1章21 『旗ノ下ノ定メ』

「――ん……んぅ…………」


「マ、マナっ! よかった……目を覚ましたんスね……!」



 小さく呻いて水無瀬 愛苗みなせ まなが目を覚ますと、彼女の友人であるネコ妖精のメロが安堵の声をあげる。



「……あれ……? わたし……?」


「つ、疲れてたんッス! マナは疲れてうっかり寝ちゃったんスよ!」


「つかれ……? あれ? そうだっけ……? そんなことないような……」


「いーや、あるッス! 魔力切れッス! いっぱい魔法使って魔力切れしちゃったんスよ!」


「そっかぁ……魔力切れかぁ……。メロちゃんずっと着いててくれたんだね? ゴメンね……?」


「な、なぁにっ、気にすることないッス! 魔力切れなら仕方ねぇーッス!」



 水無瀬に気を失う前後の記憶があやふやな様子が見受けられ、メロはワンチャンに賭けて誤魔化しにいった。


 お助けマスコットであるネコ妖精的には、自分の主にはトラウマ級の衝撃体験など出来れば忘れて欲しかったからだ。


 しかし――



「……あれっ? でも……あっ――そうだ! ゴミクズーさんは⁉ 弥堂くんが……っ!」


「――えっ⁉ あっ、いや……、それは、その……大丈夫ッス!」


「えっ? だいじょうぶ……?」


「だだだだだいじょうぶッス! その、けっこう大丈夫っス!」


「そっかぁ……、だいじょうぶなんだね……」



 意識の覚醒に伴い次第に記憶が鮮明になっていく水無瀬の認識の整合がとれるのを少しでも遅らせようとゴリ押しで悪足掻きをする。


 メロは自分でもさすがにこれはどうかと思ったが、素直なよいこの愛苗ちゃん相手ならそれでも大丈夫そうだった。



「さ、さぁ……、そろそろ帰るッスよ。もうすぐ晩ごはんの時間ッス。朝にママさんがお花に水やりしながら『今夜はカレー♪』って口ずさんでたッス。悪いけどジブン今夜はガチらせてもらうッスよ」


「え? でも……、メロちゃんはネコさんだし、あんまり刺激の強いものをガチるのは……」


「あっ、えっと、だいじょうぶッス! 安心するッス! ちゃんとカレー抜きのカレーライスにしてもらうッス!」


「あ、そっか。カレーを抜けばいいのか。それなら安心だね! さすがメロちゃん、お利口さんだね!」


「――それはただの米だろうが。お前ら本気で言ってんのか?」


「――え?」



 間に挟まれた声の方を見てみると、この魔法少女の活動の現場に巻き込んでしまった同級生の弥堂 優輝びとう ゆうきが呆れたような瞳を自分たちに向けていた。



 路上に座り込んで何かしらの作業に没頭していた弥堂だったが、あまりに気の抜ける会話が聴こえてきた為に、つい手を止めて口を挟んでしまったのだ。



「あ、あわわわわわ……っ!」


「あ、弥堂くん。こんばんは。あのね? ちゃんとお肉とかも洗ってからメロちゃんにあげるから大丈夫なんだよ?」


「……だったらカレー鍋を経由する必要ないだろ。そのままくれてやれよ。生肉のままで十分だろ、そいつみたいなもん」


「なんだとーーッス! 誰がみたいなもんッスか! ちゃんとネコさんの健康にも気を遣えーッス! ポークカレーだったらどうしてくれんスか! ジブンどうなっちゃうんスか⁉」


「知るか」



 大声で抗議するメロに迷惑そうな顔を見せると、彼はまた振り向いて元通り何かしらの作業を再開した。



「ところで弥堂くん。何して――」

「――ニャアァァーーーーッス!」



 自身と彼との間の宙に浮くメロを右から迂回して弥堂の方を覗き込もうとすると、大慌てな様相でメロが視界に割り込んでくる。


「えっと、弥堂くんが何してるのかなーって――」

「――フニャアァーーーーッス!」



 少しだけ怪訝そうにしながら今度は左側に身体を傾けて向こうを覗こうとすると、またもメロが素早く視界を塞いでくる。



 ダラダラと顔面の毛皮から汗を流す彼女のことを、水無瀬はぱちぱちと瞬きをして見る。



「メロちゃん、どうしたの?」


「こ、これは――ッスッスディフェンスッス!」


「え?」


「しょ、勝負ッス、マナっ! 1ON1で決着ケリをつけるッス!」


「えっ? えっ?」


「さぁこいッス! カンタンにジブンを抜けると思うなよッス!」


「え、えっと……、じゃあ、いくね……?」



 戸惑いつつも水無瀬は『遊んでアピール』をする飼い猫と遊んであげることにしたようだった。


 メロが塞ぐ方の逆をとりにいこうとする。


 すると――



「ッス! ッス! ッス! ッス! ディーフェン! ディーフェンっ! ッス! ッス! ッス! ッス! ディーフェン! ディーフェンっ!」


「わぁ、すごいっ! メロちゃんがいっぱいいるみたい!」



 残像を残すような速度で水無瀬の視界に身体を伸ばしてブロックをする。


 水無瀬の目にはそれがネコさんの壁に見えた。



 やがて体力を使い果たしゼェーゼェーと息を荒げるメロの肉球から滴る汁を、ポッケから取り出したハンカチで水無瀬が拭いてあげていると――



「おい、お前らさっきから何遊んでんだ」


「こっち向くんじゃあねえよおぉぉぉッバカやろうがあぁッ!」



 ネコごときに怒鳴られて弥堂は不快げに眉を歪める。



「なに気分害してんだテメーッ! さっきからジブンがどんだけ苦労して隠してっと思ってんだボケがッ! 少しは空気を読まんかいぃっ!」


「あ? ネコの分際であまりナメた口をきくなよ。躾をされたいか?」


「――あっ⁉」



 弥堂が立ち上がり二人の方へ歩き出そうとしたことで、水無瀬の目から隠されていたモノが白日の下に晒された。



「あっ……、あっ……、そんな……ネズミさん……」



 彼女は息を呑む。



「なにしてくれとんじゃボケェーーッス!」


「なにだと? お前らのためにペンダントを取り返した上に時間稼ぎまでしてやってたんだろうが」


「そうだったーーッ! けどっ! コンプラを! コンプラを守って欲しいッス!」


「コンプラ……? 意味のわからんことを言うな。ここは戦場だぞ」



 言い合いをする弥堂とメロを他所に、水無瀬はペタンと地面にヘタリこむと――



「ひぐっ……、うぇぇ……、うわぁぁぁぁーーんっ!」



――ギャン泣きをした。



「あっ、あぁ、マナっ! ちくしょう……っ! かわいそうに……っ!」


「おい、うるせえぞ。さっさとしろ」


「このど畜生がよおぉっ! オマエふざけんなよ! こんなグロ死体、完全に18禁だろうがっ! エグイもんをウチのマナに見せんじゃねぇッスよ! オマエこれ淫行だからな! 条例にひっかかるッスよ!」


