1章16 『出会いは突然⁉』

――記録を切る。



 今日ここまでに起こったことを洗ってみたが、それで何かが変わるということもなく、当然起こってしまった事実は変えられない。



 なので、変わらず俺は人気のない路地裏に立っており、手の中には希咲に押し付けられたボールペンが握られており、そして頭上からはピンクと白の横縞模様のおぱんつに包まれた尻が降ってくる。



 起こってしまった出来事はなかったことには出来ず、確定された事実は覆らない。



 であるなら、それならそれでと割り切って、今からするべきことをするだけだ。



 ボールペンの握りを調整し目標となる尻を睨みつけ照準をつける。



 問題はこちらの攻撃が通じるかだ。



 俺の知っている――というか、それはアニメ作品なのだが――魔法少女はミサイルの直撃を受けても『わぁ~ビックリしたぁ』だの『あ~ん、いったぁ~い』だので済ませるような化け物だ。


 現実と創作は違うなどとは言うが、その創作の中の存在がこうして現実に現れている以上、同程度の性能を持っていると想定するべきだろう。



 皮膚を破ることは困難。


 で、あるなら初めから穴の空いている箇所を狙う。


 それが出来なければ俺の敗けだろう。


 そして恐らくそれは死を意味する。



 次に考慮するのは相手の攻撃性能。



 先程ネズミの化け物を始末したピンク色の光の弾。



 恐らく魔法なのだろう、あのサイズの獣を一撃で滅ぼすほどの威力。



 普通の動物と同じに考えるべきではないのかもしれんが、少なくともあのネズミが俺のような人間よりも脆いということはまずないだろう。



 弾の速度は大したことがなかったように見えるが、楽観視はするべきではない。


 もらったら終わり。


 そう考えるべきだろう。



 やはり奴に攻撃の手番を回さずに先制攻撃で仕留める他ないな。



 俺の筋力と技術が、奴の括約筋を上回ることが出来るか。


 そういう勝負になる。




(それにしても――)



 頭上から降りてくる推定魔法少女を視る。



 どういう原理で飛行しているのか知らんが――まぁ、これも魔法なのだろうが――やたらとゆっくりと下降しながら、右にフラフラ、左にフラフラと、不安定極まりない挙動を見せている。


 わざわざこのような動きをする必要性はどのような場面においてもないはずだ。



(魔法の行使に不慣れなのか……?)



 これだけで判断をするべきではないのだろうが、もしもそうであるのならば、それは付け入る隙となり、俺の勝率を1%程度は引き上げてくれるかもしれない。


 もちろんそれは、この見ている者を不安にさせ苛立たせるような挙動が擬態ではないということが前提となるが、もしもこの推定魔法少女の正体が俺の思っているとおりの存在なら、今しがたの考察は間違ってはいないという風に考えられる。



 だからといってやることが変わるわけではない。



 起こってしまったことは変えられない。


 事実は変えられない。



 だが、一部消してしまうことは出来る。



 先程のネズミが死骸を残さず消えてしまったように、周囲の破壊跡が跡形もなく消えてしまったように。



 この推定魔法少女をこの場で殺害して、誰にも気づかれずに死体を処理してこの路地裏を出てしまえば――



 そうすれば、ここでの出来事はなかったことにすることができる。



 そして俺は明日の朝も『俺は普通の高校生なので、魔法少女とは出会わない』と、そう嘯いてまた一日を始めることが可能となる。




(攻撃可能距離まであと3秒――)



 ドッドッドッ――と頭蓋の中で跳ね返りまくる心音を加速させ全身に力を行き渡らせる。



 奴が俺に気付いている様子はない。


 勿論気が付いていて、その上で実力差からとるに足らないと、そのように捨て置かれている可能性もある。



 だが、それでも俺が先手をとれることには変わりはない。



(一撃で仕留めてみせる)



 必殺の意思をこめて尻を視る。



 そこそこ健康的な丸い尻――だが筋量が足りない。



 魔法使いが肉体の鍛錬を怠るというのはよく聞く話だ。


 この程度の筋肉から生み出される括約筋の力などたかが知れている。



(魔法に感けてケツを鍛えなかったことを後悔しながら肛門から死ね――)



 ケツ穴があるであろうと予測される箇所に狙いを定めて、足の爪先の捻りから連動して得られる力を余すことなく右腕まで走らせ、ボールペンを握った手を撃ち出す。



 だが、そうしようとした動作の途中――



「――わっ……! わっ……! ひゃわわわ……っ⁉」



 突然ヤツが姿勢を崩す。



 地上への降下速度が急に上がり、俺の殺傷可能範囲キリングゾーンを掠めて前方へ落ちた。



 推定魔法少女はどうにかギリギリ両足で着地することには成功したが、そのままたたらを踏み『こいつ運動神経ないな』と一目でわかるような動きでバランスを取り戻そうと苦心している。



 しかしその努力も虚しく――



「ふぎゃっ」



 ベチャっと、そんな音が聴こえるような間抜けな転び方をした。



 膝を着いた状態で顔面を地面に押し付け、恐らくそうならない為に伸ばした手は地を空振って前方に伸ばしたままになっている。



 あまりにも無様な恰好に思わず俺も脱力しそうになるが、ちょうどヤツのケツがこっちに向けて突き出されていたので、とりあえずぶっ刺しておくかとそのケツを狙うことを思いつく。



 だが、ケツに近づく前に、それを阻止するように邪魔が入る。



 猫だ。



 魔法少女と一緒に浮遊していた猫が遅れてケツの上に着地をした。



「だっ、だだだ大丈夫ッスかぁー⁉ 顔面大根おろしになってないッスかぁー⁉」



(……猫が、喋った……?)



 俺からしてみれば在りえないことなのだが、その猫に心配された魔法少女は当たり前のことのように返事を返す。



「いっ――たくないけど、ビックリしたぁ……っ! 恐かったよぉ……っ!」



 少し幼さの残る甘ったるい声。



 そして、聞き覚えのある声。



 やはり何か魔法的な防御でも働いているのだろうか。


 然程の高さではなかったとはいえ、空中から急加速して地面に顔面を打ち付け、その後アスファルトの上を滑って皮膚を擦ったように視えた。


 だが、強がりや、心配させまいという配慮でもなく、彼女の様子からすると本当に『ビックリした』だけのことで済んだようだ。



 警戒度を跳ね上げる。



 いい加減俺の存在に気付いていないはずがないと思うが、彼女らのやりとりは続く。



「ジブンもビックリしたッスよぉ! いい加減飛行魔法に慣れるッス! このケツかぁ⁉ このケツが悪いのかぁーッス!」


「えへへ……うん、ヘタッピでゴメンね……って、ひゃわっ⁉ や、やめてよぅ。お尻ペチペチしないでぇ……っ!」


「それともオッパイかぁっ⁉ やっぱりデカチチが重いから前に倒れるんスかぁ⁉」


「オッパイは関係ないよぅ」



 ケツの上に座る猫と、その猫にしっぽで折檻される尻を見下ろしながら考える。



 あの猫も心配したようなことを言っていたが、あの様子からするとそこまで深刻には受け止めていなかったようだ。


 それはつまり、飛行中に地面に落下することも、それで無傷で済んでしまうことも、彼女らにとっては当たり前のことだということになる。



 人間の皮膚など脆い。


 いくらか鍛えたとしても自分よりも硬い物で擦れば簡単に損傷する。


 普通であれば。



 すなわち、やはりこいつらは普通ではない存在であり、最早思考の中で当然のように魔法少女と呼称してしまっているが、いよいよそれも真実味を帯びてきたということになる。


 てゆーか、『魔法』って言ってたしな。



「しっかしアレッスねぇー! 大分魔法少女がイタについてきたッスね! “ゴミクズー”も一撃でブッ殺したっス!」


「うん。ちゃんと当たってよかったよぉ」



 魔法少女らしい。



「でも油断しちゃダメッスよ! “ゴミクズー”との戦いはまだまだ始まったばっかッスよ!」


「え? でも去年も『まだまだ始まったばかり』って言ってたよ?」



 少なくとも1年は活動をしているらしい。



「カァーーーっ! 口答えをするなーーッス! 初心を忘れるなってことッス! 女はいつだって“初めて”のフリをするッス! 特に男を替えたばっかの時は念入りにやるッス!」


「うん……? んと、よくわかんないけど、頑張るってことだよね? 私これからも頑張って“ゴミクズー”さんと戦うよ!」



 あの化け物は“ゴミクズー”というらしい。ふざけてるのか?



「コラーーっッス! 敵を“さん”付けするなーッス! ちゃんと、あのゴミクズぶっ殺してやるって言うッスよ!」


「ぶっ殺さないよ⁉ 怨みとか苦しみとかの悪い感情がカタチをもってモンスターになっちゃったのが“ゴミクズー”さんなんでしょ? 苦しんで暴れて物を壊しちゃったり、人を襲ったりしちゃうから、街のみんなに迷惑をかけないように浄化してあげてるんだよね?」



 “ゴミクズー”は悪感情が魔物化した存在らしい。人間社会で生まれた悪感情だからその報復として街を破壊したり、人間を襲ったりする。そういうモチベーションなのだろうか。


 そしてそれに対抗するのがこの魔法少女らしい。


 魔法少女がアレを滅ぼす行為のことを『浄化』と呼んでいるそうだ。



……というか、お前ら1年以上一緒に活動してるんだろ? とっくにそれは共通認識になってねえのか? 今更こんなとこで唐突に確認し合うことなのか? 誰に説明してんだよ? 俺か? やっぱり俺が居るのに気付いてんのか? ナメてんのかこいつら。



「うん……? まぁ、そッスね! 大体そんな感じッス! あくまで“キガイ”ッスよ! “キガイ”っ!」


「うん! とにかく私いっぱい頑張るねっ!」


「その意気ッス! さぁ、そしたら今日はもう帰るッスよ! もうすぐ晩御飯ッス! ジブン見たッス! ママさんが冷蔵庫にサーモン入れてたの。悪いけどジブン今夜はガチるッスよ!」


「今日はお魚かぁー」



 そのまま二人――正確には一人と一匹か――は少し上を見上げて黙る。


 俺の方からは死角になっていて見えないが、恐らく間の抜けた顔で今夜の晩飯のメニューでも想像しているのだろう。



 戦場では敵を仕留めた後は注意が必要になる。


 戦いが終わったと思って警戒を解いたら、伏兵や増援に不意を打たれてあっさりと殺される危険性があるからだ。



 それをなんだ、こいつらは。



 敵を仕留めてから碌に周囲も確認せずに、晩飯だと?


 サーモンがなんだというのだ。今から俺の手でお前らを刺身にしてやろうか?



 素人かよ。



……まぁ、素人、なのだろうな。



 真面目に気配を殺している俺の方が馬鹿々々しくなってくる。



 というか、本当に未だに背後の俺に気が付いていないのか?



 そんなことがあるのか?



 試しに路面を靴底で擦って音を鳴らしてみる。



 頭上に晩飯のイメージを浮かべていた彼女らは、ズリっという擦音にハッとなると、動きを揃えて右左、右左と首を振る。



「なんか音がしたような気がしたけど……」


「気がしただけなら気のせいッスよ! 疲れてるんス! 早く帰って餌食おうッス!」



 んなわけねえだろ。


 なんで背後を確認しねえんだよ。そこが一番危険だろうが。


 こいつら……。


 1年以上はやってきたようなことを言っていたが、こんなんでどうやって生き残ってきたんだ?


 それとも“ゴミクズー”と言ったか。あのネズミの化け物のようなモノは見掛け倒しで大した脅威ではないということなのか?



「さぁ! 人目がないうちに変身を解いておくッスよ!」


「うん、そうだねっ」



 パタパタと羽を動かしてケツの上から猫が宙に浮かぶと、魔法少女は立ち上がり胸に手を当てる。



「それじゃ――おねがいっ、『Blue Wish』……っ!」



 その祈りのような声と共に彼女の身体が光に包まれる。



 もしかしたら気分次第では幻想的な光景なのかもしれんが、今の俺には頭の悪いガキの身体がペカーっと光った間抜けな光景に見えた。



 彼女の姿が光のシルエットにしか見えなくなるほどの輝きはほぼ一瞬で瞬き、それが消えてなくなるとそこには姿を変えた彼女――すなわち確定自称魔法少女の正体が現れた。



 原色に近いような気色の悪いピンク色の髪は、一般的な日本人の範疇に納まる栗色に近いものに変わり、ツインテールだった髪型までもが違うものになっている。


 当然――と言ってもいいものかは迷うが――服装も白とピンクを基調としたフリフリヒラヒラとしたものから、普通に街を歩いていても誰も眉を顰めない一般的な服装――学生服に変わった。



 俺にとっては見慣れている制服。



(やはり――か)



 なんとなく彼女らのすぐ背後まで特に足音などにも気を配ることなく、普通に近づいてみる。


 それでも彼女らに俺に気付く様子はない。



「いいッスか? 口をスッパくしていつも言ってるッスけど、変身する時と解除する時は人目に気を付けるんスよ?」


「うん、わかってる……! 魔法少女は正体を知られちゃダメ、なんだよね?」


「そのとおりッス! これからも上手くやっていこうッス!」


「だいじょうぶっ。わかってるよ、メロちゃん!」



 お前ら今日までよくやってこれたな?



 それともわざとやってんのか?


 とっくに俺に気付いていておちょくってんのか?



 しかし、そうではないのだろう。



 魔法少女。



 その正体には見当がついていて、それが正しく彼女であるのなら、これがわざとなのではなく、ただ単純にボンクラなのは知っているので十分に納得が出来る。



 そして、いい加減このままこうしていても仕方ないので声をかけることにする。



 その正体を――



 その名を口にする。



「――水無瀬」



「――ひゃわーーーーーっ⁉」

「――ひゃにゃーーーーっ⁉」



 背後から声をかけると、一人と一匹は両手と両前足を上に伸ばし奇声をあげながら跳び上がった。


 そのまま水無瀬は粟を食ったようにアワアワ言いながらジタジタと奇っ怪な踊りをし、彼女の相棒の猫は水無瀬の顏の横でクルクルと空中を走り回る。



 驚きすぎだろと、思わず呆れた眼を向けそうになるがそれよりも、この期に及んでまだ背後を確認しようともしないヤツらの体たらくに俺は苛立つ。



 そうこうしていると、クルクル回る猫のしっぽが水無瀬の顔面を打った。



「ふにゃっ――⁉」



 ぺしっと間の抜けた音から大した威力ではないと傍から見ている俺にもわかるが、痛みよりも驚きが勝ったのだろう、水無瀬はバランスを崩して前のめりに転んだ。


 べちゃっ、ふぎゃっ、と先程の焼き増しの光景を見せられた。



 なんで前に倒れるんだよ。


 前方から顔を打たれて驚いたなら、尻もちをつくか背後に倒れるならまだしもわかるが、やはり猫が言っていたように乳が重いせいで重心が前に傾いているのだろうか。


 そういやこいつ猫背だしなと、そんな余計な思考はすぐに消える。



 先程同様、路地裏の汚いアスファルトに顔面を押し付け、後方へ尻を突き上げるような姿勢をとる彼女の制服スカートが捲れ上がる。



 露わになったのは青と白の縞々のおぱんつに包まれたケツだ。



 俺は戯言のような思考を打ち切り、眼を細めて尖らせた視線をそのケツに突き刺す。



(……どういうことだ?)



