1章33 『曖昧な戦場』
学園から出て旧住宅街と呼ばれる地域を歩く。
作戦区域となる新美景駅付近へ向かっているのだが、その前にほぼ通り道にある中美景公園に寄る。
昨日のゴミ拾いのボランティア活動中に不運にも警察に連行され、その際に置き忘れてしまった清掃用具を回収する必要があるからだ。
たったそれだけのつまらない用事であり、
これからの時間は風紀委員会の今週の目玉企画である『放課後に出歩くと危ないよキャンペーン』を実施するため、主に駅前の繁華街付近の見廻りをする。
この作業の目的としては、表向きは風紀委員として、最近治安が不安定となっている街で学園の生徒が危険な目に合わないようにすることだ。
想定している危険な目とは、街のギャングや他校の不良との揉め事、そして海外マフィアの拠点となっている外人街から流れ始めている新種の麻薬だ。
この新種の麻薬の流入を防ぐことが、元々ここいらの地域をナワバリにしていた暴力団である皐月組、そして弥堂と皐月組の橋渡し役となっている次の十代目を継ぐ予定の
彼らの思惑は駅の南側の自分たちのナワバリに、北口をナワバリにしている外人街の息のかかった連中が入ってくることを防ぐことにある。
その為に、今回の風紀委員会の活動を利用して、美景台学園も含む学生の不良たちが、外人街の傘下になっている半グレどもや海外マフィアと結びつく機会を減らすために街から追い出すのだ。
そして、弥堂個人の興味はここで槍玉に上がっている新種の麻薬そのものにある。
皐月組からは手を出すなと言われたが、街にいる学園の生徒だけでなく、半グレや外人どもにも出会った端から暴行を加え、徹底的に情勢を荒らすつもりだ。
そうして、売人を炙り出す。
このクスリに関してはかなり慎重にシノギをしているようで、どうも売る相手を選んでいるフシがあるとの情報もある。
クスリそのものが手に入ればそれに越したことはないが、出来ればその選別のアルゴリズムの尻尾だけでも本作戦で掴みたい。
ここまでは先週までにすでに決めていたことで、若干の修正は加えたが概ねこの通りで構わないだろう。
今、弥堂が考えているのはここ数日で浮上した、本作戦において最も厄介な障害となる可能性のある組織のことだ。
それは、魔法少女――弥堂のクラスメイトである
麻薬に関する利権で争うことにはならないだろうが、この者たちの戦いがこれからの弥堂の主戦場となる場所で行われては、どのようなイレギュラーが発生するかわからない。
一般市民たちが平和に暮らす裏側で、日陰に生きる反社会的な者たちの争いがある。
そこまではどこでもよくあることなのだが、さらにその裏側で魔法少女だのゴミクズーだのの人知を超えた連中が争っているなどという新事実が作戦開始直前になって発覚するとは想定外もいいところだ。
一応、闇の組織の者たちとは繁華街は荒らすなと取り決めをしたが、それもどこまで守られるかは不明だ。
相手が約束を守ると信じないのは、弥堂自身にも約束を守る気がないからである。
奴らが繁華街付近から手を引く代わりに、弥堂も魔法少女に関することには首を突っ込むなという取り決めになっている。
とはいえ、必要とあらばこんな口約束はいつでも破るつもりだ。
だが、どうしてもそうしなければならないという状況に陥りでもしない内は、弥堂の方から約束を反故にするつもりもないし、水無瀬と奴らとの戦いに首を突っこむ気もない。
(積極的に関わる理由もないしな)
今日はまだ初日だ。
こちらとしても極力ヤツらの交戦ポイントには立ち入らないように注意して、まずは無難にはなまる通りの裏路地あたりから巡回していこうと、そう心に留める。
そこまで考えたところで公園に到着する。
公園の管理事務所で清掃用具を預かっていると
その瞬間――
――バチッと、首筋に電流のようなものが奔る。
途端に世界が歪み、そして塗り替わる。
「えいっ! えいっ! 【
「いいッスよ! 今日のマナはキレてるッス! 魔力回路がギュィンギュィン唸ってるッス!」
ここ最近で聞き慣れてしまった、人に脱力を強いるような声に思わず額に手を遣る。
そして抗う気持ちを繋ぎ止めるために意識して手に力を入れ、グシャッと自身の前髪を掴んだ。
(何故だ……、どうしてこうなる……?)
積極的に関わるつもりはないと、自分からは約束を反故にするつもりはないと、そう考えてから1分経ったかどうかの間にこれだ。
(こいつらが悉く行先に現れるのはどういうことなんだ)
苛立ちをこめて魔法少女とそのお供のネコ妖精を睨みつける。
そしてここにきて弥堂は迷いを抱くようになった。
以前までであれば、このような偶然が続くはずがないと即刻『対処』をする判断を下していた。
だが、このポンコツコンビにはそのような意図はないだろうと、弥堂をしてもそう考えるようになった。
信用に足るという意味ではない。
そんな発想をすることも、それを実行することも、こいつらの能力では不可能だという意味だ。
評価が最低なために疑惑から外れる。
そんなこともあるのだなと弥堂は白目になった。
計画的に、且つ知性的に他者に害意を齎すことが出来るとすれば、可能性が高いのは彼女たちの敵の方だ。
闇の秘密結社。その悪の幹部であるボラフ……、はともかく、その上司のアスと呼ばれていたモノ。
あのヒトの姿をしたヒトではない者なら、能力的には可能だと謂える。
だが、ヤツにはそうする理由があるようには思えない。
善良な存在でないのは確かだが、かといって弥堂のようなタダの人間に興味や関心を向けるようにも思えない。
特別関心を抱いているわけではないが、自身の生活環境への影響が大きいように見えてしまうため、こうして行く先々で遭遇し目の前にすると完全に無視することも難しい。
この魔法少女という事象についての対処に迷う。
迷うからその判断をしなくて済むように関わらないことにしたのだが、それでは済まされないのであればそろそろ考えなければならない。
「あぁーーっ! おしいっ! 今当たりそうだったッス――って、うおぉぉぉっ⁉ マナっ! 今度はそっち来てるッス!」
「あわわわ……っ⁉ た、たいへんだぁ……っ!」
黒目を戻して戦況を視る。
水無瀬は二つの黒い影を向こうに回して戦っている。
輪郭の曖昧な影。
一体は鳥。カラスのような影で飛行をしている。
もう一体は四つ足の獣で犬か猫のようなシルエットだ。
どちらも大きさはあのギロチン=リリィに比べれば然程でもない。中型犬の範疇に収まる程度だ。
今回のゴミクズーは数こそ二体だが、その存在はギロチン=リリィはもちろん、路地裏で出遭ったネズミよりも劣っているように弥堂の眼には視える。
その二体の敵に対して水無瀬 愛苗――魔法少女ステラ・フィオーレは――
「――鳥さん速い……っ! 当たらない……っ!」
「でも数で攻撃は抑えられてるッス! 今度は下が来るッスよ!」
「だいじょうぶっ! 準備できてるっ!」
魔法の光弾を一度に何発も展開し応戦している。
相変わらずその攻撃は一発も当たっていない。
だが――と、弥堂はツインテールを振り回しながら激しく動く水無瀬の足元を視た。
地面から僅かに両足が浮いている。
ごく低空でホバーリングをしながら、滑るように移動をしていた。
もはやお馴染みの魔法少女コスチュームの足元はショートブーツだ。
そのショートブーツからは白とピンクが混ざったような光の羽が生えている。
彼女なりに飛行魔法の制御を工夫しているのか、これまでには見られなかった新技術だ。
これは最早飛行魔法とは呼べないのではないかとも思えるが、それは別にどうでもいい。
問題は攻撃魔法の方だ。
彼女が『セミナーレ』と呼ぶ光の球を射出する魔法。
こちらは今までと同じものを使っている。
今も1秒前に鳥の影が通過した場所をピンク色の光弾が通り抜けた。
当たっていないという点では今までと同じだが、その魔法の軌跡からは『狙いを付けていること』と『狙った場所へ飛んでいる』ことが見える。
さらに、地を奔る獣の影。
こちらの敵を牽制するように、獣と自分との間に常に数発の光弾を置いて、向かってきそうになったら弾をバラ撒いてその動きを妨害する。
(これは――)
昨日の戦闘で催眠状態の水無瀬に弥堂が仕込んだものだ。
通常、催眠時のことは記憶には残らないはずだが――
(――無意識下で学習したのか……?)
