1章35 『fatal error』


「俺だ」


『いよぉ、兄弟。オレだ』



 通話に出て受話口に耳を当てると聴こえてきたのは、馴染みのあるガラの悪い声だった。



「待たせたな」


『構わねえよ。もしかして取り込み中だったか? なんなら夜にでも掛け直すが……』


「いや、構わない。むしろ丁度よかった」


『そうかい。そいつぁ重畳』



 通話を続けながら新美景駅方面へと弥堂は歩く。



「で?」


『あぁ。用件は一つだけなんだが、その前に――』


「あぁ」


『ツレねーじゃねえかよ、兄弟』


「あ? なんの話だ」


『とっとと下校しちまうなんてよ。付き合い悪ぃぜ』


「そんな間柄でもないだろ。それに――」


『あ?』


「人前で俺とお前に話せる話題などないだろう」


『ハッ、確かに。そいつぁ言えてるぜ』



 向こうから振ってきたわりに存外どうでもよさそうに笑う快哉ぶった話し声から察するに、受話口の向こうの男の用件とは後ろめたいことなのだろうと見当をつけた。



「それに俺には校外任務があるからな。任せたのはお前だろう」


『まぁな。ひょっとして今最中かい?』


「いや、少々トラブルに巻き込まれてな。まだ現場に入れてもいない」


『オイオイ、なんだよそりゃぁ。初日だってのによぉ。ドコのドイツだ? その口ぶりからして多少なり手こずったんだろ? この街にまだオレらの知らねえヤツで兄弟を足止め出来るような連中がいたってのかぁ?』


「少なくともお前が気にするような相手じゃないな。利権がぶつかるような話じゃない」


『オイオイ、ますます変な話じゃあねえか。利害関係がねえのに兄弟が喧嘩するわけねえだろ』


「勘繰るな。俺だってたまには意味のない喧嘩もするさ」


『本当かよ』


「あぁ。ちょっと街の平和を守るために悪の組織と戦う手伝いをしただけだ」


『あぁ? なんだそりゃあ?』



 信号待ちをしながら『闇の秘密結社だったか?』と心中で訂正をし、『悪の組織は今喋ってるコイツだったな』と皮肉を垂れていると青信号に変わったので横断歩道を渡る。



「そんなことより――」


『――あぁ、本題に入るぜ』



 お互いに暗黙のルーティンになっている世間話から切り替える。



『昨日は悪かったな』


「昨日?」


っさんと一緒にパクられたろ?』


「パクられてはいない。誤認だ」


『迷惑かけたな。あの人まだ納得してねえみてえでよ……』


「別に構わない。辰巳のアニキだろ? あの人はどうせ死ぬまであのまんまだ。ほっとけ」


『そうは言っても顏あわすたんびに絡まれちゃオメェもかなわねえだろ?』


「今のところは特に問題はない。俺は別にあの人は嫌いじゃない」


『兄弟のその好みはよくわかんねえなぁ。つかよ、そうは言ってもよ、オメェにぶん殴られたってあの人クダまいてたぜ?』


「そうだったか? だとしても、そんなもの挨拶代わりだろ?」


『ハッ、ちげえねえ』


「そんなことが本題なのか?」


『いや……』



 否定をしながら、弥堂からは見えない電波で繋がった先の通話相手が居住まいを正したような気配を感じる。



『ヴォイプレに行ったろ?』

「あぁ」


『黒瀬に聞いたな?』

「あぁ」


『勘違いをして欲しくねえんだが、オメェに隠してたわけじゃあねえ』

「そうか」


『ここのところ日々事態が変わる。クスリ射たれて輪姦マワされた女がウチの闇医者に運び込まれてたことに気が付いたのは、オメェに情報を渡した後だったんだ』

「そうか」


『機嫌悪くしねえでくれよ兄弟。オレぁ別にカタったわけじゃあねえぜ』

「それよりお前がその女を回収したんだろ?」


『あぁ。ウチでケツもってる店であんなナメたマネされたってことが辰っさんにバレたりしたら、それこそあの人ドス1本持って外人街にカチこんじまうからな。オレんとこで匿ってる』

「だろうな。何か情報は?」


『ねぇな。つか、禁断症状がひどくてまともに会話を出来る時間が少なすぎる』

「眼球は黄ばんでいないか?」


『あ?』

「眼球は黄ばんでいなかったかと、訊いたんだ」



 それまでどこかこちらの機嫌を窺うように気を遣っていた相手の、受話口から伝わる温度が一気に下がった。



 はなまる通りに入ってすぐ、弥堂は人目を憚って狭い路地に入り、メインストリートから外れる。



『兄弟、オメェやっぱり……』

「眼球が黄ばんで、次に気泡のようなものがいくつも浮かんでくる。その症状が出始めたらほぼ回復の見込みはない」


『オイ、兄弟――』

「――血管があちこち浮いているだろ? 顏に浮かび上がった血管が肌を突き破るほどにまで膨れてきたらもう確実に助からない」


『…………』

「もしも俺が知っているものと同じなら、の話だ」


『……兄弟、オメェ何を知ってる?』

「面倒だから正直に話すが、今この街で『ソレ』を捌いている連中のことは何も知らない。だが、『ソレ』自体は知っている。正確に言うなら俺の知識にあるモノと似た特徴がある。厳密に同じモノかどうかはわからない。現物を持っていないからだ」


『……何故話した?』

「お前にしては察しが悪いな。言っただろ『ここまでいったら助からない』と」


『……どういう意味だ』

「そのままの意味だ。もしもその新種のヤクが俺の知っているものと同じなら、俺が先に言った症状が出たら助からない」


『だから?』

「だから。もしそうなったらシャブでもなんでもいい。なにか適当にクスリを射ちこんで無理矢理正気に戻して情報を搾り取ってから死なせろ」


『テメェ……』

「なにが不満だ? どうせ死ぬんだ。それなら効率的に生命を消費しろ。当たり前のことだろ?」


『……シャブで代わりになんのか?』

「さぁな。なる時もあるし、ならない時もある。やってみればわかるだろ」


『兄弟。それは……』

「だったら確実な方法を教えてやる」



 適当に奥に入り込んだところで、周囲を警戒しながら壁に背をつけた。



『確実な、方法だと……?』

「あぁ。簡単なことだ。現物を使え」


『なんだと?』

「持ってんだろ? 1本くらい」


『――――っ』



 僅かに息を呑む声が聴こえ、そしてそれっきり沈黙する。



 受話口を通して電話の向こうの様子が音で伝わる。



 パチッ、パチッと何かの蓋のような物を開けて閉める音が聴こえ、続いてキンっと金属製のケースを跳ね上げる音が鳴り、シュボっとフリントホイールを回して着火する音がした。


 無言のままスゥーっ、フゥーッと長い息遣いがして、もう一度キンっと金属が打ち合う音がするとようやく相手は言葉を発する。



『……兄弟。オレを疑うな』

「それはお前次第だな」


『オレは持ってねえ』

「『オレは』?」


『オレらは、誰も持ってねえ。つか、わかんだろ?』

「どうだろうな」


『オレらが――このオレがだ。これだけ時間をかけてまだ一つも手に入れられねえんだ。だからヤベェって言ってんだよ』

「そうかもしれないな」


『それがここ数日で風向きが変わった。今まで売人どもが慎重に客を選んで少しずつ撒いていたはずのモンがよ。店に遊びに来た客をラチって無理矢理射つだなんて、こんなことはなかった』

「…………」


『馬鹿なホストどもがチョーシこいて暴走したのか、外人どもに指示されてやったのかはわかんねえ……。女数人で店に行ってヤられたのは一人だ。この女が連中の御眼鏡にかなったのか、それとも偶々なのか、それもわかんねえ。だが、一つだけはっきりとわかる。これはチャンスだ。そうだろ? 兄弟』

「そうかもな」


『……オメェが何故かコイツに目を付けてるってのはわかってるつもりだ。兄弟がどうしてもって言うんなら、手に入れたら融通してやれねえこともねえ……』

「そうか」


『だが、約束をしろ。コイツを実験目的でも面白半分でも、どっかのダレかに射つってんなら別に構わねえ。見て見ぬフリしてやる。だがよぉ、コレを自分に使うってんなら絶対に渡さねえぜ? オレァよ、テメエの兄弟分にこんなナメたモンをゼッテェに使わせやしねえ』

