1章41 『侵された憐み』④
鉄を擦り合わせたような女の悲鳴が轟く。
弥堂は女の髪を鷲掴みにして位置を固定させ、声を発する為に大きく開かれた口の下顎目掛けて右肘を斜めに振り下ろす。
パキャッと――小気味のよい音を立てて顎骨が砕けるはずだったが、弥堂の感じた手応えは分厚いゴムベラをぶっ叩いたような感触だ。
すぐに思考を進め今度は両手で頭を掴んで自身の膝に叩きつける。
それもやはりゴムボールを蹴ったような感触しかしなかったが、とりあえず殺せるところまで殺そうと動きを止めず、掴んだままの頭に自身の全体重も上乗せして川底の石に叩きつけた。
視界の中に飛び交う水飛沫を無視して眼を見開き続けながら、後頭部に掌を当てる。
そのまま“
無数に湧いた髪の束が怒りを表現するようにわななき、その先端を弥堂へと向けていた。
「――っ!」
迷わず攻撃を捨て、その場を飛び退く。
その次の瞬間には弥堂が居た場所を、細長い針のようになった幾つもの髪の束が貫いた。
バックステップを一つ踏み距離と身体の向きを調節するのとほぼ同タイミングでバシャっと音と飛沫を上げて川底から舌の先端の顏が飛び出てくる。
ギョロリと目玉を弥堂へと向け、怨みの言葉を吐こうと口を開ける。
「……ユルサ――ゥベイッ⁉」
しかし、それを言い切るよりも早く、弥堂は先程退避する際に川底から拾っておいた拳大の石を舌の顔面目掛けて投げつけ命中させた。
空中でボールとボールがぶつかって弾けるように舌の先端の頭部が跳ねる。
そのままゴムで引っ張られるようにして身体の近くへ戻り、宙で鎌首を擡げた。
「……ヒドイ」「……モウナグラナイデ」「……イタイヤメテ」「……ウソツキ」
派手に吹っ飛んだ割にダメージはないようで弥堂を見ながら怨みを吐く。
「…………」
しかしそれは想定済みで弥堂の方にも動揺はない。
すぐさま足元から石を拾い、両手に一つずつ握ったそれを続け様に投げつける。
一つ目――
――制服を着た身体の方へ放ったそれはそのまま鎖骨付近に直撃した。
二つ目――
――舌の先端に浮き出た顔面へ向けたそれはビュッと舌を引っ込められて身体の中に隠されたことで躱された。
「…………」
身体の向きを直しながら、その様子を弥堂は視ていた。
弥堂に追撃をしかけてくる様子がないと見て取ったのか、再びガパッと大きく口を開けて喉奥からキレイな方の顔面が外に出てくる。
「……ヒドイ」「……モウナグラナイッテ」「……ウソツキ」「……イッタノニ」
そして、恨み言ばかりではあるがまた喋りかけてくる。
「嘘つき? 俺が? 誤解だよ」
「……ゴカイ?」「……ウソ」「……ツイタ」「……ウソツキ」「……モウナグラナイッテ」「……ズットスキダッテ」「……ダマシタ」「……ステタ」「……オトコオオゼイ」「……ワタシヲウッタ」
「人違いだ。俺がそんな酷いことをキミにするわけないじゃないか。怒らないでくれよ」
普段の生活で人間相手にまともに会話をしようとしない男は、ゴミクズー相手に積極的に話しかける。
少しでも上手に殺せるよう少しでも相手のことを知ろうと、ダメコミュ力を発揮した。
「……チガウ?」「……ウソ」「……ウソツキ」「……ナグッタ」「……ヒドイコトシタ」「……ウラギッタ」
「裏切っただなんて心外だな。誰と間違えてるんだ? 他の男の話はしないでくれよ、嫉妬しちまうだろ」
「……チガウ」「……ウソ」「……ステナイデ」「……デモ」「……ナグッタ」「……ヒドイコトシタ」「……ヤクソクシタノニ」
「殴ったのは悪かったよ。だがそれはキミのことが好きだからこそなんだ。我ながら幼稚で恥ずかしいが、言うだろ? 好きな子を虐めたくなるって。キミのことが好き過ぎてつい痛めつけたくなっちまうんだ。許してくれ」
「……スキ?」「……ウソ」「……ホント?」「……スキ」「……ワタシモスキ」「……イッタ」「……ズットスキダッテ」
「キミも同じ気持ちでいてくれて嬉しいよ。俺たちお似合いだな」
「……スキ」「……スキ」「……ワタシモスキ」「……ワタシノホウガスキ」「……ズットカワラナイッテ」「……イッタ」「……ドレクライスキ?」
「あ? どれくらい? あー……、アレだ。すごい好きだ」
「……ウレシイ」「……ワタシモ」「……スキ」「……ナオトスキ」「……ナオト?」「……アナタナオト?」
「ん? そうだな。こう見えて結構ナオトだと他人からはよく言われるな。大体ナオトだと思ってもらっても不都合はないだろう」
「……ヤッパリ!」「……ナオト!」「……サガシテタ!」「……ヤクソクシタカラ」「……ズットスキッテ」「……イッタ」「……カワラナイッテ」「……イッタ」「……ヤケドシテ」「……ステタ」「……ムカエニキタ」