「死体? 死んでねえぞ」



 不可解そうに首を傾げると、弥堂はネズミさんの惨殺死体だと思われるものに爪先を蹴り入れる。


 すると短く細い声で呻き、ゴミクズーは僅かに身動ぎをした。


 それを見た愛苗ちゃんはさらに大きな声で泣く。



「う、うぇぇぇ……、グロすぎッス……。ジブンも毛玉吐きそうっス……」


「よくわからんがこいつがあるのが問題なら、魔法を撃ち込んで消しちまえばいいだろ。とっととこの生ゴミ処分しろ」


「ギャアァァァーッ⁉ 痛い痛い痛いッスー! やめろーっ!」



 言いながら弥堂がネズミの頭蓋骨から生えた鉄筋に足を乗せてゴリゴリと踏み躙ると、メロは体感幻覚に似た痛みを感じて頭を抱えた。



「チクショー……、このクソニンゲンめ。やりたい放題してくれやがって……、もう許せねえッス!」


「ほう」


「所詮は高校生のガキ。多少燥いでるくらいなら見逃してやろうと思ったッスけど、マナを泣かしたのは完全にライン越えッス!」


「そうか」


「毎日水無瀬家の押入れの襖を引っ掻いて研いでる、この自慢の爪でズタズタに引き裂いてやるッス!」


「お前、本当に何の躾もされてないのか?」


「ククク……ジブンのことより自分のことを心配するんスね」


「……結局誰を心配すればいいんだ?」


「いい加減にその減らない口を閉じろ、ニンゲン。崇高なるネコ妖精のこのワレが矮小なるキサマをシツケてくれるわ」


「そうか。やる気なら余計な口をきかずにとっとと向かってこい。お前の全身の骨を粉々にしてそこのネズミの腹の中に詰めてやる」


「フン……」



 崇高なるネコ妖精は頭を低くしてお尻を少し持ち上げて構える。


 前足で地面を均すようにフミフミしながら若干後退すると、全身の毛をぶわっと逆立たせてプシッと粗相をした。



「ビビってんじゃねえか」


「チッ、チチチチビってねぇーしッ⁉」



 口ぶりとは裏腹にプルプルと震えるメロを、弥堂はつまらなそうに見下した。



「まぁいい。お前はいちいち煩くて生意気だ。ついでにここで躾てやる」


「グッ、ウゥ……」



 メロは気圧され後退る。



 すると尻尾が何かに触れたことにより、後退する足が止まる。



 自分の後ろには泣いている友人がいることを思い出した。



 その彼女の後ろへと隠れるか、それとも前に出るか。



 その判断に逡巡している間に目の前の男がこちらへ近づこうと一歩を踏み出した。



 決断を下す速度に決定的な差がある。



 それでもまだ、メロは決断をすることが出来ずに弥堂の二歩目の足が路面を踏むのをただ見つめ――



「――そこまでだぁーーーっ!」



 背後から弥堂ではない男の声が突如響き、そして一つの人影が宙を舞った。





「アンッ! ドゥッ! トロワァーーーッ‼‼」



 大きくステップを踏み高く跳び上がる。



 伸身宙返りをするように上体から下半身までピンとキレイに体を伸ばし宙空で頭を下にすると、天地反転のままギュルルルッと高速で横回転をする。


 そしてド派手にギュルンギュルンしながら弥堂と水無瀬たちとの中間点に降り立ち、見事な着地をしてみせた。



「待たせたナァーッ! もう大丈夫だぜッ!」



 バッとヒーローポーズをキメてみせたのは、この場より離脱していた悪の幹部ボラフだ。



「ボッ、ボラフゥーーッ!」


「よく頑張ったな、メロゥ。後はこのオレに任せときな」



 ボラフはメロを下がらせ、そして油断なく弥堂へと警戒の目を向けながら自身も背後で座り込む水無瀬へと近づく。


 弥堂はそれらの一連のことを酷く醒めた瞳で見ていた。



「フィオーレ立つんだ。泣いてんじゃねえよ。オマエは正義の魔法少女だろ?」


「ボラフさん……、でもっ、でもっ……、ネズミさんが……っ!」



 へたり込む彼女へ手を差し伸べるも、水無瀬はポロポロと涙を溢すばかりだ。



「いいから立て」



 ボラフは水無瀬の手を掴み、半ば強引に彼女を立ち上がらせた。



「さぁ、これを」


「これ、は……」



 そして彼女へ魔法少女の変身アイテムであるペンダントを渡そうとする。


 しかし水無瀬は先程までの血に塗れたペンダントの絵が強烈に印象に残ったままのようで、受け取る手を伸ばすことを躊躇う。



「大丈夫だ。こいつは穢れてなんかいねえぜ」



 ボラフは彼女を安心させる為に、自身の掌を開いてその上にのせたペンダントをよく見せてやった。



「――あっ。キレイに……っ! ボラフさんっ!」


「気にするな。オレはするべきことをしただけだ。だから今度はオマエがやるべきことをやれ」


「だけど……っ! 私の魔法じゃ傷を治したりは……」



 迷いを見せる少女を説得するため、悪の幹部は腰を折ってしっかりと彼女と目を合わせる。



「わかってる。だけど、オマエにはまだ出来ることがあるはずだ」


「まだ……出来ること……?」


「そうだ。それが何かわかるか?」


「わたし……はっ――⁉ そんな、弥堂くんと戦うなんてできません……っ!」


「違う。オマエは魔法少女。ニンゲンをシバいたりはしない」


「で、でも……それじゃあ……?」



 自身のやるべきこと。


 それが何なのかということについて理解が追い付かず、そのことに焦りが募り彼女は不安を表情に滲ませる。



「オマエのするべきことは何も変わっていない。魔法少女はゴミクズーをやっつける。オマエがするべきことはそれだろ?」


「そんな――っ⁉ だって……っ!」


「聞け。いいか……? 残念だがアイツはもう助からない。だが同時に死ぬことも出来ないんだ」


「えっ……?」


「ゴミクズーは簡単には滅びない。このままじゃアイツはもうしばらくの時間を苦しみ続けなければならない。だからフィオーレ――」


「――そんな……っ! まさか……っ⁉」


「わかってくれフィオーレ。これが戦う者の宿命であり、そして責任なんだ……」


「そんなこと……っ! できません……っ! 私、そんなことできませんっ!」


「頼む、フィオーレ。オマエも本当はわかってるんだろ? アイツがもうどうしようもないってこと……」



「そんな……」と茫然としながら水無瀬はネズミのゴミクズーへ視線を移す。



 ボーっと宙空を見上げながら自分は関係ないとばかりにやる気なさそうに立つ男の足元に横たわった、見るも無惨な生命の成れの果てに目を覆いたくなる。


 しかし、逃げてはいけないと、その残り火のような生命を強く思った。



「お願いだ……、アイツを……、オレの仲間をどうか楽にしてやってくれ。頼むよ、ステラ・フィオーレ。これはオマエにしか出来ないことなんだ……」


「ボラフさん……、だけど……、わたし…………――はっ⁉」



 なおも躊躇いを見せる水無瀬だったが、そこでハッと気付く。



 グッタリと横たわっていたネズミさんがノソリと首を動かした。


 そしてジッと自分のことを見つめてくる。まるで救いを求めるように。



「ネ、ネズミさん……」



 ネズミさんはコクリと頷いた。



「わたし……、私……っ! やります……っ!」


「マナァ……っ!」

「フィオーレ……っ!」



 決意を浮かべた少女の面差しに人外2体はパァっと顔を輝かせた。



 ちなみにこの時点で彼女はもう正常な判断能力が機能していなかった。


 ネズミさんがこちらを見つめてきたと言ったが、その眼窩にはもう目玉は嵌っていなく、空洞となった虚ろな洞には無機質な赤黒い鉄筋が数本ぶっ刺さっていた。


 そんな大変にショッキングな映像情報を送られてきた愛苗ちゃんブレインには『よいこフィルター』が設けられているため、強制的にセイフティロックが作動し、センシティブな現実への認識力に大幅な制限がかかってしまったのだ。



