1章10 『Shoot the breeze』


 教室の戸を開け自席に戻るとそこにはまだ女どもが蔓延っていた。


 うんざりとした心持ちで椅子を引くと、ここを一度離れる前と変わらず姦しかった彼女らのおしゃべりが不自然にピタリと止む。


 どこか遠巻きにするようにこちらにチラチラと視線を寄こしながらも、その態度は弥堂を避けるかのようであった。



 先程は何故か少し気安くなられて都合が悪いと感じていたので、理由はわからないが今まで同様に忌避してくれるのならばありがたいと弥堂はそれを受け入れる。



 席に座る直前にチラリと眼を向けた先の希咲は憮然とした表情でそっぽを向いていた。その彼女の出で姿に違和感を覚えるが、どうでもいいことだと流して椅子の位置を調整する。



 しかし、そんな周囲の空気などおかまいなしな方も中にはいらっしゃる。



「弥堂くん、おかえりなさい! ねぇねぇ、プリメロ好きなの?」



 もちろん水無瀬さんだ。



「…………なんの話だ?」



 無視してもよかったのだが、あまりに脈絡がなさすぎて弥堂はつい問い返してしまった。



「えっとね、スマホの着信がプリメロだったから。弥堂くんも好きなのかなって」


「あぁ。違う。それは掟だからだ」


「おきて……?」



 水無瀬は聞き慣れない言葉にキョトンと目を丸くして首を傾げる。



「あぁ、そうだ」


「そうなんだ。風紀委員って大変なんだね」


「違う。風紀委員ではなく、俺の所属する部活動の掟だ」


「そうなんだぁ。委員会もあるのに大変だね」


「そうでもない。とはいえ、活動に必要だからと義務付けられてはいるが、シリーズ全作を視聴するのには流石に骨が折れたがな」


「活動に……? あれ? 弥堂くんの部活ってキャンプするんだよね?」


「しねーよ。キャンプ部ではない、サバイバル部だ」


「あ、そっか。えへへ、まちがえちゃった。ごめんね」



 周囲の女子たちは二人の会話を盗み聞いて何ともいえない気分になる。



「ま、愛苗ちゃんのメンタルどうなってんの……? ツッコミどころしかないんだけど……」

「落ち着くんだよマホマホ。多分これ一個一個ツッコんでたらキリがないやつだよ」

「そうよ、真帆。真面目に聞いたら頭がおかしくなるわよ」

「水無瀬さん、スルーしてるってより何も疑問に思ってなさそうだよね。一応文面的には会話は成立してるし……すごいなぁ……」



 ヒソヒソと囁かれる彼女たちの声に水無瀬は気付かず、弥堂は聴こえていないフリをして、二人の会話は続く。



「じゃあ、サバイバルってことは無人島に行くんだよね? 無人島に連れてくならどの魔法少女? みたいなことなの?」


「なんでだよ。無人島などに用はないし、行くとしても魔法少女など連れて行かない」


「でもでもっ! 魔法が使えたらサバイバル生活に便利だよ!」


「お前は一体何の話をしてるんだ」


「え? だってサバイバル部だからサバイバルするんだよね? 無人島で。『とったどー!』って」


「なんでだよ。しねーよ」


「え? そうなの?」


「そうだ。サバイバル部はサバイバル生活などしない」


「そうなんだー」


「なんでお前が残念そうなんだよ」



 何故か残念そうに眉をふにゃっと下げる彼女は、両手で想像上の獲物を高らかに掲げてバンザイをしていた。



――とったどーのポーズだ。



 弥堂はその仕草にイラっとした。



 すると――



「ぷっ」と横で吹き出す声が漏れる。



 そちらに眼をやれば机に頬杖をついたまま外方を向く希咲だ。


 水無瀬の言葉で思わず、海パン一丁で銛を構える弥堂の姿を想像してしまいつい吹き出してしまったが、彼女は素知らぬ態度を貫いている。



 恨みがましく希咲へ向ける目を細めると、彼女の横髪の隙間から覗く耳たぶが細かく震えているのが見えた。まだ笑いを堪えているようだ。


 とりあえず彼女のことは捨て置く。



「サバイバルしないんだ……」


「とりあえずアウトドアから離れろ。我々はそのような団体ではない」


「じゃあ、なにするの?」


「……サバイバル部というのは通称だ。本来の名は『災害対策――」



 弥堂は自身が所属する部活動の正式名称を読み上げようとしたが、その途中で言葉を切り対面で未だにバンザイをしながら首を傾げる少女を視る。



「…………まぁ、あれだ。みんなで頑張って生き延びる部だ」


「いきのび……?」


「あぁ。必要に応じてすごいがんばる」


「わ、そうなんだ。えらいんだね」


「……そうだ。えらい」


「――あんたテキトーなこと言うんじゃないわよ」



 あまりに意思の疎通の手応えのない会話に弥堂が思わず白目になると、横合いから咎めるような声が挿しこまれる。



「あんた昨日は『災害対策方法並びにあまねくにゃにゃにゃにゃにゃっ――』とかって変な名前言ってたじゃない。なにテキトーに流そうとしてんのよ」



 顏はまだ他所に向けたままで横目でジロリと不機嫌そうな視線を寄こしてくる希咲をジッと視る。やはり彼女にいつもと違うなにかを感じる。



「あによ」

「……べつに」


「は?」

「あ?」


「なんでもないわよ! ばかっ!」

「なんだってんだ」



 何故か彼女は大層機嫌が悪いようで、そう怒鳴ってまたそっぽを向いてしまった。


 その仕草を見て、やはりどこかに違和感を覚えるが、しかし気のせいだろうと水無瀬の方へ向き直る。



 水無瀬はまだバンザイをしたままで顏だけ希咲の方へ向けニコニコとしていたが、弥堂が自分を見ていることに気が付くとにへらと笑った。



 弥堂は嘆息し、とりあえず彼女の両手を降ろさせてやろうと彼女の眼前に空になった弁当袋を突き付ける。


 水無瀬は、反射的な行動なのか、それをハシッと両手で掴みようやく『とったどーのポーズ』をやめた。



「ありがとう、弥堂くん」


「……あぁ」



 何故自分が礼を言われたのかはわからないが、他に言い様もなかったのでとりあえずそうとだけ返す。


 すると、視界の端からの視線に頬をチクチクと刺される。


 希咲が睨んでいる。


 思わず舌打ちをしそうになるが、どうにか自制した。



