1章06 『School Days』

 最悪の一日の幕開けだ。



 2年B組の生徒たちの多くがそのように感じていたが、その後は特に問題となるような出来事は起こらず、恙無く午前中の日程を終え現在は昼休みだ。


 この頃には殆どの生徒が何事もなかったかのように日常的な学園生活を楽しんでいた。この学園で生きていくには順応の高さと切り替えの速さが求められる。



 しかしこの時、楽しくない状況に陥っている者が居た。



 弥堂 優輝びとう ゆうきである。



 弥堂は努めて無感情に自身の目の前に差し出された包みを視る。



 そしてその包みを掴む小さな手から辿っていって、その手の主の顏を見る。


 水無瀬 愛苗みなせ まながニコッと笑う。



 続いてその水無瀬の肩に置かれた細長い指先から辿っていき、その指の持ち主を見る。


 希咲 七海きさき ななみがギンッと睨んだ。



 弥堂は抵抗を早々に諦めその包みを受け取った。



 目の前の少女が歓喜に包まれたことを気配で察する。



「予め言っておくべきだったが、水無瀬。毎日これを用意してこなくていいぞ。キミも大変だろうし、俺にも予定がある。必ず受け取れるとは限らんからな」



 溜め息混じりに水無瀬へ伝えると、それには別の者が答えた。



「あんたね。まず先に『ありがとう』でしょうがっ。女の子がわざわざお弁当作ってきてくれたんだから少しは嬉しそうにしなさいよ」



 刺々しくそんなお説教をしてきた希咲を弥堂はジッと見る。



「わざわざご丁寧な忠告痛み入る。嬉しすぎて感謝したくなるほどに迷惑だ」


「カッチーン」


「あわわっ、ななみちゃん……っ!」



 ゆらぁと進み出て拳を握る自身の親友を水無瀬が慌てて押し留める。


 額と額が触れ合いそうになりながら、「あ?」「お?」と睨み合う二人は一触即発かと思われたが――



「あははっ。またやってるー」



 そこにワラワラと数名の女生徒が現れたことで、希咲も弥堂も一歩退いた。



 日下部 真帆、早乙女 ののか、野崎 楓、舞鶴 小夜子の4名だ。



「ふふっ……ごめんなさいね、弥堂君。お邪魔だったかしら?」


「…………野崎さんか。随分と大所帯だな」


「えぇ、そうなの。今日はみんなで希咲さんにお呼ばれしちゃって」


「それは楽しそうだな」



 言葉とは裏腹に弥堂の目玉は素早く動いて脱出経路を探している。


 女が大量に湧いている喧しい空間など自分にとってアウェー以外の何物でもないからだ。



「あんた、野崎さんには普通に喋るのね」


「……そんなことはない」


「それを信じてもらいたいんならせめてこっち見て喋れっ。キョロキョロどこ見てんのよっ」


「チッ……」


「舌打ちすんなこらー!」



 逃走を謀っていたら希咲に見咎められまたも口論になりかけるが、始まる前に別の声が挿しこまれる。



「ほらーマホマホー、やっぱり仲いいよー」


「ばっ、ばかっ! ののかやめなさいって……!」



 最初に声をかけてきた早乙女と、その彼女に注意をしながら弥堂の顔色を窺う日下部だ。


 その日下部の弥堂を恐れる態度に野崎は苦笑いを浮かべる。



「日下部さん……みんなも、あまり弥堂君を怖がらないであげて欲しいわ」


「い、いや……そんな怖いだなんて……」



 消極的に否定しつつ、やはり日下部は弥堂の顔色を窺う。



「えと。もしかして野崎さんってこいつと付き合いあるの?」



 親指で適当に弥堂を指しながら意外そうな顏で希咲は問う。



「うん。委員会で」


「あのね、ななみちゃん。野崎さんは去年も同じクラスで弥堂君と一緒に風紀委員してたんだよ!」


「あぁ……そういう」



 野崎と水無瀬の説明に合点がいく。



 弥堂はいい具合に自分への関心が逸れたことを見極め行動に出る。



「では、俺は――」

「――ねーねー! でもさー、なんか弥堂君って委員長には優しいっていうか丁寧じゃないー?」

「あ、ののか。それあたしも思った!」

「だよねだよねー? さっすが七海ちゃん!」

「…………」



 暇を告げようとしたがそれよりも先に別の女子が喋り出し失敗した。



「そうかな? そんなことないと思うけど……あとね、ののか。いつも言ってるけど私は学級委員だけど委員長じゃないよ? 他にクラスに学級委員いないんだから委員長なんて役職あるのはおかしいでしょ?」

「えー? だって委員長みが溢れてるし」

「そうよ。楓。あなたは委員長になるべくして生まれてきたのよ。誇りなさい」

「小夜子っ。適当なこと言わないで。また私の渾名が委員長になっちゃうでしょ」

「あーでも、それわかる。油断して委員長って呼びそうになっちゃったことあるわ、あたし」

「あ! 希咲さん! それ私もある!」

「ほらー、マホマホもこう言ってんじゃーん? もう委員長でいいよね?」

「全学年で集まる学級委員会にはちゃんと三年生の委員長さんがいるから勝手に名乗れないわよ……」

「今こそ下克上の時よ、楓。先輩を打ち倒し、誰が委員長の中の委員長なのかを学園中に知らしめるのよ」

「学級委員ってそういうシステムじゃないから……というか小夜子。あなた絶対わかっててふざけてるでしょ」

「あはは、舞鶴さん意外と面白いわよね。そういやこないだ教えてもらった動画めちゃハマったー」

「あらそう? 御眼鏡にかなってよかったわ」

「うんうん。かなったかなった。あたしあれ好きかもー。てか、日下部さんもお笑い好きだったわよね? 絶対あれ好きだと思うー」

「え? なになに? 教えてー」

「あ、ずるーい! ののかにも教えてよー!」


「…………」



 昼時のJKたちの姦しさの前ではコミュ障男が発言の機会を得る隙など見出せようもなかった。


 どうしてどこの世界でも女が集まるとこんなにも煩いのかと、弥堂は迷惑そうな眼でクラスメイトの女子たちを見遣る。



 2年生となって約10日ほど。


 今年初めて同じクラスになった生徒たちについても、この頃にはその為人やそれぞれの関係性などが弥堂にも大分わかってきていた。



 幼げな容姿で時折り妄想がちな発言をするお調子者といった風の早乙女さおとめ ののか。

 その彼女を窘めることの多い、常識的でいい意味でも悪い意味でも目立つようなことをしない日下部 真帆くさかべ まほ


 常識的という意味では日下部と似ているが、面倒見がよく責任を求められる役割を積極的に負うため、周りから一目置かれ集団の中心に近い場所に常に居る野崎 楓のざき かえで