 俺が目の前で転んだクラスメイトを放置して浮かび上がった疑問に考えを巡らせている内に、猫が慌てて救出に向かった。



「マ、マナぁーーっ! だ、大丈夫っスか⁉」


「う、うえぇ……鼻すりむいたぁ……。いたいよぅ……」



 情けない声のわりにすぐに体を起こした彼女は、擦りむいて赤くなった鼻の頭を指差して飼い猫に強調する。


 猫は労わるようにその傷を舐めた。



「カワイソウに……イタイのイタイのペロペローッス!」


「わぁ。メロちゃん、くすぐっ――たくないっ⁉ いたいっ! ザラザラするっ!」


「ヘヘっ。ジブン、ネコッスから」


「にゃー?」


「ニャニャニャーッス!」



 皮膚が破けて出血するようなことはなく、軽い打ち身程度で赤くなっていただけのようだ。


 負傷をすることになった一連の出来事のことはもう忘れているのか、彼女たちは向かい合って首を左右に振ってリズムを合わせながら「ニャンニャン」言い合っている。


 俺は水無瀬の後ろ頭を引っ叩いた。



「おい、水無瀬」


「――あいたぁーーっ⁉」



 ここまで至ってようやく彼女は頭を抑えながら振り向いた。



「弥堂くん、なんでぶつのぉ……って! びっ、びびびびびびとーくん⁉ なんでぇっ⁉」


「…………」



 いつものように彼女を無視するつもりはなかったのだが、何を答えるべきか、何から答えるべきかわからず、すぐには言葉が出てこなかった。


 こいつのらのボンクラ加減に引きずり込まれているようでとても不快だとも感じ、真面目に考えるのが面倒くさくなってとりあえず無言で水無瀬を視た。



「び、びとーくん、なんで……っ、いつからここに――って、どっ、どどどどどどうしよう、メロちゃん⁉」


「お、落ち着くッスよ、マナっ! まだ慌てるような時間じゃねぇーッス! まだ……きっとまだワンチャンあるッスよ! だから――はぅあっッス⁉」



 水無瀬を宥めようとしていた黒猫だが、俺がジーっと自分を視ていることに気付くとハッとなる。


 そして目線を左右に泳がせ顏から汗をダラダラと流し始める。



 なんでだよ。


 お前らの汗腺は肉球にしかねえだろうが。



 しかしよく視てみると、ヤツの手から汁が零れるようにボトボトと液体が漏れている。


 あれは汗なのか……? 気持ち悪ぃなこいつ。



 俺が心中で自分とは違う別の生物を蔑んでいると、やがて猫はなにやら必死な様子で飼い主と思われる水無瀬へ何かを訴えだした。



「ニャニャっ! ニャニャニャっニャニャニャっニャニャニャスッスニャ!(マナっ! ここは上手く誤魔化すッスよ!)」


「え? なぁに? メロちゃん、ネコさんごっこは後にしようよ。今は弥堂くんに見つかっちゃって大変なんだよ?」



 水無瀬の言うことは尤もなのだろうが、そもそも俺の目の前で相談すんじゃねえよ。



「ニャニャニャーっ! ニャニャン、ニャニャッスニャニャ! ニャニャッニャンニャっニャニャニャニャっニャベーッス!(だからーっ! ジブン、ネコッスから! 喋ってんのバレたらニャベーッス!)」


「ニャベーの?」


「ニャベーんス!」


「そっか、うん。わかったよ!」


「わかってくれたッスか!」



 どう意思の疎通が出来たのかは俺にはわからんが、彼女たちの間では何かしらの折り合いがついたらしい。


「うんうん」と頷いて納得の姿勢を見せた水無瀬は、改めて俺の方へ顔を向けてしっかりと目を合わせてくる。



「あのね、弥堂くん。これはニャベーの!」

「アホーーーーッス⁉」


「…………そうか。それは、ニャベーな……」



 重苦しい気分でどうにか言葉を返した。



「アホっ! アホっ! マナのアホーッス!」


「いたっ、いたいよメロちゃん! しっぽでペチペチしないでーっ!」



 この頃には俺はもう声をかけたことを後悔していた。


 自業自得といえばそうなのかもしれんが。



 運がいいか悪いかという問題以前に、こんな所に這入って来たのも、こいつらを無視して立ち去らなかったのも全て自分自身の過失だ。


 それを認めて受け入れるにはもうあと何年か歳を重ねる必要がありそうではあるが、だが実際のところ見てしまった以上放置をすることも出来ない。



 じゃあ知らなければよかったのかというと、そういう話でもない。



 俺自身が今日学園でクズどもに伝えたように『知らないこと、気付かないことは罪』だ。



 スパイの身とは謂え、風紀委員として活動をしている以上は『知らない』では済まない。



『学園の生徒』の中に『魔法少女』がいて、それが『外部勢力』と『対立』をしていて、放課後に『戦闘行為を含んだ活動』をしている。そしてその正体は『水無瀬 愛苗』である。


 これらは俺にとって非常に有益な情報であり、知らないことが不利益になる情報だ。



 なのに、それらを得たことに一切の高揚はなく、さらに詳しく聴取をすることに酷く億劫な気分になる。


 俺と同じ『世界』の住人だとはとても考えらないような振舞いをする目の前の一人と一匹から話を聞き出すのには、とても我慢を強いられるのだろうし、どうせまともな返答などでてこないだろうという諦めもある。


 出来ればこのまま来た道を戻って速やかに帰宅したい。



 だが、そういうわけにもいかない。



 まだ確定情報ではないが、ヤツらの口ぶりから考察をすると、今回の戦闘は偶発的に起こった遭遇戦などではなく、例のネズミ――“ゴミクズー”と言ったか?――ああいった化け物が複数存在しており、そして彼女らはそれを捜索し、殺してまわっている。


 そのように考えるのが妥当だ。



 サバイバル部部員としての俺。


 風紀委員としての俺。


 そしてただの俺。



 複数の立場の弥堂 優輝にとって『魔法少女・水無瀬 愛苗』の存在は不利益になる可能性がある。


 唯一、水無瀬 愛苗のクラスメイトとしての弥堂 優輝にとっては、どうでもよく、関係のないことであるが、多数決で詳細を把握する方向に決議される。



……なにが『魔法少女・水無瀬 愛苗』だ。


 なんなんだこの頭の悪い字面は。


 ナメやがってクソが。



 非常に面倒ではあるが、しかし俺の気分などどうでもいい。


 何を感じて、何を考えて、何を思っていようとも、それらとは別にやるべきことはやらなければならない。



「おい、お前ら。いい加減にしろよ」



 再度、俺に声をかけられたボンクラコンビはハッとする。



「ゴ、ゴメンね、弥堂くん。ほったらかしにしちゃって。さみしかったよね……?」


「わ、悪気はなかったんス。だから落ち込むなよッス。ほら、だいじょうぶっスか? 肉球揉むッスか?」



 ビキっと――口の端が吊ったのを自覚する。


 冷静であろうと努めながら、頬に肉球を圧し当ててくる猫へジロリと眼を向ける。



「ヒ――っ⁉」



 喋ってんじゃねえよテメェ。誤魔化すんじゃなかったのか? もう忘れたのかグズめ。



 そのような俺の思いが通じたのかは定かではないが、近い距離で眼が合った猫はプルプルと震えながら後退し、飼い主の胸の中へ逃げ込んでいった。



「わっ⁉ どうしたのメロちゃん⁉」


「恐かったッス! ジブン、めっちゃ恐かったッス!」


「恐くないよぉ。弥堂くんは優しい子だよ?」


「いーや、ジブンにはわかるッス! ありゃ確実に2.3人殺ってる目っス!」


「弥堂くんはそんなことしないよぅ」


「騙されちゃダメ――って、ちょっと待ったッス! 弥堂くん⁉ あれが弥堂くんッスか⁉」


「え? うん、そうだよ、同じクラスで隣の席の弥堂 優輝くんだよ」


「ニャんだとーーーッス⁉」



 水無瀬から俺を紹介された黒猫は何故か驚いた様子を見せる。



「どうかしたの? メロちゃん」


「どうもこうもねぇーッスよ! 弥堂くんは大人しい子って言ってたじゃねーッスか! 草食系は⁉ 可愛い系は⁉ どう見たってサイコ系じゃねぇーッスか!」


「メロちゃん! そんなこと言っちゃダメだよ! び、弥堂くんゴメンね? メロちゃんはネコさんだから間違えちゃったの……」


「ネコさんだからわかるッス! コイツは小動物とか虐待する系男子ッス! 絶対ショタの時に公園でアリの巣にションベンぶちこんだり、蝶の羽もいだり、クモの足を一本ずつ引き千切ったりとかしてたッス! そういうヤツッス!」


「メロちゃん! めっ!」



 水無瀬は飼い猫に強く注意を与え胸にギュッと抱く。すると猫の頭部は胸肉に埋め込まれとりあえず猫は黙った。



「あの、弥堂くん。メロちゃんがゴメンね?」


「どうでもいい。それよりも俺の話をさせてくれないか?」


「え? あ、うん。もちろんいいよ? どうぞ」


「あぁ。それでは――」



 ようやく切り出せると思ったが、水無瀬の胸に埋まったケダモノがなにやら藻掻いている。


 はぁ、と溜め息をひとつ。



「――その前に。放してやれ」


「え?」


「死ぬぞ。そいつ」


「しぬ……? って! あっ――⁉」



 下がった俺の目線を追って彼女は自分のペットだか相棒だかの容態に気付き、慌てて手を離す。



「ぷはぁっ――⁉ し、しぬかと思ったッス!」


「ゴメンね、メロちゃん!」


「なぁに、気にすることはねぇーッスよ。そのおっぱいの中で死ねるんならネコ冥利に尽きるってもんッス!」


「ねこみょーり……?」



 パンっと、手を叩く。


 また彼女らが何か始める前にこちらに注意を向けさせた。



 緊張感や危機感などまったく感じられない二組の目玉からの視線を受け止めて、俺までこいつらの雰囲気に当てられそうで、抵抗の意思を繋ぐために気怠さを溜め息にして吐きだす。



 さて、何から訊き出していくか。




 俺から向けられる視線から真剣味を感じ取ったのか、水無瀬はその場に一度しゃがんで抱いていた猫を地面に降ろして一度頭を撫でてやるとすぐに立ち上がり、姿勢を正してこちらを向いた。



 その佇まいからは今しがたまでの慌ただしさは失せており、堂々とした雰囲気が感じられた。




 ふん、やましいこと、咎められることなど何もないということか。


 いいだろう。その余裕がどこまで保てるか試してやる。




 訊きたいことの大枠はこいつらが勝手に喋っていた気もするが、補足情報として何を抑えておくべきか。


 黙っていても仕方がないのでそれは喋りながら考えることとする。



「――そうだな。一応、念のために訊いておくが、お前ここで何をしている?」



 水無瀬は俺の質問にすぐには答えず、余裕たっぷりに間を置いて――いや、待て。



 よく視るまでもなく彼女は尋常でない量の汗を顏から流し、目を泳がせていた。



 初手かよ。


 ワンパンで沈んでんじゃねーよ。


 あの余裕そうな態度はなんだったんだよ。



 真面目に相対している俺が馬鹿を見ている状況ではあるが、挙動不審になりながら立ち尽くす彼女を見て、ある種の発見というか、感心をしたような心持ちにもなる。



 水無瀬 愛苗。



 彼女のこういった性質は知っていたつもりではあるが、実は俺にはこの手のタイプの人間への知見や免疫といったものが全くなかった。



 なるほどな。


 正直で嘘が吐けなく、そして嘘を吐かない人間は、答えられないことを訊かれると黙るのか。



 少なくともここ5年かそれ以上の間、俺は嘘つきでない人間を一人も見たことがない。


 こんな奴がこの世に実在すると思ってもいなかったので、興味深いとまでは言わないが、どこか新鮮な気分だ。



 このまま彼女が音を上げて情報を吐くのが先か、それとも脱水症状でぶっ倒れるのが先かを見守っていてもいいのだが、それはあまりに時間効率が悪い。



 普段の彼女、例えば今日の昼休みの女どもとの会話劇の中での様子から鑑みるに、水無瀬自身から俺が満足するような説明が出てくることを期待する方が無理がある。



 仕方がない。



「――魔法少女」



 ポツリと、俺の口から出たその単語に彼女らはあからさまに狼狽えた。



 発汗が増え、目を泳がせる回数・速度も増す。



 嘘を覚えろ、とまでは言わないが、隠すなり誤魔化すなりもう少しやりようはあるだろうが。というか、やろうと思ってもこんな怪しい態度はとれるものではないだろうに。



 俺が呆れた眼を向けていると、彼女たちに動きが見える。



 水無瀬の足元に立つ猫が爪とぎでもするように彼女の足に前足をつける。


 その感触に気付いた水無瀬が目を向けると、猫は飼い主へと何やら目配せをする。


 猫の分際でバチッバチッと器用にウィンクを送った。



 そのアイコンタクトを受信した水無瀬は「うんうん」と頷き顔を上げる。


 そして何やら決意を感じさせる表情で俺を見た。



 眉を顰めた俺が「何のつもりだ」と問うよりも速く、彼女が動く。



「――ふ、フローラルメロディ! あなたのHeartをBurn Downっ!」



 バッバっと、水無瀬にしては俊敏な動作でおかしなポーズを決め、彼女は唐突に高らかに名乗りをあげた。



 これは恐らくアニメの『魔法少女プリティメロディ☆フローラルスパーク』の主人公こと『魔法少女フローラルメロディ』が、変身後に毎回行う名乗りとポーズだ。



 俺が所属する部活動の活動に必要だからと上司である廻夜めぐりや部長から命じられ、このプリメロシリーズの中でも特に『魔法少女フローラルメロディ』の作品を重点的に視聴させられていたため、一目でそれだと判断することができる。



 わかってしまった自分を俺は強く恥じた。



 こんな場所でこのような侮辱を受けるとは流石に予想していなかったため、唐突に自分は“プリメロ”であると言い出した頭の悪い同級生に無言で圧を与える報復行動にでる。



 というか、これは本当に子供向けの作品なのか?



