1章22 『4月19日』

 4月19日 日曜日 午前。



 弥堂 優輝びとう ゆうきは自室にて、段ボール箱の中から出てきたノートPCを見下ろしていた。



 本日は午前中に弥堂の所属する風紀委員会の仕事として、学園近所のゴミ拾いのボランティア活動に従事する予定があった為、平日の通学時と変わらぬ時間には起床をしていた。



 ボランティア活動の目的としては、美景台学園高校に通う生徒は模範的な学生であり、また学園の運営組織も地域に密着し貢献をすることの出来る組織なのであると近隣の住民どもを騙して、何かあった時のクレームの数を減らすことが目論見となる。



 弥堂はポケットから二つ折りになった一枚のカードを取り出し、それを開いて中を見る。



――『よいこのスタンプカード』だ。



 スタンプカードとは謂っているがカードの紙面に実際に並んでいるのは、丸形の『にっこりシール』となる。


 美景台学園の風紀委員会に所属をすると配られるスタンプカードで、委員会の活動を行いそれに一定の成果があると評価をされ『よいこ』であると認められると、風紀委員長手ずからこの『にっこりシール』を貼ってくれて、さらに『いいこいいこ』をしてくれるのだ。


 要はスーパーやドラッグストアなどによくあるスタンプカードと同じようなものである。



 弥堂はチラリと自身のスタンプカードの空白となっているマスを視る。


 残り2マスだ。



 このカードを『にっこりシール』で全てのマスを埋める度に、カード1枚につき一度、風紀委員長に対して献策をする権利が与えられることになっている。


 恐らく本日のボランティアを恙無く達成することが出来れば、その成果として3枚は『にっこりシール』を頂けるはずだ。



 弥堂はその暁には、学園内に地下牢を設置することを進言するつもりである。


 ちなみに前回の『よいこのスタンプカード』をいっぱいにした際には学園内に裁判所を設置することを進言し、風紀委員会からの意見として生徒会を経由し、正式な意見書として職員室に届けられた。


 しかし、先日の権藤教師の口ぶりではその意見書は棄却されたようだ。弥堂はそのことに不満を感じ眉を歪める。


 次回の風紀委員会の会議にてこの件を厳しく追及するつもりだ。


 今はその時ではないと段ボール内のノートPCに意識を戻す。



 つい先程弥堂の住むアパートのインターホンが鳴らされ、何者かと応対をしてみると、宅配の配達員がこの箱を抱えてドアの前に立っていたのだ。


 弥堂には何か荷物を頼んだ覚えはなかったので、恐らく刺客か工作員であろうと目星を付け、その配達員を室内に引きずり込み軽く尋問を行った結果、どうやら誰かが自分宛てに送った物で間違いがないようだった。


 そしてその後、配達員を十分に口止めをした上で蹴りだし、段ボール箱を部屋に運び入れ開封したみたら、中から出てきたのがこのノートPCなのである。



 段ボールの蓋を閉じて貼り付けられた伝票を見る。



 その宛先に書かれているのは間違いなく弥堂の名前と住所ではあるが、送り主の情報は一切書かれていない。


 普通であれば、このような不審な郵便物は受け取り拒否をして郵便局で一定期間保管した後に廃棄処分になるのだろうが、弥堂はあえてこれを受け取った。



 このような状態で荷物を送りつけてくるのは、もしかしたら殺害予告の可能性もあるし、少なくともこちらをナメていて喧嘩を売っていることは間違いないからだ。


 どうにかこの届いた荷物から相手の情報を見つけ出して、特定に至った暁には豚の生首でも送り返してやろうと、そう考えたためである。



 しかし、中から出てきたのがノートPCだったので眉を顰めることになった。



 先日の4月16日の夜にクラスメイトの女子である希咲 七海きさき ななみのせいで私物のノートPCが壊れてしまい、一昨日の4月17日の夜にゴミ捨て場にそれを運び、そして昨日の4月18日の朝にはゴミの回収業者がそれを燃えるゴミとして回収していった。



 確かに自分のノートPCを失ったばかりではあるが、代わりとなる物を注文した覚えはない。



(ただの偶然か……?)



 警戒感を強め、開いたノートPCの暗い画面に映る自分の顔を睨む。



 だが、こうしていても仕方がないので、とりあえず電源を点けてみることにした。



 先日、希咲 七海のせいで真っ二つになり壊れたので無理矢理ガムテープで直したテーブルに腕をのせ、その腕を振りテーブルに載っている物を乱暴に床に落とす。


 そしてすぐさまテーブルを蹴り倒した。



 横倒しにしたテーブルの天板が遮蔽壁となるように床にノートPCを設置し、その電源ボタンを押すと同時に弥堂は素早く身を翻し寝室に飛び込む。



 数秒経過し、そっとダイニングを覗きこむ。



 どうやら電源を入れると同時に爆発をするような罠は仕込まれてはいなかったようだ。



 ノートPCを使ってそのようなギミックを仕込むことが可能なのかという事については弥堂は寡聞にして知らなかったが、あらゆる危険性は想定しておくべきである。


 階下で大きな物音と共に誰かが駆け出したような気がしたが、それは気がしただけなので気のせいだろう。



 テーブルを直しその上にノートPCを置く。



 ディスプレイを見てみるが特に不審な点は見当たらない。


 というか、見当たらな過ぎる。



 それは何故なのかと考えてみると、デスクトップに表示されたものの一部に非常に見覚えがあるからだ。


 念のため記憶の中の記録と照らし合わせてみると、数日前まで使用していた自分のノートPCのデスクトップ画面と全く同じ配列で同じアプリアイコンが並んでいた。


 一部異なる点があるとすれば壁紙は何故かクラスメイトの女子の写真になっているという点だ。



 その写真に写っているのは希咲 七海と水無瀬 愛苗の二人で、何やら談笑をしている様子だ。



(見覚えがあると謂えばあるが……)



 怪訝な眼で画面を見ながら試しによく利用していたメールアプリのアイコンをクリックしてみると、それと同時に脇に転がり落ちていたスマホが振動しフローリングの床をガタガタと鳴らす。


 慌てた様子の階下の気配を無視しながら弥堂はスマホを手に取りメールアプリを起動した。



『ノートPC一丁! お届けしましたぁ!』



 差出人不明。


 だが、これは十中八九Y’sからであろう。



『お前は誰だ』


『もちろん私です! あなたのお姉ちゃんですよ!』



 この話の通じなさはY’sで間違いないようだ。



(だが、お姉ちゃんとは何だ……? 情報統制官の隠語か……?)



 目を細めながら返信をする。



『これはお前が送ったのか』


『必要かと思いまして!』



 いまいち意思の疎通に手ごたえが感じられないが、推察するに弥堂のノートPCが壊れたので代わりを用意した、恐らくそういうことであろう。


 どういう風の吹き回しだと考えているとさらにメールが届く。



『マザボが割れて完全に逝ってたので、データだけなんとかサルベージして新品に突っこんでおきました! もちろんセットアップ済みでちゃんと元のヤツと同じ環境で使えるようにしてあるので安心して下さい!』


『殺すぞ』



 弥堂は少し思考し、そう返信した。


 何を言っているのかよくわからなかったので、とりあえず脅してみることにしたのだ。



『ちなみに今度のはグラボも積んでメモリも増設してあるので、エッチな3Dゲームだってイケちゃいますよ! とりあえず催眠アプリでギャルを好き放題しちゃうゲームをインストールしておきました!』



 しかしまともな返事は返ってこない。


 脅迫に屈するつもりはないという意思表示だろう。強気な奴だ。



 これ以上聞いてみたところでどうせまとな返事は期待出来ないであろうと見切りをつけ、返信はせずに考えてみる。



(そういえば――)



 すると思い当たることがひとつあった。



 昨夜眠る前に、弥堂は自身が所属をするサバイバル部の部長である廻夜朝次めぐりや あさつぐに、メッセンジャーアプリであるedgeにてY’sの処遇についての相談をしていたのだ。


 内容とはしてはシンプルで、『今後新入部員が入った時に規律が緩くなってはいけないので、見せしめのために殺しても構わないか』とお伺いを立てたのだ。



 それに対する廻夜の答えは『警察に相談をした方がいい』とのことであった。



 一見すると会話が成立していないようにも見えるが、これは暗に『大きな騒ぎを起こすな』と釘を刺されたのだと弥堂は判断していた。



 それが命令なのであれば弥堂としては従うことに否やはないのだが、とはいえY’sの破天荒さにはどうしたものかとも憂いていた。



 その夜が明けての今朝のこの出来事である。



(なるほど。さすがは部長だ)