 まんまるなお目めをぐるぐるしながら、愛苗ちゃんはお手てに持ったBlue Wishを構える。



「マナっ!」

「変身だっ!」



「いきますっ――Seedlingシードリング the Starletスターレット――Fullフル Bloomingブルーミン!!」



 パシューっと光の柱を打ち上げて魔法少女に変身する凛々しくも健気な彼女の姿を、メロとボラフが拳を握りしめて見守る。


 そしてそんな彼女らのことを弥堂は酷くつまらなさそうに待っていた。



「水のない世界に愛の花を咲かせましょう。魔法少女ステラ・フィオーレ! 泣いてる子にはいつだってこの手を差し伸べますっ!」


「それ毎回言わなきゃいけないのか?」



 バシーンとポーズをキメた彼女へ弥堂はつい疑問を呈してしまったが、ワァーと湧き立つ人外どもの歓声にその声は掻き消されてしまった。



「さぁ、やるんだフィオーレ!」

「目にモノ見せてやるッスよ!」


「はいっ!」



「ふぃお~え がんばえ~」という声援を浴びながら、ステラ・フィオーレはビシッと魔法のステッキを弥堂へ向けて構える。


 そしてすぐにハッとなる。



「――あっ! 弥堂くんを撃っちゃダメだ! 間違えちゃうとこだった……」



「てへへ」と気恥ずかしげにステッキを下ろす彼女の危険度を、弥堂は脳内で3段階上方修正した。



「うっ――⁉」



 そして弥堂の足元の死骸一歩手前のゴミクズーに視線を合わせるとやはり尻込みしてしまう。



「うぅ……」


「マナっ! 勇気を出すんスよ!」


「ここでオマエがやらなきゃ、もっと多くのゴミクズーがコイツに苦しめられることになるぞっ!」


「えっ? そ、そうなんですか⁉」


「え? あぁ、そうだ」


「そうなの? 弥堂くん」


「あ? いや、どうだろうな」


「わかんないみたいです!」


「お? そうか? じゃあオレが言い過ぎたよ。ゴメンな」


「まぁ、誰でもそういうことあるッスからね。あんま気にすんなよ!」


「ちゃんと『ごめんね』してくれたから弥堂くんも許してあげようね!」


「……お前らさっさとしてくれないか? これ何の時間なんだよ」



 雰囲気だけで成り立っていた逆境から奮い立つ熱血展開はボロが出始め、それに弥堂が疲れを滲ませて先を促すと彼女らは揃ってハッとなった。



「こーしちゃいられねえッスよ! マナっ!」


「おぉ! 一思いにトドメを刺してやってくれ!」


「で、でも……、こんなのやっぱりヘンだよ……っ! こんなのヒドすぎるよ!」



 人為らざるモノどもが殺害を唆すが、若干正気に戻った愛苗ちゃんは戦いが内包する残酷さにプルプル怯え悲痛な叫びをあげる。



「どうでもいいからさっさとしろ。どっちみちこいつをぶっ殺す手はずだっただろうが」



 そんな純真な少女の心情になど慮ることのない非道な男は、足元に転がる生ゴミ予備軍の首根っこを雑に掴むと、魔法の的にしやすいように彼女の方へ向けてやった。



「ひぅ……っ⁉」


「おい! テメェ! 汚ねぇモン見せるんじゃあねえよっ!」


「今ジブンらが一生懸命マナを説得しようとしてただろうがッス! 空気読めやこのボケェーッス!」



 せっかく殺しやすいようにと気を遣ってやったのに自分勝手なクレームをつけてくる連中に弥堂は気分を害した。


 しかし、所詮こいつらは人間ではないので、人の気遣いなどを察するような精神構造になっていないのは仕方のないことであると、劣った別の生物を心中で侮蔑するだけに留めた。



 そしていい加減にこの状況を終わらせることを模索する。



 ぷるぷると震えながら「ひぐっ……えぐっ……」と、また嗚咽を漏らし始めた水無瀬が自発的に魔法を行使して状況終了させるようなことは期待できないだろう。


 さらにその周囲で無責任に囃したてているだけの化け物二匹も、人間の役に立つような生産的な生き物ではないので同じく期待は持てない。



 であるならば、やはり自分でどうにかするしかないと弥堂は水無瀬へ目線を向け、数秒思考した後に声をかける。



「水無瀬」


「び、弥堂くん……ぇぐっ、ゴメンね……っ! わたし……ぅぇっ、わたし……っ!」


「それは別に構わないんだが、そもそもの話、お前はまだ魔法を使えるのか?」


「ふぇ……っ?」



 突然思ってもいなかった質問をかけられ水無瀬は涙を浮かべたお目めを丸くする。



「いや、お前『魔力』がどうとか昨日言っていただろう? 魔法を使用するためにはエネルギーやコストのようなものが必要で、それが魔力ということなんじゃないのか?」


「えと、ぐすっ……、うん、そうだよ……?」


「俺が見てた限りではお前はもう魔法を50発ほど撃っていたが、魔力はまだあるのか?」


「え……? うん、まだまだ大丈夫だよっ。えへへ……心配してくれてありがとうね」


「それはいい。ちなみに。全快状態の何%くらいの魔力が残っているんだ?」


「えーと……どうなんだろ……? 空っぽになったことないからよくわかんないけど、多分まだ半分以上は残ってると思う」


「……そうか」



 弥堂は眼を細める。



(ゴミクズーを一撃で殺し、コンクリを余裕で砕くようなものを最低でも100発は撃てるということか……バケモノめ……)



 内心の警戒を悟らせぬよう声色に注意をして先を続ける。



「ところで、その自己診断は正確か?」


「えっ?」


「なに、キミは極限の状況下に追い込まれ極度の緊張を感じて精神状態がクリアではなかっただろう?」


「追い込みかけたのは少年じゃないッスか」


「うるさい黙れ」



 余計な茶々を入れてくるネコを睨みつけて黙らせる。



「もしかしたら自分で気が付いていないだけで、実はとても疲れているという可能性もある。そのあたりキミはどう考えているんだ?」


「え、えっと……どうなんだろう……? えへへ、わかんないや……」



 後頭部に片手をあて誤魔化すように照れ笑いをする彼女を乾いた瞳で視る。



「それなら一度試してみてはどうだ?」


「ためす……?」


「あぁ。とりあえずキミが今このネズミに魔法を撃つか撃たないかという問題は一旦置いておこう」


「いったん……」


「そうだ。仮に皆で話し合いをしてキミが魔法を撃つことに決まったとしても、実際その時に魔法はもう撃てませんでしたとなっては意味がないだろう?」


「それは……たしかに……」


「だからまずは練習で魔法を撃ってみて、まだ魔力が残っているのか、体調に問題がないのかを試して確認しておくべきだと俺は考える。どうだろう?」


「あ、うん……そうかもっ」


「そうか。キミもそう思うか。気が合うな。では、練習をしてみよう」


「れんしゅう……?」


「そうだ。これはあくまで練習だ。練習だから大丈夫だ」


「そっか……、そうだねっ! 練習ならだいじょうぶだねっ!」


「そうだろう。だが勘違いをしないで欲しいことがある」


「えっ?」


「練習をしてみて魔法を問題なく撃てたとしても、だからといって『じゃあ、やれよ』とは言わない。あくまでもそれとこれとは別問題だ。何よりも大事なのはキミのコンディションだ。それが問題ないのかを一緒に確認しよう。キミにも安心をして欲しいし、俺達にも安心をさせて欲しい。いいな?」


「うん! いいよー! えへへー、やっぱり弥堂くんは優しいねっ!」


「あぁ、そうだ。俺は優しいだろう」


「でもね、えへへ……。私ね、ちゃんと前から弥堂くんは優しい子だって知ってたよ!」


「そうか。それは興味深い話だな。是非今度時間のある時にでもゆっくり聞かせてくれ」


「うんっ、いいよーっ」


「この場でキミに覚えておいて欲しいのは、俺がキミの味方だということだ。例え練習の結果、そこの連中がキミに魔法の行使を強要してきたとしても、キミがそれを望まないのならば俺が必ず守ってやる。俺だけはどんな時もキミだけの味方だ」


「わぁ、ありがとう!」



 パァっと笑顔を咲かせる少女に向けられる弥堂の眼は1ミリも笑っていない。



「な、なぁ……? アイツ大丈夫かよ? クソほど胡散臭くねえか?」


「ジブンにはわかるッス! あれは女を騙して金を巻き上げるタイプのクズ男ッス! 間違いないッス!」



 全身黒タイツと喋る猫という不審な生き物たちが何やらコソコソと話し合っていたが弥堂は無視をした。


 ここまで了承をとれれば後はゴリ押しでもどうにかなるからだ。



「では、練習をしよう。そうだな。危なくないようにあっちに向けて撃とうか」


「うんっ」


「事故が起こる確率を極力減らすために上に向けて撃つことにしよう。先程魔法を撃っていた時、速度にバラつきがあったがそれは自在に調節できるものなのか?」


「あのねっ、速くしようとして『えいっ』ってすると『ぴゅー』ってどっか飛んでっちゃうの! だからよく狙おうとしてね、『むむむ』ってするんだけど、そうすると『ふよふよ』ってなっちゃうの!」