「わかった。約束をしよう」


『……フカシはナシだぜ?』

「本当だ。俺だってまだ死にたくはないからな」


『よく言うぜ。オメェが本当にそう思ってくれてんならオレも気が楽なんだがな……』

「話はそれだけか?」



 若干空気が緩んだ隙に話を打ち切ろうと尋ねる。



『あぁ……、いや、まだある』

「そうか。早くしてくれ。もう現場に着いている。早く人を殴りたい気分なんだ」


『ハッ。それだけ聞いたらヤベエ奴だな』

「そうだな。最近は『切り抜き』というのか? 一部だけを恣意的に抜き出す悪いヤツと、それを真に受ける馬鹿が多くてな。誤解をされやすくて困ってるよ」


『なに言ってんだ。そいつぁ逆だぜ、兄弟』

「あ?」


『パッと見こいつヤベーんじゃねえかってなって、そんでよくよく話を聞いてみたら、こいつ完全にイカレてやがるクソヤベーって、そうなるのがオメェだぜ、兄弟』

「酷い言い草だ」


『まぁ、オレはよ、オメェのそういうとこが気に入ってるぜ』

「どうでもいい。そんなことが話したかったのか?」


『勿論ちげぇぜ。なに、難しい話じゃあねえ。オメェに詫びをしようって話だ』

「詫び?」


『あぁ。さっきのクスリ漬けにされた女の件だ。不手際の穴埋めだ』

「……律儀なことだな」


『なんでも言ってくれ』

「元々何でも用意すると言ってただろ。何が違うんだ」


『ハッ、こうやって催促しねえと兄弟は何も言わねえからな。遠慮すんなよ。女にするか? 用意するぜ?』

「だから、どうしてお前らは俺に女を抱かせたがるんだ。不要だ」


『そうか? 他の物でも勿論構わねえが……』

「別に困っているものなど――」



 余計な貸し借りを作りたくないためいつも通り適当に断ろうとするが、ふと思いつく。



『どうした?』

「ふむ……、そうだな。ではいくつか頼もうか」


『お? いいぜ。言いな』

「お前らのとこで飼ってる不良どもに車のパーツ泥棒をさせてただろ? 一部欲しい物があるんだが余ってないか?」


『アン? あー……、多分あるな。次の船でフィリピンに送る予定だったから倉庫に溜まってるはずだ。何がどれくらい欲しい?』

「バッテリーだ。あるだけよこせ」


『別に構わねえが結構な数あるぞ? 何に使うんだ?』

「まだ決めていない。学園に運び込んでおいてくれれば後はこっちで勝手にやる」


『あー、じゃあいつも通りゴミの回収業者に運び込ませる。急ぐんなら明日になるが構わねえか?』

「問題ない」


『それだけでいいのか?』

「そうだな……。後は、お前らのとこの風俗店で使ってる、なんだ……? あの変なオイルあるだろ? あれくれ」


『オイル……? マッサージのか?』

「多分違う。やたら滑るやつだ」


『……まさかローションのことか?』

「多分そうだ。女が股に仕込んだり、全身に塗ったりしてるやつだ」


『……ローションだな。使うのか……?』

「必要になるかもしれん」


『……そうか。何に使うんだ?』

「当然滑らせるためだが?」


『……まぁ、そりゃそう、だよな……。別に構わねえがどれくらい欲しいんだ?』

「そうだな……。40ℓくらいくれ」


『使いすぎじゃね⁉』

「念のためだ」


『念入りすぎだろ……。その女、そこまで深刻なら一度医者に診せた方がいいんじゃねえのか?』

「女? なんのことだ? 別に女に使うとは言っていない」


『えっ……?』



 受話口から戸惑ったような空気を感じる。何やらぶつぶつと呟く声が聴こえてきた。



『……そうか……、いくら女勧めてもノってこねえのは……そういう……』

「おい?」


『ん? あぁ、悪ぃ。別にとやかく言わねえよ。オレらんとこの業界じゃ嗜みとしてそういうのもあるっちゃあ、ある。オレも特に偏見なんかねえよ』

「あ? まぁいい。灯油缶にでも入れてバッテリーと一緒に頼む」


『あ、あぁ……、わかった。あんま、ムチャすんなよ……?』

「それは相手次第だな」


『ま、まぁ……、そう、だな……。そう、だが……』

「俺からは以上だ」


『あ、あぁ……。ちょっと混乱してるがオレの方も特にはねえ。何か進展があったら報せる』

「では引き続き頼む」


『こちらこそ、頼むぜ兄弟……、あっ、兄弟って言ってもそういう意味じゃあねえからな? そこんとこ誤解しねえでくれな?』

「あ? 何を言っているのかわからんが、奇遇だな。俺の方も誤解を解いておくことがある」


『なんだ?』

「俺はお前の兄弟になった覚えはない」



 いつも威勢よく喋る男がどこかビクビクと言葉を選んでいる様子には構わず、いつも通りの平淡な声音で告げて電話を切る。



 続けて別のスマホを取り出し、一つの番号を選んで電話を掛ける。



 数コールしてから相手が通話にでた。



「俺だ。早速だがオマエに頼みがある。もちろん聞いてくれるな?」



 受話口の向こうからは怯えた様子で消極的な承諾が返ってくる。


 それに気付いていない風に一定な調子のまま、自身の要望を伝える。



 すると、相手からは強い反発が返ってきた。



「それは俺の知ったことじゃない。お前なら製薬会社に伝手があるだろ? いくらでも手に入るはずだ。品質は気にしない。一定の効果が保たれていて量さえ揃えばそれでいい」



 相手からは尚もこちらを説得する言葉が続いている。



「俺は別に構わん。お前が断るのなら同じことが出来る別の人間に頼むだけだ。心当たりが二名ほどいるんだが、もちろん誰のことかわかるな? お前がやるか、そいつらにやらせるか。お前が選べ」



 10秒ほどの無言の時間を経て、相手が承諾する。



「そうか。それはとても助かるな。俺はいい友人を持った。ブツは寄付の名目で美景台学園に送れ。期日は明日。遅くても明後日だ」



 相手からはひどく焦った様子で何かを捲し立てられる。



「うるさい。お前はお偉いんだろ? 普段から多くの部下を顎で使っているんだろうが。それに見合った働きをしろ。いいか? 俺を失望させるなよ。お前に利用価値がないと俺が思えばお前の秘密を守る意味もなくなる。俺が後生大事にお前の秘密を抱えていたいと思えるような仕事をしろ。じゃあな」



 一方的に突き放し画面上で首を斬り落とすように指を払った。






「うん、わかったぁ。急いで帰るねっ」



 相手からの言葉を待ってからスマホの画面上で指を横にスワイプして通話を切る。



「ママさん、なんて?」



 いそいそとスクールバッグにスマホを仕舞っていると、パートナー兼家族兼友達の黒猫が声を掛けてくる。


 水無瀬 愛苗みなせ まなは足元の方へを目線を向けた。



「急がなくていいから車に気を付けてゆっくり帰っておいでーって。あとね、マヨネーズ買ってきてって」


「こないだ買ったばっかじゃなかったッスか?」


「えっとね……、前のはメロちゃんが冷蔵庫開けて全部チュッチュしちゃったから……」


「あぁっ! そういえばそうッスね! ジブンたまにマヨをチュッチュしたい衝動を抑えきれなくなるッス! ニンゲンはなんて恐ろしいモノを生み出してしまったんスか……」


「あんまりいっぱいチュッチュしたらネコさんにもよくないと思うの。帰ったらネコさん用のチュッチュあげるね?」


「うぇ~いっ! やったッス!」



 少し前まで戦場であった中美景公園からの帰り道。


 二人は美景川沿いの土手のふもとの国道沿いの歩道を並んで歩いている。


 この川の向こう岸の新興住宅地内にある『amore fiore』という花屋が彼女らの自宅となるため、現在はそこを目指している。



「マヨ買うだけなら橋の向こうのコンビニでいいッスね」


「うん、通り道だね」


「へへっ、ちょうどよかったッス。あのコンビニに棲みついてる野良猫から今月分のミカジメ料をまだ貰ってなかったッス。ついでに回収するッス」


「みかじめ……?」


「うむッス。たまに他の野良がナワバリ荒らしに来た時に助けてやってるッス。その代わり定期的に上納品を納めさせてるって仕組みッス。要はサブスクッスね!」


「わぁ。ネコさんもサブスクするんだぁ」


「ネコさんといえど、時代の流れには逆らえないッス」



 なんでもない話をしながら帰路に着く。



 メロは隣を歩くパートナーの少女をチラリと横目で見上げ、別の話題を振る。


 ゆらりと黒いしっぽが揺れた。



「そういえば、今日のマナはスゴかったッスね! プリメロみたいでカッコよかったッス! ゴミクズーのヤツをチンチンにしてやったッス!」


「うん……でも……」



 実際に今日の水無瀬は大活躍だった。


 今までにないほどに力が湧いて、今までは出来なかったことが出来るようになった。これまでの彼女の魔法少女キャリアの中でのベストバウトであったことは間違いがない。


 しかし、当の本人はどこか浮かない様子でそっと地面に目線を落とした。



「……あんまり嬉しそうじゃないッスね? 少年のことっスか?」


「うん……」



 水無瀬は別れ際の弥堂 優輝びとう ゆうきの様子が気に掛かっていた。自身の挙げた戦果や魔法の上達に対する歓びなど何処かへかき消えてしまうほどに。



「私、なにかヒドイこと言っちゃったみたいで……」


「気にすることねえッスよ」


「でも……、明日ごめんなさいしなきゃ……」


「……そういうんじゃねえと思うッスよ」


「えっ?」



 地面から横に視線を動かして水無瀬はメロの顔を見る。


 メロはそれに少し遅れて水無瀬と目を合わせ、それから言葉を続けた。


 ゆらりとしっぽがゆれる。



「……アイツ、あんなんだけど、それでもやっぱ普通のニンゲンッスからね。魔法とかゴミクズーとかわけわかんねえもんとは距離を置きたくなるもんッスよ」


「そう、なのかな……? 私は初めてメロちゃんと会った時とか、初めて魔法を使えた時とか、すごい素敵だなって思ったけど……」


「んーー、そッスね……、でもそれはマナが『使える側』だからッスよ」


「つかえるがわ?」



「うむッス」と力強く頷きつつメロは説明をする。


 しっぽがゆらゆらと揺れる。



「例えばッスけど、目の前にいるニンゲンが銃を持ってたら怖くないッスか?」


「それは……、うん……、たぶん、こわい」


「そッスよね。でもマナは持ってない。相手には自分を殺せる手段があるけど、自分にはない。それってメチャクチャ怖いことっス。仲のいい友達同士でも少しはそんな恐怖感があると思うッスよ」


