1章34 『Sprout!』


「一匹逃げてしまいましたね。わざわざ見に来たというのに」



 言葉ほどには執着がなさそうに、弥堂の残虐ファイトによってズタボロにされ這う這うの体で逃げていくネコのゴミクズーをアスは見送る。




 そして――




「何故アナタがここにいるんです?」



――切れ長の目を不快げに歪め怜悧な瞳を弥堂へと向けた。



 それに対して弥堂 優輝びとう ゆうきは適当に肩を竦めてみせる。



「取引だとか言って、昨日あれだけ大暴れして、あれだけゴネ倒しておいて、翌日にあっさりと自分からそれを破るんですか? 理解に苦しみますね……」


「不可抗力だ」



 眉間を抑えて頭痛を堪えて呻くように言うアスに端的にだけ答える。すると当然怪訝そうな目が返ってくる。



「私はアナタに興味がありませんし、正直会話自体したくないので別に咎めるつもりもないのですが、一応聞いておきます。不可抗力とは?」


「俺の方も特に関わるつもりはなかったんだが、普通に下校をしていたらその道のりでこいつらが暴れていて、通りすがりに拉致されたんだ。用事があったというのに、誠に遺憾である」


「それじゃジブンらが通り魔みたいじゃないッスか! 誤解のある言い方するなッス!」



 すかさず抗議の声をあげたネコ妖精のメロだったが、弥堂とアスの両方に冷たい目をジロリと向けられるとすぐに身を伏せた。


 身を縮こまらせつつも体毛はブワっと広げ、お尻を捩りながら数歩後退し、プシッと粗相をする。



 そんなか弱きネコさんへ向ける視線に一度侮蔑の意をこめると、二人は再び顔を向き合わせた。



「……普通は通りがかっただけで結界の中には這入れないものなんですがね」


「そう言われてもな。侵入するもなにも、外を歩いていてどこに結界があるかも俺には感知できないんだが」


「ふむ……、そういう体質か生まれつきの特性なんですかね……。いえ、別にそこまで珍しいものではないんですよ。例えば神隠しとか、話では聞いたことありますよね? あの手のものに巻き込まれるニンゲンはそういう特徴を持っていたりすることがありますので」


「……なるほど。それなら仕方がないな」


「おや? これで納得するんですか? なにか思い当たることでも?」


「……別に」



 昨日は激しく敵対した二人だが意外と穏やかな雰囲気で会話が進む。


 弥堂の方にも敵対するつもりがなく、アスの方も面倒は御免だと挑発しないように注意しているからだ。



「では、私の方もそれで納得することにしますか。これからも同様の事が起こりそうな気もしますし、迷い込んでも戦い自体に介入しなければ私としましては特に煩いことを言うつもりもありません」


「俺としては巻き込まないで欲しいんだが」


「そこまでは知りませんよ。そうなったらもう諦めて傍観してなさい。終わったら帰してあげますから」


「…………」


「さて、せっかく来たことですし魔法少女を見ていきましょうか」



 弥堂の眉間に不満げに皺が寄ったので、彼が口を開く前にアスは打ち切った。


 またわけのわからないゴネられ方をされたくなかったからだ。



 水無瀬の方へ顔を向ける。



 弥堂とアスが会話をしだしたあたりから水無瀬さんは何やらそわそわしていた。



「おや? 今日は起きてるのですね」


「こんにちはっ。はじめまして、水無瀬 愛苗みなせ まなです!」


「……? えぇ、初めまして……」



 ペコリと頭を下げる水無瀬の頭頂部へ一瞬怪訝な目を向け、チラリと弥堂の方へ向けると彼は適当に肩を竦めた。そのやり取りでアスは察する。



「どうもご丁寧にありがとうございます。私のことはアスとお呼び下さい」


「は、はいっ! ごていねいにありがとうございます!」



 ペコペコと恐縮して頭を何度も下げる。


 普段スーツを着た大人の男の人と接する機会など学校の先生以外にはないので、愛苗ちゃんは若干緊張気味だ。



 ひとしきり頭を下げると水無瀬は弥堂の近くへスススと寄ってコショコショと内緒話をする。



「弥堂くん弥堂くん。あのひと弥堂くんのお友達?」


「あいつは敵だぞ」


「えっ⁉」


「ヤツはボラフの上司でゴミクズーを使ってなんかこう悪い感じのことをしている闇の秘密結社の中途半端に上の方の幹部だ」


「えぇっ⁉ そ、そうだったんだ……」



 魔法少女である自身の与り知らぬところで、いつの間にか敵の新キャラが登場していた事実を知り愛苗ちゃんはびっくり仰天した。



「間違ってはないですけど、そう紹介されると自分のキャリアを見つめなおしたくなりますね……」


「あ、あの……っ。いつもボラフさんにはお世話になってます……っ。水無瀬 愛苗ですっ!」


「……こちらこそ。いつも部下がお世話になっています。彼はちゃんと働いていますか?」


「はいっ。いつも仲良くしてもらってます!」


「……仲良く?」


「はいっ! いつも挨拶できてエライねってアメをくれます!」


「あの……、アナタたち戦ってるんですよね……?」



 努力して水無瀬の発言を流しながら当たり障りなく会話を終えようとしていたアスだったが、他人から聞かされる部下の素行をついには聞き咎める。



「アナタは魔法少女ですよね? どう考えているんですか?」


「はいっ。いっしょうけんめい頑張ってます!」


「……だったら敵と仲良くしていてはダメでしょう。そんなことでこの先どうするんです」


「えと……、いっぱいがんばろうと思ってます!」


「…………あと、アナタ二回も名乗ってましたが、それ本名ですよね? 最近は個人情報の管理は厳しいんじゃないんですか? ネットリテラシーとか教わった時にそういうことを言われてないんですか?」


「はいっ。今は変身中なのでステラ・フィオーレです!」


「姿を変え、名前を変えているのに、どうして先に本名を名乗るんです。我々は今のところアナタのプライベートに攻撃をしかける予定はありませんが、そういう危険性があるとは考えなかったのですか?」


「えっ? でも……、嘘はよくないかなって……」


「…………」



 アスはチラリと弥堂へ視線を遣る。


 彼はまた適当に肩を竦めた。



「……なるほど。催眠か。案外合理的だったんですね」



 呟くように弥堂への納得と共感の意を漏らし、今度は水無瀬へジロリと目線を戻す。



「アナタ、意識低くないですか?」


「え? あの……、ごめんなさい……」



 頼んでもないのに勝手に現場を見に来て、バイトの勤務態度とスキルの低さにピキったスーパーバイザーのようなことを突然言われるが、よいこの愛苗ちゃんはまずゴメンなさいをした。



「で、でもっ、私いっしょうけんめいがんばりますっ!」


「……一生懸命とは、具体的にどのような取り組みのことを差しているんですか?」


「えっ? あの、いっぱいがんばることです!」


「……どうやら研修が必要なようですね」



 アスの瞳孔に赤い光が灯る。



「いるんですよ。我々の組織にも。とりあえず気持ちだけ盛り上げて我武者羅に体力だけ消費していればいいと。それが努力をしていることだと勘違いをしている馬鹿が」


「あの、でも……、いっしょうけんめいやらないと……」


「一生懸命になるのはいいんですよ。真面目な馬鹿と不真面目な馬鹿では前者の方がいくらかマシですからね」


「おい」



 弥堂が口を挟むとアスは嫌そうな顔をした。



「……なんですか?」


「お前らの組織はなんなんだ? 『闇の組織』と言ったり、『闇の秘密結社』と呼称したり。どちらかはっきりしろ」


「あぁ……。別にどちらでもいいですよ。登記しているわけでもないんです。お好きに呼んでください」


「駄目だ。設定に一貫性と統一感がないと、俺の上司はお前らに遺憾の意を表明した。彼が気に食わないと感じるということは、お前らは俺らをナメてるってことだ。お前らに改める気がないのならば、戦争に発展する可能性があるぞ」


「攻撃的すぎませんか⁉ アナタもアナタの上司も! ……水無瀬さん、すみません。ひとつ訂正します」


「えっ?」


「真面目な馬鹿は最悪です。馬鹿なことを考え、それを馬鹿みたいにやりきろうとする。こんなニンゲンにならないように、しっかり勉強をするんですよ」


「あ、あの、ごめんなさいっ! 弥堂くんは真面目なんです!」



 擁護にならない擁護をしながらペコリと頭を下げる彼女から若干の疲労感を齎され、アスは逃れるように弥堂へ顔を向ける。



「というか、何故急に余計な話を? 今そんな話してませんでしたよね?」


「あぁ。なんか戦いになりそうだったからな。先に言いたいことを言っておこうと思っただけだ。そして言うべきことはもう言った。後はどうでもいい。勝手にやれ」


「なんて身勝手な……。水無瀬さん、すみません。再度訂正と補足を。真面目な馬鹿とやる気のある無能も最悪ですが、それよりも意識の高い狂人はもっと最悪です。こんなニンゲンとは関わってはいけませんよ? 社会に出てから必ず足を引っ張られます」


