1章19 『starting the blooming!』


 対峙してソレを視る。



 何かを貪るのを止めて身体をこちらに向けた“ゴミクズー”というネズミの化け物もただの人間に過ぎない俺にとっては脅威に違いないのだが――



「ダァメだぜ~、ニイチャンよぉ。こんなとこに来ちゃあ。ママに言われなかったのかぁ? 暗い所に一人で行っちゃいけませんってよ」



――それよりも、この喋る黒い人型から目が離せない。



「生憎と俺は悪い子みたいでな。ママにはとっくに見離されちまったんだ」



 恐らくこいつが水無瀬の言っていた“悪の幹部”とやらだろう。



「……? ナンダァ? 反抗期かテメェ? 親は大事にしろよ。ふとした瞬間に一生会えなくなっちまうこともあるんだぜ? 例えば、路地裏の奥まで入り過ぎちまった時とかよ」



 ソレはニィと哂う。



 全身はライダースーツで覆ったように真っ黒で、遠目に見ればフルフェイスのヘルメットにも見えそうな球体が、人間であれば頭部にあたる位置に載っている。



 その黒い顏に浮かぶのは二つの目と一つの口。


 三日月状のそれらを動かし形を変えることで、人間がよくするような表情を表現してくる。



 自分たち人間と似た部分が見えると余計に気味の悪さがあった。



「興味深い話だがそんなことより。お前の恰好イカレてんな? その服どこで買ったんだ? 教えてくれよ」


「アァ? 服じゃねーよ。こういう身体なんだよ。イカしてんだろ?」


「イカ? お前の国ではイカが黒いのか?」


「何言ってんだテメェ? イカす、って言ってんだよ。意味わかるだろ?」


「あぁ。イカ墨を被ったのか。それでそんなに黒いと」


「ドラッグでもキメてんのか? 黒い黒いうるせえんだよ。テメェらニンゲンは黒いことを馬鹿にしちゃいけませんって教えられてんだろ」



 おどけたように、巫山戯たように弧を描いていた目口が不快気に歪められた。



「そうかもな。だがそれは人間限定の話だ。それに、よくそれを高らかに謳っている白い奴らが一番黒い奴らを虐めているんだ」


「おぉ、それな。オレァそういうニンゲン臭ぇニンゲンらしさが好きだぜ。でもオマエはニンゲンなんだからちゃんと助けてやれよ」


「そうしたいのもやまやまだが、そうすると次はこっちが標的にされるかもしれんしな」


「あぁ。『イジメはいけません!』つったら、『じゃあ代わりにお前をイジメるわ!』ってやつだよな? 違うか?」


「どうだろうな。だが基本的に白いのも黒いのも俺達黄色いのを見下しているからな。そうかもな」



 適当に肩を竦めてみせると、黒いのはカカカッと上機嫌に笑う。しかしその目は笑ってはいない。


 目と口しかない分、より如実にそう感じられる。



「オマエらニンゲンって馬鹿だよな。常に同族の誰かに悪意を向けずにはいられねえし、常にそうしたくって堪らねえくせによ。自分らでそれを制限しようとすんのな。そういう種類の変態プレイなのか?」


「さぁな。俺は人道主義だからな。よくわからないな」


「ハッ。嘘つくんじゃあねえよ。白だの黒だの抜かしてただろ。なんだ? 思想でも歪めてんのか?」


「それは誤解だ。最近知人から『色んな人が居ていい』と聞いてな。大変に感銘を受けたばかりなんだ」



 どんな人間でも殺せば死ぬ。色の違いなど誤差に過ぎない。



「随分立派なお友達だな。また会えるといいな?」


「そうだな。案外共通の知人だったりするかもしれんぞ」


「オマエ、クチが減らねえな」



 俺を見る三日月の奥に赤い点のような光が灯る。



「取り繕ってんじゃあねえよ。出せよ。見せろよ。オマエの悪意を。あんだろ? オマエはどんな悪意をどんな奴に向けるのが好きなんだ? あ? オマエのその腹ン中に詰まった汚ねえドス黒いモンをよぉ、オレに見せてみろよ」


「そう言われてもな。俺達黄色いのは肩身が狭いんだ。下手なことをするとまた袋叩きにされるからな。だから、人間以外のモノにその悪意とやらを向けてみようか。例えば――」


「ア?」


「――例えばそう。路地裏に落ちていた“ゴミ”とかにな」


「……テメェ」



 奴の俺を見る目が怪訝そうに歪む。



「テメェなんなんだ?」


「見たまま人間だ。お前とは違う、人間だ」


「……ウルセェんだよ。何落ち着き払ってんだよ。よく見ろよ。オレたちをよ。オレなんかどう見てもニンゲンじゃあねえし、こいつだってよ、こんなでっけぇネズミいるわけねえだろ? ヤベーと思わねえのか?」


「言ったろ。色んなヤツが居ていいって。心配しなくても――よく視えてるよ」


「…………」



 眼球の中心に力を込めて視線を尖らせてやると、そのニンゲンでないモノはスッと表情をフラットにした。



「気に食わねえな……。ビビれよ。怯えろよ。恐れろよ。慌てふためいて泣きながら命乞いをしろよ。なんでオマエ、感情が動かないんだ? こんなとこまでノコノコ歩いて来てオレの目の前に立ってよぉ。なに余裕かましてんだ? ナメてんのかよニンゲン」


「なんだ? 顔色を窺って欲しかったのか? 真っ黒でわかんねえよ。出来の悪い福笑いみてぇなツラしやがって。ナメてんのか?」


「オマエ、なんなんだ? 状況見ろよ。立場わかってんのか?」


「わかっていないのはお前だ。何故俺が道を歩くのにお前の顔色を窺わねばならん。ここは公道だ。お前の私道か? 私有地なのか? それを主張したいのならまずは税金を払え」


「払うわけねーだろ。オマエらニンゲンと一緒にするなよ。下らねえ」


「そうか。で、あるのなら、顔色を窺わねばならんのはお前だ。ここは人間様のテリトリーだ。立場を弁えろ」


「アァ……? どういう意味だ?」


「わからないのか? 俺はこう言っているんだ。『テメー、誰に断ってここでデカいツラしてやがんだ? 殺すぞゴミクズが』」


「……死んだぞ、テメー……」



 二つの三日月が怒りの色に染まり、傍らのネズミも同調するように「キキキキっ」と喉の奥で威嚇の声を鳴らす。



 自分よりも圧倒的に上の存在である二つの化け物からの敵意を受け止めながら、ここまでに得た情報を整理する。



 人の感情を逆撫でするように喋るわりに短気。


 人外であることを隠すつもりがない。


 それなりに知性があり、人間社会に関する知識を持っている。


 ヤツがその気になるまでネズミの“ゴミクズー”は動こうとしなかったため、やはり支配下にあると見える。



 こんなところだろうか。



 だが、そんなことを知ったところで意味はない。



 その情報を役立てることが出来るのは、ここを生き延びた後の話だ。



 自分よりも格が上の存在が2体。



 真っ向から戦いを挑めば当然即座に死体に為るのは俺の方だ。


 であるなら、第一目標は逃走ということになるが、果たしてどこまでやれるか。



 それなりに絶望的な状況であるが、だからといって特に慌てる必要もない。



 確かに“ゴミクズー”だの“悪の幹部”だなどという奇天烈な存在に出くわすのは初めてのことではあるが、この程度の絶体絶命は今までにも何度もあった。


 おまけに今回は、闘争に敗北し、逃走に失敗しても、それで失われるのは俺の生命だけなので非常にローリスクと謂える。



 だから気負わず惜しまず、危険に心臓を晒して、死と向き合う。




 スターターを蹴り降ろす。



 ドルンと生命の中心に火が入り、ドドドドっと拍動する心房から送り出された戦意が全身を廻る。


 左から廻り右へと還る。


 肺へと流れ込んで混ざり溶けあって、他を脅かす魔となり殺しの許しを得る。



 胸の前で揺れる逆十字に吊るされた赤黒いティアドロップへと右手を――





――クセーッス! こっちがクセーッスよ! この饐えたようなイカ臭さは間違いねーッス!