「……そうか。では『むむむ』で頼む」


「うんっ!」



 お友達の弥堂くんと一緒に練習が出来るとなって楽しくなったのか、一転して愛苗ちゃんはニッコニコだ。


 弥堂は若干面倒くさくなってきていたが、必要なことだと割り切って作業を進める。



「では始めようか。だが、練習だからといって手を抜くなよ。本番と同じメンタルで臨め。いいな?」


「ほんばん?」


「そうだ。お前はゴミクズーを浄化していると言ったな? ただ魔法が出せればいいという風ではなく、的を仮想して実際に浄化をさせるつもりで撃て」


「えっと……、一生懸命がんばるってこと……?」


「……そうだ。すごいがんばれ」


「わかったよ! 私いっぱいがんばるねっ!」


「…………クソが」


「えっ?」


「いや、なんでもない。少し噛んだだけだ」


「そうなんだ。噛んじゃったらしょうがないよねっ。でも舌だいじょうぶ? 血でてない? 私見てあげるね! 『べぇ~』ってしてみて?」


「…………」



 言いながら自身の口元を指差し「えぇ~」とベロを出す彼女へ弥堂は両手を伸ばす。


 うっかり首を締めそうになって寸ででピクッと手を止め、その手をそのまま水無瀬の両肩に置き丁寧に彼女を反転させた。



「……気遣いだけで十分だ。それよりも始めるぞ」


「うん!」



 弥堂は水無瀬の背後に立ち彼女の肩に手を置いたまま、ドクンと眼に力をこめる。


 そうしながら彼女の魔法少女衣装のフリフリが眼に入ったので、わりと強めに力を入れてなんとなく引き千切ろうとしてみる。



「わわわっ⁉」


「悪いな。これ取れんのかって気になってな」


「ううん、だいじょうぶだよっ。えへへ、このコスチュームすごい丈夫なの! 私ね、ゴミクズーさんによくガジガジされるんだけど破けないんだよっ!」


「……そうか」



 急な力に引っ張られてたたらを踏んだが、ぽやぽやした女の子である愛苗ちゃんはいきなり同じクラスの男の子に服を破かれそうになっても怒ったりはしないのだ。



「……おい。最近のニンゲンはこれが普通なのか? おかしくねえか? このやりとり」


「全然フツーじゃねえッスよ。アイツは確実に頭おかしいッスけど、お恥ずかしながらウチのマナも若干アレなので……」



 人外どもに人としての常識を疑われている二人は気にした様子もなく次に進む。



「よし、ではやるぞ。オラ、出せ。さっさとしろ」


「えっ? えっ? はいっ!」



 数十秒前に『俺だけはキミの味方だ』と囁いてきた男に急にオラつかれて戸惑いつつも、素直なよいこである愛苗ちゃんは言われた通りにバッと魔法のステッキを構える。



「ちゃんと敵を想像しろ。殺す気で魔法を創れ」


「殺さないよ⁉ 浄化だもんっ!」


「そんなことはどうでもいい。死ぬ気でやれ」


「あの……っ、弥堂くん? これ練習なんだよね……?」


「そうだ。訓練で生き残れない奴は戦場に出てもどうせすぐに死ぬ。そんな奴はコストの無駄だから練習の内に死ねばいい。だから、この一撃に失敗したら自分だけでなく仲間も皆殺しにされると、そういったメンタリティでやれ。手を抜くようならその手は不要だと見做して切り落としてやる」


「わわわっ! た、たいへんだぁ……っ!」



 自身の元カノ兼師匠のような頭のおかしい女から、日常的に生死の境を彷徨うような不謹慎な訓練にて地獄に追い込まれることが常態化していた弥堂にはコンプライアンスなどというものは存在しなかった。



「真剣に……真面目に……いっしょうけんめい…………、キュゥーーっとしてギュっ!」



 面接の時だけ優しくして入社した途端に新入社員に追い込みをかけるブラック企業のようなパワハラを受けた水無瀬は目を白黒とさせる。


 必死な様子で目を閉じて「むぅーん」と何やら念じてから、お目めをぱっちりさせて力をこめるとステッキの先に光が宿る。



 それを目にしたメロとボラフがギョッとした。



「あわわっ……⁉ な、なんかいっぱいでたっ! 弥堂くんっ! おっきくなっちゃったよ……っ⁉」


「……まぁ、いいんじゃないか?」



 焦る彼女の言葉通りステッキの先に顕れた魔法の光球は、彼女が1匹目のゴミクズーに放っていたサッカーボール大のものの5・6倍ほどのサイズにまで膨れ上がっていた。



 チラリと人外二匹の様子を窺う。



 先程の弥堂の所業に対してと同じかそれ以上に奴らは水無瀬の魔法を見てドン引きしている。


 弥堂は水無瀬の手首を掴むと試しに人外どもにそれを向けてみた。



「ギャアァァーッス⁉」


「バッ、バカっ! バカ野郎……っ! 物騒なモンこっち向けんじゃあねえよぉっ! 危ねえだろっ⁉」



 二匹は血相を変えてズザザザっと後退った。



(……これならこいつらも殺し得るのか)



 魔法を突き付けたまましばしジッと様子を観察していると、水無瀬がぽへーっと自分の顏を見上げていることに気付いた。


 弥堂は彼女の肩に手を置き直し、元の方向に向きなおさせる。



(同じ光球の魔法でも、テンプレート的に用意したものを使っているのではなく、その都度で生成、構成、実行の各工程をそれぞれ調整可能なのか)



 彼女の両肩に手を触れさせながら視る。



(こればかりは俺に断定はできないか)



 魔法少女の使う魔法というものを考察してみたが、自分に使えないものをこの場で解き明かそうなどと試みるのは無駄だと判断して切り捨てる。



「よし、では撃て」


「うんっ! むむむっでいいんだよね?」


「そうだ。しっかりとむむむしろよ」


「むむむ……」



 彼女は唸りながらもう一度集中し――



「【光の種セミナーレ】! えいっ!」



 気合と共にステッキを振るう。が――



「あれ……?」



 光球はステッキの先に留まったままで放たれていない。



 水無瀬はそれをじっと見てからぶんぶん振ってみる。



「えいっ、えいっ! セミナーレッ!」


「…………」



 それでも一向にステッキから魔法が離れない様子を弥堂は胡乱な瞳で見る。


 やがて水無瀬も諦めたのか大きく首を傾げてしまう。



「あれー?」


「お前ふざけてるのか? 真面目にやれと言っただろ」


「ち、ちがうのっ! なんかくっついちゃってとれないの!」


「……お前が出した魔法なのにお前の意志に反するのか?」


「うーん、ご機嫌ナナメなのかな?」


「……それは生きてるのか?」


「えっ? わかんない。えへへ、どうなんだろうねー」


「…………」



 首だけ振り返ってニッコリと笑ってみせる彼女の顔を見て弥堂はイラっとし、水無瀬の後ろ頭をパシンと引っ叩いた。



「あいたーっ!」


「おっ」



 そうすると、どういう仕組みなのかは誰にもわからなかったが、何故か頭を引っ叩かれたショックでステッキの先から魔法の光球がぽよんっと離れた。


 ふよふよと緩慢な動作で上に進んでいくその球を4人揃ってボーっと見守る。



 その中でいち早く再起動した弥堂が徐に地面に打ち捨てられていたネズミさんを拾う。



 雑に首根っこを掴んでズルズルと地面に引き摺りながら壁際に歩いていく弥堂を3人はボーっと見送る。



 下手に気付かれて邪魔をされる前にとっとと作業を済ませようと、弥堂は一息でドクンと心臓に火を入れる。



 タッと軽やかに地面を踏切り、トッと壁を蹴って高く跳び上がると、ふよふよと天に昇っていく魔法の光球に、ブワっと振りかぶってからブォンっとネズミさんをブン回して、ゴスッと豪快にジャンピングスマッシュをぶちかました。