 了承の意を送ったっきり彼とのチャットは終了していたのだが、どうやらその後すぐに手を打ってくれたようである。



 要するに、部長から厳重注意を受けたY’sが弥堂の機嫌をとるために、どうにか役に立とうと媚を売ってきたというのが今回の出来事のあらましであろう。


 相手に気に入られるにはまずは贈り物をする。


 それは何時の時代のどこの国でも普通に誰もがとる選択であり、またその贈り物が相手が必要としている物なのであれば特に効果的であろう。



 サバイバル部全体のことを考え弥堂の提案を却下はしたが、しかしその意はしっかりと汲んで対応をしてくれる。


 なんと理想的な上司なのだろうか。



『ご苦労。』



 弥堂は己の上司の有能さに感服しつつ、ならば自分もこれ以上野暮なことは言うべきではないと短く労いの言葉だけを返した。



 だが、一つだけ不可解な点もある。



 弥堂のノートPCが壊れたことをY’sはもちろん廻夜にも伝えてはいなかったことだ。



 しかし野暮なことは言うべきではないのでそのことは流すことにする。



 全知全能に限りなく近い廻夜であれば弥堂のノートPCが破損したことを見抜いていてもおかしくはないし、優秀な情報収集能力を持つY’sであればそのことを察知していても特段驚くようなことではない。


 結果が伴っているのであれば過程は重要ではない。


 弥堂 優輝という男はそのように考える。



 ノートPCを操作し先程開いたメールアプリを見てみると、すでにスマホと同期済みのようで、今しがたのY’sとのやりとりがそのままこちらにも履歴として残っていた。


 先程ヤツが言っていた『同じ環境で使える』とはこのことかと理解をする。


 そういえば先日まで使っていたノートPCもヤツから送られてきた物であったと思いだす。



 自分の有用さをアピールしているのだろう。


 それについては弥堂は一定の評価をした。




(だが――)



 とはいえ、それで気持ちよくこれから仲間として仲良くやっていこうと、そういうわけにもいかない。



 こいつが自分をナメていることには違いないからだ。


 その証拠に、ここ数日の奴からのメール内容は以前よりも気安いものに変わってきている上に、仕事と直接関係のないことまで送ってくるようになった。


 そのことについては釘を刺しておく必要がある。



『あまり気安く仕事に関係のない連絡をするな。一件につき指を一本切り落とすぞ。』



 改めて脅迫をする。



 廻夜から言われたのは『警察沙汰にするな』ということだ。


 それは警察にバレさえしなければ何をしてもいいということになる。


 弥堂はそのように受け取っていた。



『それってプロポーズですか⁉』



 Y’sからの返信は相変わらずだ。どうやらまだ甘く考えているらしい。



『冗談だとでも思っているのか。俺は本気だぞ。例え世界中のどこに居ようとも必ずお前を見つけ出す。』


『私も! いつもあなたを見ています!』


『自分の方が上だとでも思っているのか』


『そんなことありません! わたしがあなたの物です!』



 挑発的な言葉ばかりが返ってくる。



(こいつ……)



 部長に警告をされたばかりだというのに、この様子では自分のことだけでなく廻夜のことまでナメているようだ。


 弥堂は目を細める。



『いいだろう。必ずお前を見つけ出しその指をいただく。』


『はい! いつまでも待ってます! その時はあなたの指もください! 左手の薬指を!』


『やってみろ』


『これって結婚! 結婚ですよね⁉ お互いの薬指を交換して移植しあうなんて絶対結婚ですよね!』



 これ以上の問答は無駄のようだ。



『お互いに左手の薬指を管理しあえば、もう二度と他の異性から貰った指輪なんか付けられませんし、それって究極の束縛ですよね! つまり究極の愛ってことです!』



 必要なことはもう伝えた。


 あとは機会があれば必要なことをするだけだ。



(二度と巫山戯た文字を打てないように腕ごと斬り落としてやる)



 弥堂は今しがたやりとりをしていたアドレスを迷惑メールに指定しPCを落として立ち上がる。



 出掛ける為の着替えをしながら今日の予定を確認する。



 この後学園近辺で昼過ぎまでゴミ拾いのボランティア活動をし、MIKAGEモールのクリーニング屋から預けていた物を回収。


 そして一旦帰宅してから夜は取引相手との会談のために、新美景駅前歓楽街のキャバクラだ。



 特に夜の用事は大きなビジネスチャンスをモノにするための重要な用件となる。どんな手段を使ってでも先方に首を縦に振らせる必要がある。



(――その為の手段は問わない)



 弥堂 優輝は鋭い眼差しで学園指定ジャージの袖に風紀委員会の腕章を通しながら自宅の扉を出た。





 美景台学園の正門前の国道に沿って西に向かう。



 学園がある場所とは反対車線側は土手に接している。その土手を越えた先には美景川と名付けられた人工の河川が流れている。


 いつも学園に登下校する時と同じ、学園側の歩道でゴミを拾いながら弥堂は西へ――MIKAGEモールや新美景駅などがある方向へ――進んでいる。



 実際のところゴミはこの北側の歩道よりも、反対側の歩道の方が多く落ちていることが多い。しかし本日は休日ということもありあちら側の歩道は人通りが少ないため、弥堂は北側を選んで作業をしていた。



 現在行っているのは風紀委員会の活動の一環である、町内のゴミ拾いのボランティアだ。



 しかし、ゴミを拾うことはあくまで手段であり目的ではない。



 風紀委員会がこういったボランティア活動に勤しむのは、雑に謂ってしまえば近隣住民の好感度を上げるためのパフォーマンスでしかない。


 故にゴミは拾う。


 拾うが、拾い過ぎてはいけない。


 完全にゴミが無くなってしまえば好感度を継続して上げることが出来ないからだ。



 さらにゴミを拾う際には可能な限り人目につくように行わなければならない。



 せっかく地域へ貢献をしてやっても、それが誰にも気が付かれないのであれば、何の成果にも成らない。実質的な価値に繋がらないからだ。


 そういった理由から、弥堂は旧住宅街と呼ばれる家々が立ち並ぶ国道北側の歩道にて任務を遂行している。



 頑張った、協力した、貢献した、だのといったフワフワとした共感や自己満足など1円にもならない。つまりは無駄な行いだ。



 神は無駄をお許しにはならない。



 以前に弥堂の師のような存在であった修道女がよくそんなことを言っていた。


 修道女であり、教会暗部に洗脳された人間兵器でもあり、また当時の弥堂の飼い主の所へスパイとして潜入してきたものの頭のおかしい飼い主に二重に洗脳をかけられメイドとしていい様に使われつつ、教会にもこちら側にも情報を流す二重スパイにされてしまった複雑な女だ。



 弥堂はそんな面倒くさい女と何故かパートナーを組まされたのだが、全く使い物にならない弥堂に彼女はよく血の滲むような修練を課してきた。


 その訓練にて弥堂がヘバってしまった合間の時間などにこういった教会の教えをしつこく説いてきたのだ。



 記憶の中から記録を引き出す――



『――いいですかユウキ。聞いているのですか? 私たちに限らず遍く生き物は、この身体や魂に限らず血の一滴まで全てが神によって与えられたからこそ、こうして生きてこの世界に存在をすることが出来ているのです。つまり私たちは神の所有物なのです。そんな私たちが無駄な行いをし、時間を無駄にすることは神を冒涜する行為に等しいと知りなさい。だからあなたは1秒でも早く業を習得し、その業を以て神に貢献をする必要があるのです。あなたはよく、何を言っているかわからないだとか、無理だとか言いますが、無理かどうかを決めるのは神です。あなたにそれは許されていません。いいですかユウキ…………ユウキ? ちゃんと聞いているのですか? 人の話を聞く時はちゃんと私の目を見なさい。目線を隠すのは敵に対してのみです。私はあなたの敵ではありません。では続きですが、重ねて言いますが人間を創りだしたのは神です。私や他の者はこの業を習得出来ていますよね? 何故なら人間には出来ることだからです。あなたも人間です。つまり、あなたにも出来ることなのです。神がそのように人間を創っています。その神に創られたあなたが無理だなどと口に出すのは、神の全能を疑い否定するも同義です。いいですか? 無理は背教者の言葉です。異端です。この場には私だけだったからよかったものの、他で口にするんじゃありませんよ? 異端審問にかけられても文句は言えません。では、実際どうすれば身に付けられるのかという話ですが。簡単です。出来るまでやればいいのです。信仰心が足りていれば必ず出来ます。出来ないのはまだ信仰が足りていない証拠です。言いつけどおりに毎晩祈りを捧げていますか? もっともっと出来るまでやりなさい。いいですか? 『出来る』か『死ぬ』かです。出来るまで生命を賭けなさい……なんですか、その目は? 言いたいことがあるのなら言いなさい――』



 血反吐を吐きながら『零衝』を習得した数日後の訓練の時の記憶だ。



 相手の身体に触れ内部に直接衝撃を徹して内側から破壊するというのが零衝という技の概要なのだが、その発展形として応用技を教えられていた時のことだ。


 その応用技というのが、相手の身体に触れずとも衝撃を打ち込むというものだと彼女は――エルフィーネは云った。



 自分と相手の身体の間には空気がある。その空気に自在に威を徹すことが出来れば相手に触れずとも自分が一歩も動かずとも、距離に関係なく敵を殺すことが出来ると師は仰った。所謂『遠当て』のようなものだ。