「あのっ、ごめんなさいごめんなさいっ! 弥堂くんはいっしょうけんめいなんです!」


「だから、真面目で一生懸命ならいいという問題じゃないという話を今……、いえ、もういいです……」



 アスはニンゲンと分かり合うことを諦めた。



「もう帰りたくなりましたが、一応やりかけたことはやっておきましょうかね。アナタをテストして差し上げます」


「え?」



 戸惑う水無瀬を尻目にアスは鳥型のゴミクズーへ近寄る。



 片翼を損傷し地に蹲る黒い影の上で、懐から取り出した試験管のコルクを抜き傾ける。



「ピィィィィーーーーっ⁉」



 一滴の液体がその身に溶け込むとゴミクズーは叫びをあげる。



 すると、損傷した部分から肉が膨らんでいき翼が再構成される。


 傷の再生箇所から全身に肉が膨らんでいき、黒いシルエットにしか見えなかった身体がはっきりと実在味を帯びる。



 元よりもサイズが肥大化し、大きなカラスへと変貌を遂げた。



 その工程を弥堂は視ていた。



 完全にパワーアップして回復もしたカラスは飛び立ち、脇に控えるようにアスの近くで滞空する。



「ふむ。まぁ、こんな程度ですか」



 その配下の姿をアスはつまらなそうに評価した。


 そして魔法少女へと目を向ける。



「さて、アナタは魔法少女としてどの程度なのか。私が評価してあげましょう」



 雰囲気は一気に緊迫したものに変わる。



「クゥッ! どうやら戦うしかないみたいッスね!」


「メロちゃん!」



 丸まってプルプルしていたメロも水無瀬の横に立ち、お助けマスコットとしての本分を果たそうとする。



「こうなったら変身っス!」


「うん! わかったよ! お願いっBlue Wishっ!」



 胸の前で両手を開いて変身アイテムに呼びかける。



 しかし、何事も起きない。



 コテンと首を傾げた水無瀬さんは不思議そうに自身の胸元に付いているはずのペンダントを見下ろす。


 そうすると自分の服装がよく見えて、ハッとなった彼女はバッとネコさん妖精の方を向いた。



「もうしてた!」


「へへっ、そういえばそうだったッスね。ジブン、ネコさんっスから大目に見て欲しいッス。下手したら昨日の晩ごはんも忘れちまったッス」


「メロちゃんうっかりさんだぁ。あ、そういえば今日はね、トリ肉のシチューだってお母さんが言ってたよ」


「マジッスか⁉ へへ、悪いッスけどジブン、今夜はガチらせてもらうッスね」


「ふーふーしてあげるね」


「ギュイィィィィッ!」



 ほのぼのとお話をしていたら突如ゴミクズーの雄叫びがあがり二人はハッとする。



「く、アイツなんか知んないけどめっちゃキレてるッスよ。気を付けるッス、マナ……っ!」


「うんっ。浄化して怒りを鎮めてあげなきゃ……っ!」



 真剣な顔つきでゴミクズーへの警戒を強める二人にアスと弥堂は胡乱な瞳を向けていた。



「……アナタたちが鳥を食べる話をしてたから怒ってるんですよ。というか、なんて緊迫感のない……。まぁいいです――」



 疲労感を振り払うようにアスはバッと魔法少女へ向けて手を翳す。



「いきなさい、ゴミクズーッ!」


「ピィィィーーーっ!」



 アスの命を受けてパワーアップしたカラスが突っこんでくる。



 魔法少女と闇の秘密結社は必ず敵対する。


 そんな運命に導かれるように、再び戦いの火蓋が切って落とされた。






「【飛翔リアリー】ッ!」



 飛行魔法を使い地面より僅かに上を水平に奔る。


 その後をカラスのゴミクズーが追う。



 先程アスが何かの液体を振りかけたら、ゴミクズーの損傷が回復し、加えて元よりも大きく変化した。


 さらに、受肉したかのように、元は黒いシルエットだけの影のような見た目だったのが、はっきりとした実体を持って普通のカラスのように肉や毛、目玉に嘴といったパーツが形成されている。



 体躯が増したせいか、先程よりも速度と迫力も増したように感じられ、それらは水無瀬にプレッシャーとなって襲いかかる。



「【光の種セミナーレ】ッ!」



 その為、撃ち落とすのではなく、近づかれたくない一心で狙いも曖昧に数発の弾をバラまく。


 カラスは苦もなく回避をしながらさらに水無瀬へ迫る。



「マナッ! 広場をグルっと回るように奔るッス! そうすれば少なくとも壁とか木に当たる心配はなくなるッス!」


「うん!」



 広場内を奔る水無瀬のスピードが上がる。



「よけいな思考を除いて……、こうりつ……、しゅうちゅう……っ!」


「ギュイィィィッ!」



 水無瀬がスピードを上げたことで縮まらなくなった距離に焦れて、負けじとゴミクズーも雄たけびをあげて速度を上げる。



「ふむ。高度の操作を放棄することで制御に余裕を持たせている、ですか。いかにもニンゲンらしい効率化と最適化ですね。涙ぐましいことですが、それではダメです」


「…………」



 水無瀬の様子を見て評価を口遊くちずさむアスの顔を弥堂は横目で見遣る。



 戦場に臨む姿勢はボラフとは違うが、しかし戦いの結果に対するスタンスは同じのようだ。


 真面目に――というか、そもそも勝とうとしていない。


 弥堂の眼にはそのように見える。



 勝とうが負けようがどうでもいい。


 勝敗そのものよりも、魔法少女とゴミクズーを戦わせること自体が目的のように見える。



 もしも勝とうとするなら、わざわざ大して強くもないゴミクズーをけしかけるよりも、既に戦場に来ているのならこのアス自身が戦った方が遥かに効率よく勝利を得られる。



 昨日、弥堂を殺害する為にアスが使おうとした光の刃を思い出す。



 あれなら水無瀬の謎の防御力を抜けるのではないかと、考える。



 実際にどうなるか多少興味があるが、本人にそのつもりがないのなら仕方がないと思考を切り捨て、戦況に目を戻す。



「マナ! 次の角を回ったら距離が長い! チャンスッス!」


「直線上に……、並んだっ――いって! 【光の種セミナーレ】ッ!」



 直線的に追ってくるだけの的は狙いやすい。


 一発の光弾が真っ直ぐカラスへ撃ち出される。



 しかし、真っ直ぐ向かってくるだけの攻撃は相手にとっても避けやすい。


 カラスは横に逸れて躱しながら追ってくる。



 攻撃魔法に集中を割いたために飛行魔法の速度が落ちていたため、その距離は縮まっていた。



「……一個じゃダメ……、同時に……、じゃない、時間差……、1秒後の場所……、絶対に避けられるなら……っ!」



 集中して4発の光弾を創り出す。



 再び狙いを付けて射出する。



 先ほどと同じく、一発の光弾がカラスへ狙いを付けて真っ直ぐ飛ぶ。


 そしてこれも先ほど同様にカラスはそれをあっさりと躱す。



 しかし――



「ギュイィッ⁉」



 僅かに高度を上げて水無瀬の魔法を逃れたカラスへ吸い込まれるように次弾が迫る。


 約1秒の時間差で、左右と上に3発の光弾が撃ち出されていた。



 ゴミクズーは寸でのところで無理矢理身を捩ってそれを回避しようとするが、僅かに身を掠めた。


 大きくバランスを崩し空中で立て直そうとするその間にまた距離が開く。



「あぁっ……⁉ 惜しいッス!」


「うんっ! もう一回……っ!」



 飛行魔法の軌道でカーブを描き水無瀬とその肩にへばりつくネコ妖精のコンビは広場をまた大きく周る。



「チッ」



 何故第三波を用意していないと弥堂は舌を打った。



(殺せただろ、今)



 心中で不満を吐露するが、戦っているのは弥堂ではないし、そもそも弥堂には魔法は使えないため仕方がない。



「へぇ、お馬鹿さんかと思ってましたが意外と考えて戦ってるんですね」



 横からアスの感心したような声がするが、内容としては褒めているのか貶しているのかは微妙なところだ。



「ですが、それはニンゲンの魔術の使い方。魔法の使い方としては落第ですね」


「…………」


「ニンゲンの魔術は己の中で高め、そこから生じ創り出したもので現象を起こし、『世界』に影響を与える……」


(こいつ……、なにを……)


「……一方で、魔法は『世界』との親和。己を拡げ影響し支配権を奪い、直接現象そのものを起こす。もちろん『世界』が許す範囲で、ですが。それが魔法です」



 近くにいる弥堂にしか聴こえないような声量で、距離の離れた場所で戦う水無瀬に語り掛けるように喋る。



「影響を高め支配するとは、魔素を支配すること。魔素は有機生命体の体内で生成されるもの、『世界』に満ちているもの――これは簡単に言えば大気中にあるものと考えて下さい。ニンゲンは体外の魔素を取り込み体内で己のものと混ぜ合わせ、己が運用出来る――つまり支配できるものに作り変えます。これが魔力ですね」


「…………」


「これをエネルギーとして運用して行使するものが魔術です。昔はそれが出来るニンゲンが大勢いましたね。さて、では魔法は? まるで同じことを説明しているように聞こえるかもしれませんが明確に違います」


(昔は……?)


