1章51 『死線上で揺蕩う窮余の一択』 ⑭
カギをかけて戻ってきた弥堂は、ベッドルームと玄関への通路との境目にある壁に肩を付けて寄りかかる。
ベッドに座っている女は、まるで自分を逃がさない為に監視をしている様にも見えるその様相に居心地の悪さを感じ、袋の中から選んだミルクティを一口含んでペットボトルの蓋を締めた。
「えぇっと……、あっ、朝比奈です。チェンジとか……その、私で大丈夫ですか……?」
女は居心地の悪さを誤魔化すように笑顔を造り、冗談めかして客に尋ねた。
ペットボトルを持つ両手に僅かに力がこもる。
その手の動きにチラっと一瞬だけ視線を遣り、弥堂は答えた。
「……あぁ、問題ない。キミがいいんだ」
「そ、そうですか。嬉しいです」
ワンチャンチェンジを申し出てくれたらラッキーと女は考えていたが、期待していた答えではなく、内心の落胆を表に出さぬようにしながら心にもない礼を言う。
「…………」
「…………」
そのまま部屋は無言になってしまう。
(ぅわぁ……、会話が全然繋がらない系かぁ……、めんどくさいなぁ……)
話が合う客が相手ならプレイ時間の半分ほどを会話を盛り上げることで削り、行為の時間を極力短くすることも出来る。
だが、逆に会話をしようとすることが苦痛になるタイプの客には、黙って身体を触らせておいた方が遥かに楽になる。
どちらも働いてる側の勝手な都合だが、しかしこの時間はある程度割り切らねばならないと覚悟を決めた。
(……仕方ないか。でも、あれだけ汚れてるとあまり触られたくないし、場合によっては入れさせちゃうか……。でも、その前に――)
「――じゃあ料金は前払いになってるんですけど……」
「あぁ」
「――あっ、待って。その前に確認が」
「なんだ?」
上着の内ポケットに手を入れながら近づいてくる男を慌てて止める。
女はここで初めて目に見えて表情を歪めた。
「その……、それ、“ダイコー”の制服よね……? 美景台学園。キミ、もしかして高校生? だとしたらちょっとマズイんだけど……」
難しそうな顔をして弥堂へ問いかけた。
(……それで『わかりました』って聞き入れてくれるタイプなら最初から来ないだろうしなぁ……。せめて私服で来いよ。そうしたら気付かないフリしてあげるのに……)
「あぁ、これはコスプレだ。イベント帰りでな」
「イベントって……」
どう見てもそういったイベントに参加する人種には見えないので、女は困惑する。
「えぇっと、それじゃ申し訳ないんですけど身分証とか……」
(なんで私が年確しなきゃなんないのよ……っ! シロだったとしても気まずくなるからホントめんどくさい……っ!)
守る決まりと守らない決まり。
中途半端にまともな店のマニュアルに胸中で毒づきながらも女は表面上は媚びた笑顔を浮かべ、弥堂へと年齢確認を求めた。
「身分証は持ってないが、代わりにこれでどうだ」
「えっ?」
慌てることも悪びれる様子も見せずに弥堂は懐から取り出したモノを女へ渡す。
手の中のモノを見た女は目を見開いて驚いた。
「あ、あの、これ……?」
「身分証よりもよっぽど気に入っただろ?」
「そういう問題じゃ……」
本当は意味はわかっているのにわからないフリをしながら女は手の中の一万円札の束をチラリと見る。
「あの……、これ、大分多いんですけど……? オプションなしですよね?」
渡されたのは料金の10倍ほどの金額だ。
「あぁ。店に払って余った分はキミがとっておいてくれ。金が必要だろ?」
「で、でも……」
女は視線を彷徨わせて迷う。
迷っているフリをしている。
この客の言うとおりだ。
金が必要だ。
「わ、わかりました。ありがとうございます」
「あぁ。こちらとしても理解が早くて感謝する」
体裁を保つだけの迷う時間を設けたのち、女は金をバッグへ仕舞ってスマホを取り出す。
手早く店へ『料金OK』の旨を送りバッグへ戻すとまた別の物を取り出す。
(……なんでこんな店にこんなに金払いのいい客が――って思いたいけど、どう見てもヤバイ系よね。どこかのバカボンみたないな雰囲気はないし)
手に持ったタイマーのボタンを操作しながら脳裏で算盤を弾く。
(まぁ、“育ち”の悪さは私も言えたクチじゃない。とりあえずはキゲンを損ねないようにして、掴めるチャンスがありそうなら全力で“サービス”してあげるわ……)