 当然のことながら、弥堂は師である彼女に『ちょっとなにを言っているのかわからない』と率直に正々堂々と心の内を明かした。


 そうしたら彼女は「わからなければわかるまで身体で覚えるのです」と宣い、杭のように地面に打ち付けた丸太に弥堂を縛り付け一定の距離からその応用版の零衝をしこたまぶちこんできた。



 それでも一向にコツを掴むことが出来ない不出来な弟子に対して、とっても面倒見のいいお師匠様は別の方法を考えて下さった。



 その方法とは、肌――つまり身体の外部で感じることが出来ないのであれば、まずは身体の内側で感じることから始めましょうとのことだった。


 そして彼女は磔になった弥堂の心臓に近い位置にナイフの刃をあて、ジャガイモの皮を剥くようにして皮膚の一部を剥ぎ取った。


 そして、その患部に向けて執拗に零衝を撃ち込み続けられるという拷問を受けた結果、3回目の心停止をした後にようやく休憩を許され、その際に言われたのが先程のありがたいお言葉だった。



 それに対する弥堂のアンサーはこうだった。



「――無駄なことをしているのはお前の方だろうが。いいか? 『お前には才能がない』『お前は出来損ないだ』、俺にそう言ったのはお前らだろう。だったら、その俺にこうして訓練を施すこと自体が無駄なことなんじゃないのか? つまり俺が無駄なことをしているのではなく、お前が無駄なことをしているんだ。お前が俺とお前の時間を無駄にしているんだ。お前の神は無駄を許さないと言ったな? だったらお前は背教者だ。この裏切者のクズめ。あ? ごめんなさい? 謝ったということは非を認めたな? だったら今すぐこのナイフを取れ。『これはなにか』だと? 決まっているだろう。今すぐ無駄を全て無くして最短で結果を出せ。俺を殺すかお前が死ぬか、だ。『出来る』か『死ぬ』かなど時間の無駄だ。そんなことに時間をかける必要はない。どうせ出来ねえんだから今すぐ俺を殺せばそれで話は終わりだろうが。それが出来ないのなら、無駄をしたことを神に詫びてお前が死ね。ただし、お前が死んだら孤児院のガキどもはどうなるだろうな? 当然野垂れ死ぬだろうな。生命が無駄になるな。それにお前があいつらを拾ってきてこれまでに掛けてきたコストも全て無駄だ。無駄、無駄、無駄だらけだ。やっぱりお前は異端なんじゃないのか? どうなんだ、おい。泣いてねえで答えろよ」



 なかなか仕事に必要なスキルを覚えられない部下へパワハラをしてくる上司に対して、不出来な部下は逆ギレをしてパワハラ倍返しで激詰めをした結果、上司であるメイド女は地に蹲って泣き崩れてしまった。



 弥堂は不憫な師にそっと歩み寄って彼女の背中に手を伸ばすと、首の後ろで留めていたロザリオの革紐を解いてからメイドスカートを捲りあげ、彼女の頭の上で裾を無理矢理結び、メイド女を巾着女に強制的にクラスチェンジさせた。


 そして彼女の首から毟りとった彼女の信仰の証である十字架を懲罰を与える鞭のように振るい、ベージュの地味パンツに包まれた彼女の尻を何度も打った。


 さらに耳元に口を寄せ、彼女の信じる教義と神の存在を否定する言葉を囁く。



「――大体お前らの教義とやらは矛盾が多いんだ。もっとちゃんと考えろ。全知全能の神だと? 出来るように神が人間を創っている? それが本当なら何故才能のある人間と無い人間がいるんだ? 俺が出来損ないなのではなく、神が俺を創り損なったんじゃないのか? 本当は神なんていないんじゃないのか? あ? 『いるもん』じゃねーんだよ。じゃあお前見たのかよ? 連れて来いよ。そんなんだから教会のクソオヤジどもにいい様に使われんだよ、このバカ女が。まぁ、いい。んじゃ、神がいるとして、そいつが万能なんだとしたら、誰が悪いんだろうな? お前に出来たことが出来ない俺が悪いのか? しかし、こうも考えられないか? お前もそのイカレた技を誰かに教わったよな? お前のその師だか教官だかはお前に技を覚えさせることが出来たのに、お前は俺にそれを覚えさせることが出来ない。つまりお前が悪いんじゃないのか? どうなんだ? 悪いのは俺か、お前か? あ? 『ごめんなさい』じゃねえんだよ。俺は誰が悪いのかって訊いてるんだ。俺の許可なく勝手に謝ってんじゃねえよ。おら、答えろよ。悪いのは俺か、お前か、それとも神か…………、ほう、お前が悪いのか。じゃあ謝れよ。お前は本当にどうしようもねえな。お前のような信仰の足りない教徒を果たして神は許すかな? だが、俺はお前を許してやる。特別にな。例え神が許さなくても、俺だけはお前を許してやる。だから今日の訓練はもう終わりだ。帰るぞ。おい、早く立て。いつまで泣いてるんだ、めんどくせえな。チッ、もういい。先に帰るから後は勝手にしろ――」



 自らの信じる神を否定するようなことは絶対に彼女には出来ない。


 それをいいことに責任の所在を問いつめていくと、エルフィーネは『ごめんないさい』としか発言しなくなった。


 そんな彼女をお尻丸出しのまま放置して帰った人でなしは、こういうことをして彼女の情緒を滅茶苦茶にする度に彼女の自分への依存度が高まり、愛情表現も段々と偏執的になっていっていたことにまるで気がついていなかった。



 ちなみにこの日は、窃盗団のアジトを襲撃する任務の前日だったのだが、この後数日ほどエルフィーネが塞ぎこんでしまい使い物にならなくなったので、弥堂は単独で殴り込みに行くハメになった。


 その任務の最中、危うく生命を落としかけるような危機もあったのだが、その危機を奇跡的にこの応用型の零衝を放つことが出来たおかげで乗り切れた――ようなことはなく、彼女にしこたま痛めつけられたおかげで、ちょっとやそっとのダメージでは気絶しないという耐性が身についており生き延びることが出来た。