適当な嘘を重ねてメンヘラ女を諭すようなノリでゴミクズーを口説く弥堂へ、メロとボラフはあんぐりと口を開けながら化け物を見る目を向ける。
人外2体にどん引きされるほどの弥堂のクズ男っぷりに、アイヴィ=ミザリィは髪の毛を動かして無数のハートを描き、溢れんばかりの好意を表現した。
「……スキ」「……ナオトスキ」「……ワタシガスキ」「……ドコガスキ?」「……スキナトコイッテ」
上機嫌な様子のアイヴィ=ミザリィはニュッと舌を伸ばし、その舌の先端に浮き出た顏を弥堂の近くでウロウロさせる。
顔色ひとつ変えていない弥堂だったが、内心は違う。
決して心穏やかではなかった。
何故なら、先程からメンヘラセンサーが喧ましく警報を鳴らしているからだ。
弥堂はイライラしてきた。
「……好きなとこ? たくさんありすぎて難しいが、強いて一つをあげるなら……、そうだな。顔がキレイなところかな」
「ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァァーーーッ! ユルサナイッ! ユルサナイユルサナイユルサナイ……ッ!」
デリカシーを持たない男の中の男が発した軽率な一言にアイヴィ=ミザリィは激昂し、唾を飛ばしながら絶叫するとニュッと舌を引っ込めた。
結局弥堂のコミュ力では、人間だろうとゴミクズーだろうと、女の子を喜ばせるようなことを言ってあげることは出来なかった。
体内に舌の頭部を収容し口を閉ざした火傷に覆われた顏がこちらを向き、ガニ股で乱暴に川の水を溢しながら迫り来る。
ゴム風船のように不自然に膨れ上がった下唇。上唇は一度膨れてから破裂したのか口端から皮膚が垂れ下がり、走る動きに合わせてブランブランと揺れている。
口を閉じても唇で咥内を密閉出来ないので、バチャバチャと足で川を叩く水音に紛れて、喉奥から漏れる怨嗟の声が聴こえてきた。
その姿をよく視ながら、むしろ好都合と弥堂は半身になって腰を僅かに落とす。
ゴミクズー本体が走りながら、髪の毛は別の生き物のように蠢きその先端を針のように尖らせ弥堂へ狙いを定めようとしている。
飛び道具を持たない弥堂としては
どれを見るわけでもなく視界全体に髪の束全てを映し、視ながら備える。
狙いを定めた髪が放たれる寸前――
弥堂は膝を抜き重心を落とす。
接地する足裏でその重さを踏み、反発で得られたエネルギーを使って自身の身体を前へと射出した。
自分を狙う無数の針の中へ飛び込む。
しかし、その内の一つすら弥堂の身体を貫くことは出来ずに擦れ違う。
狙いをつけて発射をした瞬間に動き出したことで、全ての狙いを僅かずつ外すことに成功している。
針を空かした次の瞬間には無様なフォームで走る女子高生の躰に肉薄していた。
16、17歳ほどだろうか。
年頃の少女の腹に拳を押し付け、師より賜った敵を超越し凌駕する為の“超絶の
先に着地した左の爪先を捻り股関節まで上がってきたエネルギーを後ろ足を捻ることで腰に固定し上半身へ昇らせる。
背骨に沿って駆け上がる力を肩を捻って右拳の方へ流す。
――零衝。
アイヴィ=ミザリィの胃の中で爆発させるイメージで威を徹し炸裂させた。
弥堂は動物を壊すよりは人体を壊すことの方が手慣れている。
ネズミなどのゴミクズーを相手にした時よりは確かな手応えが返ってくる。
それを確認した瞬間、アイヴィ=ミザリィの目から、耳から、鼻から、口から――内部で破裂を起こしたように様々な穴から水が噴き出した。
ビクンビクンと大きく痙攣する少女の躰をセーラー服の胸倉を乱暴に掴んで抑えつけると、続けて足をかけ腰を捻って華奢な躰を投げ落とし、川底の石に叩きつける。
すぐにマウントポジションをとり重心を調整してゴミクズーの躰を抑えつけた。
あわよくば胃に収容されている舌の方の顔面も破壊できればと思ったが、そこに期待することはしない。
流れるまま川の流れの中、火傷塗れの憐れな顔面へ左右の拳を交互に振り下ろし始めた。
「え、絵面が……、絵面がヤバすぎるんよ……ッス……」
弥堂の背中を唖然と見ながらメロは思わず心情を吐露する。
人間より遥かに格上のネームドゴミクズーと戦っているのは間違いない。
しかし遠目から見た限りは、女子高生に馬乗りになって無言で殴り続けるDVクソ野郎にしか見えず、性別上は同じメスであるネコ妖精は本能的な恐怖を感じ何とも言えなくなる。
すぐに、そんな場合ではないと頭を振った。
未だに茫然とヘタりこむ水無瀬の方へ駆け寄る。
彼女は目を見開いて同じ年頃の女の子の顔面をぶん殴るクラスメイトの男の子を見ていた。