 そして野崎とは中学時代から友人だという、学力が学年トップで本を読んでいることが多く物静かな印象だが、時折り毒を吐いたりすることもあり、見た目によらず冗談を好む質のようである舞鶴 小夜子まいつる さよこ



 こうして彼女らの人物評を浮かべている最中もひっきりなしに会話は続いている。



 ここでようやく弥堂は、そういえばわざわざこいつらに断りを入れて暇を乞う必要などなかったなと気付き、この隙に黙って立ち去ってしまおうと思いつく。



 手に持ったコンビニのビニール袋と水無瀬から貰った弁当の包みが擦れて音を立てぬよう留意し、踵を返そうとしたところでハッとする。



(バ、バカな――⁉)



 焦りを含みつつバッバっと素早く周囲を見回す。



 いつの間にか、寄ってきた女子どもが――車座のようになって昼飯を共にするためだろう――それぞれが近くの机を移動させ円陣を組んでおり、弥堂はその中心点に立っていた。



 つまり、弥堂は完全に包囲されていた。



 もしも、この女どもが各々刃物を取り出し、それを腰だめに構えてこちらへ一斉に突貫してくれば――



 弥堂は素早く計算し、そして薄く唇を噛む。



 半数は返り討ちに出来る。だが残り半数の刃はこの身に突き刺さるだろう。よくて凶刃をこの身で受けながら相手の首を圧し折り道連れに出来るかどうか、というところか。



 こういったことには自分は慎重で神経質なつもりでいた。だがこうも悟らせずに包囲を完了させられるものなのか。



(……甘くみていたな。これがJKという種族か)


「や。絶対違うから」



 弥堂が内心で戦慄していると、その思考に対してのツッコミが入る。


 そちらへ視線を向けると、こちらをジト目で見遣る希咲の顏があった。



「絶対あんたが思ってるようなことじゃないから。知らんけど」



 チラっと他の者たちを見てみるとまだ彼女らは彼女らで会話を続けている。希咲は今は参加していないようだ。



 弥堂はとりあえず彼女を無視して顏を逸らした。





 すると、もう一人集団の会話に参加していない者が目に入る。



 視界の外から聴こえてくる「おいこら、シカトすんな」という声を聞き流し、水無瀬 愛苗を視る。



 彼女はシームレスに会話を繰り広げるクラスメイトたちの話をよく聞きながら何かタイミングを計っているような様子に視える。



 早乙女がおかしなことを言って日下部さんが叱る。それによって周りが笑ったタイミングで何かを言おうとするがその前に舞鶴がシニカルに茶々を入れ、また次の会話が始まり水無瀬はガーンとショックを受ける。


 めげずに再度チャレンジするようで、舞鶴にお説教をする野崎さんを日下部さんが宥めたタイミングで身を乗り出そうとし、しかし次の発言を早乙女に掻っ攫われてシュンとする。


 それでも何やら「うんうん」と頷き自らを鼓舞して顔を上げるが、舞鶴が自身のスマホの画面をみんなに見えるように向けており、それに一緒になって見入ってみんなと一緒のタイミングでドッと笑う。そのままツボに入ったのかしばらくクスクスと笑い続けてから、自分がまたも発言の機会を逸したことに気付きハッとなる。



「…………」



 その様子を弥堂は眺め、どうやら女という性別に生まれただけであの会話に着いていけるだけの『加護ライセンス』を『世界』から与えられるわけではないのだと知る。



 一生懸命に会話に加わろうとしているようだが、どんくさい彼女には少々荷が勝つようだ。



 だが、自分には関係ないと弥堂は見限る。



 水無瀬から顏を逸らしてしまったことで、視点が希咲の方へ戻ってしまい弥堂は己の浅薄さを呪って舌を打った。


 チッと音が鳴り、それをまた彼女に詰られさらに面倒になるかもしれぬと軽率に軽率を重ねる自身に失望したが、どうも聞き咎められずに済んだようだ。



 希咲はこちらには注意を払っておらず、チラっと水無瀬を見ると、すぐに今度は集団の方へ目線を振って僅かに目を細め人差し指で浅く唇を撫でる。



「へー。いつのまにかそんなの出来てたんだ。小夜子知ってた?」

「いえ、私も初耳だわ」

「えーー⁉ そんな知名度ないんだー、ちょっとショック! ちょうどいいからみんなで応援しようよー。絶対かわいいからっ」

「いや、ののか。あれ絶対かわいくないって……なんか怖いんだけど」


 希咲はそこで口を挟んだ。


「あーー。あたしも知ってるそれ!」


「ほんとーー⁉ 七海ちゃんも知ってる⁉」


「知ってる知ってる。ってもあたしは愛苗に教えてもらったんだけどぉ……えーと、あれなんだったっけ……? ねー愛苗ー? あのちょっとキモイゆるキャラ。あれ名前なんだったっけ?」