 しかし、だからといってそれで彼女に感謝を告げることはない。



 弥堂が人でなしのクズであるのは間違いがないが、元々一般的な日本の中学生に過ぎなかった彼がそうなったのはエルフィーネも含む周囲の人間関係の影響が大きい。


 アレな人がアレな人を生み出し、アレとアレが混ざり合ってよりアレになっていく。クズとクズが織りなす負のシナジーによって互いに業を深め合っていた。



 そんなかつての出来事を思い出しながら半自動的にゴミ拾いをして移動をしていると目的地に着く。



 中美景公園だ。



 ここは旧住宅街と新興住宅地との境にあり、ショッピングモールも近い。


 そのため、休日には多くの市民がこの場所を利用している。



 この場所でこれ見よがしに美景台学園のジャージを着てゴミ拾いをすれば多くの人目に晒され、そして自身の貢献をより多くアピールをすることが出来る。



 弥堂は腕に着けた風紀委員会の腕章の位置を調節し、公園の中へ入っていった。




「おーい! 兄ちゃーん!」



 聞き覚えのある声が聴こえ、自分が呼ばれたのだと判断をして弥堂は顔をあげた。


 公園の入り口の茂みに突っ込んでいた手を引き抜き声のした方向に眼を向けると、公園前の道路を反対側の歩道から手を振る子供たちがいた。



 弥堂と目が合ったことがわかると先頭で手を振っていた男の子はニカッと笑い、道路を渡ってこちらに駆けてくる。


 その後ろにいた二人の男の子がキョロキョロと目を動かしてから慌ててその後に続こうとするのを見て、弥堂は車道へ目線を振った。



 パタパタと近づいてくる足音を聴きながら立ち上がりつつ、手にはめた軍手を外す。



「兄ちゃん、遊ぼうぜ」


「かける。道路を渡る前に首を振れと言っただろう」


「右見て左見てまた右見ろ的なやつだろ? ダリィよ。オレそんなのやんなくても何となくわかるんだ。よゆーだぜ!」


「……お前がそうでも、そいつらは違うだろう?」



 顎を振って彼の背後を示してやると、かけるの後を追ってきた子たちが遅れて到着したところだった。



「かける君。一人で先に行かないでくださいよ」

「速いよ、かけるくーん」


「お前らが遅すぎるんだよ」



 息を弾ませて抗議をする仲間たちに、かけるは悪びれもせず言い放つ。



「お前に余裕があるんなら、お前がそいつらの分まで周囲を見てやれ」


「えー。めんどくせーよー」


「お前に着いていくのに夢中で周りを見てなくて、そいつらが車に轢かれたりしたら嫌だろう?」


「え? それはヤダな。車に轢かれたら痛いんだろ? かわいそうだぜ」


「そうだな。運が悪ければもう一緒に遊べなくなるぞ」


「マジかよ⁉ どうしたらいいんだ、兄ちゃん」


「簡単だ。仲間のために首を振れ。それで声をかけて気付いたことを教えてやれ」


「わかったぜ! それいつやればいいんだ⁉」


「いつもだ」


「いつも⁉」



 ガーンとショックを受けて「マジかよ……めんどくせえな……」と呟きながら引っ込む彼と入れ替わる形で、息を整えた二人が話しかけてくる。



「こんにちは、弥堂さん。今日もボランティアですか?」

「お兄ちゃん、こんにちは」


「あぁ、こんにちは。そうだ。いつもの仕事だ」



 答えながら軍手を着け直し作業を再開しようとしていると、かけるが戻ってくる。



「兄ちゃん、サッカーしようぜ! 暇だろ?」


「かける。俺はゴミを拾ってるんだ。ちゃんと話を聞いていろ」



 呆れたような声を出しつつ、彼に顔を向ける。



「いいじゃん。そんなのつまんねーだろ? サッカーしようぜ!」


「かける君、そんなこと言っちゃダメだよ」


「なんでだよ。この兄ちゃんいっつもゴミ拾ってんだから今日くらい仲間に入れてやってもいいだろ? かわいそうだから一緒に遊んでやろうぜ」


「そうじゃないですよ。邪魔しちゃ悪いでしょってことです」



 弥堂に向かってサッカーボールを突き出すかけるを仲間二人が窘める。



「別に俺はいつもゴミ拾いをしているわけではない」


「え? だって兄ちゃん会うたんびにゴミ集めてんじゃん」


「休日になると俺はここにゴミを拾いに来る。そしてお前らは休日にここに遊びに来る。だから俺達は休日にここで顔を合わせる回数が増え、そしてその度にお前らは俺がゴミを拾っているシーンをよく見る。だからそんな気がするだけだ」


「なに言ってんのかわっかんねーよ、兄ちゃん。もっと簡単に言ってくれよ」


「ち〇こ」


「ギャハハハハっ! ち〇こ! ち〇こって言った! 兄ちゃんいっけないんだー! ギャハハハハ」



「いけないんだー」といいつつ彼は「ち〇こ! ち〇こ!」と大はしゃぎで、今しがた疑問に思っていたことも弥堂を遊びに誘うことも忘れてキャッキャッと小踊りする。



 彼らはこの近所に住む小学生で、弥堂の言ったとおり休日にボランティア活動でこの中美景公園に訪れると顔を合わせることが多い。先程のように物怖じをせずに遊びに誘ってくるため、すっかりと顔見知りとなった低学年のおともだち達だ。



 ちょっと生意気な元気印の“かける”。メガネをかけて大人びた口調で喋る“はやと”。他の子より身体がまだ小さく少し内気な“しゅん”。仲良し3人組の小学生である。



「いつもかける君がすみません」


「別にかまわん」


「ボクたちもお手伝いしようか?」


「いや、大丈夫だ」


「でもみんなでやった方が早く終わるよ?」


「終わってしまったらゴミがなくなってしまうだろうが」


「え?」



 お目めをぱちぱちさせる男の子たちへ弥堂は年長者として説明をしてやる。



「ゴミを拾うためにここに来ているのにゴミがなくなってしまったらもうゴミを拾えないだろ?」


「えっと……、弥堂さん……? 言ってる意味が……」

「お兄ちゃんはゴミをなくすためにゴミ拾いしてるんじゃないの?」


「いや、ゴミ拾いはあくまで手段であり目的ではない」


「どういうことなの?」

「むずかしいよ」



 弥堂は知的好奇心が旺盛な子供たちに社会について教えてやることにした。



「お前ら、休みの日に誰に言われたわけでもなく、こんな所で他人の捨てたゴミを拾っている俺のことをどう思う?」


「え? それはとても立派だと思います」

「うん! お兄ちゃんはいい人なんだなって思うよ!」


「そうだろう。そんないい人な俺が通う美景台学園がとてもいい教育をしているいい学校なんだと思うだろう?」


「はい。うちの母も褒めてました」

「ボクのママもね、みんなでお兄ちゃんの高校に行けばいいんじゃない?って言ってたよ!」


「それこそが俺の狙いだ。いいか? 通常このように働いたら金を貰えるよな?」


「はい。労働には対価が必要です」

「ボクもママのお手伝いするとお小遣いもらえるよ!」


「そうだろう。だが、このゴミ拾いは仕事ではない。雇い主がいないからな。だから金は貰えない」


「え? お兄ちゃんかわいそう」

「まぁ、それがボランティアですし仕方ないですよね」


「だから、金以外の報酬を貰うんだ」


「え?」



 純真な子供たちは目の前の大人の目が濁っていることにはまだ気付けない。



「先程お前らは言ったな? 俺がいい人であると。そう思われることこそが報酬なんだ」


「で、でも、無償で奉仕することがボランティアだって先生が……」


「それは嘘だ。大人はそうやってお前らガキを騙してタダ働きをさせようとするんだ」


「そ、そんな……、先生がそんなことをするわけ……」

「そ、そうだよ……! 先生やさしいもん! 間違えてママって呼んじゃった時も怒らなかったんだよ!」


「それはどうだろうな」


「――嘘つくなよ、兄ちゃん」



 ポーン、ポーンとリフティングをしながらかけるが戻ってきた。



「オレ、兄ちゃんのせいで先生に怒られたんだからな」


「ほう」


「こないださ、学校のみんなで草むしりしましょーってなってさ。そんでオレ言ったんだよ。『こんなとこでやっても目立たねーから意味ねーって、仕事させんなら金くれって』よ。そしたら先生が『ボランティアはそういうものじゃありません』って言ってよ。めっちゃ恥ずかしかったぜ」


「そうか。だがお前らも10年もすれば気付く。誰が嘘つきだったのか」


「ヤなこと言うなよ! 絶対ぇ兄ちゃんが嘘つきだよ。だって顏がワルモノだもん。今はいいことしてっけど、隠れてなんかやってそうだもん」


「うるさい。もういいからそっちでサッカーしてろ」


「おう! 兄ちゃんも混ぜてほしくなったら言えよな!」


「あぁ。ちゃんと周りを見ながらやれよ」


「わかったー!」



 作業中に話しかけてくるマナーのなっていない子供たちを弥堂は追い払った。彼らは少し離れた場所で三角形になりパスをし合う。


 子供たちの声とボールを蹴る音を背景にしながら暫く作業を続けた。



「兄ちゃん! おい、兄ちゃん!」


「……なんだ」



 しかし、そうは時間を置かずにまた声をかけられる。



「これむずいよっ! キョロキョロしながらやるとトラップできねえよ!」


「工夫しろ。なんかこう、いい感じにやれ」


「テキトーだなっ! こんなことしてイミあんのかよ⁉」


「さぁな。もしかしたら、いつかいいことがあるかもしれないし、ないかもしれない」


「ちくしょうっ! 大人ってそうやって子供を騙すんだな!」


「そうだ。子供は黙って言うことを聞いていろ」


「それ知ってるぜ! パワハラだ!」



 口ぶりとは逆に彼らは楽しそうにボールを蹴り合っている。


 それを横目にしながら作業に戻ろうとすると、新たに人が現れた。



「みんなーーっ!」



 パタパタと足音とともに幼い女の子の声が近づいてくる。


 キャッキャッとボール遊びをしていた男の子たちはその声を聴くと揃ってハッとし、気持ち表情をキリっとさせた。



「わたしもいっしょに――あっ⁉」



 駆け寄ってきた女子は男の子たちの少し手前で転んでしまう。


 すると。気持ち精悍な顔つきをしたショタたちはサッと駆け寄った。



「えへへ……、転んじゃったぁ……」


「ったくよ、“みいろ”はドジだよな。そんなとこに座ってたら邪魔だからよ、ほら立てよ」

「理解に苦しみますね。何故何もない所で躓くんです?」

「ボク絆創膏持ってるから貼ってあげるね?」



 そっぽを向きながらぶっきらぼうに手だけを差し伸べる“かける”。


 その手をとって立ち上がる女の子の背後でメガネをクイっとしながら愛想のないことをぼやきつつ肩を支える“はやと”。


 そして立ち上がった女の子の前で跪き、上目遣いで純粋な瞳を向けてから膝に絆創膏を貼ってあげる“しゅん”。



「みんなありがとう! ねぇ。わたしも仲間に入れてよ!」


「あ? オレたちはサッカーやってんだ。危ねえから女は下がってろよ」

「実際問題、足手まといなんですよ」

「ボ、ボクは別にいいと思うんだけど……、ゴメンね……?」



 三者三様に何かしらのキャラ付けがされたような安易な会話が繰り広げられる。



「そっか……、やっぱりわたしなんかとは誰も仲良くしてくれないんだね……、わかってた。だって前からずっとひとりぼっちだったもの……!」


「おい待てよ、“みいろ”。オレのモノになれよ?」

「貴女みたいなヒト、危なっかしくて放っておけませんよ。面倒を見切れるのは私だけです」

「ボクね、“おねえちゃん”のことだいすきっ!」


「えっ……? どうしたの……みんな? そんな、急に困るよ……」


「ハッ、おもしれえ女」

「貴女は不思議なヒトですね」

「ボクにはわかるんだ……、“おねえちゃん”はやさしい人だって……」


「そんな、こんなのってないよ……。わたしはただみんなと仲良くしたいだけなのに……、あーつらい、とってもつらいよぉー。もうわたしのことは放っておいてよぉー」


「みいろ」

「みいろさん」

「おねえちゃん」


「わたしは平穏に暮らしたいだけなのに、急に色んな男の子に言い寄られちゃって……、これからわたし一体どうなっちゃうのぉ~~~!」



 “みいろ”と呼ばれた女の子がバッと両腕を広げて空に向かって一頻り声を伸ばすと、男の子達はスンと表情を落とし、数秒その場で待機してから所定の位置に戻り何事もなかったかのようにパス練習を再開した。