「魔法の場合は自分を外に拡げる。つまり自分の魔素で周囲の魔素に影響を与え、自分が運用可能なものにする。それが支配するということ。例えば、今、私の声が聴こえていますよね? これだけ離れて戦闘をしているというのにまるで耳元で喋っているかのように……」



 水無瀬の方を視てみると、彼女は先ほどと同様に逃げながら戦闘を行い、だが時折りこちらを気にするように視線を送ってきている。確かにアスの声が聴こえているようだ。



「直接アナタの精神に私の意思を送るテレパスの魔法も使えますが、今はわかりやすく耳から声が入って聴こえるようにしています。今、この空間で一番影響力を持つのは私です。この空間の魔素を行使するにあたって、私に優先権があります。それは私が支配をしているということになります。本来、アナタの周囲の魔素に一番影響を与えやすいのはアナタです。ですが、私が支配している為にアナタのすぐ傍に声を飛ばすことが出来ています。物理法則を無視してそこで声が出るように魔法を使っています」


「…………」


「逆にアナタがこれを突っぱねることも出来ます。アナタの周囲の魔素への支配を取り戻し、私の声が届かなくすることも出来ます。魔法の戦いとは究極この支配権の奪い合いと言うことも出来ます」


(存在としての格……)


「勘違いをしてはいけないのが、魔術と魔法は別の技術ではありません。今説明した魔法の使い方は理想です。現実問題、相手の支配権を奪えなければ何も出来ないことになってしまいますが、そんな時に使えるのが魔法の劣化版とも謂える魔術です。周囲を支配できずとも己の中で生み出したものを使って現象を起こせます。影響力や支配力で勝てない時はこれで対抗するわけですね」


(多くの場合は覆せないだろうがな)


「ただ、この魔法を使う。影響し支配をするという感覚は絶対に身に着けるべきです。それが理解できてからが魔法のスタートです。それを今日は少しだけ覚えてみせなさい」


「ピュイィィッ!」



 そう言ってアスが指を鳴らすと答えるようにカラスがひと鳴きし、高度を上げる。



「高度の操作を捨てて飛行魔法を一部制御するというのは魔術的な考え方です。急場凌ぎとしてはいいかもしれませんが、それではいつまで経っても上達しませんよ。例えば、こうきたらどうします……?」



 水無瀬の上をとったゴミクズーが翼を広げる。


 そして羽を弾丸のようにして射出した。



「わっ⁉ わわっ……⁉」



 水無瀬は魔法で自分を横に動かしてそれを何とか回避するが、その動作はひどく不安定だ。



「水平方向の移動に限定して追いかけっこをしているだけなら、その運用方法でも問題は少ないですが。しかし、相手に上をとられ、おまけに飛び道具まで使われたらそうもいかないですよね? さぁ、どうします?」



 さらに羽の弾丸が撃たれる。


 水無瀬はフラつきながらも回避をしようとする。



「さらに、広場の外周を周るようにすることで軌道の操作を簡略化してますよね? 付け加えて、障害物を避けるなどのアドリブが強いられるような回数も極力減らしている。ですが今はそうもいかなくなりましたね。挙動が不安定。そして、その状態で攻撃が出来ますか?」



 アスの指摘通り、段々と魔法の制御が覚束なくなっていく。


 そしてついには黒い弾丸に被弾をした。



「きゃあぁぁっ⁉」


「マナァッ!」



 傷を負うようなことはやはりなかったが、しかし撃たれたショックで飛行魔法の操作は完全に誤り転倒する。



「と、まぁ、このようになりますね。ではどうす――」


「――ギュイィィィッ!」



 アスの説明の途中でゴミクズーが奇声をあげ、倒れる水無瀬へ追撃をしかけた。



「マナッ! にげ――」

「だめっ! まにあわ――」



 迫りくる羽の弾丸に何の対処も追いつかずに二人は被弾を覚悟しギュッと目を瞑る。



 しかし――



 水無瀬の前に出現した透明な壁が羽の弾丸を防いだ。



「えっ……?」


「まったく……、まだ説明の途中だというのに何を勝手なことを」



 戸惑う水無瀬を他所に、アスはジロリとゴミクズーを見遣る。


 その視線を受けてカラスは萎縮したように身を震わせた。



「無能は本当に余計なことをする。私が説明をしているんです。誰がそんなことをしろと言いましたか?」



 言いながらゴミクズーの方へ手を翳し、アスの目の奥が赤く光ると、その手から銀色の光弾が数発放たれた。



「ピィィッ⁉」



 慌ててそれを回避するが、初弾を避けたところへ二発目が弧を描き吸い込まれるように飛んできて着弾する。そして追撃するように大きく回り込んで飛んできた三発目と四発目が着弾し、吹き飛ばされたカラスはアスの足元へと墜落してきた。