「そう……なのかな……? でも私は誰も殺さないよ? ななみちゃんだって、弥堂くんだって……」


「まぁ、実際そうかもしんねえッスね。だけど、TVとかでよくあるじゃないッスか。仲のいい夫婦だったのにどっちかがどっちかを殺しちまったりって」


「それは、そうかもしれないけど……」


「マナとナナミはラブラブッスからね。二人は大丈夫だと思うッスよ。でも少年は、あのニンゲンは多分そうは考えねえッス」


「そう、なの……?」



 縋るように向けられる瞳から逃れるように、視線を前方へ向けてしっぽを揺らす。


 声音と歩調が変わらぬようにメロは意識する。



「……アイツ。たぶん日常的に生命のやりとりしてたッス。ジブンも元野良ッスから、ちょっとわかるッス」


「えっ? 弥堂くんも野良さんなの……?」


「プフーッス! そうッス! アイツは野良ニンゲンッス! ウシャシャシャシャーッス!」



 殊更大袈裟に吹き出してみせ、一頻り笑ってから軽い雰囲気を維持する。



「……まぁ、兵隊なのか犯罪者なのかまではわかんねえッス。ジブンはネコさんっスから。そんなヤツだから、ていうか、そういうヤツだからこそ警戒しちまうんだと思うッス。危険に鼻がきかねえと生きてらんねえッスからね」


「私、キケンじゃないのに……」



 ショボンと肩を落とす彼女の姿をチラリと横目で見遣りしっぽを揺らす。



「マナが、ってより魔法が危険だって思っちまうんスよ。自分には使えない、よくわからないスゴイ力だから」


「そう、なのかな……。魔法はこわくないのに……」


「マナは、ほら、魔法と出会ったのは子供の時だったッスから。特殊な状況だったってのもあるッスけど、やっぱ抵抗感よりも憧れの方が強くて、それに子供だから素直に受け入れやすかったんだと思うッスよ」


「こども……」


「大人になるとそうもいかねえじゃねえッスか? 真っ先にまず自分の安全を考えちまうし。ニンゲンは特にそうッスよね」


「そうなの?」


「ジブン、マナのとこに来てからニンゲンをよく観察してたッスけど、多分他の動物より自我が強いからだと思うッス。種より群れよりまず自分。特に長く生きれば生きるほどに自分への執着が強くなっていくッス。知らんけど」


「じぶんにしゅうちゃく……」


「もう高校生っスから。動物だったら十分に大人ッス。自分を守るために未知を警戒して恐れるのは別におかしなことじゃねえッス」


「そんなの、さみしいな……」



 落ち込むパトーナーの姿にチクリと胸が痛むが、明るい調子を変えずにしっぽを揺らす。



「……ニンゲンって、自分と違うモンを恐がったり、気持ち悪ぃって思って、そんで追い出そうとするじゃねえッスか。あんまり深入りしねえ方がいいッス」


「……弥堂くんもそうなのかな?」


「それはわかんねえッス。でも、あいつやたら『関わるな』的なこと言ってたじゃねえッスか。あんまグイグイいくと引かれちまうッスよ」


「うん、きをつける……」


「っても、これに関しては別にアイツは悪かねえッス。普通の大人のニンゲンならそれが普通ッス」


「……そっかぁ。オトナ、なんだね……。高校生は。私もオトナ……」



 いつの間にか、向こう岸へ渡る為の橋の手前まで辿り着いていた。


 水無瀬は立ち止まり、空を見上げる。


 大分陽は落ちて夕暮れは夜へと変わろうとしていた。



「……早いもんッスね」


「……そうだね……、えへへ……」



 どこか照れ臭くなりずっと一緒に育ってきたネコ妖精に苦笑いを向ける。


 そして橋を渡るため、歩き出した。



「……私ね、ちょっと浮かれてたかもしれない」


「そッスか?」


「うん。魔法も魔法少女も秘密にしなきゃいけなくて。でも、弥堂くんが知ってくれたから……。魔法のこと、私のことが話せるのが嬉しくて……。たぶん調子にのっちゃってた」


「……気持ちはわかるッスけど、でも、もしもそういう相手が欲しいなら、その相手はナナミにしとくといいッス。ナナミならマナのことどんなことでも多分受け入れてくれるし、マナのこと傷つけないッス」


「そうかも……、でも、ううん。だから、やっぱりダメだよ。巻き込んじゃダメなんだ。ななみちゃんは優しいから、絶対私のこと助けようとしてくれる。でも、それは本当は危ないんだ……」


「マナ……」


「弥堂くんだって本当はそうだった。多分たまたまだったんだ……。たまたま弥堂くんが強くて運動が得意だったから大丈夫だっただけで、本当なら大ケガさせちゃってたかもしれない……、ううん、実際ケガさせちゃった」


「そういやアイツ次の日になったら当たり前みたいに治ってたッスね。あれなんなんスか? ギャグ漫画みてえッス」


「えへへ。すごいよね」


「い、いや……、それで済ましていいんスか……? アイツあんなにボッコボコにされてたのに――」


「――えっ⁉ うそっ……、そんなにっ⁉」


「あっ、やべっ――い、いや、今のはジブンが盛ったッス! よく考えたらそこまでじゃなかったッス……!」



 メロは慌てて誤魔化しつつ、人間が「いやいや」と手を振るようにしっぽをブンブン横に振る。



「そ、そう……? 私、あの時の記憶がモヤモヤしてて……。なんで覚えてないんだろ……?」


「が、がんばりすぎたんスよ! 力を使い果たして寝ちゃったんス!」


「うぅ……、明日いろいろ弥堂くんにごめんなさいしなきゃ……」


「ま、まぁまぁ、それより今はナナミのことッスよ」



 どうにか誤魔化せたようで安堵する。



「ななみちゃんはきっと、私がおばけと戦ってるなんて知ったら助けにきてくれちゃう。ななみちゃんはスゴくてカッコいいから、魔法なんて使えなくてもピューッて飛んできて、えいってやっつけちゃうかもしれない。でも、やっぱり危ないから……」


「ナナミにケガさせたくねえッスしね……」


「うん。私が魔法少女してるのはみんなの笑顔と平和を守るためだもん。もちろん、ななみちゃんのことも、弥堂くんのことも……。それなのに私が守ってもらって、助けてもらって、二人が危ない目にあうなんて、そんなのおかしいよ。そんなのダメだもん……っ!」