 顏ごと水無瀬へ方向を変え、会話をそちらへ動かす。


 釣られて全員が水無瀬の方を見た。




 しかし――



「――あっ……⁉ え、えっと…………えっと……」



 待望の発言機会のはずだが、予期していなかった為か当の本人は言葉が出てこない。一頻り狼狽え、そして――



「――わ、私はLaylaレイラさんの動画が好きっ……‼‼」



 全員目が点になる。



 どうも先程の動画配信者についての話題の時に思いついたが言いそびれてしまったことが咄嗟に出てきてしまったようだ。



 皆にキョトンとした目で見られ、遅れて水無瀬も「はぅあっ⁉」と己がしくじったことを悟る。希咲さんは思わず目を覆った。



 だが、それを咎める者はおらず、二人の仕草を見て少女たちはクスクス笑いだす。



「もうっ、あんたはぁ~。今そんな話誰もしてなかったでしょ……っ。どんくさいんだから……このこの……っ」


「いひゃいっ⁉ いひゃいよひゃひゃみひゃん……っ!」



 希咲は水無瀬の顏に両手を伸ばし、むにむにとぷにぷにほっぺをいじめる。



 そこに他の少女たちも寄ってくる。



「まなぴー! Layla好きなんだー? 意外ー」

「う、うん……こないだね、ななみちゃんに教えてもらって好きになったの……」

「確かに意外かも。ちょっと暗い歌が多いから……」

「あのね、すごくさみしい感じがしてキューってなるのっ」

「そう。ところで愛苗ちゃん? プリメロは好き?」

「え? うん! 私ね、フローラルメロディが好きだよっ!」

「ふふふ……お姉ちゃんは今、愛苗ちゃんにキュンとなっているわ……」

「おねーちゃん……? 私はプリメロじゃないよ……?」

「……ちょっと軽率に飛び降りてくるわ…………」

「舞鶴さん⁉ どうしちゃったの⁉」



 意図したものではないだろうが、女子たちの誰かにドンとお尻で突き飛ばされ弥堂の腿に机の角が突き刺さる。

 激しく苛立つがすっかりお喋りに夢中な彼女たちは誰も弥堂になど関心を持っていない。


 仕方がないので、誰がやったのか記憶に記録されていないかと犯人を捜しながら彼女らの様子を見る。



「日下部さん……! 離してちょうだいっ。私のような心が穢れた女は死ねばいいのよ……っ!」

「何言ってるのっ⁉」

「まーまー二人とも。てかさ、愛苗? なんで急にLayla?」

「うっ…………あのね……さっきみんなが動画のお話してた時に私も混ぜてもらいたかったんだけど……お話に入るタイミングわかんなくて……」

「お? なんだー? まなぴー、ののかとお喋りしたかったのかー?」

「う、うん。もっとなかよしになりたかったの……」

「……やべぇ…………軽率に抱きてぇ…………じゅるり……」

「ちょっと、ののか? これだけは言っておくけど解釈違いよ」

「舞鶴さん! 顏……っ! 顏っ!」

「……でも、ののかは手あたり次第に流行りに手出しそうだからアレだけど、日下部さんも好きなんだ。ちょい意外」

「え? あー……ふふふー。私も一応JKだからねー。ちゃんと流行ってるのは網羅してるよー。希咲さんには敵わないだろうけど……」

「あ、七海でいいわよー。あたしも真帆って呼んでい? ……それがそうでもないのよ。バイトと家事で忙しくってさ。たまたまこないだバズってたから知ったばっかでニワカよ」

「もちろんいいよー。……そういえばそっか。大変よね。なんか常に最先端いってるイメージもってたわ」

「あはは。ジッサイは全然よ」

「ちなみにー、マホマホはこう見えてガチ勢だよー。初期から全曲聴いてるんだってー」

「へー、そうなんだ。じゃあさ、愛苗におすすめ教えてあげてよ。あたし詳しくないからさ」

「おけー、いいよー。水無瀬さんどんなのが好き? ……あ、愛苗ちゃんって呼んでいい? 私のことも名前でいいよー」

「う、うん。真帆ちゃん。あのね、やさしーのが好きっ」

「あーー! ずるーい! まなぴー! ののかとゆるキャラ語ろうぜー! あ、そういえば『まなぴー』って呼んでもいい? もう勝手に呼んでるけど」

「ふふ……じゃあ私のことはおねーちゃんって呼んでもらおうかしら」



 地に堕ちた蛾の死骸に集る蟻のように、あっという間に少女たちは水無瀬へ群がるようになった。


 そんな状況の中で、弥堂は希咲 七海を視ていた。



 昨日、数時間だけのことだが、希咲と行動を共にした。



 その中で抱いた彼女への印象は、ひっきりなしのお喋りで、おまけにいちいち口煩い、そんな女だという印象だ。


 だが、現在の女どもが犇めく姦しい状況下においての希咲は、弥堂が抱いていたイメージほど積極的に喋ってはいないように思えた。



 どちらかというと、半歩ほど集団から退いた視点を保ち、誰かに同意をしてみせ空気を温め、誰かの悪ノリが過ぎればさりげなく話題を転換させ全員の興味を移す。


 そして、会話に入れない者がいれば発言の機会を持たせてやり、最終的には他の者がその者に話しかける状況にする。



 弥堂にはそのように見えた希咲の立ち回りが総て意図的なものかどうかは知れないが――



(――上手く、やるものだ)



 全体を操り、全体に目配せをし、そして修正する。


 これらは弥堂には恐らく絶対に出来ないことであろうし、実際に苦手な作業だ。


 人によっては『打算的』だとネガティブに捉えるかもしれないが、それをこうも見事にやってのけるのならばそれはもう――



(――素晴らしい技術だ)