 地に堕ちたゴミクズーをアスは踏みつけにする。



「こんなつまらないことでいちいち躾をさせないで下さい。時間の無駄です」



 怯えたように細く鳴くゴミクズーの声を水無瀬は呆然と聞いた。



「ちなみに、さっきの攻撃魔法はこうやって撃つといいですよ」


「あ、あの……っ!」


「ん?」


「な、なんで……っ⁉」



 何かを問いかけてくる水無瀬にアスが怪訝そうな顔を向ける。



「仲間じゃ、ないんですか……っ⁉」


「仲間……? もしかしてコレのことですか?」



 指で指し示す代わりに足で踏みにじる。



「は、放してあげてくださいっ! 仲間なのになんでヒドイことを……っ!」


「仲間なんかではないですよ?」


「えっ……?」



 目を見開く水無瀬へ、当たり前のことを説明するように話す。



「コレはただの消耗品です。存在の格が違い過ぎてとても仲間になどなりえません」


「そ、そんな……」


「それに、治せますしね」



 足をどかして、先ほどのようにまた試験管の中の液体をかけるとゴミクズーは回復をし再び空へ飛ぶ。



「次はしっかりお願いしますよ」


「ピィィっ」


「……ね? 問題ないでしょう?」


「…………」



 僅かに首を傾げてみせて同意を求められるが、水無瀬はショックを受けたように立ち尽くし何も答えられなかった。


 弥堂はその姿を無感情に視ていた。




「さて、では続きを再開しましょうか。やりなさい」


「ギュイィィッ!」


「え……っ? あっ――⁉」



 再びゴミクズーが羽を撃ち出してくると水無瀬は慌ててメロを抱き上げ、飛行魔法を発動させる。



「【飛翔リアリー】ッ!」



 その使い方は先ほどまでと同じで、またも地面と平行にホバーリングをしながら奔る。



 そしてその結果も同じ、段々と追い詰められていく。



「マナッ! どうするッスか⁉」


「……あの人の言うとおり、上に……、せめてゴミクズーさんと同じ高さまで飛んだ方がいいのかな……⁉」


「で、でもそれじゃあ……、魔法の制御が……っ」


「ど、どうしよう……っ」



 焦りつつもどうにか逃げ続け、答えを求めてか無意識に弥堂の方へ視線を向ける。


 いつも通りの無表情で、乾いた瞳がつまらなさそうに自分たちを見ていた。



 そして自然に、彼の隣にいるアスの姿も視界に映る。



「……あの人の言うとおり……? ――そうだっ!」


「ギィィィィッ!」


「マ、マナっ! 次がくるッス!」


「う、うん……! って、ひぁぁぁっ⁉」



 慌てて制御をミスり大きくバランスを崩す。



 またも転倒をしてしまうと、メロは投げ出され水無瀬から離れてしまう。




 倒れる水無瀬に数発の羽の弾丸が狙いを定めた。



「――だめっ!」



 反射的にギュッと強く目を瞑り――



『――目を瞑るのは癖か? 戦いの中でそれは最悪だ。目を瞑ることを許されるのは殺されてからだ』



――瞑りそうになって、今日聞いたばかりのそんな言葉がリフレインされる。



 水無瀬はせいいっぱいの勇気を振り絞って迫りくる弾丸をしっかりとその瞳に映した。



「マ、マナぁぁっ!」



 メロの叫びも虚しく、全ての弾丸が水無瀬に着弾した。





 しかし――




 想像をしたような光景は見たくないと反射的に閉じてしまった目をメロが開けると、そこには無事な水無瀬の姿が。



「マナ……っ、それは――っ⁉」



 水無瀬の前には薄くピンク色に光る透明な壁が出現していた。先ほど同様にこれがゴミクズーの攻撃を防いだのだろう。



 思わずメロはアスの方へ視線を向けるが――



「私じゃないですよ」



 彼は無関係だと肩を竦めた。



「じゃ、じゃあ……?」


「ギュイィィィッ!」



 メロが水無瀬へ視線を戻すと同時、再びゴミクズーが雄たけびとともに黒い弾丸を先ほどよりも多く発射した。



 水無瀬も先ほど同様に、強い光を込めた瞳で自分へ向かってくる弾丸を見ながら、魔法のステッキを突き出す。



「光の……盾…………、おねがい、守って……っ! ――【scudoスクード】ッ!」



 言葉と同時に、先ほどよりも強く発光するピンク色の光の盾が現れ、ゴミクズーの放った弾丸をすべて受け止めた。



「へぇ……」



 盾に弾丸が撃ち込まれる音に隠れ、アスの興味深げな声が弥堂にだけ聴こえた。






 水無瀬の展開する光の盾に次々と羽の弾丸が撃ち込まれる。



 派手な着弾音が響くが、しかし、それは全く揺らがない。



「――これなら……、いける……っ!」



 盾を展開したまま、攻撃魔法を同時に発動させる。



「【光の種セミナーレ】ッ!」



 先程までとは真逆に、完全に足を止めて固定砲台のように撃ち合いをしかける。


 拮抗出来たのはほんの数秒ほど。



 防御手段を持たないカラスは回避を強いられ、目に見えて手数に差が出て後退を余儀なくされる。



「うおぉぉぉっ! カッケェー! マナカッケェーッス!」


「えへへー。アスさんが教えてくれたの」



 ゴミクズーからの攻撃が緩んだ隙に体勢を立て直し笑い合う。



「別にこれを教えたつもりじゃないんですけどね。本来の意図としては飛行魔法を覚えさせたかったんですが……、しかし、これはこれで……」



 懐から単眼鏡を取り出して、それを嵌め込んだ目で水無瀬が展開する防御魔法を見る。



「……ふむ……、私のものとは少し違いますが遜色はない。思ったよりもセンスがいいですね。悪くない」



 呟きとして漏れ出てくる評価は先程までのようにどこか皮肉めいたものではなく、本心からの賛辞のように変わった。



「そう。そうです。法則や構造などどうでもいい。それらは小さき存在たちへの枷でしかない。想像と意思。何をしたいかをイメージして我を押し付ける。そうして『世界』に実現させるのです」


「…………」



 自分で言葉を口にしながら段々と夢中になっていく様子のアスを弥堂は目を細めて視る。



「いいですね。素晴らしい。芽が出た。これならもっと出来るでしょう。もう少し教えますか」



 その表情には凄絶な笑みが浮かんでいる。



 アスはカラスの方へ手を翳した。



 すると、カラスの目の前に銀色の障壁が出現し、着弾寸前だった水無瀬の光弾を防いだ。



「あぁぁっ⁉ 当たりそうだったのにッス!」


「どうしよう、メロちゃん」


「こうなったら向こうが音を上げるまでガードの上からぶっ叩くんスよ! Power is Powerッス!」


「……? わかった! がんばるねっ!」



「えいっ、えいっ」と魔法を飛ばし、しばしお互いに防御魔法を叩き合う。


 それを見ながらアスはジト目になる。



「……意外と力づくを選ぶんですね……。まぁ、アプローチとしては実は間違ってないんですが、しかしそれはさっき言ったことを出来てからの話です。私の持つ支配権を削らない限り攻撃は徹りませんよ」


「支配……権……」



 アスが話す『影響をして支配をする』という感覚は当然弥堂にはわからないのだが、それは魔法を使える水無瀬も同じのようだ。



「だから、ニンゲンがそれを覚えるのには飛行魔法から入るのが最適だという話なんです。というわけで、飛びなさい」



 アスは水無瀬の方へ指を向け、銀色の光弾を撃ち出す。



「――へっ? わっ、わわ……っ⁉」



 ピンク色の半透明の板のような障壁でカラスから撃ち込まれる弾丸を防いでいる水無瀬の足元にアスの放った魔法が着弾する。



「ほら、そっちにばかり気を取られていると危ないですよ? どうします?」



 言いながら次弾を形成し撃ち出す。



「も、もういっこ……! 【scudoスクード】ッ!」



 水無瀬は盾をもう一つ創り出してそちらにも対応をした。



「その状態で攻撃にもリソースを割けますか?」



 アスは水無瀬を追い詰めるため、あえてその盾に魔法をぶつけて彼女を焦らせる。


 当然カラスの方からの攻撃も止んではいない。



「どどどど、どうしようメロちゃんっ⁉」


「くぅ……っ! どうしても女を飛ばしたいという男の欲望をヒシヒシと感じるッス……! ていうか少年は何やってんスか! あの野郎、すぐ横に立ってんのに興味なさそうにボーっとしてやがるッス……! クラスメイトの女子が襲われてんスよ? 助けろよッス! やっぱり頭おかしいんじゃないッスか」


「だめだよぅ。弥堂くん魔法使えないから、そんなことさせたら危ないし可哀想だよ」


「いや、でも……、確かに魔法は使えねえッスけど、ワンチャンそれでもアイツの方が強ぇんじゃねえかって気がするッス……」


「強いからとか弱いからとかじゃないよ。私は魔法少女だから、私が戦わなきゃ……!」


「マナ……」


「……私の願いはもう魔法で叶えてもらったから……。だから、今度は私の魔法でみんなの願いを叶えるの……。そうじゃなきゃズルいもん……っ!」



 解決策の出ない相談をしている間に、アスが新たな形で魔法を使う。



「――えっ⁉」



 水無瀬の周囲をグルっと囲むように、綺麗な円形を描いて魔法の球を並べた。地面からの高さはちょうど水無瀬の膝くらいだ。



「その盾では正面しか防げませんよね? これが一斉に飛んで来たら?」



 防ぎきれない。



 そのことを想像し理解する。



「こうなったら仕方ねえッス! マナッ、飛ぶッスよ」


「メロちゃん……、でも……っ」


「なぁに、ジブンにいい考えがあるッス! とりあえずアレがきたら飛んで避けるッス――って、きたッス! 飛ぶッス!」


「――リ、【飛翔リアリー】ッ……!」



 円が狭まるように綺麗な曲線を保ったまま一定の速度と感覚でアスの魔法が中心点である水無瀬へと迫る。


 慌てて飛行魔法を発動すると、彼女の魔法少女コスチュームのショートブーツに小さなピンク色の光の翼が顕れ、空へと飛び立つ。



「わわっ……、あわわわ……っ⁉」


「マナッ! 足のすぐ下に地面があると思うッス! 高さをそのままにして横方向にだけ動けばさっきと一緒ッス!」


「足に……、地面……」


「要は敵より高いとこにいればいいだけのことだろってヤツッス!」


「そっか! メロちゃん頭いいねっ!」


「これが女子力ッス! さぁっ、ここからヤツらを滅多撃ちにしてやるッス! 潮を噴くように派手にぶちまけてやるッスよ!」


「おしお……? でもでもっ、あんまりいっぱい出したら弥堂くんにも当たっちゃうよ?」


「構うこたぁねぇッス! 少年にも一緒くたにぶっかけてやるッス!」


「ダメだよぉっ⁉」



 わーきゃーと騒いでるうちにカラスが狙いを付け直した。


 甲高い叫びをあげて羽の弾丸を撃ち出す。


 水無瀬はそれを右方向に大きく移動して避ける。



「マナっ! 来るッスよ!」


「うん! 【光の盾スクード】ッ!」



 進行方向に回り込むように弧を描いて飛んできた銀色の弾丸を魔法の盾で受け止める。



「ナイス女子力ッス! 今度は――」


「――うんっ! こっちの番っ!」



 地上へ魔法のステッキを向けて「むむむっ」と力をこめる。



「いきますっ! 【光の種セミナーレ】ッ!」



 数発の魔法弾が生成されゴミクズーに向けて発射される。



 だが、その生み出された魔法のすぐ1m前に銀色の半透明の壁が顕れる。水無瀬の魔法は発射されるとすぐにその壁に受け止められ消失した。



 水無瀬とメロはぱちぱちとまばたきをして、その壁を真顔でじっと見る。



 すると、その壁は水無瀬の方へ向かってきた。



「ふわわわ……っ⁉」



 粟を食って彼女はそれを横に回避する。しかし、回避した先にも新たな壁が顕れ、それも近づいてきた。



「まったく……、それでは同じことでしょう……」



 慌てふためいて逃げ惑う魔法少女へ呆れた目を向けながらアスは嘆息する。そして彼が指を鳴らすとさらに壁の数が増える。


 前後左右からゆっくりと迫ってくる魔法の壁に彼女達はわーきゃーと大騒ぎだ。



 アスはふと、傍らの弥堂に視線を向ける。



「あの……」


「なにか?」


「……介入するなと言っておいてこんなこと聞くのもなんなんですが、同級生が襲われているのに特に何もしないのですか?」


「ん? あぁ……」



 弥堂は壁にぶつかってふらふらと高度を落とす水無瀬を視る。



「俺には子供が遊んでいるようにしか見えないな。公園で遊んでいる子供が事故にあって死ぬこともあるだろう? だが、かといってそこらで遊んでるだけの子供にいちいち何かをする奴がいるか?」