『お前の心臓を焼き尽くす』とは、あまりに物騒すぎやしないのだろうか。



 だが待てよと、軽率に判断を下そうとする自分を諫める。



 例えばナマハゲという妖怪がいる。


 地方の伝承のようなものにあるあまりに有名な存在なので、今いちいち記録を取り出して思い出したりはしないが、要は『泣き止まねえと殺すぞ』と煩い子供を脅すために作られた神だ。



 ナマハゲに限らず地方にはそれぞれ育児や教育、また人々への戒めのためにこのような伝承が存在したりする。



 つまり、『お前の心臓を焼き尽くす』とは、『口で言ってる内に従わねえと殺すぞ』と相手に警告するための文言なのだろう。


 それを現代的かつ子供向けにいくらかマイルドにした結果、『あなたのHeartをBurn Downっ!』と伝承することになったのだろう。


『泣ぐ子はいねぇが』と大体同じ意味ということか。



 そう考えると、人をバカにしたような間抜けでコミカルなポーズも、パチッとかましてくるウィンクも、そこはかとなく脅迫感を減少させているような気がするし、英語が混じっているのでなんかグローバルな感じもして今の時代に沿っているような気がする。



 街で迷惑をかけてはいけないと子供に教えたいが、知性も品性も未だ人間に達していない獣に等しいガキどもに言って聞かせたところで無駄だ。


 野良犬に吠えるなと話しかけても無駄なのと同じように。



 だから、その生命を質にとって「つべこべ言わずに言うとおりにしないと殺すぞ」と脅す教育方法であり、また『好き放題にナメたマネをすると殺されても仕方ない』といった人々への戒めでもあるのだろう。


 結果的に他人に迷惑をかけない大人が完成すれば過程がどうあれ一緒だからな。



 なるほど、効率的だと感心する。




 泣ぐ子はナマハゲに殺され、そして街で悪さをする子は魔法少女に殺される。



 つまり、魔法少女とはナマハゲ、ということになる。




「――ナマハゲ……」


「えっ……?」



 考え過ぎたせいか、無意識に口から出ていたようだ。



「失敬。独り言だ」



 プリメロポーズのまま「なまはげ……?」と首を傾げる少女へ体裁を繕う。


……なんでこんなバカな恰好してるガキに俺が体裁を繕わねばならんのだ。



「えと……弥堂くん白目になってたけど大丈夫……?」


「うるさい黙れ」



 険を強めてジロリと視線を遣ると、ようやく水無瀬はプリメロポーズをやめてシュンと肩を縮めた。


 そのまま身体の前で手を組みもじもじと足を擦り合わせる。その頬は若干紅潮しているように見えた。


 彼女の足元に眼を向けると、黒猫も見ていられないとばかりに前足で顔を覆っている。



 どうやらこいつらにも恥ずかしいことをしているという認識はあるようで、木や石に話しかけるよりは難易度が低いことがわかり、俺は少し安堵した。



 てゆーか、今のはなんだったんだ。



 いくらなんでも、俺が言った『魔法少女』が前フリだと勘違いしたわけではないだろう。


 あれで誤魔化せるとでも思ったのか。どれだけ俺をナメているんだ。



 ダメだ、この件は流そう。



 このことについて深く考えると、また過去の屈辱リストから強烈なものを引っ張り出してこなければ俺はうっかりこいつを殺してしまうかもしれない。




 出来れば口数多く喋りたくはないが、彼女に任せていると碌に欲しい情報が得られないので、俺の方から訊いていかねばならない。



 しかし、希咲といい、こいつといい、何故こうも俺の効率を妨げるのだ。


 二人ともにそういう人間なのか、それともどちらかが悪影響を及ぼしている為に二人ともにグズグズとするのか。


 どちらかが居なくなればもう片方はまともになり、スッキリと話が進むようになるのではないかという可能性に思い当たる。



 いよいよとなれば――そんな状況がくるのかは不明だが――どちらかを消す必要性が出てくるかもしれない。それまでにどちらが不要なのかを決めておく必要があるなと、そんなことを考えながら水無瀬への詰問を再開する。



「――魔法少女」



 先程と同じ言葉を口に出すと、彼女らも先程と同じように肩を跳ねさせる。



「水無瀬 愛苗。貴様は魔法少女だな? 間違いないか?」



 なんだよこの質問。自分の口から出た言葉だとは俄かには信じたくない。



「えっと……あの、その…………」


「『YES』か『NO』で答えろ」



 またおかしな真似ごとをされる前に追い込んでおく。


 彼女は言葉に詰まり視線を飼い猫の方に逃がすが、猫は沈痛そうな面持ちで目を逸らした。



 なんで猫が沈痛そうな面持ちを出来るんだ? こいつの表情筋はどうなってんだ。気持ち悪ぃな。



 記憶の中に猫の表情筋についての記録がないかと俺が考えている内に観念をしたのか、水無瀬はおずおずと目を上げる。



「あの……はい。私は魔法少女です……」



「いい歳こいて何言ってんだ」と、反射的に彼女の頭を引っ叩きそうになったが、そもそもそう答えるのがわかっている上で質問をしたのは俺だったと寸でで留まる。



「そうか。では、質問を戻そう。水無瀬。お前はこんな場所で何をしている?」


「うっ――⁉ えっと……それは……」



 またも彼女は口ごもる。そしてそれもわかっていたことだ。



「言い辛いのなら俺が代わりに言ってやろう。お前は魔法少女で、“ゴミクズー”と呼ばれる化け物と戦っている。“ゴミクズー”は悪感情が魔物となって暴れまわり人間社会に被害を齎すものだ。そしてお前らはその被害を防ぐために戦っている。その活動は年単位に及ぶ長期的なものである」


「「なななななんでそれをーーっ⁉」」



 ボンクラコンビは声と動作を合わせてびっくり仰天した。



「どうした? どこか間違っている所があったら指摘しろ」


「え、えっと……えっと……」



 水無瀬はしどろもどろになるが――



「クッ、下がるッス、マナ!」


「メロちゃん⁉」



 飼い猫が彼女の前に進み出て警告を発する。



「普通のニンゲンはそんなこと知らねーはずッス! こいつきっと“ゴミクズー”の手下ッスよ!」


「えっ? “ゴミクズー”さんに手下っているの?」


「えっ? いや、知らねえッスけど?」


「えっ? じゃあ、なんで手下って言ったの……?」


「えっ? いや、なんか……雰囲気で……?」



 猫の癖に雰囲気で喋んじゃねーよ。


 向きあって首を傾げ合う彼女らが脱線をする前に話の主導権を奪い返す。



「特に反論はないようだから、先程の件は真実であると認めたと、とりあえずはそう見做した上でさらに質問をさせてもらおう。いいな?」


「えと、その……はい……」


「質問はとりあえず3つだ。一つ目は、ちょうど今話に上がったな。組織のことについて訊かせてもらおう」


「組織……?」


「そうだ。“ゴミクズー”とはなんだ?」


「えっと、悪い感情がカタチを――」


「――そうじゃない。あれらは自然発生する災害のようなものなのか? それとも何者かが意図的に生みだして何かしらの目的のもとに仕掛けてくるものなのか? どっちだ?」


「えーーっと…………どうなんだろう……?」



 なんで知らねえんだよ。お前は何と戦ってるんだ。



「あの、弥堂くんゴメンね。質問にまだ答えれてないんだけど、私も訊きたいことがあって……」


「なんだ?」


「弥堂くんは“ゴミクズー”さんを知ってるの……?」


「さっき見た」


「え?」


「デカいネズミの化け物だ。お前がさっき殺害した」


「サツガイっ⁉」



 何故か水無瀬は大袈裟に驚く。



「サ、サツガイなんてしてないよ! あれは浄化したの!」


「……浄化か」


「うん。そうだよ。苦しんでる悪い心や気持ちを魔法でスッキリさせてあげるの!」


「…………」



 水無瀬の顔を視る。



 眼球の動き、発汗、表情筋の緊張具合、唇の滑らかさや口内の唾液の分泌量。


 外から視てわかる限りのそれらの情報を取り入れる。



 恐らくこいつは真実を言っている。



 自分が真実だと思っていることを俺に話している。



「そうか。興味深い話だが、その件は今はいい。俺のした質問に答えろ」


「あ、うん。ゴメンね。ありがとう」


「……マナぁ。こいつ超ジコチューじゃないッスか? なんかエラそーだし。アレッスか? オレサマってヤツッスか?」


「え? そんなことないよ? 弥堂くんはいつも自分がお話するより人のお話をたくさん聞いてくれてちゃんとよく考えてくれる優しい子だよっ。私のお話も最後までゆっくり聞いてくれるの!」



 俺は戦慄する。



 普段の俺と言えば喋る必要がなければ口を開かず、答える必要性を感じなければ誰に何を言われようと無視をする。


 こいつまさか、俺の口数が少なかったり無視したりしてるのを、トロくさい自分が話し終えるまで待っていてくれているとでも解釈してたのか?


 ということは、冷たくあしらっても全くめげていないのではなく、ただ単に通じていなかっただけとでもいうのか?


 バカな……。



 思わず見たこともないような化け物に遭遇した驚愕を表情に出しそうになり、俺はギリギリのところで自制した。



 こんな怪物から俺はまともに話を聞き出せるのか?


 だが、やらねばならない。



 悲壮感などはない。


 そんな段階はとっくに通り過ぎている。



 過去に済ませた覚悟は記録からいつでも取り出せる。



 やると決めたことは必ずやる。


 そのための手段は問わない。



 俺は水無瀬 愛苗という強大な敵へ真っ直ぐに視線を射かけた。




「元の話に戻るぞ。もう一度訊くが、お前らには敵対する組織はいるのか?」


「そしき……?」



 水無瀬は初めて聞いた単語を反芻する幼児のように首を傾げる。



 俺は自分自身に『自分は迷子センターのスタッフである』と思い込ませることでこの局面を乗り切ることにした。



「……訊き方を変えようか。今まで魔法少女の活動をしていてあのネズミの化け物以外の敵を見たことはないか?」


「あっ、えっとね、あるよ! ネズミさんだけじゃなくって他の動物さんもいっぱいいるよ! ネズミさんと遭ったのは今日と昨日でまだ2回なの」


「……そうか」



 そういうことが訊きたかったのではないが、それはそれで無駄な情報ではないな。


 狙ったわけではないが、やはりそうかと、自分のしていた推測を裏付けることは出来た。



 さて、どう訊いたものかと考える。こいつから知りたい情報を抜き出すにはもう少し工夫が必要そうだ。



「そうだな……では、水無瀬。動物以外は見たことはないか? 無機物などではなくもっと知性のある存在だ。例えば人間、もしくはそれに類似した存在だ。知らないおじさんとか恐いお兄さんが“ゴミクズー”と一緒にいたりしなかったか? 別に女でも構わんが」


「おじさん…………? あっ! あるよ!」


「なんだと?」



 眼を細める。



「あのねっ、たまに“ゴミクズー”さんと一緒に悪の幹部さんが来てる時もあるの!」


「……? 悪の……?」


「かんぶっ!」


「なんだそれは?」


「えっとね、黒いの!」


「黒い……?」


「うんっ!」



 水無瀬は身振り手振りを交えながら悪の幹部が黒いことを強調してくるが、俺はまるで理解が追い付かない。


 衝動的にコミュニケーションを放棄したくなるがそうもいかないので、ここは辛抱強く聴取をしていかなければならない。



「……それは人間か? 黒いというのは肌の色のことか? それとも悪性の比喩表現か?」


「え? ううん、肌っていうか全部黒いの。頭までスッポリ全身タイツみたいな?」


「変態じゃねーか」


「変態さんじゃないよ! 見た目全身タイツっぽいだけでお洋服じゃないんだって言ってたよ。普通に全部真っ黒なの!」


「……それは人間なのか? いや、そもそもヒトガタなのか? それともそこの猫みたいに喋れる化け物なのか?」


「誰がバケモノかーーーッス!」



 猫が憤慨しているが無視をする。



 水無瀬からの聴取が難解すぎてとても余分に割けるリソースがない。



「たぶん? よくわかんないけど、私たちと一緒だよ。なんかね、“怪人”さんなんだって言ってたよ」


「……その“怪人”というのは、魔法少女のように人間が何かに変異したものか? それとも知性と人の形を持った“ゴミクズー”をそう呼ぶのか?」


「そういえば……どうなんだろ? わかんないや」


「……お前、今まで相対してきて何も気にならなかったのか?」


「え? うん。色んな人がいていいと思うし……」



 ダメだ。同じ言語で会話をしている気がしない。


 なんなんだこいつ。化け物を引き連れて社会に迷惑をかける全身タイツの変態が居ていいわけねえだろ。



「カーーっ、ダメっスね。ニンゲン、オマエはダメな? オマエらの間で今流行ってんじゃねえッスか? “サベツ”はダメって。全身黒タイツの怪人にだって“ジンケン”はあるんスよ。マナぁー、こいつダメっス。ジェンダー感度低すぎの不感症野郎ッス。フニャチン〇ンポ野郎ッスよ」



 うるせーんだよクソ猫が。ジェンダーは性別に関する言葉だろうが。猫の分際でどこで聞きかじってきたんだよ。人権は人間にしか与えられねえんだ。欲しければ税金を払え。よしんば人間同士で差別がなくなったとしても、怪人は一生怪人のままだし、お前らは一生愛玩動物のままだ、立場を弁えろ。



 ボロカスに反論して生意気な猫を泣かすための言葉が脳内に溢れるがどうにか堪える。


 質問はまだ一つ目の途中であり、あと二つも聞き出さなければならないからだ。



「……幹部ということは、その、なんだ。“怪人”……? とやらの部下やもっと上の黒幕のようなものもいるのか?」


「くろまく……うーーん、どうなんだろ……?」



 興味ねえのかよ。もっと真剣に戦えよクソが。



「――あ、でもでもっ!」


「あ?」



 何かに思い当たったように手を合わせる水無瀬へ全く期待感が持てないが、一応眼だけは向けてやる。



「なんか秘密結社って言ってたよ! “闇の秘密結社”って!」


「……なんだそれは?」


「よくわかんないんだけど、世界の環境を守るために人間に迷惑をかけるんだって」


「…………秘密結社の者が自分で自分たちは秘密結社だと言っていたのか?」


「え? うん、そうだよっ」


「………………そうか。それで? 具体的には? テロ行為か? 侵略戦争でも仕掛けてきているのか? 世界征服だとか何かわかりやすい目的を言っていなかったのか? どうなんだ?」


「えと、ゴメンね。わかんないや」


「……………………人間に迷惑をかけるとどう環境が守られるんだ?」


「あ、そういえばそうだよね。どうしてなんだろ……? 今度会ったら聞いといてあげるねっ!」



 友達かよ。



 俺はビルに切り取られた四角い灰色の空を見上げ、瞼の上から眼球を揉み解す。


 人前でこのようなだらしのない真似をするべきではないが、仕方がなかった。



 数秒、そうしてから眼を開ける。



 そしておもむろに水無瀬の顔面を鷲掴みにした。



「バッチリ組織じゃねーか、この馬鹿野郎が」


「いたたたたっいたいっ――⁉」

「マ、マナーーーーっ⁉」


「最初の質問で答えられただろうが。なに今思い出してんだ。闇の秘密結社のことを忘れてんじゃねーよ」


「いたたたたたっ、ごめんなさーーーーーいっ!」

「や、やめろーッス! クソッ! このクソニンゲンっ! マナを放すッス!」



 水無瀬の顔面を掴む手に猫が飛びついてガジガジと齧ってくる。


 このような奇形生物は獣医に掛かることは出来ないだろう。恐らくなんの予防注射も打っていないだろうし、おかしな病気や寄生虫をもっている可能性がある。


 痛くもなんともないが、俺は感染リスクを考慮して皮膚を破られる前に手を離した。



「ぅぅ……いたかったぁ……」


「だ、大丈夫っスか、マナ⁉ ギリギリって! ギリギリって音してたッス!」



 しゃがみこんでコメカミを揉み解す水無瀬の傍に猫は駆け寄り、一言声をかけると俺の方へ向き直った。



「オマエっ! この野郎ッス!」


「なんだ」


「なんだじゃねーッス! よくもマナをイジメたなッス!」


「訊かれたことにとっとと答えないからこうなる。お前らはボンクラすぎだ」


「誰がボンクラかーッス! 一生懸命答えてたのにそんなヒドイこと言うなーッス!」


「一生懸命かどうかなどに価値はない。黙って結果を出せ。こちらが求めたものをすぐに差し出せ」


「なんて言い草ッスか! やっぱりこいつオレサマ系ッス! ちくしょう! 正直キライじゃねぇッス! でもマナをボンクラ呼ばわりするのは許さねぇッス!」


「ボンクラはお前もだよ」



 なにさりげなく自分を除外してんだ。


 図々しい猫へ胡乱な瞳を向け説明してやる。



「そうは言うがな、俺は部の規定により『プリメロシリーズ』を一通り視聴していて魔法少女にはある程度の知見がある」


「こ、この見た目で魔法少女アニメを観ている……だとッス……? 正直キメェッス!」


「うるさい黙れ。それに登場していた魔法少女たちもどこか抜けたヤツが多かったが、お前らはそれよりも酷い」


「なんだとーーッス! ナメんじゃねぇーッス! そこまで言うんなら何がヒドイのか言ってみろッス!」


「うむ。俺はな、お前らがあのネズミにトドメを刺す直前あたりからこの場に居て、ずっとお前らの背後に立っていたのだが――」


「――んっ⁉ んんっ!」


「周囲の確認もせず注意力も集中力も散漫で、当然すぐ近くの俺に気付くこともなく。おまけに唐突に自分たちが何者でどういった敵といつから戦っているのかと、聞かれてもいないことをベラベラと喋り出し――」


