1章30 『nothing day』

 その後、授業が開始されても地獄のような空気は続いていた。



 例えば、3時限目――



「あのね、弥堂くん? これじゃ尖りすぎだと思うの」

「あぁ、これでいいんだ。いざという時はこれで目を狙え」


「えっ⁉」

「これくらい尖らせておけば別に力を入れなくても眼球に傷をつけられる」


「そ、そんなの危ないよっ!」

「あと、不意に腕を掴まれた時などもこれで引っ掻いてやれば、相手が素人なら驚いて拘束を解いてしまうこともある」


「――堂っ、おい弥堂……っ!」



 苛立ったような声で名前を呼ばれ、弥堂 優輝びとう ゆうきは顔を上げる。



 本来、授業中に話しかけられたとしても私語に応じることなどないのだが、話しかけてきた相手が教師であった為に仕方なく応対してやることにした。


 そもそも弥堂には授業中に私語目的で話しかけられた経験などないという話もある。



「なんですか、先生」


「なんですか……だと……?」



 学園内でもトップクラスの問題児であると有名な生徒からの返事に不満を覚えた化学担当の教師である増田は肩を震わせる。

 所々黒ずみ、或いは黄ばんだ年季の入った白衣がトレードマークだ。



「……弥堂、お前……、何をしている? なんのつもりだ……?」



 指紋と脂で濁った眼鏡のレンズ越しに怒りの目を向けてくる化学教師に対して、弥堂はそんなことを聞かれるのは心外だといった風に眉を寄せる。



「なに、と言われても。今は授業中ですが?」


「その授業中に何をしているのかと私は訊いているんだ……っ!」



 一体何が問題なのかと弥堂は自身の姿を確認する。


 今は自席で水無瀬を膝にのせて彼女の爪を研いでやっているだけだ。


 水無瀬が何故か「あわわわ……っ」と呻いているが特別何も問題はないように思える。




「見てのとおりですが?」


「見てのとおりでは困るから訊いてるんだ……っ!」



 増田先生は色々なものを堪えるように眉間を揉み解す。



「いや、な? 聞いてた。先生、聞いてたんだ。このクラスの1限目と2限目を担当した先生たちから。だからある程度は覚悟をしてここに来たし、授業開始からたった今まで我慢をしてきた……」


「そうですか」


「だが、な。これはないだろう……? 今日び小学生でももうちょっとTPOを弁えるぞ」


「ご、ごめんなさいっ、せんせい……っ」


「あぁ……、ちがう。違うんだ、水無瀬。先生、水無瀬を責めてるんじゃないんだ。わかってる。水無瀬はこんなことを進んでする子じゃない。どうせそいつが全部悪いんだろう?」


「あ、あの……、えっと……、弥堂くんはその、真面目なんですっ。ちょっと一生懸命になっちゃってるだけなんですっ!」


「弥堂……、おまえっ……! まさか水無瀬を脅迫してるんじゃないだろうな⁉」


「ちがうんですぅぅぅっ」



 愛苗ちゃんはお友達の弥堂くんをいっしょうけんめい庇ったが、しかしそうすればそうする程に増田先生の表情は怒りに染まる。


 弥堂は化学の授業中だというのに科学的根拠の全くないやりとりで騒ぐ、そんな教師と生徒へ侮蔑の視線を投げた。


 そして科学と化学の違いがわからない男は答える。



「増田教師。これは脅迫などではない。授業だ」


「は? あ……? 授業……?」


「そうです。俺は今、水無瀬に『ボンクラでも出来る痴漢や暴漢の撃退方法』についての授業をしています」


「今は私の化学の授業なんだが⁉」



 教師である自分を無視して、化学の授業中に化学と全く関係のない授業を勝手に他の生徒に教える生徒に、増田先生はびっくり仰天した。



「びっ、弥堂っ! お前は教師をバカに……してるんだったな! この野郎っ!」


「落ち着け、増田教師。俺はわかっている。今は化学の授業の時間で、あんたは化学の教員だ。俺はそれをわかっている。わかっていないのは、増田教師。あんたの方だ」


「な、なんだとぉ……⁉ 私がなにをわかっていないと⁉」


「いいか? 俺たちはこの学園に金を払っている。そして学園はその金を使ってお前ら教員を飼っている。そしてお前ら教員には授業という時間が与えられている」


「言い方っ! もう少し言い方をなんとかしろっ!」


「つまり、だ。我々はお前にお前の大好きな化学の授業をさせてやる時間を提供し、それをやってれば過不足なく生活出来る環境を提供してやっているスポンサーということになる。そんなこともわからないのか?」


「や、やめろぉーーっ! 私の十数年に渡る教師生活の総てが否定されるようなことを言うなっ! やめてくれ……っ!」



 自我の根幹を揺るがすようなことを言われた増田先生は思わず頭を掻き毟る。


 するとパラパラとフケが舞い落ちたことにより、女子生徒からの侮蔑の視線に晒され、コンプレックスまで刺激される。



「いいか。この時間は化学の授業をしてもいいとお前に与えられたものではある。だが、それを聞くか聞かないかはこちらの自由だ。俺はお前の授業を止めない。たとえ聞いている者が一人もいなくてもな。勝手にやればいい。だからお前も俺の邪魔をするな」


「な、なんだって……、誰も、聞いてない……? そんな……、化学は……、僕の化学は……っ」



 目の前の口喧嘩に勝つことしか考えていない青二才の薄っぺらで悪意しかない心無い言葉に、増田先生は激しく動揺する。


 自分の中の芯のようなものが傷つけられ罅割れ、パラパラと崩れ落ちていくようなそんな感覚に陥り、足元をよろめかせる。



「せ、せんせいっ! 大丈夫だから! 私達ちゃんと聞いてるからっ。ねぇ?」


「お、おぉっ? そうだぜ? た、たのしいよなぁ! 科学っ! な、なぁ?」

「え? あ、おおぅ。もちろんだぜ。オレいつも楽しみにしてんだ。科学っ!」



 瞳からハイライトが失われた中年男性を日下部さんと鮫島くん&須藤くんのコンビがすかさず慰めた。


 このクラスにおいて、授業中に教師がメンタルブレイクすることは稀によくあるので、前方の座席に座る彼ら彼女らは教師へのメンタルケアには慣れたものなのである。



「お、お前ら……」


「…………」


「じ、自信持てよ先生っ! オレよ、先生のおかげで科学が好きになったぜっ」

「オ、オレもだっ。なんつーかよ、先生の授業わかりやすいからさ。科学的に成長を実感できるっつーか……」


「鮫島……、須藤……」



 中年男が縋るような瞳を潤ませてきたのにドン引きした日下部さんが黙ったので、空気を読んだ鮫島くんと須藤くんがフォローを入れる。彼らも内心では『正直キメェ』と思っていたがとりあえず上っ面だけでも取り繕った。



「だ、だがお前ら、そうは言うが先週の小テスト、半分も正解してなかったじゃないか」


「チッ」

「ケッ」



 ガンッ、ガンッと机を鳴らして彼らは足を放り出す。


 せっかく気を使ってやったというのに空気の読めないことを言われ大変に気分を害したので、椅子の背もたれに仰け反るほどに寄りかかり、ズボンのポケットに手を突っ込んで大股で足を開き通路に足を投げ出した。


 顔も完全に外方に向けたその姿は、手の施しようのないヤンキー高校の生徒の授業態度そのものだ。



 彼らが完全に投げたのを敏感に察した日下部さんが溜息を吐き、仕方なく後を引き継ぐ。



「ま、まぁ、先生? お気持ちはわかりますけど、ここは妥協しましょう? ね?」

「そうそうっ。実際1限目と2限目の先生もチャレンジしてみんな失敗してたし。邪魔しないだけマシって思おうよっ」


「そうか……? それで、いいのか……? ところで早乙女。フォローしてくれるのは有り難いが、お前は何故スマホを出している……?」


「それはアレだよっ! 先生が電流がどうのって授業してたから、先生の科学でののかのスマホのバッテリー残量とデータ容量が増えないかなって思って!」


「……すまないな、早乙女。先生は無力だ。バッテリーは充電しなきゃ増えないし、データ容量も増設しない限り増えない。申し訳ない……」


「せ、せんせいっ! 先生のせいじゃないからっ! 気にしないで! ののかっ! アンタは黙ってて!」



 早乙女がHR以降、隙あらば朝に撮った映像を編集していたことを知っていたので、日下部さんは彼女を追いやる。

 そしてチラリと学級委員である野崎さんの方を見るが、彼女はまだ目の下に隈を残したままぼーっとしていた。正直居眠りをしていないのが不思議なくらいで、おそらくプロの学級委員としての矜持がそこをギリギリのラインとして彼女に守らせているのだろう。


 数少ない常識人の仲間に頼れないとわかって日下部さんは心細くなった。



「だ、だが、弥堂はもういいとしても水無瀬はダメだろう……。彼女にはちゃんと授業を受けさせてあげるべきだ……っ!」


「え? あぁ、まぁ……、そうですね……」



 増田先生は至極真っ当なことを仰っているのだが、何故このクラスだとまともであればあるほど空気が読めないように見えてしまうのだろうと、自身の境遇とも重ねて日下部さんはとても気まずい思いをして表情を暗くする。



「弥堂っ! おい、弥堂……っ!」



 日下部さんが神妙にしている間に先生は弥堂に声をかけてしまう。



 効果的な眼球の抉り方を何度説明しても理解しない水無瀬に、『これは糖分が足りないな』と判断し、授業中だからと嫌がる彼女の口に無理矢理飴玉を捻じ込んだところだった弥堂は、教師の方へ無機質な眼を向ける。