「水無瀬。『美味しかったよ。ありがとう』」


「えへへ。どういたしましてっ」



 昨日希咲に言われたとおりの礼を告げると、水無瀬はニッコリと笑い、希咲は胡乱な瞳を向けてきた。


 恐らく昨日と全く同じ言葉を使ったのが気に入らなかったのだろうが、希咲へ『いい加減しつこいぞ』とこちらも非難をこめた視線を送る。


 彼女はまたぷいっと顔を背けた。



 喋ればこの上なく口煩いが、黙っていても煩いという極めて稀有な特殊能力を持ったこの女にどう対応すればいいかと考えていると、水無瀬に声をかけられる。



「難しそうでよくわかんなかったんだけど、街を危険から守るために魔法少女になる部活ってことなの?」



「ぶっ」と希咲も女子4人組も吹き出す。



 脳内に爆誕した『魔法少女ビトー☆メロディ』の強烈なインパクトに顔を青褪めさせながら彼女たちは笑いを堪えた。



 弥堂がそんな彼女らに視線を巡らせると全員が目を背けた。



「そんなわけがないだろう。そもそも俺は少女ではない」

「あ、そっかぁ。残念だね……」


「いや、そもそもそういう問題じゃ…………」

「シッ。ダメだよマホマホ。そっと見守るんだよ!」


「仮に俺が女だったとしても、もう高校生だ。魔法少女などという年齢ではない」

「えっ? そ、そうなの……?」


「ふふっ。年齢や性別の問題をクリアすれば、なろうと思えば魔法少女になれるって信じてるのね。かわいいわ」

「あのね、小夜子。その場合、弥堂君が魔法少女になっちゃうんだけど……」


「…………」



 また発言に遠慮がなくなってきた女どもへジロリと視線をやって牽制し黙らせる。


 それから弥堂は諦めたように溜め息を吐き、なにか多大な誤解をしている水無瀬へ説明を試みる。



「我々の部活動は魔法少女を目指す団体ではない。日常の中では起こる可能性の低い問題にも予め想定し備え、実際に事が起こった時に生き延びる確率を上げることを志す部活動だ」


「そうなんだ。魔法少女にはならないんだね……」


「残念そうにするな。魔法少女はあくまで現在討論を予定しているテーマの一つにすぎない。もしも魔法少女に出会ってしまったら、どういった行動をすることがサバイバル部員として適切なのかというテーマだ」


「もしかして魔法少女のお手伝いをするの?」


「違う。逆だ」


「えっ?」



 なにか期待をこめたような瞳で弥堂へと問いかけたが、即座に否定をされ水無瀬は目を軽く見開く。



「もしも普通の高校生である俺がある日突然魔法少女に遭遇してしまった場合、どうやって奴らを仕留めるか、もしくは逃げ延びるか。そういう話だ」


「なんでっ⁉」



 魔法少女の撃退を視野に入れていると告白したクラスメイトの言葉に、愛苗ちゃんはびっくり仰天してチャームポイントのおさげがみょーんと跳ね上がった。



「奴らの思想ともいえない行動や思考の原理とは恐らく相容れないだろう。戦闘を想定しておく必要がある」


「だっ、ダメだよ! 魔法少女とケンカしちゃ!」


「それは奴らの出方次第でもあるが、出来れば先制攻撃をしかけたいところでもある」


「だ、だいじょうぶだよ! 魔法少女は『良い方』だよ!」


「それはどうかな。いいか? そもそも…………なんだ? 希咲」



 水無瀬へと魔法少女の排除論を語ろうとしたが、希咲が呆れたような目を向けていることに気付き言葉を止める。



「なんだって…………や、またおバカなこと言ってんなーって」


「ふん。俺たちの活動はまさにお前のように危機感の足りないバカが惨めに死んでいく中で生き残る方法を模索するものだ」


「バカはあんたたちでしょうが。大体仕留めるってどうやって仕留めるのよ? あんたなんて魔法でぴゃーってやられて終わりでしょうが」


「ふん。素人め」



 クラスメイトの女子が複数見守る中で、自分は魔法少女に関する専門家であると堂々と名乗った男に希咲は侮蔑の視線を送るが、弥堂はそれに構わずに続ける。



「確かに奴らの戦闘能力は強大だ。正面から当たってはまず勝ち目はないだろう」


「じゃあ、ダメじゃん」


「それが浅はかだというのだ」


「はぁ?」


「馬鹿正直に戦闘を挑んでも勝てないのであれば、他の手段で勝つ方法を見出せばいい」


「…………いちお聞いたげるわ。試しに言ってみなさい」



 絶対にロクでもない話だろうと予測はついていたが、目の前のトンデモ思考をする男が一体魔法少女に対してどう接するつもりなのかが少し気になってしまい、希咲は興味本位で問いかけた。



「うむ。いくつか方法を考えてはいるが、今のところ第一の手段として考えているのは『イジメ』だな」


「…………」



 想像していたものより遥かにヒドイ回答がなされ、希咲は胡乱な瞳になる。


 順応性の高い彼女には昨日の経験もあり若干の耐性がついていたが、他の女子たちは突然の物騒な発言にギョッとした。



「いいか? まずは対象の個人情報を集める。奴らは攻撃や防御などの直接的な戦闘手段には長けているが索敵などに関しては稚拙だ。彼女らを尾行し正体を探り、自宅・家族構成・交友関係を洗う」


「犯罪だから」


「手始めに対象の友人たちを買収して学校で魔法少女を『シカト』をするように持ち掛ける。売春をしているなどの噂を流し出来れば学校中から『フルシカト』される状態にまで持っていきたい。金で言うことを聞かない非協力的な者には脅迫も辞さない」


「犯罪だから」


「学校で居場所を失くした対象は人々を守るという意義を見失い引きこもりになるだろう。そこで次に、対象の両親の職場に工作を仕掛け退職、もしくは廃業に追い込む」


「犯罪だから」


「家庭環境が荒れればより対象の精神を追い込むことに繋がるだろう。次に行うのは対象のSNSアカウントの特定だ。特殊なサイバーチームを結成し複数のアカウントをもって彼女を炎上に追い込む」


「犯罪だから」


「さらに魔法少女の失敗事例など内容はなんでもいいが、とにかく魔法少女を叩く投稿を捏造しまくり連日トレンド入りさせる。学校でも家庭でも居場所を失くしインターネットに逃げ込むことすらできないとなれば…………あとはわかるな?」