これまでに観測したことのない事例だが、しかし絶対にありえないというわけでもない。
なぜなら、記憶に残らないとは文字通りに記憶を消去するわけではないからだ。そんな都合のいいことは出来ない。
催眠時に見たもの、聴いたもの、触れたもの、など。
それらの記録を記憶として認識できないだけだ。
ただ、それはそうすることを目的として、それを実現するための何かを実行しているわけではなく、勝手にそうなっているだけだ。
元々、拷問や尋問のための技術なので、被験者の術後の健康のことなどこれっぽっちも考慮などしていない。
それならこういうこともあるだろうと、ファジーな結論に暫定する。
ただ一つだけ確かなことは――
「――ひゅ~ぅっッス! イイッスよぉ~! 最高ッス! キレてる! 魔力キレてるッスよぉ~っ!」
形上、見た目の上では2対2のタッグバトルの様相だが、忙しくなく魔法を操作する水無瀬の肩にへばりつき、賑やかしのように騒ぐだけのネコ妖精は何の役にも立っていない。
それだけは確かだった。
(さて、どうするか……)
水無瀬の戦闘にいくらかの改善と進歩が見られているが、戦況としてはジリ貧だ。
2体同時に襲い掛かられてどうにか凌いでいると評価するのが妥当だろう。
結局攻撃が当たらなければ決定打には至らず、いつかは力尽きると考えるのが普通だ。
しかし、彼女は普通ではない。
どれだけ魔法を使っても消耗を感じさせないだけの魔力があり、さらにその魔力にモノをいわせた堅固な防御力がある。
時折、魔法の弾幕を潜り抜けてゴミクズーが嘴や爪で水無瀬に害をなそうとするが、彼女はキャーキャー騒ぐだけでまったく傷もダメージも追っていない。
二体いるとはいえ、今回のゴミクズーは大した存在ではないようだ。
そもそものスペックで彼女の方が圧倒的に上回っているようで、それはそのまま存在としての格の違いとなる。その差は余程のことがない限りは覆らない。
結局のところ、結論としてはジリ貧なのは敵の方で、結末としては泥仕合の果てに水無瀬が勝つのだろう。
それならば――
(俺が助力する必要も、見ている必要もない、か)
――ここにいる理由も特にないと、踵を返そうとして、しかしすぐに止まった。
舌打ちをしかけて自制をする。
そういえばここは結界の中だった。
公共の場にこんなものを勝手に広げて、しかも入るときはこちらの意思に関わらずに引きずり込むというのに、出るときは自由に出られないとは。
これではぼったくりバーの方がマシではないかと弥堂は憤る。
そして魔法少女とかいう社会不適合者を心中で強く軽蔑をした。
ここから出て目的地へ向かうには結界を解く必要がある。
それは展開した本人である魔法少女にしか解けない可能性が高い。
それをさせるには結界を張ることになった原因であるゴミクズーを排除する必要がある。
つまり、弥堂が効率よく仕事をこなす為には、水無瀬を速やかに勝たせる必要がある。
それには戦闘を手伝った方が効果的だ。
まるでそうせざるをえない状況に追い込まれているようで気に食わないと感じた。
(そういえば、あいつが負けて死んだら結界はどうなるんだ?)
勝手に解けてなくなるのか、それとも永遠にここに閉じ込められることになるのか。
恐らく前者なのだろうなとは思うが、実際に試す気にはならない。
となると、ますます魔法少女を負けさせるわけにはいかなくなる。
(だからといって、必ずしも俺が関わる理由にはならないが……)
どうにか『やる理由』の数を『やらない理由』の数が上回らないか、思考を続ける。
視線の向こうでは、魔法という人知を超えた技術を用いた戦闘が行われており、しかし聴こえてくるのは「わーきゃー」と普段ここで遊んでいる子供があげているような声だ。
自分は麻薬利権の絡んだヤクザとマフィアとの代理戦争に身を投じるはずだったのに、何故こんな子供の遊びのような場に拘束されなければならないのだろう。
そんな理由が、意味が、どこかにあるのかと考えてしまう。
――知りたかったら、『約束』。守ってみせなさいよね。
チッと舌を打つ。
この件に関して言われた言葉ではなかったが、印象だけ紐づいてしまったのか、記憶の中に記録されていた煩い女の声と姿を幻視する。
(そういえば、今日は徹底的に甘やかすという約束だったな……)
無視したらまた烈火の如く怒り、キャンキャンと喚かれるのだろう。
それは敵わないと切り替える。
理由が3つもあるのならば、やらないわけにはいかない。
イメージ上のスターターを蹴り下ろし、戦意と心臓に火をいれ、眼に力をこめる。
そして、水無瀬を甘やかしつつゴミクズーを殺す効率のいい方法を考え、機を窺う。
「【
多数展開した種と呼ぶには大きすぎる光の弾を、地を駆けて迫る獣のシルエットをもつ四つ足の影に向けて、一斉に放った。
以前よりも上達したその攻撃魔法は真っ直ぐに狙った場所へと飛ぶが、しかしそこは1・2秒前に的がいた場所だ。
黒い獣は光弾を潜り抜けて水無瀬に飛び掛かった。
「わわっ⁉ 【
飛行魔法を使い背後へ下がることで獣を躱す。
1秒前に自分がいた場所を獣の前足から伸びる爪が空振ったのが見えた。
「……さいてき……、こうりつ……、よけい……、のぞく……」
上下方向の操作を捨てて、思考と操作のリソースを地面と水平方向の移動のみに絞ったことによって実用に足るようになった飛行魔法で的との距離をとる。
「マナッ! 上ッス!」
メロの声に反応して上空を見上げるともう一体の的である鳥の影がこちらに狙いを定めたことがわかった。
「まとと……、わたしを、つなぐ……」
そちらに向けて光弾を飛ばすが、動き続ける的は、狙いをつけて魔法を飛ばしそれが着弾する頃にはもうそこには居ない。
一直線に飛んでくる黒い影の鋭利に光る先端は嘴だ。
「げいげき……、ようい……だめっ! まにあわない……っ!」
周囲に展開だけしてストックしていた光弾を的に向かわせようとするが、数テンポほど遅い。
光弾の合間を縫った影に取りつかれる。
「ひぁぁっ⁉ あいたたたた……っ!」
カカカカカッと嘴で突かれながら魔法で奔る。
「マ、マナっ! 動くのはやめちゃダメッス! ネコが来るッス! このっ……! こいつっ! 離れろッス!」
もう一体の敵に視線を送りつつ、メロは水無瀬に纏わりつく鳥に「ていっ、ていっ」と猫パンチを繰り出す。しかしその腰は若干引けている。
「えっと……、はやく……、しゅうかん……っ!」
メロと鳥が「ふしゃー」「くぁー」と威嚇し合っている内に獣の方へ魔法をバラまこうとする。
昨日までの彼女では考えらないくらいに戦闘を行っている。
しかし、それにはまだ圧倒的に慣れが足りない。
水無瀬が対処するよりも速く、獣の方が接近してしまう。
「グルニャァァァーーっ!」
「ぅきゃぁぁーーっ⁉」
飛びかかってきた獣に思わず魔法のステッキを付きだすと、獣は水無瀬の腕に取りつきながらそのステッキをガジガジと齧る。
「わわわ……っ⁉ ガジガジしちゃダメぇーーっ!」
「こ、このネコやろうっ! はなれろッス! ジブンとキャラかぶってんッスよ! そこは犬とかで来いよッス!」
「ぁいたたたたっ! ツンツンもダメぇーーーっ!」
「クァーーーっ!」
カラスとネコ2匹を引き連れ、公園の広場をアイススケートのようにグルグルと周りながらキャーキャーと喚く。
こんな有様であるが、水無瀬さんは一応ピンチであった。
「――あっ! そうだ! これなら……っ!」
そのピンチの中で何かを閃いたのか、カラスのゴミクズーに突かれながら水無瀬は「むむむっ」と集中する。
すると周囲に6発ほどの光弾が現れる。
「ぐるぐるっ!」
えいっと力をこめると、その魔法の球は彼女の周囲をグルグルと周り始めた。
「クァーーっ⁉」
「ゥニャァー⁉」
「ふしゃーっ!」
強引な魔法の使い方で振り払われ、カラスとネコの影は不服そうに鳴きながら離れる。
最後のドヤ顏ふしゃーはメロさんのものだ。
腰抜け猫パンチで何の役にも立っていなかった彼女だが、自分のパートナーが敵を追い払ってくれたことでマッハでイキったのだ。
「さぁ、反撃ッス! 今度はこっちが追いかけまわしてやるッスよ!」
「えっ? えっ……? おいかけるの?」
「そッス! 行くッス! Go Go Go!」
