1章38 『THE DARK IN THE WALL』
バフっと布を叩く音とともにマットレスが沈み込み、ベッドスプリングの軋む音が鳴る。
薄暗い室内に白い靄が浮かび上がった。
「わぷっ――⁉ ちょっと! まだ掃除してないんだからやめてよっ!」
「見慣れぬベッドがあればダイブするのが礼儀かなと思いまして」
「そんな礼儀はねぇっつーの。むしろお行儀悪いでしょ。起きなさい」
言いながらカーテンを開き、窓を開け放つ。
外から挿しこんでくる光に反射して、舞い上がった埃がキラキラと輝く。
その輝きに
「ちょっと、みらいっ」
「やーですー。七海ちゃんに引っ張りまわされて疲れました。このまま寝ます」
「誰が引っ張りまわしたってのよ。真っ直ぐここまで歩いてきたでしょ」
「わたしはお嬢様だから普段歩かないんですぅー。七海ちゃんに歩かされて疲れたんですぅー」
「あたしが悪いみたいに言うなっ。つか、あんたいつも徒歩でガッコ通ってるでしょうが」
「ぶーっ。正論で論破するなんて七海ちゃんったら大人げないです」
うつ伏せでベッドに寝転がったまま腰を左右に動かし、
「こぉらっ! お尻振るんじゃないの! つか、あんたいつまでお尻出してんのよ」
「ひゃんっ、七海ちゃんのえっちぃ~」
自分に反抗的なお尻を希咲がぺちぺちっと叩くと、白ビキニから脇にこぼれただらしのない尻肉が震える。
折檻をされてきゃーきゃーと悲鳴をあげる望莱だが、希咲から死角になっている彼女の表情は実に楽しそうでまるで反省の色はない。
そういった彼女の性質を正確に理解している希咲はため息をひとつ漏らすとお尻を叩くのをやめ、ジト目になって彼女を見遣る。
「もぉ~、七海ちゃんったらそんなに熱心な目でわたしのお尻を――」
「――あんたまたお尻太ったんじゃない?」
「がーーんっ⁉ それは普通にショックです!」
思わずガバっと身を起こした手のかかる妹分にフフッと笑みを漏らし――
「ほらっ、お掃除始めるわよっ」
パンパンっと手を叩きみらいを促す。
「七海ちゃん。埃がたつのでパンパンしないでください」
「あんた、なまいき」
――すぐにジト目に戻る。
「もうっ、あたし掃除道具取ってくるからあんたはお布団剥がしといてね」
これ以上取り合っていてもキリがないので踵を返し、「はぁ~い」という気の抜けた返事を背後にしながら部屋を出る。
希咲の背中を見守った望莱はそのまま数秒ぼけーっとしてからノロノロと動き出す。
自分が乗っているベッドの布団とシーツを適当に掴むと、ベッドからズリ落ちるようにしてズルズルと床に降りて、その自分の体重を利用して適当に布団を剥がす。
床にペタンとお尻を着けたままベッドの上を見ると布団もシーツも半分も剝がれていない。
望莱はふにゃっと眉を下げて、グイグイと布団を引っ張る。
しかし、彼女の身体能力はクソザコなので布団はちっとも剥がれない。
みらいさんの心は折れた。
パッと手に持った布団から手を放すと、床の上を四つん這いで移動し、先程ベッドにダイブする際にその辺に放り出したバッグの方へ這う。
バッグに手を突っ込みガサガサと中を探るが目的の感触は得られず、焦れた彼女は中身をポイポイと適当に外に放り出す。
右手で投げた化粧ポーチがテレビ台の上の花瓶に直撃し、花瓶が床に落ちてガチャンと割れる。
左手で投げたマイ枕がスタンドライトに当たり、倒れたライトがローテーブルの上の物を薙ぎ倒した。
ようやく目当てのスマホを探し当てた彼女は自分が齎した被害には目もくれずにペタペタと画面を操作する。
まず通知を確認し、それからアプリを立ち上げた。
数秒ほどしてからスマホから大音量が流れる。
『魔法少女プリティメロディ☆ドキドキお~るすたぁ~ずっ!』
「――なにしてんだコラ」
不意に背後から声をかけられ、顔が天井を向くように首を曲げながらそちらを確認すると、両手にお掃除道具を持った希咲がすぐ近くで半眼で見下ろしていた。
自分でもちょっとびっくりするくらいの低い声を出してしまった希咲は「んんっ」と喉を鳴らして体裁を繕う。
望莱はその隙にハイパーローアングルで希咲のショートパンツの隙間からパンチラを狙う。すると先程も見たミントブルーの水着がチラ見えして、希咲から死角になる位置でグッと拳を握って喜びを表現した。
「あんた、なにしてるわけ?」
「スマホゲーです」
「なんで?」
「スタミナが全回復しましたので」
「だから?」
「イベント周らなきゃって」
「あたし、お布団剥がせって言ったわよね?」
「剥がしました」
疚しいことなど何もないといった態度で、キリッとした目で見上げてくる彼女を胡乱な瞳で見下ろし、それから希咲はベッドの方へ目線を動かす。
みらいさんも首を動かしそれに目線を追従させた。
ベッドは空き巣に荒らされた後のような様相だ。
希咲は無言のまま室内を見回す。
こちらはもう強盗に襲われた後のような有様だ。
みらいさんも首をグリングリンさせてそれに追従しようとしたが、バランスを崩し後ろにひっくり返る。
身体能力がクソザコの彼女の腹筋と背筋はあってないようなものなので、姿勢を保てなくなったのだ。
仕方なく希咲は自身のふとももで彼女の頭を受け止めて支えてやり、そのままグイグイと前に進んで彼女を座らせてやった。
「ありがとうございます」
「……ほんっと、あんたって子は」
ぺたんと元の姿勢に戻りぱちぱちと瞬きをしてからニッコリ笑顔でお礼を言う彼女に、希咲は疲れたように溜め息を吐く。
「ほんのちょっと目を離しただけで、どうしてここまでハチャメチャにできるわけ……?」
「で、でも……、スタミナ消化しないと自然回復溢れちゃいますし……」
「ゲームやろうとして何で部屋が壊れるのよ……、つか、そんなのちょっとくらいいいじゃん」
「いいえ。しっかり効率よくプレイしなければわたしの気が済みません」
「その意識の高さをリアルに向けてくんない?」
呆れたように言う希咲の顔を見て、『効率』という単語を出した時に彼女の眉がピクっと反応したのを、望莱は目敏く見抜いた。
「七海ちゃん。今の時代、ゲームは最早リアルと地続きです。つまりゲームの効率はリアルの効率」
「いみわかんない」
「逆もまた然りで、リアルの効率もまたゲームの効率に直結します」
「あんた適当にそれっぽいこと言おうとする癖やめなさいよ」
「そんなことはありません。今どきはリアルマネーをぶちこめば高効率で攻略を進められるゲームは珍しくありません。つまり、効率よくお金を稼げる人が効率よくゲームでも勝利できるのです」
「……効率効率、うっさいわね。ゲームなんかにバッカみたい」
「えー? 別に『効率』なんて普通によく使う言葉じゃないですかー? それとも七海ちゃんは『効率』になにかイヤな思い出でも?」
コテンとあざとく首を傾げて希咲を煽りながら、ムっとした彼女の顔を見て望莱はほっこりする。
「……べつにっ。なんもないけどっ?」
「そうですか。あと、ゲームなんかって言っちゃダメですよ? 真剣にゲームに取り組んでる人はいっぱいいるんです」
「うっ⁉ そ、それは確かに言い過ぎたわ……、ごめん」
「気をつけてください? いい歳こいてゲームごときに目の色変えてのめり込んでる大人たちは、わたしにとってはいい養分なんです」
「……は?」
僅か数秒もかからずに矛盾するようなことを言った望莱の言葉に希咲は眉を寄せる。
「あんた、言ってることヘンくない?」
「そうですか?」
「そうよ」
「でも、毎月の安月給の中から必死に遣り繰りして遊んでる底辺労働者たちが、わたしのような社会に出たこともない小娘に札束でブン殴られて発狂している様を見るのが、わたし大好きなんです」
「あ、あんたってば……」
望莱は両手を組み合わせると夢見る少女のように宙空を見上げ、表情をうっとりさせる。
「毎日毎日、大した能力もないクソ上司に怒鳴られながら必死に我慢をしてやりたくもない仕事に従事される方々が必死に考えた編成を、パパに貰ったお金で蹂躙する。それがわたしの生きがいなんです」
「サ、サイテー……」
「わたしはなんの努力もしてないのに、ただお金持ちの家に生まれただけなのに……。あぁ、人生ってたのしいです……」
「……どうしてこんなダメな子になっちゃったんだろ」
希咲はガックシ肩を落として目を覆い、これまで幼馴染として彼女と過ごしてきた日々の中で、どこかで更生させられるタイミングがあったのではないかと振り返り後悔をする。
「……とりあえず片付けが先ね。ほら、動きなさいっ」
「任せてくださいっ!」
割れた花瓶の方へ向かいながら、いい返事をした望莱の方を見ると、彼女はパパパっと素早くスマホを操作している。
希咲は一度ジトっとした目を向けるが、すぐに諦める。
パパパっと割れ物をほうきとチリトリで回収し、倒れたスタンドを戻して雑巾で手早くローテーブルを拭いて、床に落ちていた物を並べ直す。
そして剥がれかけのシーツを引っ張り上げて、その上に座って遊んでいるみらいさんを引っ繰り返した。
しかし、彼女は悲鳴をあげることもなく床をゴロゴロと転がり、そのまま何事もなかったように床に寝そべったままゲームを続けた。
希咲はムっとするとズカズカと近寄っていき彼女の横にしゃがみこんで、ペシンと強めにお尻を引っ叩いた。
「もぉーっ! いい加減ちゃんとやってよ!」
「あいたぁーっ」
先程より力をこめたおかげか、今度は望莱の手が止まる。
「他の部屋もやんなきゃなんだから、こっちの効率も考えてよ!」
「でも七海ちゃん。わたしはお嬢様ですから、お掃除の効率を出すためにはメイドさんを雇って代わりにやってもらうのが定石です」
「どこにメイドがいるってのよ。つか、あんたん家、別にメイドさんなんかいないじゃん」
「失礼な。23代目お手伝いさんの横手さんがいますよ。何故かすぐに代替わりしちゃうんですよね……、何故でしょう」