そう心に決め、タイマーを“75分”でスタートさせた。
「それじゃあ、シャワーいきましょうか」
バッグから消毒液とうがい薬を取り出しニコッと笑う。
「必要ない」
「え、えぇっと……、それはちょっと困るなぁっていうか、その、決まりで……」
(うわー、一つ一つ全部めんどくさいこと言わないと気が済まないタイプかぁ……、キツイなぁ……)
女は表情に浮かべた笑顔が苦いものにならないように努力しながら説得を試みる。
「……うちは即尺はやってないからシャワーしないとプレイに移れないし、一応お客さんの安全のためにも――」
「――プレイはしないから必要ない」
「えっ?」
「キミに聞きたいことがある」
ジロリと向けられた渇いた瞳に女の心臓が一つ大きく跳ねた。
「えっ……? あの、なんの……」
「安心するといい。危害を加えるつもりはない。もちろんキミの態度次第だが」
「そ、そんなこと言われても……」
平淡な声で安心を促されたが、その眼つきが決して他人に安心を齎す類のものではなかったので、女は不審と不安に思わず身を緊張させる。
「あ、あの……、お客さんじゃないって、ことですか……?」
「客だ。金は払っただろ?」
思わず金を仕舞ったバッグへ視線を送ってしまう。
「私に、なにを……?」
一瞬だけ金を返すかどうか迷い、女は弥堂へ問い返した。
「なに、そう緊張するな。そんなに難しいことを聞きたいわけではない。気楽に聞いて気軽に答えてくれ」
「は、はぁ……」
「俺が聞きたいのは、キミがそんなにも金を必要としている――その原因となっている“モノ”についてだ」
「――っ⁉」
一言目からクリティカルな弱みに踏み込まれ女は息を呑んだ。
「簡単だろ? なにせ自分自身のことだ」
「あ、あの、私なにも……」
「どうやら時間に制限があるようだからな。余計な問答は無用だ」
「きゃ――っ⁉」
弥堂は女の肩に手を遣り乱暴にベッドに押し倒すと腕を掴む。
「ら、乱暴はやめてっ! 店の人を呼びますよ……⁉」
「乱暴などしない。キミが答えないから勝手に確認をするだけだ」
「か、確認……って――あっ⁉」
女の言葉に耳を貸さず、弥堂は彼女の着用している長袖ニットの袖を捲り上げる。両腕ともに露わにさせて前腕部周辺をよく視る。
「な、なにもないでしょっ! 私クスリなんてやってない!」
「クスリなんて一言も言ってないんだがな。だが、それもまだわからないな」
「も、もうやめ――あぁっ⁉」
弥堂は女の左の足首を掴むと一気に引き上げた。同時に彼女の右肩を左足で踏みつけて上半身を動けなくさせる。
「や、やめてっ! 触らないでっ!」
女は短いスカートが捲れ上がり下着が露出することも厭わずに足をバタつかせ、一層激しい抵抗を見せた。
こちらを蹴りつけようと伸びてきた右足を左手を使って逸らすと、女の股の間に自身の身体を入れる。空かした右足を脇に抱えて自由を奪い、腰を押し出して女の背中に当てて股が天井を向くように姿勢を変えてやる。
「ぅっ……⁉ ぐぅっ……くるっしぃ……」
ほぼ首だけでベッドに接して不安定な姿勢を支えることを強要された女が呻く。
弥堂は女の脚を包むストッキングの左足首のあたりを乱暴に掴んで、無慈悲に引き千切った。
「――ほら、あるじゃねえか」
「いっ、いやぁぁぁっ……!」
楕円の穴から覗いた肌。
そのくるぶしの近くにはいくつかの注射痕。
傷口の周辺は青黒く変色していた。
「これはなんだ?」
「し、しらないわよっ!」
女の股の間から左腕を伸ばして顔を掴む。
顎を押さえて目を逸らせないようにし、右腕で掴んだままの女の足を無理矢理動かしてガニ股開きにさせて足首を顔の前に持っていく。
「よく見ろ。これはなんだ」
「わ、わからない……っ」
「答えは慎重に選べ。あと一回しか訊かないぞ。それで『知らない』だの『わからない』だのと答えるなら、この変色した皮膚を剝ぎ取ってお前の顔面に貼り付けてやる」
「うっ……うぅ……っ」
自分を見下ろす冷酷な瞳が脅し文句にリアリティをもたせ、女は言葉に詰まった。
「俺はお前が注射を使ってここに打ち込んだシロモノについて訊きたいんだが……、答えてくれるな?」
「…………わかり、ました……」