「「「あぁぁーーーーーーっ⁉」」」



 脳みそお花畑芸人どもがびっくり仰天するが、魔法少女の本気の魔法を喰らった形になるゴミクズーは魂の設計図がほどかれ、砂のように崩れていく。


 ネズミさんはただ安らかな顏をしていた。



 バラバラに零れる欠片にも満たない粒を受け止めようと3人は空へ手を翳すが、残酷にも全ては風に攫われ塵へと還った。



 夕暮れの空に4本指を使って爽やかにサムズアップをしたネズミさんの幻像が浮かび上がり、その立派な前歯がキラリと光った。ような気がした。



「ネ、ネズミさーーーーんっ!」



 悲痛な声で水無瀬がその空に手を伸ばしながら叫ぶ。



 弥堂は呆れたように、侮蔑するように嘆息をした。



 所詮は気のせいだ。



 そこには誰もいない。



 彼の眼には何も写ってはいない。




 水無瀬が大泣きしている。



「うっ、うぇぇ……ふぐっ、ネジュミさぁ~ん……っ」



 色々と感極まり過ぎて、もはや彼女自身何でこんなにも涙が止まらないのかわかっていなかった。



「マナぁ、泣くなッス。ネズミさんは死んだんじゃない、浄化されたんス。アイツはきっとこれからもジブンたちの心の中で生き続けるんスよ。知らんけど」


「おぉ、そうだぜ? なんなら今度ここらでシフト入った時にでも、新しいネズミのゴミクズー探しといてやっからよ」



 そんな彼女に慰めになっているのかどうか定かでない気休めの言葉をかける人外たち。


『というか、すでにゴミクズー1匹殺ってただろうにこいつら何やってんだ』と、弥堂は不可解な視線を投げかけていた。



 しかし、そんなことをしていても仕方がないので、次の行動を起こすため地面に落ちてきた物を拾いあげる。



「てゆーか、よく考えたらいつもやってることと結果的には同じくねぇッスか? 雰囲気に流されてジブンもわけわかんなくなってたッスけど」


「おぉ、それな。ドン引きするような残虐ショーがいきなり始まったからよ、オレもビビっちまってわけわかんなくなってたけど、結局いつも最後は魔法でボンっだもんな」


「やっぱそうッスよね。つーことは悪いのは少年ってことに……」


「俺も思ったわ、それ。おい、コゾウっ。テメェのせいなんだからよ、オマエもちゃんとこの子を慰め――」



 言いながら背後の弥堂の方へ振り返ろうとしたボラフの顏が引き攣る。



 振り向いた瞬間にその目に写ったのは、湿度のない冷酷な瞳と、その顔の横で自分の方へ突き立てようと向けられている鉄筋の鋭利な先端であった。



「――うおおぉぉぉぉぉっ⁉」



 悪の幹部の体裁もなく一切合切を放りだす勢いで身体を横に投げ出す。


 もしも避けなければボラフの目玉があった位置をギリギリのところで鉄筋が通り過ぎていった。



「テッ、テテテテメェっ――⁉ なにしやがるっ⁉」



 地面に尻もちをつきながら粟を食って弥堂を怒鳴りつけるが――視線を上げて真っ先に視界に飛び込んできたのは靴底だ。



「どおぉぉぉぉっ⁉」



 踏みつけるように繰り出された弥堂の蹴りをボラフは慌てて両腕を上げてガードする。


 弥堂はそのまま足の裏をボラフの両腕に押し付け、重心を操ることによって地面に抑えつける。



 そしてガラ空きになった顔面を狙って再び鉄筋による刺突を繰り出した。



「なんとおぉぉぉぉっ!」



 ボラフは三日月型の口を大きくガバっと十三夜くらいまで開き、勢いよくそれを閉じてガギンッと歯で凶器を挟んで止める。



「おまっ……⁉ このガキ……っ! なんの真似だ……っ⁉」



 弥堂はボラフの言葉には答えずただ鉄筋を咥える口を視て、すぐに左手で顔面を狙う。



「やだこの子こわい……っ! 無言で目狙ってくる……っ⁉」



 ボラフが右手で弥堂の攻撃をガードし力ずくで相手の体重を押し返すと、弥堂はその力には逆らわずに利用して踏みつけていた足で後方に跳ぶ。



 宙返りをする弥堂から距離をとろうとボラフは慌ててバックステップを踏み、そして顔を上げた時にはもう投擲された鉄筋が目前に迫っていた。



「よいしょおぉぉぉぉっ!」



 怪人としての身体スペックで無理矢理上体を後ろに反らして危うく回避する。眼球の数ミリ先を鉄筋が通り過ぎた。


 思わず安堵しそうになるが、ここまでの流れを踏まえて猛烈に嫌な予感がしたボラフはすぐに上体を戻す。


 すると、離れたはずの弥堂はもう懐に飛び込んできていた。



「ぎょえぇぇーーーっ⁉」



 拳を押し当てられる直前にボラフは大袈裟に飛び退き、壁に爪を突き立てるとそのままカサカサと虫のようにビルを昇って行った。


 3階ほどの高さまで上がってから、ぜぇーぜぇーと息を吐く。



「な、なんなんだよオマエっ! 隙ばっかつくんじゃねえよ!」



 弥堂はそれにも答えずただジッと敵を視る。



「おぉ……コエー……、なんちゅう眼つきしてんだこのガキ。絶対ぇ何人か殺ってんだろ……」



 壁にへばり着きながらブルリと真っ黒ボディを震わせる悪の幹部から目を離さないまま、足元から鉄筋とコンクリの塊を拾い上げる。



「お、おい……、オマエまさか……っ⁉ や、やめっ――」



 返事の代わりにコンクリの塊が飛んでくる。


 カサカサと横に回避するとビルの壁にぶち当たったそれは粉々に砕け散った。



「オ、オマエっ! この野郎っ! こっちが手ぇ出さねえからって調子のんなよ……っ⁉ あんまナメてっと――どわあぁぁっ⁉」



 必死に避けながら抗議すると1秒前まで居た場所に鉄筋が突き刺さる。



「ギャアァーーーっ! ダ、ダレかっ! ダレかぁーーっ! 人殺しよーーっ!」



 乙女のような悲鳴をあげるボラフを弥堂はジッと視界に捉え続ける。



「人じゃねーだろ! ってツッコめよっ! ガチすぎてコエェんだよオマエっ! クソっ……! おい、フィオーレッ! フィオーレッ! 助けてくれっ!」


「え? あ、はいっ!」



 ボラフは堪らずに、展開に着いていけずぽへーっとしていた水無瀬に助けを求めた。


 水無瀬はハッとすると慌てて仲裁に入る。



「び、弥堂くんっ! 落ち着いてっ。どうして怒ってるの?」


「極めて冷静だが」


「ボラフさんをイジメちゃダメだよっ。かわいそうだよっ」


「……何を言っている?」


「え?」


「敵だぞ。アレは」



 きょとんと首を傾げる彼女に視線は向けず、呆れたように当たり前のことを告げる。



「手下のゴミクズーを始末したんだ。次はあいつの番だろう」


「え……、でも……っ」


「……? 何を躊躇う必要がある。あれはお前の敵で、あれを倒すために戦ってるんだろ」


「で、でも……、ボラフさん優しくしてくれたし……」


「……本気で言っているのか? アレをどうにかしないとゴミクズーの被害を減らせないだろうが」


「えぇっ⁉ そうなの⁉」


「アイツはゴミクズーを『探す』だの『連れてくる』だのと言っていただろうが。ゴミクズーの発生や製造に関わっているかまではわからんが、少なくとも被害を助長する要因の一つなのは間違いないはずだ」