――ま、待ってよー! 走るの速いよー!




 どこかから近づいてくる声が聴こえ思わず右手を止める。



 正面を視ると悪の幹部とやらはハッとなり、自身の顏を両手でグニグニと揉み解して表情を元のニヤケ顏に戻す。


 そして傍らにいる戦闘状態に入って興奮状態にある獣の背を撫でながら「ヨーシヨシヨシヨシ……!」と宥めると、なにやらソワソワとし始めた。




――コラーーッス! 気合が足りねーッスよ! やる気あるん…………いや、やる気に満ち溢れてるッスね。おっぱいが荒ぶってるッスね! ジブンが間違ってたッス!


――おっぱいは関係ないよぅ……。



――にゃにゃにゃっ⁉ これはマズイッス! ニンゲンがゴミクズーに襲われてるッスよ!


――えぇっ⁉ たいへんっ! どっどどどどどうしようっ⁉



――どうもこうもねえッス! とりあえず勢いッス! 女は勢いッスよ!


――うん、わかったよ! でも勢いってどうすればいいの?



――え? いや、わかんねえッスけど……。とりあえず突っ込むッス! なんかイイ感じに突入ッス! 服脱いでベッドに入ったらあとは流れッス!


――えっ? えっ? よくわかんないけど、私がんばるねっ!




「え、えっと、えっと…………あの、そ、そこまでです……っ!」


「むっ……⁉ ダ、ダレだ……っ⁉」




 俺の背後から何者かの制止の呼びかけがこの場に響くと、ソワソワしていた悪の幹部は白々しく辺りをキョロキョロと見回した。



 俺は全身から抜け出ていきそうな戦意を努めて繋ぎ止める。



 間もなくして、緊張感のない足音が俺を追い抜いていき敵との間に割り込んだ。




 どうやら俺の運はまだ尽きてはいなかったようで、生き残る目が出てきたようだ。



 だが、それなのに、俺はどこか重い気分に囚われ始めた。



 どうにも嫌な予感を感じながら、俺は途中で止めていた宙ぶらりんな右手を伸ばす。




「いたいいたいいたい……っ⁉ なんでぇっ⁉」



 背後から水無瀬の頭蓋骨を鷲掴みして力をこめる。



「人間の揉め事に入ってくるなと言っただろうが」


「ごっ、ごめんなさーーーーいっ!」

「このヤローッス! マナはオマエを助けてやろうとしたんだろうがッス! はなせッス!」



 ガジガジと手に噛みついてくるネコ擬きが病気を持っているかもしれないので仕方なく手を離してやる。



 開放された水無瀬は涙目で頭を抑えながらしゃがみこみ、ネコに介抱される。


 チラリと悪の幹部に視線を遣ると、奴は覇気のない目でぼーっとしていた。



「うぅ~、いたかったぁ……、って、あれ? 弥堂くん?」


「……今気付いたのか?」


「うん。こんにちは。えへへ……、お休みの日に会うのは初めてだねっ」


「……そうだな」



 ぺこりと頭を下げてご挨拶してくる水無瀬のせいで、注意していないと今が戦闘状態であることを忘れてしまいそうだ。



「テメー、少年! このやろーッス! いきなり何するんスか!」


「ここで人間に関わるなと昨日約束したばかりだろう」


「少年こそゴミクズーと揉めるなって約束したじゃないッスか!」


「ん? あぁ、そうだったな。じゃあ許してやる」


「な、なんて理不尽なヤツなんスか……」



 ネコに適当に返事をしながら、そういえばそんな約束をしていたなと思い出す。


 守る気などなかったので忘れていたのだ。



「弥堂くん。ケガとかしなかった? ガジガジされてない?」


「ケガはないがガジガジはされたな。どこかの躾のなってない野生動物に」


「それはジブンのことっスかーー! 下賤な野良猫と一緒にするなーッス! ジブンは高貴なる家猫様ッス! 図が高ェーッス!」


「えと、だいじょうぶってことだよね? よかったぁ。私ね誰か襲われてるーって思って慌てて走ってきちゃったの」


「それは構わんが、アレは放っておいてもいいのか?」



 顎でゴミクズーと悪の幹部の方を示してやると、彼女らも鈍重な動きでそちらを見る。


 ボーっとしていた悪の幹部は自身に注目が集まっていることに気が付くと、バッと大きく腕を横に振った。



「ブハハハハハーっ! よく来たなステラ・フィオーレ!」


「あ、はい。ボラフさんこんにちは。お久しぶりです」


「ん? おぉ、こんにちは。いやー、最近他のバイトが忙しくってよ。中々こっちのシフト入れなくて悪いな」



 水無瀬が丁寧にペコリと頭を下げて挨拶をすると、悪の幹部は挨拶を返しつつ、ニコニコとしながら寄ってきた。



 というか、バイト? こいつ今バイトって言ったか?


 悪の幹部とは掛け持ちバイトでやれるものなのか?


 こいつまさか人間なのか?



 まさか、という気持ちで俺はヤツに怪訝な眼を向けるが、ボラフと呼ばれた悪の幹部は俺のことなど気にも留めず水無瀬の前まで歩いてくる。



 するとボラフは、人間の男であればズボンのポケットがある辺りに手を突っこみ、文字通り黒一色の身体の中に手を突っこみ、なにやら弄る。


 そして手に掴んで取り出した物を水無瀬に手渡した。



「ちゃんとご挨拶できてエライな。ほら、甘いぞ」


「わぁ。アメさんだぁ! ありがとうございます!」



 そしてボラフは元の位置に戻っていき、その間に水無瀬は包みを開けて飴玉を取り出すと迷わず口に入れた。



 ほっぺたをモゴモゴと動かしながら口の中で飴玉を転がす水無瀬の顏へ、俺は信じられないと眼を向ける。



 敵に渡された食べ物をそのまま口に入れるだと?


 何考えてんだこいつ……?



 水無瀬と一定の距離を空けてネズミの化け物の隣に立ったボラフはコホンと一つ咳払いをすると――



「ブハハハハハーっ! よく来たなーステラ・フィオーレ!」


「まひのひほにめーわふをはへるのはひゅるひまへんっ!」



 高笑いからリテイクし、水無瀬もそれに勇ましく応えた。


 しかし、口の中の飴玉のせいで若干何を言っているのかわからなかった。



 緊迫感が薄れていくのに反比例して俺の苛立ちが募っていく。



「ふん、だが一歩遅かったようだな! 俺はもう街の人に迷惑をかけてしまったぞ!」


「えぇぇっ⁉」


「こっちの奥を見てみろ!」


「そんな……っ、ひどい……っ!」



 何かが始まったようなので、とりあえず俺も状況を把握するために路地の奥に眼を凝らす。



「……?」



 しかし、そこには特に何もない。


 死体の一つでも転がっているのかと思ったが、ゴミ箱が一つ転がっているだけだ。



「ブハハハハーっ! どうだ! 生ゴミをばら撒いてやったぜ! これでこの辺のネズミたちはよく育つってもんよ!」


「あぁ……たいへんっ! このままじゃ虫さんもいっぱい湧いちゃう……っ! どうしよう!」


「これはマズイッスよ……! 通りがかった人が『うぇっ』ってなっちまうッス! なんてヒキョーな……っ!」


「…………」



 さっきネズミが貪っていたのは生ゴミだったのか。



 きっと今俺が考えるべきことは他にあり、俺も何か言うべきだったのかもしれないが、迂闊に発言をしては俺もこいつらと同じ舞台に上がってしまうのではと、それを危惧して慎重になっていた。



