1章42 『bud brave』 ②


「弥堂くんっ!」



 去り行く背中へ慌てて手を伸ばす。


 声を出して足は動かさずその手は当然届かない。



『役に立たない』



 弥堂に言われたその言葉に胸が締め付けられる。



 強い焦燥感と不安感に全身を支配される。


 縋る手をとる者は誰もいない。



『置いて行かれる』


 そんな強迫観念が背後から近寄ってきて両肩に手を置いてくる。


 それはこの場で生まれて寄ってきたものではなく、少しばかり遠い過去からやってきたものだ。



 弥堂の言動はいつもこんなものだ。


 しかし、『見捨てられた』『見放された』と水無瀬は感じてしまい、そのことで焦りが募る。



 追いかけなきゃと、そんな思い込みから一歩を踏み出そうとすると足元に落ちていた青い宝石のついたペンダントに気が付いた。


 魔法少女の変身アイテムで、これを使えば魔法が使える。


 つまり、『役に立つ』ことが出来る。



 勢いよく川の中に屈みこむ。


 石の上に落ちた膝が痛んだが気にならなかった。


 すぐにBlue wishを両手で掬い上げる。


 これで役に立てると、顔を上げる。



「弥堂くんっ!」



 再度呼びかけるが、その声に応えたのは本人ではなかった。



 弥堂の背中を越えた向こうで、アイヴィ=ミザリィと目が合った。



 ガパッと口が大きく開く、それを認識した瞬間胸元を強く押され尻もちをつく。


 尻の隙間の空気で下着が膨らむ不快感に眉を顰めそうになるが、その前にグイっと首を前に引っ張られたことで湧きあがった本能的な危機感で上書きされる。



 すぐにブチィっと何かが引き千切られ首は解放された。



 現況に思考が追い付いていない水無瀬は茫然と自分の首元に手を遣りながら見下ろす。



 制服のブラウスのボタンが上からいくつか引き千切られていた。



「……カエセ」「……フク」「……ワタシノ」「……ワタシノオトコ」「……カエセ」



 大きく開いた女子高生の口から先程も見た肥大化した舌が飛び出ている。


 その舌の先端に浮き出た顏が見覚えのあるリボンを咥えていた。



 水無瀬の首元を留めていた制服リボンだ。



 肉塊のような舌がそのリボンを呑み込んだ。



 肉の幹が僅かに膨らみ、その膨らみが躰の方へと流れていく。


 火傷に浸食された喉がそれを嚥下した。



 すると、アイヴィ=ミザリィの着ているスカーフのないセーラー服に、スカーフの代わりに水無瀬の制服リボンが現れる。



「……ワタシノ」「……セイフク」「……カエシテ」



 舌先の顔はどこか満足げな様子でニヤリと嘲笑う。



 水無瀬は放心する。


 遅れて痛みを感じる。


 押された胸元、引かれた首、石に打った尻。



 1年以上魔法少女として戦ってきて、この時彼女は初めて戦いで負う痛みを知った。




 そんな水無瀬を見ながらアイヴィ=ミザリィはケタケタと笑う。


 一頻り嘲笑してから舌を体内に収容して顔を前に向けると、目の前に人影が飛び込んでくる。



 弥堂だ。



 今の一連の動きの中で水無瀬に一切の関心を払わなかった弥堂は虎視眈々と不意を討つ機会を伺っていた。



 ズドンっと水を踏み抜く足が水柱を上げる。



 零衝――



 送り込まれた威はアイヴィ=ミザリィの体内で爆発し、補充したばかりの体液をあらゆる穴から噴き出した。



 この一撃で仕留められないことはわかっているのですぐに追撃に出る。



 拳を躰に押し付けもう一度足を踏む。



 だが――



「チッ」



 左足で踏んだ川底に積もっていた石が崩れたことで重さを踏み外し、大地より力を汲み上げて増幅させることに失敗した。


 弥堂に“零衝”を教えた師であるエルフィーネであれば足場の悪さなど問題にしないが、その彼女が免許皆伝を言い渡さなかった弥堂の技量ではこういったミスが起こる。


 結局拳を強く押し込んだだけで追撃は終わった。



 その間にアイヴィ=ミザリィが行動する。


 奇声をあげて髪を振り乱した。



 ヤツにとっては弥堂を引き剝がそうとしただけの攻撃とも言えないような適当な行動でも、ただの人間と変わらない程度の耐久力しかない弥堂では運悪く当たっただけで致命打になりかねない。