問答無用に急かされ流された水無瀬は、自分の周囲に魔法の球をグイングイン旋回させながら逃げ惑う動物を追いかける。
「ふはははーッス! 逃げろ逃げろ逃げろー! 下賤なゴミクズどもめ! 己の矮小さを思い知って惨めに死んでいくがいいッス!」
「あわわわ……っ、これ、むずかし――あっ⁉」
絶好調で高笑いをあげていたメロだったが、乗り物担当の魔法少女が即行でミスを犯したため、すぐに顔色を変えることになった。
「ふぎゃぁーーーッス⁉」
まず旋回させている魔法球の操作を誤り地面を砕く。
砕けて飛び散ったアスファルトが進行方向に浮かびそれに顔面を強打する。
痛みはなくともそのショックでびっくりして、お目めをバッテンにして仰け反り今度は飛行魔法の制御を失う。
地面を派手に抉りながら横滑りしていき、最終的には身体半分が埋まるような形でどうにか止まった。
余計な魔法操作を捨てることで確保したリソースに新たな負荷をかければこうなるのは自明であった。
転倒した際に周囲に纏わりつかせていた光弾はそれぞれあべこべの方向に飛んでいき、子供たちが無邪気に遊ぶための遊具を木っ端微塵に破壊した。
無防備になった魔法少女に獣の影たちは悦びの声をあげて襲いかかる。
「ひぁぁぁぁっ⁉」
ギュッと目を瞑り頭を抱える。
しかし――
――想像していたような攻撃はこない。
恐る恐る顔を上げてみると――
「――いつまで寝ている。ここは戦場だぞ」
光沢のない見慣れた無機質さが自分たちを見下ろしていた。
左手で獣の首を地面に押し付け、右手で鳥の首を掴んで二体同時に拘束する。
いずれこのような状況に陥ると予測していたので、弥堂はクラスメイトの女の子を勝手に囮にして機を窺っていたのだ。
ぽへーっとこちらを見上げてくる緊張感のない顔を無感情に見下ろす。
「おい、なにをしている? さっさと殺せ」
「……えろえ……?」
「……なんだと?」
コテンと首を傾げ不思議そうに言葉を口にする彼女に眉を寄せる。
「えろえろ……? なんッスか、それ」
「え? んと、わかんない。なんかそう聴こえたんだけど……」
「こんな時にエロエロだなんて、魔法少女の活動中にえっちなのはダメッスよ」
「ちがうよ。えろえろじゃなくてえろえって聴こえたんだよ」
「えろえ……? あっ、エロ絵ッスね! どうしたんスか急に。絶体絶命のピンチの中で純粋な怒りから性に目醒めたんスか?」
「よくわかんないけど違うと思うの」
「じゃあ、やっぱりエロエロなんじゃないッスか?」
「そうなのかなぁ……」
「エロエロ……」
「えろえろ……」
そのまま意味もなく『エロエロ』を連呼し合う二人を弥堂は無視することにした。追及することにメリットを感じなかったからだ。
「おい、遊んでないでさっさとトドメをさせ。まだ戦いは終わってないぞ」
急かして緊張感を取り戻させることで、わけのわからないやり取りを強制終了させる。
「オマエ、今日もいつの間にか結界に這入ってきやがってッス。急に現れるのはビックリするからやめてくれッス。ねぇ、マナ?」
「え? 私わかってたよ? ちょっと前から弥堂くんが来てたの」
「マジッスか? 戦ってたのによく気が付いたッスね。ジブン全然わかんなかったッスよ」
「んとね、なんかお腹を押される感じがしてからプツンってなって。なにか挟まってる感じがして、あ、この感じと大きさは弥堂くんだなって思って。そしたらツルンって入っちゃったの」
「……な、なんか、そこはかとなくエロいッスね……、ハァハァ……ッ」
何故か興奮して息を荒げるネコと首を傾げたままぽけーっとするポンコツコンビへ胡乱な瞳を向ける。
「……戦う気がないのか?」
「あっ! そうだった……っ!」
ようやくハッと現状を把握しモタモタと彼女は立ち上がる。
「このまま抑えておくから魔法を当てろ」
「う、うん……っ!」
勢いよく頷いた水無瀬は何故か距離をとった。
弥堂は嫌な予感がした。
「おい、みな――」
「――いきますっ! 【
咄嗟に彼女を止めようとするが間に合わず光の弾を射出する魔法が発動する。
その魔法は真っ直ぐに飛んできて弥堂の顔面を直撃した。
「「――あっ⁉」」
ポンコツコンビが仰天する目の前で弥堂は背後へ倒れる。
その隙に二体の獣の影はギャーギャー鳴きながら逃げ出すが、今はそんなものに構っていられない。
「ギャァーーっ⁉ 少年のドタマがぶっ飛んじまったッスーっ!」
「あわわわわ……っ」
顔色を真っ青にして立ち竦んでいるとムクリと弥堂が起きる。
もともと光の少ないまっ平らな瞳をポンコツコンビへと向けた。
二人はガタガタと震える。
「びっ、びとうくん……、ご、ごめんね……? だいじょうぶ……っ⁉」
「はにゃにゃにゃにゃーっ⁉ 死体が……、死体が動いたッス……!」
弥堂は何も応えずまばたきを一度すらしないまま彼女らを視続ける。
「コワイコワイコワイッス……! バチクソぶちギレてるッスよ⁉」
「切れてるっ⁉ 血出てる⁉ うそっ……、たったたたたたいへんだぁーっ!」
パニックに陥る二人を視て、大袈裟に溜息を吐いて敵意を吐き出す。
反射的に殺しにかかりそうになったが、少なくとも水無瀬には悪意や敵意はない。わざと当てたのではないのだろう。
今日の彼女の戦いを見てしっかりと狙った場所に魔法を飛ばせるようになったのだと、そう判断した自分が迂闊であり間抜けであったのだ。
それに水無瀬を殺してしまえば、そもそもこの戦いに参加した意味すらなくなるし、このあとゴミクズーを処理する効率も落ちる。
そう考えて水に流すことにした。
「……落ち着け。死んでないし怪我もない」
「ほ、ほんとうにゴメンね……? わざとじゃないの」
「それはわかってる。もういい」
「……こう言っちゃなんスけど、なんで無事なんスか? マナの魔法はゴミクズーも大体一確するし、コンクリートだってぶっ壊すのに……」
「さぁな」
「あ、あのね? 弥堂くんに当たっちゃうって思って、それで『ダメーっ』ってお願いしたの」
「なんだそりゃ」
「魔法にお願いすると大体そういう感じになるの。今日はいつもよりもお願いを聞いてくれるから、本当に無事でよかったよ……」
「そんな……、いや、そうか」
「ウチのマナは天才ッスからね!」
謝罪をする立場でありながら踏ん反り返って他人の功績でイキる畜生を無視して考える。
『魔法にお願いすると大体そういう感じになる』
そんな馬鹿な話があるか、と。
そう言おうとしてやめた。
『今日はいつもよりお願いを聞いてくれるから』
続けて彼女はこうも言った。
確かに今日の彼女の魔法の行使には以前よりも上達が見られた。
昨日の催眠時に弥堂が教えたことが無意識下に残って、それが活かされているものだとばかり思っていた。
しかし、よく考えれば記憶が残っていたとしても、この不器用な水無瀬 愛苗に即日実行実現できるような器量があるはずがない。
だが、朧げな記憶のイメージで、『大体こうなるように』とそう願ってそれが実現されるのならば。
急に彼女が少しは実戦的に魔法を使えるようになったのも納得出来ないわけでもない。
もちろん。
願えば叶う。
そんな馬鹿なシステムが実在するのかという疑問に目を瞑れば、の話だ。
通常そんなことはない。
だが、全く在り得ないわけではない。
願えば叶う。
ごく稀に、ごく一部の者に、『世界』はそれを許す。
そういう存在がこの『世界』には存在する。
(こいつ――)
弥堂は目の前で申し訳なさそうに身を縮こまらせる存在を視る。
彼女が『そう』なのか、それとも彼女の魔法が『そう』なのか。
「ときに、水無瀬」
「うん、なぁに」
「今日は随分と調子がよさそうだな」
「えっ?」
「魔法だ。昨日よりも上達をしていたように見えた」
「あ、うん。えへへー、わかる? なんでかわからないけどすっごく調子がいいんだ。メロちゃんもキレてるって言ってくれたし」
「その割には誤射をするんだな」
「あぅ……、ご、ごめんなさぁぁぁいっ」
シュンとなる彼女に話を続けさせる。
「それはもういい。そんなことより、調子がいいとは具体的にどう調子がいいんだ?」
「うん、ごめんね? あのね、なんて言うか、今日は魔力がルンルンしてるのっ」
「……ルンルンとはどのような状態を意味するんだ?」