「――ごっ、ゴフッス!」


「――終いには、俺の目の前で変身とやらを解除して正体まで晒す始末だ」


「おっ、おっ、おごごごごごッス……っ!」



 ダウン寸前のボクサーのように四つ足をガクガクと震わせる猫にトドメをくれてやる。



「もう一度言うが、俺は色んな魔法少女を観てきて素人のような連中ばかりだと思っていたが、お前らはそれよりも数倍酷い。現れてものの数分であれだけの秘密事項を漏らすようなバカを俺はかつて見たことがない。よって、お前らはボンクラだ」


「ゴハァ――っッス⁉」

「メ、メロちゃぁーーーんっ⁉」


 ゴシャァと猫は地面に崩れ落ちるように倒れ込んだ。



「マ、マナ……すまねぇッス…………ジブン、返す言葉がねぇッス……っ!」


「いいの……、いいの……っ! 私が悪いの……っ! ゴメンね…………っ!」



 今際の際を看取るように傍らに膝をつき涙する水無瀬を俺は冷めた眼で見下ろした。



「で、でも……ニンゲン……っ!」


「あ?」



 まるで死の際に遺言を遺すような壮絶さを醸し出しながら猫は震える声で俺に呼びかける。当然雰囲気だけだ。



「でも、ボンクラはやめるッス……! せめてポンコツと言うッス……! そっちの方がカワイイッス……っ!」


「……お前らがそれでいいなら俺はどっちでも構わんが……」



 他に言うことなかったのかよ。



「まぁいい、では2つ目の質問だ」


「あ、うん。なぁに? 弥堂く――」

「――ちょっと待つッス!」



 尋問を続けようとしたが答えようとする水無瀬を遮り猫が口を挟む。そのまま息を引き取っていればいいものを。



「なんだ」


「お前ばっか聞いてくるなッス! こっちにも質問させるッス! オマエ絶対自分だけ出したらさっさと寝ちまうか、女の子がシャワー浴びてる間に金だけ置いて勝手に帰るタイプだろッス!」


「なにを言ってるかわからんが、ダメだ。」


「はぁーっ⁉ なんてワガママなやつッスか! 末っ子か⁉」


「長男だが」


「うるさい口答えするなッス! オマエばっかずりぃーぞッ! マナっ! こんなヤツ絶対やめた方がいいッスよ! こいつ絶対、これから彼女とご飯だって時に特にヤりたいわけでもないのに何となくでクチでさせて、こっちが歯磨いてる間に一人で飯食って、そのまま風呂入って結局指一本触れもせずに寝ちまうタイプのクズ彼氏になるッスよ! ジブンにはわかるッス!」


「えっと……? ゴメンね、早くてよく聴き取れなかったんだけど、ご飯? メロちゃんお腹すいたの?」


「お腹もすいたッス!」


「えへへ、お腹すいたねー。今晩はサーモンなんだって」


「マジッスか⁉ へへっ、悪いけどジブン今夜はガチるッスよ?」



 その話はさっきしただろうが。


 こいつら本気でアホなのか?



 このまま放っておくと話が脱線するので、仕方ないのでヤツの話を聞いてやることにする。



「おい、余計な口をきくな。訊きたいことがあるのならさっさと言え」


「ハッ――⁉ そういえばそうだったッス!」



 猫は前足で涎を拭き取り俺を見上げる。



「ニンゲン。オマエ、なんでそんなに色々聞いてくる? なにが目的ッスか?」


「聞かれて困ることでもあるのか? それは知られると都合の悪くなるようなことをしている、ということか?」


「調子にのるなよ、ニンゲン。オマエ生意気だな」


「メ、メロちゃん……?」



 小さく唸り声をあげる。


 自分のペットのそんな姿を見たことがなかったのか、飼い猫の変貌した様子に戸惑い水無瀬は遠慮がちに声をかけた。



「マナは離れてるッス」


「どうしたの……? 怒ってるの? メロちゃん……っ⁉」


「魔法少女の正体は知られてはいけない。でも、知られてしまった。それならどうするか……」


「ほう。どうするというんだ?」



 言いながら左足を退いて半身になり、敵へと晒す面を縮める。



「ククク……愚かなニンゲンめ……。好奇心に負けたか? 見てしまったとしてもすぐに引き返せばよかったものを。欲をかいてこんな場所までおめおめと踏み込んでくるから破滅することになる」


「回りくどいな。はっきりと言えばどうだ?」



 猫はその問いには答えなかった。



 人間がニヤリと嘲笑ったかのように、ウィスカーパッドを持ち上げる。


 歯を剥き、顕わになり、見せつけられる牙がヤツの意思を示唆する。



「その目玉。気に入らねぇッスねぇ。この爪で引き裂いてやる」



 起こってしまった出来事は変えられない。


 確定された事実は変えられない。



 この路地裏での出来事を目撃して、彼女らに声をかける前に俺自身が考えたことだ。



 さらに、こうも考えた。



 変えられはしないが、一部なかったことには出来る、と。



 そしてそれは同時に、俺がそうすることを出来るのならば、俺以外の他の者にも同じことが出来るということも意味する。




「オマエには消えてもらうっ!」



 ザッザっと、左右に細かくステップを踏み、狩りをする獣として『世界』から能えられた敏捷性アジリティを存分に発揮させ、黒猫は俺へと飛び掛かってくる。



――その寸前。



 パァンっと――



 ヤツが前足で地を踏み、後ろ足で地を蹴る。


 その瞬間を視切り、四つの足を踏み切る寸前に手を叩き大きな音を鳴らす。



「――ふにゃっ⁉」



 移動から行動と思考が切り替わり、脳が次の行動である攻撃の命令を身体各所へ送るその隙間に別の新しい情報を押し付け、増やされた選択肢の中からの意思決定を強要してやる。



 駆け出す動作と踏みとどまる動作が重なり、中途半端に跳び上がった猫は空中で大きく姿勢を崩した。


 その首根っこを悠々と掴みとる。



「にゃー」



 プランと身体を揺らしわざとらしく鳴く猫を持ち上げ目線を合わせる。



「俺の目玉をどうするって?」


「ジ、ジブン実はツンデレなんッス! 目と目で恋する瞬間ってあるよねってのをそう表現してみました!」

 


 フンと鼻を鳴らし、水無瀬の方を見る。



「2つ目の質問はこいつだ」


「こいつ……?」



 察しの悪い彼女の理解を進めるために、首裏の皮を摘まんだままソイツを彼女の眼前へ突き出す。



「こいつは『ナニ』だ?」



 身体を伸ばしてプラプラと揺れる猫のカタチをしたモノは「にゃー」とひとつ鳴いた。




 水無瀬はそれを追って目線を左右に動かす。



 この少女に質問の意図が一度で伝わることの方が少ないので、俺はもう一度問いを重ねる。



「水無瀬、こいつはなんなんだ?」


「? この子はメロちゃんだよ?」



 二度でも伝わらなかったので我慢強く三度目のチャレンジをする。



「名前を聞いているのではない。これはどういう存在なんだ? 猫の“ゴミクズー”なのか?」


「誰がゴミクズじゃボケェーッス! オマエめっちゃ失礼だなッス!」

「“ゴミクズー”さんじゃないよ? “ゴミクズー”さんは喋らないし。メロちゃんはネコさんだよ」



 猫擬きが怒りを露わにしているがとりあえず無視をする。



「そうか。だがな、水無瀬。俺の持つ知識と常識ではな、猫に近い形をしていたとしても、羽が生えていて宙を飛び、人語を発声するようなモノを猫とは呼ばないんだ。もう一度聞くぞ? これはナニだ?」


「あっ。そういう意味か。えっとね――」



 ようやく彼女も理解を見せる。


 最初からそういう意味でしか訊いてねえんだよ。



「――あのね。メロちゃんはネコ妖精さんなの!」


「……ネコ……妖精、だと…………?」



 くそっ……! どういう意味なんだ。



「うん! ネコの妖精さんなんだよ!」



 二度言われようともあまりに理解し難く、確認のため、俺は指で首の皮を摘まんだ猫を自分の目線の高さに吊るし、俺の知識にある妖精のイメージと比較する。



 妖精? 愚かなニンゲンめとか言ってなかったか?



 ドッドッ――と耳の裏で響く心臓の音が眼球の奥を加熱していく幻痛を意識の端にやり、そのネコ妖精とやらをよく視る。



「ゔっ――⁉」



 細めた俺の視線に晒された猫が怯んだ様子を見せたが、構わずに上から下まで視線で撫でつけていく。



「マ、マナぁっ! 助けてマナぁっ! コワイコワイ……っ! コイツめっちゃコワイッス!」



 酷く怯えたソイツはジタジタと藻掻きながら水無瀬へ助けを求める。


 鬱陶しいので俺は目線を外し、飼い主に返してやろうと水無瀬の方へ差し出した。



(……コイツ――)



 再び自身の顏の前でプラプラ揺れる猫を見て、水無瀬はそいつの身体をはしっと掴んだ。


 そしてそのまま両手で腹を揉み始めると、先程の怯えようはどこへやら、ネコは上機嫌にクルクルと喉を鳴らしだした。


 俺は溜め息をひとつ吐く。



「そうじゃない。受け取れ」



 それを伝えてようやく意図が伝わり、水無瀬は両手で猫を引き取ってから胸の前で抱いた。



「うあぁぁぁっ! マナぁーっ! 恐かったッスよー!」


「どうしたの、メロちゃん? 弥堂くんは恐くないよ?」



 すると、途端に猫は水無瀬の胸に顏をつっこみ泣きつく。


 水無瀬はそれをあやしながら優しい声をかけた。



「コワイッスよ! あいつ目ぇヤバすぎッス! 前に間違って捕まった保健所の人たちもあんなコワイ目してなかったッス!」



 妖精が保健所に摑まってんじゃねーよ。



「えっ⁉ 保健所っ⁉ メロちゃん大丈夫だったの⁉」



 大丈夫じゃなかったら今ここに居ないだろうが。



 今の話の論点はそこではないはずだが、猫は何故か得意げに胸を張る。



「フフン。そッスね。そんじょそこらのアマチュアのネコ妖精ならぶっ殺されてたところッスけど、ジブンはプロフェッショナルッスからね!」


「わぁ。そうなんだ。メロちゃんスゴイんだね!」


「本当なら喋れるのがバレるとヤバイんスけど、黙ってたらぶっ殺されちまうッスからね。なんかやたら病んだ目ぇしてたスタッフさんがいたんで、『あと何回ボクたちをコロすのー?』って裏声で話しかけてやったら発狂して檻の鍵落っことして逃げてったッス!」


「え……? かわいそう……」


「しかしッス! そこでこれ幸いと逃げ出すのはトウシロッス! その点ジブンは違うッス! 空けられるだけ他の檻を空けて間抜けな野良猫どもを大量に施設内に放ってやったッス!」


「あわわわわ……、なんか大変なことに……」


「その混乱に乗じて見事ジブンだけ逃げおおせたってワケッスよ!」


「メロちゃんが無事なのはよかったけど……うぅ、他のネコさんどうなったんだろ……」



 大惨事じゃねーか。保健所の方に迷惑かけてんじゃねーよ。


 飼い主として責任を感じているのか、水無瀬も「保健所のみなさんゴメンなさい……」と涙ぐんでいる。



「おい、お前のペット、本当はゴミクズなんじゃないのか」


「クラァーーーッス! 誰が“ゴミクズー”かぁッス!」



 猫が何か文句を言っているが、人間に迷惑をかける化け物が“ゴミクズー”だと説明したのはお前らだろうが。



「えと、メロちゃんはペットじゃないよ? お友達だよ?」


「……友達、ね……」



 コテンと首を傾げる水無瀬へ、話の中で新たに浮かび上がった疑問を投げかける。



「これは本来訊く予定だった質問ではないんだが、訊いてもいいか?」


「……? うん、いいよ。なんでもきいてっ!」



 訊かれたら困ることばかりな立場のはずだが、彼女は快諾する。


 何も考えていないのか、それともどうしようもない程にそういった性質の人間なのか。



「……そのお友達、とやらは元々“そう”だったのか?」


「……もともと?」


「お前が飼ってた猫が何かしらのきっかけで、ネコ妖精とやらに為ったのか? それとも、ある日お前の元にそいつが現れたのか?」



 質問をするとほぼ同時に水無瀬の態度が変わる。



「えっ、えっと…………それは、その……メロちゃんが私のところに来てくれて……」


「それで? ソイツが自分でお前に『自分はネコ妖精だ』と、そう名乗ったのか?」


「う、うん…………、そう、です……」


「ちなみに。それはいつのことだ?」


「あ……、えっと…………、私が……その、小学生……、の時、に……」



 彼女は口ごもる。



 よほど言い辛いのか、それとも言いたくないのか。



 それは俺にはわからないが、先程までのように慌ててパニックになり答えられないといったものとは明らかに様子が違った。



 歯切れ悪く、言葉は萎んでいき、表情は沈んで、やがてその顔を俯けた。



 まるで痛みでも伴ったかのような沈黙が訪れる。



 俺は決して彼女について詳しいと謂えるわけではないが、しかしこんな彼女の――水無瀬 愛苗の姿は見たことがなかった。



 熟考するまでもなく、何かある。



 やがて、彼女が胸に抱いた友達が労わるように水無瀬の頬を舐める。



「……ニンゲン」


「なんだ?」


「悪いんスけど、この話はここまでにして欲しいッス」


「……何故だ?」


「ジブンとマナの出会いを知りたいなら、プリメロみたいなもんと思ってもらって構わねえッス。普通の女の子のところに不思議なマスコットキャラがある日偶然現れて友達になって、変身アイテムを渡して悪者退治を手伝ってもらう。まんまそんな感じッス」


「…………」


「なにか後ろめたいことがあるってわけじゃないッス。ただこれ以上は……、なんていうかプライベートな事情というか……、マナも気乗りしないみたいだし今日のところはカンベンして欲しいッス」

「メロちゃん、私なら――」

「――マナ。無理して言うことじゃないッス。コイツがマナにとってどういう存在なのかジブンにはわかんねぇーッスけど、言うならちゃんと言いたくなった時の方がいいッスよ」


