1章53 『Water finds its worst level』 ⑨


 何故キミにセクハラをしたいと思ったのか。



 同じクラスの男子が一分の隙もない真顔で説明してくるそれを聞かされる。



 まさか自分の人生の中でそんな意味のわからない時間を過ごさなければならない瞬間があるとは夢にも思っていなかった希咲さんは何もかもを投げ出したくなる。



 いっそこのまま電話を切って逃げてしまえばなかったことに出来ないだろうかと考えるが、実際問題そういうわけにもいかない。



 なにせ、弥堂の言うセクハラとはあくまでセクハラしているフリなので、弥堂自身のためのセクハラではなく、セクハラをされる希咲のためのセクハラでもない。


 希咲の親友である水無瀬のためのセクハラだと言うのだ。



(――いやいや、なによ愛苗のためのセクハラって! そんなもんあるわけないじゃない……っ!)



 普通に考えればそうなのだが、しかし既に実際にそういう現象が起こっていると言う弥堂の真意は確かめておく必要があると判断し、希咲は地獄のような時間に臨んでいた。



「今まで、朝に登校してから水無瀬が俺に話しかけると、その起因となる感情はともかく一定の関心が周囲から寄せられていた」


『……それが今日はなかったのね』


「そうだ。今日は俺から水無瀬に挨拶をした。これまでの経緯があれば、それを見た一部の連中は多少なり騒ぐはずだ。そうだな?」


『そうね。それがないってことは、その『これまでの経緯』ってのがスッポリ抜けてる――それか、愛苗とは関連のないものに変わってるから。そういうことね?』


「あぁ。だが、まったく視線を集めなかったわけでもない。しかし、それはいつものものではなく、俺が誰かと喋っている、それも目立たないような生徒と。そんな風な奇異の視線だったように思える」


『……あんたに対する認知はそのまんまだけど、愛苗のことだけは違っちゃってる』


「そうだ。とはいえ、傍から見ればクラスメイト同士が挨拶しているだけのことでもある。そもそも普通はそんな当たり前のことをしただけでは騒ぎにはならない。だから、少し普通ではないことをして水無瀬にも注目が集まるようにしてやれば、何か矛盾のようなボロを出す者がいるかもしれない。そう考えたんだ。ここまではわかるか?」


『うん、わかるわ。あと、あんたが自分と愛苗のことそうやって自覚してるくせにあんな冷たい態度とってたんだって、それもわかって余計あんたのことキライになったわ』


「……それは今重要ではない」


『重要だから。つか、なんなの? あたしに怒られないと普段ちゃんとアイサツしないくせに、こういう時は自分からアイサツするのね。実験だか検証だか知んないけどマジなんなの? サイテー』


「キミが教えてくれたおかげで挨拶の重要性に気付けたんだ。感謝する」


『うそつき』


「……嘘じゃない」



 全く信用していない希咲の詰問の視線からスッと眼を逸らすが、スマホごしでも軽蔑のジト目が頬に突き刺さるのを感じ、弥堂は諦めて希咲の顏に目線を戻す。


「というわけで目立つ行動をと考えたわけだが」


『なに無かったことにして勝手に再開してんのよ。ベツにいいけど』


「そこでまず、俺は彼女を膝に乗せてみることにした」


『……どうして初手それ選んじゃうかなぁ……』



 希咲は頭痛を堪えるように額を押さえながら呻く。一つ見逃してやってもすぐにこれだと、心の底から残念だとアピールした。



「前に一回やっているからな。違いが見つけやすいだろう?」


『そう、かもしんないけど……っ! 他になにか……ってゆうか、あんたってなんでなんもかんもそんななっちゃうの……?』


「さぁな。ちなみに前回やった時は大騒ぎになっていた」


『でしょうね。フツーそんなことしないもん。フツーそんなこと思いつかないし、思いついちゃってもフツー絶対やらないし。なんでやっちゃうの? バカじゃないの?』


「お前が甘やかせって言ったからだろうが」


『ゆってないし! つか、だとしてもそうはならないでしょって前も言ったじゃん! ……もう今言ってもしょうがないけどさ』


「そうだな。だが、まぁ、正直なところ。メンドくせえこと頼みやがってと、お前にムカつく気持ちもあった。だからお前にやれと言われたと吹聴してお前の評判を落としてやろうという思いもあった。許せ」