「まだなにか?」


「水無瀬を下ろしてあげなさい!」


「断る」


「断るな! 私は教師だぞ⁉」


「別に膝の上にのっていては授業にならないという理屈はないでしょう。俺たちは必要だからこうしているんだ」

「あ、あのね、弥堂くん? 私も授業中は抱っこはダメだと思うの」

「うるさい黙れ」



 都合の悪いことを喋った水無瀬をパワハラで黙らせていると、増田先生は諭すように説得をしてくる。



「いいか、弥堂。時と場合というものがある。お前と水無瀬の関係性は先生にはわからないがTPOを弁えろ。学校はそういうことも学ぶ場所だ」


「意味のない慣習に従うストレステストの場であると?」


「屁理屈を言うな。先生も男だ。女の子を膝にのせたいというお前の気持ちはわかる……」



 共感からを切り口にして問題児の懐に入ろうという教師の言葉選びが最悪だったので、代償として女生徒たちからは引かれることになった。



「……いいか? 女の子を膝にのせていいのはハッスルタイムの間だけだ。それが大人のルールなんだ。そしてそれは社会のルールということになる。わかるな?」


「ちょっと何を言っているのかわかりませんね」



 以前に、特別な接客方法をとる特殊な飲食店にて、ハッスルタイムでないのにも関わらずハッスルしてしまったが為に、お気に入りのおっぱいが所属する店を出禁になってしまったという苦い経験を持つ増田先生は、その時の経験から得られた教訓を教え子に伝えようとした。


 しかし、そのことで教え子の半数である女子たちから酷く軽蔑した視線を向けられていることにハッと気づき、己の黒歴史に触れられた羞恥心を誤魔化すようにカッと反射的に怒りを燃やす。



「勝負だ弥堂っ!」


「なんだと?」



『この人なに言ってんの⁉』と、他の生徒たちもギョッとして、さらに先生を見る目が変わる。



「今から私が出題する問題に答えてみせろ。正解をすればもうお前の好きにしろ。だが、不正解だった場合は水無瀬を開放しろ」


「残念ですが勝負を受ける理由がありませんね。メリットがない」


「……お前は私には自由に授業をする権利があると言ったな?」


「言いましたね。聞くか聞かないかの自由が俺の方にもある、とも」


「授業中に教師が生徒を指して問題を出すのは当たり前のことだ。私が授業をする権利を認めたのなら、お前には答える義務がある」


「……よく回る口だな」



 何故か物騒な雰囲気になってきて生徒さんたちが動揺しているのを他所に、論理的に優勢に立ったと判断した増田先生は強引に出題をする。



「硫酸に電流を流したらどうなる?」


「……?」


「答えろ、弥堂」


「俺は勝負を受けるとは言っていないが?」


「減らず口を。それともなんだ? わからないのか?」



 どうにか戦いの舞台に引きずりこもうと挑発的な言動をとる。



「質問の意図がわかりませんね。何故硫酸に電流を流す必要が?」


「……いや、先週の小テストの出来が全体的によくなかったから、電解質と非電解質についてのおさらいを……って、今日の授業の頭からやってただろうが。お前本気でまったく聞いてなかったのか?」


「その小テストの俺の点数は問題なかったはずだ。だったら復習など必要ないな」


「論点を逸らすな。あくまで授業に必要だから質問をしている。お前を吊るし上げるためではない。お前に正解がわかるなら他の生徒に聞かせてやれ。ちなみに、そこの鮫島と須藤は出来なかった。教えてやれ」


「チッ」

「ケッ」



 せっかく先ほどは庇ってやったというのにここで槍玉にあげられ、鮫島くんと須藤くんは完全に不貞腐れた。



「詭弁を弄したところで無駄だ。意味のない質問に付き合ったところで時間の浪費でしかない」


「意味はあると今説明したが?」


「そうではない。そもそも硫酸に電流を流す意味がないと言っている。人生の中でどのタイミングで硫酸に電流を流すんだ? そんなことを考える人間などいない。やはりあんたの科学の授業には意味がないと、そう言っているんだ」


「お、まえっ……! どっちが詭弁だ⁉ お前には言われたくないぞ」


「言われたくないのなら俺に構うのをやめろ。そんな簡単な解決方法もわからないのか? あんたの科学は」


「……お前もしかしてわからないのか? 中学生の範囲だぞ? これがわからないでどうしてテストであんな高得点を取れた? お前やってんな?」


「ちょっと何を言っているのかわからないな」



 のらりくらりと屁理屈を捏ねていたら本件とは関係のない疑惑をかけられて、そのような事実はないのだが、弥堂は非常に都合が悪いなと感じた。



「じゃあ答えてみせろ。出来ないのか?」


「……いいだろう」



 特別彼の言う勝負とやらに付き合ってやる理由はないのだが、何の役にも立たない知識を教えることに人生を費やす男を哀れに思い、弥堂は答えてやることにした。決して彼の指摘した『何かをやってる』ということを追及されると不都合があるわけではない。



「では問題だ。硫酸に電流を流したら?」


「溶ける」


「……は?」


「溶けます」



 何を言われたかわからないと、生徒に簡単な問題を出題したが教師は一瞬フリーズした。恐る恐る答えを聞き直す。



「……なにが?」


「電気が」


「電気が、どうなると……?」


「だから溶けます」



 自分で問題を出しておいてなんだったが、増田先生は対応に困りキョロキョロと視線を泳がす。


 すると、授業放棄をして踏ん反り返っていた鮫島くんと須藤くんはいつの間にか足を揃えて座りなおしており、沈痛そうな面持ちで俯いていた。



「弥堂くん弥堂くんっ」


「なんだ?」



 お膝の上の水無瀬さんが耳元でこしょこしょと話しかけてくる。教室は静まり返っているので丸聞こえだが。



「あのね? 先生は電流が流れるかどうかって質問してるんだと思うの」


「……? 意味がわからんな。電気が流れてるから電流だろ。だったら電流と呼んだ時点でもう流れてるだろ」


「えっ? えっ……?」



 卵が先か鶏が先かみたいな話をされ、愛苗ちゃんはお目めをぐるぐるさせて混乱した。



「び、弥堂……。水無瀬の言ったとおりだ。硫酸は電解質だから電流を通すという……」


「ですが先生。お言葉ですが硫酸は物を溶かします。どれくらいの強さの電流なのか知りませんが、何故硫酸が負けると言えるのです?」


「い、いやっ、勝ち負けの話はしてないっ。電流の強さの問題じゃ――」


「――硫酸は溶かすものです。そういう風に『世界』にデザインされていますし、触れたら溶かすことを許され、またその権限を与えられています。ですから、電気と謂えども必ずや溶かしてみせるでしょう」