「犯罪だっつってんだろ! ばかやろー!」


「うるさい。法でも暴力でも抑え込めないような化け物が相手だ。手段など選んでいられるか」



 ギャーギャーと言い合う二人を背景にドン引きした女子たちはヒソヒソと話し合う。



「魔法少女に会えたらってメルヘンな話かと思ったらグロいよ……っ! すんごいグロいよ……っ!」

「具体的っていうか……妙にリアリティあって鳥肌たったわ……」

「賛否はともかく目的を達成することだけを考えたら、なんか成功しそうで怖いわね」

「……なんていうか、弥堂君はその、真面目だから…………」



 歴戦の学級委員である野崎さんのフォローは虚しく空に溶けた。



「そ、そんなことしちゃダメなんだよっ!」



 ここで水無瀬さんからもクレームがあがった。



「魔法少女をイジメたらダメだよ! かわいそうだよ!」



 温厚な彼女にしては珍しく、彼女なりにではあるが、強い言葉だ。



「これは戦いだ。甘さは捨てろ」

「戦っちゃダメだよ! 魔法少女もきっと弥堂くんとなかよしになりたいって思ってるよ!」


「そんな希望的観測に身を委ねるべきではない。それに俺は高確率で奴らとは敵対することになるだろうと予測している」

「そんなことないよ! 魔法少女はよいこの味方だよ!」


「よいこじゃないからでしょ。いちお自分が魔法少女に成敗される側だってことはちゃんと自覚してんのね」


「ななみちゃん⁉ そんなことないよ! 弥堂くんはよいこだよ!」


「お前ら揃って馬鹿にしてんのか。調子にのるなよ」



 高校二年生の生徒たちの通う教室内で魔法少女に関する議論が深まっていく。



「だって魔法少女はみんなのために戦ってるんだよ! 風紀委員といっしょだよ!」


「それは違うな」


「そりゃ違うでしょうね。こいつみんなのために戦ったことなんて多分一回もないわよ」


「うるさい黙れ」


「そんな……ななみちゃんまで…………」


「や。べつに魔法少女が悪いって言ってんじゃないわよ? むしろこいつが悪い奴だから一回成敗してくんないかなって」


「しないよ⁉ 魔法少女は街の平和を守るんだもん!」


「だから、それが危険だというのだ」



 お手てとおさげをブンブンして熱弁する水無瀬へ、弥堂は溜め息混じりに説明をしてやる。



「いいか? 確かにその場面だけを見れば奴らは街の平和を守り、世界だかを危機から救ったかもしれん。だが、それは異常なことだ」


「え? どうして?」


「百歩譲って、一度きりのことならばいい。緊急事態下でたまたま居合わせた民間人が協力をして事態を鎮静化した。そういうこともあるだろう。だが、それがその後も当たり前のことのように続くのはいいことではない」


「いいことをしてるのに……?」


「考えてもみろ。警察やら軍隊やらが手を焼くような魔物だの怪人だのをただのいち民間人が倒すのだぞ。それは警察や軍隊をも凌ぐほどの暴力を個人が所有しているということにもなる」


「で、でも……っ」


「治安は警察という仕組みによって守られるべきであり、国防は軍という仕組みによって守られるべきだ。国家に管理されていない暴力が野放しにされているなど正気の沙汰ではない」


「魔法少女は悪いことしないもんっ!」


「それだ。魔法少女の安全性はその者の善意に頼るしかない。どこの誰かも知れない人間の善意が恒久的に保たれるなど誰も保障が出来ない」


「そんなことないもんっ!」


「それに、だ。例え奴らが心変わりをしなかったとしても、魔法少女頼みで成り立つような国や世界などどのみち先はないだろう。そいつらが居なくなったら成り立たなくなるような平和など不安定極まりない」


「うっ……でも……っ!」


「最善は魔法少女なしで成立する治安維持を構築すべきだが、どうしても魔法少女を組み込みたいのならば最低でも国家公務員として雇い入れるべきだ。だが、それは無理だろう。奴らは必ず独自行動をし、自ら危険を探してまわる」


「あぅ……あぅ……」


「さらに言うならば。これはプリメロシリーズではないが、他の魔法少女に関する事柄を記した文献では、『悪堕ち』という状態になり寝返る個体について書かれていた。それも考慮すればやはり俺は魔法少女は排除すべきだと考える」


「うぅぅぅぅぅ…………ななみちゃ~ん……っ!」



 大好きな魔法少女を一生懸命擁護しようと立ち向かった愛苗ちゃんだったが、悪の風紀委員に論破されかけて親猫に泣きついた。



 支援の要請をされた希咲は「ゔっ⁉」と呻くと気まずげに目をキョロキョロさせる。


 愛苗ちゃんはガーンとなった。



「え、えーーと…………そもそもアニメだしーとか、魔法少女ってそういうもんだしーとかってのは野暮なのよね?」



 ショックを受けた彼女の顔を見て罪悪感に駆られた希咲は慎重に言葉を選びながら口を開く。


 水無瀬は期待をこめた瞳で彼女の言葉を待つ。



「うーーーーーん…………認めたくないんだけど。これはホントにマジでめっちゃムカつくから認めたくないんだけど! あたしもこのバカと大体同意見なのよね……」



 愛苗ちゃんは再びガーンとなった。



「あっ、まって! ちがうってば! こいつみたいに魔法少女が悪いとか、排除とかそんなことは思わないんだけどっ! ほら? あたしの場合は聖人まさとっていう実例がいるからさ。あちこちのトラブルに首突っ込みに行くのはちょっといただけないかなぁって……」


「うぅ……そうなのかな……?」


「んーーー、自分と全然関係ない人だったらまぁ、好きにすれば?って言えちゃうかもだけど。例えば愛苗が魔法少女やってるとかってなったら、心配だから全力で止めるし――って、ちょっとあんたどうしたの?」


「なっ、ななななななんでもないもんっ!」



 丁寧に水無瀬を諭そうとした希咲だったが、何故か途中で汗をダラダラ流してキョドキョドし始めた彼女の容態を問うと、彼女からは『ないもんのポーズ』が返ってきた。



「そ、そう……?」と希咲は不審に思いつつも、このままこの話題が流れそうな気配がしたのでとりあえずスルーすることにした。



「どうやら結論は出たようだな。話は以上だ」


「なにを偉そうに。てゆーか、魔法少女よりも先にあんたっていう暴力を管理するべきよ」



 しかし、空気の読めない男がこういう時ばかり自主的に口を開き余計なことを言うので、自身の胸元に垂れる後ろ髪を指でクルクルしながらジトっとした目を向けた。



「その必要は――」



『その必要はない』と返そうとした弥堂だったが、希咲の仕草を見て言葉を止め彼女をジッと視る。



「あによ?」



 無遠慮に見つめてくる男に不愉快さを隠そうともせずにぶつけるが、彼は動じない。



 両耳の後ろから纏めて前に垂らしている、水無瀬と同じような希咲のおさげを見て、弥堂はようやくずっと感じていた違和感の正体に気付いた。



「そうか。髪型が変わっていたのか」


「あん?」



 その言葉を聞いて希咲の機嫌がさらに一段階悪くなる。



「なによ? 悪いの?」


「さぁな。いいか悪いかなど俺の知るところではないし、俺の気にすることでもない。好きにするといい」


「はぁ⁉ なによそれっ!」



『女の子なんだし自由にファッションを楽しむといいよ』と伝えたつもりだったが、何故か非常に彼女の癪に障ったようで弥堂は眉を顰めた。



「知らんぷりすんな! あんたはもっと気にしなさいよ!」


「何故俺がお前の髪型なぞ気にかけねばならん」


「あんたのせいで髪型作り直すはめになったんでしょうが!」



 彼女の怒鳴り声が鼓膜に刺さり弥堂は顔を顰め、そして希咲のテンションに引き摺られるように彼も不機嫌になっていく。



「ねーねー、委員長。あれって、『大好きなカレのために髪型変えたのに気付いてもらえなくてスネて、やっと気づいてもらえたと思ったら今度はホメてもらえなくて激オコなカノジョ』っていう伝統芸能?」