「えっ? どうなんだろう……?」
「わかんねえのかよ」
「えっとね、なんかねとっても軽くて早くてキュイーンってなるの! あとね、ぶわって!」
「……そうか。ちなみに普段ゴミクズーに魔法を当てる時はどう願っているんだ?」
「ふだん……? んと、ゴミクズーさんには『浄化してー』とか『いいこになぁれ』とか『救われてー』ってお願いして魔法してるかなぁ……?」
抽象的な言葉ばかりで、天才の言語は自分にはわからないということはわかった。
「あっ! あとねあとねっ!」
「もういい」
「あのね、なんかね今日は誰かの声が聴こえるの!」
「なんだと? 詳しく話せ」
「オマエ今『もういい』つったじゃねーッスか。なんて勝手な男なんスか」
呆れた目を向けてくる四つ足には眼をくれず、ジッと見つめ水無瀬の答えを待つ。
愛苗ちゃんはいっしょうけんめいにお手てをブンブン振って説明を開始した。
「えっとね、なんか『こういう風にしたらいいよー』みたいな声がしてね。そういう感じでお願いすると前より上手にできたの!」
「……それはどういう声だった?」
「んーー、よくわかんないんだけど、男の人の声だった気がする。ゴメンね、なんかあやふやなの……」
「それはいい。具体的にどんなことを言われた?」
「えぇっと……、ちょっと難しいことが多くて私にもあんまり理解できてなくって……」
「一番印象に残っていたのは?」
「なんだろう……、あっ! あのね、『効率』って言ってた! あれって魔法の声なのかなぁ……?」
「さぁ、どうだろうな」
(それは俺の声だ)
やはり催眠時の記憶が残っているようだ。
とりあえず、『声』とやらは関係なしに、彼女の魔法は願えばその通りの効果を発揮するらしい。
いまいち腑に落ちていないが、結局彼女の魔法は彼女にしかわからない。これ以上はこの場で確認するのは難しいかと判断をする。
(それにしても――)
考える。
ゴミクズーに当てる魔法に『浄化をしたい』と願えば一撃で滅ぼすような威力が実現され、弥堂に当たりそうになった魔法には『傷つけないよう』願いを込めたらその通りになった。
とはいえ、一撃で頭が吹っ飛ぶようなことはなかったが、なんのダメージもなかったわけではない。人間に殴られた程度の衝撃は受けている。
もしかしたら、威力の変更が効くだけで、彼女の曖昧な意思と命令で魔法が本来の性能を発揮していないのではないかと疑う。
実際に昨日の催眠下の彼女は、余計な思考や感情を排してただ殺すことだけを命令したら、『やれ』と言えば言っただけ鰻登りに威力を上げることが出来た。
想像に過ぎないが、彼女が魔法少女として完成するには戦闘に向かない思考をする彼女の人格が一番邪魔なのかもしれない。
もしも、『なんらかの手段』を以て彼女を――水無瀬 愛苗を必ず命令に従う殺戮兵器に仕立て上げることが出来れば、その時はこの世の多くのものを思うがままに出来るのではないかと、ふと思いつく。
弥堂自身には今のところ『それ』をする必要性が発生していないが、他に魔法少女の存在を知る者、これから知る者がいた場合、その者たちがどう考えるかはわからない。
考えていた以上に魔法少女とは危険な存在なのかもしれない。
さらに、彼女が先程言っていた『願えば叶う』――これが本当だった場合、『世界』が彼女にその許しを能えていた場合、その危険度は天井知らずに上がる。
それこそ、生かしてはおけないといったレベルにまで。
無意識に心臓に火が入り、彼女を写す眼にも熱が入る。
ドッドッドッドッ――と耳の裏で鳴り響く不快な鼓動を聴きながら、シャツの中に隠した胸元のペンダントへ伸びそうになる手の動きを努めて自制する。
(――今、考えても仕方がない、か……)
「それよりも、今はゴミクズーの処理が先か」
「自分から聞いてきたくせにエラそうッス」
「戦闘中だぞ。何故お前らはすぐに敵から目を離すんだ」
「あ、でもでも。今日は大丈夫だと思うっ」
「大丈夫……?」
「えっとね、あ、ほら、見てっ」
言われて水無瀬が指し示す方向へ目を向けると、先程逃げていった鳥と猫の影は、ゴミクズー同士で戦っていた。
「……仲間割れか?」
「あのね? 私がここに来た時にはもうケンカしてたのっ」
「そんなことがあるのか?」
「いや、ジブンらもゴミクズー同士のケンカとか初めて見たッスけど……、どうもあっちのネコの方がめちゃくちゃカラスにキレてるっぽくて」
「だからね、急いで結界して『ケンカはダメだよー』って言ったの!」
いっしょうけんめいに伝えてくる水無瀬を弥堂は胡乱な眼で見る。
「……それで? 仲間割れをしていた奴らがどうして結託してお前を?」
「えっとね、『仲良ししてー』って言ったけど聞いてくれなくて、それで私ね一回大人しくしてもらおうって思って、えいって魔法したら二人とも怒っちゃって……、って、弥堂くん? どうしたの? おなか痛いの?」
話を聞いている途中で額に手を遣って頭を抱えてしまった弥堂へ水無瀬は心配そうな目を向ける。
それが他意はなく、本当に心から心配しているのだということはもうわかってしまい、それがさらに弥堂に屈辱を感じさせた。
「……痛いのは頭だ」
「えっ? たいへんっ! メロちゃん、お薬なかったかな⁉」
「確か学校バッグの中に七海に貰った生理の薬が入ってたはずッス!」
「そうだった! 弥堂くんゴメンね? 今お薬出すからちょっと待っててね?」
「いや、いい。別に病気や風邪で痛むわけではないし、当然俺は生理でもない」
「そうなの……?」
「あぁ。ちょっと何を言っていいか。何から言えばいいかと悩んでしまっただけだ」
「そうなんだー。あのねあのねっ、私でよかったらお話聞くよ?」
「そうッス。遠慮しねぇでジブンらに相談するッスよ。どんなお悩みも魔法でパパっと解決ッス!」
(お前らが頭痛の原因なんだがな……)
そう考えつつ、しかし口には出さない。
何故か抵抗をする気力が失せてしまったので、屈辱ではあるが彼女らの厚意(?)に甘えることにする。
「……まず。何故奴らの戦いを止める?」
「え? だって……」
「……ねぇ? ケンカはよくねえしッス……」
顔を見合わせて共感する二人を引っ叩きたくなるがどうにか耐える。
「……奴らは敵だぞ。その敵が仲間割れをしてくれているんだ。放っておけば少なくともどちらか一方は痛手を負って弱るだろうが。何故そのチャンスを活かさない?」
「でもでも……っ! ゴミクズーさん同士なんだし、仲良しの方がいいかなって……」
「そうッスよ。それにこないだも言ったッスけど、オマエ考え方がセコいッス。そんなズルイのはダセェーッスよ!」
ピーピーと反論してくるポンコツどもに弥堂は酷く疲れを感じる。
きっと先日一緒にトラブルに見舞われた希咲さんも、弥堂と話すことで似たような疲れを感じていたのだが、そのことに彼が気付いて彼女に共感をすることは恐らく一生ない。
「……いいだろう。譲ってやる。ここでは仮に、あくまで仮にだが。ゴミクズー同士は仲良くした方がいいと仮にそういうことにする」
「わぁ。弥堂くんもやっぱりそう思うんだねっ」
「なんだよ。オマエ意外と話が――って、あいたたたたたッス!」
「メ、メロちゃぁーーんっ⁉」
弥堂は百歩譲って殺すのではなく、ネコ妖精の尻尾を踏み躙るだけに留めてやった。
「いいか? ポンコツども。仮に仲裁をするとしてそれで何故攻撃をしかける?」
「えっ? えっと……お話を聞いてもらおうと思って……?」
「攻撃を?」
「攻撃じゃないよ? お話聞いてってお願いしたのっ」
「……そうか」
背筋になにかがぞわっと走った気がしたが、気がしただけなら気のせいだと自分に言い聞かせ弥堂は質疑を続ける。
「それで? 仮に話が出来たとして、その後ゴミクズーをどうするつもりだったんだ?」
「うんとぉ……、いいこにしてってお願いしたいんだけど、みんないつも聞いてくれないから、どうしても聞いてくれなかったら、やっぱり浄化かなぁ……?」
「……話し合いを設けて、それによって奴らが仲違いを止め、それから二匹まとめて殺して、仲良く地獄に送ってやると……?」
「殺さないよぉ。浄化だもん」
「さっすがマナ! 優しいッスね!」
「……そうか」
それ以上の彼女への反論は自重した。
(こいつイカレてんのか?)