「なんなんだ……っ! お前のその硫酸に対する絶大な信頼感は……っ⁉」


「硫酸とはそういうものだからです」


「だから! 硫酸は電解質だから電流を通すものだと言っているだろ!」


「それは見解の違いですね。それぞれ色々な考え方があっていいんじゃないでしょうか」


「化学ってそういうもんじゃねえからっ!」



 声を荒げゼェゼェと息を切らした教師は再び視線を泳がせる。


 すると最前列の席に座る気まずげな表情の日下部さんと目が合った。



 日下部さんはスッと申し訳なさそうに目を逸らす。



 ショックを受けた教師が呆然としているとスピーカーから授業の終わりを報せるチャイム音が鳴った。



「起立っ!」


「えっ⁉」



 ここまで微動だにしなかった学級委員の野崎さんがすかさず号令をかける。


 プロフェッショナルな学級委員である彼女はチャイムにオートで反応し号令をかけることが出来るのだ。



「気をつけっ。礼っ!」


『ありがとうございましたっ!』



 強引に打ち切るように生徒たちに頭を下げられ、増田先生は敗北感に打ちひしがれながらトボトボと教室を出ていった。




 終始このような有様で午前中の授業は消化されていき、時間は昼休みへと繋がっていく。






 時計塔の鐘が鳴り午前の授業の終了を報せる。


 大音量のその音に追われるようにして、迷惑そうな顔をした教師が舌打ちをして教室を出ていった。



 昼休みだ。



 いつもであれば、昼休みになった途端に教室の生徒たちは活気づくのだが今日は様子が違った。


 所々で疲労を滲ませた溜め息が漏れる。


 何人かの生徒は重い足取りで席を立ち廊下へと出ていき、また残った生徒たちの何名かは迷惑そうな表情で一点に視線を送った。



 その視線の先に居るのは、当然弥堂 優輝だ。



「よく午前中を乗り切ったな。偉いぞ。さぁ、この饅頭を食え」


「ご、ごはんの時間だよぉ……、お弁当食べれなくなっちゃう……」



 相変わらず水無瀬を膝にのせたままで、彼女の口に饅頭をグイグイと押し付けていると、ワラワラとJKどもが集まってくる。



「おつかれーっ。やー、結局ずっとまなぴーを抱っこしてたねー」

「なんかもう、見ても違和感なくなってきたわ……。つらい……」



 希咲から頼みごとをされていた4人組だ。



「ごめんね、真帆ちゃん。もうちゃんと目醒めたから……」



 疲れきった様子の日下部さんに、ようやくシャッキリとした野崎さんが謝罪する。



「楓ったら随分尾を引いてたわね。そんなに寝てないの?」

「……うん。実は3日くらいまともに寝てなくて……、えへへ」

「えぇーっ⁉ 委員長なに作ってたの?」

「ITとかって言ってたよね? まさかアプリとか作れるの?」



 まさかの土日の休みまるまるを使っての突貫工事に臨んでいたという野崎さんに質問が集中する。



「えっ? えっとぉ……」



 何故か答えを探すように目を泳がせた野崎さんは、視線を宙空に彷徨わせるとやがて行き場を失くし弥堂と目が合う。

 するとなにかが気恥ずかしかったのか、彼女は困ったように苦笑いをして誤魔化した。



「えっと、いいもの……、かな……?」


「なにそれーっ? まさかエロいもの⁉ エロいものなんだね!」

「やめなさい、ののか。解釈違いよ。委員長オブ委員長はエロいものなんて作らないわ」

「小夜子の解釈は多岐に渡りすぎだよ……」



 あっという間に周囲の空間が女の話し声で埋められ、危機感を感じた弥堂は素早く眼球を動かして脱出経路を探す。



 すると、それよりも早く水無瀬さんが膝の上でお尻をモゾモゾと動かした。



「どうした?」

「んと、あのね――」


「――あーっ、まなぴーお尻痛くなったんでしょ? ずっと弥堂くんの膝に座ってたもんね」


「う、うん。それもあるんだけど――」


「――ていうか、弥堂君は足痛くならないの? 愛苗ちゃん軽そうだけど、それでも数10㎏をずっと膝にのせてるって……」

「昔の拷問みたいね」


「――あっ、そっか! ゴメンね? 弥堂くんっ。私そろそろ降りなきゃ」

「いや、特に問題ない。地面に横這いになったまま背中にこの数倍の負荷をかけられて野外で数日を過ごしたこともある。この程度ならなんともない」


「なんかサラっと恐ろしいことを聞いた気がするんだよっ!」


「気がしただけなら気のせいだ。安心しろ」


「あ、安心できないよ……。気になるけど壮絶っぽくて聞くのが恐い……」

「はいはい。みんなお昼食べちゃおう」



 会話がとっちらかって混沌となりそうなのを、パンパンと手を叩いた野崎さんがまとめる。


 女子たちは統制のとれた動きで手早く自分の座る席を用意し昼飯を展開した。



 早めに撤退せねばと弥堂が考えている隙に水無瀬がぴょこんっと膝の上から降りる。


 彼女はそのまま自分のバッグをあさり始めた。



「弥堂くんっ。はい、これっ」



 そしてここ最近の例にもれず、弥堂へ手作り弁当の包みを差し出す。



「…………」



 反射的に弥堂は断りの言葉を口に出そうとするが――



――月曜さ、またちょっとだけあの子に優しくしてあげて……? おねがい――



 先日に約束を交わした少女の顏が浮かぶ。



 弥堂は悟られぬよう鼻から息を漏らし、それを受け取った。



「えへへ、今日はね、もういっこあるのっ!」


「なんだと?」



 ルンルンと嬉しそうにしながら再び鞄に手を入れる水無瀬の姿に、早まったかと後悔をする。


 周囲の女子たちは特に騒ぐこともなく、一様に口を閉じながら面白げにニマニマと笑い二人の様子を見守っている。



「はい、これも」


「……これはなんだ?」



 水無瀬が両手で掴んだ包みを警戒しながら視る。


 綺麗な包装紙でラッピングされリボンまで付いている。



「お誕生日おめでとうっ!」


「…………?」



『わぁー』と歓声を上げて周囲の女子たちも「おめでとう」と復唱する。なんのことかわからずに弥堂は怪訝な顔をした。



「本当は昨日だったんだよね。一日遅れちゃったけど、私、まさか昨日会えるなんて思ってなかったから……、ごめんね?」



『えっ? なにその情報。知らない』と女子たちは顔を見合わせているのを尻目に、弥堂にもようやく合点がいく。



(そういえばそうだったか。4月19日で登録していたな)



 長いこと誕生日を祝ったり祝われたりするような文化に身を置いていなかったので、すっかり失念をしていた――というよりは、そんな発想すら持っていなかった。



(そうか。不要な関わりを作るとこういったことが起こるリスクもあるんだな)



 すっかりおめでたいムードで周囲が盛り上げてくれている中、そんなことを心中で確認する。



「……気を遣わせたみたいで、悪かったな」



 弥堂は素直に水無瀬が差し出すプレゼントを受け取る。


 余計な波風を立てるとより面倒になると判断したからだ。



「うわー、おめでとー! 弥堂くんは何歳になったのかなぁ~?」


「1……7、だな」


「あっ、そっか。4月生まれだから学年上がってすぐに年上になっちゃうんだね」

「来年は夏休み前に車の免許とれちゃうのはお得ね」



 周囲を囲まれ“やいのやいの”と囃したてられる。


 それに居心地の悪さを感じていると、ふと傍らから野崎さんが顔を覗き込んでくる。



「おめでとう、弥堂君。ふふ……、開けてみないの?」



 優しげだが、少しだけイタズラげなその目の色に、こういった状況で面白がった女どもからは逃げきれないと弥堂はよく知っていたので、水無瀬に目線で許しを請う。



 水無瀬さんはコテンと首を傾げた。



「……開けてもいいか?」


「うんっ、いいよー!」



 仕方ないのでしっかりと言語化してお窺いをたてると、彼女からは嬉しそうにお許しがでた。



 紙を留めているテープを慎重に剥がし、ゆっくりと包装を解いていく。



「ちょっと意外。絶対にビリビリーってやるタイプだと思ってたよ」

「こら、ののか。チャカさないの」



 早乙女を叱る日下部さんの声を聞き流しながら作業をしていると、すぐに中身に辿り着く。



「これは……財布、か……?」


「うんっ、お財布っ! お札を入れるやつなの!」



 二つ折りになるレザーのカバーがついたマネークリップと、あとうもう一つ――



「……これは、なんだ……?」


「そっちは小銭入れだよっ」


「そうじゃなくて……」


「あのね、ネコさん小銭入れなのっ」



 水無瀬さんの主張どおり、ぬいぐるみの様な手触りのそれは一応は小銭入れのようだ。問題となるのは見た目で、やはり彼女の言うとおりその形状はネコさん以外のナニモノでもなかった。ちなみに黒猫であることが苛立ちを加速させる。


 何故ことあるごとに自分の前にはネコさんが立ちふさがるのだろうと、そのネコさん小銭入れを睨んでいると、「プッ」と吹き出す複数の女どもの声が聴こえる。


 ネコさんを睨んでいた眼をそのまま女どもに向けると、彼女らは素早く視線を逸らした。



「…………」



 弥堂は、ワクワクほめてほめてとばかりに期待の眼差しを向けてくる水無瀬を口汚く罵倒してやりたい衝動に駆られたが、希咲との約束もあるので努めて自重をした。


 代わりに何かを言うべきかと口を開きかけて、しかし言うべきことを上手く考え付かずに口を閉じると、マネークリップの方にも違和感を覚える。



 閉じた状態でほぼ正方形となるレザーのその四角形の右下。


 そこにも不可解な生物が居た。



「……これは?」


「あのね、タヌキさんなの!」


「……何故、タヌキさんが?」


「お母さんに手伝ってもらって縫ったの!」


「……何故、タヌキさんを?」


「えっと……、カワイイかなって思って……、やっぱりネコさんの方がよかった……?」


「そういう問題では……、いや、いい。タヌキさんで大丈夫だ」


「本当に……? 弥堂くんネコさんの方が好きなんじゃないかなって……」


「問題ない。俺はどちらかというとネコさんが嫌いだ」


「えっ⁉ なんでぇっ⁉ メロちゃんもネコさんだし、ななみちゃんもネコさんっぽいから弥堂くん絶対ネコさん好きだと思ったのに……」


「どうしてそれで俺が猫好きだと判断できるんだ? むしろそいつらのせいで猫が……、いや、なんでもない。大丈夫だ。少し言い過ぎた。俺はネコさんも好きだ」



 弥堂くんがネコさんを好きじゃないと知って本気でショックを受ける愛苗ちゃんを見て、弥堂は発言を撤回した。これ以上この話題を続けられても面倒なので、水無瀬を再び膝の上にのせて会話を強制的に打ち切る。


 マネークリップに縫いつけられたタヌキさんワッペンを人差し指の腹で一撫でして、さぁどうしたものかと考えを巡らせようとすると――



「――ちょっとぉ、通れないんだけどぉ~」



 背後から耳に馴染みの薄い声が新たにあがる。



「そこ、通してくれよ」


「じゃまぁ~」



 白黒ギャルの結音 樹里ゆいね じゅり寝室 香奈ねむろ かなだ。


 気怠そうに要請をしたのが黒ギャルの樹里、ゆるい声音に確かな毒を混ぜたのが白ギャルの香奈である。



 別に彼女らはイチャモンをつけているわけではない。


 窓際の女子の座席が並ぶ列にある水無瀬の席に弥堂が自身の座席をくっつけているのだが、そうすると必然的に男子の列と女子の列の間の通路となる場所に机を配置する形になってしまっている。


 要するに通路のど真ん中に席を置いて朝からずっと好き放題やっている弥堂が、議論の余地もなく悪いということで間違いがない。



 この二人組はいくつかの不良の男子グループと仲が良いことが割と知られていて、本人たちも不良女子として1年生の頃から目立った存在である。どこのクラスに編入されたとしても1軍女子となるような生徒で、おそらく希咲 七海きさき ななみがいなければこの2年B組の女子のカーストトップになっていたであろうコンビだ。



 だからこそここにいる普通の女子たちとしては、あまり彼女らと波風を立てるような関わり方をしたくないというのが本音だ。特に今は。



「ご、ごめんね二人とも……っ。今空けるからっ」


「仲がよくて盛り上がっちゃうのはわかるけどぉ、少しは周りの迷惑も考えてよねぇ」

「やめろ、香奈。日下部は別に悪かないだろ」


「えー? だってさぁー、授業中とかサイアクだったじゃーん? 小学生じゃないんだっつーの」



 スッと舞鶴の目が細まる。



「どうせいつもたいして聞いてないでしょ。授業なんて」


「はぁ~? それってもしかしてウチのことぉ~?」


「他に誰がいるの?」


「舞鶴。オマエ頭いいからって一目置かれてんのかもしんねーけど、それ、アタシらにはカンケーねぇからな?」


「あら。頭の良し悪しの話なんていつしてたかしら? 勝手にコンプレックス拗らせて噛みついてこないでくれる? 少しはこちらの迷惑も考えてちょうだい」


「オマエ――」


「――あ、あのっ!」



 険悪な雰囲気に声をあげて口を挟んだのは水無瀬だ。


 恐れるわけでもなく、攻撃性をこめるでもなく、ただ真っすぐに白黒ギャルの顔を見上げた。



「あのね、樹里ちゃん、香奈ちゃん。私が悪いの。授業中にふざけちゃってごめんね?」



 ピクリと、名前で呼ばれたことで結音の眉が動く。


 水無瀬に対して何か口を開こうとするが、言葉が発せられるよりも先に、彼女の前に寝室が身を割り込ませた。



「ん~ん。いいんだよぉ? 気にしないでぇ? 『愛苗ちゃん』」



 ニッコリと笑い返すその目は笑ってはいない。


 舞鶴が口を出そうとしたが野崎さんに肩を掴まれ止められた。



「だって、愛苗ちゃんのせいじゃないもんねぇ? 全部弥堂が悪いんだもんねぇ? ねぇ、弥堂。なんとか言えば?」



 我関せずと宙空に視線を投げ出していた弥堂は、名前を呼ばれたことでようやくジロリと彼女らへ視線を向ける。



 まるで物を見るような無機質な瞳に寝室は「うっ」と一歩だけ後退る。



「おい、香奈。やめとけよ」

「だ、だってさぁ……! ムカつくじゃんコイツ。どこのグループにも入ってないのにチョーシのっちゃってさ」


「だからってここでモメてもしょうがねえだろ」

「わかったよぉ……。でも、勘違いしないでよね? みんながみんなアンタにビビってるわけじゃないんだから。まだ手を出してないだけ。ウチがお願いすれば10人くらいすぐ集まるんだから」