 弥堂は脳内で希咲 七海に対する評価を二段階ほど上方修正した。



 だが、普段は水無瀬と二人きりで昼休みを過ごすことの多い彼女が、今日に限って何故このようなことをしているのか、そこに疑問を感じた。



「……希咲に呼ばれた――と言ったな……?」


「え……? あぁ、うん。そうだよ。今日はみんなでランチしようって誘ってもらったの」



 呟くような問いに答えたのは、いつの間にか弥堂のすぐ隣に立っていた野崎さんだ。


 彼女の友人である舞鶴 小夜子の痴態に額を抑えていた野崎さんは、弥堂の声にすぐに表情を改め答えをくれた。



 なるほど、そういうことか――と得心する。



 昨日の法廷院 擁護ほうていいん まもるの言葉ではないが――



「……過保護なことだ」



 その言葉は希咲に伝えるつもりはなく小声で囁かれたものだったが、バッチリ聞こえていたらしく彼女にギロっと睨まれる。


『余計な事を言うな』


 その目はそう語っている。



 肩を竦めてその視線を受け流していると、希咲の横を通り抜けこちらへ向かってくる者が目に入った。



 早乙女 ののかだ。



 トトトッと駆けてきた彼女は弥堂の横にある椅子に「とぅっ!」と飛び乗ると耳元に口を寄せてくる。



「あのね……来週は希咲さん旅行でまるまる居ないでしょ? だからその間ね、うちらのグループで水無瀬さんを預かろうってことなの」



 コソコソと囁かれたその声を聞いて、弥堂は彼女の顔を視る。



 早乙女 ののかと謂えば普段からバカのような発言を幼げな声で舌ったらずに話す、そういう女生徒だと思っていた。


 しかし、今耳元で当てられた声は普段よりももっと理知的で大人びたもののように聴こえた。



「今日はね、その為の面通しみたいな意味も兼ねてるの」



 早乙女について考えていると、今度は逆サイドの耳元に野崎の声で囁かれる。



「……希咲にそう頼まれたのか……?」


「NO! そんなのは暗黙だよっ!」



 弥堂の問いに答えたのは早乙女だったので再び彼女の顔を視る。


 弥堂の耳元から離れて、親指を立てながらバチコンとウィンクをしてきた彼女の口調はいつも通りのものであった。



 弥堂はまだ水無瀬の周囲に居る他の者へも視線を向けてみる。



 弥堂へ近づいた早乙女を少しハラハラとしながら見ていた日下部 真帆は、弥堂と目が合うと少しはにかむように苦笑いをした。


 そして、そのすぐ近くに座る舞鶴 小夜子は水無瀬に気付かれぬように、片目を閉じ僅かに口端を持ち上げクールにこちらへ笑ってみせた。



(なるほど。全員、承知の上か)



 早乙女へ視線を戻す。



 この少女が普段道化のように振舞うのは、先程希咲がやってみせたことと同じことなのかと知る。


 弥堂の眼には視ることのできない教室の空気というものを適宜管理し、周囲との関係を調整するための技術なのだろう。



「随分と計算高くやるものだな」


「はわわー、辛辣だよぉぉっ」


「……確かに打算的って思われちゃうかもだけど、でも悪意をもって騙してるわけじゃないし目的も悪いことじゃないよ。みんなで上手くやっていくための努力だよ」



 大袈裟に驚いてみせる早乙女に苦笑いをしながら答えた野崎さんの言葉を聞いて、弥堂はもう一度全員の顔を見渡してみる。



 弥堂の方を見るいくつかの目には後ろめたさなど少しもない。



 当の本人である水無瀬だけが状況をよくわかっていないようだ。疑問符を浮かべながらクラスメイトたちの顔を見回し、恐らくみんなが見てるからという理由で弥堂の方を見てなんとなく「むむむっ」と目に力をこめてくる。



 図らずも全員に注目されてしまった弥堂がどうしたものかと嘆息をすると――



「あんたはヒネくれすぎなのっ」



 希咲に言われ彼女を視ると続けざまに決定打を打たれる。



「そういうもんなの」



 弥堂としてはそう言われてしまっては受け入れるしかない。



 何故か彼女らの立ち振る舞いを否定してやりたくなるが、『結果が同じなら嘘もまた誠実である』と自分自身そう考えたはずだ。ならば同意をしなければ過去に矛盾することになる。



 ただし、一度その『誠実うそ』を吐いたのならば、最後まで吐き通さねばコインは裏返り『しんじつ』が白日の元となる。



 もしもそうなったのならば、今こうして笑顔の皮を被って自分を守り、間合いを測り合いながら親交を深めようとしているこの少女たちはどうなるのだろうか。


 どんな顔をして、どんな表情になり、彼女らの関係は一体『何』に為り変わるのだろうか。



 鼻から細く息を吐く。



(それこそ詮無きことか)



 そして自分には関係のないことだと思考を切り捨て、先程希咲が実演していた時のことを記録から引っ張り出し、倣ってみる。



「そうだな。キミたちの言うとおりだ。口が過ぎた。許してくれ」



 思いがけない弥堂からの謝罪と同意の言葉に女子たちは目を丸くする。



「お…………? おぉ……? 弥堂君って意外と素直……?」


「あぁ。キミたちの方が正しい。なぜなら学園生活を平穏に送る上で、俺よりもキミたちの方が優れた技術を持っているからだ」


「学園生活って技術で送るものなの……?」



 早乙女は感心するように驚いているが、常識人である日下部さんは弥堂のコメントに困惑した。



「キミたちを見くびっていたと認めよう。さすがはJKだな。圧巻のパフォーマンスだ」


「おぉ……? よくわかんないけど、そうだぞー? JKナメんなー? こわいんだぞー?」


「肝に銘じよう」



 早乙女と弥堂の微妙にかみ合っていない会話に皆が笑う。


 その中で希咲だけが様子が違った。



「ななみちゃん……?」



 水無瀬から声をかけられるが、彼女は何故か自身のスカートを抑えるようにギュッと握って、弥堂へと途轍もなく疑わしい者を見るような目を向けていた。



「どうしたの、ななみちゃん? おしっこ行きたいの?」


「へ?」



 もう一度水無瀬から呼ばれ、ハッとなった彼女はパっとスカートを放す。



「な、なんでもないっ! ちょっとトラウマが……」


「トラウマ……? えっ⁉ 大丈夫っ⁉」



 突然歩み寄るようなことを言い出した弥堂を見て昨日の出来事を思い出し、とても不審に感じていたのだ。


 焦った彼女は墓穴を掘りかける。



「トッ、トラウマっていうか……ちょっと言い間違えただけ。えーと…………その、全然たいした――って、なに見てんだこのやろうっ! あんたが悪いんだからねっ!」



 慌てて釈明しようとするが上手い言い訳が思いつかないでいると、偶然にも弥堂がこちらを見ていることに気付き、元凶への怒りが瞬間で燃え上がる。皮肉にもそのおかげで有耶無耶にすることが出来た。