「それだけじゃあねえぜ! そいつを見ろ!」



 ボラフが指を差すのに合わせて全員が俺に視線を向ける。



「そいつな、今は平気なフリしてっけどよ、さっきまでワンワン泣いてたんだぜ? 『ママー!』つってな!」


「えぇっ⁉ そんな、弥堂くんに何をしたんですか⁉」


「ブハハハハー! 決まってんだろ! いっぱい悪口言ってやったんだよおぉぉぉっ! 弥堂くんとは遊んじゃいけませんって母ちゃんに言われてるから、オマエとは遊んでやらねーよってナァっ!」


「ひどい……、ひどいよ……っ! どうしてそんなことができるんですか⁉」


「ちくしょー! テメーの魔力は何色だーッス! ジブン、こんなの許せねえッスよ!」


「…………」



 一頻り義憤を燃やした彼女たちは俺の方へ労わるような目を向けてきた。



「弥堂くん、だいじょうぶ? 私たちと一緒に遊ぼうね? だから泣かないで? よしよししてあげるね?」


「触るな」


「少年、ションベンちびってねぇッスか? 気にすることねえッスよ? ゴミクズーはおっかねえッスからね」


「黙れ」



 背伸びをして俺の頭へ伸ばしてくる水無瀬の手を振り払い、俺の股間周辺を飛び回ってクンクンと鼻を鳴らすクソ猫をぺしっと叩き落とす。



「ブハハハハーっ! どうだ! これがオレたち“闇の秘密結社”のやり方だァー! 世界の環境を守ってやるぜェーっ!」


「だからって! 街の人に迷惑をかけて、弥堂くんのこともイジメるなんて! そんなの許せませんっ!」


「なんだとぉ? じゃあどうするっ⁉」


「戦いますっ!」


「マナっ! 変身っス!」


「うん! メロちゃん!」



 悪の幹部の前に勇ましく立った水無瀬は自身の胸元に手を持っていき、そしてハッとする。



 何かを掴もうとしていた右手は空振り、胸元を見下ろしながら首を傾げて手をグパグパする。



「あ、マナ。“Blue Wish”はリュックの中っス!」


「あ、そっか。そうだったね。よい……しょっと」



 水無瀬は背中に背負っていたリュックサックの紐を腕から抜くと、悪の幹部を前にしてしゃがんでリュックの中をゴソゴソと探る。



 ヤツらにしてみれば攻撃チャンスのはずだが、ボラフもゴミクズーも特に何もせずにボーっとしている。



「あ、あった」



 無事に目的の物を見つけることが出来たらしい水無瀬はペンダントを首に提げてから立ち上がる。


 そしてリュックを胸の前で抱きながら周囲をキョロキョロと見回し、俺と目が合うとにへーっと笑ってこっちに寄ってきた。



「あのね、弥堂くん。ごめんなさい。ちょっとだけリュック持っててもらってもいいかな?」


「…………」



 俺は意図的に自身の知能を著しく低下させていた為、つい受け取ってしまった。



「えへへ。ありがとう! あとね? 危ないからちょっとだけ下がっててね?」


「さぁ、少年! ボーっとしてちゃダメッス! ここはもう戦場っスよ!」



 俺は強い屈辱を感じながら言われたとおりに下がる。



 それを満足げに見守った水無瀬はバッと敵の方へ振り返った。


 それに合わせてボラフもバッと腕を振った。



「ブハハハハハーっ! もっともっと街の住人に迷惑をかけてやるぜェーっ!」


「これ以上はもうさせませんっ!」


「マナっ! 今っス! 変身っス!」


「うんっ!」



 ここはどこだったろうか……。地球か?



 思考を放棄してしまいそうになるのをギリギリのところで堪える俺を置き去りにして状況は進んでいく。





 ギュッと。



 大切な祈りをこめるようにペンダントを両手で握り願いを口にする。



「お願いっ! Blue wish!」



 その声に応えるように手の中の青い宝石が光を放ち、その輝きが強まるに連れて指の隙間から漏れる光が溢れ出した。



 水無瀬がその手を開くと首に掛けていたペンダントチェーンがひとりでに外れ、ペンダントが浮かび上がる。


 じゃあ、なんで首に掛けたんだよ。



 ペンダントを中心に水無瀬を護るようにシャボン玉のような光の膜が彼女を包み込む。


 そして宙に、宝石の中の種のような卵のような物が、まるで立体映像のように映し出された。


 種がゆっくりと回りだし、その下の水無瀬を包むシャボン玉もクルクルと回る。


 チラリと、悪の幹部の様子を窺うと、興味なさそうに親指の爪で他の指をほじくって汚れだか、垢だかをとっていた。



 一定まで輝きが高まると、水無瀬は掌の上で浮かぶペンダントトップにそっと口づけ、魔法の言葉を唱える。



amaアーマ i fioreフィオーレ!」



 種が弾け『世界』へ波紋が広がっていく。


 花嫁がブーケを投げるように水無瀬がその両腕をめいっぱい拡げると、放たれたペンダントが飛び出した。



 輝きが波紋のように広がり、それを浴びた水無瀬の衣服が光のシルエットとなる。



 こちらまで広がってきた波紋が俺の身体を通り抜けると、昨日も感じたピリッと静電気が走ったような感覚を覚える。



 そこら中を縦横無尽に駆け巡ったペンダントはやがて水無瀬の手元に戻ってくる。


 彼女はそれをはしッと摑まえ、右手で握って掲げた。



Seedlingシードリング the Starletスターレット――Fullフル Bloomingブルーミン!!」



 掛け声と同時にペンダントから強烈な光の柱が天へ立ち昇り、水無瀬を包んでいたシャボン玉が弾け、ついでに水無瀬の服も弾け飛んだ。


 なんでだよ。


 弾けた光の膜と服のその欠片の一つ一つが花びらとなり辺りに舞い踊る。


 ここは汚い路地裏だったはずなのに謎の空間が背景に展開され、今度は水無瀬のゆるい三つ編みおさげが一人でに解け、下着も弾け飛ぶ。


 脱ぐんじゃねえよ。


 往来で突然脱衣をした同級生の蛮行に瞠目していた俺だったが、あることに気付きハッとなり自身の身体を見下ろす。そして安堵の息を吐いた。


 彼女同様にあのおかしな光を浴びたので、俺も脱衣させられる可能性があると危惧したが、幸い着衣は乱れていなかった。



 謎の空間の中で目を閉じ宙を泳ぐ水無瀬に先程天に昇って行った光が落ちてくると、白とピンクのしましまの下着が装着された。



 さっきまでアスファルトのはずだったのに何故か土になった地面から、蔓のようなシルエットの光が伸びていき水無瀬の手足に絡まる。


 それがパシュッと弾けるとカフスやニーソックスに変化し、水無瀬は身体を抱いて隠すように丸めた。



 そのまま胎児のように空間を揺蕩っていた彼女が、その身体を弓なりに反らすと、首元から生えるように光が伸びていき衣服に為る。



 続いてまた地面からトグロを巻きながら伸びてきた蔓が宙に浮いていたペンダントに絡みつくとステッキに変化し、それとほぼ同時に解けていた水無瀬の髪もトグロを巻きながら天に向かって伸びていきピンクのツインテールに髪色も髪型も変わる。