「ののか。そんなの伝統にしてる国なんてないし、あれはそういうのじゃないと思うな」



 この二人の言い合いに慣れてきたのか周囲は平和だった。



「あんたがあたしの髪グチャグチャにしたのが悪いんだからっ!」


「言いがかりはやめてもらおうか」


「なにが言いがかりかーーっ! あれは女子にやっちゃいけないことBEST5の一つよっ!」


「なんだそりゃ。めんどくせーな。残りの4つは何だ? 言ってみろ」


「うるさいっ!」



 今後こういったことがないように改善を図るため、予めNG行動を把握しようと彼女にそれを尋ねたら理不尽にも怒鳴られ、弥堂は不条理な社会を呪った。



「さっきいきなりキスされそうになったのは?」


「それは人としてやっちゃいけないことよ!」



 茶々を入れるように早乙女が口を挟んでくると、希咲は彼女の方へビシッと指を向けて言い切った。



 早乙女も早乙女で、気まぐれに口を挟んだだけのようで「まぁ、それは確かにそっか」とあっさり納得をして引き下がった。どうやら弥堂を援護してくれるわけではないようだ。



「女子に勝手に触んなってあんだけ言ったのにまだわかんないわけ⁉ バカなんじゃないの!」


「うるさい。しつこいぞ」


「しつこいってなによっ! あんたまだ謝ってないじゃん! あやまってよ! あたしにごめんないさいして!」


「――待って、ななみちゃん……っ!」



 苛烈に責め立ててくる希咲を黙らさせるために、また彼女の髪をグチャグチャにしてやろうと弥堂は席を立とうとしたが、それよりも先に希咲を止める者があった。



「ななみちゃん、あのね…………私が悪いの…………っ」



 水無瀬だ。



 デリカシーゼロのクソ男が無遠慮に希咲の髪に触れてきたのは、自分が悪いのだと主張する彼女の言葉に希咲は戸惑う。


 しかし、大好きな愛苗ちゃんを邪険には扱えないので、ここは一旦怒りを沈めて彼女の話を聞いてあげることにする。



「なんで愛苗のせいになるの? こいつがおバカなのが悪いのよ?」


「ううん…………あのね、私が昨日約束しちゃったの……」


「約束?」



 話が見えてこないと首を傾げてキョトンとする希咲に水無瀬は説明を試みる。



「昨日ね、弥堂くんに『ななみちゃんの頭ナデナデさせてもらえるようにお願いしてあげるね』って私勝手に約束しちゃったの……」


「は?」

「あ?」



 予想だにしない内容の水無瀬の告白に希咲が疑問符を浮かべると、その約束とやらをした相手のはずの男も何故か同様のリアクションをとった。



 希咲は弥堂へ向ける目を細める。



――どういうことよ?


――知るか。



 弥堂は肩を竦めた。



「ごめんね、弥堂くん。忘れちゃってたわけじゃないんだけど、私まだななみちゃんにお願いしてなかったの……」


「まるで俺がこいつの髪に触れたがっているかのような物言いはやめてもらおうか」


「ごめんね、ななみちゃん。私がもっと早く言ってればよかったの。だから弥堂くんは悪くないの」


「そうだ。お前が悪い。もっと希咲に謝れ」


「うるさいっ! あんたは黙ってて! …………えっとね、愛苗……? そもそもどうしてこいつとそんな話になったの?」



 話がわかっていないながらも機会があればすかさず他人に責任を押し付けようとするクズ男を一喝して黙らせてから、希咲は出来るだけ優しい瞳で水無瀬をじっとみつめ真意を問う。



「あのね、私ね、ななみちゃんのこと大好きでね、それで弥堂くんのことも大好きじゃない?」

「うん………………うん……? んん……?」


「大好きって言った? 今告った?」

「シッ、愛苗ちゃんが一生懸命喋っているのよ。邪魔をしてはいけないわ」


 水無瀬被告の供述は開幕から希咲を混乱させ周囲をざわつかせた。



「だからね、ななみちゃんと弥堂くんもなかよしになれれば、みんななかよしで楽しくなるかなって思って……」

「……うん…………うん…………うーーーーーん…………」



 とっても可愛らしい犯行動機であったが、それを実現させてあげるにあたって希咲には大変な葛藤があった。



「それでね、弥堂くんにななみちゃんのいいところをいっぱい知ってもらおうと思ってね、ななみちゃんのカッコよくてスゴイとことか、とってもカワイイとことか頑張ってお話したの!」

「うっ…………それは……」



『イヤなんだけど』とは言えなかった。


 彼女の親友である自分にはわかっているが、彼女は100%善意でこうしている。


 それに、このように勝手に交友を拡げられることを嫌う者も中にはいるだろうが、自分に関してはそこまで嫌というわけでもない。

 男子にあまり気安くしたくないという気持ちはあるものの、何が何でも絶対に御免だ、というほどでもない。



(相手がこいつでさえなければ……っ!)



 もちろん、それをそのまま水無瀬に言葉にして伝えるわけにはいかないので、ギンッと眼差しを強めて弥堂へ八つ当たりの念を送る。


 奴は自分にも関わる話であるはずなのにまったく興味がないのか、なにもない宙空を見てボーッとしている。



(ホント……っ! こいつマジきらいっ!)



 希咲は強い憤りを感じた。



「私がななみちゃんにナデナデさせてあげてってお願いするのが遅かったのが悪いの。まさか弥堂くんがそんなにななみちゃんナデナデしたかったなんて知らなかったから……」


「おい待て。誤解を招く発言をするな。俺は別にこいつを撫でたいなどと思っていない」


「ちょっと待って愛苗」



 我関せずでボーっとしていた男が、聞き捨てならないとばかりに反応を示したのはちょっと面白かったが、それよりも希咲には問い質さねばならないことがあった。



「あのね、間が飛んでる。一応あたしとこいつを仲良くさせようとしたってとこまではわかった。でも、それでなんでこいつにあたしの髪を撫でさせるって話になるわけ?」


「あ、そっか」



 言われて初めて自身の言葉足らずに水無瀬は気付き、経緯を思い出しながら説明を再開する。



「えっとね…………私がね、ななみちゃんカワイイんだよって言ったらね。弥堂くんもななみちゃんカワイイって言ってて……」


「は?」

「あ?」


「クンクンしたらいいニオイしたって言ってたし、ななみちゃんのニオイ好きって弥堂くんが。あとお顔も可愛くて好きって言ってた!」


「…………」

「待て水無瀬。お前は何の話をしている?」


「だからね、私、ななみちゃん髪の毛もいいニオイして触り心地もいいんだよって教えてあげて。今度お願いしてあげるから一緒にななみちゃんナデナデしようねって約束したの!」