「えーー。弥堂君、実はけっこう話せるじゃーん! なんかちょっと面白いし」


「それは気のせいだ。キミが満足するようなものは何も提供できない」


「ほらっ、なんか他では聞かないようなリアクション返ってくるし!」


「それはただ珍しい物を見て刺激を感じているだけだ。ジャングルへ行くことをお奨めする。俺を観察することとは比べようもない程の充実が約束されるだろう」


「あはは、なにそれー。そんなこと初めて言われたー」


「こらっ、ののか! ウザがらみしないのっ! ご、ごめんね、弥堂君」



 何を気に入られたのか。何故か気安くなった早乙女に話しかけられていると日下部さんが彼女を引き剥がしてくれる。


 弥堂の顔色を窺うように若干怯えたような態度ではあったが、弥堂としては願ったりなことだったので特に伝えるつもりもなく視線に感謝の意をこめると、彼女は苦笑いを返した。


 中々目敏い少女のようだ。



 そろそろ本格的にこの場を辞することを考える。



 この場は水無瀬と他の女生徒たちの親交を深める場だ。それに巻き込まれるわけにはいかない。



 普通の学校の普通の女子高生たち。



 こういった手合いの考えることは自分にはよくわからないし、何を好んで何を嫌うのか知らない。嫌われるのは構わないが、先程の早乙女のように気安くなられるのは困る。



 自分は普通の高校生の身分を得て、そして実際に普通の高校生に為る為にここに居る。


 だが、だからといって本当に根っからの普通の高校生である彼女たちと同類の顏をして同じ場所に居ていいというわけではない。



 希咲が自分が不在の間の臨時の庇護者として彼女たちを選んだのには一定の基準があるのだろう。



 一定以上賢くて、一定以上友好的であり、そして一定以上善良であること。



 その条件を満たしているからこそ希咲は彼女たちを選び、そして希咲の思惑どおり今日のこの場と、明日からの希咲の居ないこの場が成り立つのだろう。



 自分は打算的に善行をすることは出来る。だが、それしか出来ない。



 彼女たちは善良的に打算をすることが出来る。そこには大きな隔たりがある。



 彼女たちが親交を深め平穏な学園生活を過ごしていけるのには、そうなる必然性があり、そうする理由があり、またその資格があり、能力があるからだ。


 つまりそれは、『世界』よりそういう『加護ライセンス』を与えられており、彼女たちの『魂の設計図』はそのようにデザインされている、ということだ。



 だからこそ、身の程を知り、そして弁えなければならない。



 記憶の中の表情に乏しいメイド女が悲し気に目を伏せ、緋い髪のガラの悪い女が処置無しとばかりに天を仰いだ。そんな気がした。



 だが、気がしただけだから気のせいだ。




 自分はここに居るべきではない。






「――てかさ、あんたも座れば?」



 記憶の中から幻出する女どもを精神力で無視していると、希咲からそんな言葉をかけられる。


 弥堂は彼女へうんざりとした眼を向けた。



「それはさすがにお節介が過ぎるぞ。余計なお世話だ」



 そう言い放つと幻覚の女どもがゴミを見るような目を向けながら消えていった。


 当然そんな言い草に不快感を示したのは彼女らだけではない。



「はぁ? なんであたしがあんたなんかのお世話するわけ? 勘違いしないでよね」



 その言葉に反応したのは弥堂ではなく周囲の者たちだった。



「わわわ……っ! 聞いた? マホマホ。古の文献でしか見たことないようなツンデレムーブだよっ」

「いや、そういうんじゃないでしょ……」

「ふふ。見事なツンデレ芸ね」

「小夜子。茶化さないの」


「ちがうから! 芸じゃないからっ!」



 希咲が否定の声をあげたタイミングで弥堂は撤退を計る。



「弥堂くん、どこか行くの?」



 しかし水無瀬に呼び止められた。



「…………あぁ。用事がある」


「そうなんだ。一緒に食べれたらよかったのにね……」


「それは遠慮……そうだな残念だ。機会があればな」



 即座に断りを入れようとしたが、希咲からの視線に圧を感じたのでどうともとれる返事に切り替えた。


 その弥堂へ希咲は懐疑的な目を向けている。



「……てか、何の用事だってのよ。昼休みでしょ?」


「……仕事だ」



 弥堂は恐らく男性の97%が使ったことのある嘘を吐いたが、希咲さんはこれっぽっちも信用していない。「ふぅ~ん……」と嬲るような目で弥堂を見た。



「ねーねー、野崎さん」


「うん? なにかな?」


「今日の風紀委員の昼シフトってこいつ入ってんの?」


「え? えーと……あははー…………」



 もはやその態度が物語っているが、野崎さんは曖昧な笑みを浮かべ困ったように弥堂に視線を寄こした。


 善良な彼女につまらない嘘を吐かせるのは忍びないので、弥堂は肩を竦め好きに答えるよう促す。


 野崎さんは使える女だ。良好な関係を保っておく必要がある。



「えっとね、今日は入ってなかった……かも……?」



 彼女なりに精いっぱい間をとってくれたようだ。



 だが――



 希咲は何故か少し嬉しそうに「ふぅ~ん」と声を鳴らし、着席中の机に両肘をつき胸の前で手の甲を上に両手を組む。


 その手に自身の顎をのせて少し首を傾げるとニッコリと綺麗な笑顔を造り――



「で?」



 見上げてくるその表情は完璧な笑顔だが、弥堂にはその顔が嗜虐的に映った。



「守秘義務により答えかねるな」

「いや、今野崎さんが入ってないって言ったじゃん」

「うるさい黙れ」

「でた、パワープレイ。認めたわね」



 無駄な抵抗を試みるバカな男へ向ける視線を呆れたものに変えて続ける。



「てかさ、ここで一緒にごはん食べてけばいいじゃん」

「用があるって言っただろ」

「ないじゃん」

「あるっつってんだろ」

「休みってゆったもん!」

「言ってねーよ」



 周りを他所に二人は口論を開始すると――



「なにこれ、カップルの会話?」

「しっ! 怒られるよ!」

「……これはこれで別コンテンツとしてアリね」

「趣味が悪いわよ、やめなさい……」



 周りは周りでその様子を楽しみヒソヒソと所感を述べる。