 足元が輝きショートブーツに変わると続いて、最後に腰元から光が伸びてきてヒラヒラフリフリのミニスカートに為った。


 なんでそこが最後なんだよ。



 そして頭、首、二の腕、腰、足と順番にキュピンっと耳障りな異音と共に光が弾けると装飾品が装着されていき、仕上げに胸元のリボンに大きな青いハート型の宝石が現れた。



 両腕を開いて横回転する彼女のもとに魔法のステッキがゆっくりと降りてくると、彼女はそれをはしッと手に取る。



 そして、ピュオーンとムカつく音を鳴らして一頻り空間を飛び回った水無瀬がビシッと宙に止まった。



「水のない世界に愛の花を咲かせましょう。魔法少女ステラ・フィオーレ!」



 何やら手足を一生懸命動かして魔法少女はビシッとポーズを決めた。



「一人で泣いてる子は、みんなみんな素敵なお花えがおに!」



 その宣戦布告なのかどうかよくわからない挑発を受けた悪の幹部は狼狽えたような仕草を見せた。



「グゥっ! しまった! 変身しただとぉっ!」



 嘘つくんじゃねえよ。てめぇ興味なさそうにしてたじゃねえか。



「だが! これだけで勝ったと思うなよ! さぁ、やれ! ゴミクズー! 魔法少女を倒すのだーー!」



 ボラフはバッと背後に飛び退くとゴミクズーに戦闘許可を出した。化けネズミがキュキュキュキュっとガラスを擦ったような威嚇の声を鳴らす。



「いきますっ!」



 それに応えた水無瀬も戦意を発する。



 何かに集中するように水無瀬が目を閉じると足元から優しく風が湧きあがる。


 ふわりとスカートが揺れ、左右のブーツに付いている小さな翼がふよふよと動くと足が地面から浮かび上がった。



「あわわわわっ⁉」



 そのまま宙に飛び出そうとした水無瀬だがすぐにバランスを崩し、地上から1mほどの高さにわたわたと留まる。



 そんな彼女の元にネズミがチチチチっと駆けていき、ガバっと背中に飛び掛かった。



「わわわっ⁉ ネズミさん、ダメっ! まだダメなの! まだ飛んでないのぉっ!」



 敵にそんなことを言ってどうする。



 化けネズミも俺と同意見のようで水無瀬を解放することなく引きずり降ろそうとしている。



 水無瀬もどうにか振り払おうと空中でジタジタとしていたが、やがて力負けしたのか大きくバランスを崩し、びたーんっと地面に張り付いた。


 そしてネズミはそんな彼女に覆いかぶさる。



「きゃーーーっ⁉」



 驚き暴れるが完全に上から抑えつけられており、ひっくり返すことは叶わない。


 続いてネズミは水無瀬の頭に齧り付いた。



「ひゃわーーーーっ⁉ いたいいたいいた……くないけど、痛い気がするーーっ⁉ やめてー! ガジガジしないでーっ!」



 水無瀬の頭頂部に前歯を突き立てているようだ。


 しかし、魔法の防御力のおかげなのかどうかは俺にはわからないが、彼女の慌てぶりとは裏腹にノーダメージのようである。



「ひゃぁーーーっ! メロちゃんたすけてーーっ!」


「マナっ! こうなったらゴリ押しっす!」



 相棒のアドバイスを受けた水無瀬は「むむむ……っ」と何かを溜めて「えいっ!」と気合を発すると、ぺかーっと全身から光を発し自身に圧し掛かるネズミを吹き飛ばした。



 ネズミはボテンっと地面に落ちるとコロコロと転がっていく。



「今っス! 今のうちに飛ぶんスよ!」


「う、うんっ!」



 すでに息切れを起こしている水無瀬はよろよろと立ち上がり、再度飛翔にチャレンジをする。



「マナ。そこの壁に摑まるといいッスよ! 手を付きながらゆっくり飛ぶッス」


「あ、そっか。そうだね。ありがとうメロちゃん!」



 水無瀬はリハビリ患者のような慎重さでペタペタと左右交互に壁に手を着けながら少しずつ高度を上げる。


 俺の持つ知識では、飛ぶとは決してこのようなものではなかったはずだが、それを指摘する者は他にはいなかった。



 ゆっくりではあるが着実に高度を上げていく水無瀬の行動を、ゴミクズーは当然許すはずがない。


 再び駆け寄ってきたネズミは大きくジャンプし、水無瀬の下半身にしがみついた。



「ひゃーーーっ! 重いぃぃぃぃ……って⁉ だめぇっ! お尻齧っちゃだめぇーーーーっ!」



 尻に前歯を突き立てられた水無瀬は慌てて身を捩る。


 先程同様に何かしらの力が働いているおかげでネズミの歯が尻に突き刺さることはないようだが、水無瀬はすっかりと動揺し空中で暴れている。


 そのせいでズリ下がってきたネズミは落とされまいと彼女のスカートに爪を掛ける。



「あわわわわっ⁉ 脱げちゃうっ! スカート脱げちゃうっ!」



 さらにパニックになった彼女は空中で懸命に尻を振り、拘束を逃れようとする。



 魔法少女の服は脱げるのか。身体から生えてきたように見えたが、身体の一部というわけではないのだな。


 俺は何に役立つのかわからない知識を得た。



 そんな考察をしているうちに――



「へびゃ――っ⁉」



 べちゃっと、結構な勢いをつけて水無瀬はネズミ諸共に壁にぶつかった。


 玉砕覚悟の行動というわけではなく、彼女のことだから恐らくまた飛行魔法の操作を誤ったのだろう。



 しかし幸い。


 その甲斐あって、ネズミの前足は水無瀬のスカートから離れてズリズリと壁に身体を擦りながら落ちていった。



 水無瀬は顔を抑えながらも、どうにかコントロールを残すことに成功したようで空中に留まっている。



 そして彼女は涙目のままキョロキョロと周囲を見渡し、自身の真下でピョンコピョンコ跳ねるネズミに気が付くとハッとした。


 キッと表情を改めて手に持った魔法のステッキをゴミクズーへ向ける。




「いやぁー、一時はどうなることかと思ったッス!」



 チラリと横に眼を向けると、そんな暢気な声を出したネコ妖精が「やれやれ」と寄ってきていた。



「……ほうっておいていいのか?」


「ん? あぁ、だいじょうぶッス! もう勝ち確ッス!」


「…………」



 ここまでの流れを見ているととてもそうは考えられなかったが、まぁ、それでもこいつらは化け物の専門家だ。こうまで言い切るのならば、そういうものなのだろう。



「……訊いてもいいか?」


「あん? カレシなら今はいないッスよ?」



 念のため水無瀬から目を離さずに、言葉だけをネコに向ける。



「……ここは戦場なんだよな?」


「もちろんッス! あとジブン、フリーッス! つがいなしッス!」


「……何故戦場でいちいち裸になる?」


「ん? そんなこと言われてもジブンはネコさんッスから! 強いて言うならこのピチピチの毛皮が服と謂えなくもないッスね!」


「お前じゃない。水無瀬の話だ」


「はぇ?」



 やたらと自分は独身であると強調してくる我の強いネコに誤解を指摘してやると、ヤツは素っ頓狂な声をあげた。



「なに言ってんスか? マナならちゃんと服着てるじゃねーッスか。ぷりちーな魔法少女のコスチュームを」


「だから着替える時に全裸になってただろ」


「にゃんだとーーッス⁉」



 大袈裟に驚くネコの声が大きくて不快だったので俺は横目で睨みつけてやった。



「なななななんで見えてるんスか! ちゃんと謎の光で隠れてただろッス!」


「謎の光? 何を言っている。戦場で敵に出会ってから悠長に目の前で防具に着替えるだけでも致命傷レベルのグズだが、それを差し引いてもだ。公共の場で脱衣をするな。お前らは連日街を徘徊して露出するチャンスを窺っている変態なのか?」