「言ってることはわからなくもないですが、どうかと思いますよ? アナタ、理屈さえ通っていれば他人の感情をどれだけ無視しても許されると思っていませんか?」


「他人の感情など視えないからな。目に映らないものを見たと言い張って実在した気になっているのは、気狂いと麻薬中毒者だ」


「……どういう過程があってその精神性が出来上がったのか、少し興味がありますね」


「ただ麻薬を射ち過ぎて気が狂っただけだ。お前が興味を持つほどの珍しいものではない」


「……なんていい加減なんですか。ニンゲンめ」



 アスは弥堂から目線を切り、言葉をかける相手を変える。



「さて、そろそろ諦めましたか? ちゃんと飛行魔法が使えないといけないと……」



 その相手は現在も絶賛複数の壁くんにグイグイと迫られ中の水無瀬だ。



 耳元でまた突如声がしたことに驚き魔法の制御を誤る。


 壁を避けるのではなく力づくで破壊しようと準備していた攻撃魔法を暴発させ、それにも驚き姿勢を崩し横合いから迫っていた壁にべちゃっと顔をぶつける。



「……まずは想像です。飛ぶということのイメージ。アナタは飛行魔法を使うと足に翼が出現しますね。それがアナタの飛行に対するイメージ。つまり鳥をイメージしているでしょう?」



 弥堂は水無瀬のショートブーツの小さな翼を視る。その翼は別に本物の鳥が羽ばたくように動いているわけではない。



「その翼は風切羽ではないし、そうだったとしてもそれで飛ぶためには風が必要になる。そんなものは飛行魔法とは呼ばない。飛ぶための翼を創り出すという現象を起こし、その翼に飛ぶための動きをさせるという現象を起こし、必要であれば飛ぶために必要な風を吹かせるという現象を起こし。そして飛ぶという結果に至る。いくつかのプロセスを踏んだ上で飛行をするという結果に辿り着いてはいますが、しかし飛行をするという現象を魔法で起こしているとは言えない……」



 水無瀬がパニックにならない案配で壁を動かしながら、アスというナニモノかは魔法を語る。



「……細かく見れば、『翼を創る現象』『翼を動かす現象』『風を生み出し動かす現象』これら一つ一つは魔法と呼んでもいいですが、『翼を創る現象』を起こすのは『翼を創る魔法』です。目的の手前の必要な条件を段階的に揃えクリアし、最終的に目的を叶える。いかにもニンゲンの学問的な手法ですが、それは魔術であり魔法ではない」


「……まほうじゃ……、ない……っ!」


「アナタが飛びたいと願い、飛ぶと決め、そして『世界』がそれを拒まなければ飛べる。それが魔法。『世界』にアナタの意思を伝えるには魔素を支配する。アナタの魔力で周囲の魔素を自分のものに塗り替えなさい。それが支配。『世界』はより支配権のある者の願いを優先して叶える。極論ですが、世界中の魔素を自分のものと出来れば、アナタの願いは統べて何でも叶う」


「まそ……、魔力……っ、しはい……、なんでも……っ!」



 聞いたことのない情報の処理が追い付かない。耳に残った単語を復唱しながら水無瀬は空中を移動する。



「おそらく、アナタの相棒のネコが背中の翼で飛んでいるように見えてそんなイメージを持ってしまったのでしょうが、それは間違いです。もしもその翼で飛びたいのならアナタは先程説明した魔術プロセスを踏む必要があるし、そうでないのならば飛行魔法のイメージを変える必要がある。今のアナタは飛ぶと決めているのに、全然違うことを願っていることになります」


「……つばさ……、ひこう……、イメージ……、ちがう、ねがい……っ!」


「ふむ……」



 そこで顎に手を遣りアスは黙る。



「……そんなに難しいことを言いましたかね? 素養がなくて出来ないのか、それとも頭が悪くて理解出来ないだけなのか……」



 心底不思議そうに首を傾げるアスへ弥堂は胡乱な瞳を向ける。



 こいつは典型的な『何がわからないのかわからない』という、頭は良くても致命的に他人に教えるのが下手なヤツかと、小さく嘆息する。



「おい」


「……はい?」


「あいつに一言こう伝えろ――」


「え?」



 ほんの短いワンワード。



 それを発音する弥堂の唇の動きがアスの人外めいた銀色の瞳に映った。






「――プリメロっ!」




 耳元で聴こえた知っている言葉を復唱する。



 ぱちぱちっと瞬きをして、大きくまんまるなお目めを見開くと明確に水無瀬の飛行の挙動が変わった。



 右手から迫ってきた壁を高度を上げることで回避し、その先で背後から迫ってきた壁は直角に曲がって回避する。



「ほぉ」



 彼女の中でパチリとパズルがキレイにハマるようにイメージの整合性がとれたようで、一つ一つの動きが確かなものとなった。



 アスも感心の溜息を漏らしつつ指を鳴らす。


 すると水無瀬の進行方向に壁が顕れる。



「わわわっ――ピタっとしてギュゥーン……っ!」



 それに慌てるも一瞬のこと。


 水無瀬が謎の言語である『愛苗ちゃん語』を口にすると、壁の前で急停止してからすぐに進行方向が直角に変わり、彼女の言葉どおりの挙動で前方の壁を回避した。



「まだ固いですね。もっと自由な発想をしなさい。ニンゲンの常識で、そんなことを出来るわけがないと思えるようなことを叶えるのが魔法です」



 レクチャーを続けながらもう一度指を鳴らすと、今度は壁ではなく魔法の球が生成される。



「さぁ、次のステップです。対応してみせなさい」



 魔法で創られた壁と球が同時に襲ってくる。



「ギャーーーッ⁉ いっぱい来たッス!」


「わわわ……っ⁉ 逃げなきゃ……っ、もっとはやく……っ!」



 慌てつつも壁のない方向へ一気に加速して一直線に距離を離して逃げようとする。


 その速度も挙動の安定もさっきまでの彼女にはなかったものだ。



 しかし、その行く手にまた新たに半透明の壁が顕れる。



「ぴ、ピタっとして……、ギュゥーン……っ!」



 どうにか衝突する前に急停止をかけて、そしてすぐに左方向へ急加速する。


 わずかに遅れて飛んできた魔法の球が1秒前まで水無瀬が居た位置を撃ち抜き壁に当たって消失した。



「あ、あぶなかったッス――って、まだきてるッスゥーーっ⁉」


「あわわわわ……っ――ま、また壁ぇーっ⁉」



 追われるままに加速をしようとしたが、またも前方を塞がれて急停止に切り替えを余儀なくされる。



「方向を決める、加速する、停止する、方向転換、加速、停止……。一つ一つを順番に行っているうちはまだ駄目です。何故直線にしか動けないと思うんです? 何故、速度を落とさないと曲がれないと考えるんです? アナタは、魔法は、何でもできますよ」



 アスの言葉を耳の近くで聴きながら、何度めかの急停止をし壁を避けて今度は下方向へと方向転換する。



 だが、加速をする前に足元に新しい壁が顕れた。



「――えっ?」



 足場のように出現したそれに思わずそれに足を乗せて動きを止めてしまう。


 すると、パッパッと左右と上を塞ぐように次々と壁が顕れ、そして今目の前も塞がれた。



「マ、マナ、後ろに――」


「う、うん――」



 急いで背後から抜け出そうと振り向くと、そこには弧を描いて飛んできた魔法の球がもうすぐそこまで迫っていた。



「――ぅきゃぁぁぁぁっ⁉」



 驚いて目を見開き悲鳴をあげて固まってしまう。


 咄嗟に対処する行動に移れないのは、魔法の習熟以前に彼女の戦闘自体への不慣れさ故だった。



 直撃は免れないと思われた銀色の光球は、しかし、水無瀬とそれとの間にパっと現れた壁に当たって消失した。



「……へ?」



 一体何が起きたのかと口を開けて呆けている彼女は、前後左右に上下を魔法の壁に囲まれ、まるで箱に閉じ込められているような恰好になっていた。



「――とまぁ、このように。直線的な動きを、段階的に操作しているのでは、こうしてあっさりと捉えられてしまいます。さっきの言葉……プリメロ、でしたっけ? あれで少しはいいイメージに変わったと思ったんですが、まだ足りませんかね……」



