1章42 『bud brave』 ①

 無心で左右の拳を交互に落とす。



 その拳を受け止めるのは女の顏。



 熱傷に浸食された憐れな疵物。



 光沢のない無感情な瞳に写した股の下の悲惨を蒼い炎で焼き、その存在の価値きょうどを今よりももっと貶めてやろうと弥堂 優輝びとう ゆうきは殴打を続ける。



 針状になって弥堂を貫こうと襲ってきた髪の毛は現在攻撃してくる気配はない。


 水面に浮かび広がり震えるように波打っている。



 アイヴィ=ミザリィが繰り返し漏らしていた怨言に『殴らないで』『酷いことをしないで』というものがあった。


 恐らく暴力を奮われることに対して一際強い想念を抱いたまま『世界』に残ってしまった個体なのだろう。



 人型は動物型に比べて身体能力が劣るが、元の精神や人格などの謂わば我が強い分、存在が固定されやすく格は高くなりやすい。


 だがその反面、元の存在の影響を色濃く残しやすいというデメリットもある。



 例えば、全く効いてなどいないのに、今すぐにでも攻勢に出られるのに、奮われる暴力に怯えて抵抗が出来なくなってしまう――といった風に。



 右、左、右、左、右――と拳を落としたところで、左手で大きめの石を拾う。


 右手で女の前髪を掴み頭を上げさせ、拾った石を後頭部の下に敷く。



 川の水による威力の減衰を減らす為に、石を枕にして頭部の位置を高くさせる為の行動だ。



 改めて右、左、右、左、右、左――と拳を落としていく。



 相手の特性を逆手にとり一見有利に立っているようではあるが、実際のところそういうわけでもない。


 結局このまま殺しきることが出来ないのであれば意味がない。



 殴りつけた頬から右拳を持ち上げる。


 その下から現れた皮膚には元々の火傷以外にも損傷が見え始めた。



 殴り続けていた箇所は水膨れが潰れたように皮膚が撓んでいる。


 ようやくダメージが目に見える形で現れ、弥堂の攻撃の成果だとも謂えるが、所詮この程度では化け物に勝つことは出来ない。



 殴り続けながら目玉を動かし先端の尖った石を探す。



 先日ネズミのゴミクズーを解体した時のように、表面に出来た傷から抉っていってバラバラに解体するつもりだ。


 都合のいい石を見繕い振りかぶろうとしたところでゴミクズーに動きが見える。



 水藻のように川面に漂っていた髪の毛が束ねられ弥堂の方へ向く。



 ようやく攻撃する気になったのか、あるいは思いついたのか。



 いずれにせよ、先手を渡すわけにはいかない。


 手に持った石を捨て、アイヴィ=ミザリィの鼻面に掌を押し付けると“零衝”を放つ。



 パンクしたラグビーボールのように女の顔がべっこりとヘコむ。



 続けて追撃を叩きこもうとするがそこまでは許してもらえず、凄惨な状態の本体とは裏腹に機敏な動作で髪の毛で形成された針が弥堂を襲う。



 全身が濡れることを厭わず横に転がる。



 敵の攻撃を回避するための行動ではあるが、しかし距離はとらない。


 背中を水に浸し上方より迫り来る針の群れを視る。



 ある程度引きつけたところで、自身の身体の脇に横たわるアイヴィ=ミザリィの服を掴む。



 グイっと乱暴に引き寄せて自身の身体の上へ持ち上げると、髪の針の方へ突き出して盾にした。



 無数の黒い線が女子高生の躰を貫通する。



「イア゙ァ゙ァァァァッーーー⁉」



 弥堂が全力で殴りつけていた時とは真逆にいとも容易く突き刺さり、アイヴィ=ミザリィの絶叫が喉奥から外へ響き渡る。



 馬乗りになって殴る弥堂の攻撃には、怯えた様子こそあれ、しかしダメージ的には大して効いてはいなかった。


 しかし、自らの髪の毛に貫かれた今は違う。


 明らかにダメージを負った。




 ゴミクズーには普通の人間が殴ったりしてもダメージが通りづらい。


 その辺にある物を使っても傷をつけづらい。


 魔法が非常に効果的である。


 ゴミクズーの攻撃は他のゴミクズーにも通る。


 ゴミクズーの体組織を利用すれば普通の人間でもゴミクズーを損傷させやすくなる。




 どういう理屈でそうなるのかはともかく、どうやらこれらはゴミクズーに共通する条件のようだ。



 おまけで付け加えるならば、頭がよくない。


 正確に云えば、戦闘に最適化されていない。



 人間はともかく動物にはあるまじきことだが、急に高いスペックだけを渡されて自分で自分が何が出来るのかを完全に把握出来ていない。


 そんな印象を弥堂は受けていた。



(まるで何処かの魔法少女のように――)