「…………」

「…………」



 水無瀬は事のあらましを過不足なく伝えきることが出来たと一定の満足感を得た。



 弥堂としては全く身に覚えのない事実無根な話なのだが、諦めの早い彼はどうせ何を言っても駄目なパターンだろうと自ら誤解を解くことを早々に断念する。



 しかし、希咲 七海といえば水無瀬 愛苗に関する専門家だ。


 彼女なら、水無瀬の言葉足らず&勘違いを察しているのはないかと、もしかしたらワンチャンあるのではと彼女の方を見てみる。



 視界に写った希咲は顔を青褪めさせ鳥肌をたてていた。



 パチッと弥堂と目が合うと希咲はザザザッとわかりやすく身を退かせる。



 やはり駄目なパターンであったと、弥堂は自身の状況を見立てる判断能力に一定の満足感を得た。



「――キモいんだけど……」



 希咲が第一声を発すると、弥堂はその優れた判断能力をもって先読みをし両耳に指を突っこんだ。



「キモいんだけどキモいんだけどキモいんだけどっ――‼‼」



 音波兵器も斯くやといった希咲の大声により、緊急災害に備える訓練を積んでいるサバイバル部員の弥堂以外の者のお耳がないなった。



「ありえないんだけどっ!――って、なに耳塞いでんだバカやろー!」



 一気に捲し立てていこうとした希咲だったが、怒りをぶつける相手である変態野郎が不誠実にも耳を塞いでいることに気が付き、勢いよく席を立つとズカズカと彼に近寄り両腕を掴んで無理矢理降ろさせる。



「少しは申し訳なさそうな態度しなさいよっ! ひとの居ないとこで勝手なこと言って! マジありえない! なんとか言ってみなさいよっ!」


「…………お前は馬鹿だ」


「あんだとこのやろーー! あんたの方がバカでしょ! このクソへんたいっ!」



 釈明を求められた弥堂は口を開いて何かを言いかけたが、彼女の誤解を解くことはとっくに無理であろうと判断していたので特に何も思いつかず、仕方ないので勝手に勘違いをしては大袈裟に騒ぎ立てる馬鹿な女を罵ってみた。


 当然七海ちゃんは激おこだ。



「逆ギレすんじゃないわよ! よりにもよって愛苗になんてこと言ってんのよ! ホントありえないし、マジでキモイっ!」



 そんな怒り心頭の彼女に異議を申し立てる者があった。



「ダメだよ、ななみちゃんっ!」


「えっ……?」



 まさか水無瀬に自分が非難されることがあるなどとは夢にも思っていなかった希咲は動揺する。



「そんなヒドイこと言っちゃダメなんだよ! 弥堂くんがかわいそうだよ」


「えっ…………だって、愛苗……そんな、あたし…………」



 何が起こっているのかわからない。


 半ば自失したように意味の宿らない言葉を譫言のように唇の間から漏らす彼女の瞳からは輝きが失われる。


 そして、希咲はそんなハイライトの消えた瞳を弥堂へ向けた。



 弥堂は反射的に大きくバックステップを踏みそうになるが辛うじて自制した。



「ななみちゃん? なんで弥堂くんにイジワルするの?」


「してないもん……っ! だって……! あいつ……! セクハラ……っ!」


「弥堂くんはななみちゃんのこと褒めてたんだよ?」


「セクハラだもん! ニオイとか……か、かわ……とかっ! 変態だもんっ!」


「変態とかキモイとか言っちゃかわいそうだよ。弥堂くんにゴメンなさいしよ……?」


「なんであたしが⁉」



 まさか自分が謝るはめになるとはと希咲は頭を抱える。



「そうだぞ、希咲。お前が悪い。謝れ」


「うっさい! チョーシのんな! ぶっとばすぞボケぇっ!」


「ななみちゃん! めっ!」


「そんな……っ⁉」



 大好きな親友の愛苗ちゃんに『めっ』をされて、七海ちゃんはガーンとショックを受ける。



 何故二日も続けて、罪過もないのに謝らされねばならないのかと彼女は表情に絶望の色を浮かべた。




 水無瀬は自身の親友を優しく諭す。



「じゃあ、弥堂くんにごめんなさいしようね?」


「ぐっ、ぐぬぬぬぬぬ…………っ!」



 希咲は歯を食いしばり葛藤する。



 こんなクズ男に謝るなんて嫌だ。


 屈辱的であるし、なにより自分は絶対に悪くない。


 そもそも謝る理由などないのだ。



 しかし。



 しかしだ。



 ここで『絶対謝りたくない!』などと言い張っては、自身の親友である愛苗ちゃんに、『あ、この子、ごめんなさい出来ない子なんだ』などと思われてしまうかもしれない。


 そしてそこからさらに、これはまぁ基本ないことだし、というか絶対にありえないことだが、万が一それで彼女に嫌われてしまうようなことになれば、自分はもう生きてはいけないだろう。


 致命傷まで至らなかったとしても、よくてひきこもりだ。毎日インターネットを通して自分を何処かへ逃がすだけの生き物になる。


「…………」


 それよりはマシと、必死に抵抗を訴える自身のプライドを宥め心中で言い聞かせる。



 そして――



「…………ごめん」



 彼女は今日も屈した。



 しかし、その瞳の奥には反逆の意思を確かに宿していた。


 水無瀬からは死角になっていて見えない、弥堂を見る希咲の目は完全に殺る目だ。



 だが、そんな殺気を浴びても弥堂は動じない。



 それどころか――



「……フッ」



 身長差の影響で自然とそうなる部分もあるのだが、存分に上から見下ろして鼻で嘲笑った。



「こんにゃろ! ぶっとばしてやるー!」


「めっ! ななみちゃん、めっだよ!」



 すかさず弥堂に襲いかかろうとした希咲だったが、再び水無瀬に『めっ』されて止められる。



 傍から見たら弥堂に掴みかかる希咲を水無瀬が背後から抑えている構図だ。


 しかし実際は、七海ちゃんのお腹に負担をかけてはいけないと、背後から彼女の腰に腕をまわした水無瀬の拘束はゆるゆるで。

 急に動いて愛苗ちゃんが転んでしまってはいけないと、腰にしがみつく彼女を引きずらないように希咲は上半身だけでじたじたする。



 そしてそれを見切った弥堂は、下半身の位置を固定した希咲の手がギリギリ届かない位置にポジショニングし、本気で止める気のない水無瀬と、本気で振り払う気のない希咲が絡み合う姿を見下す。


 こいつらただ抱き合いたいだけじゃないのかと彼女らへ疑惑の眼差しを向けた。



 ややすると、「よくごめんなさいできたね? えらいね?」と水無瀬によしよしされた希咲が落ち着きを取り戻す。


 そのまま彼女たちは弥堂の目の前で、弥堂をそっちのけに向かい合って何やらごにょごにょし始める。



「あのね、私もね、ななみちゃんにね、謝らなきゃいけないことがあるの……」



 水無瀬さんはもじもじとした。



「えっ? あたしに? なにか…………あっ! ……あ、あのね……? あたしも愛苗に謝んなきゃいけないことが……」



 希咲さんもハッとしてからもじもじした。



「今は時間ないね」「放課後は?」「今日は無理かも」「じゃあ旅行帰ったら」「お泊り会しようね」「一緒に寝ようね」「その時お話しようね」と、目の前でイチャイチャしながら約束を交わす少女たちを見て弥堂は一抹の虚しさのようなものを覚えた。