 弥堂がその一連の謎の茶番を胡乱な瞳で見ていると、女の子も何事もなかったかのような振舞いでこちらへ歩いて寄ってきた。




「こんにちは、お兄さん」


「……美彩みいろ、前にも聞いたことがあったかもしれんが、今の遊びはなんなんだ?」


「もうっ、お兄さんっ! ちゃんとこんにちはしないとダメなんだよっ」


「悪かったよ。こんにちは美彩」


「はい、こんにちはお兄さん。あとね、“みー”のことは“みー”って呼んでっ」


「わかったよ、“みー”。これでいいか?」


「うんっ」



 美彩はニコッと笑顔を見せる。



「それで? さっきのは?」


「うん。あれは『乙女ごっこ』だよ?」


「……おとめ……?」


「そうだよっ」



 曇りのない純真な瞳でそう告げられ弥堂は慎重に考えた。



「その、なんだ……? 乙女、とは……?」


「えっ? 乙女は乙女だよ? ヘンなお兄さん」


「……というのは、先程のお前の振舞いが乙女で、それを演じるごっこ遊び……という意味か?」


「えっ? たぶん……? もうっ、お兄さんは言い方がむずかしくてよくわかんないっ!」


「……それは、悪かったな」



 とりあえずの謝罪をしながら弥堂は歪みそうになる眉の形を努めて平坦に維持した。



「乙女とはああいった女のことをいうのか?」


「そうだよ? あのね、お姉ちゃんのお部屋にあったマンガとかゲームの女の子があんな感じだったの!」


「……お姉ちゃん、漫画、ゲーム」



 弥堂は新たな情報を慎重に咀嚼していく。



「あのね? わたしたち幼稚園からずっと一緒だったのに、最近みんなサッカーとか男の子たちだけで遊んでてね、あんまりいっしょに遊べなくなっちゃってたの」


「そうなのか」


「それでね? お家で一人でご本読んでたりしたんだけど、すぐに読むのなくなっちゃって……。それでね、お姉ちゃんに漫画貸してもらおうと思ってお部屋に行ったらね? お姉ちゃんいなかったんだけどベッドに乙女の本がいっぱいあったの!」


「……そうか」


「そのご本だとね? さっきみたいな感じの女の子がいっぱい男の子たちに仲良くしてもらっててね? わたしね、これだっ!って思っちゃったの!」


「……思っちゃったのか。ちなみに、姉はいくつなんだ?」


「えっとね、高校生だよ! お兄さんと同じくらいじゃないかな?」


「……そうか」



 返事をしつつ弥堂は考える。


 乙女とはそのようなものだったか。



 しかし、乙女というものについて一家言を持たない弥堂ではすぐに答えが出てこない。なので記憶の中に乙女について記録されているものはないかと探してみる。


 すると――



――うっさいわねっ。乙女の嗜みよっ!



 近い記憶から探っていったら割とすぐに該当するものが見つかった。


 先日の希咲 七海の言葉である。



 一体どういったやりとりであっただろうかと思い出してみる。



『戦闘に身を置くことを前提として生きているわけではないが、常人の目には留まらないスピードで動き、成人男性の首の骨をいともたやすくヘシ折れる威力の蹴りを放てるような戦闘能力』



 これが乙女の嗜みであるというのが彼女の主張だった。




(――ダメだ)



 弥堂は首を振って記録を振り払う。



 自身には馴染みの薄い、乙女という概念について思考を巡らせてみたが、弥堂の記憶にある女性たちは大概が頭のおかしい女ばかりであった。これらを常識として年端もいかない小学生女子に教えるわけにはいかないと口を噤む。



「ねーねー、お兄さん」


「……なんだ?」



 そのように間誤付いていると女児に話しかけられる。



「あのね? 最近乙女ごっこもマンネリしちゃってきたから新キャラでテコ入れしたいんだけどね、演者が足りないの。だからお兄さんも手伝って?」


「お前意味わかって言ってんのか? 大体俺に何をさせるつもりだ」


「あのね! “あくやくれーじょー”が足りないのっ!」


「…………」



 弥堂は小学生女子の拙い言葉を慎重に翻訳する。



「……それは悪役の令嬢ということか?」


「そうだよー! 人気なんだよ! 特別にお兄さんにやらせてあげるね?」


「……申し訳ないが俺は令嬢ではないんだ」


「悪役ではあるの?」


「うるさい」



 コテンと首を傾げる女児にきちんと説明をする。



「いいか、“みー”。俺は女ではないので令嬢にはなれない。それに風紀委員なので職務倫理上の問題で悪役をすることは憚れるのだ」


「むーっ、またむずかしいことゆったー!」


「すまない。簡単に言うと俺は女ではない、だから遊ぶなら年の近い女の子を誘ってはどうだ?」


「えー? だって“みー”ね? いろんな男の子と仲良くしたいなー。女の子は“みー”にイジワルするんだもん」



 チリチリと首筋が焦げ付くような感覚を覚える。



「だからお兄さん――“みー”となかよしになろ?」



 ゾクリと背骨に怖気が走った。



 前々から薄々感じていたが、弥堂はこの女児に危険を覚えていた。



 相手は小学生だ。


 そんなわけはない。


 そんなわけがないのだが、脳内ではメンヘラセンサーが喧しく警報を鳴らし続けている。



「……考えておこう。あと悪役令嬢については心当たりがある。今度紹介してやろう」


「えー。あ、でも女の子にイジワルされると、それを見た男の子が優しくしてくれるからいいのかな……?」


「……そうかもな」



 弥堂は無難な回答をすることに努め、まともに話したこともないクラスメイトを売ることに決めた。



 それよりも――と、乙女について思考を戻す。



 彼女の姉が所持していたという乙女の本にゲーム。



 少女漫画のような物かと思ったが、どうにもキナ臭い。


 キナ臭いというかイカ臭いというか、チーズ臭い。


 そんなニュアンスだ。



 小学生にとっては不健全なものなのではと感じたが、如何せん弥堂は乙女についての知識もなければ少女漫画などへの見識もない。


 余計な口を出すよりもここは一度有識者である廻夜部長の意見を伺ってみるべきかと考える。


 そもそも他所の家のことで自分には関係ないし、相手が大人なら勝手に好きなことをして勝手に死ねばいいと思っているが、顔見知りの子供がおかしな育ち方をするとわかっていて見過ごすのはしのびない。


 ここは慎重な対応が求められる。



 そんなことを考えつつ、だが身の危険も感じるので、そろそろこの場を離脱するべきかと思い始めたその時――



「――クラァッ! ゥラァッ! テメェコラァッ!」



 閑静な公園に怒号が轟いだ。



 そしてその怒号が自分に向けられたものであると弥堂は判断をしたので、不安そうに寄ってきた子供たちを背後へ隠す。



 公園の入り口の方から、見るからに特殊なご職業に就かれていることがわかるガラの悪い二人の男がヨタヨタと歩いて近寄ってきた。



「オゥコラ、狂犬のぉ。オドレずいぶんと景気がよさそうじゃあねえか」


「ヘメー、ファレにこフォワッヘここベヒョーバイフィホんビャボケェっ!」


「……ここはオレらのシマだ。一応テメーは若の客人だが盃を交わしたわけじゃあねえ。あんま好き放題してんじゃねーぞ」


「ナメフェッホエンコフめファッボフォラァッ!」


「……ヤス。ちょっとオメェ黙ってろ」



 色の濃いグラサンをかけアイパーでバリッとリーゼントを固めているアロハシャツを着た男が、至近距離で弥堂にガンをつける色眼鏡をかけたパンチパーマの男を引き剥がした。



「誰だ、お前ら」



 震える子供たちの前で弥堂は顔色一つ変えずに問う。



「アァッ⁉ テメェいつなったら人の顏と名前覚えんだこの野郎ッ!」

「ナメフェッホエンコフめファッボフォラァッ!」



 当然きっちりと記憶しているのだが挑発をするためにすっ呆けてみせると、男たちは色めきだった。



皐月組こうづきぐみじゃあコラァッ! オレァ暴発リュージ!」


 ガバっと股を開いてポケットに突っ込んだ手でボンタンを広げつつ顎をあげて名乗ったのはグラサンリーゼントの男だ。



「同ふぃくっ! オレァアンパン売りのヤヒュビャア~ッ!」


 続いてガバっと股を開いて存在しない眉を眉間にグッと寄せて名乗ったのはアンパン売りのヤスちゃんだ。

 彼は大好きなアンパンを食べ過ぎたせいで前歯の本数が心許無くなってしまった為に、日本語の発音が困難なのだ。詳しい事情は不明だが、きっと歯磨きを怠ってしまったのかもしれない。特にサ行とタ行を縛りプレイしているらしい。