「あんたが定期的に嫌がらせしに行くからでしょっ」
「んま、心外です。わたしはただ楽しくやっていこうとしているだけなのに。ひとつ問題なのは、楽しいのはわたしだけって所ですが」
「大問題ね」
「まぁ、でも、この部屋の惨状を見てもらったからわかるとおり、やはり適材適所というものがあります。ということで七海ちゃん。よろしくお願いします」
「あんた、あたしをお手伝いさんにしようっての?」
「わたしの夢は七海ちゃんを専属のメイドさんとして雇うことです。わたしのお世話だけをして、わたしの為だけにごはんを作ってください。そして毎日セクハラをします。年俸は5億ほど払います。うちの父が」
「高過ぎでしょ⁉」
「んもぅ、お給料が安いならともかく、高くて文句を言うなんて七海ちゃんはワガママさんです」
「こ、こいつ……」
ワナワナと震える希咲に気づかないフリをして望莱は「んっんっ」と喉を調節して――
「ふぅ、やれやれ……」
――イケボを作った。
スマホを置き立ち上がると余裕たっぷりの表情で希咲の前に立つ。
手に持っていたシーツを床に下ろして、希咲は腕組みをして不機嫌そうに彼女を見返す。
「あによ」
「まったく困ったメイドだぜ」
「はぁ?」
眉を吊り上げる彼女に手を伸ばして、目線を無理矢理合わさせるために人差し指でクイっと希咲の顎を上げさせる。
しかし、身長162cmの希咲に対して、高身長のイケメンではないみらいさんの身長は155cmしかないので目線は完璧にズレた。
それでも気にせずに、目線を下にジロリと向けてくる希咲にみらいさんは渾身のドヤ顔を放った。
「いいからよ。今夜自分が抱かれるベッドを、自分の手でキレイに整えなって言ってんだよ」
「バカじゃないの」
「ふみゃっ」
オレ様ムーブをする彼女には付き合わず希咲は望莱の鼻を摘まんでおかしな寸劇を強制終了させる。
「ななみひゃん、いひゃいれふ」
「うっさい」
「のひがわふいれふ」
「いいからおかたづけするのれふ」
イケボモードが解除され鼻づまり声になった彼女をちょっと真似しながらパッと手を放してやる。
「うぅ、ひどいです」
「あんたの方がヒドイでしょ。いい加減進めるわよ」
望莱を急かしながらベッドシーツを拾いなおす。
「でもぉ、現代人は定期的にスマホを触らないと病気になるってアメリカの大学で論文が出てます」
「しょーもないウソつくな。んなわけねーだろ」
「でもでもぉ、七海ちゃんのスマホもなんか通知鳴ってましたよ?」
「えっ? うそっ」
パッと拾いなおしたシーツを床に放る。
そして素早く自分のバッグに取りつくとサッとスマホを取り出す。
「なんだろ。愛苗からメッセかなぁ?」
「どうでしょう?」
ウキウキとロックを解除する彼女の様子を望莱はニッコリと見守る。
「ん? あれ? 通知ないじゃん」
「えー? そうですかー?」
白々しい返事をする望莱へ懐疑的な目を向けながら、念のためメッセンジャーアプリのedgeを立ち上げて確認をする。
「……なんもきてないしっ。あんたね、しょーもないウソつくなって言ったばっかじゃん」
「えー?」
呆れた声で望莱に侮蔑の視線を投げつつ、スマホをシーツを剥がしたベッドへポイっと投げる。
すると――
「――すきありっ!」
「あっ⁉」
望莱が素早くスマホに飛びついてベッドにダイブする。
バフっと再び舞い上がる埃を目に映しながら、希咲は「しまった!」と焦りを浮かべる。
うっかり画面オフをせずに放り投げてしまったので、ロックを解除されたままのスマホが望莱の手に渡ってしまったからだ。
「むふふー。さぁて、久しぶりに七海ちゃんのスマホチェックしますよー」
「やめてよっ!」
「怪しい男や女の影がないか、みらいちゃんに見せてみなさい」
「んなもんないっつーの! ちょっと! ひとのスマホチェックとかシュミ悪すぎっ!」
先週学園の正門前でクラスメイトの男子のスマホチェックをした希咲さんは、自身のスマホを弄る幼馴染にプライベートの大切さを説きながら飛び掛かる。
すると、ベッドにうつ伏せになる望莱の上に覆いかぶさる格好となった。
個人所有の無人島に建てられたコテージの寝室内で、二人の女子高生がキャーキャーと絡まる。
女子二人暫し揉み合って結局希咲が折れることになった。
「もーっ! 変なとこ触るんじゃないわよ!」
「それはどっちの意味ですか?」
「どっちもよ!」
「気を付けますが、スマホの画面も七海ちゃんも感度が良すぎて勝手に反応しちゃうかもしれませんね」
「あたしがえっちみたいにゆーなっ! あんたが悪いんでしょ!」
自身の背中の上でプリプリと怒る希咲の様子に、望莱は満足感を得る。
「さぁ~て、学園でも人気のあるギャル系JKの闇を暴きますよー」
宣言してスマホの画面を覗き込むと、ギシっとベッドのスプリングが軋み自身の身体にかかる重量が増したような気がする。
続いて頬に自分のものとは違う髪の毛が触れる感触がして、望莱は首を横に回す。
「あによ」
ベッドにうつ伏せに寝そべってスマホを操作する望莱の上に希咲が乗っかり、望莱の肩越しに画面を覗き込んできていた。
自身の肩に顎を乗せる彼女の睫毛を横目で見て、望莱はグニグニと希咲の顏に自分の頬を押し付けた。
「あっ、こら! ジャマすんな!」
「えー?」
「あんたがヘンなことしないか見てるんだから!」
「もぉー、そこまで言うなら仕方ないですね。甘んじて受け入れましょう」
「甘んじてるのはあたしだしっ。絶対好きにはさせないんだからっ」
「ふふふ、いいんですよ。……むしろご褒美ですし」
「は? なんか言った?」
「いえいえ、好きなだけ監視してください」
望莱はニッコリと笑顔を作りながら内心ほくそ笑み、希咲のお尻の感触を感じる腰の位置ををさりげなく調整しベストポジションを探る。
「ちょっと、グリグリしないでっ。座りづらいじゃん」
「えー?」
「てか、スマホ見ないんなら返してよ」
「いえいえ、見ますよー。スゲー見るぞー。うおー」
「……なにその棒読み」
「気にしないでください。よし、ちゃんと見るために姿勢を整えなきゃいけませんね。あくまで仕方なくですが、少し身体を起こします」
「あん、ちょっと……」
白々しく断りを入れた望莱は、ベッドに両肘をつけて上体を起こし、より希咲の胸が背中に密着するように調整した。
肩甲骨あたりでどうにか彼女の先端部位を探り当て、さらにその部位へ刺激を与えられないかとビキビキと軋むクソザコ背筋の痛みに耐えながら奮闘するが、感じとれたのは硬いとまではいかないがやたらと分厚いなという感触だけで自身の未熟を恥じる。
みらいさんの心は折れた。
「ぅわっ⁉」
急に望莱がベチャっと上体をベッドに倒したせいで、彼女に体重を預けていた希咲も背中の上に一緒に寝そべる恰好に変わる。
「おぉ、狙ってなかったけど流石みらいちゃんです。計画通り」
「なに言ってんのあんた」
「いえいえ、気にしないでください。そのまま寛いでいてください」
「だからゆっくりしてる時間ないんだっつーの。掃除しなきゃって言ってんでしょ。早く済ませてよね」
先程よりも満足感の高い密着具合にみらいさんはやる気を取り戻し、希咲のスマホに挑戦的な目線をぶつける。
「対よろです」
「はいはい、よろよろー」
「あふん」
おざなりな返事をする希咲の吐息が耳にかかり危うくアヘりそうになったみらいさんだったが、ギリギリのところで己を保ち強く自身を戒める。
「……なに? ヘンな声だして」
「なななななんでもないですっ。気持ちいいですっ」
「は?」
「おっと、今のは間違えました。ちょっと天国が見えかけただけなので大丈夫です」
「それダメなんじゃないの? つか、もうおわりっ」
「はふぅん」
望莱の背中の上で身体を伸ばし彼女の手のスマホを奪おうとしたことで、顏と顔が近づき希咲の声が望莱の耳元で喋るような形になる。
みらいさんは半分アヘったが、まだ半分なので大丈夫だと両のふとももを強く合わせて色々と自分を保った。
「またキモい声だして! もぉーっ! ちゃんと見ないんならもう返してっ!」
「やだーやだーっ」
希咲の手から逃れるように腕をピンと伸ばすが、希咲の方が腕が長いのであっけなく手首を掴まれる。
せめてもの抵抗として、望莱はピンと伸ばした両足を希咲の股の間で動かし、ベッドの上でバタ足をする。
「あ、こらっ! 埃たつからやめなさいっ」
「いやですぅー。七海ちゃんが離すまでやめませんっ」
「こんの……っ! こいつっ――」
「――ん゙お゙お゙ぉ゙っ……⁉」
「ひっ――⁉」
聞き分けのない子にお仕置きをと、かぷっと望莱の肩を甘噛みしたら突然彼女が動物のような鳴き声をあげる。それに驚いた希咲は反射的に彼女に密着させていた上体を引かせた。
そして間もなくして、希咲が尻をのせる望莱の腰骨あたりからブルブルと振動が彼女の背骨を駆けあがっていき首元で終着すると、上体を仰け反らせた望莱が強く肩を震わせる。
「な、なにっ⁉ なんなの⁉ いきなりヘンなことしないでよ! なんでブルブルさせるの! つか、あんたそれどうやってやってんの⁉」
「はへぇ……しゅきぃ……」
初めて見る人体の動きに大きく動揺した希咲は抗議の声をあげながら、ピシャピシャっと望莱の尻を叩く。ヘヴン状態のみらいさんはその痛みにすら恍惚の笑みを浮かべた。
「なんでいきなり牛の真似とかすんの⁉ そうやってすぐふざけんのやめてっていつも言ってんじゃん!」
「い、いえ……、今のは
「はぁっ⁉ いみわかんないっ!」
「んもぅ、七海ちゃんがえっちなことするからいけないんですよ……?」
「マジでいみわかんない! あたし何もしてなくない⁉」
「さぁ、先に進めますよ。早く切り替えてください」
「あたしが悪いの⁉」