「…………もういいか?」



 うんざりとした気持ちで弥堂が声をかけると二人はハッとしてこちらの世界へ帰ってくる。



「ご、ごめんね弥堂くん。ほったらかしにしちゃって……」

「なに? あんたかまってほしいわけ? うざいんだけど」


「むしろ続けてていいから俺をもう放っといてくれないか」



 もう解放してくれという意味合いで言ったのだが、違う意味で受け取られ弥堂は苛立つ。


 そしてそんな彼に追い打ちが入っていく。



「じゃあ今度は弥堂くんの番だねっ」


「…………あ?」


「あんたそれやめろっつったでしょ。女の子に『あ?』っつーな」



 水無瀬の発言の意図が気に掛かるが、先にイチャモンをつけてきた希咲を黙らせようと無言で彼女の顏に手を伸ばす。


 その手はあっけなく抑えられ逆に爪をたてられる。



「弥堂くんもななみちゃんにゴメンなさいしよーね」


「…………なんだと?」



 希咲と押し合いをしている間に告げられた水無瀬の言葉に、弥堂は不可解さから眉根を寄せ、希咲はその瞳を輝かせた。



「ななみちゃんがゴメンなさいしてくれたでしょ? だから弥堂くんもゴメンなさいしてあげようね?」


「そうよ。謝んなさいよ。ほら。早く」


「何故俺が謝らねばならない」



 水無瀬の脇で調子づいたように煽ってくる希咲に苛つきながら問う。



「ななみちゃんの髪ぐちゃぐちゃにしちゃったの謝ろ?」


「そうよ。あたしとっても傷ついたわ。あーつらい」


「それはお前が悪かったとさっき自分で言ってただろうが」



 別に謝ってやってもよかったのだが、希咲の態度が癇に障るので弥堂はとりあえず屁理屈をこねて抵抗を試みる。



「うん。私が悪かった。ゴメンね? でもね昨日、なでなでする時は髪型崩さないように優しくしようねって言ったよね? それは謝ってあげよう?」


「あーあ。これセットするために早起きしてるのにー。こんな目にあうなんてー。かなしーよー。あたし泣いちゃうー」


「ななみちゃんも私もゴメンなさいしたから、今度は弥堂くんの番だよ? みんなでゴメンなさいして、おあいこにしよ? ね?」


「びとーくんひどいよー、えーん」



 水無瀬に両手をやんわりと握られ、見た目が幼げな彼女にまるで幼児を諭すようなことを言われ弥堂は強い屈辱を感じた。


 隣で雑な泣き真似をする希咲の半笑いの勝ち誇った顏もその苛立ちに拍車をかける。



 弥堂は瞑目し眉間を揉み解しながら天を仰ぐ。


 そして記憶の中の記録を探る。



 現在のこの屈辱的な状況を乗り切るために、過去に起こったより屈辱的な出来事を思い出すためだ。



 今回の屈辱コレクションはこれだ。



 以前にエルフィーネと組んで仕事をしていた時に、彼女の所属する宗教団体から異端認定を受けた時のことだ。


 指名手配をされ街中が敵になった。


 当然そうなっては表を出歩くことは出来ない。



 しかし弥堂には他にやることがある為あまり長々と足止めをされるわけにはいかなかった。


 強行突破で街を脱出しようとする弥堂をエルフィーネは止めた。



「危険です。外に出てはいけません」と言う彼女の制止を振り払って外出しようとした結果、あの頭のおかしいクソメイドに両手両足を圧し折られて地下室の壁に磔にされた。



 疑う余地もない程の監禁であった。



 当然そのような状態では自分で用を足すことも出来ない。


 便所へ行くついでに逃げようと彼女へ便意を訴えたが、残念ながらエルフィーネは弥堂の言葉を一切信用していない。



 いつもならそれでも気を遣って適度に騙されてくれるのだが、この時の彼女は強硬だった。


 自身の所属する宗教組織の苛烈さを彼女が誰よりもわかっていたからだろう。



「私があなたを守ります」などと意味のわからないことを口走る女は手ずから弥堂におしめを穿かせた。


 そしてそのおしめを換え、餌を与え、またおしめを換え、彼女は甲斐甲斐しく弥堂を飼育した。



 相手が年上だからとはいえ、自分よりも小柄で童顔な女に手も足もでない状態で力づくで抑え込まれながらおしめを交換されるというのは、ロクでもない記憶ばかりを積み重ねてきた弥堂の人生の中でもトップクラスに鮮烈な出来事であった。


 もう少しで脳が破壊され、この状況に適合する為に人として行ってはいけない方向へ進化を遂げるところであった。



 しかし、弥堂とてやられっぱなしではなかった。


 手も足も出なくとも口は出る。



 おしめを換えられながらエルフィーネの人格を崩壊させるつもりで徹底的に彼女を詰め倒したが、その結果出来上がったのは、手足が折れている以外は至って健康な青年のおしめを号泣しながら交換するメイド女という地獄だった。


 彼女のメンタルはなかなかに強靭だった。



 あの時の経験に比べれば、こんなJKなどという者どもに少々ナメた口をきかれる程度、どうという程のことでもないと、弥堂は精神の安定を取り戻した。



 弥堂は目を開き、とるに足らない小娘二人を見下ろして「フッ」と鼻で嘲笑った。




 まるで見下してバカにするような弥堂の態度に希咲はムッとなり、水無瀬は首を傾げる。



 弥堂はそんな彼女らの眼前に左右の腕をそれぞれ差し出してやった。



 水無瀬は不思議そうにしながらもその手をとりギュッと握る。


 対して希咲は自身の前に出された弥堂の手をぺちんと叩き落としてから、続いて水無瀬が握る方の手もバチンっと叩き落とした。



 叩き戻された自身の手の甲を擦りながら弥堂は心中で嘲笑う。



 折れるものなら折ってみろというつもりで腕を差しだしてやったが、所詮小娘どもなどこの程度だ。エルフィーネとは違う。彼女は容赦のない女だった。



 弥堂はクラスメイトの女子と昔の女との頭のおかしさを比較して、自身の師の優位性を確信する。


 そして希咲は超常的な女の勘でなにかを察知し不快感を露わにした。



「なんっかムカつくわね。またロクでもないこと考えてんでしょ?」


「そんなことはない。キミの勘違いだ」



 あらぬ疑いをかけられるが最早平静は揺らがない。



 地獄のような経験だったがそこから得られるものもあった。



「ホントかしら? まぁいいわ。それよりさっさと謝ってよ」


「ん? あぁ、そういえばそんな話だったな」



 惚けるようなことを言う彼に食って掛かろうとした希咲だったが、それよりも先に弥堂が口を開く。



「二人とも悪かったな。俺の配慮が足りなかった。どうか許してくれ」



 まさか素直に謝るとは思っていなかったので希咲は虚を突かれぽかーんと口を開き、水無瀬は瞳を輝かせた。



「えへへー。いいよー? 私もゴメンねー」


「ふ、ふんっ。わかればいいのよ! もうしないでよねっ」


「あぁ、気を付けよう」



 赤ちゃんでいることを強いられる日々に比べれば、この場で小娘どもに口先だけの謝罪をすることなど何の痛痒にもならない。


 現状以上の地獄を知っていれば、脳を麻痺させることによってどんな苦境も乗り切れるのだ。



 そしてあの地獄から抜け出すために、メンタル的なものだけでなく新たな『技術』を習得することも出来た。


 その時の『技術』が今日のこの場まで自分の生命を繋ぐほどの重要なものになるとは人生とはわからないものである。



 弥堂は目の前の少女たちをほったらかして郷愁の念にも似た感傷を抱きそうになり、自嘲気味に鼻から息を漏らすと自制をするために記録を切る。



 なにはともあれ、弥堂が謝罪をしたことで手打ちとなり、上手くみんなで仲直りが出来たと満足した水無瀬はむふーと鼻息を漏らし、弥堂に謝らせたことで何故か満足感を得た希咲もむふーと鼻息を漏らす。