 沈んでいた瞳に強い輝きが戻り、水無瀬は俯けていた顔を上げて前を向く。



「だから、私がちゃんとしなきゃ……っ! ちゃんと……、うん、大人にならなきゃ……っ!」


「マナ……、そッスね! つまり、がんばるってことッスね!」


「うんっ! いっぱいがんばるっ!」



 二人ともに笑顔になり、橋の上をルンルンと進む。



「ナナミは今頃どうしてるッスかねー」


「旅行楽しんでるといいねー」


「ふふーん、本当にいいんスか? 他の女と楽しみ過ぎてマナのこと忘れちゃってるかもしれないッスよ?」


「ふふふーん」



 目を細め小生意気に煽ってみせると、意外なことに水無瀬からも同じような仕草が返ってきた。


「おや?」と目を丸くしつつも、マネっ子愛苗ちゃんに内心萌えたメロはしっぽをピンッとさせた。



「あのね? それはだいじょうぶなんだよ? ななみちゃん、私のこと絶対忘れないって言ってたもん」


「おぉっと、すでに既読イベントだったッスか。ジブンとしたことが遅れをとったッス」


「きどく……?」



 他愛もない話をしながらちょうど橋の半分を通り過ぎる。



「なぁに、大したことじゃないッス。マナとナナミのカップリングは最強だってことッス…………、マナ? どうしたッスか?」



 中間点を通過して少ししたところでメロは立ち止まり不思議そうに水無瀬を見る。


 先に彼女が足を止めて振り返っていたからだ。



「……なんか、いま……、ヘンな感じがして……」



 クンクンと鼻を動かして水無瀬は首を傾げる。



「なんスか? イヌのうんこッスか? アイツら自分のうんこも隠せないクズッスからね」


「ううん。ワンちゃんじゃないんだけど……、う~ん……」



 自分でも何に違和感を感じたのかわからないようで、さらに首を大きく傾けてしまう。


 やがて――



「――わかんないや。えへへ。気のせいかもっ」


「まぁ、そういうこともあるッスよ。さ、買い物もしなきゃだし早く行こうッス」


「うん、そうだね」


「よぉ~し、こうなったら橋の向こうまで競争ッス! 本気になったネコ妖精の暴走りハシリを見せてやるッス!」


「えっ? えっ? ま、まってよメロちゃーーん……っ!」



 どうなったらなのかは全くを以て不明だったが、ダッと暴走りだしたネコさんを水無瀬は慌てて追いかけていった。



 彼女たちが走り去ったあと、先ほど水無瀬が見つめていたあたり。



 防護柵の陰になる場所には一組のスニーカーが。



 誰かが脱ぎ捨てたものなのか、その靴からは何か細長いモノが伸びている。



 遠目で見れば靴紐のように見えるそれは人間の髪の毛――黒髪だ。



 まるで蛙が舌を引っ込めるように、その髪の毛はシュルリと靴の中に戻っていった。





 はなまる通りの一角。



 新美景駅と繋がるメインストリートは夕方の買い物客たちが徐々に居なくなり、一時間前までは賑やかであった喧騒も鳴りを潜め、これから夜を迎えようとしている。



 フレッシュジュースやスムージーを販売するドリンクの屋台も先程までは盛況だったが、そろそろ店主が店仕舞いを考える頃合いだ。



「うーい、バイトくーん! 今日はもう粗方捌けたからさ、今のうちに休憩しちゃってくれやー」


「うーす! ざーっす! 休憩いただきまぁーッス!」


「終わったらもう片付け入っちゃっていいからよ。鍋洗って生ゴミ纏めたら今日は上がっちまいなー。あ、これもってけ。福利厚生だ」


「ざーっす! ざーっす! ざぁーッス!」



 威勢のいい返事とは裏腹に、バイト君は重い着ぐるみを着込んだ身体をノソリと動かし、屋台の調理スペースから手を伸ばす店長からスムージーの入った使い捨てカップを受け取る。


 そしてノソノソと屋台の裏の路地へと入っていった。



 この着ぐるみのキャラクターは美景市が十数年前に災害に見舞われた後から始まった復興プロジェクトの中で、新たな街の名物の一つとすべく生まれたゆるキャラだ。


 このドリンク販売の事業もそのプロジェクトの一部で、市の名産品を使った事業を始めればたんまりと助成金が入ってくるというものだ。


 その助成金で懐を潤した角刈りに捻じり鉢巻きをした頬に傷のあるイカつい店長が、オシャレなプラ容器に地元の農家さんたちから仕入れた野菜や果物を砕いて混ぜてぶちこんで販売をし生計を立てている。



 着ぐるみは緩慢な動作で狭い路地の角をいくつか曲がり、やがて人気が全くないような場所まで来ると、適当に道端に放置されたコンクリブロックの内の一つを選んで腰を下ろす。



 大将のような店長から貰ったスムージの容器を脇に置いて、自身のバカでかい頭部に両手をやり、スポっとそれを外した。



 4月の春の夜前はぬるい気温だが、数時間ぶりに外気に晒された顏には少しヒンヤリと感じる。


 ビルの隙間に流れる僅かな風に真っ黒な頭部を浸した。



 着ぐるみの頭部の中から出てきたのは、まるでフルフェイスのヘルメットを被っているかのような黒い球体。


 出来の悪い福笑いのような三日月型の両目と口がその球体に貼り付けられていた。


 そう――



――闇の秘密結社に所属する悪の怪人ボラフである。



 若干腫れぼったくなった上瞼と下瞼に挟まれた死んだ目でボラフは手に持った透明なプラスティックの容器の中の、何色と言えばいいのか判断に迷う色をしたスムージーをボーっと見つめる。



 これは『美景スムージー』という商品だ。



 15年前の災害で壊滅的な被害を受けた農家さんたちを救うために、またこれから復興する街の新たな名物にと、そういったコンセプトで作られた商品だ。


 美景市の名産品と当時流行り出したスムージとかいうけったいな物をコラボさせようという安易な発想のもと生み出されている。



 問題となったのは何を名産品とするかという点で、それぞれの農家さんがメインに生産している作物が異なったことだ。


 その為、各作物ごとに農家さんたちの派閥が出来上がり、そしてそれぞれの派閥から送り出された議員同士で利権がぶつかり揉めに揉めた結果、「そんなん言うならもう全部ぶちこめばいいじゃん!」という平和的な解決策に行き着いた。


 そして、その果てに生まれたのがこの『美景スムージー』という地獄のようなスムージなのである。



 数十種類の野菜や果物によって錬成されたその緑なのか黄色なのかわからないペーストのような物体に、黒なのか紫なのかわからない濁りが渦巻き、加熱したわけでもないのに赤い気泡がブクブクと沸いては弾けている。


 外気に一定時間晒すとピンク色に変色する謎物質だが、唯一の救いはラベルに表記されている『人間が食べられる物しか入っていません』という文言は一応は嘘ではないということだけだ。



 ボラフはストローを咥えズズッと美景スムージーを啜る。



「……不味いな」



 無感情に呟きつつ全身タイツのようなボディの、もしもズボンを穿いていたらポケットがあるあたりに手を突っ込んでタバコを取り出す。


 カチッカチっと二回スイッチを押して火を灯す。



 フゥーっと煙を吐き出しながら手の中の100円ライターの感触を確かめる。



「借りパクしちまったな……、アイツに返さねえと……」



 口ではそう言うが、本音ではあの人間の男には会いたくない。


 会ってしまえばまたやり合うことになる可能性が高いし、次はもう遊びでは済まないかもしれない。


 それはこの手の中にある100円ライターの重みを背負い続けるよりも遥かに億劫だ。



 タバコをもう一度吸い込みながら、ジリジリっと先端の火種の音を聴く。



 フゥーっと深く息を吐き出しつつ空を見上げる。



「……オレ、なにやってんだろうなぁ…………」



 白く薄い煙の向こうに透ける狭い空からは答えはない。




 代わりに答えは背後から聴こえてきた。




「――本当に何をやっているんですか?」


「うおわぁぁっ⁉」



 周囲に誰もいないことを確認していたのに突然声をかけられボラフは飛び上がる。


 口を開けたことで咥えていたタバコを落としてしまい、それが首元から着ぐるみの中に入った。



「あぁぁぁぁっ! あっつぁ! あっつぁ! あっつぁぁぁぁぁっ⁉」



 ずんぐりむっくりな着ぐるみボディでゴロゴロと地面を転がる。



「まったく何をしているんですか……」



 それを呆れた目で見下ろすのはボラフの上司であるアスだ。



「それくらいのことでアナタがダメージを負うわけがないでしょう?」


「……気分だよ」



 指摘をされるとボラフは何事もなかったように立ち上がり、元通りアスに背を向けて座りなおす。



「……なんの用だよ」


「随分な言い草ですね。訊いたのはこちらです。ここで何をしているんですか?」


「見りゃわかんだろ。仕事だよ」


「これは異なことを。アナタの仕事は闇の秘密結社の悪の怪人でしょう? 自分でそう名乗っていますよね?」


「わかってるよ」


「いいえ。わかっていないから今ここに居るのですよ。あえて厳密に言いましょうか。アナタの仕事は魔法少女とゴミクズーの戦闘の監督。飼育・育成・観察・報告です」


「……わかってるよ」



 不貞腐れたようなボラフの態度に嘆息をする。



「今日、別種のゴミクズーが二体で彼女を襲っていましたよ」


「なんだと? なんでそんなことを……っ⁉」



 思わず振り返りアスを睨みつける。対してアスはジト目でボラフを見遣った。



「私じゃありませんよ。自然発生の個体です」


「……チッ、そうかよ」


「むしろ私はそれをどうにかするために出張ってきたのですがね。本来はそのためにアナタのポジションがあるはずなんですが」


「……悪かったよ」


「まったく……」



 仕事をサボった部下を咎める構図だが、アスは特に怒っているわけでもないようだった。



「それで? 大丈夫だったのか?」


「えぇ。と言っても、私が現場に着いた時にはちょうど一匹撃退されたところでしたがね」


「へぇ。あの子もやるようになったじゃねえか」


「それには同意ですが、しかし撃退したのは魔法少女ではないですよ」


「あ?」


「あのニンゲンです。例の彼」


「アイツ……、また……っ!」


「約束を反故にされた形ではありますが、アナタは言えた義理ではないでしょう」


「…………」



 ギリっと歯軋りするボラフにアスは事務的に告げる。



「芽が出ました」


「――っ⁉」


「もちろん報告はしました。今後は彼女にフォーカスしてプロジェクトを進めることになるでしょうね」


「テ、メェ……ッ!」


「なんですかその目は? 私はするべきことをしただけ。しかも本来これはアナタがするべきはずだったこと。違いますか?」


「……ちがわねえよ……っ!」



 拳を握りしめるボラフにアスはあくまで冷静に冷徹に続ける。



「事実のみをベースにして今後のことを教えましょう」


「…………」


「プロジェクトは次の段階に進みます。そしてここはアナタの御父上のナワバリ――担当地区だ。さらに彼は次の王の候補だ。それも上から数えた方が早い位置にいる。当然出てくるでしょうね」