「あっ……、そ、そうだったんだ……」


「……それに『バイト』だと言っていただろ。ということは『雇用主』がいるはずだ。元を断たない限りいつまで経っても終わらんぞ。死ぬまで哨戒し続ける気か?」


「あぅ……」



 困ってしまったように返す言葉を失くす水無瀬にようやく眼を向ける。



「理解に苦しむな。敵は殺すものだろう? 殺せる時に殺す。実際のところそれ以上の理由はいらない」


「で、でも……っ! 殺すなんてそんなの……」


「もしも――いや、もういい。拷問にかけて洗いざらい吐き出させてやる」



 彼女を見ることで、彼女と話すことで、思い出したくもない誰かを思い出すようで。


 そんな苛立ちから尚も彼女に責めるような言葉を向けそうになるが、意味がないと自制をした。



 もはや語らず、鉄筋を拾いなおし、マンホールの縁を蹴りつけて蓋を浮かせて外す。


 フリスビーを投げる要領で身体を捩じり、そのマンホールの蓋をボラフ目掛けて左手で放ち、続けて右手で鉄筋を投擲する。



「あ、あぶねぇっ――って、どわぁぁぁっ⁉」



 カサカサと横移動してマンホールの蓋を躱すボラフだったが、その移動先に二の矢の鉄筋が飛んでくる。


 運よく手の指の間にその鉄筋が突き刺さるが、しかしそれに驚いたことによって壁に食い込ませていた爪が抜けて落下する。



「ギャアァァーーっ⁉」



 大袈裟な声をあげて落ちるボラフの落下点めがけて弥堂は三の矢を――



「――だっ、だめえぇぇーっ!」



 仕留める攻撃を放とうとしたが水無瀬が腕に飛びついて来てそれを阻んだ。



「……なんのつもりだ」


「ひ、ひどいことしちゃダメなんだよ……っ!」


「寝言は寝てから――っ⁉」



 無理矢理力をこめて水無瀬ごとブン投げてしまおうとした弥堂だったが、その腕がビクとも動かせず瞠目した。


 彼女を視る。



 目をギュッと閉じて、必死な様子で自分の腕を抑え込んでいるその姿から、その存在が――存在をする力が先よりも増したように視えた。



「に、逃げてください、ボラフさんっ!」


「フィ、フィオーレ……っ⁉」


「ここは私が……っ!」


「す、すまねぇ……っ!」



 ダッと駆け出すボラフの背中を視て、ドクンと大きく心臓を跳ねさせる。



 ドドドド――と頭の中で煩く響く鼓動を無視しながら、鉄筋を握る右手を水無瀬ごと持ち上げる。



「え……っ? わっ、わっ……⁉ あわわわ……っ⁉」



 腕にぶら下がる形になり目を白黒させる水無瀬のことも無視したまま、親指側から突き出る鉄筋の先端に左手の掌を合わせ、前に出した右足の爪先から捻ると――


【零衝】


――大地から借り受け得られたエネルギーを余すことなく伝え鉄筋を射出する。



「アッ――⁉」



 放たれた鉄筋は狙い違わず背後からボラフに突き刺さった。



「や、やめてぇーーっ!」



 追撃をしかけようとする弥堂の腰に水無瀬がしがみつく。こちらを抑え込もうとする力は先程よりも強い。



「させるかぁーーッス!」



 続いてメロが弥堂の顔面に飛びつき腹を押し付けて視界を塞いだ。



「ジ、ジブンも手伝うッスよ!」


「メロちゃんっ!」


「さぁ、マナ! 一緒にこの野郎をやっつけるッスよ!」


「やっつけないよ⁉」



 二人がかりで悪の風紀委員を足止めしている間に悪の幹部は逃げていく。



「そんな……、こんなとこでアタイのハジメテが……っ!」



 身体を捩り後ろ手で尻を抑える何やら不自然な姿勢で、内股で数歩進んではピョコンと小さく跳び上がり、ヒョコヒョコと路地の奥へ消えていった。


 ここまで離されてはもはや追撃も追跡も不可能だろう。仕方なく弥堂は諦めた。




「おい、お前ら。もう――ぅがっ」



 離れろと命じようとしたらメロがより身体を密着させてきて、口と鼻の中に毛が入り酷く不快さを感じる。



「お、落ち着いてっ! 落ち着いて弥堂くんっ!」


「もがえが……っ!」



『お前が落ち着け』と言いたかったが、メロのネコさんボディに口を塞がれていたために上手く発音できない。それどころか舌に大量の抜け毛が張り付きこの上なく不愉快になった。


 とりあえずこのクソネコをどかそうと、塞がれた視界の中で当てずっぽうに手を遣ると、掴み損ねてネコがズリ下がってきた。



「ワニャニャニャニャ……っ⁉」



 弥堂の顏に頭を下にしてへばり付いていたネコ妖精は身体の半ばまで落ちそうになったところで慌てて弥堂の首にしがみつく。首筋の薄皮に浅く爪が食い込んだ。


 前足で弥堂の首を掴み後ろ足で頬を挟んで落とされまいと抵抗をする。


 すると、自然とプリップリのメスネコア〇ルが弥堂の目前に突き付けられた。



 ビキッと大量の青筋を浮かべて、尻尾を掴んで無理矢理引き剥がそうとする。



「ウニャニャニャッス⁉ マ、マナッ! 飛行魔法ッス! 飛んでしまえばコイツはもう何も出来ないッス!」


「あっ、えっ……⁉ は、はいっ!」



 言われるがままに水無瀬は弥堂のお腹に顔を押し付けて「むむむ……っ」と念じる。



「【飛翔リアリー】!」



 弥堂の腰に抱き着いたまま魔法の言葉を放つと、彼女のショートブーツに生えた光の羽がふよふよと蠢き、酷く不安定な挙動で、弥堂と彼の顔面に張り付くメロ諸共に宙に浮かび上がっていく。



「フハハハハーッス! 少年っ! オマエの野望もここまでだっ!」


「ふざけるな、降ろせ」


「このまま暫くジブンらと一緒に空中散歩とシャレこもうぜぇーッス!」


「お断りだ」



 弥堂はネコから目線を外し自身の下腹部を視る。



 現在のこの状態を作り出す浮力を生み出しているのはネコ妖精ではなく、自身の腰にしがみつきながら下腹部に顔を押し付けてる魔法少女の方だ。


 彼女は苦手な飛行魔法の制御に集中するためか、ぎゅっとお目めを瞑り「むむむ……っ」と念じている。


 彼女のその声の振動か、魔法の力の波動のようなものなのかは不明だが、身体の外部を徹り抜けて膀胱に振動が伝わってくる。



「ガハハハハーッス! 己の翼を持つことも出来ぬ憐れなニンゲンめぇ! どうだ今の気分はっ⁉ 空中で自分を制御できぬ不自由さにキンタマをヒュッとさせるがいいっ! フハハハハー…………あ、あれ……? マナ? ちょっと高度上げ過ぎじゃないッスかね……?」



 魔王のような高笑いをあげていたメロは途中で言葉に不安さを滲ませ、恐る恐る弥堂の股間部分を覗き込み水無瀬を窺う。



「こ――これは……っ⁉」


「おい、どうした?」



 自身の股間部分を見ながら驚愕に目を見開く淫蕩なネコに弥堂は問いかける。



「これは『いっしょけんめいモード』に入ってるッスね」


「……なんだそれは?」


「他のことは何も考えられないくらいがんばってるッス」


「……つまりどういうことだ?」


「この後どうなるかもうわかんねえってことッスね」



 数秒ほど、下腹に顔を押し付けながら何かに没頭する少女のことをネコ妖精と一緒に眺める。その間も高度は少しずつ上がり続けている。



「ところで少年?」


「なんだ」


「このアングル。エロくないッスか?」


「あ?」



 右の前足で水無瀬を示しながら、左の前足を自身の口元に添えながら「ニャシシ」と笑うネコに怪訝な眼を返す。



「だぁーからぁーっッス! これもう構図が完全にペェズリィペッラじゃねぇッスか!」


「ペェズ……なんだと? どこの言葉だ、イタリア語か?」


「かぁーっ! もうっ! このニブチンコがよぉっ! アレに決まってんだろぉッス! おっぺぇで挟んでジュッポジュッポするアレによぉっ!」



 ガハハと下品な笑いをあげるネコに軽蔑の眼差しを向けるが、奴はこちらの気分を察するどころか余計に興奮をする。


 尻尾を掴まれたままジタジタと宙を泳ぎ、耳元に荒い息遣いを寄せてきた。



「ハァ……、ハァ……ッ! ど、どうなんスか少年? ジッサイのところ……っ」


「なにがだ」


「ヘッ、ヘヘッ……、クラスでいつも隣に座ってる女の子のこんな姿を見ちまって……、興奮しないッスか? 意識しちゃわないッスか……?」


「お前の言うことはまるで理解できん」


「こんの野郎っ! 男子高校生めっ! 誤魔化しちゃって可愛いヤツめッス! どこまでジブンを興奮させる気っスか!」


「おい、息が生臭ぇぞ。離れろ」


「お、教えてくれッス。男子高校生はこういう時は勃起しちゃうんスか? もちろんするッスよね? だって男子高校生だもの。ジブンにだけこっそり教えてくれッス」


「お前は男子高校生を何だと思ってるんだ」



 中年男性に匹敵するようなセクハラを耳元でネットリと囁いてくる自称ネコ妖精に弥堂は顔を顰めた。普通に気持ち悪かったからだ。



「い、いいだろぉッス……。勃起は恥ずかしいことじゃないッスよ? むしろエライことッス。勃起してるって教えてくれたら、ちゃんとジブンも『勃起できてエライね?』ってホメてあげるッスから堂々と勃起していいんスよ?」