 しかし希咲はすぐにハッとなった。



 このクズ男がこんなに素直に非を認めるなどありえない、と。



 昨日もそうだった。



 こうやって油断させておいて突然またわけのわからないことをぶっこんでくるのだ。



 対面の男に対して警戒感を募らせるが、彼女は失念をしていた。



 この場には弥堂以外にも突然わけのわからないことをぶっこんでくる人物がいることを。



「じゃあ、仲直りのナデナデしようね!」


「へ?」

「あ?」



 水無瀬は疑問符を浮かべる友人二人にニッコリと笑顔を向けた。



「今度は優しくナデナデしてあげてねっ」


「何言ってんだお前」


「え? やり直しだよ? ちゃんとナデナデしてなかよしになろうね」


「ちょ、ちょっと待って! あたしヤなんだけど!」


「えっ⁉」



 こんな男にもう二度と触られたくないと希咲が当然の要求をすると、水無瀬はまるでそんな可能性があることを1ミリも考慮していなかったとばかりに目を見開く。



「なんでビックリしてんのよ。ヤに決まってるでしょ!」


「え、あっ…………そうだったんだ……ごめんね……」


「ゔっ……⁉」



 希咲としては正当な訴えなのだが、表情を曇らせた彼女の顔を見て罪悪感が湧く。



「私よかれと思ったんだけど……気付かなくて……ごめんなさい……」


「くっ……!」



 シュンと落ち込む水無瀬の姿に希咲は苦し気に呻く。



 そしてしばし逡巡すると苦渋の決断を下し弥堂の方へグッと頭を突き出した。



「――よし、こい……っ!」


「こいって……お前な……」


「よしこい!」



 勢いで何かを乗り切ろうとする彼女に弥堂は白んだ眼を向ける。



「一体なにがお前をそうまでさせるんだ?」


「うっさいわねっ! あたしだってあんたなんかに触られるのイヤなんだからさっさと済ませてよ!」


「甘やかしすぎじゃないのか?」


「カンケーないでしょ! はやくしなさいよ!」



 本意ではないという彼女の言葉通り、弥堂へ向けられる希咲の目は殺る目だ。


 どうしたものかと視線を巡らせると期待で瞳を輝かせてこちらを見守る水無瀬がいる。



 弥堂はもう面倒になり彼女らの気の済むようにしてやろうと決め、希咲の頭に手を置く。



 そして、以前にルビアに『女の髪の撫で方』なるものを教わったなと思い出しそれを実行しようとしたところで、希咲の頭にグッと手を押し戻される。



 彼女を見れば下から睨めつけながら全身の力でこちらの手を押し返してきていた。



 せめてもの逆襲のつもりなのかは知れないが、弥堂は何故か彼女の態度にカチンときた。



 こちらも腕にグッと力を入れ彼女の頭を抑え付ける。



 すると希咲はさらに力をこめて弥堂の顏へ自身の顏を近づけるように押していく。


 弥堂はそんな彼女の頭を指に力を入れて掴んだ。



「あによ? ちゃんと撫でなさいよ。やり方わかんないの? このヘッタくそ」

「お前の髪がベッタベタだからな。ちょっとでも動かしたら髪がグチャグチャになりそうだ。気を遣ってやっているんだ。ありがたく思え」


「はぁ?」

「あぁ?」



 厭味のつもりでそうは言ったが、一応は言葉通りまた彼女の髪型を崩しては何を言われるかわからないと、その部分に気を遣って手加減しているので状況は希咲が有利だ。



 彼女が徐々に弥堂の手を押し返していき、現在は至近距離で睨み合う不良同士のような図になっている。



 その光景を周囲は面白げに鑑賞している。



「なにこの面白コンテンツ。ののか的には捗るから全然アリなんだけどー」

「……今朝まではこのピリつき具合が恐かったけど、今は一周まわって面白い、かも……?」

「そうね。ただの異物かと思っていたけれど、これはこれでアリかもしれないわ。まだ議論の余地はあるけれど……」

「どんな意見があがればその議論に決着がつくのよ」



 どう見ても険悪な二人を水無瀬が楽し気にニコニコと見守る光景を、さらに周囲の者が見守る不思議空間が展開されていた。



 しかし、そんな時間の終わりを告げるチャイムの音がスピーカーから流れる。



 その音にハッとなった少女たちはイソイソと自分の荷物を片付けて自席へと戻っていく。



 まだいがみ合っている希咲と弥堂を置いて。



 二人を見守る水無瀬さんの表情がハラハラとしだした。



「ちょっと! 乱暴に髪つかまないでっ! せっかく愛苗がなおしてくれたのに乱れるでしょ!」

「嫌ならとっとと離れろ。なんで頭押し付けてくんだよ、鬱陶しい」


「うっさい! あたしから止めたらなんか負けた気がしてムカつくのよ! あんたがそこどけ!」

「お前自分がなに言ってるかわかってんのか」


「そんなのわかってるわけねーだろ、ぼけぇー!」



 段々とヒートアップし、ついには臨界まで怒りが高まった希咲は自分も手を伸ばして弥堂の顔面に掴みかかった。



「いてーな。おい、顏に爪をたてるな」

「うるさいっ! イヤなら離れればいいでしょ! このクソやろー!」


「お前がどけ。あまりナメた真似をするなよ、クソガキが」

「ガキはあんただっつってんだろ! ばかばかばーーっかっ!」


「やっぱガキじゃねーか。わけのわからんことばかり言って暴れるな」

「あんたが悪いんでしょ! 大体なんでこんなわけわかんないことになるわけ⁉ 絶対あんたのせい!」


「言いがかりをつけるな。お前が悪いんだろうが」

「あんたが絡むとわけわかんないことになるんでしょ! 昨日だってそうじゃん! あやまって!」


「しつこいぞ。大体それはこっちの台詞だ。お前と関わるまでこんなクソッタレな状況にはなったことがない。お前のせいだ、謝れ」

「誰があやまるかー! 変態っ! むっつり! 痴漢やろー!」


「うるせーんだよ、このメンヘラが」

「誰がメンヘラだぁっ⁉ このっ――もがぁっ⁉」



 キャンキャンと喧しい希咲を黙らせるために、弥堂は彼女のおさげを掴んでその口に突っ込むという暴挙にでた。


 そのせいでより一層熱くなった希咲は言葉にならない声をあげながら弥堂の顔面をぺちぺちしたり引っ掻いたりする。


 そのまま二人でグイグイ身体を押し付け合いながら争っていると――



「――またやってるのかお前ら。実は仲良かったのか?」



 横合いからそんな声が挟まれる。