「ふむ……」



 何やら気を遣い合う様子の彼女らを尻目に考える。



 一応、この件に関しては訊きたいことはひとまず訊けた、といったところだろうか。


 この先は訊いてもいいし、訊かなくてもいい。少なくとも今のところは。



 ただ、偽猫の分際で『プライベートな事情』などと人間くさい発言をしたのが鼻につくので、嫌がらせ目的で事細かに問い質してやりたい気分ではあるが……。



 さて、どうするかと水無瀬に眼を向けると彼女と目が合った。



 彼女はにへらと笑った。



(……気に食わないな)



 いつもと違う笑顔。



 どこか誤魔化すような愛想笑いに近い、傷ついたことを隠すための造られた笑顔。



 知らない彼女の笑顔。



 その顔が非常に癇に障り、俺は気分を害したので、彼女と言葉を交わす時間を可能な限り短くしようと決めた。



「いいだろう。今日のところはその話についてはこれ以上の追及はやめてやる」



 俺の言葉に対して水無瀬と猫の反応は対照的だった。



 水無瀬は顔を曇らせ、猫は表情を明るくする。



「なんだ、ニンゲン。オマエもいいとこあるじゃないッスか。見直したッスよ!」


「……弥堂くん……あの、ゴメンね……?」



 おずおずと目を向ける水無瀬へ俺は言葉を返さず肩を竦めるに留めた。


 言葉数を減らすと決めたからだ。



「では、3つ目の質問に移ろうか」



 追及をしないと決めた以上、場を停滞させる理由がないので話を進める。



 しかし――



「おい、ニンゲン。順番を守るッスよ。今オマエが訊いたんだから今度はウチらの番っス」



 そんな約束をした覚えはないんだがな。



「チッ、めんどくせえな。さっさとしろ」


「うわっ、態度ワルっ! ニンゲン、オマエ絶対友達いねーだろ?」


「少なくとも猫の友達はいないな」


「なんてクチの減らねえ男ッスか!」


「うるさい黙れ。さっさと進めないと水をかけるぞ」


「み、水はカンベンしてほしいッス……」



 ビクビクと怯えだした猫はようやく本題に戻る。



「んじゃ、訊くッス。ニンゲン。そもそもオマエ、ここにどうやって入ってきたッスか?」


「? 質問の意図がわからんな。普通に徒歩で来たが?」


「歩きで来たかとか、チャリで来たかとかってことを聞いてるんじゃねぇッス。ここには普通の人間は這入ってこれないようになってたはずッス」


「……どういう意味だ」



 視線を細める。



「ゔっ――⁉ だ、だからその目はコエェからやめて欲しいッス……」


「どうでもいい。どういう意味かと訊いた。さっさと答えろ」


「な、なんでジブンが詰められてんスか……? 質問したのはこっちなのに……」



 猫がブツブツと愚痴を溢し、代わりに水無瀬が話を引き取った。



「あのね、弥堂くん。ここには結界を張ってたの」


「……結界?」


「うん。“ゴミクズー”さんと戦う時にね、間違って普通の人が近づいてきちゃったら危ないじゃない? だからそうならないように魔法で結界を作ってその中で戦うの」


「……つまり、先程は俺もその結界の中に居たということか?」


「えと、うん。そうなの。だからメロちゃんがおかしいなーって言ってたの」



 結界。



 日常生活では聞き覚えのない言葉のはずだが、廻夜部長から資料として渡される数々の作品のおかげで覚えがあるというか、自然にスッとイメージが出来てしまう。


 しかし、それらはあくまで創作物だ。


 こいつらの言う結界とは齟齬があるかもしれないし、きちんと聞いておかねばならないだろう。



「その結界とやらはどういったものなんだ?」


「えっとね……こう、魔力をパァーって拡げて……、それから空間というか世界をギュッとして、えいってするの!」


「……おい、猫。通訳しろ」



 なに言ってんだこいつ。



「あーー、マナは天才タイプッスからね。凡人にはちょっと難しかったッスかねぇー?」


「黙れ。さっさと答えろ。お前の家の玄関に唐辛子を撒くぞ」


「や、やめてくれッス。そんなことされたらジブンお家に帰れなくなって野良になっちまうッス。なんて恐ろしいことを考えるヤツなんスか……」



 プルプルと震えながら猫は詳細を語りだす。



「まぁ、ジブンも結界を張れるわけじゃないッスから簡単に説明するッス。結界の効果は大きく2つッス。一つは周囲の認識を阻害すること。もう一つは空間の隔離ッス」



(空間の……隔離だと――?)



 チラリと横目で水無瀬を見遣る。



 彼女は初めて習うことを教わる授業を聞くように「ふむふむ」と頷きながら猫の話を聞いていた。



 お前の魔法じゃねえのかよ。



「まず、認識阻害。これはなんとなくわかると思うッスけど。結界を張った場所に他のヤツが近づかないようにするものッス。広範囲に撒く催眠とかテレパスみたいな感じっつーか、結界の近くを無意識に避けたくなったり、興味を持たないように働きかける効果ッスね」


「……もう一つは?」


「な、なんッスか。コエェ顏しないでほしいッス。さっきバカにしたことは謝るッスから――」


「――そんなことはどうでもいい。さっさと進めろ」


「え、えとそれじゃ2つ目っスけど。空間の隔離。これはちょっとジブンには使えねえからよくわかんねえんスけど。例えばこの広場に結界を張るとするッス。そしたらここを丸ごとコピーした空間を作って現実の空間から切り離すんッス」


「空間をコピー?」


「そッス。そんで隔離されたその別空間で起きたことはコピー元の現実には影響しないって寸法ッス。だから結界内で激しい戦闘があったとしても現実には被害がでないってことになるッスね」


「……それはさっきの戦闘で出来た壁や地面の破壊跡が消えたことか?」


「そッスね。なかなか呑み込みが早いじゃないッスか…………つーか、オマエ色々呑み込みがよすぎないッスか? ジブンで言うのもなんスけど猫が喋ってるんスよ? 他にもネズミのバケモンとか魔法少女とか、少しは驚いたり信じらんねーってならないんスか?」


「俺が信じようが信じまいが目の前で起こっている現象は変わらんだろう。だったらとっととそういうものだと割り切って先に進めた方が効率がいい」


「……マナぁ。コイツ絶対頭おかしいッスよ」


「メロちゃん。そんなこと言っちゃダメだよ」



 一人と一匹が雑談をしている間に今得た情報を整理する。



 認識阻害。これは別にいい。


 やろうと思えばクスリ漬けにすれば大体同じことは出来る。



 だが、空間の隔離だと?



 なんだそれは。



 現実をコピーして別の空間を創り出し、そこに自分や他者を引きずり込む。



 それはまるで『世界』の創造。



 或いは世界を渡ること。



 魔法少女というものがどれほどの存在なのかはわからないが、果たしてそんなことが人間に可能なのか?



 だとしたら、水無瀬 愛苗、こいつは――




「――弥堂くん?」



 深く考え込み過ぎていたのかもしれない。


 窺うような声音で水無瀬から声をかけられた。



「……失礼。なんでもない」


「ううん。私もゴメンね? また二人でお喋りしちゃって」

「寂しかったのか? 泣くなよ、ニンゲン」


「お前ら俺をナメているだろう」



 俺の精神年齢までお前らと同じだと思うなよ。



「話の途中だったッスけど。さっき言ったとおり結界でここには這入れなかったはずなんッス。ちゃんと結界は張ってたんスよね、マナ?」


「うん。ちゃんとBlue Wishにお願いしたよ」


「……そのBlue Wishというのは?」



 ここまでの話で大体予想はつくが、念のため水無瀬に確認する。



「あ、うん。これだよ!」



 そう言って水無瀬は胸元からペンダントを取り出しこちらへ見せてくる。


 金色の花を模った枠の中に青い宝石のような石。



 俺はその石を視る。



 石の内部には液体が満ちているように視えて、その液体の中に種のような、卵のような形のものが漂っている。



「この子にお願いするとね、魔法少女に変身したり結界張ってくれたり、あと魔法使うのを手伝ってくれたりするの!」



 それはかなり秘匿しておかなければならない情報なんじゃないのか。


 だが、それより――



「この子、ね……」


「えっ?」


「いや、なんでもない」



 今はそのことはいいか。



「要は変身アイテムってことでいいのか?」


「うん、そうだよっ」


「それがあるおかげで魔法少女に変身することが出来るし、魔法も使える、と?」


「うん。だからとっても大切なのっ」



 つまり、それがないと――



……こいつ大丈夫か?



 質問をしたのは俺だが、それを聞かれるがままにこんな場所で大声でベラベラと喋って。



 万が一、例の悪の幹部とやらに知られたら大変なことになるとは考えないのか?



 まぁ、それは俺にはどうでもいいか。



「そんなわけでニンゲン。オマエはここに近寄れないはずだし、なんかの間違いで近づいてしまっても弾かれて結界の中には入れないはずだったんス。だからおかしいんッス」


「弾かれる……ね。ふむ、そういえば――」


「ん?」


「そこの角を曲がってこの広場に入る時、なにか静電気のようなものが走った気がしたな。あれが結界か?」


「はぁっ⁉」

「えっ――⁉ だっ、だだだだだいじょうぶだったの弥堂くん⁉」



 ポンコツコンビは突然血相を変えた。



「なんだ急に。大丈夫もなにも、あの程度のことで侵入者を止められるわけがないだろう」


「あの程度って……」



 神妙そうに顔を合わせる一人と一匹に俺は眉を顰める。



「あのね? 弥堂くん。結界に触るとホントはもっとバリバリってなるはずなの」


「なんだと?」


「んとね。私、前にね、魔法の練習しようと思って山の中に入ったことがあったんだけど……」



 お前は格闘家か。



「練習が終わって帰る時にね、気が付いたら野良犬さんがいっぱい周りを囲んでて……」


「…………」


「それで、お腹すいてたのかな? すごい興奮してて。私おいしくないよって言ったんだけど、わかってもらえなくて……」


「…………」



 それでわかってもらえたら、魔法少女に遭遇するよりも衝撃的な話だな。



「みんなでワーッて飛び掛かってきたから、私恐くてつい結界張って隠れちゃったの」


「……それで?」


「うん。野良犬さんたち結界にぶつかっちゃったんだけど、その時すっごいバリバリバリってなって。みんなキャンキャン鳴いて逃げちゃったの」


「それはかわいそうだな」


「うん……悪いことしちゃったなって思ってて。私謝りに行こうかなって思うんだけど食べられちゃうかもしれないし……」


「……保健所に連絡しとけ」



 野犬の群れに謝罪しに行く馬鹿がどこにいる。ここか。



 それにしても、別空間を創ってそっちに逃げているのに、コピー元の現実の世界の結界で指定した範囲にも入れなくなるのか? なんのために?


 俺にはまるで意味が解らない。



「話を戻すッスけど、つーわけでニンゲン、オマエおかしいッス。なにかやったんじゃないッスか?」


「そう言われてもな。特には何もしていないぞ」



 猫風情が懐疑的な目でジロジロと見てくるが、これに関しては本当に何かをした覚えがないので、俺としても他に答えようがない。



「私としては弥堂くんがケガしなかったんならそれでよかったんだけど……ゴメンね、弥堂くん」


「謝るくらいなら危険物を街中に設置するな。ところで、例え害獣相手だったとしても罠を設置するには特別な許可が必要なのを知っているか?」


「えっ⁉ そうなの⁉」


「あぁ。つまりお前は罪を犯した可能性がある。この犯罪者め」


「犯罪者っ⁉ どっ、どどどどどどうしようメロちゃ――」


「――あっ! わかったッス!」



 何を思いついたのか知らんが、突然猫が大きな声をあげる。



「ハハァーン。ピンっときちゃったッスよぉー。見てくれッス、このシッポの立ち具合」


「わ。すごい。ピンってなってる!」


「……おい、言いたいことがあるならさっさと言え」



 緊張感というものを一切持ち合わせないポンコツコンビに俺は半眼になるが、ヤツは何故かしたり顏だ。


 冴えた推理を閃いた探偵のように下顎に肉球をあててほくそ笑む。



「それッス。そういうとこッスよ、ニンゲン」


「……どれだ?」


「ニンゲン。オマエ空気読めないってよく言われないッスか? そのへんどうなんスか、マナ?」


「えっ⁉ それは……えっと…………その……」



 水無瀬は気まずげに目をキョロキョロとさせて口ごもった。


 ナメてんのか。



「ふふん。皆まで言うなッス。どういうことかというとッスね。結界で『こっち来ちゃダメだよー』って空気を出してんのに、オマエ空気読めないからそれに気付かなかったんス!」


「ハッ――そ、そうだったんだ……」


「おまけに! ニンゲン、オマエ顔面の筋肉超硬そうっスね? クッソ無表情だし。つまり常軌を逸した顔面のマッスルパワーで結界をぶち破ってきたってことッス!」


「な、なるほど……さすがメロちゃん……」



 やはり馬鹿に発言の機会など与えるべきではないなと考えつつ、何故か感心したように納得の姿勢を見せる水無瀬へとりあえずジロリとした眼をくれてやった。


 水無瀬はサッと目を逸らし「ごめんなさい……」と口にした。



 こいつらわざとやってんじゃねーだろうな。



「……仮に、百歩譲ってお前の言うとおりだったとして。その程度のことで破られるような結界とやらは役に立っているのか? やっぱりこいつはボンクラなんじゃないのか?」


「はぅあっ⁉」

「なにをーーーッス!」



 俺の言葉に水無瀬は痛いところを突かれたといった顏をし、猫は憤慨した。



「テメー! ニンゲンこのやろう! またマナをバカにしたなーっ! ナメんなー! ステラ・フィオーレをナメんなーーっ!」


「ステラ・フィオーレ……?」



 また新規に登場した知らない単語に眉を寄せると、水無瀬がその疑問に答える。



「あのね、魔法少女の時の名前なの! 『魔法少女ステラ・フィオーレ』なんだよ!」


「……そうか」



 ステラ・フィオーレ……stella fiore……? イタリア語か?