「それはツンデレか?」


「はぁっ⁉ なにそれっ! バカにしてんのっ⁉」


「別に。ただ希咲みたいな言い回しだなと、そう思っただけだ」


「はぁっ⁉ なんで七海の名前が出てくるの⁉」

「おい、香奈」



 どこか余裕を持って、人を小馬鹿にするような口調だった寝室の表情に確かな怒りが浮かんだのを弥堂は視た。



「マジでムカつくっ! 謝るなら今のうちだよ? なんとか言えば?」


「ふむ。そうだな……」



 ジロっと無遠慮に二人の顔を見る。


 結音も寝室も不快感を露わにした。



「……キモイんだけど?」


「それは悪かったな。ただ、少し思うことがあっただけだ。悪意はない」


「は? なにそれ?」


「別に。大したことじゃない。ただ、やっぱり希咲の方が可愛いなと、そう思っただけだ」


「はぁっ⁉」

「チッ」



 今度は明確に二人ともに表情を憤怒に染まる。



「あ、あちゃー。これ完全にやっちゃったよ……」

「さすがなんだよ、弥堂くんは。空気読めてないのに的確に相手を一番怒らせる言葉だけは選べるなんて」



 日下部さんと早乙女がヒソヒソと話してる間にも険悪な空気は広がっていく。



「弥堂、オマエ。チョーシのんなよ」

「アンタも七海もちょっと勘違いしてない?」



 弥堂に対してはっきりと敵意を露わにする。そして希咲さんはとばっちりで普段から関係性に気を遣っていたクラスメイトからの不興を買うことになった。



「こ、これはマズイんだよ……っ!」



 そろそろシャレにならないと判断した早乙女が動く。



「あれー? まなぴーどうしたの? またモゾモゾしちゃって。あ、そっか。お尻痛いって言ってたっけ」


「へ? あ、うん。でも……」


「弥堂くん。まなぴーお尻痛いってさ。一回下ろしてあげなよ」



 言いながら水無瀬の手を引いて爆心地から回収をしようとする。



「二人ともごめんね? 今、机動かすから。弥堂君も、ね……?」



 野崎さんも早乙女が作った隙に割って入り弥堂に目配せをする。



「……キミに言われたら従うしかないな」



 弥堂は肩をすくめ、野崎さんの顔を立てることにした。何故なら野崎さんは使える女だからだ。



「あのね? ののかちゃん。違うの。お尻が痛いんじゃなくてね、ホントはおトイレ行きたいの」

「お? なんだー? ガマンしてたのかー?」


「うん。実はけっこう前から行きたかったの」

「おーし。じゃあ、ののかと一緒におトイレいこうな?」



 二人の会話を背景に、弥堂が引き下がってくれたことで野崎さんは内心安堵する。


 あとはこの二人にもどうにか矛を納めてもらおうと白黒ギャルに目を向けると、意外にも二人とももう怒ってはいないようだった。


 ただ、寝室はニンマリとした笑みを浮かべていて、結音はそんな寝室を呆れたような目で見ていたのが、どこか不自然に映った。



「あー、いいよ、大丈夫、委員長。ウチらもういくから。ね? 樹里?」

「……そうな」


「ほらほら、いくよぉ。みんな邪魔しちゃってゴメンねぇ」



 野崎さんが何かを返事する前に寝室は結音の手を引いて教室の出口へ行ってしまった。腑に落ちない点もあるが、何はともあれと野崎さんが安堵の息を漏らす。



 弥堂はその二人を視線で追っていた。



 教室から廊下に出て壁の向こうへ消えていく寸前、寝室の目が一瞬だけこちらへ向いたのを視た。



「…………」



 廊下の方をそのまま視ていると、早乙女の能天気な声があがる。



「よぉーしっ。んじゃ、ちょっくらまなぴーとトイレ行ってくるぜ!」


「でもわるいよぉ。一人で大丈夫だよ?」


「バッカやろう! 一人でトイレに行くなんて女子力足りないぞ!」


「え? じょしりょく……?」


「てことで、弥堂くん? まなぴーを開放しておくれ」



 空気を入れ替えるように元気に声を張り上げる早乙女の要請に弥堂は一度考え、立ち上がる。


 水無瀬を横抱きにして。



「おっ? おっ?」

「ふわわ……っ⁉」



 突然の行動に混乱する二人へ乾いた眼を向ける。



「ションベンに行くんだろ。俺も一緒に行こう」


「えっ⁉」



 唐突に女子トイレへの同行を申し出た男に女子たちはびっくり仰天する。



「い、いや……、一緒にってあなた……」

「ののかちゃん。きっと弥堂くんもおトイレ行きたかったんだよ」


「あ、そ、そうだよねっ? トイレ前まで一緒でその後は男子トイレに入るってことだよね?」


「いや? 俺は別に便所に用はないが」


「えぇっ⁉」



 女子トイレに入場する意思があることが確定し、全員が驚愕をする。



「時間がもったいない。さっさと行くぞ。おい水無瀬、これ持ってろ」


「え? あ、うん……」


「え、えっと、弥堂くん冗談だよね? あまり冗談に聞こえなかったんだけど……」


「冗談など言っていない。早くしろ。女子力が足りないぞ」



 言いながら弥堂は弁当袋を持たせた水無瀬を抱いて歩きだす。


 早乙女は慌ててその後を追った。



「ちょ、待って! このままじゃののか、女子トイレに変態を手引きした裏切者になっちゃうんだけど⁉」


「だったらそこで待っていろ。お前が居ても居なくても、俺はこいつを女子トイレに連れていく。そういう約束だからな」


「七海ちゃんとどんな約束したの⁉」



 残された者たちは呆然と3人を見送った。



 ズカズカと大股で進む弥堂の後をパタパタと早乙女が追いかける。



「弥堂くん! 歩くの速いっ! てか、どこのトイレ行くの? 一番近いのは逆方向だよ!」


「わかってる。だが、こっちでいいんだ」


「いいんだって……あっ! ははぁーん、そういうことね。オッケーだよ。そっちでいいね!」



 何かを察した様子の早乙女は弥堂に追いつくことに集中する。



「おい、漏れそうか?」


「え? ううん。そんなにギリギリなわけじゃないよ?」


「そうか」



 弥堂は少し歩調を緩めた。


 すると早乙女が追いつき、横に並んで歩く。



 昼休みの校舎内で女子をお姫様抱っこしながら闊歩する男とすれ違う生徒さんたちは一様にギョッとして道を譲る。



「てゆーか、まなぴーばっかずるーい! ののかも楽したーい! ねーねー、おんぶしてー!」


「とっさに動きづらくなるからダメだ」


「なんだとー? 女子をおんぶできるとか役得でしょー! 弥堂くんなかなかやるじゃーんって思ったからサービスしてやろうと思ったのに!」


「え? なんのお話?」


「ふふーん、まなぴーは気にしなくていいんだよっ」


「そうなの?」


「そうなのだー」


「わかったのだー」



 キャッキャとお喋りする女子たちに弥堂は顔を顰める。



「うるさいぞお前ら。黙って歩け」


「お? そういうこと言っちゃうんだー? それならののかにも考えがあるぞー?」


「余計なことをするなよ」


「やーだよ! ダメって言われたけどおんぶしちゃうもんね! えいっ!」



 早乙女はぴょんこと飛び上がり弥堂の背中へ飛びつく。


 弥堂は嘆息交じりに水無瀬を片手で持ち直し、体を横にずらす。


 そして、今まで歩いていた場所に飛び込んできた早乙女を空いた片手でキャッチして抱える。


 そのまま両手に女子を一人ずつ持って何事もなかったかのように目的地を目指した。



「おぉっ! 片手で持つとかすごいっ!」

「ねー? 力持ちだねー?」


「舌を噛むと面倒だから黙ってろ」


「てゆうか弥堂くん?」


「なんだ」


「これってさ、ののか達もしかしてパンツ丸見えなんじゃないの?」


「それがどうした?」


「やっぱりぃぃーーっ⁉」


「おい、うるさいぞ」


「こんなのってないよ! もうちょっと配慮してよ!」


「別にいいだろ。どうせたいしたモンじゃないんだ」


「なんだとぉーっ⁉ それはののかのパンツにリスペクトが足りないと思います!」


「わかった。あとでちゃんと指さしてリスペクトしてやる」


「意味がわかんないよ!」


「わっ、ののかちゃん。暴れたら危ないよ?」


「まなぴーはなんでそんなに落ち着いてんの⁉ パンツ見えてんだよ⁉」


「えっ? あ、えっと……、ごめんね……?」


「なんでまなぴーが謝るの⁉」



 しかし早乙女の心配は杞憂であった。


 周囲から見れば、小柄な少女二人を浚った仕事帰りの山賊の姿にしか見えなかったので、誰もが心から関わりたくはないと思い、目を背けていたからだ。



 ギャーギャーと騒ぎながら進んでいるとまもなく目的地に到着する。



「よし、では行ってこい。俺はここで3分待機した後にこの場を離れる。帰りは勝手に帰れ」


「色々言いたいけど、わかったんだよ! ちゃんと人通りの多いとこ選んでまなぴーを連れて帰ります!」


「え? 弥堂くんは教室戻らないの? 一緒にごはんたべようよ」



 凛々しい顔で敬礼をする早乙女の横で、水無瀬がキョトンとした顔をする。



「悪いが用事がある。昼休みは席を外させてもらう」


「甘やかしDAYでもそこは頑なに断るんだ……」


「そっかぁ、ざんねん」


「いいからさっさと行け」



 弥堂は女子をトイレの中へ追いやり、待機時間を利用してスマホでメールを1件作成し送信する。



 そうしているうちに3分かからずに出てきた彼女たちに暇を告げ、次の目的地へと向かった。






「あぁーー、焦ったぁーーっ!」



 教室で即席の食卓を級友と囲みながら、早乙女が机に上体を投げ出す。



「ののか、行儀わるい」


「だってさぁー、マホマホーっ!」



 日下部さんに注意をされるも改める気はないようで、口に咥えたままのサンドイッチをむぐむぐと齧った。



「まぁ、気持ちはわかるけどね。まさか初日から絡んでくるとは思ってなかったよ……」


「あ、あの、ごめんね……? 多分私の授業態度がよくなかったから、ダメだよって言ってくれたんだと思うの……」


「まなぴーってばポジシンすぎるよ」


「ポジティブシンキングをそうやって略してるの初めて聞いた」


「でも通じてるからよくないー?」