 すぐに立ち上がり追い討ちをかけるべく体勢を作る。



 しかし、弥堂が接敵するよりも先にアイヴィ=ミザリィがヒステリックに叫びながら頭を振るう。



 自分の躰に刺さっていない残った髪をぶん回して弥堂を近付けない。



「チッ――」



 悪態をついてバックステップを踏む。



 雑に振るわれる鞭のような攻撃が次々と襲いかかる。



 膝を抜いて頭を下げて一つの髪の束を潜る。


 先程と同じ要領で自重を踏むことで力を得てもう一歩下がりつつ、次に迫る髪の束をスウェーバックで躱す。



 さらに襲い来る髪の束に手を添えて方向をずらしやり過ごしたところで、その次に振るわれた髪の束には対処が追い付かなくなった。



 脇腹に直撃する軌道で迫るそれを腕を固めてガードする。



 腕から伝わってくる強烈な衝撃を自分から飛ぶことで殺そうとするが、その力を完璧に処理することに失敗する。


 意図をもって自分を狙ってくる攻撃ならともかく、駄々をこねる子供のように明確な意図を持たずに振るわれる攻撃を連続で処理する作業は弥堂の技量では捌ききれなかった。



 腕の骨が鳴らす鈍い音と、顔の側面が川面に叩きつけられる音がほぼ同時に聴こえたように錯覚する。



 先程弥堂がアイヴィ=ミザリィを蹴り飛ばした時の数倍のスピードで吹っ飛ばされ、水面を何度か跳ねて浅瀬を転がった。



 脳と三半規管を揺らされ平衡感覚を失い意識も瞬間的に途切れる。


 しかし、ダメージを負うことに慣れている弥堂の身体は反射行動で勝手に立ち上がる。


 数秒遅れて意識が回帰すると同時に眩暈と嘔吐感に襲われた。



 手足を僅かに動かして操作感を確かめる。


 五体の自由はすぐには戻りそうにはない。



 一方的に攻撃を浴びせていたようでいて、完全に優勢なように見えていても、適当に闇雲に振ったただの一撃でその状況をひっくり返される。


 この理不尽こそが化け物が化け物たる所以であった。



(――それがどうした)



 そんなことはよく知っているし、こういった状況も展開も弥堂にとっては慣れきったものだ。


 不利な戦いに身を投じ続ける――どころか、身を浸し続ける。


 それが弥堂 優輝という男の半生だ。


 この程度の劣勢では戦意は些かも衰えはしない。



 回復した方向感覚で敵の位置を確かめ、そちらに半身で構える。




 アイヴィ=ミザリィは場所を動いていない。


 もしも追撃をされていたらそれで終わっていただろう。



 躰に無数の髪の束で出来た針を突き刺したまま、潰れた頭部に残った髪を振り乱している。


 あちらも弥堂と同様に意識が朦朧としているように見えなくもないが当てには出来ない。



 見た目は人間のそれでも内部に人間と同じように脳や内臓が詰まっているとは限らない。


 先日解体したネズミのゴミクズーも脳が頭蓋骨の中に入っていなく、内臓の数も不足していた。


 先程殴った感触ではこのアイヴィ=ミザリィも同様だと思える。



 グラグラと揺れていたアイヴィ=ミザリィの頭の動きが止まる。


 全身をプルプルと震わせるとその躰に刺さっていた針を全て引き抜いた。



 髪が抜けた箇所から穴の空いた水風船みたいに冗談のように水がピューっと漏れ出している。


 水が抜けていくに連れて皮膚が萎れていくように視えた。



(水で出来ているのか……?)