「星とお花なの! 世界中をね、お花でいっぱいにしてみんなが笑顔になってくれたらいいなって思ったの!」



 俺は反射的に手が出た。



 パシンっと水無瀬の頭を引っ叩く。



「あいたぁーーーーっ⁉ な、なんでぶつのぉ……?」


「すまない。雰囲気だ。許せ」


「このやろーっ! 雰囲気で暴力奮うんじゃねーッスよ!」



 頭を抑えて目を潤ませる水無瀬にとりあえず謝ってやる。今のは本当に手を出すつもりがなかったからだ。


 いい歳して何抜かしてんだという思いが先に行動に出てしまったのは、俺の過失に他ならない。



 ただ、一生懸命に舌の回転をあげて『魔法少女ステラ・フィオーレ』について語る水無瀬の姿が、好きなアニメ作品などについて語る際の廻夜部長の様子と重なり、何故か無性に腹が立ったのだ。


 しかし、それは決して普段から俺が廻夜部長を引っ叩きたいと考えているという意味ではない。




 それにしても――



 ボンクラどもを眼に映す。



 こいつら登場したと思ったら一気に情報をぶちまけたな。



 もしもこれがアニメシリーズの第一話だったとしたら、あと数話しかもたないだろう。


 とても1クールはやれない。



 もちろん現実とアニメは違うのだが。



 しかしそれでも、まぁ、現実で戦う彼女らもこの調子ではそう長く生き残ることは出来ないだろう。


 数日後にこのへんの路地裏でこいつらの死体を見かけたとしても何も不思議ではないので、俺は一切驚かない。



 どうせすぐに死ぬだろうから、あまりこいつらに神経質になる必要などないのではないのかと、馬鹿々々しくなってくる。



「おいニンゲン! 今度はオマエの番だぞ!」


「……あ?」


「今ジブンらが質問したッスから、次はニンゲンの番っス!」



 勝手にルール化すんじゃねーよ。



 3つ目の質問か、と思考を切り替えようとするとその前に水無瀬が口を開いた。



「メロちゃん。あのね?」


「ん? なんッスか、マナ? 今日の晩飯はサーモンッスよ?」


「え? ほんとに? 私お魚大好きっ」


「……お前らはボケ老人なのか? 三回目だぞ」



 当然の指摘をしてやったはずなのだが、ヤツらは揃って俺の方へ不思議そうな瞳を向け、ぱちぱちと瞬きをした。



……ダメだ。俺の方が頭がおかしくなりそうだ。



「……なんでもない。猫に話があるんじゃないのか?」


「あっ、そうだ! あのね、メロちゃん? 弥堂くんのことをニンゲンなんて言っちゃダメだよ?」


「ん? ニンゲンはニンゲンじゃないッスか? なにかヘンッスか?」


「メロちゃんだって『ネコ』って呼ばれたくないでしょ? ちゃんと弥堂くんって呼んであげようよ」



 またどうでもいいことを……。



「――でも、マナ。そうは言うッスがね。こんなしょうもないヤツはニンゲンで十分ッスよ」


「なんでそんなこと言うの? 弥堂くんがかわいそうだよっ。ちゃんとお名前で呼び合ってお友達になろ?」


「猫ごときと友達になるほど落ちぶれたつもりはない」


「ほらっ! ほらっ! 聞いたッスか、マナ? こいつも猫って言ったッスよ!」


「び、弥堂くんもメロちゃんと仲良くしてあげて?」


「ジブンはイヤッスね! こんな人間味のないヤツは! ロボット掃除機とかの方がまだ人間味が感じられるッス! あいつらとはわかりあえるかもしれないけど、コイツとは無理っスね! ワンチャンこいつ人間じゃないんじゃないかとすら思えるッス!」


「人間でないものをニンゲンと呼ぶのはおかしくないのか?」


「はぁー? …………あっ! ホントだ! 確かにそうッスね! わかったッス、ニンゲンと呼ぶのはやめてやるッス!」


「わぁ。ありがとーメロちゃん!」



 酷い茶番だと頭痛を感じる。



「えへへ、お話の邪魔してゴメンね? じゃあ、弥堂くんどうぞ?」


「…………あぁ」



 手を差し出して順番を譲ってくる水無瀬にまた反射的に手が出そうになるが、今回はどうにか抑えることに成功した。



「オマエの質問は3つだろ? 次で3つ目っスね。そしたらまたウチらの番っスよ」


「そういえば、そうだったな」



 うるせーんだよ。さすがにもう帰るわ。





 とはいえ。



 3つ目か。



 実は俺の3つ目に訊きたかったことはもう訊けてしまっていた。



『地面や壁の破壊跡が跡形もなく消えたのはどういうことだ』



 それが3つ目にするつもりだった質問だ。



 だからもうこれで話を打ち切ってしまってもいいのだが――



「――そうだな。それではもっと実際的で直接的な話をしようか」



 ここまでの話を一旦整理する。



 この世界には“ゴミクズー”という化け物が存在をしており、それが人間を襲っている。そしてそれを倒す者として“魔法少女”というものが存在する。



 では、これが現実的な問題として社会にとって脅威なのかというと、然程大きなことではないと俺は考える。



 何故かというと、これまでに“ゴミクズー”が絡んでいると思われるような事件などは、少なくとも俺の知っている範囲では見たことも聞いたこともないからだ。



 今日視たあのネズミの化け物。



 もしも普通の人間がアレに襲われたのなら、間違いなく殺されるだろう。そしてその死体は食い荒らされるはずだ。


 ただでさえ死体が珍しいこの国で、そんな損傷の仕方をした死体が発見されれば必ず大きな騒ぎになるはずである。



 一応この後調べてみるが、少なくとも記憶の限りではそんな事件がニュースになっているのを見た記録はない。



 それはつまり、情報統制でもして表沙汰になっていないか、そもそも事件が起こっていないかのどちらかになる。



 “ゴミクズー”とやらがいつから存在しているのかは知らんが、水無瀬は『小学生の時』と先程漏らした。



 それならここ数年に限定して考えてみる。



 もしも被害を秘匿している場合。



 その場合、変死体は見つからないかもしれないが、代わりに行方不明者が増えるはずだ。


 しかし、そういった話も特に聞かない。



 であるならば、そもそも事件が起こっていない可能性が高い。



 事件が起こっていないとは、そのままの意味で何も起こっていないということではなく、事件を事件だと、問題を問題だと気付かれていないという意味だ。



 どういうことかいうと、“魔法少女”の手によって全てが未然に防がれているという意味だ。



 しかし、それはないだろう。



 今日まで視てきた、そして今日知った水無瀬 愛苗を考えれば、こいつらにそんなことが出来るはずがない。


 こいつらの魔法少女としての腕前や“ゴミクズー”との戦力差については俺は寡聞にして知らないが、だがこいつらはポンコツだ。


 優秀であるはずがない。



 それらを加味して導き出される妥当な結論としては、『事件は起こっているが、そもそも発生件数が極端に少ない』、俺は現時点で本件をそのように評価した。



 あの“ゴミクズー”がこの街だけにいるとは考えづらい。仮に水無瀬が頗る優秀だったとしても日本中、或いは世界中をカバー出来るはずがない。


 そうすると見えてくるもう一つの考慮しなければならない可能性があるのだが、それは今はいいだろう。



 もしも“ゴミクズー”が人類にとって真に驚異的な存在であるのならば、とっくに騒ぎになっていなければおかしいのだ。


 暴漢や通り魔の方がよほど現実的で身近な脅威だろう。



 特定の個人が“ゴミクズー”に襲われる確率など交通事故に遭うくらいの確率だろうととりあえず考えておく。



 俺個人には遠い問題であり、クラスメイトである少女が魔法少女として戦っていたとしても、それは俺には実際のところ関係のない問題だと思える。



 水無瀬が化け物との戦いで生命を落とすことになっても、或いは誰だか知らない一般人が襲われて死ぬことになったとしても、それらは全て俺にとってはどうでもいいことだ。



 逆に。



 俺に、弥堂 優輝という存在にとって直接問題になるのは、“ゴミクズー”ではなく、むしろ“魔法少女”の方だ。




 それをこれから確かめる。




「水無瀬」


「うん、なぁに? 弥堂くん」


「お前らの目的はなんだ?」


「……? えと、街の平和を守ることだよ?」


「それは人間の社会に迷惑をかける“ゴミクズー”を駆除するという意味か?」


「え? うん……、駆除じゃなくて浄化だけど……。でも、そうだよ」


「そうか。では、人間の社会に迷惑をかける人間は駆除しないのか?」


「えっ……?」



 何を聞かれているかわからない。そんな顔をする水無瀬をよく視て、さらに訊いていく。



「なにかおかしなことを訊いたか? 社会に迷惑をかける人間などいくらでもいるだろう? そいつらは放っておいていいのか? と訊いたんだ」


「そ、それは……」


「ここに来るまでも見かけなかったか? ガラの悪いヤツらを。あいつらはこのあたりをナワバリにして、徒党を組んで一般人を囲み恐喝をし暴力を奮い金を奪って女を攫っているような連中だ。こいつらもゴミクズだろう?」


「で、でも、それはお巡りさんたちのお仕事だし、私が勝手に何かしちゃうのは……」


「そうだな。それは正しい判断だ。俺もそうするべきだと思うぞ。では、お前はこれまでに人間に向けて魔法を撃ったことはあるか?」


「な、ないよ! そんなのあるわけ、ない、です……」


「そうか。それは――」



 ドッドッドッ――と耳の奥で鳴る心臓の音を眼球の中へ押し込むつもりで眼を強め、彼女と目を合わせる。


 目の前に立つ少女の裡に居るはずの水無瀬 愛苗をその眼窩から覗き視る。



「――それは立派だな」



 それは同時に水無瀬からも同様に俺を覗き見ることが出来ることになる。


 彼女は俺を見て息を呑んだ。



「それはこれからも変わらないか?」


「……もちろん、だよ……? 魔法は人を守るために……」


「そうか」


「ニンゲン……オマエ急になにを――」



 猫の言葉には答えずただ一瞥をくれてやる。



 猫は全身の毛を逆立て水無瀬の足元でその身を縮めた。



「では、水無瀬。例えば。これはあくまで例えば、の話だが――」


「あ……、え……?」


「――今からお前たちが家に帰ろうとしたとする。ここからは道が4つあるが、それは別にどれでもいい。そうだな、では、その道にしようか」



 この広場から広がる4つの路地の内の一つを指で指し示すが、彼女たちはそれを見ようともしない。


 驚き怯み竦んだように俺から視線を離せないまま立ち尽くしていた。


 彼女の瞳に写った俺はいつも通りの俺と変わらずに俺には視える。



「お前たちがそこの路地に入ると人間がゴミクズーに襲われていた。その場合お前は、どうする?」


「それは、もちろん……助けるよっ。助けます……っ!」


「そうか。じゃあ、人間に襲われていたら?」


「えっ?」


「お前たちがそこの路地に入ると人間が人間に襲われていた。さぁ――」



 水無瀬へ向ける視線を強める。



「――どうする?」



 彼女は酷く戸惑っている様子だ。



「どうした? 答えないのか?」



 彼女は答えない。


 実際の状況を想像しているのか、この場の雰囲気にか、それとも俺にか、それはわからないが恐れ慄いている。



「警察に通報するか? それもいいだろう。正しい選択だ。だが、それでは間に合わない場合はどうする? 今、まさに、人間が殺されようとしていたら?」



 水無瀬は答えない。



「お前の手の中にはそれをどうにかする力が――魔法がある。さぁ、どうする?」



 答えない。答えられない。



 それは問いに対する答えが解らなくて答えられないのか、単純に答えたくなくて答えないのか、或いは恐怖に身を竦んで言われたことの意味すら考えられていないのか。


 それも俺にはわからないし、そしてどうでもいい。



 彼女がどう思い、どう考え、どう行動するのかを知りたくて訊いているわけではないからだ。


 彼女が何を思い、何を考え、何をするかなどに興味はなく、至極どうでもいい。



 ただ、ストレスを与え、追い詰め、傷つけて、その存在が揺らがないかを確かめるためにこうしている。



 ハッハッ――と浅く、彼女の唇の隙間から息が漏れる音がする。



 だから、俺は構わずに続ける。



「想像しづらいか? じゃあケースを変えよう。今、お前の目の前で俺が暴漢に襲われているとする」

「その場合、お前はどうする?」

「どうした? 俺を助けてくれないのか?」

「魔法を撃つだけだぞ?」

「俺を見殺しにするのか?」

「暴漢を殺すか、俺を殺すか」

「お前は選べる側だ」

「さぁ、どうするんだ?」



 彼女が息を呑み込む音にヒュッとした音が混ざり始めた。


 だから、俺は構わずに続ける。



「もっと実感が湧きやすいように訊いてやろうか」

「今、お前の目の前で、希咲 七海が殺されそうになっていたとする」


「――なな、み、ちゃ……」



 水無瀬の目がより大きく見開かれた。



「希咲を殺そうとしているのは、俺だ」


「え――?」



 左手の中指と人差し指を伸ばして揃えて他の指は握る。


 その手を水無瀬の目線の高さまで上げて彼女によく見せてやる。



「この手はナイフだ。お前の友達を殺すナイフだ」



 右腕を動かす。


 ここに来る前に学園の正門前で腕の中に抱いた希咲の身体がスッポリ納まるスペースを俺の身体との間に空けて、架空の希咲 七海を右腕で抱く。



「この腕の中には彼女が居る」



 水無瀬によく見えるように、ゆっくりと左手のナイフを右腕で抱く希咲の首筋まで持っていく。



 水無瀬の口からは声にもならないような意味を持たない音だけが漏れている。


 しかし、彼女の目玉は俺の手のナイフを追って動いた。



「今、希咲の首筋に刃を当てている」

「これを彼女の皮膚に少しだけ押し付けて引くと彼女の首が切れる」

「彼女の細い首の、薄い皮膚が破れて、肉が裂け、その肉の割れ目からは血管が覗く。重要な血管が破かれてしまったら、そこからは大量の血液が漏れ出る」

「首の血管――頸動脈だ。わかるか? 脳に血や酸素を送っている重要な血管らしい。それを切ると人間は血がいっぱい出て死んでしまうんだ」

「5分ほどで死に至るらしい。救助が間に合ったとしても後遺症が残ることもあるらしいぞ」


「あ……、や……、ななみちゃ…………」


「そうだ。七海ちゃんだ。もちろん七海ちゃんも首を切られたら血がいっぱい出て死んでしまう」


「やだ……、そんなの……」


「そうか。そうだろうな。だが、ダメだ」


「え……?」


「俺は今から七海ちゃんを殺す。お前の目の前で。お前の大事な友達の七海ちゃんを。殺してやる」

「10カウントだ」

「10カウント後に希咲の首に当てたナイフを引く」

「そうしたらどうなる? もう説明したな?」

「七海ちゃんは死ぬ」

「七海ちゃんの身体から血がいっぱい溢れ出して、俺の足元からお前の立っている場所まで、一面の血の池が出来るだろう」

「その池が出来る頃には彼女はもう彼女ではなくなっている」

「ただの死骸だ」



 水無瀬はギュッと胸を抑える。


 痛みで堪らずといったように、左胸を抑えた。



「ま、まって。びとうくん……」


「待たない。だが、オマエも好きにすればいいだろう?」


「えっ……?」


「俺を止めたいのなら、言葉よりももっと確実な手段が、お前にはあるだろう?」


「あっ……、でも……っ!」


「どうするかはお前が決めろ」

「お前は俺を止めることも出来るし、何もしないことも出来る」

「俺を殺すことも出来るし、希咲を見殺しにすることも出来る」

「お前は誰でも殺すことが出来るし誰も殺さないことも出来る」

「好きにすればいいし好きにすることがお前には許されている」

「『世界』がお前に許している」

「さぁ」

「いくぞ」



 尚も何かを言いかける水無瀬を無視してカウントを開始する。



「10――」

 心が、気持ちが、大きく揺らぐ。

「…………9――」

 水無瀬の手は抑えていた胸から離れ、

「………………8――」

 その胸の前に垂らされたペンダントへ伸び、

「……………………7――」

 青い宝石のような石に触れる。

「…………………………6――」

 やがてその石を握り、

「………………………………5――」

 その手には力がこめられ、

「……………………………………4――」

 両の目をギュッと強く閉じた。

「…………………………………………3――」

 彼女は顔を上げ、

「………………………………………………2――」

 そして開いたその瞳を俺へ――




















「――シ、シードリング ザ スター………………れっ…………と……? はれっ……?」




 何かを叫ぼうとしていた水無瀬の声は萎んでいって尻切れする。



 何が何だか、訳がわからないと、茫然とした目を俺へ向けている。



 俺はというと、カウントは2で止めており、そのまま黙って彼女を視ている。



 丸い彼女の目に写った自分を見ながら、両腕を拡げて何も持っていないということを水無瀬へ強調してやった。



「冗談だ」


「え……?」


「冗談だと言ったんだ」


「じょーだん……」



 無意識に力が抜けたのか、彼女の手から零れ落ちたペンダントトップが胸の前で揺れる。



 彼女のその存在は揺らがず、そして彼女の瞳に写る俺の顏も変わり映えなく。



 それらを眼にし、視ながら、放心したように立ち尽くす彼女へ向けていた圧を完全に解いた。



「じょ、じょうだん、って…………全然笑えねぇッスよ……」


「そうか。それは悪かったな。許せ」



 毛をまだ逆立てたまま、結局一連の中で一切動こうともしなかった猫がようやく口に出した言葉に、俺は心にもない謝罪を返した。



「訊きたいことはもう訊けた。じゃあな」



 俺は踵を返す。



「あ、うん……。ばいばい、気を付けてね……」



 未だ茫然としたまま譫言のように挨拶をする水無瀬の声を背に俺は歩きだす。



 確認したいことも確認は出来た。


 ここにも、こいつらにも、もう用はない。


 4つある路地の中から適当なものを選んでそちらへ進む。



 この路地に入って来た時には、とうとう俺も運が尽きたかと思い、それなら死んでも仕方がないかと考えた。


 しかし、この場に潜んでいた最も脅威となりうる存在が常軌を逸したポンコツだったため、結局は何事もなく、事無きを得た。



 それはつまり運がよかったということになり、それならば俺には生き残る資格があったということになる。



 そして、それは言い換えれば――




「待たんかいこのボケェェェェェェーーッス!」




 足を止める。



「なんだ?」



 畜生風情の分際で人間様の行動を妨げてきた身の程知らずへ向きなおる。



「なんだ? じゃねーーッスよ! クサレニンゲンがっ! なに帰ろうとしてんスか⁉」


「ここにはもう用はないからだが?」


「オマエになくてもこっちにはあるんスよ! このやろー、突然あたおかムーブ始めたと思ったら、やりたい放題やって帰るだと⁉ アレか⁉ 飽きたのか⁉ 飽きちゃったのかーッス!」