先程とは違った意味で彼女への危険を感じる。
そして仲間割れを続ける二匹のゴミクズーを視界に映しながら陰鬱な気分になる。
今回のゴミクズーは大したことはなさそうだと思ったが、それはそれとして意味のわからないカオスな状況に陥ってしまう。これではサクッと倒して仕事へ向かうなどという展望は今日も叶いそうにない。
魔法少女には願えば何でも魔法が叶えてくれるというのに、なんと不公平なことか。
誰に向けたわけでもない皮肉を思考の隅で独り言ちながらも、メインとなる思考回路は、これからどうやってあれらを殺すかという思考を勝手に始める。
鳥と獣。
二体のゴミクズーはギャーギャー、ニャーニャーと威嚇し合う。
弥堂は魔法少女姿の水無瀬と並んで立ち、ゴミクズー同士の戦いを観察していた。
といっても、それほど本格的な殺し合いにはなっておらず、地上に立つネコのシルエットを持つゴミクズーの上を、カラスのシルエットを持つゴミクズーが旋回して飛びながら、お互いに威嚇の鳴き声をあげているだけだ。
たまにカラスの方が高度を下げた時にだけ小競り合いが起きる。
そんな程度の戦いである。
つまり、すぐにどちらかが致命的な傷を負うような展開は期待出来ない。
「あわわわ……っ、たいへんだぁ……っ!」
「そうだな」
「止めてあげないと……」
「だから止めてどうすんだよ」
「でもぉ……」
「…………」
ふにゃっと眉を下げて見上げてくる少女に、弥堂は苛立つ。
「でも、じゃねえんだよ。おら、玉だせ」
「たま……?」
「あいつらの上に大量に出して玉を一気に降らせろ。点で捉えられないなら面で制圧しろ」
「たま……、てん……、めん……?」
「……的が一瞬の内で移動出来る範囲全てに魔法の球を同時にばら撒けば絶対に当たるだろう……?」
「あっ! そっか。そういうことか。弥堂くん頭いいねっ」
「…………上空に魔法を出して降らせろ」
「うん。でも、そんなにいっぱい出るかな?」
「大丈夫だ。出る」
「でるの?」
「あぁ、でる」
弥堂は辛抱強く彼女へ伝えた。
「あっ、でも……」
「……なんだ?」
しかし水無瀬さんには何か気に掛かることがあるようだ。
「あのね? ゴミクズーさん同士でケンカしてるところに、いきなりそんなことしたらズルくないかな?」
「……大丈夫だ。マリーシアだ。必要なことだ」
「まり……?」
「なんでもない。それはいい方のズルいだから大丈夫だ」
「いい方なの?」
「あぁ」
「そっかぁ」
基本的にテキパキと物事が進むことを好む弥堂は、水無瀬の振りまくぽやぽやした空気感に、希咲を相手にするのとはまた別種のイライラを蓄積させていく。
そしてそれはもうオーバーフロウ直前だ。
「いいからとっととやれ。そもそも殺し方を選べる余裕がお前にあるのか?」
「え、えっと……、あのね? 殺すんじゃなくってじょう――」
「――それはもういい。どうしてもっと上手くやろうと工夫をしない? さっきも見ていたが、高度の調節を捨てて飛行魔法の制御をしやすく改善したんだろう? なのに何故また余計な魔法の操作を……、チッ」
一気に捲し立てようとしかけ、ふにゃっと眉を下げた彼女の顔を見てハッとなる。
そういえば今日は彼女を甘やかすのだったと。
うっかり詰め倒してしまっては約束が反故になってしまうところだった。
「弥堂くん……むぐっ――」
言葉の途中で黙ったことで不思議そうに顔を覗き込んできた彼女の口に、誤魔化すように飴玉を突っこむ。彼女には糖分が必要だと思ったからだ。
また脈絡のない行動に出た男を怪しんで、メロはほっぺをもごもご動かす水無瀬に心配そうに声をかける。
「マナ大丈夫っスか? なに突っ込まれたんスか?」
「アメもらったぁ」
「なんだアメちゃんッスか。いいモン持ってんじゃねえッスか少年。ジブンにもくれッス」
「お前は煮干しでも食ってろ」
「なんッスかそれ! ジブンがネコさんだからってバカにしてるんスか!」
「違う。例えお前がネコさんじゃなかったとしても、俺はお前を見下すし、馬鹿にもする」
「なぁーんだ。それなら……、いいわけあるかぁーッス! もっと悪いじゃねえッスか、このヤロウッ!」
「いいからあっちへ行け。俺は今日はこいつを甘やかす日だと決めているんだ」
「……なんでそんな日が存在するんスか……。オマエの一週間ルーティンは一体どうなってんスか」
「うるさい黙れ」
「ギュにゃぁ―――ッス⁉」
弥堂は煩いネコの口に酢こんぶを突っこんで追い払った。昼に使って少し残っていたので邪魔だったのだ。
口内に異物を混入されたメロは粟を食って何処かへ走っていった。
「よし、水無瀬。トレーニングだ」
「とれーにんぐ?」
「そうだ。お前に動く的の狙い方を教えてやる」
「わぁ。ありがとう」
魔法を使えない男から偉そうに魔法の当て方を教えてやるなどと言われても、よいこの愛苗ちゃんはきちんとお礼が言えるようにご両親に育てられていた。
「とりあえず。狙った場所に大体真っ直ぐ飛ばせるようにはなっているな?」
「うんっ」
「俺に当てた時は何故操作を誤った?」
「ご、ごめんねっ。あのね――」
「――責めているわけではない。ただ、自分でミスをした原因がわかるか? と訊いているんだ」
「う、うん……、ちゃんとはわかんないんだけど。魔法を撃つときに動けない子に魔法を当てるのはカワイソウかなとか、ズルイのかなとか色々考えちゃって……、それで失敗しちゃったのかも……」
「……そうか」
(『願えば当たる』のなら、その願いの純度が濁ると魔法の効果がブレる、と考えればいいのか……?)
つまりは極力彼女が魔法を行使する際には迷いを抱かせないことが重要となるのだろう。
その為には――それを考えながら弥堂は水無瀬に敵の殺し方を教えていく。
「……そうだな。とりあえずミスがない前提で話す」
「うん。ありがとうっ」
「まだ何も言っていない。先程だが、外れた魔法は大体1秒か2秒前に的がいた場所を通り抜けたな。俺にはそう視えたんだが、その認識で間違いがないか」
「うんっ」
「そうか。では、そのラグがお前が魔法を撃ってから着弾するまでの時間だ。意味はわかるか?」
「えっと……、あ、そっか。魔法を撃つ瞬間にゴミクズーさんが居た場所を狙ったから、動いてる子には当たらないってことだよね?」
「そうだ。お前は賢いな。ふ菓子をやろう」
「んむぅっ⁉」
弥堂はお利口な生徒さんへのご褒美として、黒光りした立派なふ菓子をお口に捻じ込んでやった。
めいっぱい口を開かされたことで目を見開いて驚く彼女を無視して、相手のことを慮らない身勝手な男は解説をする為に舌を動かす。
「つまりだ。逆に考えれば1秒後に相手がいるであろう場所を狙えば当たるということだ。わかるか?」
「ぅぐぅぐっ」
いっしょうけんめいにふ菓子をむぐむぐしながら水無瀬は頷く。その理解に満足そうにコクリと頷き弥堂は続ける。
「例えば、あの鳥を見ろ」
上空を旋回するカラスのゴミクズーを指差す。
水無瀬さんのお口のふ菓子が仰角を上げた。
「一見すると派手に動き回っているように見えるが、その実ただ8の字に周っているだけだ。その軌道が読めれば1秒後、2秒後にヤツがどこに居るか。何となくは読めるだろう?」
「ぅむ……、んくっ。うん、わかるよっ」
「お前が魔法で狙うべき場所はそのポイントだ。1秒先、2秒先の敵の姿を見れるようにしろ」
「ふわぁ、そっかぁ。そんなこと考えたこともなかったよ」
「これは射撃に限らず、戦いにおいてとても重要なスキルだ。より先の世界を見通せるものが戦いを制す」
「弥堂くんはすごいね! いっぱい考えてるんだねっ」
「……そうでもない」
自分の師であるメイドさんにかつて教わったことをほぼそのままJK相手に語っていた男はフイと目を逸らした。
「……次に重要なことはなんだかわかるか?」
「え? えっと、なんだろう……?」
「弾速だ」
「だんそく……」
ゆるゆるな復唱をする彼女の目の前に人差し指を立てた右手と左手を出してやる。
「いいか、こっちの左手が敵だ。1秒後にはここまで動く。こいつにこの右手の魔法を当てるためには、こっちも1秒後にはここのポイントに到達してなければならない。わかるな?」
「あ、うんっ。速かったり遅かったりしたら外れちゃうもんね」
「その通りだ。だから自分の魔法が撃ってから狙った場所までに辿り着く時間を自分で把握してなければならない」
「うんうん」
「理想は弾速を自由自在に変えられることだ。相手も先を読んでくる場合は一定の速度だとかえって避けられやすい。しかし、これは応用だ。お前の場合はまずは、速度は一定でもいいから自分の狙った場所に狙った時間で到達させることを心掛けろ」