「うるせえよ……っ!」


「目を背けていても仕方がないでしょう? もう止まりませんよ」


「うるせえってんだよ!」



 腰掛けながらバンっと地面を叩く。


 傍らに置いていたドリンクが倒れ僅かに中身が零れる。



 ボラフはハッとするとドリンクの容器を立て直した。



「…………わりぃ」


「構いませんが。ところで、それ美味しいんです?」



 アスは地面に零れたスムージーがピンク色に変色していく様を不快気に見ながら問いかけ、話題を逸らす。



「ん? あぁ、もちろん不味いぜ」


「……理解しかねますね。何故そんなものをわざわざ飲むんです? というか売れてるんですか? それ」


「意外にな、まぁまぁ売れるんだ」


「理解に苦しみます」



 どう考えても失敗商品だったのだが、失敗を認めるわけにはいかない議員さんたちは全力で努力をしてどうにかこれを売れるようにした。


 国から復興支援金としてぶんどった公金の一部を回して回して各メディアに与え、過剰に現代人の健康や老化に対する不安を煽らせ、さらにタレントやインフルエンサーにたんまり金を握らせ、このスムージーがその問題を解決すると謳わせた。


 その結果、味や見た目を改善するための資金はなくなったが、健康食品として一定の地位を得ることには成功し、それなりに継続して売上げを出せるようになってしまったのだ。



「オレが飲んでも別に意味はねえんだけどよ、これを買いにくるニンゲンどもが最高でな。運動はしねえし不健康なモンも食う。でも長生きはしてえってクズどもがよ、本当はこんなもん意味はねえってわかってるくせに、ほんのこれっぽっちの刹那的な安心感を得るために金を出してこれを買うんだ。そんで不味いってわかってるもんを我慢しながら口に入れて、そんでやっぱり不味いって顔を顰めやがんだ。オレにはその顔を見ることが何よりの癒しなんだよ……」


「理解に苦しみますね……、と言いたいところですが、それがアナタの性質だから仕方ありませんね。業の深いことです」


「へへっ」


「あの方の子とは思えませんね。そういうところはどちらかというと、私の父に近いように思えます」


「あの人どこで何してんだろうな」


「さぁ? 勝手で気紛れな方ですから。まぁ、そのために私が――我々が創られているとも言えます」


「……そうだな」


「…………」



 ビルの隙間から覗く空を見上げたボラフの視線を追って、アスも見上げる。



「……私は、このプロジェクトを成功させます。その義務があります」


「…………」


「この件を主導している方々のためではありません。私の父の作品が使われているからです。もっとも、父がプロジェクトのために創ったわけでも差し出したわけでもなく、創るだけ創って放置していたモノが勝手に使われているだけですが、そんなことは関係ありません」


「…………」


「それでも、このプロジェクトが失敗して、それで父の作品が失敗作であったなどと言わせるわけにはいきません。本人はどうでもいいと思っているでしょうが、我々は――私は、効果を観測し測定し記録し評価し、彼の知は全知足り得ると証明をするために創られています。そういう性質なんです」


「それは仕方ねえな」


「えぇ」



 緩やかに陽が暮れていく。



「……もしも、アナタの御父上が現場に出張ってきて、花が開いていて、それが自分の子であるアナタの成果ではなく、私の手に因るものだと知ったら。どうなるかわかってますよね?」


「……殺されるだけじゃすまねえな」


「えぇ。滅ぼされるでしょうね。だから身の振りをしっかり考えた方がいい」


「……そいつは警告かい?」


「いいえ。忠告ですよ。仮初とはいえ曲がりなりにも暫くの間、上司と部下をしてきたんです。そのよしみでのアドバイスです」



 互いに目線を下ろし、目を合わせる。



「ちゃんと考えれば考えるまでもないことだとわかるはずです」


「……わかってるよ」


「アナタがやらなければ私がやる。アナタよりも速く、アナタよりも確実に。どのみち結果は同じ事になります」


「わかってるよ。ちくしょうめ……」


「これを渡しておきます」



 アスは懐から何本かの試験管を取り出してボラフへ差し出す。


 しかし、彼は受け取らずに前を向いて目を背けてしまった。


 仕方ないので嘆息し、ボラフが尻をつける脇に置いた。



「ここからは多少ニンゲンが死んでも構いません。むしろアナタの御父上が来た時に全く血の匂いがしなければそれだけで怒り狂うでしょうね」


「…………」


「明日は川。橋の上。夕暮れ時でいいでしょう」


「…………」


「もう一度言いますが、私はそれでも構いません。ですが、もしも私の手で達成された場合、アナタの御父上はどう思うでしょうね? ご存じのとおり私の父とアナタの御父上は仲が悪い」


「……知ってるよ」


「と言っても、アナタの御父上が一方的に嫌っていて、しかしウチの父の眼中にないものだから余計に根が深くなっていますね。だから、アナタが思っているよりも遥かに私はアナタの御父上に嫌われていますよ」


「…………」


「もう時間は多くない。それでもあと半月ほどは猶予があるでしょうが。だけど、もう後はない。それは間違いがない」


「……ちくしょう……っ!」


「では、私はいきます。アナタが賢い選択をすることを期待していますよ」


「…………」



 カツカツと靴音を鳴らしながらアスは離れていき、角を一つ曲がるとその音はフッと立ち消えた。



「ちくしょう……っ」



 震える手を握りしめる。



「ちくしょう……っ」



 その手で自分が尻をつけた辺りを探りタバコを取る。


 箱から一本取り出し口に咥えようとすると、手の操作が覚束なく落してしまう。



「ちくしょう……っ!」



 気が急いた様子でそれを拾い口に咥えると、カチカチカチと乱暴にボタンを押し込み火を点ける。



「――っ⁉」



 すると、すぐに異臭に気が付き慌ててタバコを口から離すと、どうやら反対に咥えていたようで焼け焦げたフィルターが目に入った。



「ちくしょうが……っ!」



 立ち上がり八つ当たりをするようにそのタバコを地面に叩きつけて爪先で踏み躙る。


 黒フェイスメットのような頭を掻き毟りながらドカっと乱暴に座り直す。


 頭を抱えながら深く息を吐き出した。



「ちくしょう……」



 力なく項垂れるとふと傍らに置かれた試験管が目に入る。


 それに手を伸ばし、手に取る寸前で方向を変え、隣にあったスムージーを持つ。



 ストローを咥えズズズっと中身を吸い込む。


 そして、勢いをつけすぎた為か、それとも味の為か、咽こんでしまう。



 しばらく咳き込み、それが落ち着くとまだ中身の入ったプラ容器を握り潰そうとして、やめる。


 代わりにもう一度深く息を吐き、首を垂れた。



「……ちくしょう…………、マズイな……」



 思わず漏れ出たその心情に答える者は、今度は誰も現れなかった。






 マグカップに溜められた黒い湖面に瞳を落とす。



 僅かに揺れるその濁った水面はなにも映さない。



 弥堂 優輝びとう ゆうきはカップを口元に寄せ一口コーヒーを啜り、そして飲み込まずにベッとシンクに唾とともに吐き捨てた。



 ここは弥堂の自宅アパートのキッチンだ。



 ふぅと軽く息を吐く。



 今日は弥堂にしては珍しく少々メンタルが揺れるような出来事があった。


 しかし、それも今では落ち着いていた。



 あの後、繁華街や路地裏を徘徊し本来の任務を熟した。



 寄り道をするなという簡単な日本語すら理解できない動物たちにその意味を身を以て教えてやり、その動物たちに近づく可能性のある強欲なハンターたちにも生命の大切さを自身の生命が脅かされる体験をすることを通して教えてやった。



 自分と同じか、それ以下のクズを無心で殴ることによって心は平穏を取り戻す。


 弥堂は自分でもそれはどうかと思ったが、そういう性質タチなのだから仕方ないととっくに割り切っていた。



 時刻は現在23時半を過ぎた頃だ。



 シャワーはとうに済ませ、明日の学校の準備をすれば、あとはもう寝るだけというところで今日はコーヒーを飲み忘れていたことに気が付き、たった今そのルーティンも消化したところだ。


 急な仕事が入りでもしない限りは特にすることもない。



 今日の成果を考える。



 当然わかっていたことだが、初日で売人が見つかるようなことはなかった。


 なので、特に焦るようなこともなく、見掛けたちょっと悪そうな奴は顔見せのつもりで一人ずつ地道に殴っていった。



 その甲斐もあって、路地裏に棲みつくギャング気取りどもは完全に警戒態勢に入り、表をうろつく美景台学園の不良たちの何人かにもこちらの熱意が伝わり、当委員会の活動にご理解を頂くことが出来た。



 目に見える実績としては、ぶん殴った生徒さんの大多数に『Mikkoku Network Service』に登録して頂くことができ、まとまった数の新規会員様の獲得に成功したことだ。



 ガタガタっとテーブルが鳴る。



 ガムテープによって辛うじてダイニングテーブルであるという事実を繋ぎ止めている半壊したそれの上に置いたスマホが、バイブレーションによってメールの着信を報せたのだろう。