 それに気を取られたせいか弥堂の力が緩んだので、その隙に希咲は口内に突っ込まれていた自身のおさげを引き抜き、「ぷはぁっ」と喘ぐ。


 そしてすかさず食ってかかった。



「誰がこんなヤツとなかよしかーーっ! 目ん玉腐ってんじゃないの⁉ ぶっとばされたいわけっ⁉」



 威勢よく罵りながら首を回すが、その闖入者の姿を目に写した途端に勢いを失う。



 そこに在ったのは肉塊だ。



 肉の巨魁。



 しかしそれは肥え太った肉ではなく鉄のように鍛え上げられた肉。



 まるで大きさの違ういくつかの鉄球を繋ぎ合わせて人体を模ったかのような頑強な出で立ちから生じる圧迫感に、所詮はか弱いJKでしかない希咲は怯えた。


 サァーっと顔を青褪めさせ同時にドッと冷や汗を流す。



 この場に現れたのは、2年B組のこの後の授業である数学を担当する権藤先生だった。



「ぶっとばされたくはないな」



 権藤はその並みの数学教師では至れない屈強な肉体をのそりと動かし二人に近づこうとしたが、女生徒である希咲が怯えていることに気が付きコンプライアンスの観点から立ち止まった。



 権藤先生はプロフェッショナルな教師だ。


 いかなる時も自身のキャリアに傷をつける可能性のある事柄には近づかない。



 だが、そうとはいえ――



 権藤はチラリと希咲の手を見る。



 弥堂のような男子生徒の胸倉を掴みあげて怒鳴りつけるような威勢のいいギャルが、自分の姿を見ただけでこのように怯えた態度に変わるのは少々心にクルものがあった。



 あらゆる負荷にも耐え抜きどれだけ筋線維を太く束ねようともメンタルは傷つくのだ。


 権藤はその現実に己の鍛錬不足を自覚し、日課のトレーニングのメニューを増やすことを密かに決める。



「あっ……あのっ……その、あたし…………」



 怯え混乱する女子生徒に対して、権藤は無言で、しかし彼女を刺激しないようにゆっくりと教室内の壁掛け時計を指差す。



 教師の導く先に視線を動かした希咲は現在時刻を認識する。



 午後の授業はとっくに始まっていた。



 ようやく自分が授業開始のチャイムにも気付かないほどに熱くなっていたことを自覚した希咲はハッとなり周囲を見回す。



 ついさっきまでそこらへんで茶化すようなことを言っていた女子4人組はいつの間にか居なくなっていた。


 すぐ背後で自分へ向けて片方のお手てを力なく伸ばし、もう片方のお手てを口元に添えてあわあわしている親友の姿に気が付いた。



 彼女を見て七海ちゃんはふにゃっと眉を下げた。



 彼女を見て愛苗ちゃんもふにゃっと眉を下げる。



 教室内をよく見れば自分たち3人以外の生徒は全員着席をしている。



 希咲の記憶では教室内の生徒は疎らだったはずだが、クズ男といがみ合っているうちにいつの間にか全員戻ってきていたようだ。


 当然その中にはさっきまでここに居た女子4人組もいる。



 あれだけ自分たちの諍いを面白がっていたくせに、彼女らはあっさりとこちらを見捨てて自席へと戻っていた。



 しかし彼女たちは責められない。



 女子とはそういうものだし、そもそも授業が開始する時には席に着いているのがルールだ。これは明らかに希咲の過失だ。



 そして、ここまで気が付かないようにしていたが、そろそろ限界だ。



 教室内を見渡すと全ての目が自分たちへ向いている。



 その目玉のほとんどに宿る好奇の色に希咲は身を縮こまらせた。



 そうすると無意識に今まで身を寄せていたものに、より強く身体を密着させてしまう。


 自身の肌に伝わる違う温度と骨ばった感触に、内心ではもう気付いてはいるけれど、ワンチャンに賭けてその正体を見る。



 無表情ヅラに貼り付いた湿度ゼロの瞳が自分を冷酷に見下ろしていた。



 希咲の羞恥メーターが一瞬でレッドゾーンへ振り切る。



 再びハッとなった希咲は慌てて弥堂をドンッと突き飛ばす。



 その細い肢体の見かけによらず割と力の強い彼女に強く押された弥堂はよろけ、すぐ近くにある自席の天板の角が腿の筋線維の隙間に突き刺さり激しく苛ついた。



「希咲」



 権藤が彼女の名を呼んだのは咎めるためではなく、弥堂が希咲へ何か報復行動に出るのを牽制するためだ。



 しかし、教師の心知らず、生徒である希咲はビクっと身体を震わせるとその形のよいアーモンド型の瞼を歪め、じわっと涙を浮かべる。



「――ご……」


「…………ご?」



「――ごめんなさいぃぃぃぃっ‼‼」



 もう授業が開始されている他の教室にまで響き渡るほどの音量で、希咲は心からの謝罪の言葉を絶叫すると、両手で顔を覆いワッと泣き出した。



 権藤先生と弥堂は白目になった。




 やがて、水無瀬に一頻りよしよしされて泣き止んだ彼女は自席へ戻っていく。



 弥堂は自席に座り、痛む腿を擦りながら数学の教材を机に並べる。



 その作業をしながら、遠くの出来事のように聴こえる彼女らの会話が耳から微かに這入ってきて、勝手に記憶に記録される。



 野崎さんの号令がかかり、授業が開始された。



 権藤の野太い声で読み上げられる魔法の呪文のような数式を聞き流しながら、それから意識を逸らすための無自覚の逃避なのか、希咲と水無瀬の会話を視る。



 なんでもないような会話。



 二人の少女がただ約束を確認するだけのやりとり。



「旅行終わったら」「ちゃんとお話しようね」「お泊り」「来月の」「いつかね」



 次の日が。次の週が。次の月が。



 いつかが来ることが当たり前の者たちの会話。



 自分にはそのいつかが訪れることが当然だと思いもしていない。



 そうでない可能性を考えもしないほどの、今の日常の先にある未来への信仰。



 平和に惚けているし、暢気なことだとも思う。



 しかし、そんな彼女たちが普通であり、そうであることが当たり前の生活を送っていることが正しいのだ。



 そうは考えられない自分が普通でなく、それが当たり前だと感じられない自分の方こそが間違っているのだ。






 教室内に響く権藤教師の声に少し疲労が滲んでいるような気がする。



 気のせいだ。

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