「誰が『ヒミツの魔法レッスン~魔法よりもナイショな恥ずかしいコト。魔法少女の私が露出調教により魔法でも叶えられない悦びを知ってしまって~』ッスかぁ⁉」


「そんなことは一言も言っていないが」



 興奮した様子でネコがくってかかってくる。



「なんでオマエ見えてるんスか! 魔法の光でガードは完璧だったはずッス! 地上波でだっていけたはずッスよ!」


「見えるものは視える。確かにやたらと光っていたがそこまでの光量だったか? 普通に透けて視えるぞ」


「このやろーッス! タダ見しやがったなぁー! ふざけんなオマエ! サブスクしろ! BDを買えッスーーー!」


「何の話だ」


「この男子高校生め! 世界の理を! 魔法の力を! 性欲のみで一点突破してきやがって!」


「意味のわからんことを――おい、やめろ。触るな」



 肉球でペタペタと顔面に触れてくるネコをどけると、ちょうど状況が動いたようだ。



 ステッキをゴミクズーに向けて構えていた水無瀬が何かを念じると、杖の先にピンク色の光の玉が生まれる。



 水無瀬は「むむむ……っ」とターゲットを視線で捉え――



Seminareセミナーレっ!」



 その言葉をトリガーに光弾を放った。



 杖の先を離れたサッカーボールほどの大きさの光球は勢いよく――……よくはないな、それなりの速度と勢いで地上へと向かい、ネズミから2mほど離れた位置に着弾した。



 威力だけはあるのか、地面に小規模なクレーターが出来上がり、水無瀬とネズミはその破壊跡をジッと見詰める。


 そしてネズミは上空の水無瀬に向かってピョンコピョンコと届かないジャンプを再開し、水無瀬も何事もなかったかのようにまた杖の先に光弾を創り出した。



 この様子は…………まさかこいつ、これがいつものことなんじゃねえだろうな……。



 恐らく俺の予想は間違っていない。



 水無瀬の放った次弾も掠りもせずに外れた。



「…………おい」


「いやぁー、今日も疲れたッスねぇ」


「おい」


「ジブン、ネコさんだからそろそろ眠く――ん? なんッスか? 少年」



 俺は苛立ち、隣で毛繕いを始めたネコ擬きに声をかけた。



「当たってないぞ」


「そッスね」


「まだ勝っていないのに寛いでいていいのか?」


「んーー? まぁ、そのうち当たるッスよ」



 まるで他人事のような魔法少女のマスコットの口ぶりに俺が閉口しているともう一体会話に参加してくる。



「ちぃーっす、うっすぅ、お疲れーッす」


「うぃ~、おつかれーッス」



 ヨタヨタと歩いて寄ってきた悪の幹部が居酒屋バイトの大学生のような挨拶をすると、ネコも同じように返した。


 友達かよ、お前ら。



「あ~~、だりぃ……。今週も疲れたぜぇ……」



 覇気のないことを言いながらボラフは腰回りを探ってタバコを取り出した。



「よう、ニイチャン。オメェーもプクイチすっか?」


「……結構だ」



 三日月型の口に一本咥え、タバコのパッケージをこちらへ向けてくる悪の幹部の勧めを俺は辞謝した。



 タバコを咥えながら太ももや尻をポンポンと叩いているボラフへ俺は尋ねる。



「……おい、悪の幹部」


「ん? なんだよ」


「ここは戦場ではないのか?」


「あん? そんなの決まってんだろ。戦場だよ。オマエみたいなパンピーはもう来ちゃダメだぜ?」



 当たり前のように返ってきた回答に俺は頭痛を覚える。



「何故変身中に襲わない?」


「は?」


「さっきお前らの目の前であのガキが悠長に着替えてただろうが。なんで奇襲しない?」


「なに言ってんだオマエ?」



 ボラフは何を言われているのかわからないといった風に、三日月型の目を丸め首を傾げる。



「魔法少女の変身中に攻撃しちゃダメだろ。オマエ馬鹿じゃねーの。なぁ?」


「おうッス。変身中はダメッスよ。そんなの反則ッス」


「だよな? いくらなんでもそりゃあズリィーだろ」


「…………お前は悪の幹部じゃないのか?」


「ん? おぉ、そうだぜ。つーかよ、わりぃ。そんなことよりよ。オメェさ、ライター持ってねえ?」


「悪いこと言うもんじゃねえッスよ、少年。魔法少女はそういうんじゃねえんス」


「……………………そうか」



 人外生命体2体が意見を一致させて否定してきたので、俺はとりあえず返事を絞り出した。



 そういうものなら仕方ないと自分を納得させながらボラフに100円ライターを渡してやった。



 奴は上機嫌で礼を言いタバコに火を点ける。



 モワァっと吐き出した煙が宙を漂い、その靄の向こうではまた魔法少女が魔法を外し付近の建物を損壊させた。



「つかよ、奇襲しろったって変身なんて一瞬じゃん? それ狙うなんてダリィよ」


「そッスよ。一瞬のことなのにそんなにワーワー言うなッス。どんだけJKの生着替え見たいんスか」


「……一瞬? たっぷり1分くらいやってただろうが」


「は? 一瞬だぜ?」


「なに言ってんスか?」



 まるで俺が頭のおかしいことを言っているかのように振舞う2体の反応に疑念が浮かび、俺は腕時計を確認する。



「――バカな」




 俺は何を言えばいいのか、何を思えばいいのかわからずに、ついに思考を手放した。



 魔法少女だの、ネコ妖精だの、悪の幹部だの、ゴミクズーだの。



 これらの超常的な存在たちの前では、俺のような普通の高校生に出来ることなど精々が黒目を眼窩の裏に逃がすことくらいだ。



 そんな選択は当然するべきではないのだが、酷くどうでもいい気分になってきて、タバコを1本もらっておけばよかったかと惜しむ。


 悪の幹部にライターを借りパクされたが、そんなこともどうでもよかった。




「なぁ。オマエ好きな子とかいるのか?」


「恥ずかしがることないッスよ。ほらほらぁ、言っちゃいなよぉーッス」



 周囲からは物が壊れる破滅的な音が響いている。



「人を好きになることは恥ずかしいことじゃねえだろ。そういうのよくねえぜ。胸を張れよニンゲン」


「あっ……、もしかしてぇ~、少年って童貞ッスか? んもぉ~ぅ、それこそ恥ずかしがらないでいいッスよ? ジブン的に童貞はポイント高いッス」


「なんだよ、オマエ童貞なのかよ。じゃあ溜まってんだろ? 近頃の男子高校生はどんなのでヌくんだ? なぁ、教えてくれよ」


「それはジブンも興味あるッスね。少年、最近ヌイたのはいつッスか?」



 そんな中で弥堂は、ネコ妖精と悪の幹部の2体の人外から執拗なセクハラを受けていた。



 余りにお遊戯会的な空気に嫌気がさしてもう暫く前に弥堂は思考を放棄していたのだが、全ての会話を聞き流しているのにも拘わらず人外どもはお構いなしで、ベラベラと引っ切り無しに話しかけ続けてくる。



 そうしていると一際大きな破砕音が鳴った。



「ギィっ⁉ ギィィィィっ!」



 ハッと正気にかえった弥堂がそちらに眼を向けると、ビルの壁面がほぼ倒壊し、ゴミクズーは頭上から降り注ぐその破片に飲まれた。


 化けネズミは瓦礫の下で必死に這い出ようと藻掻く。


 しかしそれは叶わず、無慈悲な光が落ちる。



「いまっ! Seminareセミナーレっ!」



 身動きのとれない的を目掛けて放たれた光球は瓦礫を粉砕しながら進み、ついにネズミに直撃した。


 昨日と同様、魔法攻撃を受けたゴミクズーは崩れるようにして塵となった。



(ようやく終わったか……)



 一体何発撃ったんだと記録を探る。


 白目を剥いて現実逃避をしていても、その間も周囲の光景を視界に入れてさえいればその映像は記憶に記録される。



 それを数えてみると水無瀬が魔法を放ったのは合計で47発だ。


 そんじょそこらのSSRよりも当たらない攻撃で、闇の秘密結社から街の平和を守っている魔法少女という存在に弥堂は戦慄した。



 なにはともあれ、一応は敵の片割れを処理出来たのだ。それ自体は何も問題はない。


 そうなると次は――と、隣に眼を向けると、さっきまでネコ妖精と下らない世間話をしていた悪の幹部が居なくなっていた。



「バッ、バカなあぁぁーーーっ! ゴミクズーがやられただとぉっ⁉」



 声のした方向を視るといつの間にかボラフは所定の位置へ戻って、わざとらしく狼狽したフリをしていた。



 ヤツが移動したことに全く気付かなかったことから、態度は巫山戯ていて真剣味はないがそのスペックの高さが窺い知れる。



「くそっ! 仕方ねえ、今日のところはこれで――って、うおぉっ⁉」



 何やら捨て台詞を吐こうとしていたボラフの足元に光球が着弾する。



「あ、危ねえなっ! なにすんだ!」


「弥堂くんに悪口言って泣かせたこと許せませんっ! お仕置きです!」


「ちょ――っ⁉ うおっ⁉ やめ、まてっ! オマエのそれどこに飛ぶかわかんねえから避けづらいんだよ!」



 言葉通りヨタヨタと不細工なステップ踏んで回避をするボラフへ向けて、水無瀬は次々と魔法を放ち路面を抉っていく。



(まだ撃てるのか)