 先述したMNSの本日獲得した新規会員のリストをY’sに報告しておいたので、それに関する連絡かもしれない。



 マグカップの中身を全てシンクにぶちまける。


 水道でカップを濯ぎ飛散した黒液を水で流す。


 カップの中を覗くと銀色の底に黒い瞳が映る。



 水を止めカップをシンクに置き、弥堂はスマホの元へ向かった。




 スマホを手に取りメールアプリを起動させると、案の定Y’sからの返事だった。


 先程渡したリストに関する返信のはずだが、弥堂が送信した先のアドレスとは別のメールアドレスから送られてきている。


 何故こいつは日に何度もアドレスが変わるのだろうと考えながらメールを開いた。



 新着メールは2件。



 その内の1つはリストを受領したことに対するただの返事。


 もう1つのメールはいつもの長文暗号から始まり、それを辿って降りていくと本文はなく1つのリンクが張られている。


 弥堂はそのリンクを踏んだ。



 ハイパーリンクに飛ばされた先はこの為だけに作られたかのようなサイトの真っ白なページ。


 そこに唯一あるのは何かのダウンロードリンクだ。



 そのリンクに触れそうになった指が寸前でピクっと止まる。



 つい先日に同様の状況で起こった出来事が否応なく想起されたからだ。



 これをダウンロードしたらまた希咲のパンツが目の前に現れ面倒なことが起きるのではと弥堂は警戒する。



 だが、こうしていても仕方がないので、弥堂は意識を切り替えリンクをタップした。


 すると『はい』『いいえ』の確認などすっ飛ばして問答無用でダウンロードが開始される。


 意外に容量があるようで、ダウンロードの進捗を報せるゲージのゴール地点には数100MBの総量が表示されている。



 弥堂の警戒感が跳ね上がる。


 記憶の中に記録した希咲 七海きさき ななみのパンチラ画像を詳細に思い出しながらイメージ上で睨みつけ、事の推移を見守る。



 やがてダウンロードが終わるとこれまた勝手にインストールが開始され、そしてホーム画面に一つの見慣れないアイコンが追加された。


 そのアイコンを睨む。



「……M……、S……、N……?」



 アイコンは赤い背景にその3文字だけが記されている。


 タップして起動してみる。



「これは――⁉」



 スマホに表示されたのは名簿のようなものだった。



 数十人ほどの名前が縦に並び、名前の横には住所や連絡先などの情報がある。



 ズラっと目線を下へ流すと、知っている名前もいくつかある。



 例えば――



――佐川 百介 サガワ モスケ 白 美景台学園2年C組 部活なし 住所……



 このように一人一人の個人情報が詳細に載っている。



 弥堂は名前の横にある地図のようなアイコンに気が付き、それを押してみた。


 するとこのアプリとは別の元々スマホに入っていた地図アプリが勝手に立ち上がる。


 表示されたのは当然地図なのだが、その地図上の一点で赤く点滅する箇所がある。



 ある予感がしてその地点の住所を確認し、先程の名簿アプリに戻る。


 地図アイコンをタップした人物の住所を確認すると、地図アプリ上の点滅している地点の住所と一致した。



「これは……」



 色々と察しはついたが念のため確認をとろうと弥堂はY’sにメールを返信する。



『これはなんだ。』


『がんばりました!』



 向こうからの返事はほぼノータイムで返ってくる。



『このアプリはどうした。』


『作りました!』



 弥堂は眉を顰める。



(作った……だと……?)



 確かY’sに『M(ikkoku)N(etwork)S(ervice)』を運営しろと命じたのは4月17日だ。


 記憶の中の記録を確認すると3日前の出来事で間違いがなかった。



(その時点から開発をスタートして3日でこれを作り上げたのか?)



 こういったIT技術に関する知識は弥堂にはないので、その労力を正確に推し量ることは出来ないが、それでも簡単なことではないように思える。



 考えていると新たにメールが着信しそれを見てみると、またダウンロードリンクだ。


 それを開く前に追加でメールが届く。



『今度から新規会員様には今送ったリンクのアプリをダウンロードさせて下さい。チャット形式で密告が出来るようになっていて、それで送られてきた情報は、さっき見てもらった一個目のアプリの“密告まとめ”のタブに自動でアップされるようになってます。なので、一個目のアプリは絶対に貴方や関係者以外には渡さないでくださいね! 会員様用の方はアプリが入っている端末の位置情報を勝手に盗んで教えてくれる機能もありますので、いつでも追い込みがかけられます!』


「…………」



 弥堂は文面を無言で睨みつける。



 何を言っているのかいまいちわからなかったのだが、とりあえずナメられたらおしまいだという敵愾心だけ湧いてきたからだ。



 そして、自分の誤認識を改める。



 昨今、SNSなどでよく底辺プログラマーだの開発者だのを名乗る者たちが、アプリやゲームなどを作ったり運営したりするのはとても大変なことで、人件費を削るために自分たちが酷使されているなどと告発めいた愚痴を投稿すると、それに多くの賛同や同情が集まっているのを見掛ける。


 そういった業界のことは寡聞にして知らなかったので、機械化だIT化だと色々と世の中が便利になったと謂われても、楽をしているのはやはり上位の数%で、ボリューム層となる大半の労働者が苦しむのはいつの世でもどこの世界でも変わらないのだなと、そう考えていた。



 しかし、それは大きな間違いだった。



(小賢しい嘘を……)



 自分が騙されていたと憤りを感じる。



 このようなアプリが3日で2つも、それも恐らくたった一人で作り上げることが出来るのならば、自分が今まで見てきた『開発は大変だ』という話は全部嘘だったことになる。


 きっと隙あらば手を抜いて仕事をしたがるクズどもが今よりももっと楽をするために印象操作をしているのであって、アプリやゲームを作って管理・運営していくのはとても簡単なことなのだと認識を改めた。



 何かにつけてHPや事務管理ソフトを無料で作らせようとしてくる中高年経営者や役員と同じ境地の価値観に辿り着いた男子高校生は、Eメールを巧みに操って返事を送った。



『ごくろう。ちゅうもん通りだ。』


『きゃーーっ! ありがとうございます!』



 そんな注文をした覚えはないが弥堂はフンとつまらなさそうに鼻を鳴らす。


 元々は全て手作業にてリストを作らせようとしていたが、まぁ便利ならそれにこしたことはないと一定の満足感を得た。



 Y’sに関しては始末することも考えてはいたが、このような働きが出来るのならもうしばらく生かしておいてやってもいいかと、様子を見ることにする。



 しかし、今回の仕事に関しては上々の成果だと評価が出来るが一点、どうしても修正しなければならない点がある。



『我ながら完璧な仕事をしました! 褒めてください!』


『かんぺきだと。かんちがいをするなよくずが。』



 なのでその点について苦言を呈することにする。これには相手を調子にのせない為という目的もある。



『えむ、えぬ、えす、だ』


『はい?』


『えむ、えす、えぬ、じゃない。えむ、えぬ、えす、だ。二度とまちがうな。次は殺すぞ』


『キレすぎじゃないですか⁉』


『神に対して不敬だ。すぐになおせ。殺すぞ』


『はいただいまー!』



 神の偉大さもわからぬ愚か者を心の底から軽蔑しメールアプリを閉じた。



 スマホを置き、代わりに同じテーブル上に乗っていたスクールバッグを引き寄せる。一応明日の持ち物を確認しておこうと思ったからだ。


 バッグのチャックを開けたところで、スマホから『ぺぽ~ん』と通知音が鳴る。


 まだ何かあるのかと、画面上に浮かんだポップアップをタップしたところで「しまった」と己のミスを悟る。



 Y’sと連絡をとっているEメールの通知音はバイブレーション設定になっている。今しがた鳴った通知音はSNSとメッセンジャーアプリが一体になった『edge』のものだ。


 こんな時間にedgeで自分に連絡してくる相手は一人しかいない。







『@_nanamin_o^._.^o_773nn:よっ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:みてんじゃん』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:はやく返事しろ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:はやく』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:はやくはやく』



「…………チッ」



 思わず舌打ちがでる。



 今からでもどうにか無視できないかと考えてみたが、ここでもやはり既読機能が立ち塞がる。


 開発者への怨嗟の言葉を念じながら『@_nanamin_o^._.^o_773nn』さんからのメッセージに返事を送る。



『なんのようだ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なんなの? いつもいつも最初にそれ言うの むかつく』


『だったら話しかけてくるな。ばかが』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うるさい 用があるからメッセしてんでしょ したくてしてるわけじゃないんだからカンチガイしないで』


『いつもいつも言っているが、だったらさっさとその用とやらを言え』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なまいき 挨拶もちゃんとできないくせに!』


『やぁ、ななみんさん。こんな所で会うなんて奇遇だね。もしかして僕に何か用なのかな。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:バカにしてんのかーー!』


『お前がこう言えと言ったんだろうが』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ゆってない! あと、ななみんやめろ!』


『だったら先にお前がななみんやめろ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:いみわかんない!』



 溜息を吐く。


 今日もまず用件を聞き出すことにすら、こんなに手間がかかる。


 メッセージのやりとりを開始してものの数秒でこれだ。



 なんて好戦的な女なんだと、現在この同じチャットルームを見ているはずの希咲への侮蔑の気持ちが膨らむ。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:おさいふ!』


『あ?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あ?っつーな! てか文字でそれ打ち込むとかダサすぎ なにイキってんのばーか』


『うるさい黙れ。いいから用件をいえ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:だからおさいふ! ちゃんとお金入れなさいよばか!』


『なんの話だ。もってねえって言っただろばかが』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あ?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なにそれ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:もってんだろ ふざけんな』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うそつき』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うそつきうそつきうそつき』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:しね』