「……うんっ。わかったよ」
耳から入ってきた情報をじっくりと咀嚼するように頷く彼女をジッと視る。本当に理解しているのかと疑っている。
「でも一生懸命狙い過ぎて『むむむっ』ってし過ぎると威力とスピードが落ちちゃうかも。当たっても効かなかったらどうしよう?」
「あぁ。それはとりあえず当てられるようになってから考えればいい。今日のゴミクズーなら当たればどうにかなるだろ。先程交戦した感じ、弱い個体だと俺は判断したがそれは間違いないか?」
片腕で一体ずつ簡単に拘束をすることが出来た。路地裏のネズミを一体抑えるのにはもう少し苦労したが、今日の相手は同じ大きさの動物と大して変わらないように弥堂には思えた。
その評価は間違っていないようで、水無瀬も首肯する。
「うん。あってると思う。今日の子たちは大人しい子たちだと思う」
「……大人しくはないだろ」
相手を傷つけないようにと配慮の行き届いた彼女の評価に呆れつつ、続ける。
「あのギロチン=リリィはともかく路地裏のネズミと比べても大分弱い気がするんだが、ゴミクズーとは個体ごとの強さにかなりのブレ幅があるものなのか?」
「んとね、私が出会った中だと……、大体ネズミさんくらいかなぁ……? ギロチン=リリィさんみたいなのは私も昨日が初めてだったよ」
「そうか。昨日の花は『ネームド』……? だったか? 強いことに理由があるようだから別にいいんだが、今日のヤツは何故こんなに弱いんだと思う?」
「えっ? どうしてだろう……、あっ、そういえばメロちゃんが『為りたて』って言ってたかも!」
「為りたて……? それは生まれたてだとか、ゴミクズーになったばかりという意味か?」
「たぶんそうだと思うっ」
「…………」
おそらく後者だろうなと心中で予想する。
生物的な意味で生まれたということなら親が近くにいないのはおかしい。
何かが変じてゴミクズーになったというのなら想像のしやすい話にはなるかもしれない。
(そういえば……)
今朝学園に登校するために家を出たところで大家さんに捕まり、ゴミ捨て場のカラス避けのネットが破壊されていたがまたお前がなにかやったのかと濡れ衣を着せられ、強い剣幕で詰問をされるという出来事があった。
カラスにやられたという発想にならなかったのは、大家さんはカラスに対して特別に憎しみを抱いている個体なので、自身の管理する物件のゴミ捨て場には特注の強固なネットを配備しているのだ。
弥堂の住むアパートの近くはカラスが多いので、その判断自体は別に間違いではない。
普通のカラスが何体でかかってきても壊せない理由があり、そしてそれでも壊れたからこそ弥堂が疑われたという理屈だ。
しかし弥堂にはゴミ捨て場のネットを破壊する理由がないので自分の犯行ではないと懇切丁寧に説明をした。
だが、それでもわかってもらえなかったので大家さんの顎を拳で打ち抜き、気を失った彼をゴミ捨て場に捨て、そっと特注のネットを被せてから登校をするという一幕があった。
何故自分が疑われるのかという点については、弥堂には皆目見当がつかなかったが、それを説明してもわからないのであればもう暴力を奮う以外に彼に出来ることは何もなかった。
ネットを破壊してでもゴミに用があるなどそれこそカラスか野良猫くらいであろう。
今ふとその出来事を思い出した。
普通でないカラス。
普通でないネコ。
(まさかな)
根拠が薄く繋がりの細い想像を脳裏から追い出し、目の前の水無瀬に眼を向ける。
目の前の出来事の方が優先度は高いし、もしも仮に『そう』だったとしても、ここで殺してしまえば結局は全て解決する。
「……では、実際のイメージだが……、そうだな……」
言いかけて考える。
次は彼女が魔法を使う際の迷いを払拭させる方法だ。その為には、攻撃をするという行為をなるべくポップなイメージで伝える必要がある。
しかし、それを考えようとしてすぐに、それは自分という人間には徹底的に不向きであると気が付いた。
迂遠な言い回しを嫌い、直接的であればある程に効率的であると考える弥堂には中々に難しい。
しかし、黙っていても仕方がないので、とりあえず適当にやってみることにした。
「……そうだな。お前の魔法はただのボールだとでも思え」
「ボール……?」
「そうだ。そのボールを相手に渡すだけ。要はパスだ。何かしら球技をやったことあるだろ?」
「きゅうぎ……、あっ、こないだ体育でバスケやったよ! 男子はなにやったの?」
「隣のコートで俺たちもバスケしてただろうが。だが、ちょうどいい。走っている相手にパスをする練習くらいしただろ。あんなイメージだ」
「うん。でも……」
「なんだ?」
「あのね? 私バスケへたっぴで……」
「あぁ……」
弥堂は察した。
そういえば彼女は運動神経が壊滅的だったと思い出す。球技で例えたのはもしかしたら逆効果だったかと懸念をするが――
「――でもね? ななみちゃんは上手なの……って、そうだ! ねぇねぇ聞いて、弥堂くんっ! ななみちゃんスゴイんだよ!」
「お、おい――」
素直に「うんうん」とお話を聞いていた愛苗ちゃんであったが、急に大好きな親友である七海ちゃんのスゴイとこを思い出して、それを弥堂くんに教えてあげたい気持ちが爆発し、一気にテンションが上がる。
その勢いは、街のヤクザや警官に『狂犬』と畏怖される弥堂を以てしても気圧されるほどだ。
弥堂はすかさず白目になり、女の話に自動で肯定の意を示すスキルを発動させた。
堰を切ったように怒涛の『ななみちゃんトーク』が水無瀬によって繰り出される。
「――あのねあのね? ななみちゃんって運動も得意じゃない? やっぱりバスケもすっごく上手でね? 多分クラスでも一番上手なんだよ! 知ってた?」
「……あぁ」
「やっぱり! ななみちゃんすっごく足が速くて、ボール使うのも上手で、いっぱい活躍してたもんね。男の子たちもみんな見てたし、弥堂くんも見てたんだね! ななみちゃんが可愛くてカッコいいから見てたの?」
「……キミの言うとおりだ」
「でもね、私はへたっぴでね? せっかくパスしてもらってもちゃんとキャッチできないの。えいって手を伸ばすんだけどね、いつもスカッてなっちゃうの。だからね、ボールが顔か胸に当たってどこかにいっちゃうの。どんくさいよね」
「そうだな」
「あとね、パスするのも苦手で。ボールが変な方にぴゅーっていっちゃったり、そもそも届かなかったりしちゃって。いっつも同じチームの子に迷惑かけちゃってるの。『ごめんね』って言うんだけど、みんな優しいから『いいよー』って言ってくれるんだけど、でも悪いなぁって思うからもっと頑張らなきゃって……」
「キミは素晴らしいな」
「だけどね、ななみちゃんスッゴイんだよ? 私がぴゅーってどっかにやっちゃったボールもヒュンッてなってパッてとっちゃうし、届かない時はね、近くまで取りに来てくれるの。あとねあとねっ、たまに私がボールをキャッチできちゃってDFの人に囲まれちゃって『どうしよう⁉ あわわ』ってなっちゃったら、ガルルルルッてDFの人から守ってくれるの! 弥堂くんもななみちゃんスゴイって思うよね?」
「バスケはそういうもんじゃねえよ」
「え?」
「チッ」
内容がない上に長そうな話だったので、すかさずオートモードでの応答を開始した弥堂だったがつい反論をしてしまう。
希咲がべた褒めされている話を聞いていたら何故か酷く気分を害しイライラしてしまったので、オートモードのパフォーマンスが低下したためだ。
「……なんでもない。だが、言いたいことは大体わかった。もういいか?」
「うん。あ、でも待って。あともう一個っ!」
「…………」
弥堂は再び白目になった。
「あのね。一個気になったことがあってね。ななみちゃんこないだの授業ですっごいシュート入れたじゃない? なんだっけ? あのピョーンって飛んでゴールにガンってするやつ」
「……ダンクのことか?」
「多分そうっ! スゴイよねっ。ななみちゃん魔法使えないのに魔法みたいでカッコよかったよね!」
「……なにか気になることがあったって話じゃなかったか?」
「そうだった! あのね? だんく? した後にね、ななみちゃんシュタって着地したんだけど、なんかハッてなってキョロキョロして身体抑えてピューって走っていっちゃったの。なんか慌ててたみたいで」
「……どうせ便所だろ」
「うん。私もおなか痛いのかなって思って。でもお腹じゃなくってお胸抑えてたようにも見えて……。もしそうだったら大変だぁって私焦っちゃって……」
「ほう。胸だと?」
あの異常な身体スペックを女子の体育なんかでフルに発揮されたら他の者は堪ったものではないだろうなと、適当に聞き流していた弥堂だったが『希咲 七海の胸』というワードに一定の興味を示す。