何か一つの到達点に辿り着いた感のあるみらいさんは、女性的というよりは男性的な心の働きがあり、精神状態が極めてニュートラルと謂えなくもない状態に戻ったことでスンっと真顔に戻りスマホを操作し出す。
変貌といっていいような彼女の切り替わりの速さに着いていけない七海ちゃんは混乱してサイドテールをぴゃーっと跳ね上げる。
その七海ちゃんのお尻に敷かれるみらいさんは乱れて額に貼り付いた前髪を整え、元のぱっつん前髪に戻す。
「さて、とはいえ、何を見るか特に考えてなかったんですよね」
「……じゃあ、もういいじゃん。てかさ、あんたさっきの……なに……?」
何事もなかったかのようにスマホを弄り出す望莱に希咲は懐疑的な視線を向け警戒する。
「まぁ、いいではないですか。七海ちゃんがどうしても聞きたいと言うんなら話すのも吝かではありませんが。ですが、後悔しても知りませんよ?」
「……じゃあ、やめる」
「そうですか。ちなみに、この部屋を掃除する時はそこのシャワールームからやってくれませんか? わたし、なるはやでお風呂に入らなきゃいけない感じになってしまいましたので」
「どういうこと⁉」
「聞きたいですか? 七海ちゃんがどうしてもと言うんなら、わたしとしましてもお話するのは吝かではないというか、むしろ興奮すると言いますか……」
「いいっ! ききたくないっ!」
「では、無難にedgeのメッセからチェックしていきましょうかね」
ブンブンと激しく首を振って拒否をする希咲を置いて、望莱は勝手知ったるといった風に希咲のスマホを操作してアプリを起動させる。
画面にメッセージのやりとりをした相手の一覧が表示されると希咲はそわそわとした。
「んもぅ、七海ちゃんったら。何がそんなにイヤなんですか?」
「や。ふつーイヤでしょうよ。つか、あんたは何でそんなに見たがるのよ」
「それはもちろん七海ちゃんが非行に走ってないか目を光らせることです」
「なによそれ。あんた年下のくせになまいきっ」
「七海ちゃんってば、ちょっと目を離したらすぐどっかのおじさんとパパ活しちゃいそうですからね」
「するかボケっ! あんた適当にそういうこと言うのやめてよっ。あたしのことそーゆー風に思ってるヤツ最近多くてマジむかついてんだからっ!」
「えー? その人たちが思い込んでるみたいに、七海ちゃんはお小遣い欲しさには絶対やらないと断言できますが、家族とか大事な人を守るために必要なら割と躊躇わずやっちゃいそうで、わたしこれは普通に心配してるんですよね」
「……なによそれ。やんないわよ」
「むぎゅぅ」
むぎゅっと望莱のお尻を抓ると彼女は自分でその擬音を発した。
「でもでも、七海ちゃんえっちでイカガワシイ感じのバイトしてるじゃないですかー?」
「ゔっ――⁉」
痛いとこを突かれたとばかりに希咲は言葉に詰まる。
「べ、べつに、悪いこと、してないし……」
「えっちでイカガワシイのは否定しないんですね」
「さ、最初はただの事務手伝いだったのよ! で、でも人が足りないからって段々そっちの方も手伝うようになって……」
「ギャラがよくてやめられない、と?」
「……そうなのよね。でも、ほんとに段々えっちなのっていうか、そういう仕事も増えてきて……」
「抜けられない、と?」
「うぅ……、ダメだってわかってるんだけど事務だけの時に比べると明らかに生活水準変わるのよね……。大地の受験もあるし、
悩まし気に溜息をつく希咲見る望莱の目がジト目に変わる。
「あの、あゆみちゃんは来年だからともかく、大地くんは中2になったばかりですし、翔海くんはまだ低学年ですよね?」
「ボーっとしてたらすぐよ。ちゃんと余裕もって準備しとかないと……」
「もう完全に主婦の悩みですねー」
「そうよ。半分以上主婦よ。足りないのはダンナだけ」
望莱の後ろ髪を指でクルクルしながら重い溜め息を吐く。
「それまんま“さーなちゃん”じゃないですか」
「ひとのママをちゃん付けすな」
「でも、さーなちゃんがそう呼べって」
「あの人は……」
「さーなちゃんのお店厳しいんですか?」
「んー……。服はけっこう売れるようになってきたんだけど、テナント料がね……」
「MIKAGEモールですもんねー……、多分さーなちゃん騙されてますよ?」
「あたしもそう思う。騙されるまではいかなくても足元見られてるのは間違いないと思う……、ホントあの人懲りないんだから……」
「出資者が結構イケメンなんでしたっけ? さーなちゃんのそういうとこ面白くてわたし好きです」
「身内だと笑えないのよ。それに、あの男……」
「…………」
自身の後ろ髪を引く手に俄かにこもる力を感じとり、望莱は目を細める。
だが、すぐにニッコリと笑顔を貼り付けてスマホの画面を指差した。
「七海ちゃん色んな人とメッセしてるんですねー。んもぅ、悪い女です」
「人聞き悪いことゆーなっ。相手ほぼ女だろうが。誰のせいだと思ってんだ」
「ウチのバカ兄ですね」
「あんたもよっ」
「えー? わたしまだ何もしてないですよ?」
「高校入ってからはね。つか、まだっつーな」
「じゃあ、わたしじゃないじゃないですかー」
「中学ん時のよ!」
「え? あれまだ続いてるんですか?」
「当たり前でしょ! だって、あんな……、その……」
「3年4組壁尻会場ですよね?」
「人が濁してんのに言うな! なんなの、その頭悪い言葉っ⁉」
あっけらかんと言う望莱に希咲がガーっと怒鳴りつける。
そして額に手をやると一転して陰鬱な気分に落ち込む。
忘れたい出来事、思い出したくもない出来事。
しかし、それは今も現在の自分の生活にも確かな爪痕を残しており、否応なく常に頭の片隅に入れておかざるをえない。
なにせ、まだ一か月ほど前に起こったことだ。風化するはずがない。
(なんで海に旅行にきてまでこんなことに悩まなきゃなんないのよ……っ!)
心中で憤るが、よく考えたら自分にとっての癒しやリフレッシュは普段の日常での親友の愛苗ちゃんとの時間であって、この幼馴染どもは心労のタネなのだから、むしろこれが当然かと納得してしまう。
希咲は「あははー」と投げやりに笑った。
当然、それが何の解決にもならないことはよくわかっていた。
『3年4組壁尻会場』
それは、みらいさんが中学校卒業の際の卒業式にて行われた、みらいさん主催の狂乱の宴だ。
卒業式の壇上には、特設された壁に上半身が埋まった全クラスメイト(みらいさん除く)たちの尻が並べられ、会場となった体育館を阿鼻叫喚の地獄に叩き落した恐ろしい催し物だ。ちなみに参加者であるクラスメイトたちは誰一人として参加を了承どころか、開催することを通達されてすらいない。
いつの間にか体育館の入り口と学校正門前に置かれたアーチに書かれていた『卒業式』の文字が『3年4組壁尻会場』に挿げ替えられており、中学の卒業式という一生に一度しかないはずの思い出となるべきイベントを、誰の心にもトラウマとして刻みつけた大事件である。
当然大きな騒ぎとなり、学校の偉い人たちは上から数人ほど辞任することになり、紅月家お抱えの弁護士も弁護団を結成し出動する惨事となった。
本来関係ないはずの一学年上の希咲さんの心にもトラウマとして残っているのは、みらいの父親に泣きつかれたが為に渋々折れて、各ご家庭への謝罪とあいさつ回りに同行したからである。
さらにその場で相手方の関係者の顔を覚え、こういった公の場以外での大人だけでなく子供同士のトラブルが発生しないように目を光らせたり関係を調整したりするハメとなったのである。そしてそれはまだ終わっていない。
「彼ら彼女らには反省が必要だったんです。そしてこの世には壁尻以上の反省の儀式はありません」
「あんたが反省しなさいよっ! すっごく大変だったんだからねっ!」
「だってぇ、しょうがないじゃないですかぁ。普段陰口ばっかり言い合ってるくせに卒業式とかああいうイベントの時だけ仲良しムーブして、その場限りのお涙共有して順番にお気持ち述べるとか気持ち悪すぎて……、ちょっと地獄を見せてやろうと思っちゃったんです」
「思うなっ! 別にいーじゃない! 色々あったけど一緒で楽しかったねって言ってあげなさいよ」
「いいえ。そんなのはダメです。あの子たちが真の仲間となるには一度腹の内を曝け出し合う必要があるとわたしは考えました」
「それでなんでお尻出すことになんのよ!」
知らない大人の人や年下の子たちに、自分とまったく関係ないことで頭を下げる理不尽さに泣きたくなった当時の怒りが蘇り、希咲は眉をナナメに吊り上げて
それに対して「ふぅ、やれやれ……」とイケボを出す彼女にカチンときて白ビキニのお尻をピシャリと叩く。
「あんっ、痛いです」
「うっさい」
「でも七海ちゃん、考えてみてもください」
「はぁ?」
「腹を割るとは言いましても本当に割るわけにはいかないじゃないですか? 卒業式で内臓が見えちゃったら大事件です」
「そうね。お尻が見えちゃっても大大事件だったもんねっ」
「えぇ、そのとおりです。さすが七海ちゃん」
「共感してねーよ。皮肉だおばか」
したり顔で頷く望莱をジト目で見遣る。
「そこでお尻です」
「なんでそうなんのよ……」
「肛門です」
「…………」
「いいですか? お腹を割いて内側を見せるわけにはいかないので、お尻をくぱぁして肛門から腹の内を曝してもらおうというわけです。直腸というくらいですからね。お腹の中まで直通です。流石みらいちゃん、頭よすぎだと思いませんか?」
「頭おかしいと思う」
「盲点だったのは誰の賛同も得られなかったことです。いつの世も天才は弾圧され排斥されてしまうのですね。悲しいです」
「そうね。変態は石投げられても仕方ないと思う。その変態が身内だったことが、あたしマジで悲しい……」