 途端にチャットルームを埋め尽くすような怒涛の悪口が送られてくる。


 彼女から送られてくる文字数に比例して弥堂の苛立ちも募っていく。


 一体なんなんだと眉を寄せると、ふと口の開いたスクールバッグの中が目に入った。


 手を伸ばし中身を取り出す。



 机の上に広げた物は水無瀬から貰った誕生日プレゼントだ。



「そういえばこんな物があったな」



 貰ったことすら完全に忘れていた。


 まさかこれのことを言っているのかと考えたところで、これまでのいくつかの希咲の言動が繋がり、事態を察する。



『これはお前が指示したのか。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:これって言われてもあたしには見えないんだからわかるわけないでしょ ばか』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:それはそうと』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:全然カンケーないけど』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:誕プレ気に入った?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:気に入ったでしょ?』



 ぺぽぺぽと音を立てて増えていく『?』スタンプが、隠す気がない程に白々しく惚ける彼女の顔を幻視させて妙に癇に障る。



『おまえの仕業か?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:は? いみわかんない それよりサイフは⁉ まさか持ってないの⁉』


『水無瀬の寄こした物のことだろ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:『寄こした』とかゆーな 超シツレー!』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そんなことより』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:よかったね』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:誕プレもらえて』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なにもらったの?』


『お前が仕組んだんだろ。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:えー? なーに?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なんでそんなことゆーの? わかんないしー』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:こわーい』


『俺がさいふを持ってるかどうかなど知っているものは多くない。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:え⁉』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:おサイフもらったの?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:やだ すっごいグーゼンだね!』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:何故かおサイフもってないビトーくんに』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ちょうどよくおサイフがプレゼントされるなんて』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:愛苗すごい』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:愛苗かわいい』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うれし?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うれしいでしょ?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ちゃんとありがとうした?』



(うるせえな。何が今日一日甘やかせだ)



 弥堂が水無瀬からのプレゼントを受け取り拒否できないように予防線を張られていたのだと今更気付く。



『おまえ俺をはめただろ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:えー? なんのことー? あたしわかんなーい』



 こいつめと、ぺぽぺぽと増殖していく『?』スタンプだらけの画面を睨みつける。



 顛末としては、弥堂が財布を所持していないことを知った希咲が、それをプレゼントするよう水無瀬にアドバイスをしたというだけのことだろう。


 偶然が重なった部分もあるだろうが、いちいちよくやるものだと感心する気持ちと、色々見透かされ把握されることに対してゾッとする気持ちと、よくわからない感情が胸に靄をかける。



 それにしても――



『かほごだな』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なによ いーじゃんべつに』


『お前がそこまでする必要があるのか』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うるさい アンタは持ってないもの貰えた あの子は喜んでもらえるものプレゼントできた どこに問題あるわけ?』


『俺がふゆかいになってお前が満足感をえたというのが問題だな』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:は? なにその言いかた マジむかつく てか ちゃんとお金しまったの?』


『ほっとけ。関係ないだろ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:お金ちゃんとしまったの? 答えなさいよ!』


『うるせえな。母ちゃんかよ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:だからダレがあんたのママよ! きもい! お金ハダカで持ち歩いてるとかバカじゃないの? 今すぐしまいなさいよ!』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:いま!』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ほら!』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:はやく!』


「うるせえな」


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ちゃんとソレ使ってあげなさいよね? 帰ったらあんたがお財布使ってるかチェックするから』


「なんだと?」


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ちゃんと使ってなくて まだポッケで小銭ジャラジャラさせてたらひっぱたくかんね』


『ふざけるな。おまえになんのけんりがある。それで俺をおどしたつもりか。なめるなよ。』



 送信すると同時に弥堂はマネークリップと小銭入れを手元に引き寄せ、それぞれに紙幣と小銭を入れてバッグに放り込む。


 強気な返信文とは裏腹に、彼女のチェックとやらからは逃れられぬと無意識の内に悟り、身体が勝手に偽装工作を施したのだ。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:いれた? あたしあんたのことなんか信じてないから しょーこ送って』


『しょーこ。だれだ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:証拠よ証拠 しょーこちゃんって誰よ バカじゃないの?』


『財布を郵送しろと言うのか。面倒だがいいだろう。その代わりこれっきりだ。中身の金はやるからもう蒸し返すなよ。送り先をいえ。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:は? なに言ってんの? バカじゃないの? なんであんたなんかに住所教えるのよ きもい』


『宛先なしでどうやって送れと』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:つか、なんで郵送? 写真撮って今ここに貼りなさいよ』


『春? いみのわからんことを言うな。写真をスマホに貼ってなんの証拠になる。そもそもすぐに現像できるわけないだろう。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あんたなに言ってんの? スマホのカメラで撮って』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:その画像ここに貼ってってゆってんの!』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:つか なんで通じねーんだよ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:原始人か』



 ピクっと弥堂は瞼を動かす。


 そして画面を見ている間に続々と『ウホウホ』と書かれたスタンプが貼られていく。



『むりだ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:は? そんくらい時間かかんないでしょ? パパっとやんなさいよ!』


『カメラがない』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うそつき』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:こないだあんたのスマホ触ったとき確認したもん』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:カメラついてた』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なんですぐしょーもない嘘つくの?』



 チッと舌を打ちつつ、その一方で着々と自身の身の周りが把握されていくことに鳥肌が立つ。


 やはりこの女は危険だと警戒し、脳内で希咲 七海に関する評価を4段階下げた。



『わかった。カメラはある。だが使えない』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:今度は壊れてるとか言うつもり?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あの時ちゃんとカメラアプリの中も画像ないか確認したから』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:見たし』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そん時動いてたから』


『そうじゃない。使い方をしらん。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:んな高校生いるわけねーだろ』


『そう言われても知らんものは知らん。むりだ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そんなんで今までどうしてたのよ そんな嘘でだませるわけないでしょ!』


『写真などとらなくても生きてられるだろうが』



 一応返信は続けているが、これはもう平行線にしかならないだろうなと見限る。


 いくら理屈立てて真実を告げても相手が納得をしなければ無駄なのだ。


 おまけに今彼女は目の前にいるわけではない。



 相手を説得するのに暴力もセクハラも出来ないのでは、弥堂は無力であった。



 そろそろ『他人を激怒させるスタンプ』の出番かと様子を見ていると返事が返ってくる。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ねぇ もしかしてホントにカメラわかんないの?』



 その文面を見て弥堂は想像上の彼女に怪訝な目を向ける。



 彼女にしては少し長い間をあけて送ってきたそのメッセージは、どこか文面がやわらかくなったような気がしたからだ。


 猛獣を監視するレンジャーのような慎重さで、相手を刺激しないように返事を送る。



『だからわかんねえって言ってんだろ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ねぇ? 中学の卒業式とか高校入った時とか』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なんにも撮ってないの?』


『なにをとる必要がある。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:部活とかお休みは?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:仲いいひととかと』


『そんなものはない』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そっか』



 弥堂は眉を歪める。


 何故か今彼女がどんな顔をしているのかが浮かんで、激しく苛立った。


 そんな気がしただけだから気のせいだ。



 また少し間が空いてメッセージが届く。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:帰ったらやり方教えたげるね』



 弥堂はそのメッセージの書かれた吹き出しを見下ろす。


 なんと返事をすればいいかと迷った。



 様々な感情が胸にある。


 こういったことは久しくなかったので対処に少々困っていた。



 恐らく何かを勘違いした彼女から同情を向けられていて、その屈辱に対する憤りがある。


 誰もが使っているようなカメラアプリの使い方など、その気になれば自力で調べて覚えることは出来る。それすら出来ないと思われているのかという反骨心。


 こうして頻繁に面倒をかけてくることに対しての苛立ち。



 他にもいくつかあるような気がしたが、それらは言語化出来るまでには至らないので除外する。



 これらの感情のうちのどれから返事をしようかと逡巡していると、無意識のうちなのか、手が勝手に動いていた。



『かってにしろ』


「…………」



 自分が送信したその文字列をどこか他人事のように視る。


 これは一体どの感情が発した言葉なのだろうか。



(俺はそんなことを望んでいない)



 心中で呟くその言葉はどこか言い訳くさいなと自分でも感じた。



 その答えを出す前に彼女からの返事が届く。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うん』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:する』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ちゃんとおしえたげるから』



 その文字列も他人事のように視て、溜息を吐く。


 これ以上考えたくないと方向を逸らすことにした。



『用件はそれだけか。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うん』


『そうか。じゃあな。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うん』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:おやすみ』



 珍しくすぐに終われるかとスマホを手離そうとすると、『ぺぽぺぽ』と連続で通知が鳴る。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あ』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:まって』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ごめん』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:おやすみじゃなかった』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:まだある!』



 すでに見慣れ始めた怒涛の連続メッセージに眉間が緩む。



『なんだ。』



 いつもなら、昨日までなら、彼女との話はいつまで経っても終わらないと苛立っていたところだが、今日は何故かこのままで終わるのは気分が悪いと感じたので素直に応じる。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あのね』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:愛苗はどうだった?』


『よく食ってたぞ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:は?』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そうじゃなくって!』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:クラスでの様子とか 雰囲気とか!』