 そんな彼らへ弥堂は侮蔑の眼差しを向ける。



「お前ら、簡単に組の名前を出すなと惣十郎そうじゅうろうに言われてるだろ」


「だとこら、んなダセェ真似できっかよダボが! こっちは命がけで看板背負っとんじゃ!」


「その看板を持ってかれるから名前を出すなと命じられてるんだろ」


「知ったことかよクソが! サツごときナンボのモンじゃボケェッ!」


「ナメフェッホエンコフめファッボフォラァッ!」


「……ヤス。とりあえずオメェは何言ってっかわかんねえから黙ってろ。な?」



 腕まくりしながら前に出ようとするヤスちゃんのジャージの襟をリュージが掴んで止めると、ヤスちゃんの背中のウサちゃんマークと『PRAY BOY』の文字が歪んだ。



「お前らヤクザなんだから暴対法くらい覚えとけ」


「いや無理だろ。ムジィよ。そんなんわかるなら高校落ちてねえよ」


「お前らがそんなんだから外人どもにナワバリ持ってかれんだよ」


「アァ? そんなんすぐに取り戻したるわ。ナメんじゃねえぞ?」


「そうだといいな」



 馬鹿と話しても無駄だと適当に流すとクイクイと袖を引かれる。そちらに目を向けると、怯える“かける”が見上げてきた。



「に、兄ちゃん……、ヤクザ……、ヤクザだよ……っ!」


「あぁ、そうだな」


「そうだなって――」


「――ビャーッピャッフィボ、フォラァッ!」


「――ひぃっ⁉」



 突然奇声をあげたヤスちゃんはバッと身を低くし、キョロキョロと周囲を窺いながら慎重な動作で“かける”に近づく。

 そしてゴソゴソと懐から取り出した物を4本指で掴みスッと“かける”に差し出す。


 色眼鏡の奥の瞳が意外と澄んでいたので“かける”はつい受け取ってしまった。


 手の中の物を見てみるとそこにあったのは、ここいらのコンビニチェーンで売られているアンパンだった。



 ニィっと口元に蓄えたチョビヒゲを歪めて笑顔を作ってから、ササッと元の位置にヤスちゃんが戻るとリュージが口を開く。



「坊主。滅多なこと言うもんじゃあねえぞ? ヤクザって言ったら逮捕されちまうぜ?」


「えぇっ⁉ オレ逮捕されちゃうの⁉」


「あぁ。だが今回はオマワリにバレなかったからセーフだ。バレたらヤベェぜ? 気ぃつけな」


「そ、そうだったんだ……」


「よく覚えとけ。ヤクザって言ったら逮捕。悪いことしてもオマワリにはバレなきゃOK。これだけ覚えときゃ高校行けるぜ」


「う、うん……。ありがとおじさん……」



 おずおずと礼を述べるかけるに、リュージはニッと歯列を見せつけた。



「つーか、坊主よ。お前らコイツの弟か?」


「え? ちがうよ?」



 きょとんとした顔をするかけるの返答にリュージは眉を寄せ、表情を神妙そうなものにする。



「ワリーこた言わねえ。コイツとは関わるな。高校行けなくなっちまうぞ?」


「えぇっ⁉ なんで⁉」


「コイツはダメだ。普通に頭イカレてっからよ。ぜってぇそのうちパクられっから近づかない方がいいぜ」


「で、でも……、確かにこの兄ちゃん顏コエーし、わけわかんないことばっか言うけど、今日だってゴミ拾いとかしてるし、これでも結構いいとこあるんだぜ!」


「アァ? ゴミ拾いだぁ?」



 ヤクザに社会不適合者扱いされ、小学生に擁護されるという屈辱に弥堂が怒りを感じていると、ギンッと表情をイカつくしたリュージがガンをつけてくる。



「オゥコラテメェ! ダレに断ってうちのシマでゴミ拾いしとんじゃあっ!」


「えぇ⁉」



 ゴミ拾いをしているのに大人に怒られるという事態に小学生たちはびっくり仰天する。



「あ? 何か文句があるのか?」


「大アリに決まってんだろうがぁっ! ここら守ってんのは皐月組じゃあ! うちのシマのゴミはオレらのモンなんだよ! オレらが全部カタづけるって決まっとんじゃあ!」



 ジロリと眼を向ける弥堂に食って掛かるリュージと、無言でヨタヨタと弥堂の周りをうろつきながらガンをたれるヤスちゃんの手には、よく見ればゴミ袋と銀色のトングが握られていた。



「つまりここのゴミを寄こせと俺に言っているのか?」


「当たり前じゃボケェッ! 若に目ぇかけてもらってっからってチョーシこくんじゃあねえよ! どうしてもゴミが欲しいんならきっちりミカジメ料納めんかいぃっ!」


「ナメフェッホエンコフめファッボフォラァッ!」


「ナメているのは貴様らだ。俺に命令をするな。二度とゴミを拾えないように指を全て切り落としてやる」


「なんでケンカすんの⁉ 協力して一緒に拾えばよくない⁉」



 小学校で習った常識が全く通用しない大人たちの会話に子供たちが大混乱する中、弥堂とヤクザコンビは一触即発の雰囲気になる。



 その時――



「――待たんかイィッ!」



 大きなダミ声が公園の入り口の方から響いた。



 新たな人物の登場に小学生たちはお家に帰りたくなったが、知ってるお兄ちゃんが心配だったので我慢して声の方に目を向けた。



「アニキィッ!」

「アニフィィ!」



 リュージとヤスちゃんが歓喜の声とともに振り返ると柄シャツの上に白スーツを羽織った一人の男が居た。



 呼び声に応えてガバっと股を開き仰け反る程に胸を張りながら天を見上げると、プフーッと咥え煙草の隙間から煙を噴き上げる。



「オ~ゥ、オメェらぁ。往来でなァにをヤンヤヤンヤやってやがんだァ~? カタギに迷惑を――」



 言いながら顔を動かし睨み合う弥堂とヤスちゃんの姿を見つけ、ギンッと険しい眼差しを向けるとダッと走り出した。



「ゥオォラァッ! クラァッ! ボケェっ!」



 威勢のいい声を上げガッと胸倉を掴みあげると、走ってきた勢いそのままにバッと跳び上がる。1秒にも満たない滞空時間の中で上体を思い切り逸らして振りかぶると渾身の頭突きをお見舞いした――



――パチキだ。



 額に額を勢いよく打ち付けられプシっと血飛沫をあげながら地面に倒れる。


 兄貴はすかさず追撃をかけるため得意のストンピングを繰り出した。



 弥堂はその様子を醒めた様子で見下ろす。



「オラァ! ヤスぅ、コラァ! オドレなにガキ連れに絡んどんじゃあぁっ!」



 もんどりうって倒れたヤスちゃんに兄貴は容赦のない怒りを叫びながら蹴り続ける。



「今のご時世すぐにパクられっからカタギに喧嘩売るなって、オドレなんべん言わさすんじゃボケがァっ!」



「ウラァッ! ウラァッ! ウラァッ!」と威勢よく踏みつけ続けているとやがてヤスちゃんが丸まってプルプルとしてしまう。



「あっ、兄貴ぃっ! ど、どうかそのへんで……ヤスの前歯がなくなっちまう……」



 慌ててリュージが止めに入ると、ようやく兄貴はヤスちゃんから離れた。



「すまんのう、兄さん。ここはワシに免じてひとつ――」



 フゥーと息を吐き額の汗を拭いながら顔をこちらへ向ける兄貴と目が合うと、彼は驚いたように目を見開きプポっと咥え煙草を吐き出した。



「オドレェ! 狂犬じゃねえかテメェこの野郎っ!」



 即座に怒りを露わにして近寄ってくる兄貴には目もくれず、弥堂は地面に落ちた煙草をササッと拾ったヤスちゃんにピクっと瞼を動かした。



「オゥコラ狂犬の~。ワシらのシマで随分ハバきかせとるやんけワレェ~。若の兄弟分だか知らねえがのぅ、まだ正式に跡目を継いだわけでもねえ。ワシら全員が納得してると思うんじゃねぇぞ……オゥコラ、ワレきいとんのけ? ビビっとんのか」