「マナっ!」
メロに大きな声で呼ばれたことでハッと我に返る。
「メロちゃん……?」
「大丈夫っスか⁉」
「うん……、私は……、でも……」
途切れがちな言葉を返しつつ、水無瀬は再び視線を弥堂の方へ向ける。
メロは一瞬気まずそうな顔をし、すぐに表情を改める。
「マナっ! すぐに――」
「――なんで……」
「――えっ?」
「なんで……、戦えるんだろう……」
心の底から溢れたのだろう。疑問を口にする。
メロは返答を迷う。
誰のこと、何のことなどと問うまでもない。
彼女の視線の先で躊躇いなく暴力を奮うあのニンゲンのことであろう。
「……気にすること、ないッスよ……」
「私、こわくて……」
「ありゃしょうがないッスよ、ジブンもビビっちまったッス……」
「人間のゴミクズーさんもいるなんて、知らなかった……」
「……見たことなかったッスもんね……」
「人間と戦うなんて考えたことなかった……」
「わかってたって簡単に出来るもんじゃないッス。我々ネコさんだってよっぽどじゃなきゃ共食いはしないッス……」
「弥堂くん……、魔法も使えないのに……」
「アイツはイカレてんッスよ……っ! 自分より強いモンに向かってくのはフツーじゃないッス!」
「私、魔法少女なのに……」
「だからアイツがおかしいんッスよ……! 魔法が使えたって、自分の方が強くたって、自分と似た姿の生き物を攻撃して何も思わないのはフツ―じゃないッス……っ!」
「でも……」
「マナっ、そんなことより――」
尚も自責を続けようとする水無瀬の言葉をメロは遮る。
そのことで、今はそんな場合ではなかったと気付き、水無瀬も切り替えをしようとする。
「そ、そうだね……っ! そんなことより早く変身して戦わな――」
「――違うんッス……!」
メロの言葉の先を察したつもりだったが、どうも違うようだ。
メロはどこか言いづらそうに、心苦しそうに表情を歪める。
「どうしたの? メロちゃん」
その様子を怪訝に思った水無瀬が問いかけるも、メロはすぐには喋り出さなかったが、しかし何かを噛み締め意を決したように顔を上げた。
「逃げようっ、マナ……っ!」
「えっ?」
何を言われたかわからない。
そういった風に水無瀬の目が見開かれる。
「無理に戦わない方がいいッス……、ここは逃げようっ!」
重ねて言われるが、だが彼女の言うことが理解できない。
「だ、だって……、逃げるって……、でも、弥堂くんが……っ!」
「……アイツなら大丈夫ッスよ。きっとどうにかするはずッス」
「どうにかって……」
「――どうにかなるわけねえだろ」
呆然と水無瀬が再び弥堂に視線を向けようとすると別の声が挿し込まれる。
悪の幹部ボラフだ。
「どうにかなる? 大丈夫? そんなわけねえだろ。フカシこくなよメロゥ」
「…………っ!」
ゆっくりと歩きながら近寄ってくるボラフにメロは悔し気に歯を剥いた。
「ゴミクズーだぜ。アイヴィ=ミザリィ。天然モノじゃあねえが……、だが名前持ちだ。殴る蹴るしか出来ねえニンゲンの勝てる相手じゃあねえ。死ぬぜ? アイツ」
「ボラフ……ッ! なんで……っ」
「なんで? こっちの台詞だ。いい加減諦めろよ。仕方ねえだろ? かかってこいよ、メロゥ」
強い憤りを浮かべ見上げるメロの赤い目と諦観めいたボラフの醒めた赤い目が視線で押し合う。
「メロちゃん……?」
「……マナッ! こいつらとはもう関わらない方がいいッス! 一緒に逃げよう!」
水無瀬には状況がまるで掴めていない。ただ、やたらと急いた様子のメロが気にかかった。
「だから逃げられねえって言ってんだろ? ここの結界を張ったのはオレだ。オレが自分で解くかオレを殺さねえ限り解除はされない。そんなことわかってんだろ?」
メロは悔しげに顔を下げる。
どのみち戦わずしてこの場を逃れる道はないようだ。
「ボラフさん……、どうして……?」
「…………」
水無瀬の問いにボラフは答えない。
これまで敵とはいえ友好的なように感じられる態度だった彼が豹変してしまったことに動揺した。
水無瀬は動けない。
メロとボラフの不可解な態度ややりとり。
だが、元々は戦うつもりだったのだ。
しかしまだ動けない。
ゴッゴッゴッ――と弥堂の方から鈍い音が聴こえ続けている。
人間が人間を殴る音。
それを自分もやらなければならない。
自分がやらなければならない。
キュッと心臓が収縮したような錯覚とともにヒュッと息が詰まる。
思わず反射的に胸を押さえてしまう。
水無瀬はまだ動けない。
動かない。
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