『許すか! あんたね! あたしが普段からどんだけ周りに気遣ってるか……っ! あぁっもぅっ……! マジばかっ!』



 希咲が諦めたような仕草を見せたので、今ならワンチャン通るかと正直に言ってみたが当然そんなわけがなく、彼女はまた怒りだしてしまった。



「それはともかく。やってみた結果、立ち話をしているよりは注目を集めることが出来た」


『当たり前でしょ。そんなおバカなこと小学生だってやらないし』


「だが、その注目はやはり水無瀬ではなく俺に集まったものだった。以前までだったら、俺になにかをされている“水無瀬に”注目が集まっていたはずだ」


『あまりよく知らない女子になんかいきなりえっちなことし始めた“ドヘンタイに”注目が集まったってことね』


「そうだ」


『そうだじゃねーんだわ』



 こちらの不満や憤りを無視して進める弥堂をジトっと睨みつつも、とりあえず一旦はそれを置いておいて希咲も理解を追い付けることにした。


 二人ともに真剣な目を向け合う。



「俺と水無瀬では、当然だが周囲からの好感度は水無瀬の方が高い。高かった。だから俺と彼女との間で何かがあれば俺に対しての非難が飛び交う」


『今回そうならなかったのは、今までのことを思い出せないせいで、愛苗が今まで周りの人に積み重ねた好感度がなくなっちゃってるから……?』


「多分そういうことなんだろうな。答え合わせをする方法がないからそれが正解かはわからんが、俺にはそのように視えた」


『なんでそんなことに……』


「さぁな。少なくとも普通の出来事ではないだろ」


『……愛苗、落ち込んでたわよね……? なんで愛苗が……』



 深刻そうな顏で思いつめる希咲を弥堂はジッと視る。



 そして、水無瀬を会話に参加させないで正解だったなと己の判断をそう評価した。



 希咲は――そしておそらくその仲間たちも、この様子では水無瀬 愛苗という人物を正確に把握していないようだ。


 水無瀬は『魔法少女』に関することを希咲には伝えていないと、そう言っていた。



 だが、だとしても希咲たちの方で――正しくは紅月家の方で魔法少女のことを掴んでいる可能性はあると考えていた。


 魔法少女のことは把握しているが水無瀬がそうだとは知らないだけか、それとも魔法少女というものがこの世に存在すること自体を知らないのか。



 それはわからないが、とりあえずそのことは伏せられるだけ伏せておこうと考えた。



 この件を通して、この先に起こる結果の後で、希咲や彼らとどのような関係になるのかはまだわからないが、敵対関係になる可能性は割と高いと思っている。


 その時にアドバンテージになるような材料は少しでも持っておくべきだろうと、そのような判断から水無瀬が魔法少女であるということ――不可思議な現象とは全くの無縁な普通の少女ではないということを、可能な限り隠しておくことに改めて決めた。



(まぁ、それもおそらく無駄になるだろうがな……)



 思案する希咲の目がこちらへ向く。こちらの思考に勘づかれる前に話を続けてしまう。



「そしてHRが終わった後、野崎さんたち4人が俺のもとに来た。水無瀬のもとでも、俺と水無瀬のもとでもなく――だ。それが不自然なことだというのはわかるか?」


『……わかるわ』


「ここ最近お前や水無瀬のせいで随分と彼女らに気安く話しかけられるようにはなったが、しかしわざわざ雑談のために短い休み時間に俺の所を訪れるわけがない。野崎さんはともかく、俺と彼女らの関係はお前と水無瀬が居なければ成り立たない。もしも水無瀬が最初から存在しなかったら完全にゼロになるはずだ。そうでなければおかしいと思わないか?」


『……確かに、おかしいわね……。愛苗との記憶は思い出せないのに、愛苗との絡みで繋がったあんたとの関係性とか親密度……? みたいなのは変わらないでそのまんまになってるって、そういうことが言いたいのよね?』


「あぁ。お前自身もそうだろ? もしも水無瀬が居なかったら、同じクラスになったからといって、わざわざ俺に文句を言ったり話しかけたりなどしようとは思わないんじゃないか?」