 ウラァ、クラァと威嚇の鳴き声をあげつつ兄貴はスッと二本指を立てて手を横に出す。


 それに素早く反応をする者が二人。


 サササっと寄ってきたリュージが懐から煙草を取り出して兄貴へ差し出し、鼻血を垂らしたままのヤスちゃんがライターを構えて脇に控えた。


 滞りなく煙草に着火をすると二人の弟分は後ろに控え、兄貴は満足そうに煙を吐き出す。



 そうするとケホケホと咳きこむ声が漏れる。



 それに気付いた兄貴はハッとした顔になった。



「おぉー、ワリィワリィ。そういやガキがいたんだったな。カーッ、ったくよぉ、最近の世の中は極道だけじゃなく喫煙者にも冷たくってかなわねえや……」



 言いながら、今しがた火を点けたばかりの煙草を足元に落とし、靴の踵で踏み躙る。


 その足をどかすと、すかさずヤスちゃんが吸い殻を回収するためにしゃがみこむ。


 弥堂はそのヤスちゃんの脇腹に爪先を蹴り入れた。



「――クペッ⁉」


「「「「えぇーっ⁉」」」」



 パパやママから『恐い人だから近づいちゃダメよ』と教わっているヤクザのおじさんに対して、突然無言で蹴りを入れた知ってるお兄ちゃんの行動に、子供たちはびっくり仰天した。



 驚く子供たちや唖然とする極道たちを置き去りにそのまま爪先を何度も打ち込み、ヤスちゃんの横隔膜に負担をかける。


 数秒ほど経ってからハッとなると、慌ててリュージが止めに入る。



「お、おい! 何してんだテメェッ! やめろや、ヤスが紫になってんだろ!」



 弥堂を引き剥がそうと胸倉を掴むために手を伸ばすが、あっさりと空かされて逆にその腕をとられ捩じり上げられる。



「あいてえぇぇぇっ⁉」



 弥堂は簡単に無力化したリュージの懐から先程の煙草を箱ごと奪うと彼の足を払って地面に転がした。



「な、なんじゃあワレェ⁉ なにしとるかわかっとんのかぁ⁉」



「ゥラァッ」「クラァッ」と威嚇してくる兄貴に弥堂は冷徹な眼を向ける。



「ここを誰のナワバリだと思っている。俺に断りなくゴミ拾ってんじゃねえよクズが」


「兄ちゃん、なに言ってんの⁉」


「この公園に落ちているシケモクは全て俺の物だ。勝手に手を出すな」


「イ、イカレてんのか⁉ この狂犬野郎っ!」



 ズカズカと無防備に近づいていくと兄貴が漢らしい大振りパンチを繰り出してくるが、首を曲げるだけで躱し、スーツの袖口を掴むと足を引っ掛けて地に転がす。


 そしてすぐにマウントポジションをとると、先程奪った煙草を箱から中身を一纏めに取り出し兄貴の口に突っこんでそのまま抑えつける。



「というわけで、さっさと作れ。このシケモク製造機が」



 十数本の煙草を無理矢理咥えさせたまま鼻と口を抑え、もう片方の手で兄貴の首を絞める。



 彼の表情にチアノーゼの兆候が見られたタイミングで首を放し、同時にライターを着火して煙草に近づけた。



 窒息寸前まで追い込まれたために解放された気道から勢いよく酸素を取り込もうとすると全ての煙草に火が灯る。


 強制的に大量の煙を吸い込まされた形になり咽かえってしまうとボッと一瞬だけ激しく燃え上がった。



 弥堂に口元を抑えられたままなので十数本の煙草を無理矢理同時に吸わされた兄貴は顔を青褪めさせ、口、鼻、耳から煙を噴き出しながらグリンっと目玉を裏返らせた。



「あっ、兄貴ィッ!」



 慌ててリュージが駆け寄る。



「テッ、テメェッ! やめろ! 兄貴はなぁ、こないだ健康診断引っ掛かって医者に酒と煙草止められてんだ! 死んじまうだろっ!」



 懸命なヤクザの訴えを無視して、弥堂は兄貴の口からポロポロとこぼれた煙草を粛々と回収し携帯灰皿に収容していく。



「この野郎ッ! お前マジでうちと事を構える気か⁉ 兄貴やりやがってシャレじゃ済まねえぞ!」


「そんなことはどうでもいい。それよりもまだ持っているだろ。出せ」


「や、やめろ……っ! 脱がせるな……やめろって……いっ、いやあぁぁぁ!」



 嫌がるヤクザに慈悲はかけずに淡々と身包みを剥ぐ。



「おい。さっさとこれを全部吸え」


「そのまま持ってけばいいだろ⁉ なんでいちいち俺の肺を経由するんだよ! お前マジでイカレてんのか⁉ コエェよ!」



 ペリペリと新品の煙草のパッケージを包むビニール剥いて、20本まとめてリュージの口に無理矢理捻じ込もうとしていると、ガッと何者かが弥堂の腰に取りついた。



「ダメだよ! お兄さん!」


「む。美彩みいろか。後で遊んでやるからあっち行ってろ」


「おじちゃんをイジメないで! かわいそうだよ!」



 お腹に抱き着いてくる小学生女子を説得していると、リュージが拘束を逃れる。


 すぐに彼を捕えようとするが、その前に間に立ち塞がる者たちがいた。



「兄ちゃん、もうやめろよ!」

「ひどいことはしないでくださいっ!」

「お、おじちゃんにげてーっ!」



 弥堂とヤクザとの間に腕をめいっぱいに伸ばしたショタの壁が出来あがる。



「お、おめぇら……」



 子供たちに優しくされたヤクザ者はジィ~ンと胸に何かが染み入った。



「おい、お前ら邪魔だ。ガキは引っ込んでいろ」



 ショタとロリを掻き分けながらヤクザを殴ろうとしていると――




――ピピィ~ッ! と、大きな笛の音が鳴る。



 音がしたのはまたも公園の入り口の方だ。



 全員がそちらに顔を向けると――




「う~ぃ、全員動くなよぉ~」



 新たに二人組の男が現れる。



 次から次へと登場する知らない大人たちに、この場で一番常識を持っている小学生たちは白目になった。




「よぉ~し。大人しくしとけよ~」



 そう言って全体に目を配らせたのは40歳前後のトレンチコートを着た男だ。



「警察だっ!」



 もう一人の20代半ばから後半くらいの男が、制服の上着から取り出した手帳を見せつけてくる。



「悪そうなヤツがいっぱいいるじゃねえか……こりゃ大漁だ。なぁ、青柴ぁ?」


「はいっ! ヤマさんっ!」



 新たに現れた二人組は警官のようだ。公園にいる誰かが騒ぎを見て通報したのかもしれない。



「たすけてお巡りさんっ!」



 ダッと駆け出したリュージは青柴と呼ばれた若い制服警官の足に縋りつく。



「む? どうしました?」


「じ、実は――」



 事情を説明するために顔を上げようとするとリュージは自分が取り縋っている相手の足に違和感を覚える。



「ん?」と眉を寄せ目線を上下に振ると、青柴と呼ばれた若い警官の服装は上は警察の制服で、下は青のケミカルウォッシュだった。



「ダッ、ダダダダダダセェッ⁉」



 真面目に職務に就くべきはずである警官のあまりに歌舞いたファッションセンスにスジモンはびっくり仰天した。


 青柴巡査はそのリアクションに対して「む」と不服そうに眉を寄せ、訓練された動作でカチリとリュージの手首に手錠をはめた。



1103ひとひとまるさん、逮捕」


「なんでだよっ⁉」


「本官にはいつか『ジーパン刑事』と呼ばれたいという夢がある。今はまだ半人前だから半分私服で半分制服だ。それを馬鹿にしたのは公務執行妨害にあたる。ですよね! ヤマさんっ!」


「そうだなぁ~。他人の夢を笑う奴はクズだ。クズは逮捕しといた方が世の中の為になるし、俺らの成績にもなる」


「さぁ、立て。詳しい話は署の方で訊かせてもらうからな」


「なぁに。カツ丼くらいは頼んでやるさ。もちろんキミの自腹だがね」


「クソッタレ! あ、兄貴ィッ! 兄貴たすけてぇ!」



 官憲の横暴な振舞いに堪らず兄貴に助けを求めると、ちょうどフラフラと兄貴が立ち上がったところだった。



「ゥオゥラァッ! サツがなにしに来たんじゃあ⁉ お呼びでねえんじゃボキャァッ!」


「巡回中じゃオラァッ! こっちは街の平和守ってんだよクソがァッ!」



 大声で威嚇をする兄貴にトレンチコートの警官も負けじとガラの悪い声を返す。



「なぁにが巡回じゃあ! お散歩してりゃあ銭が入ってくるたぁ、オマワリさんはエエご身分じゃのおぉ? ワシらの税金返さんかいっ! えぇ、おい、山元よぉ~?」


「ぬかせや極道モンがよぉ。キレイな金で税金払えるようになってから出直してきなぁ。それが出来ねえんならブタ箱にぶちこんで更生させてやるぜぇ~?」


「令状見せんかいボケェ! オドレはマル暴ちゃうやろが! 勝手にワシの身柄持ってけるもんならやってみぃやぁっ!」


「なぁにが令状だバカタレがぁ。周り見てみろ。こんな所でカタギと揉めて騒ぎ起こしやがって。普通に現行犯じゃアホンダラァ~」


「アァッ⁉」



 自身が山元と呼んだ警官から指摘され周囲に目を遣ると野次馬が集まっていた。言われたとおり騒ぎになってしまったのだろう。


 チッ舌を打ち声量を抑える。



「ハッ、確かにちょいとデカイ声で喋り過ぎたかのぉ? えろぉスンマヘン。で? そんでなんの現行犯だって? 声が五月蠅いっちゅーだけでワッパはやりすぎちゃいまっかぁ?」