 すると、「オホンっ」と咳払いの声が聴こえ議論は止まる。希咲にジト目を向けられた彼女らは素知らぬ顔で世間話を始める。



 対戦相手のいなくなった弥堂が視線を遊ばせると水無瀬の姿が目に入る。



 彼女は何か大きな期待に輝かせた瞳でワクワクしている。



「……無理だぞ」



 愛苗ちゃんはシュンとした。



「あんたも往生際が悪いわね」

「お前はしつこいぞ」

「しょうもない嘘つくのが悪いんでしょっ」

「嘘ではない。風紀委員とは別件で用事がある」

「はぁ? なによそれ?」

「キミには知る資格がない」

「……このやろう…………」



 瞳に攻撃色を宿し始めた希咲に両の掌を向け、争う意思はないことを示唆する。



「代役は多い方がいいのかもしれんが、人選ミスだ」


「……別に、それだけで言ってるわけじゃないし」


「俺も面倒だからというだけで断っているわけではない。単純に忙しいんだ」


「へぇ~~……」


「……疑うな。これは嘘ではない。さっきも言っただろう? こうして弁当を貰ってもいつでも受け取れるわけではない。風紀委員の仕事がメインだが、だからこそそれがない時は他の雑事を片付けねばならんこともあるし、必要があって人に会う時もある。今日は後者だ」


「…………わかったわよ。悪かったわね……」


「拗ねるな。期待に添えず悪いな」


「なんであたしが拗ねなきゃいけないのよっ。チョーシのんな!」



 二人の口論は一応の解決へ向かったようで、それを鑑賞していた人々は改めて所感を述べる。



「やっぱりカップルだよぉ」

「……なかなか見ごたえがあったわね」

「同じ大学を出て別々に就職して三か月。擦れ違い始めた二人……ってところかしら」

「お弁当を作ってるのも一緒に食べたいのも水無瀬さんなんだけどね…………でもそう考えると倒錯した人間関係が垣間見えて二度おいしい……かも……?」



 割と好き放題に言っている彼女らを希咲は再びジト目で黙らせる。



「ということだ、水無瀬。悪いな」


「ううん。気にしないでっ」


「キミに俺の予定を伝える術などないからな。そういうわけだから次からは――」


「――ID交換すればよくない?」


「――…………」



『もう作ってこなくていい』そう伝えようとしたが、最後まで言い切る前にインターセプトされる。


 自身にとって何か非常に都合の悪いことを言われた気がした弥堂は口を挟んできた者を視る。


 相手はもちろん希咲だ。



「あによ。DMなりチャットなり、やりようあるでしょ」


「…………ちょっと何を言っているのかわからんな……」


「わかんないことないでしょ。あんただってedgeくらいやってんでしょ? パパっとID交換してメッセ一つ送ればそれで解決じゃない」


「…………ちょっと何を言っているのかわからんな……」


 半眼でこちらを追い詰めてくる希咲に対して二度同じ言葉で惚けてみた。もちろんそんなものは通用しない。



「嘘つくんじゃないわよ。風紀委員ってedgeで連絡とり合ってるって前に野崎さんに聞いて、あたし知ってんだから」



 チラっと野崎さんに目線を遣ると彼女は両手を合わせて謝意を示してきた。悪意あってのことではないので彼女は責められない。



「ほら、パパっと今交換しちゃいなさいよ」



 続く言葉に希咲に目線を戻すと彼女は「ふふ~ん」とドヤ顏だ。



(こいつ……)



 彼女の隣の水無瀬さんはわたわたとスマホを取り出し、また期待をするような目でこちらを見ている。



「…………悪いが今日はスマホを家に忘れてな……残念だ」


「あ、あんた……よりによってあたしにその言い訳が通じると思ってんの……⁉」


「なんのことだ」




 希咲はビシッと弥堂の胸元を指差す。



「そこっ! 内ポケにスマホ入ってんの知ってんだから!」


「つまらん嘘を吐くな。貴様が俺のスマホの在処を何故知っている」


「何故もなにもあるかー! あんたHRの時、あたしにスマホ見せてきたじゃん!」


「ちょっと何を言っているのかわからんな」



 熱くなった希咲はガタっと勢いよく立ち上がるとズカズカと歩いて弥堂にとりつき、彼の上着の中へ手を入れようとする。



「出しなさいよっ! ここに入ってんでしょ!」


「おいやめろ。無理矢理服に触れるのはセクハラだと言ったのはお前だろうが」


「なにがセクハラかー! 朝っぱらから変な写真みせやがって!」


「変だと? あれはお前の写真だろうが。あれが変になるのはお前が変だからじゃないのか?」


「うっさい、へりくつゆーな!」


「なにが屁理屈か。人目も憚らず男の胸を弄る変態女め。恥を知れ」


「変態はお前だろうが! 女の胸を弄る変態やろー!」


「人聞きの悪いことを言うな。俺がいつそんなことをした」


「こっこここここのやろうっ……! 昨日あたしにしただろうがっ! なになかったことにしてんだ⁉」


「なかったことにしろと言ったのはお前だろうが」


「だまれ、へりくつやろー!」



 突然掴み合いを始めた二人に周囲はぽかーんとしていたが、漏れ聴こえてくるセンセーショナルな二人の言葉に誤解が生まれ加速していく。



「写真⁉」「七海ちゃんの⁉」「胸⁉」「まさぐる⁉」と、二人の関係性についてヒソヒソと協議が行われる。




「いい加減に出しちゃいなさいよっ!」


「あっ――貴様っ!」



 ついに希咲の手がズボッと弥堂の服の中へ突っ込まれる。


 一息に胸の内ポケットに手を入れると目当ての感触にすぐに辿り着き、希咲はほくそ笑んだ。



「ほーら、やっぱあるんじゃないのよっ!」


「ちぃ、させるかっ!」



 一息に引き抜こうとする希咲の腕をガッと掴み、続いて万が一にも逃げられないように彼女の腰もガッと掴んでグイっと引き寄せた。



「ぎゃーーーーっ⁉ なにすんだこのやろーーー!」

「それはこっちの台詞だ。手癖の悪い盗人め」

「やだやだやめてっ! さわんないでっ!」

「それもこっちの台詞だ。触ってきたのはお前だろうが」



 昨日の経験から学習していた希咲は、身体が密着する前に反射的に腿を上げ自分と弥堂の身体との間に膝を挟む。襟を開かせるために掴んでいた彼の上着を離し、その手で変態の顔面を押し退け出来るだけ遠ざけようとする。