『そーね。むしろ今からでもあんたに関連すること全部ゼロにできないかって思ってるわ。どうしたら出来ると思う?』


「余計な茶々を入れるな。今は真面目に話をしているんだ」


『はーい……、つか、これであたしがふざけてるみたいになるのナットクできないんだけど……』



 軽いノリで返事だけしてみせた彼女はその後も唇を尖らせてブツブツと文句を口遊む。


 弥堂は聴こえないフリをした。



「彼女らはお前に俺のことを頼まれたから何となく機嫌を伺いに来たと言っていた。お前は水無瀬のことを頼んだはずなのに、それが俺に置き換わっている」


『それ、絶対にヘンよ。百億歩譲ってあたしとあんたがトモダチだったとしても、あたし自分の留守中にあんたのことを誰かに頼んだりしない。だってやり方はともかく自己解決能力があるもの』


「そうだな」


『あんたが頭おかしすぎるから悪いことしないように見張っててとかならアリかもだけど、それでも頼む人を変えるわ。フツーの子じゃあんたのこと止めらんないし……』


「そうだな。それは彼女たちにもわかることのはずだ」


『そうね。多分頼まれた時点で……』


「あぁ。頭のいい舞鶴や小賢しい早乙女なら絶対に受けないだろうが、人の好い日下部さんや責任感の強い野崎さんなら断れずに受けてしまうこともあるかもしれない。だが、それに違和感を感じないのはおかしい」


『絶対ヘン……。でも、違和感……、感じない……。それって……』



 何か思いつくことでもあったのか、窺うような視線を希咲が向けてくる。



『ねぇ、その違和感を持たないのって、現実と矛盾するような本当の記憶を思い出せないからだって、あんたはそう考えてるのよね……?』


「そうだな」


『……誰かがこうなるようにしてるって可能性はない?』


「………」



 その質問に弥堂は一瞬だけ目を細めてからすぐに返答する。



「誰が?」


『え?』


「その誰かってのは誰だ?」


『それは……、わかんないけど……』


「そうか。じゃあ、どうやって?」


『どうやってって……、それも……』



 お口をモニョモニョさせて口ごもる彼女の顔をジッと視る。



『……なによ。当ずっぽうで言うなって? ベツに怒んなくてもいいじゃん』


「怒ってない」


『目が怒ってる』


「勘弁しろよ……。誰がそんなことを出来ると聞いただけだろ」


『わかってるわよ。そんなことをする理由があるヤツに、都合よくそんな技術がある可能性って一体どれくらいなんだろうな――的なことが言いたいんでしょ?』


「逆も言えるな。それだけのことが出来る意味のわからない力だか技術だかがある者が、こんなしょうもないことをする可能性などほとんどない」


『しょうもないってゆーな! 大事おおごとじゃない!』


「お前らにとってはな。だが社会的に見れば大して影響のない小さな事だろ。俺ならもっと違う使い方をする」


『……ちなみにどんな?』



 画面に映る希咲さんのお目めは既にジト目だ。



「そうだな。俺なら自分に使う」


『かわいそう……。コミュ障拗らせるとそこまで他人を遠ざけたくなるのね……。そんなに人とお喋りしたくないの……?』


「馬鹿にしてんのかお前」



 そのジト目が一瞬で憐憫の眼差しに変わり、弥堂は屈辱を感じる。



「そういうことじゃない。特殊詐欺の受け子や出し子に最適だと考えている。何回ATMのカメラに姿を録られても全く印象に残らないのは素晴らしい。もしかしたら銀行も直接狙えるかもしれない」


『……どうしよう。あんたがそういう犯罪系のことをすぐに思いつくのがもう当たり前みたいに思っちゃってて。覗きとかえっちなことじゃなかっただけホッとしちゃったんだけど……。おかしいわよね。罪的には痴漢より詐欺とか強盗の方が重いのに。認知がどうのってこういうこと?』


「んなわけねえだろ」


『あんたのせいで、コンプラとかリテラシーがハチャメチャになっちゃったじゃん! あたしの認知バグらせないでよっ』


「知らねえよ」


『とりあえずっ。愛苗を騙して悪いことさせんじゃないわよ? 絶対許さないからね』


「やろうにもその手段がない。お前は当たり前のように言っているが、普通はそんな現象を意図的に起こすことは不可能だ。それとも、お前にとってのそういった不可思議な事象は、やろうと思えば当たり前に出来ることとして認知しているのか?」


