎるきらいがある。


 自分がやらばければいけないと考えがちだ。



 そんな性格から罪悪感に苛まれている希咲を見て、みらいさんは先程抑え込んだ欲情も解き放つ。



「き、気にしないでいいんですよ? お礼はとりあえずえっちなことで――っ!」



 言い終わる前に辛抱堪らず希咲の細い腰に抱き着こうとするが、スカッと空振りベチャっと地面に落ちる。



「あいたた……」


「あ、あたし、残ったお肉も焼いちゃわなきゃだし、ちょっと一人で頭冷やしてくるね……っ!」



 鼻を抑えながら顔を上げると、希咲がそう言い残してそそくさとバーベキューコンロの方へ駆けていってしまった。


 みらいさんは激しい喪失感に見舞われる。



「なにしてんだオマエ?」



 悲し気に希咲の背中へ手を伸ばしていると、そこへ聖人と話し終えた蛭子が怪訝そうな顔で寄ってくる。



 みらいさんは失望を隠しもしないゴミを見るような目を彼に返し、ペッと唾を吐き捨てた。


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