「愛苗ちゃんは何も悪くないわ。あいつらの頭が悪いのがいけないのよ」


「小夜子がそうやって煽ったからでしょ」


「楓が止めなければ、もっとお姉ちゃんのカッコイイところ見せてあげられたのに……」


「でもでも、煽りといえば弥堂くんだよねー。ののかヤベェっておしっこ漏れそうになっちゃったよ」


「……女子の事情というか関係性とか知らないはずなのに、的確に抉ったよね……」


「フフ……、私はとても面白かったわ。もうちょっと続きが見たかったわね」


「もう小夜子ったら。そんな風に考えちゃダメだよ。みんなクラスメイトなんだから」


「あら、楓。それを言うのなら弥堂君にも同じことを注意するべきじゃない? ねぇ? 愛苗ちゃん」


「あははー。弥堂君は真面目だから……」


「う、うん。弥堂くんはいっしょうけんめいなの……っ」


「野崎さんも愛苗ちゃんも、二人とも弥堂君に甘くないっ⁉」



 お喋りをしながら現在は平和なランチタイムを過ごしている。


 当然この場に弥堂はもういない。



「あ、あのね、小夜子ちゃん……?」


「なぁに、愛苗ちゃん?」



 水無瀬が遠慮がちに声をかけると舞鶴はニッコリと笑った。



「私、自分でごはん食べれるよ?」


「いいのよ、気にしないで」


「で、でも……、あむっ」



 弥堂に触発されたのか舞鶴が膝の上に水無瀬をのせて彼女の口へ弁当のオカズを運んでいる。



「むぐむぐ……っん、でもね? 小夜子ちゃん足がプルプルしてるよ……? 私重いんじゃない?」


「……そんなことはないわ」



 スッと目を逸らしながらやせ我慢をする舞鶴に苦笑いをしつつ、日下部さんが話を戻す。



「まぁ、でも、こっちは事情知ってるから、あれはピリついちゃうよねぇ……」


「委員長パワーでなんとかしてよ!」


「そんなパワーないよ……。あと私、委員長じゃないし」


「自信を持って楓。あなたなら出来るわ。伝説の委員長波をきっと撃てるようになる」


「小夜子、茶化さないで。それより……、実際、難しいよね。希咲さんが悪いわけじゃないし……」


「……あんまり、こんなこと言いたくないけどさ。私的には逆に七海がこのクラスでよかったと思っちゃった」


「おぉ? マホマホが悪口言ってるぅー。いっけないんだぁ」


「ののかうるさい」


「でも、ののかもそれ賛成かなー。さっきのアレ見ちゃうと余計にねー」


「もし七海がいなかったらあの子たちがクラス仕切ってたかもしれないんだよね……」


「……私は希咲さんはすごく上手にやってくれてるって思ってるよ。仲良くなりすぎず、表立って険悪にもしないで、でもイニシアチブは常に希咲さんが持ってる。私じゃああいう風には出来ないから、正直助かってるな」


「聞いたかしら、愛苗ちゃん。七海ちゃんに委員長のお墨付きが出たわよ」


「うんっ。そうなの! ななみちゃんはスゴイの! カッコイイし、カワイイし……、いっぱいスゴイんだよ!」


「あら、そうなの。ところで私と七海ちゃん、どっちの方が好き?」


「えっ⁉ えっと……、えと、その……」


「ふふふ、いいのよ……? 七海ちゃんのことが一番好きな愛苗ちゃんが私は一番好きなの……」


「小夜子ちゃんがメンドクセェダメ女ムーブしてるよ!」


「真に受けちゃダメだよ愛苗ちゃん。この子こうやって楽しんでるだけだから」


「ひどいわ楓……、バラすなんて……」


「あはは……。それよりさ。実際どうなの? あの子たち。けっこうヤバげ?」



 日下部さんの問いに野崎さんと舞鶴が顔を見合わせる。



「えぇっとね……」


「楓。私が話すわ」


「そういえば小夜子ちゃんは去年も同クラなんだったっけ?」


「そうよ。一言で言うなら最悪ね」


「ズバって言ったねぇ」


「事実よ。主に寝室だけど、さっきあの子が弥堂君に言ってたこと覚えてる?」


「ツンデレムーブ?」


「そこはどうでもいいわ。ほら、『いつでも不良の男子を集められる』って言ってたでしょ? あれがあの女の本質よ」


「あぁ……、うん……」



 それだけで察したのか苦い相槌をうつ日下部さんを見て、自分も去年のことを思い出したのか露骨な溜息を吐く。


 すると横髪がハラリと頬にかかり、それをお膝の上の水無瀬さんがセッセと直してくれる。


 舞鶴さんはニッコリ笑顔になった。



「小夜子」


「んんっ。まぁ、あれを日常的にやるのよ。不良だけじゃなくて、あちこちの目立った男子グループにいい顏して、媚びて取り入って、それをナイフをチラつかせるように使って自分のワガママを通そうとするのよ」



 野崎さんに促されると真面目な顔に戻って舞鶴は続ける。



「タチが悪いのは、あの子そこそこ男を操るのが上手なのよね。入学して早い段階で上級生と仲良くなったからってのが大きいけど」


「うおぉーっ、もしかして悪女ってやつ?」


「そう呼ぶには知性が足りないわね。適格に表現するならクソビッチが最も相応しいわ」


「小夜子。言い過ぎだよ」


「事実だもの」


「でもさ、そんなにあちこちの男子にいい顏してたらモメたりしないの?」


「あら、いい指摘ね真帆。もちろんその通りよ」



 得意げに鼻を鳴らす舞鶴にお褒めの言葉を頂いたが、正解をしたにも関わらず日下部さんはもの凄く嫌そうな顔をした。



「本当にいい迷惑よ。普段の休み時間は教室があの子たち狙いの男子のたまり場になるし、別口とバッティングするとケンカが始まるし。もっと強いグループとか、もっと派手なグループとかと繋がると今まで仲良くしてた連中をフェードアウトするもんだから。揉め事が尽きないわ」


「うわぁ……」


「ここで最初の評価に戻るわ。一言で言って最悪、ね」


「納得しました。ありがとうございました」



 証明終了とドヤ顔の舞鶴に日下部さんはペコリと頭を下げた。



「ついでだから、もう少し話を戻して七海のことにも言及しておくと……」



 続けて話す舞鶴へ日下部さんも顔を向け直す。



「さっき真帆も言ってたけど七海がこのクラスでよかったって私も思ってるわ。あの子たちにとって天敵なのよね、七海って」


「あぁ、そうか。紅月くんか」


「そう。紅月くんもそうだし蛭子くんもね。気に入らないでしょうね。自分たちが頑張って取り入ってる男子どもより、全然格上のイケメンと不良に一番近いポジションにいるんだもの」


「おまけに七海ちゃんの場合は、それがなくても男子に負けないもんねー」


「わかってるじゃない、ののか。小賢しいわね」


「なんでマホマホは褒めたのに、ののかはディスるの⁉」



 会話を円滑にする良コメをしたのにぞんざいに扱われた早乙女はびっくり仰天する。


 その様子に満足げな笑顔を浮かべて続ける。



「まぁ、ののかの言ったとおり、あの子たち繋がりの男子を使っても七海に言うことは聞かせられない。逆に派手にやればやる程、あの子たちが本当に近づきたい紅月君の不興を買う可能性がある。だから表面上は七海を上に置いて仲良く振舞わなきゃいけない。つまり、あの手の子たちの大好きなマウントを自分から譲らなきゃいけないわけね」


「あー……、ちょっと同情しちゃったかも。それはストレスね……」


「優しいのね真帆は。私はいい気味だわ」


「おやや……? まなぴー、まなぴーっ。ついてこれてる?」


「えっ?」



 ぽへーっと話を聞いていた水無瀬へ早乙女が声をかけると彼女はハッとして、それから「えへへ」と笑った。早乙女は「うむ」っと鷹揚に頷く。



「要するに、七海ちゃんSUGEEッてことだよ」


「あ、やっぱりそうだったんだ!」


「まぁ、間違ってはないけど……」


「いいのよ、愛苗ちゃんはそのままで。うふふ……」



 緊迫していた空気を演出していた舞鶴がほっこりとしたことで、場の空気も弛緩する。



「ということは、このクラスの平和は七海ちゃんに守られていたのだー」


「確かに、小夜子が言ったみたいに他のクラスの不良がここで屯ったりもしてないしね」


「まぁ、そうね……、それは七海のおかげもあるんだけれど……。楓、構わないかしら?」



 先ほどまでとは違い、少々歯切れ悪く同意をしながら舞鶴は野崎さんを窺う。


 しかし、彼女は会話に参加しておらず、両手を使ってスマホを操作し何やら没頭している様子だった。



「楓……?」


「え? あ、ごめん。ちょっと立て込んでて……」


「別に構わないけれど、珍しいわね。ご飯中にスマホに夢中になるなんて」


「あははー。午前中ずっとボーっとしちゃってたから、返さなきゃいけないものが溜まっちゃって」


「目開けながら寝てるのかと思ったよー」


「そこはなんとかギリギリ耐えてたよ……、あ、小夜子。話していいよ。弥堂君のことだよね?」


「あら、それでも会話は把握してたのね」


「どう話すかは小夜子に任せるよ。私もこれ返したら終わりだから途中から参加するね」


「わかったわ」


「えっと……? 弥堂君が……?」



 日下部さんが真意を問うと、野崎さんは再び作業に集中し、舞鶴が話し始める。



「ここが無法地帯になっていない理由よ。七海のおかげでもあるけれど、何割かは弥堂君のおかげでもあるのよ」


「え? そうなの?」


「むしろこのクラスを無法地帯にしている張本人だって、ののかは思ってたよ!」


「まぁ、それは否定できないわね」



 苦笑いをしつつ、続ける。



「実は去年の私のクラスでも無法地帯になっていたのは二学期の途中までだったのよ」


「……? どうして?」


「あの子たちと連んでるのって元格闘技系の部活の男子が多いんだけれど、彼らがその『元』になった原因は弥堂君なのよ」


「あー……、はいはい」


「ののか? 今のでわかったの?」


「うん。でもちゃんと小夜子ちゃんの話聞こうぜー」


「まぁ、多分察しの通りよ。うちの学校って去年まで格闘技の部活がやたら多かったじゃない?」


「そういえばそうだった……、って、多かっ『た』……?」


「そう。過去形よ。知っていると思うけれど、そのほとんどは部活っていうのは建前で、ガラの悪い連中の溜まり場になっていたの。それで去年の秋ぐらいだったかしら? 弥堂君が風紀委員会に入ったのは……」