『@_nanamin_o^._.^o_773nn:いみわかんないことゆわないで!』



 フッと肩の力が抜ける。



『かわらねえよ。まだ初日だぞ。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そうだけど!』


『たった一日だ。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:土日もあったから一日じゃないもん!』


『かほごだ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:だって心配なんだもん!』



 相変わらずの彼女の調子に呆れる。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ねぇ 周りは?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なにか変わったことはなかった?』



 さて、どうするかと考える。


 ないと言えば何もなかったが、あると言えばあった。


 それを伝えるか少し考えて文字を打つ。



『ゆいねとねむろがなにか企んでいる』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あー。。。あの子たちかー』


『心当たりがあるようだな』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:まーね なにかしてきたの?』


『まだなにも。だがD組の三下どもを使って水無瀬にちょっかいをかけようとしている。今のところは4人くらいだ。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:あいつらー!』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:つか、もう大体つかんでんのね あんたホントにこういうのだけはトクイなのね』


『事を起こす前に抑えても惚けられたら終わりだから、まだ何もしていないが。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そーね あたしでもそうする』


『実際に現場を抑えるつもりだが、それでいいか。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:んーーーー でも愛苗にコワイ思いさせたくないしなー』


『脅迫するか。全員の住所は掴んでいる。とりあえず豚の生首でも送り付けるか。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:やめなさい! なんですぐそういうグロいこと考えるの⁉ ブタがカワイソーでしょ!』


『どうせ毎日のように屠殺されて肉と足が売られているんだ。頭は余ってるだろ。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:やめろばか』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なまなましーのきんし!』


『じゃあ、どうする』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:理想は事を起こす寸前に現行犯よね 出来れば愛苗に気付かせずに』


『無茶をいうな』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なによ 大きいこと言わないのね』


『身の程を知ってるだけだ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:んー あんたはどう思う?』


『二つに一つだろ。お前の言ったとおり現行犯でおさえるか、事前に潰すか』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:んーー』


『前者は理想だが手遅れになるリスクもないわけじゃない』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そーね 後者はリスクは減らせるけど根本的な解決にするのがムズくなる?』


『そうだ。脅迫が駄目ならお前が帰るまで全員病院送りにしておくことも出来るがどうする。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:それはやりすぎかなぁ』


『やりすぎろと言ってなかったか。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そーだけど それだと余計に恨まれちゃうから後々タイヘンになりそうね』


『そうだな』


(だから、一番確実なのは殺してしまうことだ)



 それは文字にはしなかった。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:おし』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:事件発生寸前の現場確保を目指しつつ、危なそうなら事前処理』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:できる?』


『おそらく可能だ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:最優先は愛苗の安全ね!』


『わかった』


(早速アレが役に立つか)



 話は纏まり、次に自分がすべきことも明確になる。


 いちいち言い争いになってしまって、この女とはまともに会話も出来ないほど相性が悪いと考えていたが、こういった話題ならそうとも限らないようだ。


 なんて物騒な女なんだと蔑みつつも、今のテンポで着いてこられるのならやはり使える女だとも思う。



 とはいえ。



 それにしても――



(――こいつ、思ったよりも気安く連絡してくるな……)



 色々と安請け合いしてしまったと失敗を認めながら、今しがたのやり取りを見返す。



 自分は元々、渋々彼女の要求に応えていたはずだ。



 しかし、こうして文字でのやりとりを他人事のように客観視すると、まるで乗り気なようにも見えなくはない。



 弥堂はそれを不愉快に感じ、また先程と似た種類の苛々を募らせる。



 もしも希咲にも、まるで弥堂が積極的に協力をしていると勘違いさせてしまっていたら、この件が終わっても気軽に連絡をしてきて次から次へと要求をしてくるようになるかもしれない。


 弥堂の偏見に塗れた経験則では、この手の女はそうなる可能性が高いと、そう判断をした。



 なので、釘を刺しておく必要がある。



『おい。調子にのるなよ。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:は?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なに いきなり』


『いつでもお前のいいように俺を使えるなどとかんちがいをするなよ。』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なんなの』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:せっかくフツーにお話できてたのに』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なんですぐそーゆーことゆーの?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:脈絡ないし』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:いみわかんない』


『気安く連絡するなといっただろ。お前がかんちがいしないよう教えてやっただけだ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:は?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:なにそれ?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:カンチガイなんかしてないけど?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:きしょ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:カンチガイしてんのあんたでしょ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ベツになかよくなってないし』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:必要だから連絡しただけってゆったじゃん』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:そーゆーのマジむり』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:女子とメッセとかしたことないからテンパっちゃったの?』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ださ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:うざ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:きも』




 釘を一本トンカチで打っただけのつもりが、あっという間に高性能なネイルガンで蜂の巣にされる。弥堂は瞬く間に劣勢に追いやられた。



『@_nanamin_o^._.^o_773nn:おい』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:またぶすって打とうとしてるだろ』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ぶすじゃないから』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:それ送ったらころす』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:しね』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:へんたい』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:ちかん』


『@_nanamin_o^._.^o_773nn:とーさつま』



 さらに、ここ数日でこちらの手の内を見透かされたのか先回りされ手札を潰される。


 いよいよ弥堂に残された手段は一つだけとなった。



「――っ」



 追い詰められた弥堂は切り札を切る。



――虎の子の『他人を激怒させるスタンプ』だ。



 またぶちギレて狂ったようにスタンプやメッセージを連打してくる様を見て嘲笑ってやろうとしていた弥堂だったが、希咲からの返信はピタっと止まる。



「…………?」



 それを訝しむが、よく考えたら自分への悪口雑言をわざわざ待っている意味などないと気付きスマホをテーブルに置く。



 すると、その手の近くに置かれていた空き缶に気が付く。



 安いヘアゴムが巻き付いた、安いボールペンが挿さった、安いコーヒーの空き缶。


 すべて、先日に希咲 七海に押し付けられた物だ。



 コメカミがピクっと動く。



 それを見ていると胸がムカムカとしてきて、弥堂はペンごと缶を手に持った。



 腹いせに、彼女とのやりとりで蓄積された色々をこの缶にぶつけてやろうと、手に力をこめて握り潰そうとする。



 安価で量産されたスチール缶など大した抵抗力もなく、指に力を入れるとすぐにベコっと音が鳴り、そのまま一気にペシャンコにしてやろうと決めると――




――ぺぽーんっと音が鳴る。




 まるで彼女に見咎められたような錯覚をし、思わずそちらに視線を遣ると、スマホの画面に浮かんだ新着メッセージのポップアップの、そこに記された文面が視えてしまう。




――4/20 23:59


@_nanamin_o^._.^o_773nn:おめでと



 たった4文字の平仮名と、その後に押された『HAPPY BIRTHDAY』と書かれたスタンプ。



 ポップアップ表示が消えて、ホーム画面に戻り大きく表示されていた時計が0時になって日付が進む。



 一日遅れのその祝いの言葉は弥堂の眼に写って数秒して二日遅れとなった。



 手の中の缶に挿さったボールペンを視る。




――はいっ。これあげる



――んとね、報酬とかお礼とかじゃなくって。全然別の意味で、それ、あげる



――ふふーん。意味わかんない?



――それも教えたげなーいよー、だ



――それに、多分数日もすれば理由みたいなのはわかるかもしんないわよ?



――そ。宿題。あんたがちゃんとわかったか、答え合わせしたげる




 紐づいていた記録が流れていく。



(そういうことだったのか……)



 4月17日の放課後の正門前での彼女とのやりとりだったが、この時点から既に何から何まで彼女の思い通りだったようだ。



 手に持ったスチール缶の、先程とは違う場所を押し込んでベコっと無理矢理形を戻す。


 ヘコミは多少マシにはなったが、丸かったジュース缶は僅かに角ばり完全に元には戻らない。


 戻せない。



(なにが喜ばしいものかよ)



 弥堂は缶をテーブルに戻し、スマホには触れずに席を立つ。


 既読は付けないようにして寝室へ向かった。



 解答も回答も出さなければ――



――答えを出さなければ、答え合わせはしないで済む。




 床に腰を下ろし、壁に背を預ける。



 ベッドの下に手を突っこんで、床板を外して収納からアルミ缶を取り出す。


 蓋を開けて中に仕舞われていた鎖を2本手に掴む。




(もしも――)



 4月19日という日がこの世に存在しなければ――



――生まれずに済んだのに。




(そうしたら――)



――今、こうして生きていなくてもよかったのに。



(そうしたら――)



――こんな仕方のない生命を守ろうなどと考える他人など、きっと一人たりとも存在しなかったのに。



(そうしたら――)



 チャリっと手の中の鎖が鳴る。



(4月19日さえ存在しなければ……)



『もしも――』『――なら』と、意味のないことを考える。




 空いている方の手を胸元に伸ばし、首から提げた逆さ十字を毟り取り手を離す。


 背信の逆さ十字に吊るされた血の涙が落ちた。



 手に残る、血に錆びた十字架ロザリオと焼け焦げた十字架ロザリオに縋りながら過ぎ去り日を想う。



 4月19日はもう2日も前に過ぎ去った。



 過ぎ去った時も、その中で壊れたものも、壊したものも、なにもかも、一つたりとも元には戻らない。



 記憶の中には記録され残り続ける。



 この生命ある限り。



 魂の設計図には。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る