真面目に思い出したら本当に目尻に涙が浮かんできたので、希咲は頭を振って記憶と共に涙を振り払う。一応はもうほぼ全てが示談で収まりそうなのだ。終わったことなのだ。表向きは。
「……あれ? これって――」
「――ん?」
その心情を汲んでのことかどうかは不明だが、望莱がスマホの画面を指差し話題を変える。
「この『m_sakuma』って3年の佐久間先輩ですか? あのエセお嬢様の」
「それで『そうそう、その先輩っ』って言ったらあたしまで悪口言ったことになんでしょ」
「ということは、お兄ちゃんの子種を欲しがるあの浅ましいメスブタで間違いないんですね」
「……そうだけど……、言い方っ……!」
望莱は迷わずその名前をタップして希咲と佐久間先輩のメッセージの履歴を見る。
「見ても面白いことないわよ?」
「ですね。だからこそチェックです。わたしとしては、わたしの見ていないところであの女が七海ちゃんにナメた口をきいていたらムカムカーなので」
「あたしとしては、あんたが何故かあたしを守ってる立場のつもりなのがムカムカーのムカよ」
「わ。このブス、こんなにわかりやすく七海ちゃんに持ち上げられて完全にチョーシこいてます」
「陰口ばっか言ってんのあんたじゃない」
「大丈夫です。こないだ面と向かって言ってやりました。豚には豚しか産めないし死んでも豚肉にしかならないと。でも、死んでお兄ちゃんの肉と一緒にグチャグチャに混ぜればハンバーグにはなるので、調理してやるから死ねと」
「やめてよっ⁉ だから先輩あんなにキレてたんだ……、てか、それって子供作ることの暗喩かなんかなの? どっちにしてもキモいけど……」
「んまっ、子作りだなんて七海ちゃんはえっちです!」
「なんでそーなんだよっ」
「ぁいたっ」
ズビシっと彼女の頭に手刀を落として黙らせる。
「まぁ、あまりウザイようなら言ってください。実はこの人社長令嬢だってイキってますけど、佐久間さんの会社ってウチの下請けなんですよね。いつでも佐久間パパに圧力をかけますよ? 紅月コーポレーションの権力で!」
「やめたげなさいよ……。佐久間パパがかわいそうでしょ」
「成金の娘風情が七海ちゃんにイキってくるのはムカつきます。まぁ、厳密に言うとウチも成金ですが」
親の権力と財力でイキるみらいさんだったが、彼女の家である紅月家は京都に古くからある名家の一つである。
ただし、美景市を中心に有名な紅月コーポレーションを親会社とする紅月グループは彼女の父親が一代にして築いたものである。
長男であるにも関わらず早くから見込み無しの烙印を押され跡継ぎを外された彼女の父が紅月本家を出奔後に、実家では必要とされなかった商才を発揮したことになる。
しかし、そうしたらそうしたで今度は、紅月家の者が経営する以上はその会社も紅月家の一部であるとの主張のもと、本家からバチボコに圧力をかけられることとなった。
彼らの要求を要約すると、『お前の会社と財産を差し出せ』である。
そういうわけで、せっかく自分を蔑ろにする実家から解放され、子供の老後の心配もないくらいの財を築いたにも関わらず、望莱の父は毎日汗と涙と胃液を流しつつ各方面の顔色を窺いながら働いている。
そしてそんな父の苦労を知った上で、長女のみらいさんはお父さんのお金で作られた別荘の内装を特に理由もなくぶっ壊しているのであった。
「んもう、七海ちゃんはわがままです。圧力がダメならもうわたしに出来ることは壁尻しか……」
「するなっ。あれはもう二度とやんないでよね」
「だってぇ……」
「もぅっ、しょうがないわね……」
ふにゃっと眉を下げる望莱の情けない顏を見て、希咲も嘆息する。
この人をおちょくるのが大好きな困った妹分は基本的に愉快犯なのだが、他人が希咲に害を為そうとすると途端に攻撃的になるのだ。
複雑な事情があるのだが、中学の卒業式の件もそれに該当する。
当時望莱が所属していた3年4組にはとても目立った不良女子がいた。彼女は一年前まで同じ中学校に在籍していたみらいの兄である聖人のことが好きである。
そしてその不良少女の兄は割と有名な不良男子だ。そしてその不良兄は希咲のことが好きで、既にフラレ済みである。
その不良兄妹プレゼンツで中学卒業を機に紅月 聖人と付き合っていると噂の希咲 七海をどうこうしてやろうという企てをしているのを望莱が察知し、適切に対処したのだ。
クラスメイトの内、幾名かの男女は実際にそのイベントに参加予定だったので有罪、また幾名かの男女はこの企てを知っていたのにみらいに教えなかったので有罪であると望莱は考えた。
そして残りの無関係な者たちは、動機の特定をさせない、或いは遅らせる為に無差別にジェノサイドすることとし、当時通っていた中学校で3年間学年1位の成績を維持した類稀なる頭脳を最大限に発揮した結果、3年4組壁尻会場が設営される運びとなった。
希咲は複雑な想いを抱く。
実際に彼らの凶行を許してしまえば、ほぼ間違いなく自分はとても酷いことになっていたので、望莱に守られたことは間違いがない。
ただ、その方法があまりにも常識外れでハチャメチャなものだったので、自分や他の大人も多大な迷惑を被ったことも間違いがない。というか、もしかしたら直接襲撃を受けるよりもヒドイことになったかもしれない。
でも、それが自分のためだと思うとあまり強くは言えない。
(ちゃんとさせなきゃなんだけど、困ったなぁ……)
望莱の腰肉を指先でムニムニ弄りながら苦笑いを浮かべる。
そこまで考えたところで、『あぁ、そうか』と思いつく。
(――なんかこういうとこ、アイツちょっとこの子に似てるかも……)
さらに胸の裡が複雑にモヤモヤして、望莱の脇腹の肉を爪でイジイジする。
「――むむっ……⁉」
そしてそのくすぐったさから敏感にみらいさんは何かを察知した。
「七海ちゃんが他の男のことを考えてますっ!」
「バカなこと言わないの」
「おにくらめぇっ」
「ヘンな声だすなっ」
誤魔化すように脇腹を摘まむと望莱が悶えたので、彼女のお尻をぶって止めさせる。
そして今度は、彼女の真っ黒な後ろ髪に指を絡める。
「ねぇ」
「なんですかぁ?」
艶めいた黒髪を爪で梳くように撫でられ、みらいさんはご満悦の表情だ。
「高校では大人しくしててよ?」
「えー? してますよー?」
「まだひと月も経ってないでしょ」
「安心してください。わたし高校では病弱なお嬢様キャラで騙し切る予定です」
「なにそれ。あのさ――」
「はい?」
望莱の髪を梳く手が止まりそうなったのを寸前で意識して身体に命令を送り、同じ動きを続けさせる。
「――あたし、今なら大抵のものには負けないから……。わかるでしょ? もう大丈夫だから……」
背中の上からの希咲のその言葉を聞いて、望莱はニッコリと貼り付けていた笑顔の瞼と唇を緩める。
「えー? でもぉ、それってわたしも今ならもっと負けないってことにもなりますよねー?」
「もうっ……、あんたが余計コワイものナシになっちゃったから心配してんじゃん」
「わかってますよー、だいじょうぶです」
スマホの画面に目線を向けながら望莱は続ける。
「お前は喋らなければ可愛いのになって
「ぷっ、なにそれ」
「蛮くんにも、お前は喋ったり動いたりしなければ清楚系美少女でいけるのになって言われました」
「うける。でも……」
「えっ?」
希咲の望莱の髪を梳いていた手が止まる。
「……でも、それって……、お人形さんみたいよね」
「…………」
望莱はまた瞼と唇を緩めてから、ニッコリと笑みを貼り付ける。
「そうですよー」
「そうですよって、あんた……」
「初めて七海ちゃんと会った時くらいとか――」
「えっ?」
「――あの時期よくそう言われてました。『お人形さんみたいに可愛いね』って」
「…………」
楽し気に肩を揺すりながらスマホを操作していた望莱だったが、返事が返ってこなくなったので背中の方に意識を向けようとすると――
「ぅぎゅっ――⁉」
――急激に体重をかけられ潰れた声が漏れる。
そして同時に人の肌の温度が背中のほぼ全面で感じられるようになった。
「……どうしたんですかー?」
「……なにが?」
答えをはぐらかしながら希咲は望莱の腋の下から手を挿し入れて彼女の身体の前面に腕を回す。
その腕に力を入れてギュッと締めて、彼女の背中に自分の肌を押し付ける。
「これは抱きしめてるんですか? それとも、抱きついてるんですかー?」
「……なにが? この方がスマホ見やすいからしてるだけだしっ」
「そうなんですか?」
「そうよ。かんちがいしないで」
「はいはい。それじゃ一緒に見ましょうねー」
再び肩の上に乗せられた彼女の顎と頬に戻ってきた髪の感触に望莱は唇を緩め、自身の身体にかかる彼女の重みを心地よく思う。
「七海ちゃんは悪い女ですねー」
「なんでよ。あんたの方が悪い子でしょ」
「そういうことじゃないんですけどね」
「じゃあ、どういう意味?」
「いえいえ、いいんです。わたし女の子でよかったなーって」
「いみわかんないっ」
「ふふふー」
ニッコリ顏の望莱と、少し拗ねたような顔の希咲は、結局なかよく顔を並べて一緒にスマホを見る。
掃除は一つも進まないまま時間は大分経過しており、正午まであと1時間ほどだ。
希咲と望莱は身体を重ねながら1台のスマホへ目を向け、希咲のメッセージのやりとりの履歴を一緒に見ている。
このような体勢になって1分も経たない内に、「え? てゆうか、なんであたし後輩と一緒に自分のメッセ全チェックしなきゃなんないの?」と、希咲はハッと気づいたのだが、望莱の境遇を儚んでこうしたのに「やっぱダメ」とは今更言い出せず、七海ちゃんはお口をもにょもにょさせた。
「――七海ちゃん、痛いです」
「えっ……?」
「七海ちゃんの半ズボンのホックが当たって痛いです」
「え? あ……、ごめん……」
お口を波立たせる彼女の心境を正確に把握しているみらいさんは効率よく謝罪の言葉を引き出しニッコリした。