女は消え入るような声で了承の意を唱える。
諦めたかのように身体からも力が抜け、抵抗がなくなった。
その様子をつまらなさそうに見下ろした弥堂は次の行動に移る。
相手の気が変わらない前に、脅迫用の証拠を作る必要がある。
女の顎を掴んでいた左手で懐を探りスマホを取り出す。
カメラアプリを起動させ一旦ベッドの上へ放っておく。
そして女のバッグを引き寄せて中身をぶちまけた。
なにか本人の身分が確認出来るものはないかと漁っていると社員証のようなものが見つかる。
女が派遣の事務員として出勤している会社の名前とともに、女の本名と顔写真が載っている。
裏返してみると服に取りつけるためのクリップが付いていた。
「ふむ」
「や、やめてっ!」
弥堂は女の下乳部分のニットを引っ張ってその名札がこちらを向くように取り付けた。
それからカメラを自分から見てほぼ真下にある女の顔へと向ける。
「や、やだ……っ! 撮らないで……!」
「手をどけろ。それとも拘束されたいか?」
「い、いたいっ……! わかった! どけるから……! 痛いことしないでっ……!」
腕をどけて顔を背ける女へ弥堂はカメラを合わせながら、記憶の中に記録した写メの撮り方を思い出す。
先日希咲に『今度カメラアプリの使い方を教えてあげる』と言われてから、絶対にあの女にマウントをとられたくないため、使い方を自分で調べておいたのだ。
シャッターボタンに指を近づけながら、身分証と女の顔と注射痕のある足首が全て画面に納まるように調整し、ふと、何かが足りないと思いつく。
この画角、この絵面にどこか既視感を感じ、一体何だったかと記録を探ってみると浮かんできたのは廻夜部長の顔と言葉だ。
そういえば以前に廻夜から20Pほどの漫画形式の資料を渡された際に、こういった写真を撮る時の作法のようなものを教わっていたなと思い出し、それに従うことにした。
「――おい、ピースをしろ」
「え……?」
「聴こえなかったのか? カメラに向かってピースをしろ」
「は……? な、なにを……、ふざけてるの⁉」
「うるさい。ふざけてなどいない。早くしないと、人差し指と中指以外の指をヘシ折って無理矢理ピースを作らせるぞ」
「な、なんで……、ひどい……っ」
重ねて脅され、女は渋々と指示に従う。
「もう片方もだ。両手でピースしてしっかりとカメラを見ろ」
「……っ」
あまりの屈辱的な要求に女は反射的に怒鳴り返しそうになったが、寸でで止める。
今感情的に声をあげてしまえば、そのまま泣きだしてしまうことを自覚していたからだ。
せめてもの抵抗にと精一杯カメラを睨みつけた。
「笑え」
「……え?」
「笑え。早くしろ」
しかしそれすらも許されずに、さらに絶望的な命令を下される。
それに抵抗する気力は湧かなかった。
女がその顔に卑屈な笑みを造ると、両目にジワッと涙が浮かんだ。
パシャッ、パシャッと二回音が鳴った後に、女の瞼からは涙がボロボロと零れ始めた。
用は済んだと女の拘束を解き、投げ捨てるようにベッドへ転がして、今しがた撮影したデータが保存されているかを確認する。
スマホの画面の外からはシクシクと泣き声が聴こえているが、弥堂は興味を持たなかった。
写真はしっかりと撮影出来ていた。
画面に最も近い場所には下着に覆われた女の股間。
次に下乳に付けられた顔写真付きの本名が書かれた名札があり、その近くにはガニ股に開かされた足を曲げられ、無理矢理画面内に押し込まれた注射痕と青痣がある足首。
そして一番奥には、瞼いっぱいに涙を溜めて卑屈な笑みを浮かべた本人の顔と、その顔の両サイドに添えられた“だぶるぴーす”だ。
自身が生み出した最低最悪の作品に弥堂は満足げに頷き、スマホを懐へと仕舞った。
「ごめんなさい……っ、ごめ、んなっ……さいぃ……っ!」
啜り泣きながら譫言のように漏れる誰へ向けたものか不明な謝罪の言葉を聞き流して、弥堂は女が先程操作していたタイマーへ手を伸ばした。
「2分だけ泣いていいぞ。それ以上は待たん」
言いながら女の顔の横にタイマーを設置した。
「時間がきてもまだ泣いていたら無理矢理起こすからな」
その言葉の後に、女は号泣しだした。
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