 その光景を眺めながら弥堂は感心する。



 命中率はゴミカスだが、あれだけ外してもまだまだ魔法を撃てるようだ。彼女の表情には苦は視えない。


 こいつもボラフと同じく、ポンコツではあるがスペックだけは高いのだなと評価する。


 そして、慌てた様子で必死に回避にまわるくらいだから、悪の幹部にとっても魔法少女の魔法は脅威であるということなのだろう。



 弥堂が魔法少女とゴミクズーと悪の幹部の戦闘データを記録している間に、ボラフは追い詰められていき――



「ち、ちくしょーーーっ! 覚えてろよーーーっ!」



 今度こそ極めてテンプレな捨て台詞を叫びながら路地の奥へと背中を向けて走っていった。



 水無瀬もそれ以上は追うつもりはないようで、弥堂たちの居る方へ降りてくる。



 そして例によって飛行魔法の制御を誤り、バランスを崩して地面に落下した。



「ふぎゃっ――⁉」



(……追わないのではなく、追えないのか)



 墜落率100%を誇るようなフライト技術なら飛ばない方がマシなのではないかと、地面に貼り付く魔法少女を見下す。



「えへへ……、また転んじゃった」



 やはり変身をしている間はダメージを受けないようで、どこか痛めた様子もなく照れ臭そうに起き上がる。



「追わなくていいのか?」


「え? うん。ボラフさんも反省してると思うし」


「……ここで仕留めておくべきじゃないのか?」


「しとめる……?」


「いや、いい……忘れてくれ」



 聞いたことのない言葉を初めて聞いたかのように首を傾げてお目めをパチパチさせる彼女の顔を見て、弥堂は諦めた。



「あの、ごめんね? 私どんくさくって、言われたことすぐに理解できないこと多くて……。ちゃんとお話聞くからよかったら教えてくれる?」


「いや、いい。気にするな」


「えと……、弥堂くん、なんか怒ってる……?」


「怒っていない」


「マナ。先に変身解いたらどうッスか?」


「あ、そうだねメロちゃん」



 相棒に促され、昨日と同じように水無瀬がペンダント――今はステッキか――に何かを願うと光に包まれた後に魔法少女からいつもの姿に戻る。


 弥堂はその様子をじっと視ていた。



「弥堂くん、ごめんね。リュック持っててくれてありがとう」


「あぁ」


「Blue Wish仕舞わせてもらってもいい?」


「……あぁ」



『先にリュックを回収してから仕舞えよ』と言いたくなったが、彼女には悪気はないので今しばらく持っててやることにした。


 一つ我慢したせいか、もたもたとペンダントを首から外してリュックのチャックを開ける水無瀬につい小言を言いたくなる。



「……なんで最初から首にかけておかないんだ?」


「え?」


「その……なんだ。変身するためのペンダントのことだ。最初から着けておいた方が効率がいいだろう」


「え、でも……、派手なアクセサリー付けるのは校則違反だし……」


「……なんだと?」


「少年。オマエ風紀委員だろ? 休みの日でも高校生らしい服装をしましょうって生徒手帳に書いてあるじゃないッスか。ジブンも読んだッス」


「…………そうか」



 優先順位について言及したかったが、このコンビに通じるとは到底思えず弥堂は渋々納得することにした。



「だがそれなら、最初から変身しておけばいいのではないのか? 何故いちいち敵に遭遇してから目の前で無防備に変身をするんだ?」


「え? でも……私、魔法少女だし……」


「? ……? どういうことだ?」


「少年。オマエまだそんなこと言ってんスか? 魔法少女なんだから変身バンクは必須に決まってんじゃねえッスか」


「それに……、魔法少女の衣装って派手じゃない? やっぱり校則違反になっちゃうと思うの……」


「…………だが、初めから変身して家を出て、変身したまま帰宅すれば正体がバレるリスクも減るんじゃないのか? というか、そもそも何でお前ら当たり前みたいに敵に正体バレてんだよ。自宅を襲撃されたりしないのか?」


「え? なんで?」


「そんなわけないじゃないッスか。自宅はプライベートだし、それはプライバシーの侵害になるッスよ」



(ダメだ……っ、同じ言語で会話している気にならない……っ)



 コミュニケーションの難易度に絶望的な気分になるが、それ以上にあまりに戦いをナメているぽんこつコンビに苛立ちが加速する。


 そして一つ疑問が浮かぶ。



「……お前らもしかしてあのボラフって奴とは友達で、実はただ遊んでいるだけなのか?」


「ううん、違うよ。でも……、私はおともだちになれたらいいなぁって……。そうしたら街の人に迷惑かけるのやめてくれるかもしれないし」


「はぁ? なに言ってんスかオマエ。これは戦いなんスよ。甘い考えは捨てるッス」



 弥堂は思わず手が出そうになったが拳を強く握りギリギリ堪える。



「……わかった。校則とプライバシーを守りながら街も守っていることは、とりあえずわかった。受け入れよう。だが、それなら公序良俗にも配慮するべきじゃないか?」


「こうじょ……?」

「りょうじょく……ッス?」


「『りょうぞく』だ。それでは逆の意味になるだろうが、ケダモノめ」


「なんスか? ジブンはネコさんなんスからあんま難しいこと言わねーで欲しいッス」


「要は街中で裸になるな、と言っているんだ」


「……? でも、メロちゃんはネコさんだし。お洋服着せるのもカワイイと思うけど、無理やり着せるのは可哀想かなって……」


「お前のことを言っているんだ」


「へ? 私……?」



 水無瀬はぱちぱちとお目めを瞬かせてから、両腕を広げて身体をクリンクリン捻りながら自身の身なりをチェックする。



「ちゃんとお洋服着てるよ? あ、そうだ! ねぇねぇ弥堂くん! 聞いて聞いてっ、このスカートね、七海ちゃんが選んでくれたんだよ? 先週一緒にお買い物に行ってね――」


「――わかった。それは実に興味深い話だ。ぜひ今度時間のある時にゆっくりと聞かせてもらおう。だが、今は俺の話を聞いて欲しい。いいな?」


「うんっ、いいよー! 私も弥堂くんのお話聞きたいっ!」


「うむ。では何故お前は変身する時にいちいち服を脱ぐんだ? 裸にならないと魔法少女にはなれないのか?」


「え? 裸? なってないよ?」


「なってただろうが」


「でもでもっ。ピカーってなってシュルシュルってなるから大丈夫なんだよ? 一瞬だけだし」


「……思い切り視えていたがな」


「えぇっ⁉」



 クラスで隣の席の男の子に『キミの着替えを見た』と堂々と告白をされ、びっくり仰天した愛苗ちゃんのおさげがみょーんっと跳ね上がる。


 動揺してオロオロとした彼女は相棒のネコの方を見た。


 ネコ妖精は沈痛そうに首を振る。



「なんか、そいつ見えるらしいんスよ。圧倒的な性欲で魔法のガードを突破してくるんス」


「人聞きの悪いことを言うな。勝手に見せてきたんだろうが」


「えぇぇぇっ⁉ み、見えちゃったんだ……、あの、ごめんなさい……、お恥ずかしいものを……」


「ほう」



 顔を赤らめながらも申し訳なさそうにペコリと頭を下げる水無瀬に、思わず感心の声を漏らす。



「なんの感心っスか。このドスケベめ! おっぱいか⁉ マナのおっぱいに感服したんスか⁉」


「そんなわけがないだろう。同じ女子高生で友達同士でも、希咲とは随分と違うんだなと思っただけだ」


「やっぱりおっぱいじゃねえッスか! 確かに同い歳でも大分サイズが違うッスが、ナナミはあれがカワイイんスよ! どっちだ⁉ オマエはおっぱい派か⁉ それともちっぱい派かーーッス⁉」