 言いながらアスが指を鳴らすと、水無瀬を囲んでいた壁が全て弾けるようにして消える。



 わずかに輝きを残す粒子のようなものが空気に溶け込んでいくのが水無瀬の瞳に映った。



「そ、そうッス、マナ! プリメロッス! プリメロみたいになんかこう……泳ぐ……? 的な感じでスイスイーって飛ぶんッス……、て、マナ……? どうしたんスか?」



 飛行魔法の先達であるネコ妖精のメロがお助けマスコットとして水無瀬にアドバイスを送るが、肝心の魔法少女には話を聞いている様子がない。



 何もない空間をボーっと見つめていた。



「マナ……? まさか魔力切れ――」


「――キラキラ……?」


「――へ……?」



 どこか心ここにあらずといった彼女はメロの声には応えず、意味の足りない言葉を譫言のように呟きながら、自身の周囲にピンク色の魔法の球を一つずつ創り出していく。



 その様子をメロもアスも怪訝そうに見ている。


 弥堂だけはいつもと変わらない湿度の低い瞳で視ていた。



「……私のまほう……、はじけて……っ――」


「――マ、マナ……っ⁉」



 水無瀬は創り出した魔法球をその場で弾けさせていく。


 魔法がほどけてピンク色の光の粒が散らばるように離れて空気に、大気に、『世界』に拡がり混ざり溶け込んでいく。


 その様子を観測する彼女の瞳にピンク色の光が浮かんでは消える。



「――キラキラ……っ!」



 彼女の存在する力が増したのが視えた。



 水無瀬は何か新しいものを発見し感動する子供のような笑顔を浮かべて周囲をキョロキョロと見周す。



「ここにも……、そこにも……、あっちにも……、メロちゃんにも弥堂くんにも、アスさんにも……、私にも……っ!」


「なんだ。感知できていなかったのですか。そうです。それが魔素。『世界』を構成する物質以前の物質」



 弥堂の首筋にゾクリと怖気が走る。


 隣でどんな教科書にも載っていないような講釈を垂れるアスは凄絶な笑みを浮かべていた。



「そっか……、どこにもいたんだ……。いつもいてくれたんだ……。みんなのキラキラで、世界はできてたんだ……」


「マ、マナ……?」



 大きな歓びを感じるような明らかに尋常な様子でない水無瀬とは対照的に、メロは怯えたような仕草を見せる。


 まるで、ずっと恐れていたものを見たかのように。



「みんなのキラキラに、私のキラキラをくっつけて……支配……、ううん、ちがう……。仲良くなって、お願いをきいてもらう……」


「そう。それでいい。解釈はなんでもいい。自己を拡大して影響が出来ればなんでもいい。『世界』を納得させさえ出来ればそれでいい」


「じこ、かくだい……、じこ……、わたしのまほう……、わたしのキラキラ……、どこに……、どこから……、どうやって……?」



 アスと会話をしているようでその実、その言葉は誰に向けたものでもない。


 目を大きく見開きながら、捜すように探るように投げかけるその問いは自身へ向けたものだ。



 潜って掬って目を走らせても答えは見当たらない。


 自身の知らないこと。これまで見たことのないもの。


 それは記憶の中にはない。記録されていない。


 つまり『魂の設計図アニマグラム』に蓄積されていない。



 だが、聴こえる。



 聴こえた。



 知り得るはずのないこと。自身で見出したものでないのなら、それは誰かが与えてくれたものだ。



 聴こえる。



 その答えが。



 男の声で。



 どこか遠く朧げなその答えを、自分の言葉で自分の声で口から『世界』へ出す。




「――ひだりから、みぎへ……、ながれて、まざって……、せかいは、わたしに……っ――」




 ドクンと――



 彼女の心臓が大きく跳ねた音が聴こえた。その場の全員がそんな錯覚をした。



 聴こえるはずがない、しかし確かにその脈動を知覚した――させられた。



 それは彼女の――水無瀬 愛苗という存在が拡大し、周囲へ拡散し、『世界』へ影響をしたことの証となる。



「――アハァ」



 アスが蕩けた笑みを漏らす。



 しかし、そんなことに注意を払う余裕はなく、弥堂もまた彼と同様に水無瀬 愛苗から眼を離せなくなっていた。



 輝きを強め輪郭を強め、より強固により鮮明に、この『世界』に存在する。



 彼女の周囲がキラキラと光り輝き、その粒子が地に立つ弥堂の方へまで舞い落ちてくる。



 次に一体、彼女が何をするのだろうと視ていると、それよりも先にアスが動き出す。



「――アハッ……、アハハハハハハ……っ!」



 宣告も宣言もなく哄笑をあげながら大量の魔法の球を創り出し、それを水無瀬へと向けて放った。




「マナッ!――」


「――だいじょうぶっ!」



 水無瀬は慌てることなく、すぐに動き出す。


 その挙動に今までにあったぎこちなさはもうない。



 直線的な軌道で真っ先に迫ってきた魔法球を、自ら魔法の制御を手放したように重力に従い自由落下をして高度を下げて躱す。



 その落ちていった先に回り込むように飛んできた魔法球を今度は重力を無視してクルリとトンボ返りをしてやり過ごし、後から続々と迫る魔法球を引き連れながら空にカーブの軌道を描く。