「飽きたというか…………まぁ、そうだな。お前らはもう用済みだ」


「なんてことを言うんスか! オマエには人の心はないんスか!」


「お前にもないだろうが」


「うるさーーーいっ! ヘリクツこねるなーーッス! どんだけジコチューなんッスか! 自分ばっか色々聞いてきてその態度は人としてないッスよ!」



 何故猫のフリをした変な生き物に人の道を問われねばならんのか。



「チッ、うるせえな。色々聞いた結果、特にお前らに興味はなくなった。だからもう帰る。それだけのことだろうが」


「な、なんてワガママなヤツなんッスか……。オマエ、大丈夫っスか? ちゃんと学園生活送れてるんっすか……?」



 怒り心頭といった風に憤りをぶつけてきていた猫が突然同情するように、心配をするように、こちらの顔色を窺いながらそんなことを聞いてくる。



 畜生ごときに学園生活を心配され、俺は強い屈辱を感じた。



「メロちゃんメロちゃん」



 俺が頭の中で、小動物を20秒以内に殺害する方法をいくつか思い浮かべようとしていると、遅れて再起動した水無瀬が自身のペットへ声をかけた。



「ん? どしたんスか、マナ?」


「あのね? メロちゃんまた弥堂くんのことニンゲンって呼んでるよ? ダメだよ、なおさなきゃ」


「え? そこッスか? てか、この流れでジブンが注意を受けるんスか?」



 猫は人前で飼い主から躾をうけ愕然としている。


 俺よりもその『前頭前野お花満開娘』の学園生活を心配してやれ。



「ま、まぁいいッス……、じゃあ少年、帰る前にオマエに言っとくことがあるッス」


「待て」



 思わず相手の言葉を止める。



「……その少年というのはまさか俺のことか?」


「え? そッスけど?」



 衝撃を受ける。



 まさかこの四つ足の毛だるま、俺よりも精神が成熟しているつもりなのか……?



 これは驚いた。



 もしかしたら屈辱ランキングの上位に食い込むかもしれない。



「あ、メロちゃん。私から言うね?」


「ん? そッスか? がんばってお話するんスよ」


「うん。ありがとう」



 俺がランキング更新の妥当性について考えている間に話は進んでいく。



「あのね、弥堂くん。実はお願いがあるの」


「…………」


「弥堂くん?」


「……問題ない。続けろ」


「うん、えっとね、今日のことなんだけど……出来たら内緒にして欲しいの……」


「…………お前もか」


「えっ?」


「なんでもない。続けろ」


「うん、ありがとう」



 否が応にも昨日の希咲との出来事が想起されひどく億劫になる。



「あのね? 私、魔法少女じゃない?」


「……俺に聞かれてもな」


「だからね、内緒にしなきゃいけないの」


「何故だ?」


「えっ? 魔法少女だからだよ?」


「なんで魔法少女だと魔法少女であることを秘密にしなければならないんだ?」


「えっ? ……そういえば…………なんでなのかな?」


「…………俺に聞かれてもな」



 自分で必要性を訴えて嘆願してきた癖に、首を傾げてその根拠を考えるバカに俺は半眼を向ける。



 ここに来てから考えるのは何度目かわからんが、こいつ本当に大丈夫か?


 街の平和を守るといった風なことを言っていたが、自分で自分が何をしているのか正確に理解していないのでないか?


 まぁ、理解していないのだろうな。



「ねぇねぇ、メロちゃん。なんで内緒にしなきゃいけないのかな?」


「えっ? だって、魔法少女だからじゃないッスか?」


「あ、そっか。やっぱりそうだよね」


「……お前ら馬鹿だろ」



 あまりにゆるすぎる会話に思わず余計な口を挟んでしまった。



「誰がバカっスか! 失礼なヤツッスね。女の子がお願いしてるんだから男は黙って言うことを聞いていればいいんッスよ!」


「女の子とはいい身分だな」


「そうッス、いい身分なんッス。特にJKはこの世のヒエラルキーの頂点に位置するッス。それに比べてお前ら男はゴミッス。例外はイケメンや金持ちッス。それなら話は別ッス」


「随分と俗世的な妖精もいたものだな」


「確かにジブンはネコ妖精ッスが、その前に一人の女子ッス。そして一匹のメスッス。本能が求めてるんス。有名インフルエンサーとベンチャー社長を」


「……そうか」


「オマエ、顔はまぁまぁ悪くないッスが、それを台無しにしてなお追加請求されるくらい頭のおかしさと陰気さが滲みだして人相悪すぎッス。おまけに身分もただの男子高校生とかいう経済力もない底辺ッス。つまりゴミッス」


「それは悪かったな」


「しかし、ジブンも鬼じゃないッス。そんなオマエらモブ男にも評価している部分があるッス。それが何か聞きたいスか?」


「結構だ」


「ハァーーーーっ! 仕方ないッスねぇ! そこまで言われたら教えてやるッスよ!」


「いらねえっつってんだろ」


「それはズバリ――竿ッス! オマエらの下腹部に生えたソレだけはジブン高く評価してるッス。竿はいい……なにせ女の子をより可愛く、よりエロく飾り立ててくれるッス」



 なに言ってんだこいつ。



「猫に小判。美少女に竿ッス。これが鉄板ッス。マストアイテムッス」


「それじゃ持ってても意味がないってことにならんのか?」


「カァーーーーっ! うるせーッス! ダメな? オマエほんとダメなッス! 脳で考えるなッス。子宮で考えろッス」


「持ってないんだが?」


「確かにそうかもしれねえッス。でも、オマエには竿があるだろ?ッス。言い訳ばっかり並べ立ててる暇があるなら、竿を並べ立てろッス! ちょっと微妙なレベルの女でも顏の横に竿を並べておいたら『あれ? この女ちょっとよくね?』って気分になるだろッス! そういうことッス。わかるッスね?」


「いや?」


「ということで、オマエはもっと自分の竿に自信を持つといいッスよ! でも調子にのっちゃダメッス。あくまでも竿役のモブとしてなら見所もあるって話ッス。AVでいうなら汁男優ッスね! ネームド男優になるならまずは有名インフルエンサーかベンチャー社長になることッス。話はそれからッス」



 こいつの言っていることが全く理解できないが、ネコ妖精とやらの間では有名インフルエンサーやベンチャー社長よりもポルノ男優の方が格上なのだろうか。


 特に答えを必要としない疑問だし、どうせ人外の考えることなど聞いても共感できようはずがないので捨て置く。



「ということで少年! 自分が汁男優であることをしっかりと自覚して出直してくるといいッス!」


「……よくわからんが、帰っていいってことだな?」


「うむッス! ジブンの伝えたいことは以上っス」


「そうか、じゃあな」


「あっ、で、でもぉ~――」



 踵を返そうとすると、ヤツは突然声音を変えて猫撫で声を発する。



「――でもぉ~、もしぃ~、少年が有名インフルかベンチャー社長になったらぁ~……、どうしてもって言うならぁ、ご飯とカラオケくらいならぁ? 一緒に行ってあげてもいいかなぁ~って……?」



 クソ猫は後ろ足だけで立つと、腹の前で前足を絡めてモジモジと身を捩らせる気持ちの悪い動作をした。


 頬の毛皮を紅く染め、声音どころか口調までもガラっと変えてくる。



……どうやって毛皮を紅潮させているんだ? 気持ち悪ぃなこいつ。



「あ、あとぉ~……、もしぃ、少年がタワマンに住んでたらぁ~、すっ、少しだけなら? お家に遊びに行ってあげてもいいかなぁ……とか? で、でもお茶するだけだからねっ! そんなに軽い女じゃないんだから勘違いしないでよねっ! だけどパーティには気軽に呼んでよね! いつでもスケジュール空けるんだからね!」



 魔法少女活動のスケジュールをいかがわしいパーティのために空けるんじゃねえよ。真面目に仕事しろ。



 しかし、妙に鼻につく言動をする。



 何故こんなにもこいつの言葉に腹が立つのかと考えてみると、以前に廻夜部長が仰っていた、『こういう女はクソだ』という話の中に似たような特徴を持つ女がいたなと思い出す。



 その時に彼がこういう奴のことをなんと呼んでいたかと記録を探ってみるとすぐに該当する記憶に行き着く。



 そうだ。


 こいつは――『港区女子』だ。



 非常に尖った思想の持ち主たちのようで、一部には年収1000万円以下の男は人間ではないとまで人目を憚らずに豪語する者もいるほど、極めて狭窄的な差別思想と選民思想に染まっているらしい。


 またこういった輩は多義的に宗派が枝分かれをして多様的に繁殖をして社会に潜り込んでいるらしく、近似的な存在の一つとして『パパ活女子』という者もいるらしい。


 そしていずれにしても彼の者たちが年齢を経て孤独を拗らせると、やがては『婚活BBA』という存在に進化するらしい。



 そういった内容のことを部長が拳を振り上げ唾を飛ばしながら熱く語ってくれたのだが、俺には少々難しい話で、完璧な理解には程遠いのかもしれないが、まぁ、要はモグリの売春婦のことなのだろうと理解をした。


 一点だけ気になったのは、その時の彼の手に握られていたスマホの画面に何故か港区の不動産情報が表示されていたことだが、しかし、まぁ、まさかタワマンの値段を調べていたわけではあるまい。


 恐らく偶然のことだろう。



 しかし、この猫が港区女子であるのなら、何かしらの制裁を加えるべきかもしれない。


 廻夜部長は感情を露わにして港区女子を敵視していた。


 もしかしたらサバイバル部にとって邪魔になる存在なのかもしれない。



 俺がこの黒い毛玉をインステップキックで蹴った場合何mほど飛ばせるだろうかとシミュレートしていると水無瀬が口を開いた。



「メロちゃん、そうじゃないよ。タワマンじゃなくて、魔法のことを内緒にしてねってお話だよ」


「ハッ――そういえばそうだったッス! 騙されるところだったッス!」



 騙すまでもねえよ。


 やはり頭蓋骨が小さい分、脳も小さくなるから知能が低くなるのだろうか。



「そういうことで、弥堂くん。お願いできないかな?」


「……なにか見返りは用意しているのか?」


「あ……えと、ないや…………えへへ、ゴメンね?」


「このやろーーッス! またつまんねーこと言いやがってこのやろーーーッス!」



 猫が大声で鳴いているが、ふと気になったことがあったので無視をする。



「疑問、というほどのことでもないんだが……」


「? なぁに?」


「希咲は知っているのか? このことを」


「あう…………」



 答えは聞くまでもない。



 口ごもり、表情を曇らせ俯いた。



 その姿を見るだけで十分に理解できた。



「…………」



 彼女の顔を見つめる。



 魔法少女のことは知られてはいけないという事情があり、それがなくとも別に逐一あいつに自分のことを報告しなければならない理由などないだろう。


 なのに、水無瀬は本気で罪悪感に苛まれているようだ。



 理解に苦しむ。



 しかし、彼女のこういった性質は利用しやすいのかもしれない。



「交換条件がある」


「え?」



 浮かない表情から一転、ぱちくりと丸い目をまばたきする。



「魔法少女のことを秘密にする代わりに、こちらの条件を呑めるか?」


「あ、うん! いいよ。なんでも言って!」



 条件を聞く前に快諾するんじゃない。


 俺にとっては都合がいいが。



「オマエ! エロいことだろ⁉ エロいことだよなァっッス!」



 何故か猫が目を血走らせ鼻息荒く興奮をしている。



 お前は黙ってろ。



「なに、難しいものではない。条件は一つだ。魔法少女の活動をする中で人間と人間の揉め事には首を突っこむな。それだけだ」


「えと……それって……?」


「理由は簡単だ。我が校の校則では放課後の生徒の戦闘行為は禁じられている」


「むしろそれをオッケーしてる学校なんてねえだろッス」


「いいか、水無瀬。俺は風紀委員として、今後街中で他勢力との戦闘行為をする必要があるかもしれない」


「なに言ってんスかこいつ? 風紀委員ってそういうものじゃないッスよね?」


「猫風情が知った風な口をきくな。お前は黙ってろ。というわけで、お前に街のギャングや不良どもと揉められると俺にとって不都合なことになる。それはわかるな?」


「うん……と、わかるような……? あの、弥堂くんケンカするってこと……? ケンカはしちゃダメなんだよ?」



 うるせえんだよ。化け物ぶっ殺してまわってるヤツに言われたくねえんだよ。



「ケンカではない、任務だ。それに。お前にとっても、もしも俺が“ゴミクズー”との戦闘に首を突っこんできたら都合が悪いだろう?」


「えっ⁉ それはダメだよ! 危ないよ!」


「そうだな。だからお互い目をつぶろう。そういう提案だ。俺は人間だけを相手にするし、お前も化け物だけを相手にしていろ。そういう風に住みわけよう」


「うん……わかった……けど、いいのかなぁ……?」


「だから。もしも人間が人間に襲われていたとしたら、その現場は俺に任せろ。キミが魔法でどうにかする必要はない」


「えっと……あっ! それって――」



 水無瀬と猫は揃って表情を明るくする。



「安心しろ。俺は対人戦闘に関してはプロフェッショナルだ。そしてキミは化け物に関してのプロフェッショナルだろう? もしも逆に俺が化け物を見かけたら、その時はキミに任せることにする。それでお互いに損はないはずだ。違うか?」