 血液を川の水で代用して人間という血袋を再現しようとしている――或いは元の姿に固執して無理矢理再構築しようとしているのかもしれない。


 弥堂はそのように踏んだ。



 やがてはっきりと見てわかるくらいに彼女のサイズが萎んだところで、髪の束のいくつかがさらに束なって川の中に先端が突き刺さる。



 その髪の束はミミズがのたうつような動きを見せると、一部分がボコっと膨らむ。


 その膨らみは川に近い方から出来上がり髪の内部を通るようにして本体の方に近づいていく。その工程が何度か行われるに連れて、アイヴィ=ミザリィの肌は張りと瑞々しさを取り戻し元のサイズに戻っていく。



 最後にベッコリと潰れていた頭部が膨らむと完全に元通りの姿となった。


 用は済んだとばかりに川に刺さっていた髪が引き抜かれて戻っていく。



(ミミズというよりは、まるで蛇の食事だな……)



 髪を使ってポンプのように水を吸い上げて体内へ補給をしたのだろう。



 結局ここまでにあの化け物に喰らわせた攻撃では中の水が抜けただけで、何らダメージにはなっていないようだ。



 見た目通りの人間と同じであれば、“零衝”で威を体内に徹し内臓を破裂させてやれば簡単に致命傷を与えられるのだが、その手段ではこのアイヴィ=ミザリィを殺すことは難しいようだった。



 チラリと僅かに視線を動かして自身の左腕を見る。


 先程ヤツの攻撃をガードするのに使用した腕の状態を確かめる。



 まだ僅かに痺れは残るが指先の感覚はもう問題ない。


 処理をミスったとはいえ、ヤツの攻撃自体では大した損傷には至らなかった。


 単純な威力だけなら先日ガードした希咲 七海のハイキックの方がもしかしたら上かもしれない。



(なんなんだ、あいつは……っ!)



 勝手に再生される記憶の中に記録されたヒラリと舞うミニスカートの中身を頭から追い出す。



 今はあのギャル女のことを考えている場合ではない。


 ここに居ないメンヘラよりも目の前のメンヘラが優先される。



 ゴミクズーの攻撃では手傷にはならなかったが、その後川の上を跳ねてから地面に叩きつけられた時に、自身の身体と岩との間に腕が挟まって、恐らくそれで骨に罅が入った。


 軽く左手を閉じてから開いて、次に力を入れて同様の動作を試す。


 問題なく作動した。



 頼みもしないのに神経が勝手に脳に伝えてくる痛みという情報を無視すれば特に支障はなさそうだ。



(折れてないだけマシか)



 ここが川の中だというのも幸いした。


 水のない普通の地面に叩きつけられたらあちこち骨折していたかもしれない。



(どうも今日の俺は運がいいようだな)