 追われているはずの彼女の表情に焦燥はなく、その顔はとても楽しげだ。



 あらゆる法則や常識から解き放たれ、思うがままに、望むがままに、空を泳ぐ。



 彼女は自由だ。




「素晴らしい。さらに増やしますよ。対応してみせなさい」



 言いながらアスは上空に展開する魔法の数と種類を増やす。



 大小の魔法球と半透明の壁が魔法少女に襲いかかった。



 水無瀬は逃げる。




 そして、やはりその表情には恐れや焦りなどは見られない。



 まるで遊んでいるかのように魔法で空中を移動している。



 魔法が使えることが、自分の願いが実現することが楽しくて仕方がないと、そのような歓びをまた魔法で表現している。


 メロは必死に水無瀬にしがみつきながら、彼女のその顔を茫然と見ていた。



 いくつかの魔法球を引き連れながら先回りしてくるものを踊るように泳いで避ける。


 進行方向に壁が突然顕れても、先程までのように急停止するようなことはなく、そのままのスピードで進路を変え、壁に沿うように飛んでいく。


 彼女を追ってきた魔法球が次々と壁に衝突して消えていった。



 弥堂の眼に写る今の水無瀬の姿は、廻夜から視聴を命じられて観たアニメの魔法少女そのものだった。


 物理法則から解放され望むがままに自由に振舞える。


 魔法という免罪符を翳せば、己の想像力・発想力の限界内であれば何でも許される。



「いいですね。では、そろそろ本日の授業を締めましょうか」



 そんな声が聴こえ隣に目を向けると、そこにはもうアスはいない。


 少し離れた場所で、カラスのゴミクズーを地面に引き摺り降ろし踏みつけにしていた。



 アスの右手に銀色の光の刃が現出する。


 彼が迷わずそれをゴミクズーの背中に突き刺すと、劈くようなカラスの悲鳴があがる。


 アスはすぐにそれを引き抜くと懐から出した試験管のコルクを抜き、傷口に突っこんで内容液を直接ゴミクズーの体内へと流し込んだ。



「――え……? あっ、だめぇ……っ!」



 魔法に追われながら楽し気にしていた水無瀬の表情が変わり悲痛な声をあげる。


 彼女が視線の先に映すのは、傷口から肉が溢れ出すようにして肥大化していくゴミクズーの姿だ。



「さぁ、少しは私の役に立ってみせなさい。往けっ――」



 絶対の上下関係か主従関係があるのか、己を傷つけ変貌させた相手の命令にゴミクズーは従う。


 大きく一鳴きすると、今もなお肥大化を続ける肉から垂れる粘液を撒き散らしながら空へと羽搏いた。



 そして水無瀬の目の前に立ち塞がるとさらに威嚇の鳴き声をあげて、狂気に染まった赤い目を彼女へ向ける。


 肉が溢れ原型を失ったその姿は見た目も大きさも、最早化け物以外のナニモノでもない。



「うん……、わかるよ……、ちゃんと聴こえる……。ごめんね、さっきまでは聴こえてたのに、ちゃんとわかってあげられなかった……」



 水無瀬は興奮しきった化け物を前にして、悲しむような慈しむような目を返した。



「悲しいんだよね……? 痛くて、苦しくて……、お腹もすいて、さみしくて……。だいじょうぶ。私がぜんぶキレイにして助けてあげる……」


「ギュオァァァァァッ!」



 慰めるような言葉にゴミクズーが返したのは黒い弾丸だ。


 先よりも大きく数も増えた羽の弾丸が水無瀬を襲う。


 彼女はそれを回避して空に躍り出る。



 ゴミクズーは水無瀬を追った。


 直線軌道でのその速度は水無瀬を上回り、あっという間に距離を縮める。



 水無瀬はクルっと振り返り、逃げる速度は落とさぬままゴミクズーへ向けて左手を翳す。



「【光の盾スクード】ッ!」



 巨大な嘴と水無瀬の華奢な身体の間にピンク色の半透明の盾が顕れ、ゴミクズーの突進を受け止めた。



 地面から見上げる弥堂の所までギシっと軋むような音を幻聴させ、巨体の勢いに押されるようにして空を駆けていく。



 その彼女の行先に銀色の壁が顕れ、そして回り込むようにして魔法球も飛んでくる。



 左手をゴミクズーへ向けながら、水無瀬は振り返る動作のまま右手のステッキを振るう。



「【光の種セミナーレ】ッ! 当たって――っ!」



 まるで全てが見えていたかのように、壁と魔法球と同数の光の種を生み出し、それら総てに命中させた。


 魔法同士が相殺するように水無瀬の魔法もアスの魔法もぶつかりあって弾けて消え、どちらのものでもなくなった光の粒がキラキラと舞って輝く。



 水無瀬は上に跳び越えるようにしてゴミクズーをやりすごして、すぐに自分も加速をする。



 水無瀬はその輝きの中を突き抜けた。



 すると、その光の粒子たちは彼女の色へと色づき後に着いてくる。



 空にピンク色の飛行機雲のような軌跡が描かれた。



 ゴミクズーは再び羽の弾丸を撃ち出してから彼女の方へと進路をとる。


 逃げる彼女を妨害するようにアスの魔法も次々と襲いかかってくる。



 しかし、それらの一発も水無瀬を捉えられない。



 宙を泳ぐように躱し、或いは光の盾で受け止め、突進してくるゴミクズーも回避する。


 視界の外から迫るものも見えているように対処する。



「……うん、わかる……、みんなが教えてくれる……、ううん、教えてくれてた。私が聞いてあげれてなかっただけ……。世界はみんなつながってる……」



 まるで別人になったかのように戦う魔法少女の姿を、弥堂は地べたからただ視ていた。



 強く輝きを放ち、こうしている今もどんどんと輝きを増す彼女の存在する力に、何故か忸怩たる想いが胸の底から湧き出す。



 自分がした助言のようなものがまるで見当外れで的外れなものであったことに苛立ったわけではない。そのようなプライドは持ち合わせていない。



 自分には使えない魔法という超常の力は当たり前のように行使される戦場から蚊帳の外にされたことに憤りをもったわけでもない。そのような功名心などとっくに失くしている。



 決して敵わぬ巨大な敵を前に、絶体絶命のピンチの中で、突然脈絡もなく意味も解らず、理屈に合わぬ未知の力に目醒めて、状況を覆す。


 廻夜から借りた創作物の中で何度も見たシーンだ。



 そんな見慣れたものが目の前で現実に起こり、結末を迎えようとしている。



 それが何故だか気に食わない。



 何はどうあれ、街の平和を守る魔法少女が化け物を撃退する。


 それでいいはずだし、この街で暮らす弥堂にとっても都合のいいことのはずだ。



 目的のためには手段は選ばない。


 それを信条とする弥堂にとっては結果さえよければ過程などどうでもいいはずだ。



 なのに、気に食わない。




 そんなことが――突然、都合よく、今まで出来なかったことが出来て、今まで無かった力が湧き出すなど――そんなことがありえるはずがないと、弥堂はこれまで生きて強くそう信じていた。



 だから――



 それが現実のものとなるこの状況が、非常に受け入れ難く、とても気に食わないと、そう感じた。







「そろそろ決着といきましょうか。最後は単純な力比べです。色々と煩いことを申してきましたが、力こそが最も重要です。押し返して見せなさい」



 宣言とともにアスはゴミクズーの背後に大量の魔法球を創り出す。



「マ、マナぁ……」


「だいじょうぶだよ、メロちゃんっ」



 不安そうな目を向けてくるパートナーに、水無瀬は安心させるようにニッコリとした笑顔を返す。


 そして目を閉じて、スゥーっと大きく息を吸って、同様に大きく吐き出す。


 それからパチッと丸い目を大きく開けた。



 願いを口にする。



「――水の無い世界に愛の花を……っ!」



 脈動し生み出された魔素は血液の流れにのって全身を廻り、右心房へ還ってきたそれは肺へ取り入れた外の『世界』からの魔素と混ざり合い、自らの魔力となる。



 強烈に造りだされ、強烈に溢れ出した、魔力という自分を表現し押し通す為の力は、オーラのように全身に纏わりついて外の『世界』へも顕現する。



「――おねがい……、『Blue Wish』ッ……!」



 胸元で青く輝く宝石に呼び掛けると、思い描いた現象が『世界』に実現する。



 空を埋め尽くすような夥しいほどの数のピンク色の軍勢。



 アスが創り出した魔法の数を遥かに上回る魔法の光球が水無瀬の背後に並ぶ。



「アハッ――アハハハハハ……ッ! 素晴らしい。見つけた……、見つけたぞ……っ! 逸材……、適した器……っ! これなら叶う……っ! 新たに証明され……、新たな知識となり……っ! 新たなる王が誕生する……っ!」


(王……だと……?)



 哄笑をあげながら意味のわからないことをアスが叫ぶ。


 これまで知的で冷静な振舞いをしてきた彼が我を忘れたかのように興奮しているその姿を弥堂は睨みつけるが、どこまでも彼を置き去りにして戦況は進む。



「さぁ、後は我を押し通すのみです! 舞台に上がったら最後にモノを言うのは結局は力っ! 上回ってみせなさい、アナタの願いを叶えるために……っ!」


「ワガママなんかじゃないもん……っ! 難しいことわかんないけど、でも……っ! 魔法は、この力は、みんなを笑顔にするために使いますっ! 今は――その子を助けるために……、いっぱいがんばるっ!」