「あ、うん。体育館から出てっちゃったからどうしようってなって。お胸痛いんだったら私一応お薬持ってるから渡してあげようって思って追いかけたんだけど、ほら? ななみちゃんすっごく速いから追いつけなくって」
「それで?」
「結局渡せなかったんだけど、私が迷子になってる間にもうななみちゃん戻ってたみたいで、逆に私のこと迎えに来てくれたんだけど、その時はもう普通に戻ってて」
「だろうな」
体育の授業にすら念入りに重装備で挑んだ少女のことを考え、弥堂は内心でほくそ笑み、何故か溜飲が下がった。
想像するに――水無瀬の前でいいところを見せようと大いに張り切り、派手なプレーを選択し激しく動きすぎたが為に胸パッドが外れ、そしてそれを直す為に隠しながら半ベソで無様に逃げていったのだろう。
戦闘のプロフェッショナルを自称している弥堂 優輝は、戦場に於いてクラスメイトの女子の胸パッドが取れてしまうシーンを想像し、先日同様の事態が起きた時の彼女の泣き顔を思い出しながら僅かに口の端を持ち上げた。
「どうしたのって聞いたんだけど、なんでもないって言ってて。心配だったけどその後また試合出ていっぱいシュート決めてたし、私の考えすぎだったのかなぁって」
「いや、そうとも限らないぞ。心配し過ぎて足りるなどということはない。たった一度見過ごしただけでもう二度と会えなくなることもある。あいつが帰ってきたら徹底的に追及するべきだ。念入りにな」
「そう、なのかな? もしかしたら聞かれたくないことかもしれないし。私の勘違いとか思い込みでしつこくしちゃったら可哀そうだし……」
「大丈夫だ。キミは一番彼女と一緒にいるんだ。そのキミが気付いた違和感が勘違いなはずがない。例え思い込みだったとしても、キミに心配されてあいつが嫌な気分になることはないだろう。断言する。それにあいつはメンヘラだからな。心配されることを快感とさえ思うような浅ましい女だ。キミに心配されたらきっとヨダレを垂らしながら…………、どうした?」
ここぞとばかりに希咲を追い込むための嘘を水無瀬に吹き込んでいた弥堂だったが、その水無瀬が不思議そうに自分の顔を見ていることに気づく。
「ううん。ただ……、弥堂くん、なんかうれしそう……?」
「おい、思い込みでふざけたことを言うな。そんなわけがないだろう。俺があいつのことで何か嬉しくなるなどということは一切ないし、それはこの先も金輪際ありえない。いいか? お前が何を見て何を感じ何を思おうと、現実にそのような事実が存在しなければそれは共有される共通認識にはならない。お前の妄想の中だけの出来事だ。ちょっと思いついただけのことを簡単に口に出すな。二度と無責任なことを言うなよ」
一転して気分を害したパワハラ男はコロッと論調を変え饒舌に喋った。
そこにどこかへ走り去っていたメロが戻ってくる。
「エ、エライ目にあったッス……」
「あ、メロちゃんおかえり。おトイレ行ってたの?」
「ただいまッス。砂場じゃないッス。水場に行ってたッス」
「お水飲んでたの?」
「いや、口をゆすいで来たんスよ……、おい少年、このヤロウッス!」
「なんだ」
にこやかに水無瀬に応対し、そして露骨に弥堂へ向けて語気を荒げる。
「オマエーっ、シャレにならんことしてくれたのうッス!」
「何の話だ」
「何、じゃねえんスよ! 酢こんぶなんぞ食わせやがってどういうつもりッスか! 考えうる限り最悪の組み合わせッス!」
「意味のわからんことを言うな」
「意味わかれよッス! 昆布も酢も、我々ネコさんにとっては良くないものなんッス! オマエらが当たり前に食ってるモノがオタクのネコちゃんにとって害になるものではないかどうか、ちゃんと成分を調べてからエサをくれやがれバカヤロウッス!」
「お前らは昆布や酢が弱点なのか?」
「弱点と捉えるんじゃねえッスよ、このイカレ野郎っ! 酢はもう臭いがアウトだし、昆布も食べ過ぎたら尿路結石とかになっちゃうッス! どうしてもあげるなら柔らかくして少量だけに留めて下さい。乾燥昆布をそのまま与えると我々喉が傷ついてしまうので充分にご注意くださいッス!」
「なんだ。少量なら問題ないんじゃないか。大袈裟に騒ぎ立てて実際には存在しない被害を作り出そうとするとは。その程度でこの俺から賠償金がとれると思ったか。薄汚い三流詐欺師め」
「どうして一言ゴメンなさいって言えないのーッス!」
弥堂は被害者ビジネスをして金をたかって来る恥知らずを一蹴した。こういった輩には毅然とした態度で接し、僅かばかりも譲ってはいけないということを自身の経験から熟知していた。
「まぁいい。どうせお前を告訴しても金にならんからな。今日のところは見逃してやる」
「え? この人なんで自分が被害者だと思ってんのッス? こわいんだけどッス」
「うるさい。こちらは今重要な話をしているんだ。四つ足風情は砂場で穴掘りでもしていろ。失せろ」
「こ、こんな愛くるしいネコさんにどうしてそんなヒドイことが言えるんスか……」
反論が出来なくなって同情を誘い感情論に持っていこうとする卑怯者を無視し、弥堂は水無瀬の肩に手をのせて彼女の身体を動かし、的の方を見るよう促す。
「では実践だ。鳥の方を狙え。軌道をよく見て1・2秒後にヤツがいる場所を予測してそこを狙って撃て」
「うん…………、ちょっと難しいかも……? うまくイメージできない」
「イメージか……、そうだな。予め相手の進行方向に魔法を置くというイメージではどうだ?」
「置く…………おく……、う~ん……」
以前に銃で殺し合うゲームにおける偏向射撃というものについて、廻夜が語っていたそれっぽい話をしてみたが、水無瀬さんは難色を示した。
「では……、的とお前の魔法、それらは点だ。移動することによって線になる。その線は2秒後に同じ地点に吸い込まれて交わる。これでどうだ?」
「線……、あ、でもななみちゃんも同じこと言ってたかも!」
「希咲だと? じゃあ駄目だ」
「なんでぇっ⁉」
せっかく親身になってレクチャーしてやっていた弥堂だったが、希咲の名前を聞いたことにより気分を害した。
「あのね? バスケのパスのこと教えてもらった時なんだけど、ボールと人が待ち合わせする感じって言ってたの!」
「あぁ……、要はスルーパスだな。最初の話と同じだ。何秒か先に味方が到達するであろうスペースにパスを出すことだ」
「するーぱ……?」
「いや、なんでもない。忘れろ」
「するーぱ……、あっ! スーパーってこと?」
「違う。なんでもないと言っているだろ。忘れろ」
「あいたぁっ⁉」
強引に誤魔化そうと弥堂は水無瀬の頭をペシッと引っ叩く。
すると――
「オマエェッ! またマナに乱暴な……、こ……、と…………」
すかさず彼女に忠実なペットが抗議の声をあげるが、既視感たっぷりに言葉尻が消えていく。
茫然と空を見上げるメロの視線を弥堂も水無瀬も追う。
鳥のゴミクズーが飛ぶ位置よりも上空に夥しい数の魔法球が展開されていた。
「…………」
「…………」
「…………」
3人ともその光景を無言のまま真顔でジッと見る。
その魔法の真下にいるゴミクズーたちは気付かずにまだ争っている。
「訂正しよう」
「え?」
「水無瀬。お前はスーパーだ」
「あ、やっぱりスーパーって言ってたんだね。あっ! そういえばね、スーパーで思い出したんだけど、この間ななみちゃんと一緒にスーパーにお買い物に行った時なんだけど……、あのね? きいてきいてっ――」
「――うるさい」
また無意味な長話を聞かされては堪らないと、弥堂は反射的に彼女の頭を引っ叩いて止める。
すると、上空の魔法の数が増殖する。
「…………」
「…………」
「…………」
3人ともその悍ましい光景を無言のまま真顔でジッと見た。
「……よし、水無瀬。あれを真下に撃ち落とせ」
「えっ⁉ 狙う練習は……?」
「それはまたの機会だ。それに最初に面を制圧しろと言っただろ。これがそういうことだ。やれば出来るじゃないか」
「え……? えと……、でも……」
「さらに、線だろうが面だろうが、それは戦いを終わらせる為の一手段に過ぎない。それよりももっと優先されることがある。戦いにおいてもっと大事なことだ」
「ゆうせん……?」
「それは、殺せる時に殺せ、だ。覚えておくといい」
まだ何かを言い募ろうとする彼女を無視して再度頭を引っ叩く。
すると、上空に待機していた魔法の球が一斉に地に降り注いだ。
同士討ちをしていたゴミクズーたちは阿鼻叫喚となる。
「あわわわ……っ⁉」
自分の魔法の誤発動によって齎された光景に焦る水無瀬の姿を視ながら、弥堂は何故この誤発動の現象が起きるのかを考える。