「うん、わかったよ! でも、弥堂くん、戦闘って……危ないことは――」


「――安心しろ。あくまで学園の生徒の安全を守る範囲でのことだ。犯罪者の取り締まりは警察の領分だしな」


「それなら……」


「以上のことを約束出来るのならば、俺もキミが魔法少女であるということは墓場までもっていくと約束をしよう」


「墓場っ⁉ えっ⁉ 死んじゃダメだよ!」


「チッ、うるせえな。そこにくいつくんじゃねえよ」


「えっ?」


「いや、なんでもない。わかった。それなら秘密を持っていくのは老人ホームあたりまでにしよう。それでいいな?」



 どうせそんな歳まで生きてないだろうがな。



「うん! わかった! 私、約束する!」


「よし。では契約成立だ」


「ありがとう! じゃあ指切りしよーっ!」


「…………」



 ニッコリと笑って小指をこちらへ伸ばしてくる少女への口汚い罵詈雑言が十数通り脳内に反射的に浮かんだが、俺はギリギリのところで声に出さぬよう堪えることに成功した。


 ここが正念場だと自分に言い聞かせて俺は自身の知能を著しく低下させて彼女の小指に自分の小指を絡める。



「ゆーびきーりげーんまーん――」


「うわっ、なんスかこいつ? 白目剥きながら指切りしてるッス。正直キメーッス」



「――ゆーびきっ、たぁーー!」


「…………では、よろしく頼む……」


「うん! でも……、えへへ……っ」



 指を切った方の手をもう片方の手で抱きながらクスクスと笑う彼女へ、俺は怪訝な眼を向ける。



「なんだ?」


「ううん。弥堂くん、やっぱり優しいなって思って」


「……なんのことだ」


「オイオーイ! なんだよ照れてんのかッス! 少年やっぱツンデレだなこのやろー! 正直嫌いじゃねえッスよ?」


「意味がわからん」


「もう、からかっちゃダメだよメロちゃん。……弥堂くん、ありがとうね」


「別に礼を言われる筋合いはないが、キミの好きに考えればいい」


「うん! ありがとう!」



 これ以上この話を拡げられたくなかったので、俺は曖昧に肩を竦めた。



「カーーーっ! もう、しょうがねえなぁッス! わかったッス! ジブンもメスッス!」


「……?」


「このままじゃ、こっちが一方的に得をしているッスからね。ここはジブンが一肌脱いで少年にもいい思いをさせてやろうじゃないッスか!」


「全裸の獣が何を言っている。お前の毛皮など売れるわけがないだろう。ゴミを押し付けるな」


「慣用句じゃろがいボケェーーーッス! 息をするように悪口を言うなッス! いいから大人しく立ってるといいッス」



 そう言うとその猫のようなものはパタパタと背中の羽を動かして宙に浮かぶと、俺の方へ飛んでくる。


 改めて見ても気持ち悪ぃな。



 そして猫は俺の顏の周りをウロウロとしてから、やがて俺の首筋に身を擦り付けつつ俺の頬に顔面をグイグイ押し付けてきた。



「おい、やめろ。何の真似だ」


「大人しくしてろッス。あ、でも、ジブンが触ってやってるのはサービス内ッスけど、少年の方から触るのはNGッスよ?」


「意味のわからんことを言うな。俺が猫アレルギーだったらどうするつもりだ。第一、貴様ノミ取りの薬はちゃんと使っているのか? 場合によっては慰謝料を請求するぞ」


「なんて失礼なヤツなんスか! ネコ妖精にノミはいないッス」



 グリグリと身体を擦り付けてくるのをやめて、猫は至近距離で俺の眼を覗き込んでくる。


 人のモノではないその目が悪戯げに細められるのを視て、何故か希咲の姿が思い浮かび、そのイメージと現実に目にする光景との隔たりに酷く失望感が湧きあがる。



「フフフン、余裕ぶっていられるのもここまでッスよ。ホントはもうジブンにメロメロのくせに」


「悪いが俺は犬派なんだ」


「おぉっと、それは強烈な嫉妬が湧き上がるッスね。こうなったらジブンも仕上げに移っちゃうッス」


「仕上げも何も俺は何をされているんだ」


「んもぉぅ、わかってるくせにぃ。じゃあ、少年にはイイモノを見せてやるッス」


「いいもの、だと?」



 眉を顰め睨みつける。



 猫ごときの分際で人間であるこの俺が見たいと思うものを正確に理解・予測し、そして自分ならばそれを叶えられると考えているその傲慢な姿勢が鼻についたからだ。



 猫は俺の顏の高さで空中を歩くと正面へ回る。



 四足歩行の分際でまるでモデル気取りのような澄ました姿勢と仕草で俺の顏の前に来ると、ピタっと止まって間を作り、そしてクルっと華麗にターンをした。


 そしてそのまま舞台裏へ帰ることはなく、ツンと尻を上げて姿勢を正しその場に立ったまま留まる。


 さらに猫はピーンとしっぽを上に伸ばした。



「どうッスか?」


「…………どう、とは?」



 まるで意味がわからないので他に言い様がなかった。



「惚けちゃって。あまり焦らすモンじゃないッスよ。それとも意外と初心なんスか?」


「何を言っているのかさっぱりわからんのだが」


「カァーーっ! なんだよこいつニブチンかよッス! ほらほら、よく見るッスよ! どうッスか? ジブンのこのプリップリのア〇ルは」



 ビキっと自分の頬が引き攣る音が聴こえた。



「フフフ、どッスか? イイモン見れたーって得した気分になっただろッス。オマエがマナのこと言わないって約束してくれたから、これはそのご褒美ッス。ジブンからの信頼の証だと思ってくれていいッスよ」


「…………」


「でも舐めるのはダメッスよ? そこまでは許してないッス。お尻舐めるのはもう少し仲良くなってからじゃないとダメッスからね」


「…………」


「ん? どうしたんスか、少年? さっきから黙ってるッスけど。もしかして舐めNGだから落ち込んじゃったんスか? しょ~がないにゃぁ~~ッス。舐めるのはさすがにNGだけど、仕方ないから匂い嗅ぐのは特別にOKしてやるッス」


「…………」


「でも勘違いしちゃダメッスよ? 今日だけ特別ッスからね? さぁ、遠慮はいらねーッス。思う存分クンクンするといいッス。ここまでサービスしてんだからちゃんと約束を――」



 奴がまだ何か言っているが最後まで聞かずに腕を伸ばす。



「――クペッ⁉」



 首根っこを引っ掴んで力づくで黙らせる。


 先程のように皮を掴むのではなく、誤って折れてしまっても構わないくらいの勢いで首を握り込むと、もう片方の手を上着に突っ込みエモノを抜きそれを目の前の肛門めがけて突き立てる。



 だが、命中する直前でピタっと止めた。


 ペン先のわずか1㎜先の獣の肛門がキュッと窄まった。



 何も慈悲をかけたわけではない。



 このペンを使用すると不都合がある可能性に思い当たったからだ。



 希咲 七海から貰ったペン。


 彼女がどういうつもりでこれを寄こしたのかはわからんが、彼女から貰ったペンを彼女の親友である水無瀬のペットの肛門に突き刺したら、あの煩い女に何を言われるかわかったものではない。



 そう考えるとさっきは、希咲 七海から貰ったペンを彼女の親友である水無瀬 愛苗の尻穴に突き刺そうとしていたことになるのか。


 もしもあのまま水無瀬の直腸破壊を敢行していたら、水無瀬のペットのケツをぶっ刺すよりも深刻な事態になっていたかもしれない。



 それを踏みとどまれたのはただの偶然だが、それは運がいいということになる。



 ならば、ここでわざわざリスクを背負ってまで、希咲 七海の親友のペットの肛門に固執する必要はないと、別の手段を模索することにする。



 ならばと、周囲に眼を回して必要な物を探す。



 すると、傍らにぽへーっと立っていた肛門の飼い主と目が合う。彼女はニコッと笑いかけてきた。



 こういった碌にしつけも出来ない癖にペットを飼いたがる無責任な飼い主のせいで、人間をナメて育ったクソ動物どもがそこいらで迷惑をかけるのだろう。



 俺は役立たずの飼い主から目線を外した。



 恐らくここいらにもあるはずだ。



 そう思って路地の中を覗くと目的の物を見つける。



 こういった路地裏に何故か必ずある青い大きなバケツ。



 ゴミ箱だ。



 俺はその誰が使っているのかわからない大きなポリバケツに近づき、シームレスに蓋を回し開けると、生ゴミ特有の臭いが伝わってきた。



 そしてバケツの中に手に持った生ゴミを放り入れ間髪入れずに蓋を締めてから、俺は両手を使ってポリバケツを持ち上げる。



 3回ほど大きくバケツを縦に振り、それから横倒しになるように地面に叩きつけた。



 跳ねるバケツを足裏で抑えつけると、中から何やら叫び声が聴こえてくる。



 特に聴きたいとも思わなかったので、路地の奥の方へと向けて、バケツを足裏で蹴るようにして押した。



「ギャアァァアーーーーーッスーーーーっ⁉」


「メっ、メロちゃあぁぁーーーーーーんっ⁉」



 ゴロゴロと勢いよく転がって路地の闇へと消えていくバケツを追いかけて水無瀬も走っていった。



 少しだけその彼女の背中を視て、俺は踵を返し今度こそここから離脱する。


 もうこのバカどもの相手をしたくない。




 しかし――




「び、弥堂くんっ!」



 路地の中からひょっこり顔を出した水無瀬に呼び止められる。



「……もう帰りたいんだが?」


「あっ、呼び止めちゃってゴメンね。大した用事じゃなかったんだけど……」



 だったらなおさら呼び止めるな。



「えへへ、あのね? 今日はありがとうね」


「礼を言われる筋合いはないと言った」


「うん。約束のこともあるんだけど、今日も弥堂くんといっぱいお話出来て楽しかったから、だからそれもありがとうのありがとうなんだよ?」


「楽しい楽しくないはキミの主観であり感覚だ。キミが勝手にそう感じただけで俺が楽しませたわけじゃないし、そんなつもりもないから、やはり礼を言われる筋合いはないな」


「ふふっ、そうかも。でもね――」



 クスクスと笑みを漏らしながら、一際真っ直ぐにその無垢な瞳から視線が発せられる。


 彼女のその存在が強く――昨日よりもさらに強くなったように視えた。



「――でも、弥堂くんがいてくれなかったら、私も弥堂くんとお話して楽しいって思えなかったし。だから、やっぱりありがとうだよ」


「…………そうか。キミの言うとおりかもな。興味深い話だが、しかしいいのか?」


「え?」


「あいつを追いかけなくていいのか? ゴミの回収業者に廃棄されてしまうかもしれんぞ」


「あっ! そうだった! えっと、じゃあ、私もういくね?」


「あぁ。急いだ方がいい」


「弥堂くん、また月曜日ね! ばいばいっ!」



 ペコリと頭を下げて顔を上げてから手を振り、それから振り返って彼女は走っていく。


 それに倣うわけではないが、俺も振り返ってこの場から離れる。



「メロちゃん待ってえぇーーーっ!」という背後の声と足音が遠ざかっていき――或いは俺がそれらから遠ざかり――ひとつ角を曲がると静寂に身を漬けることが出来た。



 考える。




 魔法少女。



 まさかそんなものがこの世界に実在したとは。



 あまりに突然であまりに突拍子もなく、そのような不可思議と出遭ってしまった為、俺の対応に何か落ち度はなかったかと記録を確認する。



 あいつらがあまりに余計な口ばかりをきくものだから、何か見落としてしまった事柄があるかもしれない。



 思考を巡らせようとすると、上着の中のスマホが震える。



 服に手を突っこみ取り出して確認をするとY’sからのメールだった。




『明日は萌えるゴミの日です! 夜のうちに出しておきましょう!』



 奴にしては簡潔な文章だと謂えるが、これは毎週の俺の自宅近所のゴミの日を報せる定期連絡であり、見慣れたものだった。



 こいつとは普段かなりの頻度でメールを用い文章でのやり取りをしている。


 そんな中で、基本的に誤字脱字などをしない奴なのだが、何故かこのゴミの日を報せる連絡の時だけは毎回同じ漢字ミスをする。


 何度指摘しても直そうとする気配が見られないため、俺ももう注意をするのをやめた。



 昨夜大きなゴミを増やしてしまったので、今回のゴミの日では確実にゴミを出さなければならない。



 魔法少女についての考察をしようとしていたのを中断させられてしまった形だが、それもゴミの処理同様、帰ってからでもいいだろう。



 もしも致命的で手遅れな見落としがあったとしたら、この時点でどうせもう手遅れだ。



 それはこういった事態への備えが十分でなかった俺の不手際であり自業自得ということになる。



 それにしても、廻夜部長の手腕と慧眼には驚かされる。



 こういった事態を予期していたのだろうか。




 もしも彼から予め魔法少女の知識を与えられておらず、予め状況のシミュレートをさせられていなかったら、場合によっては俺は今日ここで死んでいたかもしれない。



 やはり彼は間違えない。



 今後もしっかりと彼の指示に従っていくべきだろう。



 と、そうは思っても。



 やはり魔法少女などとは突拍子もなく荒唐無稽すぎて思わず苦笑いが漏れる。


 俺の顏がしっかりと苦笑いの形に動いたかはわからんが。



 普通の高校生である俺がある日ギャングを殴りに路地裏に入ったら偶然魔法少女に出会った件。



 今日の出来事にタイトルをつけるのなら、こういった風になるのだろうか。



 おまけにその魔法少女が同じ学園の同じクラスの隣の席に毎日座っている女子生徒だとは酷い偶然だ。



 去年にこの街に来て現在通っている学園に転入してからなので、水無瀬とはもう1年近く顔を合わせていることになる。


 今日のことは俺にとっては突然のことだったが、これが彼女と――水無瀬 愛苗との本当の出会いになるのかもしれない。



 この偶然性は運がいいことなのか、悪い事なのかは、今の時点ではわからない。


 きっとわからないままでいることが一番俺にとって望ましいことなのだろう。



 何故なら、この突然の出会いには特別な意味など何もないからだ。



 少なくとも俺にとっては。




 特別なのは水無瀬 愛苗であって、弥堂 優輝ではない。



 だからきっと、普通の高校生である弥堂 優輝が、魔法少女である水無瀬 愛苗に出会ったのではない。


 魔法少女である水無瀬 愛苗が、普通の高校生である弥堂 優輝に出会ったのだ。



 俺というとるに足らない人間に起きた出来事なのではなく、彼女という特別な人間に起きたとるに足らない出来事のひとつなのだ。



 出会いや出来事には所有権と主導権があり、それが誰のものなのかは『世界』が決める。



 そして、彼女は明らかに『世界』から『加護』を能えられた存在だ。



 特別な人間である水無瀬 愛苗は『世界』から特別であるようにデザインされており、弥堂 優輝はそのようにはデザインされていない。



 平等性や公平性などという世迷言は所詮は矮小な人間の価値観であり、脆弱な己を護る為の詭弁に過ぎない。

 『世界』にはそんなことは関係ない。



 それを酷いことだと嘆き憤る者はこれまでに何人も見てきたが、そもそも自分でも叶えられないようなモノを他に望むべきではない。


 それこそ不平等であり不公平だ。笑わせる。



 だから今日のこの出来事に関して、俺が何かを望んだり叶えたりする必要はない。



 彼女がどんな目的で、どんな因果で、魔法少女などというものをこれからどうしていくかは知らないが、それは俺には関係のない事だ。



 これらは全て水無瀬 愛苗の物語の中での出来事なので、それに弥堂 優輝という生命の連続が関わることなどもうないだろう。


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