「大きさの話じゃない。反応の話をしているんだ」


「反応っ⁉ 感度ッスか? 確かに感度は重要――待つッス。オマエ、ナナミの感度を知ってるんスか? あれ? てことはマナも? マ、マナっ! 学校で乳揉まれたりしてるんスか⁉ なんでジブンも呼んでくれないんスか⁉」


「んと、学校ではあんまりないかなぁ? いつもはお風呂でだよ?」


「お風呂っ⁉ そ、そんな……っ! 最近の学校はお風呂の授業があるんスか⁉ そんなの私立ドスケベ学園じゃないッスか!」


「え? お風呂はお泊り会の時だよ?」


「これは惜しいことをしたッス……、今度ジブンも学校に潜入せねばッス……」



 目を血走らせて興奮した発情ネコには水無瀬の訂正は聴こえていなかった。



「くぅぅっ! このエロガキめ! 知ったな! マナのお乳を知ったな! 大きさ、形、柔らかさに留まらず乳輪の全容まで知ってしまったな!」


「近寄るな。鬱陶しい」


「ちなみにナナミのはどうだったんスか? ジブンそこまでは見たことないんス。どうせ比べたんだろ? このゲス野郎めッス! 言えっ! ナナミの乳輪がどうだったか言えーッス!」


「知るか」


「も、もったいぶらないで教えてくれよぉ……。なぁなぁ、クラスの女子の乳輪を知ってしまうと男子高生はどんな感じになるんスか? それも二人もッスよ? 少年はどっちの乳輪が好みなんスか?」


「そんなこと考えたこともないが、乳輪はデカければデカいほどいいと聞いたな」


「デカっ⁉ そんな……、ナナミのやつお乳は慎ましいのに乳輪はデカいだなんて…………。ちくしょうっ! そんなのドスケベすぎるじゃねえッスか! やっべぇ、興奮してきたッス! 色はっ⁉ 色はどうだったんスか⁉」


「知るわけねえだろ」


「メロちゃん。七海ちゃんのは別におっきくないよ? 私よりちっちゃくてキレイだからいいなぁーっていつも見せて貰ってるの」


「……お前ら会話をしてくれないか」



 弥堂は軌道修正を申し出たが、興奮した獣の昂りは止まる様子が見えなかった。



「それにしても。まさかジブンの知らないところでマナのお乳がいいように弄りまわされていただなんて……、一生の不覚……っ! ネコ妖精失格ッス!」


「いいように……? よくわかんないけど、私が触らせてもらう方が多いよ? 七海ちゃん可愛いからついぎゅぅーってしたくなっちゃうんだけど、あんまりしすぎると七海ちゃん真っ赤になってシュンってなっちゃうの。それも可愛いんだけどお風呂だからのぼせちゃうといけないかなって」



 弥堂はギョッとして水無瀬を見る。


 飼い猫を止めるはずの飼い主が何気なくとんでもないことをぶちまけてきたそのズレっぷりに、これはいよいよ収拾不可能になるのではと危惧する。



「おい、少年っ! Bまでは許してやるッス! でも本番はまだマナには早いッス! そこはきちんと節度を守れよッス!」


「私のも触っていいよーって七海ちゃんに言うんだけどね? やっぱり七海ちゃんシュンってなっちゃって。それがすっごく可愛いからね、七海ちゃん見てるうちに私ものぼせてきてポーってなっちゃうの。それでなんだかよくわかんなくなってきて――」


「――聞いてるんスか? マナはジブンが毎日地道にセクハラをしてじっくり育ててるんス! それをポッと出のオマエのような馬の骨が簡単にしっぽりデキると思うなよッス! でも万が一至す場合には是非ジブンにも見学を――」


「――おい水無瀬。ボーっとしてるな。こいつをなんとかしろ。纏わりついて来て鬱陶しい」


「――へ? あ、ごめんねっ。メロちゃんたまにこうなっちゃうの」


「……お前も大概だぞ」


「ハッ――⁉ まさかっ⁉ もうすでに貫通済みという可能性も⁉ これはいけないッス!」



 犬の様に息の荒くなったネコ妖精を水無瀬が抱っこして回収するが、一度興奮したケダモノはそれではおさまらない。


 水無瀬の腕の中でジタジタするとスルっと腕を抜けて水無瀬の股間周辺をうろうろしながら鼻をフンフン鳴らす。



「この匂いは――っ⁉ これは処女っ! ふぅ……、やれやれジブンの与り知らぬところで散らされているかと肉球から変な汁が出るとこだったッス……」


「メロちゃんよしよし。よくわかんないけど大丈夫だよ?」


「んなぁ~ごッス。へへっ、すまねえッスなマナ。心配かけたッス」


「ううん。大丈夫だよ」


「さぁて、少年。実は折り入って相談があるんスが……、ちとこっちへ……」


「……なんだ」



 落ち着きを取り戻したネコは弥堂を角の方へ誘う。水無瀬がぽへーっと見守る中で、弥堂は顔を顰めながら一応着いていった。



「へへっ、そんな嫌そうな顔すんなッスよ。少年を男と見込んで大事な頼みがあるんス」


「……一応聞くだけは聞いてやる」


「これはッスね、もしもの話なんスが。あくまでもしもッスよ?」


「うるさい。さっさと言え」


「うむッス。もしも、少年がマナと至す機会があったらなんスけど……」


「至す? なんの話だ?」


「そんなのコレに決まってんだろ! 童貞かよッス!」



 自身のしっぽで輪を作り、その中心を前足でズポズポしてみせる下品なネコに弥堂は軽蔑の眼差しを向けた。



「もしも、そんな機会があったらッスね。是非とも映像に残して頂きたいと、ジブンはそう願っているのです」


「……なんだと?」


「だからぁ。ハ〇撮りッスよ、ハ〇撮り。どうかその時は撮影して頂いてですね、そのデータを何卒ジブンに……」


「お前はイカレてるのか?」


「至って正気ッス! 至って本気で至して欲しいと、そう考えてるッス! 出来れば生放送して欲しいッスが、マナの気持ちも考えるとそこまでの贅沢は言えねえッス。動画データで我慢するッス!」


「水無瀬の気持ちを考えるならお前は今すぐ自害するべきだ。というか、そんな機会はない。俺におかしな期待をするな」


「まぁまぁ、そう言わずに……」



 呆れた声で断る弥堂に対して、メロは卑屈な笑みを浮かべると何やらゴソゴソと毛皮を漁りだした。



「ここはひとつ、どうかこれで。ひとつ、どうか……」


「なんだこれは?」



 まるで役人に賄賂を渡す小悪党のような仕草で自分の手に何かを握らせてきたネコに不快そうに眉を歪める。



「まぁまぁまぁ。まずはブツを見てみてくだせぇッス。もしも気に入ってもらえたならその時はどうぞよしなに……うぇっへっへっへ」


「? 一体何を…………なんだこれは?」



 手を開いて渡された物を見るとそこにあったのは、ミミズのような大きさの先端が尖った紐状に見える物体だったが、どこかナマモノ臭がする。



「へへ、トカゲの尻尾っス! さっきここに来る前に、その辺をチョロチョロしてやがったから摑まえて千切ってやったッス! 獲れたてフレッシュなトカゲの尻尾っス!」



 無邪気に残酷な本能を持つ狩猟生物の貢物に、ビキっと口の端が吊ったことを弥堂は自覚した。



 すぐさまネコの首根っこを摑まえてその口に獲れたてフレッシュなゴミを捻じ込んでやった。



「ぶふぉぉっ⁉ いひゃまひおっ⁉」



 何やらもごもごと言っているが無視をして辺りを見回すと足元にゴミ箱が転がっていることに気付く。


 即断即決で手に持った小動物を叩き込み蓋を閉じる。



 ガンガンと中で暴れる音が聴こえるが一切無視をして、昨日と同様に路地の奥目掛けて、より多くの苦痛を与えるためにゴミ箱の下側からインフロント気味に叩いて浮き球を送り込んだ。