『そんなこと言ってないでしょ! なんでいちいちヤな言い方すんのよっ』


「そんなつもりはない。そのように感じるのは、俺という人物が常にお前に対して悪意を持っていて、悪意のある言動を常に行うに違いないと――お前がそのように認知しているからだ。だから俺が犯罪を仄めかすような発言をしても違和感を感じないんだ。どうだ? 俺の言ったとおりだと思わんか? 違うというのなら――」


『だあぁぁぁーーっ! うっさいっ! あんたホントきらい!』


「そうか。そうだと思ったよ。俺の認知は合っていたな」


『ただ「誰かがやってるとかないかな?」って聞いただけじゃん! フツーに『わかんない』とか『心当たりない』とかって言えばいいじゃん! なんでいちいちムカつくこと言うわけ⁉ 理屈っぽいネチネチ男とかマジうざいんだけど!』


「随分酷いことを言うな。心が痛む」


『うるさいっ! そういうのいいから! 結局あんたに心当たりはないってことね!』


「ちょっとわからないな」


『あんたさ、意味もなくあたしを怒らせて遊んでんじゃないでしょうね?』


「いや? 意味ならあるぞ」


『へ?』



 プリプリ怒っていた希咲はキョトンと目を丸くした。



「俺は今お前を怒らせたな?」


『は? なんなの?』


「警戒するな。そのままの質問だ」


『聞くまでもないでしょ。怒ってないのにこうだったらあたしヘンな子じゃん』


「そうだな。それで怒ったお前は俺を怒鳴りつけて、俺もお前に言い返す。傍から見たら口論をしているように見えるな」


『ね、ねぇ……? あんたのその当たり前のことを突然説明しだすのやめてくんない? あんたがそれするとすっごく不穏に感じるようになっちゃったんだけど……』


「勘がいいじゃないか」


『え?』


「俺とお前が口論をすると周りはどうなる?」


『どうって……、なんか面白がられる……? ののかとかフツーにカラかってくるから、あたし教室であんたと言い合いすんのヤなんだけど……』


「そうか。ところで。今そうなっているか?」


『――っ⁉』



 弥堂のその言葉に希咲はハッとする。



『ね、ねぇ、今って周りに他の子は……?』


「見た方が早い」



 弥堂はスマホのカメラを周囲へ向けて希咲が見る画面にその様子を写してやる。



『……誰も、気にしてない……?』


「そうだな」



 希咲の目に映ったのは、何事もなく平和に談笑するクラスメイトたちの姿。


 こうしてカメラを向けられても誰も関心を向けない。



「今回の件とは関係ないことでお前と言い合いをしている時はニヤニヤとされていたが、どうも水無瀬のことや現状について、その矛盾点に辿り着いてしまうようなことには気付かないみたいだな」


『そんなの……』



 誰もがわざとそうしているわけではない。


 ただ、自然とそうなってしまっている。



 現在の教室の光景が映像として画面に映ることで、自分がその場にいるよりも嫌でも客観視出来てしまい、その日常と何ら変わりない楽し気な様子に希咲は薄ら寒さを覚えた。



「こっちも同じだ」


『…………っ』



 弥堂はカメラを逆サイドに振る。


 そこに居るのは空井さんと昏尹さんだ。



 先程弥堂と希咲の言い合いに巻き込まれて酷く怯えて身を縮こまらせていた彼女たちは、今では何もなかったように大人しく授業の準備をしている。



「さっきみたいに直接自分の名前が出れば反応もするようだが、そうでなければすぐ隣でこんなわけのわからん妄想話をしていても、聴こえているはずなのに一切訝しむこともない」


『……なんだろこれ。真実に気付かせないようになんか大きな力が働いてるみたい……』


(勘がいいじゃないか)



 それはあながち間違いではないと心中で肯定し口には出さない。



 呟くような希咲の言葉に弥堂は何も答えなかったが、彼女もそのまま考え込んでしまったようで気には留めなかった。

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