「よろしい! ならば、それを表現してみせなさい!」


「光の種――みんな……、おねがい……っ!」



 言葉を交わし終わり同時に力を放つ。



 青いまま切り取られた空で、ピンク色と銀色の光がぶつかりあい弾けて輝く粒子を降らせる。



 破壊的な状況とは裏腹にそれは酷く幻想的な光景だった。



「ギュイィィィィッ!」



 カラスであったゴミクズーは雄叫びをあげ、破壊の光が瞬く戦場の只中へと突貫を開始する。



「悲しいこと……ぜんぶっ! 救ってあげる――【光の種セミナーレ】ッ!」



 水無瀬は展開していた魔法の光弾の一部でアスと撃ち合い、他の一部をゴミクズーへと向かわせた。



 迎撃に出る魔法弾を無視してゴミクズーは突っこんでくる。


 耐える自信があるのか、それとも狂ってしまったが故かはわからない。



 着弾する寸前、ゴミクズーの前に銀色の壁が出現する。


 アスの防御障壁だ。


 その壁で水無瀬の魔法を防ぎながら、物凄い勢いで巨体が迫る。



「マ、マナッ……、このままじゃあ……っ!」


「だいじょうぶっ! もっと、つよく……っ! もっと、がんばる……っ!」



 大きく魔力を解き放ち、新たに弾幕を自身の前に形成する。



「いって!」



 それらに願いをこめて、自身の裡でイメージした絵を、『世界』に描き出す。



 ゴミクズーを守る障壁に次々と魔法弾が撃ち込まれる。



 今しがたと同じ光景だが、しかし、今度は着弾する端からアスの防御魔法に罅を入れた。



「なんと――」



 アスはそれに驚くが、しかし焦ることはなく、感嘆の息を漏らした。



 そして、ついに障壁は砕け散る。



「【光の種セミナーレ】っ……、シューート……っ!」



 訪れた好機に水無瀬は新たに4発の光弾を創り出し、右手に持ったステッキを大きく振り下ろした。



 ノーガードとなったゴミクズーへ4つの光が撃ち出される。



 彼我の距離はもう幾許もない。



 弥堂は眼を凝らしその瞬間を見逃さぬよう視線を固定する。



 これで撃墜出来なければあの巨体は水無瀬に衝突するだろう。


 水無瀬の防御がどこまでのものなのかは弥堂にはわからないが、少なくともあの質量をあの速度で受け止めて無事に済むとは考えづらい。



 この攻防を制した者が勝者となる。




 4発の内、先行する初弾がゴミクズーの頭部へ真っ直ぐ飛ぶ。


 それが近づくとゴミクズーは回避行動のため身を捩ろうとする。



 しかし、その動きを見せた瞬間、光弾は右へシュートする。



「ギィィッ――⁉」



 予想外のことにゴミクズーは驚き思わず回避行動を止めてしまい僅かに思考が停まる。


 その隙に軌道変化した初弾が左の翼を撃ち抜いた。



 片翼に穴を空け大きくバランスを崩すゴミクズーの顔面へ次弾が迫る。


 首を無理矢理曲げてそれを回避するが、その間に大きく背後を迂回してきた3発目が右の翼を撃ち抜いた。



 撃ち抜かれた両翼はその穴から砂が崩れるように黒い粒子を撒き散らし少しずつ消えていく。



 ゴミクズーの目に迫りくる4発目の光弾が映った。



「ギュイィィィィッ!」



 断末魔の悲鳴をあげて、ゴミクズーは光弾を避けるのでなくまだいくらか残った羽から弾丸を撃ち出した。


 自分はもう助からないと悟り、せめて道連れにと最後の攻撃に討って出た。



「【光の盾スクード】ッ!」



 水無瀬は魔法の盾を2つ創り出す。



 ゴミクズーの弾丸が水無瀬が正面に展開した障壁に突き刺さると同時に、4発目の光の種がゴミクズーの頭部を下からカチ上げた。



 空中で大きく仰け反り完全に突進の勢いを失くす。


 そのタイミングで水無瀬が展開していたもう一つの光の盾に、背後から飛んできていた銀色の光球が着弾し防がれる。



「――お見事ブラボー



 アスから短い賛辞が送られるが、それはもう耳には届かなかった。



 両翼を完全に失い腹を見せて落下していくゴミクズーは崩れかけの顔面を上へ向ける。


 片方だけ残った目に魔法のステッキをこちらへ向けて構える少女の姿が映った。




 杖の先端に大きく力を集める。



 それは光の球となって拡大する。



 その力の――願いの向く先を魔法少女は真っ直ぐ見つめる。



「――フローラル・バスターーーッ!」



 ひとりぼっちの真っ白な部屋で幼き頃に観たアニメのヒロイン。


 強く憧れ続けていた物語の中での英雄である魔法少女の必殺技。



 記憶の中に強く残っていていつでも思い出せるその姿をイメージし、魔法の言葉として願う。



 ステッキの先に集約していた光は直射状のビームとなって、堕ちいくゴミクズーのガラ空きの腹を直撃し貫通した。



 その存在を構成し保つ為の決定的な『ナニカ』を撃ち抜いた手応えを水無瀬は感じる。



 その感触どおり、ゴミクズーの巨躯は砂が崩れるように壊れていく。


 黒い光の粒が散らばるその様相は、落下する身体から空へ立ち昇っていくように見えた。



 散らばり舞い上がり離れると、それらは黒い色を失い透明になっていってキラキラと空を輝かせる。



 上空を見上げる弥堂の眼にもその様子がしっかりと映った。



 キラキラと輝くダレのモノでもなくなったその物質以前の物質は或いは空に漂いながら溶けていき、また或いは水無瀬の方へ引き寄せられ吸い込まれるように彼女の胸の宝石へと消えていくのが、弥堂の眼には視えた。



 アスはいつの間にか居なくなっていた。





「弥堂くんっ! ケガはなかった?」



 水無瀬が地に降り立つと彼女に纏わりついていた光の粒子が鱗粉のように舞う。



「……まるで蛾だな」


「えっ?」


「怪我などないと言ったんだ。碌に戦っていないからな」


「そぉ……?」



 首を傾げて問い返しながら彼女は変身と結界を解く。



 薄い硝子が割れるように、空間が罅割れ砕け散る。


 一瞬のうちに世界は普段弥堂たちが暮らすいつも通りのものに戻る。



 砕けた硝子の欠片のような異なる世界の残滓はキラキラと光りながら『世界』へと溶けて還っていく。


 その様子を視ながら横目で一部の光の粒子が水無瀬の胸へと吸い込まれるのを確認した。



 本人はそれに気が付いているのかいないのか。


 宙空でキラキラと舞う通常は不可視のはずの輝きを見るのに夢中になっている。



 ふと、こちらへ顔を向けた彼女と目が合う。



「弥堂くんも見えるの? キラキラ」


「キミの言っていることは俺にはわからないな」


「でも今見てたよ? キラキラ」


「なんのことだ」



「えー?」と首を傾げながら彼女は宙空を指差す。



「キラキラ」


「何もないぞ」



「うーん」と少し考えこんだ彼女は両手を合わせて舞い落ちる粒子を掌で受け止め、それを弥堂の前に差し出す。



「キラキラっ!」


「俺には何も見えないぞ」



「そっかぁ」と残念そうに愛苗ちゃんは眉をふにゃっとさせた。



「それよりも、いいのか? 結界を解いて」


「どうして?」


「もう一匹いただろ。逃げていったのが」


「あっ⁉ そういえば……っ!」



 どうやらもう一体のネコのゴミクズーのことをすっかり忘れていたようで、愛苗ちゃんのおさげがみょーんっと跳ね上がった。



「まぁ、でも大丈夫じゃないッスか?」


「メロちゃん?」


「少年の残虐ファイトでこっぴどくやられたッスからね。我々ネコさんは繊細で臆病な生き物ッス。あんな情け容赦のない虐待をされたらブルっちまってしばらく表を歩けねえッスよ」


「そっかぁ……、ネコさんかわいそう。早く見つけ出して浄化してあげなきゃ……」



 だが、彼女たちは割かし楽観視しているようだった。



「……手負いの獣だぞ?」


「えっ?」



 それに弥堂が不満の意を述べるが彼女たちには伝わらない。


 能天気に目を丸くする水無瀬へ考えを伝えようと口を開きかけて、やめる。



 意味がないと思ったからだ。



 きっと『世界』は彼女の思うように動く。


 そうでなかったとしても、今日彼女がそうしてみせたように、突然進化をし成長をしてみせ、乗り切ってしまうのだろう。


 弥堂ごときが思いつくような想像や決めつけなど簡単に超えてしまうのだろう。



 初めて彼女が魔法少女活動をしている現場に遭遇した時に、あまりのポンコツぶりにどうやって今まで生き延びてきたのかと疑問視したが、きっと今日のようにその都度どうにかしてしまったのかもしれない。


『世界』が彼女をそうデザインしているのだ。



 そしてきっと、この先も――



「――弥堂くん……?」


「なんでもない。じゃあな――」


「あ、待って! 弥堂くんっ!」



 短く別れを告げて踵を返そうとする弥堂を水無瀬は呼び止める。



「……なんだ?」



 これ以上彼女と話をしたくないと、そう感じていた弥堂は不機嫌そうに身体の向きを戻す。




「――痛いの……?」


「……? 怪我などないと言っただろう」


「そうじゃなくって……、ここ――」



 水無瀬が近づいてきて、弥堂は何故かあっさりと彼女を懐に入れてしまった。


 彼女は手を伸ばし右手でそっと弥堂の胸の中心に触れた。



 服の下に隠した逆さ十字のペンダントのすぐ近く――心臓の位置。



「――ここ。痛いの……?」


「――っ⁉」



 邪気なく無垢な瞳で見上げてくる彼女の手を反射的に振り払い、小さく後ろに飛び退いた。



「…………っ」



 言葉を失い、咄嗟の拒絶に驚く彼女の顔をただ視る。



「あっ……、あの、ごめんね……? さわっちゃって。痛かった……?」


「……ち、がう……。別に、痛みなど、ない……」



 どうにか絞り出すように否定の言葉を吐き出す。



「あのね? 痛いって……、聴こえたような気がして……」


「気がしただけなら……、気のせい、だ……」


「そう? でもつらそうだよ……?」


「何度も言わせるな。俺は怪我などしていないし、胸の病気もない」


「ううん、そうじゃなくって――」



 とっとと立ち去れ、喋らせるな、聞く耳を持つなと。


 自分の中のナニカが警鐘を鳴らしているが身体は言うことを聞かない。


 彼女から――自分よりも強い存在から目が離せない。



「――ココロが」


「…………っ!」



 気味が悪いと、不愉快だと。


 総てを覗かれる前に殺せと。



 衝動的に湧き上がった命令が全身に伝播し――



「――ふわっ⁉」



――しそうになったところで、突如胸の内から鳴り響いた電子音とそれに驚いた水無瀬の声で我にかえる。



 鳴り響く軽快な音色は、今のこの状況には似つかわしくなく、またある意味では最も相応しいのかもしれない、愛と勇気が詰まっていて希望を見せてくれそうな感じの軽快なメロディだった。



 それは弥堂がスマホの着信音に設定している聴き慣れた楽曲である――そう、魔法少女プリティメロディ☆フローラルスパークのテーマだ。



 助かったと、そんな情けない心情を隠しながらチラリと画面に眼を遣り表示された番号を確かめる。



「……悪いな。仕事の予定がある、というか本来今はもう仕事中なんだ」


「え? そうだったんだ。引き止めちゃってごめんね?」


「構わない。HRで聞いただろ。風紀委員の活動だ。もう行く。じゃあな」


「あ、うんっ。お仕事がんばってね!」



 弥堂らしからぬ言い訳がましい言葉を残して背を向ける。


 公園の出口へ向かって歩きながら、シャツの上から胸に触れると硬い金属の感触がする。


 首から提げた背信の逆さ十字。


 惨めにそれを拠り所にしながら少しでも早く彼女の視界から消えたいと願った。



 この気分はよく知っている。


 自分に視詰められた相手がよくこうなる。


 だから、これ以上彼女の前に居たくない。



 公園の敷地から出て駅方向へ進路を取りながら、スマホの画面に指を走らせ通話を繋ぐ。



 鳴り続けていたテーマソングは消え、魔法少女の時間は終わる。

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