「は、な、れ、ろっ!」

「いてーな、爪たてんじゃねーよ」



 とはいえ、傍から見れば十分に二人は揉みくちゃの状態だ。


 周囲がそれを茫然と見る中で水無瀬さんだけは楽しそうだ。


 愛苗ちゃんアイには二人がとってもなかよしに見えるのだ。



「おい貴様。いいのか?」

「はぁ⁉」

「さっきの例の写真。あれはギャラリーから引っ張り出したものではない」

「どういう意味よ⁉」

「馬鹿め。あれは待ち受けだ。このままこれを引っ張り出せば不健全なお前の不適切な姿が全員に見られることになるぞ」

「はぁーーーーっ⁉」

「それが嫌なら今すぐこの手を離すことだな」

「ざけんじゃないわよっ! あんたなに勝手にあたしのえっちな写真待ち受けにしてんのっ⁉ キモいんだけどキモいんだけどキモいんだけどっ――‼‼」



 その言葉に激震が走った。


 女子4名は緊急会議に入る。



「ふわぁーーーっ! えっちな写真っ! ふわぁーーーー‼‼」

「ちょっ――⁉ ののか! あんた興奮しすぎっ!」

「……ふむ。もしかしてこれガチなのかしら……? どう思う楓?」

「う、うーーーーん…………ありえないとまでは思わないけど……でも、それより…………」



 野崎さんに合わせて4人でソローっと水無瀬を窺う。



 ニッコニコだった。



 何故か二人を見てクスクスと微笑ましそうに笑う水無瀬に4人ともにギョッとする。緊急会議は続く。



「ど、どういう感情なのかな……? あれ……?」

「は、はわわー。まなぴーってば幼気な顏してNTRオッケー女子だったのかぁ……あ、あなどれねぇ…………」

「ののか。ふざけるのもいい加減にしてちょうだい。愛苗ちゃんに性欲なんてないの。お尻ひっぱたくわよ」

「小夜子……貴女なんで水無瀬さんに対してやっかいオタクみたいになってるの……? あれは多分よくわかってないんじゃないかなぁ……」



 なんだかんだ彼女たちも楽しそうだ。



「あんたそういうの絶対やめてって言ったじゃん!」

「意味がわからんな」

「なんでわかんないのよ! 愛苗に誤解されたらどうしてくれんのよ⁉」

「水無瀬……? よくわからんがヘラヘラしてるぞ」

「はぁ? そんなわけないでしょ――って! してるーーー! ニッコニコだぁ! なんでぇ⁉」

「知るか。いいからとっとと離せ」

「うっさい! ちょっと脅せば簡単に引き下がると思うなっ! ナメんじゃないわよ!」

「こいつ……いい加減にしろよ……」



 口頭で伝えてやっても従う様子が見えないので弥堂はそろそろやり過ぎることに決めた。



 この類を見ないほどに煩い女を黙らせるのに有効的な手段は何だろうか。


 己の裡にその術が蓄積されていないか、記憶の中の記録を検索してみる。




 あった。




 以前に一時的に自身の保護者のような立ち位置にいた女、ルビア=レッドルーツ。『うるさい女を黙らせる方法』に紐づいて緋い髪のあの女に言われた言葉が記録から浮かび上がる。



 あの女はこう言った。



『――いいかぁ? クソガキ。女なんかにいちいち言い返してんじゃあねぇよ。そういう男はダセぇんだ。ピーピーうるせぇ女なんかよぉ、無理矢理キスして唇塞いじまやいいんだよ。んでベロ突っこんで掻き回してやりゃあ大抵大人しくなっからよ……んだぁ、そのツラぁ? いっちょ前に照れてんのか? カァーっ! これだから童貞はよぉ! まぁいいや。オラ、こっちこいよ…………あ? なにって? ハッ! 決まってんだろ? 今からお姉さんが『女を黙らせるテク』を仕込んでやっ――』



 記録を切る。



 あのクソ女の言葉は途中だったがもう十分だ。この後の記憶は非常に不愉快なので思い出す必要はない。



 後は実行に移すだけだ。



 最初にエルフィーネにそれをやってみた時は舌を噛み切られた上にどてっ腹に『零衝』をぶち込まれて生死を彷徨うような惨事になったが、その後は大体成功した。


 他の女にやった場合も大抵上手くいったように思える。もしかしたら五分五分だったかもしれない。


 それを今一つ一つ思い出していちいちカウントして成功率を出すのは効率が悪い。2回に1回くらい成功するならまぁ分は悪くないと見切り発車することにする。



 弥堂はジロッと希咲を見る。



「な、なによ……っ⁉」



 超常的な女の勘で身の危険を察した希咲はブワっと鳥肌を立てる。


 しかし如何せん距離が近すぎた。



 弥堂は希咲の腰を掴んでいた腕に力をこめ一気に引き寄せる。


 そして彼女の顏に手を伸ばす。



 希咲の髪と顏の間に指先から侵入し頬を撫ぜながら奥まで進んでいく。親指を耳にかけて残り4本の指で彼女の後頭部を掴んだ。


 そして彼女の顏を引き寄せるのと同時に、自身の無感情な瞳も彼女へ近づけていく。



「――えっ⁉ ちょっ、ちょちょちょっ……嘘でしょっ……⁉」



 彼女は焦ってパニックになり抵抗の判断が追い付かないのだろうと予測する。


 確定した事実としてそれを観測できないのは、最早彼女の表情を見ることが出来ないほどの距離にまで近づいているからだ。



 そのまま残り僅かな距離は縮まっていき、そして――



『――――――――――――――――――♬!!』



 希咲の手の中の弥堂のスマホが大音量を発した。



 それはこの場とこの状況に似つかわしくない、愛と勇気が詰まっていて希望を見せてくれそうな感じの軽快なメロディだった。



 希咲は自身の唇にかかる吐息に意識を支配されながら、極間近にある弥堂の瞳を茫然と見つめる。その吐息は彼のものなのか、それとも彼の唇に押し返されてきた自分の鼻息なのか、何もわからない。