そもそも頭を引っ叩いたら魔法が発動するとは思っていなかったのだが、実際に何度も起きているのならある程度再現性のある現象なのだろう。
本当に彼女の魔法が『願えば叶う』というものならば――それを前提に考えてみる。
『ああしろ』、『こうしろ』と言われた時点で頭の中にそのイメージが作られ、その時点で魔法としてある程度出来上がっているのではないかと仮定する。
最終的に『やる』か『やらないか』という水無瀬の意思が引き金になって現実に現象として発現するのだろう。
実行しなかったとしても弾丸は込められたまま残っているのかもしれない。
実際に物理的に何かがストックされているわけではないと思うが、彼女に強く印象を残したものはイメージがこびりつき、不意に何かの拍子で漏れ出すことがあるのではないか。
例えばいきなり頭を叩かれた時など。
これが『頭ぺちん』のメカニズムだと適当に
(頭を叩いたら魔法が出るとか馬鹿にしてんのか)
自分でやっておきながらそのふざけた現象に苛立ちつつ、もしも本当にそうならやはり魔法少女は危険極まりないなと結論する。
そんなことよりも目の前の敵だと爆心地への意識を強めると、2体のゴミクズーが奇声を発しながら逃げ惑っていた。
まだ一発も直撃はしていない。
個体として弱いことは幸いだったがその分サイズが小さいことが弊害となっている。
(もっと数を増やさせてから撃つべきだったか……、というか、一発でも当たれば殺せるのなら一発のサイズを小さくして数と密度を増すようにイメージさせれば……、いっそ水蒸気や粉末状のものを撒き散らして毒ガスのように運用できた方が効率よく殺せるかもしれない……)
物騒な新魔法を脳内で開発しつつ、次の状況に備えて心臓に火を入れる。
まもなくして死の雨が降り止むと2体のゴミクズーがこちらへ向かってきた。
怒りに血走らせた目玉が嵌め込まれた黒い影のシルエットの肉体はいくらか損傷している。
直撃こそ免れたものの地面や周囲の物が破壊された余波で間接的にダメージを負っていた。
手傷を負ったことで敵意の向け先が完全に魔法少女に変わったようだ。
それも当然だろう。
あんなふざけた形で魔法などという力を奮われては生かしてはおけないと考えるのは普通のことだ。
弥堂はゴミクズーとかいうふざけた名前の謎の化け物に共感を示した。
やがて
その嘴と爪の向き先は――弥堂だ。
その凶刃を瞳に写し毒づくように唇を動かしながら水無瀬を突き飛ばした。
「びっ、弥堂くん……っ⁉」
焦燥する水無瀬の叫びと同時に二つの影が上から弥堂の顔を塗り潰す。
思わず水無瀬が目を瞑るとグシャァっと鈍い音が鳴った。
最悪の映像を想像して彼女はすぐに目を開こうとするが――
「――目を瞑るのは癖か? 戦いの中でそれは最悪だ。目を瞑ることを許されるのは殺されてからだ」
驚きによって目を見開くことになる。
ゴミクズーに覆い被さられたはずの弥堂が、一瞬のうちに何故か上下が逆転して先の戦いの時のように2体ともを取り押さえている。
その姿を呆然と見ていると彼の目が怪訝そうに細まる。
「聞いてんのか?」
「……えろえ……?」
「……ちょっと何を言ってるのかわからないな」
コテンと首を傾げながら譫言のように出た言葉はどうでもよさそうに流した。
「そんなことよりトドメだ。これも重要なことだ。トドメを出し惜しんだり躊躇ったりするな。即座に殺せ」
「えっ? あ……、うん……っ!」
わけがわからないまま促され水無瀬はステッキを構える。
弥堂が押さえつける2体の化け物がギャーギャーと喚き一層抵抗を強めるのを体重の行き先を操り封じ込めた。
「今度は外すなよ」
「う、うん……」
「あんまプレッシャーかけるんじゃねえッスよ! ウチのマナはもっとノビノビやらせてあげた方が伸びるんス!」
ネコ妖精の抗議の声を聴きながら、水無瀬は「むむっ」と集中し光弾を創り出す。
ネコ妖精のしっぽがゆらりと揺れたのが視え、それから水無瀬の魔法は放たれる。
その光弾は真っ直ぐ弥堂の顔面に吸い込まれた。
「「あっ⁉」」
ポンコツコンビは驚いているが、弥堂は『なくはないな』と予測していた部分もあったので、魔法に撃ち抜かれたショックで上半身を仰け反らしながらも今度は捉えたゴミクズーどもを逃がさなかった。
そのゴミクズーたちは今しがたまでギャーギャーと喚いていたが、今はどこか気まずそうに2体ともオロオロとしている。
弥堂はムクリと身体を戻した。
「び、弥堂くん……、あの――」
「――もう一回だ」
「――えっ?」
ビクビクしながら謝ろうとした水無瀬だが、極めて平坦な声で言葉を被される。何を言われたのかすぐには理解できずに口を開けていると――
「――もう一回だと言ったんだ。当たるまでやるぞ」
「あ、あの、でも……その、ゴメン――」
「――謝罪をするなら、俺に当てたことじゃなく、トドメを外したことを悪いと考え反省しろ」
「う、うん……、でも、その前にだいじょう――」
「――どうでもいい。殺せ。さっさと殺せ。どうしてこの距離で外す? ナメてんのかテメェ」
「ゴ、ゴメンなさいぃーーっ!」
「や、やっぱめちゃくちゃキレてるッスよ!」
それ以上は問答に取り合わず、光沢のない瞳の圧力で追撃を催促する。
水無瀬は「はわわわ」っと次弾を準備した。
『殺す』じゃなくて『浄化』だと主張したかったが、それを言い出せる空気でないことは彼女にもわかった。なんなら若干『殺す』という言葉を聞くのにも慣れてきてしまっていた。
「マ、マナ……っ、落ち着いて撃つんスよ……? 次は多分エロシーンに移行しちゃうッス」
「う、うん……っ! 私がんばるねっ……!」
「い、いや多分あんまり頑張らない方が……」
何か嫌な予感がしたメロは、ゆらりとしっぽを揺らし水無瀬を止めようとするが、その前に魔法は発射されてしまう。
そしてその魔法はやはり弥堂の顔面をぶちぬいた。
『…………』
一同は言葉を失い、またも上半身を仰け反らせた弥堂を見る。
弥堂はたっぷり何秒かその姿勢を維持し、なるべく感情が動作に表れないよう意識しながら身体を戻す。
ポンコツコンビはビクッと体を跳ねさせた。
「…………」
何かを言おうと思ったが、罵詈雑言以外には特に何も思い浮かばなかったので弥堂も無言で彼女たちを視た。
すると、弥堂の鼻からツッと一筋の血が流れ出る。
水瀬たちはガタガタと震えた。
「どうした? 次だ。さっさとしろ」
「しょ、少年? そ、その……」
「だ、だいじょうぶ……?」
鼻血を垂らしながらまばたきもせずにジッと視線を向けてくる男に二人は恐怖した。
「大丈夫、だと……? 意味がわからんな。敵が生きていて大丈夫なことなどこの世に一つもない」
「で、でも……、私、ごめんね……?」
「謝る前に殺せと言っただろ」
「しょ、少年、ここはどうかひとつ落ち着いて……、キレねえで欲しいッス……」
「キレる? 意味がわからんな。今日は甘やかす日だと言っただろ? だからお前らを殺すようなことはしない」
「そ、それって甘やかす日じゃなかったらブチ殺すってことッスよね⁉」
「ご、ごめんなぁいぃぃーっ!」
ビクビクしながら謝る彼女にフラットな眼を向けていると、今回は拘束を弱めてしまったのか、ゴミクズーたちが体を起こす。
抵抗するか逃げ出すかと警戒を強める弥堂だったが、化け物たちはどれとも違う行動に出た。
カラスもどきはそっと羽を伸ばし慈しむように弥堂の頬を撫で、ネコもどきは顔を突き出し労わるように弥堂の流血する鼻を舐めた。
ビキッと弥堂の頬が吊った。
右手で握った鳥の首を振り上げ、鋭利な嘴をネコの目玉に突き立てた。
「ひぁぁぁぁーーーっ⁉」
「ふぎゃぁぁーーッス⁉」
ザクザクと無言でネコを滅多刺しにする。またも始まった唐突な残虐ショウに少女たちは悲鳴をあげた。
痛みに苦しむ声を出すネコの口にカラスの翼を突っ込むと一部が食いちぎられた。新たな絶叫が響く。
顔を庇って丸まるネコの背中にカラスの嘴で穴を空け続けていると、不意にネコの身体上に透明な板の様なモノが出現し、嘴を止められる。
「やれやれ、ですね。ゴミクズーが2体暴れていると言うから様子を見に来てみれば。今日もおかしな状況になっているようですね」
呆れたような声とともに一人の男が現れる。
「あまり過激なことは困りますよ。こちらにもコンプライアンスというものがあります……」
黒いタキシードのようなスーツを来た銀髪の男。
見た目は人間と見分けがつかないその男は、悪の中間管理職アスだった。
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