「何回言うんだよ。お前勃起が好き過ぎだろ」


「ハァハァ……、こ、今夜はやっぱアレッスか……? これでヌくんスか? も、もしヌいたら今度会った時に教えてくれな?」


「お前の期待するようなことは起こらない」


「またまたぁ……。おねがいしますよぉ……、ウチのタレント、脱いだらイイモン持ってんスよ……? 今夜の男子的営みのお供にぜひ……。そしてその暁にはぜひゴールデンの出演を……」


「意味のわからんことを言うな」


「ツレねえこと言うなよぉ……。悦びは分け合おうッス。悦びを連鎖させて循環させて世界中が幸せになるんス。これぞ快環の理っス!」


「…………」



 弥堂は卑猥な妖精との意思の疎通を諦め、事態の解決を図るため魔法少女の方へアプローチをする。



 彼女の身体に足を巻きつけギュッと締め付ける。



「――ぴっ⁉」



 突然の圧迫感に愛苗ちゃんはびっくり仰天した。



「お、おい! コラっ! マナになにするんスか⁉」


「もう面倒だ。このまま締め落してやる」


「頭おかしいんスか、この野郎っ! そんなことしたら地面に真っ逆さまして汚ぇシミになるッスよ!」


「お前らをクッションにすれば足の1.2本で済むだろ」


「や、やめろっ! このイカレやろ…………オォゥ、ふぁびゅらぁ~す」



 慌てて弥堂の足の絞め技からパートナーの救出に向かおうとしたメロだったが、要救助者の状態を視認して思わず唸る。


 何事だと弥堂も視線を向けてみると、自身の足に挟まる水無瀬の絵面は先程よりもマズイことになっていた。



 下腹部に顔を押し付ける形から、足で絞め上げられたショックで身体が弓反りになった関係でぽよんっと躍動した愛苗ちゃんの暴れん坊が弥堂の股間の上に乗っかった。


 股の間で苦悶する彼女の動きに合わせてグニングニンと形を変える。



「絞めづらいな。乳が邪魔なのか?」


「オイっ! オマエやめろッス! マナが苦しそうだろ!」


「前から思っていたがこれ偽物なんじゃねえか? 希咲みたいになんか詰めてんだろ。お前ちょっとその乳取れ」



 言いながら弥堂は愛苗ちゃんのボリューミーな左のペェをガッと鷲掴みにした。



「オイっ! オイッ……! オマエ調子のりすぎッスよ! IVは許すけどAVはダメだって言ってんじゃろがいっ! ここのラインを越えるなッス!」


「いてぇな。引っ掻くんじゃねえよ。つーか、これ本物か。ガキみてぇな顏してるくせに生意気だな」


「蛮族かオマエはぁーッス! 愛苗は初めてなんッス! 初体験で空中ペェズリィの強要とか可哀想ッス! 初めては夜景の見えるホテルの一室でベッドに隣あって座りながらワインとか飲んでる時に徐に肩を抱き優しくキスをするところから始めて欲しいッス!」



 ネコが何やら具体的な展望を語っていたが無視をして、水無瀬の乳に意識を向ける。



 先日の希咲のような胸パッドの感触が返ってくるとばかり考えていたら、意外にも天然100%のソフトタイプのようで、弥堂はモミモミと手を動かして真贋を確かめた。



「――ふみゃぁーーーーっ⁉」



 その猥褻行為によって『いっしょけんめいモード』が解除されてしまった愛苗ちゃんは、魔法のコントロールを失う。



「わ……っ! わ……っ⁉ 落ちちゃうぅぅっ⁉」


「ギャーーーッス⁉ は、はなせーッス!」



 いち早く飛んで逃げようとしていたネコ妖精の尻尾を強く掴み直すと断末魔のような悲鳴をあげた。



 3人一緒に急速落下していく。



「あわわわわ……っ! ぎゅぅーっ!」



 大慌てで水無瀬が魔法に強く魔力をこめる。



 すると一気に落ちて一気に上がるジェットコースターのような軌道で、地面ギリギリを掠めながら今度は急上昇をする。



「あっ、あっ……! も、もうダメぇぇぇぇっ⁉」



 何とか持ち直したと思いきや、弥堂の腹に抱きついた彼女がお目めをバッテンにしてそう叫ぶと、一定高度まで上がったところで急に浮力を失う。



 飛行魔法が解除されたように思えたがそうではなく、力のベクトルがあちこちに暴れ出す。


 そして最終的にギュルンギュルン横回転をしながら天地反転し、頭を下に向けた状態で地上へと加速をする。



 今度は軌道修正をされることはなく、胴体をガッチリとホールドされたままドリルのように横回転状態で弥堂の脳天は地面に衝突をし、グリンっと目玉を裏返して気絶した。


 失神KOされた弥堂の腕が投げ出されたため、彼の手に尻尾を掴まれていたメロはビターンっと地面に叩きつけられ、グリンっと目玉を裏返し気絶した。


 弥堂のお腹にギュッとしていた愛苗ちゃんは身長差の影響で頭を打つことはなく事無きを得た。



 弥堂が意識を手放す直前、地面に衝突する瞬間に、翼を生やした立派な白馬が「ひひーん」と力強く嘶くイメージが幻視されたような気がした。




「び、びとうくーーんっ! メロちゃぁーーんっ!」



 味方二人を纏めて葬った少女の悲痛な叫びが木霊する。



 こうして魔法少女ステラ・フィオーレの活躍により、悪の風紀委員の野望は打ち砕かれ、か弱き怪人の生命は守られた。


 だが戦いはまだ終わったわけではない。


 がんばれフィオーレ。負けるなフィオーレ。


 美景市の平和はキミの魔法にかかっている。



「ごめんなさぁーーいっ!」





 コーヒーカップを傾ける。



 銀色のステンレスに映った見苦しい顏に向けてドス黒い液体をかけていく。



 あの後――魔法少女によるローリングクラッシュ的な必殺技のようなものでKOされた後――救急車を呼び出される直前で意識を取り戻し、どうにか通話が始まる前に阻止することが出来た。


 保険証を持っていないので病院に緊急搬送されるのは非常に都合が悪いのだ。



 実際に気を失っていたのはほんの十数秒程度のことのようだったが、大袈裟に泣きながら謝罪をしてくる水無瀬を適当にあしらってから彼女らと別れて、現在こうして弥堂は自宅でコーヒーを嗜んでいる。