「もしかして……」


「えぇ。風紀委員になるなり彼がその不良の隠れ蓑を潰してまわって、年明けにはほぼ壊滅状態にまで持っていったのよ」


「そっか……だから……」


「つまりっ! 七海ちゃんだけじゃなくって弥堂くんも、あの二人とその取り巻きにとって天敵ってことだねっ!」


「そうよ。彼に潰された後は目立ったことをするのを自重したのか、私のクラスにもあまり来なくなったわね。当然、本人が在籍しているこのクラスにわざわざ遊びに来たりなんてするわけがないわ。こんな感じでいかがかしら?」


「うん。過不足ないと思うよ。ありがとう、小夜子」



 ここで作業を終えた野崎さんも会話に参加してくる。



「部活って名目で学園から活動費をもらって、それを遊びに使っちゃったりなんてこともしてたから、弥堂君のおかげで不正会計が正されたんだよ」


「おぉ……、これは衝撃的な事実だよ……っ!」



 目から鱗――とばかりに早乙女が感心したが、その正されて浮いたはずの予算の大部分が今年度より弥堂が所属するサバイバル部に流入しているという事実はここでは浮き彫りにならなかった。



「……私、弥堂君のこと誤解してた。風紀委員って肩書を持ってるだけで、実際はトップクラスの不良なんだって勘違いしてた……」


「マホマホ……、ののかもそう思ってたよ……っ」



 その評価は誤解ではなく、なんなら甘いくらいだ。



「弥堂君はね、自分の悪評に言い訳とか自己弁護をしないし、自分の功績を喧伝したりもしないから……。だから誤解されやすいの……」


「野崎さん……。私、あとで弥堂君に謝るよ……っ!」


「うおぉぉぉっ。もしかしてダークヒーローってやつ? ののかちょっとキュンってしちゃったかも……っ!」


「…………」



 教えを説く牧師のように弥堂を擁護する野崎さんの言葉に、早乙女と日下部さんは感激する。しかし、その様子を舞鶴だけはジト目で見ていた。



「まなぴー、まなぴーっ! 弥堂くんスゲェなっ? まなぴーってば見る目あるぅーっ!」


「えっ?」


「お? もしかしてまた話に着いてこれてないな? 弥堂くんSUGEEEッ! ってことだよ?」


「だ、だいじょうぶっ! わかってるよ! 弥堂くんがいっぱい頑張ったってことだよね?」


「そうなの! 愛苗ちゃんもわかってくれるのねっ!」



 パンと手を叩き、彼女にしては珍しくテンション高めで野崎さんは水無瀬に共感を示す。


 野崎さんと水無瀬さんが弥堂くんバナシでキャッキャとしている隙に、舞鶴は早乙女と日下部さんに顔を寄せて声を潜めた。



「ああは言っているけれど、二人とも、楓の弥堂君評は話半分くらいで聞いておきなさい……」


「えっ?」

「どゆこと?」


「……盲目、というか妄信というべきかしら……。楓の言うことは大体のことは正しいのだけれど、それが弥堂君のことになるとちょっと怪しいのよ。少し浮かれすぎというか、持ち上げすぎというか……」


「おぉ?」

「え、えっと……それってまさか……」


「あぁ、違うわ」



 ハッとして気まずげに水無瀬と野崎さんを交互に見る日下部さんをすぐに制する。



「そういうのではないわ。多分。それよりも、信仰というか……、なんて言ったらいいのかしらね……。恐いから私も深くは踏み込んでないのだけれど、ニュアンスで理解して……」


「……ののか、ちょっと鳥肌が……」

「……言われてみればって感じで理解できる気もするわ……」


「私の見立てではね、弥堂君は正義感や善意でやったわけじゃないと思うわ。結果的に今こうなっているだけで。危ない人だっていうのは間違ってないと思う」


「ややこしいよ……っ! このクラス、マジでややこしいよ……っ!」

「……アンタもややこしい原因の一つだからね」



 両手で頭を抱える早乙女に日下部さんがジト目を送ったところで密談をやめる。



「まぁ、ここまでの話を踏まえた上で、七海が自分が不在の時に彼女たちが自分の『泣き所』を狙ってくるって予測して私たちに頼ったのは、私としてはすぐに腑に落ちた話だったのよ」


「なるほどねー。ののか最初は『過保護では?』って思っちゃったよ」

「うん、私も。今はよくわかる」


「それで、追加のカードとして彼よ。『甘やかす』だったかしら? それは建前よね。紅月君と直接関係のないあの子を狙うのは彼女たちにとってリスクの少ないこと。だからそれに対するカウンターとして何処とも関係のない彼をぶつける。暴力でも勝てない、彼女たちの得意そうな……例えばハブにするとか、そういった社会性を人質にとる攻撃も通用しない。うん、いいカードの切り方だわ。やっぱり優秀ね、七海は」


「……確かに。こう言っちゃなんだけど、弥堂君って特別仲いい人いないし、周りにどう思われてもどうでもよさそうだもんね」


「そうね。それに、彼を動かしてくれたのは私たちを守る意味もある。リスク管理ね。よく考えてあるわ」


「おぉ、小夜子ちゃん、七海ちゃんに高評価だね!」


「ふふふ。私、賢い子が好きなの。もちろん一定以上の善性が伴うことが条件、だけれど。だからアナタのことも嫌いじゃないわよ? ののか」


「それは営業妨害だよっ、小夜子ちゃん!」



 バチコンとウィンクをキメてくる早乙女と目を合わせて互いの理解と意識をすり合わせる。彼女たちは行動を共にすることが多いが、まだこの新クラスが始まってからの二週間ほどの付き合いだ。



「あと、今日の弥堂君の行動も、自分が愛苗ちゃんのガードに付いているってアピールして牽制をしているのだと思うわ。攻勢的な護衛、ってところかしら」


「おぉ、小夜子ちゃんさすがっ」

「七海も小夜子もすごい考えてるのね……、あっ、だから弥堂君の邪魔をしなかったのね」


「えぇ、その通りよ」



 二人に褒められ舞鶴は得意げに鼻を鳴らす。だが、さきほど彼女は野崎さんの弥堂評についてああ言ったが、それでも舞鶴も弥堂をまだまだ過大評価していた。



 希咲の意図への読みはほぼその通りだが、その希咲の意図は半分も弥堂に伝わっていない。


 全部を伝えたらどうせやってくれないと判断をして、とりあえず必要な位置へ弥堂を配置することに成功をした点で希咲が優秀だというのは、舞鶴の評価は正しい。



 しかし、弥堂は自分で言っていたとおり、本当に何のために自分がこうしているのかをわかっていないし、またそれをどうでもいいとも考えている。


 先日、権藤先生が弥堂のことを『自分で何かを考えさせずに番犬として連れ歩くだけならそれなりに使える』と評価したが、恐らくそれがもっとも弥堂 優輝という人物の本質に近い。


 これだけ弥堂について議論するクラスメイトの女子よりも、筋肉モリモリの中年男性が一番弥堂を理解していた。




「はいっ。ということで、みんなで上手くやっていけるように頑張ろうね」



 再度、パンと手を打ち合わせて野崎さんが締める。



「あら? 結局楓が最後をもっていったわね。さすがは委員長だわ」


「野崎さん、そういえば連絡……? は、もういいの?」


「あ、ちょっと待って…………、うん、これで終わり……っと」



 日下部さんに聞かれ、スマホに目を戻し、何かを確認した後に送信を押した。



「よぉーーーっし。景気づけにみんなで連れションいくぞー? まなぴーっ、ご飯はもう終わったかー?」


「あっ……、まだ食べ終わってないぃーーっ!」


「仕方ないにゃぁ~。ののかが手伝ってあげる。つきましてはその唐揚げを……」


「ていうか、アンタたちさっきトイレいったばっかじゃん」



 日下部さんのツッコミに少女たちは笑いあい、平和な昼休みの時間が過ぎていく。






 体育館裏に現れたのは弥堂 優輝だ。



 ここ最近昼休みに訪れるお馴染みの場所となりつつあるこの場所には本日は先客はいないようで無人となっている。



 弥堂は所属する部活動の上司である部長の廻夜朝次めぐりや あさつぐに、プロフェッショナルな高校生たる者、『ひとり飯スポット』をいくつか持っているべきだと言いつけられている。


 この体育館裏はその弥堂の『ひとり飯スポット』の内の一つである。



 本来であれば連続して同じスポットを使用すれば、刺客を送りつけられたり、爆発物を仕掛けられたりするリスクが増すため、あまり推奨される行為ではないのだが、この場所はゴミの処理をするのに効率がいい為に結果的にヘビーローテーションすることになってしまっている。



 この場にあるゴミの処理方法は主に二つ。



 一つは目の前にある焼却炉だ。


 確かこういった焼却炉の設置や使用には厳しい規制があったように記憶しているが、そのあたりをどう突破して敷地内に設置しているのかは弥堂にはわからない。


 自分が処罰されなければ関係ないと特に興味を持っていないが、このやたらと高温でゴミを処理できるらしいご立派な焼却炉は便利なので、あるのならば使わせてもらおうと証拠隠滅の目的でよく利用していた。