 仕留めるという欲は捨て、深追いはせずに一度距離をとることにした。



 連続で突き出される髪の針を何度かバックステップを踏んでやり過ごしながら間合いを調整する。


 距離をとり過ぎないように注意し、上体を揺らしながら攻撃を避けつつ射程を測っていく。



 幾度か攻撃を繰り出した後、アイヴィ=ミザリィは先程のように髪を川に突き刺して水を汲み上げた。


 輸血のように水を吸い込んで躰の形状を保つだけの体液を補充する。


 先程と同じ光景だ。



 しかし、ここからは違った。



 大きく息を吸い込むようにアイヴィ=ミザリィが上体を仰け反らせる。



「――っ⁉」



 瞬時に浮かび上がる予感・直感に反射反応した脳が神経に命令を下す。


 考える前に身体を横に大きく投げ出した。



 それとほぼ同時に顔を前に戻したアイヴィ=ミザリィがレーザー光線のように水を吐き出した。



 放水車から放たれる水ほどのサイズで直射状に迫るそれは、一瞬前まで弥堂が居た場所を貫き、川面を抉りながら背後の水無瀬を射線上に捉える。



「――マナっ!」



 寸でのところでメロが水無瀬に飛びつき射線から押し出した。



「チッ」



 舌打ちを一つ落として旋回するように走り出す。



 川に突き刺したままのアイヴィ=ミザリィの髪が膨らみ次々と水を吸い込んでいく。


 そして走る弥堂を追うように水を吐き出した。



 自分が走り抜けた跡を線を引くように追いかけてくる放水に気を取られていると、視界に黒い線が飛び込んでくる。


 髪の毛を束ねた針だ。



(同時に使えるのか――っ⁉)



 顔面目掛けて突き出される針を無理矢理首を曲げて躱す。


 走る速度が落ちてしまい背後の放水が近付く。


 そこへさらに新たな髪の束が横から振られた。


 身を転がして避ければ背後から迫る放水に仕留められる。



 弥堂は髪の束に手を添え全身の力を抜く。


 触れた掌を支点に宙に身を翻した。



 受けた攻撃の力を利用して身体を縦に回し頭が下になると、その瞬間に力の方向を操作し今度は横に回転させる。


 伸身宙返りをしながら身を捻って軌道をずらし、追ってきた放水の方も飛び越えて回避した。



 足から着地すると残った力を踏みつけて初速に変換する。



 放水攻撃だけなら然程の脅威でもないが、髪の攻撃も同時に行えるのであれば話は別だ。


 射程の長い攻撃から潰す為に一気にアイヴィ=ミザリィの懐に飛び込んでいく。



 狂気に染まった目で奇声を浴びせかけてくるゴミクズーを殺傷可能範囲キリングレンジに捉えようとした時――



「――っ⁉」



 弥堂の周囲の川の中から幾つもの髪の束が飛び出してくる。



 咄嗟に急ブレーキをかけて身を捩った。



 ほぼ全方位から伸びてくる髪の束を躱していくが、あっという間に処理が追い付かなくなり左腕を絡めとられる。


 反射的に振り払いたくなる衝動を抑え、逆にその髪を掴み取り力づくで少女の躰を引き寄せ無理矢理自分の間合いに入れた。



 即座に“零衝”を打ち込む。



 今度は発動に失敗することはなく、アイヴィ=ミザリィの体液が排出される。打撃の衝撃で顔が上を向き口から冗談のように水が噴射された。


 しかし、川の中に刺さったままの髪がすぐに中身を補充する。



 アイヴィ=ミザリィの顏がこちらを向き、ニタリと笑った。



「……ツカマエタ」


「――っ⁉」



 まずいと危機感を認識するよりも早く、強く身体を引っ張られる。



「……キャハハハハハッ!」



 弥堂の腕を髪で拘束したままアイヴィ=ミザリィは川の上を走り出した。



「……カエシテ」「……カエシタ?」「……カエッテキタ」「……オトコ」「……ナオト」「……ワタシノオトコ」「……カエッタ」



 狂喜の声を溢しながら走るゴミクズーに弥堂は引き摺られる。



 浅瀬で川底の石に身体を打ち付けられながら加速し、やがて水深が深い場所まで来ると川の水の表面で身体を跳ねさせながら引っ張られていく。



 モーターボートや水上バイクほどの速度を体感するくらいの勢いで走るアイヴィ=ミザリィ。


 拘束している髪は解けず、掴まれた腕の関節が軋む。



 ひどく楽しそうにバカ笑いを上げるアイヴィ=ミザリィとは逆に、弥堂は紛れもなく窮地に追い込まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る