「ギャアアァァァァァーッス!」



 少し色気をだしてカーブをかけようとしたが、球体ではないゴミ箱はそのせいでおかしな軌道を描き、横壁と地面にぶつかってガンガン跳ね返りながら消えていった。



「メ、メロちゃあぁーーーーんっ!」



 それを追いかけようとした水無瀬だが、走り出す寸前に腕から提げたリュックに気付き、弥堂の元へやってくる。



「あ、弥堂くんゴメンね。またちょっと持っててもらってもいい?」



 それを何となく流れで受け取ってしまった弥堂は、路地の奥へと走っていく水無瀬の背中を数秒眺めてからハッとなって手に持ったリュックを見る。



「……まさか戻ってくるまで待っていろということか?」



 もちろんあの彼女にそんな意向はないのだろうが、邪魔くさいネコを強制退場させて昨日のように帰ろうと画策したのに、余計に面倒なことになってしまったとうんざりとした心持ちになる。



『あいつ足が遅そうだし時間がかかりそうだな』と、いっそここにリュックを置いて帰ってしまおうかと考えていると、その予測は裏切られることになる。



「――ぃゃぁあああああーーーっ!」



 さっき路地の奥に走っていった水無瀬が、全力疾走でこちらへ向かってきている。


 酷く慌てた様子で何かから逃げているように見えた。



「ブハハハハハーっ! 逃げろ逃げろーっ! 愚かなニンゲンめぇーっ! ブハハハハハーっ!」



 彼女の背後を見てみると、先程逃走していったはずの悪の幹部ボラフが、どこから調達してきたのか新たなネズミのゴミクズーに跨って高笑いをしながら水無瀬を追い回していた。


 よく見ればネズミの足元には弥堂が蹴り飛ばしたゴミ箱があり、まるで玉乗りをするようにして中身入りのゴミ箱を回して走っている。



「とぅっ――!」



 いよいよ先頭を走る水無瀬が弥堂に迫ったところで、ボラフの声に合わせてネズミが跳躍し、頭上を飛び越えて進路の先へ着地をした。



 ネズミに蹴られたゴミ箱は加速し水無瀬に迫る。



 弥堂は仕方ないと溜め息を吐き、ちょうど間近に来た水無瀬の襟首を掴んでゴミ箱の進路から逸らし、ついでに中身入りのゴミ箱を外方へ蹴り飛ばした。


 ゴミ箱は壁に衝突して爆裂四散し、中から目を回した生ゴミが排出される。



「あ、ありがとう弥堂くん――メロちゃーん!」



 礼を述べてすぐに飼い猫の元へ駆け寄っていく水無瀬を尻目に、弥堂は舞い戻ってきた敵を視線で捉える。



「ブハハーっ! いつからゴミクズーは1体だと錯覚をしていたー!」



 新たな化けネズミの上で踏ん反り返るボラフから僅かに視線を逸らし水無瀬を見る。



「メロちゃん大丈夫っ?」


「ォ、オエェェェェッス……気持ち悪ぃッス。毛玉吐きそうっス」



 暢気に飼い猫の介抱をしている彼女に舌打ちをする。



「水無瀬」


「えっ? ――あぁっ⁉ そんな! ゴミクズーさんがもう一人っ⁉」


「……お前ら絶対遊んでいるだろう」



 逃走をしたはずの敵が新たな仲間を引き連れて再登場というピンチのはずだが、どうにも締まらない。



「ブハハハハっ! どうやらオマエもここまでのようだな! ステラ・フィオーレっ!」


「くぅっ! マナっ! こうなったらもう一度変身ッス!」


「うんっ! わかったよ、メロちゃん!」



 そして水無瀬は胸元に手を遣り、一戦目の焼き直しのようにハッとなるとこちらへ視線を向けてきた。



「……だから首から提げておけと言ったんだ」


「えへへ。ごめんね弥堂くん。Blue Wishをとってもらってもいい?」


「おらよ」



 ぶっきらぼうな返事をして弥堂はリュックごと水無瀬の方へ下手で放ってやる。



 水無瀬は両腕を伸ばして放物線を描きながら落ちてくるリュックを見上げ、前へフラフラ、左右へヨタヨタと動き、後ろへワタワタしたところで予定調和のように踵を滑らしてバランスを崩す。


 背後へ倒れかける彼女の両腕をすり抜けて落ちてきたリュックサックが顔面に着地をし、そのショックで水無瀬はひっくり返った。



「ふびゃっ⁉」


「なんとぉーッス!」



 後頭部から路面に落ちそうになる水無瀬の頭とアスファルトの間にネコ妖精が身体を滑り込ませた。



「ぶにゃっ⁉」



 潰されながらも身を挺して飼い主を守り切ったが、元々チャックが完全に閉まっていなかったのか、落下のショックでリュックサックの中身がいくつか外に放り出される。


 その中でも肝心の物である変身ペンダントがツーっと路面を滑り化けネズミの前で止まった。



「ご、ごめんねっ、メロちゃん。だいじょうぶっ⁉」


「ジ、ジブンなら平気っス。それよりもBlue Wishが……」



 飼い猫の肉球の指し示す方へ目を遣ると、ゴミクズーは自身の眼前に現れた変な物を不思議そうに見て、鼻先で突きフンフンっと鼻息を漏らす。



 そしてパクっと口の中に入れて飲み込んだ。



「あぁーーーーーーーーっ⁉」

「にゃんだとぉーーーッス⁉」


「あ、こら、変な物を食べちゃいけません」



 揃って指を差し驚くぽんこつコンビの視線の先で、何故かボラフは「ペッしなさい! ペっ!」と化けネズミの頭を引っ叩いていた。



 ネズミは一切意に介さずどこか上機嫌そうにチチチっと喉を鳴らしてから水無瀬とメロに顔を向ける。



 その目の中に弥堂は赤い光を視た。



 駆けだす。



「へっ?」

「にゃ?」



 状況を呑み込めていない水無瀬を有無を言わせずに肩に担ぎ、続いてリュックとネコ妖精を乱暴に回収するとすぐに踵を返した。



 ゴシャァっと地面が抉れる音が後ろ髪に触れた気がする。しかし一切構わずに全力で走る。



「うおぉぉぉっ⁉ な、なんだ? オマエ急にどうした⁉」



 悪の幹部の慌てたような声を聞き流しながら、心臓に火を灯す。


 一瞬で全身の熱をレッドゾーンまで持っていき、路面を蹴るようにして踏み、反発で速度を叩き出す。



(だが――)



 チラリと背後を視る。



 スタートで多少の距離のアドバンテージは稼いだが、元のスペックが違う。



(――どこまで逃げられるか)



 耳元の耳障りな二つの悲鳴を意識の外に追いやる。



 とりあえずは走りながらでも打開策を見出すしかない。



 一瞬で一転してかなりの窮地に陥ったが、やれるだけのことはやるしかない。



 それをやり切ってなおどうしようもないのなら、それは運がなかったと諦めもつくだろう。



 スピードを殺さずに角を曲がる。


 ぶつかりそうになった壁を蹴り飛ばして無理矢理進路を補正した。



 肩に担いだ水無瀬のスカートが風に揺れて顔に掛かる。



 舌打ちをしながらそれをどかして腹いせに彼女の尻を引っ叩いてやった。



 こんなことを今考えても仕方がないが――



(――どうしてこうなった)



 思わず顏が天を仰ぎそうになるのを自制して、正面に視線を固定する。



 こうなった理由はわからずとも、化け物を殺すことは出来ずとも、足を動かすことは出来る。



 まだ死んでいないのだから。

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