「……どいた方がい?」
「いえ、それには及びません」
「でも痛いんでしょ?」
「ええ、ですので脱いでください」
「……脱がねーよ」
七海ちゃんのおずおずモードが解除されスッとジト目になった。
「えー?」
「えー、じゃないわよ。脱ぐわけねーだろ」
「水着だし、いいじゃないですか」
「ヤ」
「お部屋ですし」
「イヤ」
「女の子同士ですし」
「イ・ヤッ!」
望莱がしつこく脱衣を薦めるも、当然だが希咲はけんもほろろな様子だ。
「いちいちあたしを脱がそうとすんの、なんなの?」
「そんなの見たいからに決まってるじゃないですか!」
「わっ⁉ なんであんたがキレんのよ! 大体、女の子同士でおかしいでしょ!」
「男に言われたら従順に脱ぐということですか!」
「そうは言ってねーだろ、ばかやろー!」
突然プリプリと怒りだしたみらいさんはお尻をプリプリさせて自らの怒りを強調する。謂れのない非難を受けた七海ちゃんもプリプリだ。
「てゆーか、半ズボンって言うのやめてよっ」
「半ズボンは半ズボンじゃないですかー」
「ショーパンっ、ホットパンツとか! せめて短パンって言え」
「どれも同じようなものじゃないですか」
「半ズボンって言うとなんか小学生の男の子みたいじゃん。あたしがダサイみたいになるからヤなのっ」
「えー?」
「やっ! 女子力ひくいっ、かわいくないっ!」
「例え七海ちゃんがショタになっても、わたしは変わらずにセクハラしますから安心してください」
「犯罪だろうがっ。つか、そんなのになんないしっ」
「じゃあ、女の子同士だから今はセクハラおっけーってことでよろしいか?」
「よろしくねーよ」
「あいたっ」
ジト目で見下ろしながら、ズビシっと望莱の頭にチョップする。
しかしその程度のお仕置きではみらいさんはめげない。
「女の子同士でそんなに嫌がるのもおかしいです」
「……だって、あんたすぐヘンなことすんじゃん」
「ヘンなこととは? わたし先月までJCだったのでよくわかりません。具体的にお願いします」
「言わないわよ。もう降りるからっ」
「あっ⁉ ダメですーっ!」
望莱は希咲の脚の間で伸ばしていた両足の膝を曲げて、身体を離そうと浮かせた希咲のお尻を踵で抑える。
「あっ! こらっ! はなせっ!」
「やだーやだーっ!」
「なにがやなのよっ! あたしの方がヤダって言ってん――やっ……⁉ やだ……っ、お尻グニグニしないでよ……っ!」
「あんまりワガママを言うようならこのままお尻だけじゃなくって、七海ちゃんの七海ちゃんな部分もグニグニしてグチュグチュにしちゃいますよ?」
「や、やだやだやめてっ! 絶対ダメだかんねっ⁉ それしたら怒るんだからっ……!」
「それしたら? それってどれですかぁー? てゆうか七海ちゃんの七海ちゃんな部分ってどこなんでしょう? ねぇねぇ、七海ちゃん? 七海ちゃんは一体ドコにナニをされちゃうって思ったんですかぁー?」
「うっさい! もう離してよっ!」
「わたしは七海ちゃんの嫌がることをしたくありません。なのでドコをどうされるとイイのか――もとい、嫌なのかをちゃんと具体的に教えて下さい。じゃないとうっかり挿入ってしまうかもしれません」
「はいっ――⁉ バ、バカじゃないの⁉」
「大丈夫。女の子同士だから恥ずかしくなんてないですよ?」
「……だ、だから……っ、その、あたしの、アソ――」
「――ぎぃやあぁぁぁぁぁーーっ⁉」
「――わっ⁉」
中年オヤジのようなネチっこさで希咲にセクハラをしていたみらいさんだったが、希咲のお尻をグニグニさせて、さらに希咲も望莱の身体の上で暴れていたために事故が起こる。
希咲のショートパンツのホックが開けっ放しになっていたためにチャックがズレて、みらいさんの腰肉に噛みついた。
「なななな、なんなの……っ⁉ また動物みたいな声だしてっ……!」
「チャックにおにくが挟まりましたぁ……」
「あ……、ごめん……」
一応は申し訳ないという気持ちもあったが、この隙を幸いと希咲は望莱から離れる。
「七海ちゃんにキズモノにされました……」
「ヘンな言い方しないでっ。あんたがふざけるのがいけないんでしょ!」
望莱を叱りつつも、希咲は指先で彼女の肌についた痕をイジイジして慰めてあげる。
「この痛みを胸に抱きつつ、必ず七海ちゃんの淫行を突き止めてみせます」
「してねーっつの。そんなヒマないって知ってんでしょ?」
「それは時間さえ空けばおじさんとえっちするってことですか?」
「そういうのいいから」
「七海ちゃんのノリが悪くてつまんないですっ。あと、七海ちゃんの他の人とのメッセも当たり障りなくてつまんないです!」
「あんたはあたしに何を求めてんだ。つか、当たり障りない関係で済むようにこうやってあちこちのご機嫌窺ってんじゃんか」
「ぶーっ、つまんないですっ」
駄々をこねるような望莱に呆れたような目を向ける。
「……わたしショックです!」
「なにがよ」
「七海ちゃんは男子にモテて女子にも人気があって、多方面の人間関係をクールに捌く、そんなカッコいい幼馴染のお姉さんだって思ってたのに……」
「あによ。だいたいそんな感じじゃん。あたしカッコいいでしょ?」
またわけのわからないことを言い出したなと、適当に返事を返すが風向きが変わる。
「だってぇ、メッセしてんの女子ばっかだし、それもなんか事務的なのばっかだし、男子なんてパっと見うちの兄か蛮くんか、一番多いの弟の大地くんじゃないですかー。七海ちゃんギャルの癖に全っ然モテてないです!」
「はぁー? そんなこと――」
別にモテようとしてるわけでもないし、モテたいわけでもないが、「モテないだろ?」と言われると人はカチンとくるものだ。
『そんなことないでしょ』と反論しようとして希咲はハッとなる。
望莱の手からパっとスマホを奪うと、パラパラーとメッセージを交換した相手の一覧を縦スクロールさせる。
(あ、あれっ……?)
ザっと見て目に付いた男子は幼馴染の紅月 聖人と蛭子 蛮くらいだ。
たまに他の女子が嫌がらせ込みでガラ悪い系の男子に希咲のIDを勝手に教えて、そいつらからいきなりメッセージが届くことがある。
しかし、その手の連中には即座に罵倒してからのブロックコンボをお見舞いしているので、定期的なやりとりをしているのは先に挙げた二人と弟くらいだ。
あとはバイト関係のおじさんとのやりとりもあるが、それは弟同様に男子としてはカウントできない。
他にもう一人思いついた者がいるが、アイツも仲いい男子にはカウントできないだろう――というか、したくないと頭から振り払う。
だが、それを言うんなら幼馴染の二人も当然仲のいい男子にはカウントできないなぁと思ったところで、希咲はサァーっと顔を青褪めさせる。
(も、もしかして……、あたし――モテてない……っ⁉)
そんなバカな、そんなはずはないと七海ちゃんはオロオロした。
(だ、だって……、しょっちゅう色んな男子がチラチラ見てくるし、告られたりもしたしっ……!)
該当する出来事を思い出して今しがた得た気付きを必死に否定しようとするもハッとなる。
そういえば、チラチラ見てくる男子たちの視線の大半は自分の脚――というかスカートの辺りに向いていて、次点はボタンをいくつか開けているブラウスの胸元だ。
さらに、告白してくる相手は大概が山賊のような不良連中で、彼らがよく口にする告白の言葉は大体が「やらせろよ」か「犯すぞ」だ。
もしかして、これは告白なのではなくただ身体を要求されているだけなのではと、別に好かれているわけではなくただサカってるオスが寄ってきているだけなのではと、七海ちゃんは多大なショックを受けてガーンっとなった。
一人で顔色をコロコロさせながらソワソワ動く彼女をみらいさんはニッコリと鑑賞する。
(で、でも――)
――と、他の告白パターンも思いだして希咲は悪あがきを続ける。
しかし、それで絞り出せたのは、先の不良たちよりはマシだが何やら意識高そうな勘違いをした連中で、「付き合ってやるよ」などと何故か上から目線で言われた経験くらいだ。
これらの男子たちへの自分の対応も蹴っ飛ばして泣かしたり、詰め倒して泣かしたりといったようなシーンしか思い出せず、他の女子たちから聞くコイバナのようにドキドキしたりキャーっとしたりするような要素が皆無だ。
(もしかして……、あたし――ダサいっ……⁉)
身体から力が抜け手に持ったスマホを取り落とすと、ペタンとベッドに女の子座りをしているその膝元にパフっと落ちる。遅れて両手もパフっと力なく落として愕然とした。
違う、そんなわけないと頭の中で反芻する。
希咲 七海はイケてる女子なはずだと。
(だ、だって、そうゆう風に言ってくれる多いし……っ)
女子にも男子にもそのように見られて、そのように扱われており、あまり自分で喧伝するようなものはないが、所謂カースト上位の女子なはずだ。
必要に駆られてそのポジションをとっている部分もあるので実感も自覚もあり、だからそれは紛れもない事実なはずだ。
だが、実績がなく実態がない。
いくらちょっと派手めなギャル系女子で目立つ存在だとはいえ――
いくら女子の知り合いが他学年や他校にも多くて顔が広いとはいえ――
いくら男子どもが隠れて作ってる『カワイイ女子ランキング』で上位に位置しているとはいえ――
――実際の自分は男子と一回も付き合ったことのない女だ。
碌に恋愛経験など蓄積されておらず、他の女子に提供できるようなコイバナが何一つとしてない。
先日知り合った『
自分の恋愛経験は、想い人に事故を装ってケツを突き出し下着を見せつけることをライフワークにしている痴女以下であるという事実が重くのしかかる。
七海ちゃんはクラっと眩暈がしてよろめき思わず額に手を遣った。
(今だって、そうよ……っ!)