 その場の全員がフリーズしたままイントロが流れ終わると、元気いっぱいな女の子の歌声が流れ出す。


 そこで何の歌なのかを理解した周囲の者たちはギョッとした目を弥堂へ向け、水無瀬さんはお目めをキラキラさせた。



――そう、魔法少女プリティメロディ☆フローラルスパークのテーマだ。



 希咲はようやく自失から少しだけ立ち直り、力なく弥堂の身体を押し返す。



 それでも余りのことに脳の情報処理が追い付いていないようで、ボーっと手の中のスマホを見ている。



「…………でんわ……」


「あぁ」


「…………番号しかでてない……登録してない人……」


「いいから寄こせ」



 見れば馬鹿でもわかるようなどうでもいい情報を伝えてくる彼女からスマホを奪い返そうとしたが、死後硬直でもしたかのように彼女の手は固まって離れない。



 ビキっと青筋を浮かべた弥堂は希咲の顏に当てていた手を離すと、雑に彼女の髪をグチャグチャと掻き回してやる。



「ぎゃーーーーーーーっ⁉ なにすんだーーーーっ⁉」



 女子にやってはいけないことBEST5の内の一つをされたことで、皮肉にも希咲さんは再起動に成功した。



 そんな彼女の髪からサイドテールを括っている白い生地に黒の水玉模様の入ったヘアゴムを抜き取り、ペイっと水無瀬の方へ放る。


 放物線を描くそれを目で追って彼女の意識が逸れた隙にスマホも抜き取った。



「えいっ!」



 自身の方へ落ちてきた希咲のシュシュをハシッと両手でキャッチしようとした水無瀬の手はスカッと見事に空振り、それは彼女のお胸でポインっと跳ねてからパフッと机の上に着地した。


 水無瀬はぱちぱちっと瞬きをして机の上のそれを見つめてから「はいっ! ななみちゃん!」と笑顔で希咲に差し出す。



「あ、ありがと愛苗……って、弥堂コラァっ! あんたなんてことすんのよ!」



 乱れ髪の希咲の怒鳴り声を聞き流し、弥堂はスマホのディスプレイに表示された電話番号を見て目を細める。



「仕事の電話だ。悪いがこれで失礼する」



 端的に自分の都合だけを告げて踵を返し教室の出口へ向かう。



「あ、あんたまさかこのままどっか行く気っ⁉ メンタルどうなってんの⁉ なにビジネスマンみたいなこと言ってんだ、ふざけんな!」


「すまない。失礼する」


「あんたが謝んなきゃいけない失礼は他にいっぱいあんだろーが! だいたい…………って、あああぁぁぁぁあっ⁉ 情報量多すぎて何から文句つければいいかわかんないーーーっ‼‼」



 ここに居て欲しい訳でもない者を引き留めるための言葉が出てこなくて希咲は思わず髪を掻き毟る。彼女の髪型はさらにヒドイことになった。



 すると、ヒソヒソと交わされる会話が断片的に聴こえてくる。



 弥堂のスマホが奏でる着信ソングが喧しいためはっきりと聴き取れないが『キス』という単語が頻出していた。



「ちっ、ちがうからっ! されてないからっ! セーフだったからっ!」



 己の尊厳を守るため慌てて5人の友人たちに身の純潔と潔白を訴える。


 乙女アルゴリズムにより弥堂よりもこちらを優先せざるをえない。



 希咲の切実な叫びにハッとした4名のクラスメイトたちは、それぞれ気まずげに目をキョロキョロさせると誤魔化すように違う話をしだす。



「ねっ、ねーねー、知ってるー? この学園の中に猫いるんだって!」

「あ、あーーー、しってるしってるー。C組の子が見たって言ってたー」

「の、野良猫みたいね。白猫らしいわ」

「だ、誰か餌付けしちゃったのかなー。本当はよくないんだろうけど、猫かわいいもんねー」


「きいて! してないんだってば!」


「えへへ、ななみちゃん。弥堂くんとなかよしになったんだねっ」


「ま、愛苗ちがうのっ!」


「え? でもなかよしじゃないとチューしないよね?」


「してないのー! お願いっ、しんじてっ!」


「弥堂くんもプリメロ好きなのかなー?」


「やだっ! ちがうのっ! きらいにならないでーーーーっ!」


「え? 嫌いじゃないよ? 私はねフローラルメロディが好きなの」


「うそっ、やだっ、誤解なの……っ! おねがいすてないで……っ!」



 泣きながら水無瀬に取り縋る希咲をチラチラ見ながら、友人たちは関係ない話を続ける。


 少女たちのそんな声を背に浴びながら、自分とは別世界の出来事だとばかりに弥堂はこの場を立ち去る。



 友好を深めほのぼのとした雰囲気になるはずだった少女たちのランチタイムを台無しにし、空気を四分五裂に引き裂き場に混沌だけを残してガラっと教室の戸を開けると淀みのない動作で廊下へ出てすぐに閉める。



 たまたま教室の入り口近くの廊下で立ち話をしていた生徒さんたちがギョッとした。



 廊下へ出てすぐに目的地へと歩き出す弥堂と擦れ違う人々も、同様にギョッとしてから避けるように道を開ける。



 まるで格闘技選手の入場曲のように、国民的人気を誇る女児向けの魔法少女アニメのテーマソングを鳴らしながら堂々と現れ、肩で風を切って歩いてくる男を誰もが畏れ道を譲る。



 弥堂 優輝はそのまま昼休みの学園内のどこかへと歩いていった。

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