 もう一つのゴミ処理手段はつい先日に発見したもので、こちらは生ゴミ専用となる。


 今日はこちらを使うつもりだ。



 焼却炉から離れて茂みに近づき、木の根元の草むらをジッと見る。


 学園内には棲みついてしまった野良猫がおり、その猫と先週の金曜日の昼休みにここで遭遇した際に水無瀬から貰った弁当の処理をさせたのだ。


 今日もここに居るのなら同じように弁当を処理させようという腹づもりではあるものの、生憎弥堂には猫の呼び出し方などはわからない。



 適当に脅かしてやれば出てくるか逃げ出すかして気配を見つけられるだろうと、草むらに足を突っこんでガサガサと音をたてて揺らしてやる。



「…………」



 しかし、特になにかが飛び出してくるようなこともないし、自分がたてたもの以外の音も聴こえることはなかった。



「いないのか」



 呟きなのか、呼び声なのか、指向性の曖昧な声は誰もいない校舎の外れでポツリと外気に溶ける。



 別に博愛精神を持ち合わせているわけでもない弥堂としてはどうしてもあの猫に餌を与えたかったわけではない。居ないのなら居ないで焼却炉を使うだけだと切り替える。


 最後にこれをして出てこなければと目の前の木にガンっと粗野に蹴りを入れた。



 すると、小さく「ニャッ」と声を漏らして枝の上から白い猫が落ちてくる。


 白猫は空中でクルっと体勢を変えると四本の足で地面に着地をした。


 特に危なげないように弥堂には見えたが、弥堂の方に驚いたような目を向けてジリジリと後退った。



「チッ」



 弥堂は舌を鳴らす。


 猫を呼ぶ時の仕草ではなく、ただの不快感を示す舌打ちだ。



 弥堂は猫という生物が嫌いだった。


 人間に取り入ることで長い年月を生き永らえてきた浅ましい種であると、軽蔑さえしているかもしれない。


 特に先週希咲の起こしたトラブルに巻き込まれて、『こいつ猫っぽいな』と、ちょっと思った時から嫌いになった。嫌い歴数日である。



 だが、それはそれとして生ゴミ処理機としては便利なので、そこに居るのであれば利用するだけだ。



 弥堂は卑しき白い毛玉をジッと見る。



「……?」



 何か違和感を覚えた。



(……先週見た時はもっと毛並みが汚かったような気がする。それにもう少し痩せていなかったか……?)



 猫はこちらと目を合わせながら怯えたようにプルプルとしている。先週はもっと懐っこく、弥堂を見るなり餌をねだって擦り寄ってきたはずだ。



(既に誰かに餌をもらって腹が空いていないのか、それとも――)



 先週に見た猫の映像を詳細に思い出そうと記憶の中から記録を探しつつ、眼に力をこめて白猫を視ようと――



 ヴヴヴッ――とスマホが震える。


 メールの着信だ。



 弥堂は猫への関心を失くし着信した内容を確認する。


 優先順位が更新された。



 手早く弁当を取り出し逆さまにして地面にぶちまける。


 内容物が地面に接触すると猫はビクっと震え、そして落ちた物を目を丸く開いて見ている。


 猫の感情など弥堂にはわからないが、食い物は欲しいが人間を警戒している、そんなところであろうと判断した。



「おい。これをどうするかはお前の好きにしろ。よくわからない物を口に入れるのはお奨めしないが、お前の自由だ。当然、自己責任でもあるがな」



 伝わるはずのない意思を一方的に猫にぶつけても、猫はただジッと地面の食べ物を見ているだけだ。


 弥堂は興味を失くす。


 猫がどうするかなど確認をする必要がないと、踵を返した。



 急いで向かう場所がある。


 部室棟の方へ歩いて行った。



 ネコはその後ろ姿が見えなくなるまでジッと見ていた。





 部室棟と部室棟の隙間のスペースは狭い路地裏のようになっている。


 人通りも少なく薄暗い。


 そのため、よく不良生徒などの溜まり場にもなっている場所だ。



 弥堂は部室棟に入るなり壁に仕込んだ(無許可)隠し扉を開けてガムテープを取り出す。布製のガムテープだ。


 ほぼ立ち止まらずにそれを回収しすぐに二階に上がる。



 二階の通路を進んで一つの部屋の前で止まる。


 去年まではとある格闘技系の部活が部室に使っていた部屋で、今学期からは空き部屋となっている。



 戸に取り付けられた弥堂の胸の高さほどの曇りガラスの窓にガムテープを貼り付けると肘でガラスを打つ。


 クシュッと僅かにくぐもった音が鳴る。


 弥堂はペリペリとガムテープを剥がし、空いた窓の穴から腕を突っこんで鍵を開けた。



 仕事上の付き合いがある『プロの下着泥棒』を名乗る男から習った空き巣の技術だ。



 音に気を付けながらゆっくりと戸を開け、部屋の中へ進入する。


 足音に注意しながら窓際まで歩を進め、窓と窓の間にある壁に身を潜める。



 壁に背をつけながら窓の外を覗き階下に目的の姿を見つけると、窓の鍵を外し少しだけ窓を開けた。



 持ち主のいなくなった部室の中に外の声が入ってくる。




「――もうマジ時間損したぁ~っ!」


「だからやめようって言ったじゃんか」


「えぇー、樹里ひどいぃー。もっと強く止めてよぉ」


「ムチャ言うなよ……、それに本当に強く止めたら香奈不機嫌になんじゃん」


「そんなことないよぉ~」



 声の主は先程教室で対峙しかけた白黒ギャルコンビだ。



 苛立ったような様子の寝室と、呆れたような調子の結音が何かを話しており、その二人の会話の隙間に毒にも薬にもならなそうな数人の男の合いの手が聴こえてくる。



「つーか、トイレで待ち伏せなんかしてどうするつもりだったんだよ」


「えー? そんなの決まってんじゃ~ん?」


「七海が帰ってきた後のこと考えてんのか?」


「ちょっとキツめにお仕置きしとけば内緒にしてくれるでしょ?」


「……やるなら一人の時だ。二人だと口止めが緩くなる」


「わぉ。樹里ってば悪いんだぁ~。水無瀬ちゃんかわいそぉ~」


「アタシはそもそもやるなっつってんだけどな……」


「えぇ~、べつにいいじゃぁ~ん。もっと気楽に楽しもうよぉ~」



 嘆息する結音を寝室が茶化すと、周囲の男たちから同調するだけの無責任な笑い声があがる。



「そもそもよ、水無瀬みたいな子狙ってどうすんだよ。七海みてぇな“パギャル”ならわかるけどさ、あんな“フツー”の子シメてもこっちがダセェじゃん」


「樹里ってば相変わらず七海にはキビシーね。うける」


「……アイツは見た目だけでよ、魂がギャルじゃねえんだよ。ああいう男の気を惹けるとこだけにギャルっぽさを利用する女は、アタシ嫌いなんだっつーの」


「キャハハッ。直球すぎぃ」


「本気でやんならよ、七海にケンカ売ろうぜ。その方がカッコイイじゃん」


「えぇー。だって、それやったら紅月くんに嫌われちゃうじゃぁ~ん」


「まぁ、そりゃそうだけどさ……」



 中々に物騒な相談をしているようだった。



(へぇ……)



 それを聞いた弥堂は内心で感心をしていた。


 感心をした相手はこの二人ではなく、希咲 七海だ。



 自分の留守中に水無瀬 愛苗を狙ってくる奴がいるかもしれない。


 そしてそれを防いで欲しい。



 金曜日の放課後に彼女と交わした三つの約束の一つだが、弥堂としては正直あまり真に受けていなかった。


 何をおおげさな、過保護なと、内心で見下していたのだが、どうやら希咲の予測が正しかったようだ。



 まさか、彼女が不在になった初日からこれとは。



 やはり、無能な自分の見立てよりも、優秀な人間の言うことの方が正解になりやすい。



 弥堂としてはこのようなことが起こるとは全く思っていなかったが、それでも希咲の考えに従うことを優先して行動をとった。



 弥堂のしたことは二つ。



 ひとつは、水無瀬を教室に最も近いトイレとは別のトイレに連れて行ったこと。


 もうひとつは、先に教室を出たあの二人の位置をY’sに指示して特定させたことだ。



 前者は当座の防衛、後者はその後の攻勢の為だ。



 早乙女も気付いていたようだが、先に教室を出たあの二人の女の様子から念のため、2年B組の教室から向かうトイレとしては普通は選択しない場所のトイレに水無瀬を連れて行った。


 彼女をガードしながらY'sへとメールで連絡をする。


 そして、弥堂からメールで指示を受けたY’sが学園の警備用ドローンと監視カメラの映像をハックして居場所を特定し、弥堂にそれを報せたという流れになる。



 先週に自身の所属する部活動の構成員の中に、学園の警備用のシステムに不正にアクセスをし、それを悪用している者がいると発覚した際には、この不祥事を隠蔽せねばと考えた。


 だが、それはそれとして便利な技術が使えるのならば活用しないと勿体ないし、万が一バレた場合には実行した者を足切りすればいいと、今回は仕事に導入をしてみた。



 仕事とは希咲との3つの約束。



 本日の4月20日の間、水無瀬 愛苗を甘やかす。


 希咲が不在の間、水無瀬 愛苗を学園で護衛する。


 希咲から水無瀬の件で連絡があった場合は応じる。



 この3つの事柄であり、それに対する報酬は希咲にもこちらの仕事を手伝わせることだ。



 受けた際には、希咲が過保護なだけでどうせ何も起こらないと高を括っていたが、蓋を開けてみれば初日からこの有様だ。



(ホントめんどくせぇ女だな、ふざけんなよあいつ……)