「ハン。スットボケんなや間抜け面がぁ~。カタギと喧嘩して言い逃れできっかよぉ。暴行に傷害じゃあ~。どうせ脅迫もやっとんのだろ」


「ひでぇ言いがかりだぜぇ。被害者はワシらじゃあ。のぅ、ヤス?」


「ヒェイッ! アニフィッ!」



 顔面血塗れのヤスちゃんがザザッと警官の前に立ち塞がる。



「なにが被害者だ。見え透いた言い逃れを――」


「――なんビャあ、マッポフォラァっ! アニフィフヘヘフっヘんならフォヘギャヒャッヒャヤぁっ!」



 閑散とした前歯の隙間から山元への威嚇の言葉を鳴らすと、スッと寄ってきた青柴巡査がヤスちゃんの手にカチリとワッパをかけた。



1107ひとひとまるなな、逮捕」


「ピャアアァァァァァァッ⁉」



 自身の手を見下ろしヤスちゃんはビックリ仰天する。



「お前、そのツラはヤクやってるだろ? 覚悟しろよ」


「ア、アニフィッ! アニフィ……ッ!」


「ヤ、ヤスゥゥゥーーッ!」



 鉄の鎖に引かれながら、青くなったかつては眉毛があった跡をふにゃっと下げて助けを求める弟分に兄貴は手を伸ばすがその手は届かない。



「ほれ、おめぇも来い。情けでワッパは勘弁してやる」


「山元ぉ……テメェ……っ」


「皐月のおやっさん具合悪いんだろ? あまり心労をかけるもんじゃあねえぜ」


「チッ、それを言われちゃあ敵わねえな。ええわ、連れてけや」


「なに。ちょっと派出所で茶でも飲んでけ。ちゃんと帰してやる」



 観念をした兄貴は警官の方へ近づいていく。



「ほんなことよりヤマさんよぉ。アンタ巡査長だろ? 刑事デカでもねえのに勝手に私服着てええんかよ?」


「心はいつでも刑事なんだよ。テメーの仕事着はテメーで決める。それが男ってもんよ」


「そんなことだから出世できねえんだよ」


「お前に言われたかねえや。それにな、着たくても制服がねえんだ」


「アン?」


「ちょっとこれ着て俺を厳しく取り調べてくれってよ、カミさんに強要したらバラバラに裁断されちまってよ」


「アンタ馬鹿なんじゃねえのか?」


「こっぴどく叱れちまったよ。しっかり調べてもらおうってよ、ケツ穴にUSBメモリ隠しといたんだが、それ突っこんだまま2時間正座よ。ありゃあナカナカだったぜぇ~」


「そんなことだからしょっちゅう実家に帰られんだよ。女にはナメられたらシメェだ。逆にケツにUSB突っこんでやれよ」



 どうも顔見知りの様子の警官とヤクザは世間話のように最低の会話をし、折り合いをつけたようだ。



 大人しくなったヤクザたちを青柴巡査に任せ、山元巡査長は弥堂と子供たちの方へ近づいてくる。



「お兄さんたち災難だったねぇ~。コワイおじさんたちはお巡りさんらが――」



 にこやかに話しながら途中で弥堂の顔を見て表情を変える。



「お前この野郎。狂犬じゃあねえか。なんだよ、お前と揉めてたのか? 話が変わってくるじゃねえか」


「兄ちゃんはなんでヤクザにもお巡りさんにも『狂犬』なんて呼ばれてるの? どうかしてるよ……」



 かけるから呆れたような悲しそうな瞳を向けられるが弥堂は無視した。



「ご苦労。こっちは特に問題はない。そいつらを連れてとっとと行っていいぞ」


「このガキ……、相変わらず大人にナメた口ききやがって……。気軽にスジモンと喧嘩すんなって言ってんだろ? お前が皐月組と仲いいのは知ってるが……」


「別に仲良くなどない。同じことを何度も言わせるな無能警官が」


「に、兄ちゃんっ! お巡りさんにそんなこと言っちゃダメだよ……っ!」



 大人に対する口のきき方をしらない高校生を小学生たちが慌てて窘める。



「ったく、クチの悪ぃガキだ。せっかくの休日に公園で中年ヤクザとデートたぁ悲しいねぇ。たまには若い女の子と遊んだらどうだ? 青春ってのは――」



 中年らしいおせっかいを口にしようとした山元巡査長だが、そこで視線が下がり弥堂の腰に抱き着きご満悦な顏の女児に気が付く。



 カチリと、静かな音が鳴った。



1114ひとひとひとよん、逮捕」


「「「えぇ~っ⁉」」」



 知ってるお兄さんの手首に銀色の手枷が嵌められる衝撃シーンを見てショタたちはびっくり仰天する。



「テメェ、この野郎。確かに若い女の子と遊べっつったけどなぁ。いくらなんでも若すぎるだろぉが。無茶しやがって……、なんだ? 股間の方まで狂犬なのかオメーは? あん?」


「何を言っているのかわからんが誤解だぞ」



 弥堂は自らの手首から伸びる鎖を無感情に見つめながら、とりあえず自分は悪くないということだけ主張した。



「アン? 誤解だぁ?」


「そうだ。誤認逮捕は罪が重いぞ。お前のキャリアに傷がつく可能性が高い。俺は高校生だからな。仮に誤認逮捕だった場合、当然SNSでこのことを拡散するぞ。いかに自分が不当な扱いを受け傷ついたかと情感たっぷりに語るストーリーを添えてな。その場合世間はお前だけでなくお前の妻や子供にまで石を投げてくるだろう。そうなったらお前の妻は二度と実家から帰ってこなくなるだろうな。それはリスクに見合わないとは思わないか?」


「この野郎。躊躇なく警官を脅迫するんじゃあねえよ。んじゃ、こっちに訊いてみるか。お嬢ちゃん? このクズのお兄ちゃんとはどんな関係なんだい? 仲良しなのかな?」


「え? なかよしだよぉー? それよりおじさん。お兄さんを連れていっちゃうの? あのね、お兄さんとは“みー”のことイジメてくれるってお約束してるの。だから連れていかないで?」


「来いっ、この野郎」



 グイっと強く手錠を引かれる。



「貴様、後悔するぞ」


「うるせえんだよ。特殊性癖に特殊性癖を上塗りすんじゃねえよテメェ。必ず後悔させてやるからな」


「待て。証拠ならある」


「あぁ? 証拠だぁ?」



 肩眉を吊り上げる巡査長の前で弥堂は懐から一枚のカードを取り出し、それを見せる。


 目を細める中年警官の目に飛び込んできたのは――『カイカン熟女クラブ』の朝比奈さん29歳Eカップの写真だ。



「……これは?」


「見てわからんのか? 無能め」


「ちょいとおじさんには意味がわからねえなぁ」


「いいか? 俺は熟女好きだ。今度その女を指名する予定がある。つまり俺は幼児性愛者ではない。薄汚いペド野郎と一緒にするな」


「来いっ、この野郎」



 再び手錠を引かれ弥堂は連行されていく。



「お前、この人妻そこの子らの母親くらいじゃねえか。ワンチャンあるぞ? キワドイとこ攻めるんじゃあねえよ」


「意味がわからんな。俺を解放しないと後悔することになるぞ」


「うるせえよ。高校生のくせに人妻ヘルスだぁ~? ナメやがって……、署でたっぷり絞ってやっからな」


「断る。今日は予定があるんだ。お前と遊んでいる暇はない。それとその写真は返せ」


「必死かよ。どんだけ人妻好きなんだよ。いいからちょっと署でお茶していけ。ちゃんと帰してやっからよ」



「まってー。お兄さんっ! あくやくれーじょー約束だからねー!」



 ブチブチと言い合いながら二人はこの場を離れていく。その背中に少女の切実な願いの声がかけられた。



 知ってるお兄さんが目の前で逮捕されるという衝撃映像に、少年たちは茫然としていた。


 しばしの間、ヤクザと一纏めに連行される弥堂の後ろ姿を見守った後、やがて誰からともなく顔を見合わせると子供たちは大きくひとつ頷き合い、お昼ご飯を食べるためにお家へ帰る。



 世の中にはきっとどうにも出来ないことがあり、時にはそれらから目を背けることも必要なのだと、彼らはそれを今日学んだ。



 例え、自分の手の届かない外の世界で大変なことが起こっていたとしても、自分には目の前の『お昼までには帰ってきなさいね』というお母さんの言いつけの方が大事なのだ。


 人それぞれに出来ることと出来ないことがあり、同時にやるべきことがある。



 こうしてひとつ大人になった子供たちは公園を出ていった。



 その場には数本のシケモクと僅かな血痕だけが残された。

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