学校を休んで金持ちの男友達の所有する島に男女混合グループで遊びに来ている。
字面とそれから連想されるシチュエーションだけを考えれば完全に『うぇ~い』なパリピだ。
しかし現実は、東京湾近郊の4月の海は寒くて泳げもしないし、年に数回ほどしか使われない宿泊施設は埃と蜘蛛の巣だらけで、人の手も足も入っていない周囲の環境は草花が伸びきっておりどこに道があるのかわからないような場所まであり、そこに居るのが自分だ。
ここに来てから自分のしていることのほとんどは掃除だ。
家に居ても旅行に来ても炊事洗濯ばかりしている。
(高校生活って、もっとキラキラしてると思ってたのに……)
キラキラ女子になりたかった七海ちゃんは絶望にうちひしがれ瞳からフッとハイライトが消える。
好機と見たみらいさんはさりげなく手を伸ばし、分厚いパッドとシリコンブラごしに七海ちゃんのお胸をどさくさでモミモミした。
僅かに感じたふにっという感触に「うんうん」と満足気に笑みを浮かべて、ふと希咲の顏を見る。
絶賛絶望中の彼女はセクハラされていることに気が付いていないようだが、ハイライトの消えた彼女の瞳からツーっと一筋の涙が頬をつたって落ちた。
その悲壮感に溢れる美しさが齎す犯罪性に背徳的な興奮を抱いた望莱は、滾る内なる己を戒めて周囲をキョロキョロと見回すと、先程放り投げたマイ枕を見つけた。
女子力クソザコの彼女はハンカチなど持っていないので、代わりにマイ枕から剥ぎ取った枕カバーを希咲へと差し出した。
それをバッと奪い取った七海ちゃんはサッと頭から被って顎の下で両端を縛り付ける。
変身前のシンデレラスタイルだ。もしくは掃除のおばちゃんスタイルとも謂う。
そして「うぅ、どうせあたしなんて、キラキラとは無縁なんだ……」とメソメソと泣き出した。
ほっとくと勝手にヘラる幼馴染のお姉さんを眺めるのは、みらいさんにとってはとっても癒しの時間だった。
もしかして自分はイケてる女子ではないのではという疑問を抱くも、希咲はそれでもなにかあるはずと過去に縋る。
すると、涙でぼんやりした視界の先に光に照らされる世界を幻視した。
その先に見えたのは、公園でクレープを一緒に食べた時の愛苗ちゃん。
ほっぺについたクリームをペロっとしてくれてドキドキしてきゃーっとなり、その後手を繋いで一緒に帰った。
次に見えたのは、一緒にお風呂に入った時の愛苗ちゃん。
何故か恥ずかしくなってきゃーっとなりドキドキして、あまり彼女の顔を見れなかった。
さらに見えたのは、一緒のおふとんで寝た時の愛苗ちゃん。
おんなじシャンプーの匂いにドキドキして、「え? どっち向いて寝たらいいんだろ? 背中向くのヘンだし、上かな? 横かな?」とオロオロしてきゃーっとなってたらギュッとしてくれてホッとした。
(――あれっ……? あたしのカレシって愛苗なのかな……?)
女の子同士で何言ってんだと思いつつも、何故かドキドキしてきゃーっとなり、それも悪くないんじゃないかと思えてきた。
先日も似たようなことを考えた気がするが、そもそも彼氏が出来たとして、自分に親友の愛苗ちゃんよりもその男を優先することが出来るのだろうか。いや出来ない。
(――反語っ!)
むしろ偉そうに「俺を優先しろよ」とか言われたら速やかにキレ散らかす自信がある。
やっぱ男とかいらねーな、モテないわけじゃなくて必要としてないだけだしと「うんうん」頷く。
そんなのなくても青春的なキラキラは愛苗ちゃんがくれるしと、自分に有利な結論に終着しようとしていると、またもモヤモヤっと青春エピソードが浮かび上がる。
昇降口から飛び出して、階段を降りずに勢いよく踏み切って世界に飛びこむ。
入り口の屋根のひさしを越えると外には夕暮れ前の陽の光が広がっていて、宙に舞い踊る桜の花びらを乱反射させキラキラと輝き、自分たちを迎え入れた。
その輝きを男の背中ごしに感じる。
彼の肩と背中に手で触れて、半ば無理矢理押し出すようにして一緒にジャンプした男の子。
もしかしたら1秒にも満たないほどの短いその瞬間を共有して、子供みたいに燥いで、ジュースをねだって、少しだけふざけあって、桜が降り注ぐ並木道を並んで歩く。
そして、校門を出る前に二人で1年後の約束を――
「――にゃあぁぁぁーーーーっ‼‼」
「わっ――⁉」
何やら物思いに耽っていたと思ったら、突然頭を抱えて絶叫したお姉さんに驚き、希咲の前にペタンと座っていた望莱はコテンとベッドを転がる。
そんなみらいの様子に気付かずに、希咲は脳内に浮かんだイメージを振り払うようにブンブンと頭を振る。頭に被っていた枕カバーがどこかへ飛んでいく。
「違うちがうちがうしっ! なんであんなやつ……っ! 絶対そういうんじゃないしたまたま流れでそう見えなくもない感じになっちゃっただけでそんなつもりはないし実績も実態もないから実質セーフだしっ! てゆーか、そんなの色々だめだし! そうじゃなくってもそもそもあのクズヤローとか絶対ありえないし、つか、青春とかキラキラだって言ってんのになんであんなヤツとのことが浮かんで……っ! あのバカとか一番そういうのとは遠い存在というか、せっかく周りはキレイだったのにアイツのせいで色々台無しってゆーか……――ハッ⁉」
誰も何も聞いていないのに突如言い訳のようなものを高速詠唱し始めた希咲だったが、暫く静かだった妹分の望莱がじーっと興味深そうに見つめていることに気が付き、慌てて体裁を取り繕う。
「んんっ」と喉を鳴らしてからにこーっと笑いかけると、幼馴染のみらいちゃんもにこーーっと笑ってくれた。
「過去の男性経験を思い出してたんですか?」
「ヘンな言い方すんな! そんなんじゃないわよ、あんなヤツっ!」
「あんなヤツ……? あれあれー? 一体誰のことなんでしょう?」
「うっさい!」
「んもぅ。七海ちゃんったら理不尽カワイイです」
怒鳴りつけられたみらいさんは何故かご満悦だ。
「その口で言えぬのならばスマホに聞いてくれよう」
そして希咲がほっぽり出したスマホをいつの間にか回収しており、画面の中の名前を探る。
「この中に『あんなヤツ』がいるかもしれません」
「……そんなのいないからっ」
「じゃあ『あんなヤツ』以外の面白いものを」
「そんなこと言われてもフツーのしかないし……、あっ、でも面白いのなら愛苗と――」
「――あ、それは結構です」
「なんでよぅ……」
「それ見たらわたしの脳が破壊されてしまいますので。今日はそっちの気分じゃないんです」
「いみわかんない」
大好きな親友の愛苗ちゃんとの面白エピソードを妹分に自慢したかった七海ちゃんは唇を尖らせる。話を逸らしたい望莱は彼女を挑発することにした。
「でもわたしショックです。七海ちゃんが非モテ女子だったなんて……」
「うっ――⁉ べ、べつに全くモテないってわけじゃ……」
強く否定をしたかったが、今しがた自分でもそのことを考えていたばかりだったので希咲は口ごもる。
「あーあ、カッコいいお姉さんの七海ちゃんがまさかなー。彼氏どころかメッセする男子もいないなんてなー。あーあ。高2なのに。ギャルなのに」
「あ、あたしギャルじゃ――っ⁉」
言い返せるところがそこしかなかったのでとりあえず反論しようとするが、煽り性能の高い腹のたつ表情を造る望莱の人をバカにしきった目を見て、七海ちゃんはハッとなる。
確かに望莱の言うとおり、自分には彼氏もいなければメッセをする男子も碌にいない。それは事実である。
しかし――
下顎を突き出してムカつく顔を向けてくる彼女の失望に満ちた目を見る。
そして強い危機感を感じた。
このままでは――
(――ナメられる……っ!)
――と。
この紅月 望莱とは幼稚園の頃からの付き合いである。それくらいの小さい時からずっとこの子の面倒を見てきたのだ。
彼女はちょっと目を離すと、先に挙げた『3年4組壁尻会場』のような意味のわからない事件を度々起こすようなちょっと頭のおかしい子だし、今もとてもムカつく顔をしているが、それでも自分の妹のような存在だ。
先日の弥堂 優輝との揉め事を経験するまでは希咲の中での『あたおかランキング』で不動の1位だった女の子だし、今も弥堂とどっちが上の『あたおか』かは甲乙つけがたいところではあるが、それでも彼女は今月高校生になったばかりの女の子でもある。
こんな彼女でも女の子だし、きっと高校生になったらこうなんだろうなという青春やキラキラに希望を抱いていたに違いない。
なのに、彼女にとってのカッコいいお姉さんであるところの自分が、バイトと家事と子育てと各所への挨拶まわりに忙殺されて、碌に青春イベントを経験してもいなければ全くキラキラもしていないダサイ女子だと思われてしまうわけにはいかない。
そうすれば、高校生活というものにも、またカッコいいお姉さんの希咲 七海に対しても、きっと彼女はガッカリしてしまうことになるだろう。
彼女の為を考えてだけのことではなく、そうして「あ、このお姉さんずっと憧れてたけど、高校まで行くと実は周りと比べれば全然大した女じゃないんだ」などとナメられてしまえば、今以上に言うことを聞かなくなってしまう恐れもある。
そうなってしまえば、きっと『3年4組壁尻会場』よりも凄惨な事件を起こすに違いない。
そんな未来を想像して望莱の煽り顏に背筋を凍らせる。
「七海ちゃんはぁー、高2なのにー、男友達もいないんですかぁー?」
「…………い、いるから……」
「はぁ? なんですってー?」
「いるもんっ!」
望莱は煽り顏をスッと真顔に戻してジッと希咲の顏を見る。
七海ちゃんはサッと目を逸らした。
「へぇー? いるんですか?」
「い…………、いる……」
苦しそうなその言葉にみらいさんはニコっと笑った。
七海ちゃんもニコッと笑った。ただし頬には一筋の汗が。
これは決して自分が見栄を張りたいわけではなくこの子の教育のためだと言い訳をしながら嘘をつき、心苦しく思いながらもどうにか誤魔化せたと安堵して汗を拭おうとしたところで、みらいさんの表情がまた煽り顏に戻り七海ちゃんはハッとなる。
「でもぉー、七海ちゃんはぁー、ギャルのくせにー、彼氏できたことないんですよねー」
「あっ……、あるから……っ!」
「え?」
「あるもんっ!」
口を半開きにして耳に手を当てて掌を向けてくる望莱の仕草にカチンときて七海ちゃんはイキった。
「へぇー? 七海ちゃんの私生活にそんな気配は感じられませんでしたけど、これってわたしの勘違いですかー?」
「そっ、そうよっ……!」
「ふぅーん……」
「い、今はいないけど、前はいたから……っ」
