1章51 『死線上で揺蕩う窮余の一択』 ⑮

 キッチリ2分後――



「――時間だ」



 弥堂は未だ啜り泣く女の身体を起こさせ、ベッドに座らせる。


 さっきまで嗚咽を漏らしていた女もこの頃にはもう諦めたのか、会話が出来るくらいには落ち着いてきていた。



「……“WIZウィズ”のことが聞きたいの? Sじゃないわよね……?」


「あぁ」



 弥堂が適当に答えると女は表情を一層深刻なものにする。



「……私は持ってないわ」


「じゃあ持ってるヤツのことを聞かせてくれ」


「……悪いことは言わないわ。ヤらない方がいい」


「俺が使うために興味を持っているわけではない」



 話す気ではいるようだが女の口は重い。


 弥堂は彼女の前で腕を広げてみせ、自分の姿がよく見えるようにしてやる。



「勘違いして欲しくないんだが、俺は刑事デカじゃないし、そのクスリの利権を狙っているギャングやヤクザとも関係ない」


「それは……、まぁ、警察だとは思ってないけど……」


「俺が欲しいのは最近この街で出まわり始めた新種のクスリの情報だ。だからキミをどうこうするつもりもない」


「……本当ね?」


「あぁ、約束しよう」


「…………私はもう関わりたくないの……」



 この件について話すこと自体に怯えているような女の様子を視て、弥堂は少し遠回りをすることに決めた。



「その様子からすると自分から望んで手を出したようには見えないが、そもそもどうしてそのクスリを?」


「私だって……っ! こんなものヤりたくなかった! そんなつもりはなかったの……!」


「そうだと思ったよ。10代のバカなガキならともかく、キミのような賢そうな女性が何故……とな」


「騙されたの! こんなことになるなんて思ってなかったし……、聞かされてなかった……っ!」


「それは酷いな。心の底から同情するよ。それで? 『誰に』『どのように』騙されたんだ? もしかしたら力になれるかもしれない。教えて欲しい」



 女はバッと顔を上げると僅かに期待を含ませた表情で弥堂を見る。


 そしてポツリ、ポツリと話しだした。



 心の奥底の冷静な部分では本当はわかっている。


 目の前の男の渇いた瞳には、彼が口にしたような同情や助力――そんな類の色はカケラもない。


 だが、一時でも縋れるものがあるなら、何でも、誰でもよかったのだ。




「……そうか」



 女の話を要約するとこうだった。



 仕事や人生が上手くいかなくてムシャクシャしていて、ホストクラブにハマってしまった。


 金が減ってきて、新規客は初回セットが無料になるサービスをしている店を荒らしていたら、その内の一店のホストとホテルに行くことになった。


 初対面のホストとそういったことになるのは初めてではなかったので、特に警戒することもなく着いて行った。


 そしてそこでクスリを射たれた――というものだった。



「――無理矢理射たれたのか?」


「無理矢理というか……、その……」



 女は口籠る。


 ジッと目線を向けていると観念したように答えた。



「……力づくってほどじゃないんだけど……、その子、若い客が多いみたいで……、最近コレが流行ってて、キメてヤると凄くトベるって……。ノリが悪いと抱いてもらえないかなって思っちゃって……、その日は飲み過ぎてて、つい……」


「どこに射たれた?」


「……最初は首に射たれそうになったんだけどさすがに恐くて……。そしたら腕に……」


「そうか。その後足には自分で?」


「自分でというか……、こういう仕事してるから目立つ場所は困るってお願いして……。それからは射たれてヤられてってのを何回か……。店に来ないと売らないって……! 他じゃ売ってなくて……! 貯金全部持ってかれて、闇金で借りさせられて……っ!」


「そうか。心が痛むな」



 至極どうでもよさそうに相槌を打って、何を聞くかを整理する。



「何回射った?」


「……4回よ」


「どれくらいの期間で?」


「二週間くらい」


「今は?」


「……もうやってないわ」


「やめてからは?」


「……10日くらい」


「よくやめられたな」



 弥堂にしては珍しく何も含まずに称賛したが、女は複雑そうな表情をした。



「……監禁したのよ」


「病院か?」


「違うわ。絶対にヤバいクスリだと思ったから病院に行ったら警察に捕まりそうで……。だから自分で自分を……」


「だが、かなりの禁断症状があっただろう? 仮に耐えられたとしても他のことが手に付かなかったんじゃないのか?」


「……他人ひとに世話を頼んだのよ」



 女はまた口籠り、やがて溜息とともに吐露する。



「……何でも言うこと聞く客がいて……、その間は避妊さえしてくれれば私の身体を好きにしていいから、私が正気まともになるまでは私が何を言っても外に出さないでって頼んだの……。キモイ客だけど、でも、一番安全そうで……」


「そうか」


「……軽蔑しないで。仕方なかったの。禁断症状が出るとヤりたくってしょうがなくなるのよ……っ! クスリキメてセックスしたいって……! でも、エッチだけでもしてればギリギリどうにか気が紛れて……」


「別に軽蔑などしていない。その対処で正解だ」


「えっ……?」


「なんだ。知らないでそうしていたのか」



 目を丸くする女へ弥堂は説明をしてやる。



「何故クスリを入れたら犯すのかわかるか?」


「何故って……、キメセクするために……」


「逆だ」


「え?」


「セックスの為にクスリを使っているんじゃない。クスリにハマらせる為にセックスもしているんだ」


「ど、どういうこと……」



 戸惑う女を無感情に見下ろしながら続ける。



「あのクスリを入れると異常な高揚感があっただろう? 何でも出来ると錯覚し、一切の不安が消し飛ぶ……」


「……思い出したくないわ」


「そのハイになっている所に性的快楽も混ぜるんだ。クスリを入れれば快感を得られると身体を騙す。クスリが欲しくなれば同時に性欲も増すようになり、逆に性欲が湧けばクスリも欲しがるようになる」