 胸中で現在バカンス中であろう彼女への恨み言を吐く。



 恐らく希咲とはこれからも事あるごとに『こう』なのだろうなと、何となくそう考えた。


『こう』なるのは、お互いの立ち位置、思想、目的、など。


 他にも多くある様々な要因があるのだろうが、単純な話、きっと彼女とは相性が悪いのだろう。それも最悪と称するレベルで。



 ただそれだけの話だと諦めて切り替え、外の様子に意識を戻す。




「――ねぇ~。アンタたちなんとかしてよぉ。七海のことぉ~」


「い、いや……、さすがに希咲は……なぁ?」

「あ、あぁ。なんつーか、ちょっと……な?」

「お、おぉ。キビシイかなって、仁義的に?」


「なにそれぇー。もしかしてビビってんのぉ? うわぁ、ダサ」


「べっ、別にビビってはねえよ……、なぁ?」

「あ、あぁ。それよりも付き合いとか、な?」

「お、おぉ。ヒルコくんらに悪いしよぉ……」


「えぇ~? ホントにぃー?」

「よせよ香奈。どうせこいつらじゃ七海に勝てるわけねえだろ」



 結音が冷たく突き放すと男どもは尚もモゴモゴと言い訳をする。



「実際問題よ、オレらマサトくんとヒルコくんと仲良くしてっしよ……」

「あぁ。こないだもヒルコくんには、ケンカ手伝ってもらったしな……」

「てかよ、あれも元は香奈がもってきたモメ事だろ? ヒルコくんそれで停学くらっちまってっしよ……。なのに希咲襲うのはさすがに不義理だろ」


「なにそれぇ。ウチが悪いってゆーのっ?」


「い、いや、そうは言ってねえけどよ……」


「オマエらなんかアヤシーな? なんか顔色悪くね?」


「な、なに言ってんだよ樹里……っ。そんなことねーよ……」

「そ、そうだぜ。別に何も隠してなんか……」



 彼らは口々に、これはあくまで男気の問題なのであって戦闘力の問題なのではないと主張した。



「えぇーっ! なにそれぇ、つまんなぁ~いっ! ねぇ、“サータリィ”……、アンタもおんなしこと言うのぉ?」



 一人会話に加わらずに外方を向いていた男子が、寝室に水を向けられ口を開く。



「ん? おぉ、よくわかんねえけど七海だろ? ヨユーだよ」


「お、おいっ、“サータリィ”……っ!」

「やめとけよ……っ!」

「“サータリ”くん、ヤベェって……っ!」


「あん? なんだってんだよ、オメーら」


 楽観的に請け負おうとすると何故か仲間たちが止めようとしてくる。酷く焦ったような様子の彼らの態度に怪訝な顔をする。


 そしてそんな彼をさらに寝室が怪訝な目で見る。



「てゆーか、なんでこっち見ないの……?」



 不審げに問われて「あぁ、そんなことか」と肩を竦める彼の身体は皆の方を向いているが、顔だけはずっと右に向けている。



「いやよぉ、わかんねぇけど首が痛ぇんだよ……」


「寝違えたん?」


「どうなんだろな。なんかよぉ、金曜の夕方くらいから急に痛くなったんだよ」


「ふぅ~ん」


「右向いてねぇと痛ぇからずっとそっち向けてんじゃん? したらよ、数学の小テストの時によ、カンニングしてるって誤解されてよぉ……。数学っていやぁ権藤さんじゃん? おもくそブン殴られてよぉ……、そしたら首がこのまんま動かなくなったんだよ」


「うぇぇ、ウチあのセンセきらぁい……、マッチョすぎてキモイんだもん」

「……つか、なんでこのガッコのセンセってフツーに殴ってくんだよ……、昭和かよ……」



 男らしすぎる男性教師に女子生徒二名は嫌悪感を表明する。



「な、なぁ、“サータリ”くん。希咲にケンカ売るのはやめようぜ……?」


「あ? なんでだよ“ヒデェ”? 女ごときに俺が負けっと思ってんのか?」


「い、いや、そうじゃ、そうじゃねえよ。ただ……、な? 女なんかとケンカすんのってダセェじゃん……?」


「なんだよ、“コーイチィ”。珍しいな、オメーまでそんな……」


「ほ、ほらさ? 勝ち負けじゃなくってヒルコくんの顔を立てようぜってオレら話してたんだよ」



 どうやら先週希咲にぶっ飛ばされたことが、記憶から抜け落ちているらしい猿渡くんを仲間たちが宥める。彼らはしっかりと記憶に残っているのでバッチリとビビり散らかしていた。



「まぁ、安心しろよ? なにもぶん殴ってどうこうしようって話じゃあねえ。アイツ顔いいしよ、もったいねえだろ?」


「はぁ? じゃあなんで『ヨユー』とかって言ったの?」


「なにも殴りっこするばっかじゃあ芸がねえだろ? 要はアイツを大人しくさせりゃあいいんだろ?」


「そうだけど……、なんかいい考えでもあんのぉ?」


「へへっ、モチロンだぜっ!」



 よく聞いてくれたとばかりに二カッとした笑顔を明後日の方向へ向ける男に、女子たちからはわずかながらも期待を込めた視線が返ってくる。



「アイツをよ、オレの女にしちまうんだよ!」


「はぁ?」


「前に合コンした時によ、言ってたんだよ。アイツ、マサトくんと付き合ってねえって。でもよ、みんな付き合ってるって思ってるよな? てことはよ、オレにだけそれ言ったってことだろ? つまりオレに気があんだよ! ぜってぇイケるわ!」


「うわ……キショ……」

「男子ってこうやって勘違いすんのか……、いや、勘違いしてるからこんなイカれた考えになんのか……? とりまキモいわ」



 一瞬で期待は消え失せ、ゴミを見る目に変わった。



「つーことでよ、合コン頼むな! 七海呼んでくれよ!」


「……あー、はいはい。今度ねぇー」



 来るわけねーだろと二人は思ったが、相手は日本語が通じない可能性が高いので適当に合わせてバックレることを決めた。



「まぁ、よっ! 七海のヤツがどうしてもこのオレとケンカがしてぇってんなら、その時はいつでもヤってやっけどよ! とりあえずは平和的に? 合コンからだな!」


「さすがぜ、“サータリ”くんっ!」


「とりあえずそっちは時間かかりそうだからさー。んじゃ、アンタ弥堂狙ってよ。あいつマジうざいわ」



 ガハハハっと笑う男たちの声が止む。


 彼らは一瞬真顔になった。



「……あ、あぁ、ビトウ……、ビトウ、ね……っ、うん……」


「あ、あいつ、チョーシこいてんよな」

「あ、あの野郎のせいでこないだっから先輩一人不登校になっちまったしなっ」

「お、おぉ。ゆ、許せねえよなっ……?」


「ま、まぁ? 風紀委員たって所詮はシャバ僧だし? オレは全然キョーミねえけど? あの野郎がどうしてもこのオレとタイマン張りてえってんなら? そん時はいつでもヤってやっけどよ?」


「さ、さすがだぜ、“サータリくん”……っ!」

「で、でも、ヒルコくんもアイツのことムカつくって言ってたしな……?」

「お、おぉ。勝手にヤっちまうとヒルコくんの顔に泥塗っちまうよな?」


「あ、あーー、マジかーー。それはよくねえよな? と、とりあえずヒルコくんの停学空けまで待たなきゃだな?」



 まるで事前に口裏を合わせていたかのような連携で弥堂の件を保留にした彼らに女子からのシラーっとした視線が刺さる。



「もういいっ……。んじゃさ、水無瀬ちゃんイってよ。あの子ならアンタたちでも大丈夫でしょ?」

「おい、香奈っ」


「あん? みなせ……?」


「あー、水無瀬さんかぁ」


「なんだよ? 知ってんのかよ“ヒデェ”」


「おぉ、“サータリ”くん。希咲のダチだよ」

「可愛いよな、水無瀬さん」

「おっぱいもデカいしよ」


「マジかよ! おっぱいデケェのかよ! よしやるか!」


「そうそう。おっぱいおっきぃよぉ~。ってことで、よろぉ~」

「……アタシは知らねえかんな」



 結音の呆れた声は男たちの下品な笑い声に飲み込まれた。



(さて、こんなところか)



 大体状況は掴めた。


 あとはここからどうするかを決める必要がある。



 今すぐ窓から飛び降りてそのまま全員を制圧することも出来る。


 だが、奴らはまだ何もしていない。大した罪状を作れない。


 罪がないということは罰を与えることが出来ないので、今後の行動を制限するための枷を嵌められないということだ。



 それに希咲からは、襲撃があったら守れと言われている。事前にその芽を探し出して引き抜けとは言われていない。



(それくらいはサービスでやってやってもいいんだが……)



 しかし、再発を防げないのでは意味がないし、自身にかかるコストも重くなる。下手に軽い注意や制裁で済ませてしまって、希咲が返ってくるまでずっと水無瀬から目を離せなくなるような事態には陥りたくない。



 予防をしろとまでは約束をしていないが、『いざそうなったら、風紀委員として出来る限りのことをしろ』と希咲は言った。



(厳密に条件と定義を決めておくべきだったな)



 どちらにとっても、どうとでも解釈を拡大出来てしまう。



 今、弥堂が最も優先させたいのは、風紀委員の活動を隠れ蓑にして街で新種のクスリの出所を探ることだ。


 ここ数日、その仕事の邪魔をしてきた水無瀬の魔法少女活動にすらこれ以上は関わりたくないと考えていたところで、これだ。



 まるで水無瀬を無視出来ないように、希咲によって先回りをされた上に段々と外堀を埋められていくようで気分が悪い。


 だが、呆けていれば連日水無瀬への対応に追われるハメにもなりかねないし、約束を放棄して実際に事が起こったら責任を追及されるハメにもなりそうだ。



 舌打ちが出そうになるのを自制する。



 業腹ではあるが、この件はしっかりと対応をして、しっかりとした決着を付けるべきだろう。



 弥堂は壁から離れ廊下に出る。



(そのためには――)



 奴らを泳がせ確定的な故意を起こさせ、その決定的な場面を抑える必要がある。そしてその一度で致命的な罰を与え、破滅的な未来に追い込んでやる必要がある。



 それが最も効率的だ。



 それにしても面倒なことになったと、部室棟の出口へ向かいながら、その原因となる人物の顔を脳裡に浮かべ憎々しく考える。



 その人物とは、今しがた悪だくみをしていた彼ら彼女らではなく、希咲 七海だ。



 ここに至って思うのは、やはり彼女とは本当に相性が悪いのだろうということだ。



 きっと『世界』がそのように自分と彼女をデザインしている。



 それならば仕方がないと考え、今後の自分の行動の決定条件を修正した。

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