 そこまでを整理したところで台所シンクがボコンと音をたて、映り込んだ自分の顏がさらに歪んだ。



 コーヒーを流しかけるのをやめて、カップに残った一口分を飲み干す。


 水道のレバーを下ろして何もかもを水に流した。




 出来事の考察をする。



 今日で得られた新しい情報として真っ先に思い浮かぶのは、やはり実際に戦闘を行ったゴミクズーと悪の幹部だろうか。



 街でそのようなものに行き当たるのは交通事故程度の確率だ、などと昨日は安易に考えていたが、その翌日に早速遭遇し戦う羽目になるとは。



 魔法でしか倒すことの出来ないゴミクズー。


 そういった触れ込みであったが、実際は殺せる。



 今日の経験で弥堂はそのように手応えを感じていた。



 だが、彼我の戦力差で自分がゴミクズーを圧倒的に上回るかと聞かれればそんなことはない。


 今日はたまたま周囲の条件がよかった。


 もしも次に遭遇をした時に、そこが今日よりももっと開けた場所で、さらに周囲に戦闘に利用できるような物が何もなかった場合、恐らく自分はあっさりと敗北をし殺されることになるだろう。


 今日は運がよかった。


 弥堂はそのように考えていた。



 次に悪の幹部ボラフ。



 自分は怪人だとか名乗っていたが、そもそも怪人とはなんなのだろうか。


 人間でないのは間違いがないが、かといってゴミクズーとも違うモノのようであった。


 ボラフとも最後は戦闘になり自分が優勢に仕掛けていたようにも見えなくはないが、実際はまるで違う。



 慌てて逃げ惑っているようにヤツは振舞っていたが、結局弥堂の攻撃はロクに当たることはなかったし、当たったところで有効打とはならなかっただろうと評価をしている。



 なにか人間には手を出すことは出来ないといった風なことを漏らしていたが、だが最初に遭遇をした時の態度は違ったようにも思える。


 他にも魔法少女や戦闘に対する姿勢など、どこかヤツの行動には一貫性と真剣味がないように感じられた。



 以上のことを踏まえて、『ゴミクズー』、『悪の幹部』、『闇の組織』、これらに対する弥堂 優輝のスタンスとしては、やはり不干渉ということになる。



 運悪く二日続けて交通事故に遭ったことになるが、いくらなんでも三回目はもうないだろう。



 今日のことで何となくヤツらの放つ空気感のようなものは掴んだ。


 それが感じられる場所に近づかぬよう注意をしていれば問題はない。


 もしも、路地裏に入ると頻繁に連中に出くわすのならば、とっくに街のクズどもの間で騒ぎになっているはずだ。



 確かに目障りではあるが、こちらの目的とすることには現状障害とはなっていない。



 圧倒的に実力差があるのならば、念のため殺しておくかという話にもなるが、戦いを仕掛けても敗けて死ぬのは自分の方だ。


 ならば無暗に近づくべきではない。




 それよりももっと考えなければならない重大な敵がいる。



 その敵とは――JKだ。




 一昨日の4月16日には学園で希咲 七海にKOされ、本日の4月18日には街の路地裏で水無瀬 愛苗にKOされた。


 これで現在のところ、対JK戦は2連敗ということになる。



 ギリ……ッと歯軋りをする。



(認めなければならない。俺は完全に甘く見ていた……JKという種族を――!)



 二人のクラスメイトの女子の顏を浮かべ苦々しい気分になる。



 流し台に置いていたカップを手元に戻し、新しい豆を用意するのは面倒だったので使用済みのドリッパーを上に載せ、ヤカンから湯を落とす。


 ポタ、ポタ、とカップに黒い水が落ちる音を聴きながら、魔法少女について考える。



 魔法少女ステラ・フィオーレ。



 機会があればその戦闘を一度見てみたいと考えていたが、思いの外早くにその機会が巡ってきた。



 しかし、それによって得られたデータで彼女の戦闘能力を評価をしようにも、どうにも採点が難しいものになってしまった。



 まず、攻撃。


 弥堂がしこたま痛めつけても絶命には至らなかったゴミクズーを、とりあえず当たりさえすれば一撃で仕留める光球。


 それはゴミクズー相手だけでなくビルの壁面を半壊させる程の物理的な影響力を持っていた。



 次に防御。


 考えながら袖を捲る。そこには無数の引っ掻き傷があった。


 完璧にゴミクズーを抑え込んで無傷で勝利したように見えた弥堂だったが、実際はそうではなく、暴れるゴミクズーの前足や後ろ足により多くの傷を負っていた。


 そのゴミクズーに圧し掛かられ頭を齧られても水無瀬は傷すら負わない。


 彼女自身だけでなく、魔法少女の衣装もかなり頑丈に出来ているようだった。



 それ以外の魔法。


 戦いが終わった後に、返り血やらなんやらで汚れていた弥堂に彼女はよくわからない魔法を使った。


 すると、服の汚れやら破れだけでなく、弥堂が破壊したブロック塀なども元通りに修復してしまったのだ。


 だが、弥堂が負った傷はそのままだった。


 自身に付着した血は全てネズミの返り血で自分は負傷はしていないと言い張ったので、もしかしたら彼女自身に傷を治すという意識がなかった為に治らなかったとも考えられるが、それ以前に『傷は治せない』という発言もしていた。


 生き物は治せないが無機物は直せる。


 どういった理屈なのかは全く見当もつかないが、とても不自然に思えた。



 少々脱線をしたが、以上の能力から彼女の実力を考えようとしてもやはり評価を下しづらい。それが弥堂の本音だった。



 なぜなら、彼女は度し難いほどのポンコツだ。



 火力は十分、守りも頑強、下手くそだが飛行も出来る。



 だが、ポンコツだ。



 もしも自分に同じ力が備わっていれば、今から外人街に乗り込んでいって傷一つ負わずに散歩感覚で住人を皆殺しにして朝までに帰って来られる。


 それほどの力だ。



 なのに、水無瀬 愛苗、そして彼女のお供のエロネコがそれを台無しにしてお釣りが出るほどの無能だったものだから、強いのか弱いのか、脅威なのかそうでないのか、それら一切合切の判断をこの場で下すことが非常に躊躇われた。



 だが、もしも弥堂 優輝に魔法少女を殺すことが可能かと、そう訊かれれば――



(――それは、可能だ)



 意識を切り替える。



 とりあえず奴らのことを考えるのはこんなところでいいだろう。


 これだけわかったこともある。


 今日の収穫としては十分だと、そうしておこう。



 弥堂は懐から一枚の紙を取り出す。



 それは写真だ。



 今の自分にとって大事なのは、魔法少女でもゴミクズーでもない。



 人妻だ。



『カイカン熟女クラブ』の朝比奈さん29歳Eカップの写真を視る。


 チャンさんの情報ではこの熟女が次にこの人妻専門店に出勤をしてくるのは火曜日か水曜日と言っていた。予定を調整する必要がある。



 しかし、と考える。



(29歳というのは果たして熟女なのか……?)



 弥堂の感覚では大人ではあるがまだ若い女という風に思える。


 熟女の定義を少しだけ考えてみて、すぐに自分には答えは出せないと諦めた。


 自分はこういった問題には疎い。


 今度識者である廻夜部長に会った時にでもその知恵に肖る為にお話を伺ってみようと、心中でメモをした。ついでに、そろそろ保険証を偽造して購入する必要もあるかと、メモに書き加えた。



 ふとコーヒーカップに目を遣るとドリッパーから落ちる水時計は停止しているようだった。



 フンと鼻を鳴らし、腕で払いのけるようにしてカップもドリッパーも流し台に落とす。



 食器がステンレスに当たる音を背後にし、壁にかけているハンガーを取りに行く。


 今日はもうシャワーを浴びてとっとと寝てしまおう。


 そのように考えながら、隣り合って吊り下がっている二つのハンガーを見た。



 明日にでもクリーニング屋に預けていた物を回収に行くかと予定に加える。


 明日は午前中に風紀委員会の活動の一環であるゴミ拾いのボランティア活動を旧住宅街と新興住宅地との境目あたりで行い、それが終わったらMIKAGEモール内のクリーニング屋に向かおうと決めた。


 夜には別の用事があり、そして明日の中で最も重要な用件はそれになる。



 弥堂は床に適当に置かれていた紙袋から新品のバスタオルを取り出し、適当にテーブルの方へ手に持っていた熟女の写真を投げ飛ばす。



 人妻ヘルスに行くことを考えるのはまだ先だ。



 まずは明日の夜に行かなければならない。



――キャバクラへ。

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