真顔で詰問してくる望莱から目を逸らして言い張る。
色々と複雑なお年頃である七海ちゃんは、特別モテたいと思っているわけではないがイケてる女子ではありたいと考えており、さらに全然モテないと見られるのはダサイと思われるからイヤだと感じるので色々と難しいのだ。
「へぇー、それっていつですか?」
「えっ⁉ いっ……、色々よっ!」
「え?」
「あっ!」
「色々というのはそういう相手は一人ではなかったという意味ですか?」
「えっ? えと、その……、そ、そうよっ!」
「そうですか。色々ですもんね」
「そうよ。色々だもんっ」
ダラダラと汗を流しながら墓穴を掘っていく幼馴染のお姉さんに、みらいさんはほっこりして笑顔を浮かべた。
「でもぉー、それってー、なんか気の弱そうな子が死にそうな顏で告白してきたから可哀想で断れなかったけど結局全然合わなくてすぐに自然消滅したとかー、しつこいチャラ男に合コンでグイグイこられてムカついたけど騒ぎにして他の人に迷惑かけたくないからとりあえずオッケーしといて即行でブロックからのバックレとかー、どうせそんなんですよねー?」
「はぁー? んなわけないでしょ。そんなんでオッケーとか絶対しないからっ」
「なるほど。では、それなりにちゃんとした付き合いを複数の男性としたと。そういうことですね?」
「そ、そうよっ!」
「じゃあー? そういう経験も当然ありますよねー?」
「……? そういう……?」
「もちろん『Hの経験』です!」
「えっ――⁉」
ど直球を投げ込まれて動揺した七海ちゃんは、キョロキョロとお目めを動かしてどう答えるべきか考える。
しかしその間を与えずと望莱が畳みかける。
「それだけ色々な男の子と付き合っていて、まさか未だに処女なわけないですよねー? 高2なのに」
「えっ? ま、まぁ……、そうね……っ」
「ですよねー。高校生にもなって男の子と付き合ってなにもないとか、そんなのダサすぎますもんねー。七海ちゃんはそんなダサダサ女子じゃないですもんね?」
「そっ、そうよっ、当たり前でしょっ!」
「ということは、Hしたことがあると?」
「も、もちろんよっ。てゆーか、それくらいフツーでしょっ」
「ですよねー! 普通ですよね! 彼氏もちのギャルが処女とかクソダサですもんね!」
「あ、当たり前でしょっ!」
「いやー、よかったです。わたしの憧れのお姉さんが経験済みの非処女の中古品で安心しました」
「は? う、うぅん……」
歯切れの悪い返事だが強く否定もできない希咲の様子に望莱は一定の満足感を得る。
簡単に口車にのってしまう見栄っ張りでイジると面白い幼馴染の可愛いお姉ちゃんに萌えてみらいさんはニッコニコだ。
「ところで何人くらいなんですか?」
「え?」
「人数ですよ。付き合った人数」
「えっと……、ごっ――じゃなくって、4っ! 4人よっ!」
「へぇー」
高2で5人は多いという基準が彼女にはあるらしいと、みらいさんはプロファイリングする。
色々と複雑なお年頃である七海ちゃんは、処女だと思われてナメられるのもイヤだが、かといって遊んでると思われるのもイヤらしく、多すぎないギリギリのラインを攻めて年下の幼馴染の女の子にイキった。
そして高2になったばかりで4人は結構多いという基準を持つみらいさんは、いつも口煩い七海ちゃんは意外と性に寛容である可能性があると、俄かに興奮した。
「なるほど。七海ちゃんの経験人数は4人なんですね。わかりました」
「えっ……? あ、うん……」
「さすが七海ちゃんです。高2で4人の男の子とHしてるなんてモテ女です。キラキラ女子ですね!」
「うっ……、そ、そうよ……」
耳を真っ赤にしながらも、どうにかマウントをとろうとする幼馴染のお姉ちゃんにみらいさんはほっこりし、希咲さんは妹分の前でいいカッコするために大分やらかしたのではと、今更ながら不安になってきた。
みらいさんによるスマホチェックが続いており、これは先日強引なやり方で彼氏でもない男子のスマホチェックをした報いなのではと、希咲は心中で涙を流す。
「そんなイケイケな七海ちゃんのスマホですが元カレとのやり取りが全く残ってません。これはどうしたことでしょう」
「え? あ、えっと……、ブロック……っ! ブロックしたの!」
「へぇー。七海ちゃんは別れると即ブロックする女なんですね」
「ぅぐ……っ! み、未練……? 未練を残さないようにバッサリと……っ! やさしさで……っ!」
「へー、そーなんですかー」
「てか、もういいでしょ! あんたが喜ぶようなもんは何もないから!」
「……とか言いつつ、おっとぉ? こ、これは――っ⁉」
「――えっ⁉」
疚しいものが何もないから今こうして嘘を重ねてドツボにハマっているのに、大げさな
「な、なんかヤバイもんあったっけ……?」とそろぉーっとスマホを覗き込む。
「ヘンなアカウントとやりとりしてる形跡を発見しました!」
「ん? ヘンなアカ……?」
「なんかめっちゃ捨て垢っぽいやつです! おじさんがチン凸するために使ってるアカウントみたいなやつ!」
「は? なにそれ?」
「ほら、これです。このパスワードみたいな怪しいアカウントです」
望莱が指差す名前を見てみると、それはここ数日で見慣れ始めたアカウントだった。
「あぁ、コイツか」
「パパ活ですか⁉ 秘密の待ち合わせの連絡用ですか⁉」
「そんなんじゃないわよ」
「じゃあやっぱりチン凸ですね! うおぉぉーーっ! チ〇コはどこだー! さがせーっ!」
「あ、こらっ! 乱暴に触るな! そんなのないからっ!」
凄い勢いでスマホの画面を縦スクロールさせる望莱を止める。
「あんた何いきなり興奮してるわけ?」
「え? だってチ〇コですよチ〇コっ。女の子はみんなチ〇コが大好きじゃないですか」
「好きじゃねーよ!」
「えー? でも七海ちゃんはいっぱいチン凸されてそうですよね? たまに自撮りあげるとすごい勢いで男が群がってくるじゃないですか」
「キモい言い方すんな。てゆーか、そのチン凸ってなによ?」
「チン凸はチン凸ですよ。DMとかで知らないおじさんとかエロガキのチ〇コの写真が送られてくるやつです」
「チッ――⁉」
知らぬこととはいえ、自分が男性器を表す言葉を口にしていたことに七海ちゃんはびっくりする。
「そんなもん送られてきてないっつーの!」
「えー? 高2なのにー?」
「高2はカンケーないでしょ! そもそもフォローしてないとDM送れないようにしてるし!」
「つまんなーい」
「ガッカリするな! なんでそんなに見たいのよ。てゆーか、ヘンな言葉言わせんな!」
「えー? チ〇コくらい普通じゃないですかー? 七海ちゃんくらいになったらいっぱいチ〇コ見たことありますよね?」
「あるわけないでしょ! そんなもん見たくないし!」
「へぇー」
男性経験は4人あるが男性器は見たことがないと主張するお姉ちゃんにみらいさんはニマニマとイヤらしい笑みを浮かべる。
「な、なによ……、その顔っ!」
「えー? だってー、七海ちゃんはHしたことあるって言ってたのにヘンだなーって……」
「あっ――⁉ ち、ちがうのっ!」
「違うんですか?」
「そ、そうよっ! え、えっと……、写真っ! 写真ではないって意味っ!」
「そうなんですか? じゃあ、生チ〇コは見たことがあるんですね?」
「あ、当たり前でしょっ」
「いつですか?」
「えっ⁉」
「一番最近見たのはいつですか?」
「え、えっと……、いつって……」
七海ちゃんはお目めをキョロキョロさせてオロオロとする。
「ちなみに、ちっちゃい頃の弟くんたちはノーカンですよ」
「わ、わかってるわよ……!」
「ホントにあるんですかー?」
「うっ……、そ、それは……」
「えー? まさかチ〇コ見たことないんですかー? 高2なのに? そんなのダサすぎませんー?」
「あっ、あるもんっ!」
「じゃあ、いつですか?」
「え、えと……、だから……」
七海ちゃんはキョドキョドしながら、ないとわかっている記憶を一生懸命探す。
絶対絶命かと思われたその時、先程のようにモヤモヤーっとあるはずのない記憶がイメージに浮かぶ。
――学園の廊下。
そこに自分はペタンとお尻をつけて座っている。
目の前には男の下半身。
目線の高さにあるのは腰あたり。
カチャカチャと音を鳴らし乱雑な仕草で男の手がベルトを外す。
どうしてこんなところでと固まっている内に、ジッとジッパーの擦れる音が鳴る。
すっかり混乱してしまった自分は「止めなきゃ」と何故か考えてしまって。
身を乗り出して、手を伸ばして、でもそんな自分に構わずに彼の手はズボンもパンツも一緒くたにズルっと下げた。
顏から数十㎝も離れていないところでボロンっと知らないモノがまろびでて――
「――いにゃあぁぁぁーーーっ⁉ しねぇぇぇーーーっ‼‼」
「わっ――⁉」
またも突然大絶叫した希咲に驚いて、こちらも先程の焼き増しのように運動神経クソザコの望莱がコロンと転がる。
「どうしたんですか七海ちゃん。はしたないですよ?」
「なななななんでもないのっ!」
「なんでもない人がいきなり『いにゃーしねー』なんて叫ばないですよ」
「だいじょうぶだからっ! セーフだったの!」
「そうですか。セーフだったんですね。よかったです」
「そうなの! 見てないから見たことにならないしセーフなのっ!」
「なるほど。よくわかりました。つまり、七海ちゃんはおち〇ちんを見たことがないと」
「ないもんっ! だってセーフだったから……っ!」
「たしかに。だってセーフですもんね」
真っ赤になった顔を手に持ってくしゃくしゃにしたサイドテールで隠す彼女の涙ぐんだ目を見ながらみらいさんは「うんうん」と適当に肯定をしてやる。
希咲 七海は4人の男性経験があるが男性器は目視したことがない、別れた男は根こそぎブロックするモテモテのギャル系JK(高2)であるという結論に落ち着きそうだ。
ニコニコしながら適当な相槌をうつ望莱へ言い訳のようなものを捲し立てる希咲はふと何かに気付き目線を下げる。
今自分自身の手で顔に巻き付けている髪の毛。
その感触に紐づいた、先程の記憶のイメージのさらに続きがもやもやーっと頭の中に浮かぶ。
――バカ男が公共の場で突然脱衣をして。
彼氏じゃないから自分が見ちゃいけないモノなので、慌ててそれを視界から消そうと勢いよく顔を下に向けて。
そのせいで頭の左側で括っていたサイドテールがぶぉんっと回って、ナニかをペチっとして。
そうしたらアイツが「いてっ――何すんだ希咲」と言って――