「……初めからカモにされてたってことね」


「だが反面、まだ取り返しのつかない所までいっていなければ、性行為で禁断症状を誤魔化すことも出来る。そうしている間にクスリが抜ければ戻れることもある。キミは運がよかった」


「やめて……、こんなので運がいいだなんて……っ! それより……、詳しいのね。まさかアナタも……」


「ただ知っているだけだ」



 女からの質問は言わせずに次の聴取に移る。



「どこの店だ」


「……4番街の、最近できた『STARDUSTスターダスト』って店よ」


「ハーヴェストグループか?」


「そうよ。後で調べて気が付いたけど、外人街あっちがガッツリ絡んでたわ……!」


「ホストの名は?」


刻悸也ときやって子よ。1回目と2回目はその子で、3回目と4回目の時は違う子だった。何かやらかしたのかヤキ入れられたって聞いてて……」


「今は?」


「……連絡はくるからまだ居ると思う。ブロックしたいけど、それやったらトンだと思われて探されそうで……」


「賢明だな。最後に連絡が来たのは?」


「……今日、というかもう昨日ね。なんか、明日南口の方に来るから会いたいとかって……、絶対に会わないけど」


「そうか」



 一つ成果を得て弥堂は内心で口の端を吊り上げる。



「そいつの写真はないか?」


「……あります。ちょっと待って……」



 女は答えながらスマホを手繰り寄せ画面に表示させる。



「データ通信で送りましょうか?」


「……? けっこうだ。一度見れば憶える」


「そう。その……、出来れば私の方はあまり見ないで……」


「あぁ」



 適当な返事をしながら女が向けてきたスマホの画面を見る。


 写っているのは二人、目の前に居る女と如何にもホストといった容貌をした頭の緩そうな男だ。


 裸で二人一緒にベッドシーツに包まっており、カメラとなるスマホを持っているのは男の方のようだ。女はその隣で焦点の定まらない目で涎を垂らしながらグッタリとしている。



「もういいぞ」


「……えぇ」


「次だ。そのクスリの名前。他の呼ばれ方はないか?」


「名前……?」



 問われた女は少し思い出すように思案し、それから口を開く。



「“Witheringウィザリング Potionポーション”、それが商品名……と言っていいのかしら? とにかく正式名称はそれだって言ってたわ。通称は“WIZウィズ”って呼ばれてる」


「他にはないか?」


「他は……、あっ――一度だけ運び屋を見たのよ」


「ほう」


「代わりの子と落ち合った時のことなんだけど。少し早めに着いてしまって時間を潰してプラプラしてたら偶々運び屋と会ってる所を見ちゃって……」


「そいつは?」


「……多分、中国人だった。日本語喋ってたけど」


「スラムから出てきたか」


「たぶん……。その運び屋は『WIZARDウィザード』って呼んでたわ」


「……そうか」


(魔法使い、ね――)



 新たな知識を記録に加え、そのことは表情に出さない。



「モノは? 残ってないか?」


「……もう無いわ」


「本当か? 隠すとためにならんぞ」


「本当よ……っ! もう、恐いの……っ!」


「そうか」


「一度抜けたらもう一回やろうだなんて思えない……っ! あんなの、どうかしてるわ……! 正気シラフであんなのやろうだなんて、狂ってる……!」


「…………」



 語気を荒げる女の言葉を無感情に聞き流した。


 少しの間、息を乱した女が落ち着くのを待ってから再開する。



「売人とコンタクトは取れないか?」


「それは…………。お願い、許して……。もう関わりたくないの」


「そうか」


「私……本当に人生がダメになるって、無くなっちゃうって思った……。もうイヤなの……、死にたくないわ……っ」


「……ちょっと見せてみろ」



 弥堂はまた泣きだそうとしている女の顔に手を伸ばした。



「えっ――」


「動くな」



 頬に掌をあて顎を上げさせて目を合わせる。


 親指で瞼を拡げ眼球をよく視る。



「目玉が異常なほど血走ったことは?」


「え……? あの、なにを……?」


「答えろ」


「……少し充血したくらい、だと思う……」


「そうか」



 頬の肌を指で軽く押しこみ、感触を確かめる。



「顔に少し見てわかるくらいに血管が浮いたことは?」


「ないわ。でも……、腕とか足の、注射を射ったあたりは少し……」


「首は?」


「ない、と思う……。でも、少し血管が膨れたような感覚は……」


「出血は? どこか血管が破裂したり、目や耳から血が流れたりは?」


「な、ない。そこまでは……」



 不安そうに答える女に事務的に質問を続けていく。



「髪は? 色が抜けたり、髪の毛自体が抜けたり」


「大丈夫、です」


「体重は?」


「少し、落ちたくらい……」


「体調は? クスリが抜けた後に、逆にクスリをやる前より調子がよくなったり、或いは身体能力が上がったりなどは?」


「ない。体調はむしろまだ、あんまりよくないわ。身体能力は……、ちょっとわからないというか……、どういう意味……?」


「わからないならいい」



 女からの質問には答えず一方的に情報を得ながら、弥堂は一度目を細めて思案する。


 それから興味を失ったように目線を外すと手を離して女を解放した。


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