 ならば生き残ることもあるだろうと、化け物へ向ける眼を鋭いものにさせる。



 これまでに他に得ることが出来た情報と併せて、目の前の化け物を殺し得る手段を見出すことに思考を回そうとすると――



「――弥堂くんっ!」



 水を差すような子供の声が背後からかかる。



 当然、水無瀬 愛苗のものだ。



 眼球を横に動かし彼女の方を一度だけ視てからすぐに視線を前方に戻す。



「弥堂くん、だいじょうぶっ⁉」



 再度声をかけられてしまったので仕方なく返事をする。



「まだいたのか」


「えっ……?」


「とっとと失せろ」


「そんな……っ」


「お前は邪魔だ」



 弥堂の身を案じていた水無瀬だったが、あまりに冷淡な彼の態度に言葉を失う。



 それっきり弥堂は黙ってゴミクズーを睨みつけている。


 水無瀬は萎縮しながらも尚も彼に話しかけた。



「び、弥堂くん……、あの……、私……っ」


「…………」


「あのね……」



 弥堂は僅かな関心すら向けてくれない。



 その態度に尻込みをしてしまうが、胸に手を当て深呼吸をする。



 言葉足らずで説明下手な自分のフォローをしてくれる希咲はここには居ない。


 自分でちゃんと言葉にして主張しなければならない。



「弥堂くん、私が戦う……っ!」


「…………」



 言葉こそ返さなかったが、弥堂はもう一度水無瀬へジロリと目線だけを向けた。



「私、その……、魔法少女だから……っ」


「…………」



 無言のまま無機質で鋭い視線を向けてくる弥堂の眼に、まるで刃物の切っ先を向けられているような錯覚を覚える。


 それでも水無瀬は強い眼差しで弥堂を見返した。



「御託が多い」


「えっ?」


「やるならやれ。やらないなら消えろ」


「……やる。やるよ……? 私、やります……っ!」



 強い意志を瞳に灯し、水無瀬は弥堂の前に出る。



 人型のゴミクズーが存在することを知り、自分がその人間の形をしたモノと戦わなければならないことを知り、強く動揺していた。


 その事実に困惑し、その現実を前に怯えるばかりであった少女が、その胸に秘めた勇気の種を芽吹かせる。



「…………」



 弥堂は変わらぬ眼を少女の背中に向けている。




 水無瀬は胸から提げたペンダントを手に取り両手で握りしめる。



「お願いっ! Blue wish!」



 呼びかけに応えてペンダントに光が灯り、青い宝石の中に一つの種が浮かぶ。



 そして彼女は自身の願いをこめる。



 願いをこめてそれを叶える魔法を思う。



 魔法を『世界』におこす為の呪文プロンプトを口にする。



amaアーマ i fioreフィオーレ!」



 両手を広げて輝くペンダントを宙に放つと、種が弾ける――




――はずだった。




「えっ……?」



 宙へ投げたペンダントは何も起こさずにそのまま川に落下してすぐに輝きを失う。



「な、なんで……?」



 変身をする為の魔法は発動せず水無瀬は動揺する。


 魔法に関して色々と失敗経験の多い彼女であったが、変身の魔法に失敗したのは初めてのことだった。



「…………」



 弥堂は酷く醒めた眼をそんな彼女へ向けている。



「ど、どうして……」



 呆然と口にする彼女の呟きに嘆息をした。



「……魔法は願いを叶えるもの」


「えっ?」


「願うとそれが魔法になって現実に叶える。そんなようなことを自分で言っていなかったか?」


「それは……、うん……」



 弥堂の言うことにいまいち要領を得てはいなかったが、自分の言葉は覚えていたので、それだけは理解できた。



「だったら、どうして変身の魔法が発動しなかったのか。簡単なことだろう」


「ど、どういうこと……?」



 まだ察しのついていない水無瀬へ弥堂はつまらないものを見るような眼をする。



「魔法少女だから戦う――」


「え?」


「――魔法少女はゴミクズーと戦う。お前は魔法少女だからゴミクズーと戦う」


「そ、そうだよっ……! だから私――」


「――お前、もしも魔法少女じゃなかったら戦わなくてもいいと思っていないか?」


「――っ⁉」



 水無瀬は言葉に詰まる。返す言葉を何も思いつかなかった。


 そんな彼女には構わずに弥堂は淡々と続ける。



「何故魔法が発動しないか。それはお前が戦いたいと願っていないからじゃないのか?」


「そ、それは……」


「いや、そうじゃないか。お前は『戦いたくないと願っている』」


「…………っ」


「なんだ。魔法は失敗なんかしていないじゃないか。戦いたくないというお前の願いをかなえる為に変身魔法を発動しない。正しく機能している。よかったな」



 蔑むような色さえこめられているような弥堂の瞳に水無瀬は息が詰まる。



「もう一度言うぞ。御託はいらない」


「びとうく……、私……」


「やるならやれ。やらないなら消えろ。やりたい、こうしたい、こうなったらいいな。そんな夢物語はSNSででも語っていろ。きっと顔も見えない連中が上辺だけの共感をしてくれる」


「ち、ちがうの……、わたし……」


「ここではそんなものは要らない。何の役にも立たない」


「…………っ⁉」



 涙を浮かべ始めた彼女に弥堂は容赦をしない。


 そんなものはこの場では何の役にも立たないからだ。



「いいか? 戦いたい、戦いたくない。戦う、戦わない。戦うべきか、戦わないべきか。そんな問答はこの場に来る前に終わらせておくものだ。この場ではお前が問題を解くのを誰も待ってはくれない」



 強い憤りがあるわけでもなく、ただ平坦な声で非情に告げる。



「ガキの遊び場じゃないんだ。いいか? ここは――」



 ただ当たり前の事実だけを口にする。



「ここはもう――戦場だ」



 もう水無瀬を視てはいない。


 その眼は敵だけを視る。



「お前はもう帰れ」



 その言葉を最後に弥堂は歩き出した。



 戦場の中へ。


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