「ぎゃあぁぁぁーーーっ! しねぇぇーーーっ!」
「んもぅ、うるさいですよ七海ちゃん」
再びの絶叫だが、みらいさんは既に「うんうん」肯定することに飽きていて、希咲のスマホを弄りながら興味なさそうに注意する。
「お……、おふろっ……!」
「え? なんですって?」
「おふろっ! 掃除してくる……」
「なんですか? 突然。今は七海ちゃんのスマホチェックの時間ですよ」
「ダメなの! お風呂入んなきゃいけなくなっちゃったの!」
「何を言ってるんですか。そんないきなりお風呂に入らなきゃいけなくなることなんてあるわけないでしょう?」
「あんただってさっき言ってたじゃんっ!」
「私はもう大丈夫です。乾きましたから」
「は? え? かわく……?」
「七海ちゃんは乾いてないんですかー?」
「そんなこと聞かれても、いみわか――」
何を訊かれているのかわからずに首を傾げようとして、希咲はまたも記憶の中の『なかったことシリーズ』の一つが脳裡に浮かぶ。
「――か、乾いてたっ! もう乾いてたからっ!」
「なんだー。乾いてるんですかー」
「そうっ! だからセーフだったの! だからノーカンなの!」
「ノーカンなのはセーフなんですね。納得です」
間接べろちゅーなどなかったのだと希咲は必死に主張するが、詳しい事情を知らない望莱には当然伝わらず、彼女も適当に応対しながら希咲が落ち着くのを待つ。
「そんなことより。ザっと見ましたけど、ないですね。このおじさんのち〇ちん写メ」
「だからないって言ってんじゃん。つか、おじさんじゃないし」
「あら。知ってる方なんですね……、って、それもそうか。やりとり見る限りそんな感じですね。どちらかというと、粘着してるのは七海ちゃんの方に見えます」
「なんでよっ! 誰があんなヤツに粘着するか!」
「あんなヤツ……、あ、もしかしてこの人ってあの先輩ですか?」
「……どの先輩よ」
「ほら、こないだ七海ちゃんと正門前でえっちしてた先輩です」
「してねーよ! ひっぱたくわよっ」
「やーん、こわいですー」
とんでもなく不名誉なことを言われ希咲は眉を吊り上げる。プリプリ怒るその姿はすっかりといつもの調子だ。
「……弥堂よ。ビトー!」
「あぁ、そうでした。弥堂先輩ですね」
「なんで覚えてないのよ。あんなに親し気に絡んでいったくせに」
「いえ。ああいう風に男の子に接すると結構好きになってもらえるので」
「アイツを好きにさせてどーすんのよ」
「特に理由はないんですけど、何やら七海ちゃんと仲良さげな見慣れない男のひとを、わたしに惚れさせたら面白いことになるかなって」
「あんたヤバすぎ……」
まったく悪びれもせずにニコやかに言う望莱に希咲はげんなりとする。彼女はこれで悪気はなく、それでいてマジで言っているのでタチが悪い。
「まぁ、結果的に全然ダメでしたけど。逆にあそこまでカケラも興味を持たれないことが新鮮でした」
「……アイツにちょっかいかけないでよね」
「おや。もしかして狙ってました? 5本目のマイチ〇コとして」
「狙ってねーよ! てゆーか、あんたさっきから言い過ぎっ!」
「言い過ぎ? なにがですか?」
「だから……、その……」
「大丈夫です。ここには女の子しかいません。思い切って言っちゃいましょう」
「わかってんじゃねーか、このやろー。絶対言わないからっ……!」
「はい。もちろんわかってますよ。水無瀬先輩ですよね?」
「話を混ぜるな……、そうだけど……っ!」
彼女には話をなんでもかんでも自分が面白おかしく感じるように引っ掻き回すきらいがあり、それに長年引っ張り回されている希咲は疲れを感じている。
「とにかく……っ! 愛苗のこともそうだけど、それがなくてもあんたとアイツの組み合わせとかマジ最悪だから、絶対に絡まないでよ!」
「えー? ひどいですー」
「うっさい。いいから言うことききなさいっ」
「はーい」
軽い返事を返しながら望莱は希咲と弥堂のやりとりを見ていく。
「なんか、七海ちゃんずっと怒ってますね。これ」
「……しょうがないじゃん。あいつムカつくんだもん。てか、あんま細かく見るな」
「いーじゃないですかー」
「よくないわよ。たしかにムカつくヤツだけど、知らないとこでメッセのやりとり見られるのは可哀想でしょ。……あっ、見られて困ることがあるって意味じゃないからね!」
「ちょっとだけ。さきっちょだけですから」
「いみわかんない。……アイツ、多分すっごい人間嫌いだから、こういうこと絶対イヤがると思うの」
「なんですか。その理解のある感じ。『あたしだけはわかってる』みが溢れてます」
「チャカすな!」
「ぶー。七海ちゃんはわたしよりもこの男が大事なんですね――って、なんじゃこりゃあぁぁーーーっ!」
「わっ――⁉ な、なにっ……⁉」
のらりくらりと冗談染みたことを口にしていた望莱が突然眉を吊り上げてガバっと身体を起こす。
「なんですかぁーーっ⁉ このスタンプはぁーーっ⁉」
「スタンプ……?」
小首を傾げて望莱の指差す箇所を見ると、それは弥堂が唯一使用するスタンプがあった。
七海ちゃんはちょっとムカっときた。
「……それはアイツが送ってきたスタンプよ。なんかムカつくのよね」
「ふぉぉぉぉっ! 第三者のわたしでも見てるだけでムカついてきますっ! これはアレですね! 噂の『他人を激怒させるスタンプ』です!」
「は? なにそれ?」
「送り付けた相手がこれを見ただけで怒り狂うと評判のスタンプです!」
「え? 有名なの? 初めて聞いたんだけど……」
「ちなみに7800円で販売されてます」
「バカじゃないのっ⁉」
あまりにぶっ飛んだ値段設定に七海ちゃんはびっくり仰天し、大至急お風呂で洗いたいとさっきまで思っていたサイドテールをぴゃーっと跳ね上げた。
「は? 7……、えっ……? ななせん……っ⁉」
「ちっくしょぉーっ! やっぱりわたしも買っとけばよかった! こいつはキクぜぇ……!」
「やめなさいよ、ばかっ! こんなもんにそんな大金、いみわかんないっ!」
超庶民派ギャルである七海ちゃんは顔を青褪めてプルプル震える。
「この男……っ! 覚悟を感じます……っ! 七海ちゃんを怒らせるためには手段を選ばないと……! 自らが痛手を負うことさえ厭わない……っ! 圧倒的覚悟……っ!」
「大袈裟な物言いすんな! ホメてるみたいじゃない。ただ頭おかしいだけでしょ」
「いいえ……! 正直わたしはあの先輩を侮ってました。本音を言えば悔しいです。わたしがそのスタンプを七海ちゃんに送る最初の人間になりたかった……っ!」
「ふざけんなっ! 結局あたしがムカつかされんじゃん! あんた絶対買うんじゃないわよっ!」
「でも悔しいんですっ!」
「うっさい!」
パフっと拳をベッドに叩きつけて憤る望莱に希咲もガーッと憤った。
「そんなことより反撃です! こいつぁ許せねぇですよっ!」
「え? あ……、ぅうん……」
「むっ……⁉」
義憤を燃やし望莱は立ち上がろうとするが、希咲の歯切れが急に悪くなりそれを見咎める。
「どうしたんです? 急に。七海ちゃんはこんな侮辱を受けて泣き寝入りするんですかっ?」
「うーーん……、そういうわけじゃ、ないんだけどぉ……」
「……というか、最初の方はけっこうやり返してますね……、けっこうっていうか、うわっ、これは地獄の連レス。きついです」
「きついってゆーな! だってムカついたんだもん!」
「でも昨日はやり返してないですね。こんなことされたのに、誕おめしてあげるなんて優しすぎます。まさかこの1日の間に抱かれたんですか⁉」
「んなわけねーだろ! あんたと一緒にこの島にいただろーがっ!」
「じゃあ、ここに居なかったら抱かれていたということですか⁉」
「そんなこと言ってないでしょっ!」
「だったら何だって言うんですかぁーーっ!」
「なんであんたがキレてんのよっ⁉ あたしが怒ってんでしょ!」
年下のくせにパワハラをかましてくる望莱に怒鳴り返してから、希咲は俄かにお口をもにょもにょさせる。
なにか言いづらそうにお目めをキョロキョロさせながら、ふとももをモジモジさせる仕草に萌えてみらいさんはニッコリした。
「……その、なんていうか……」
「はい」
「……コイツね。相手が女子とかってことじゃなくってね、たぶん、こうやってフツーにメッセするひと誰もいないっぽくって……」
「同情してモテ女子である七海ちゃんが接客してやったと?」
「ヤな言い方すんなっ! そうじゃなくって、同情……もあるのかもしんないけど……」
「けどけど?」
「……たぶんさ、アイツってばスタンプとか使ったことないっぽくって……」
「はい?」
「初めてスタンプ使ってみて、楽しくなっちゃってさ……、だからスタンプしたくて、でも他にメッセしてくれる人いないし……。そんで、あたしにこういうことしてくんのかなーとかって考えちゃって……」
「はぁ……」
「……ちょっとカワイイかも……、って思っちゃって……」
「…………」
望莱は、男のことをカワイイとか言い出す女はダメ男に引っ掛かり、そしてそのダメ男をさらにダメにするタイプのダメ女であると考えている。
自分の幼馴染のお姉ちゃんが順調にそんなダメ女に育っていっていることを感じ取り、みらいさんはお胸がキュンキュンしてニッコリと笑顔になった。
あと、このように終始口喧嘩をし続けるようなやりとりは決して普通のメッセージ交換ではないとも考えているが、このままの方が面白そうなのでそれは一旦置いておいた。
「なっ、なによその顔っ……⁉ ちょっとだから! ちょっとだけだから……っ!」
「はいはい。ちょっとだけだからセーフですよね」
「そうよっ! セーフよっ!」
「七海ちゃんの言うとおりだと思います。男の子のイタズラがカワイイなーって思ったから許してあげちゃっただけですもんね?」
「ん? んん……? なんかニュアンスがおかしいような……」
「そうですか? さっきそう言ってたのに……」
「んー……、でも、そうね。ちょっとムカつくけど、他にこういうの出来る人いないだろうからカワイソウだし、ちょっとだけなら好きにさせてあげてもいいかなって……」
「んもぅ、七海ちゃんはえっちすぎます」
「なんでよっ! そんな話してなかったでしょ!」
「まぁまぁ、いいじゃないですか。是非そのままの方向性で……、あらっ?」
「ん? どした?」
ニマニマしながら希咲を唆そうとしていた望莱が急に真顔になり、スマホに視線を集中させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます