1章02 『4月17日』

「チュートリアルは終わりだよ、弥堂君っ!」



 そう高らかに声をあげられ、名前を呼びかけられた弥堂 優輝びとう ゆうきは顔を上げる。



 4月17日の金曜日、現在時刻は午前8時17分。



 所属する部活動の朝練に参加するため、弥堂は自身が通う私立美景台学園の授業開始時刻よりも早くに登校をし、このサバイバル部が学園より与えられている部室へと赴いていた。



 日常で起こり得る災害だけでなく、日常ではまず起こり得ない荒唐無稽な異常事態の中ですら生き残る術を研究するという名目で活動しているのがこの『サバイバル部』だ。


 正式名称は他にあるのだが、長すぎて名付けた本人ですら覚えていないので、専らこの『サバイバル部』という通り名で呼ばれている。


 そのため、外部の生徒たちからしたら何の活動をしている部活動なのか皆目見当がついておらず、関わりのない者たちからは大抵の場合、サバイバルゲームでもしている集団なのだろうとでも思われている。


 逆に、ここの部員と――主に弥堂と――実際に関わったことのある者たちは大抵が何かしらの酷い目にあわされており、そのため怪しげな犯罪行為に手を染めている非合法集団なのだと認識をしている。



 そして現在部員としてこの部室にいる弥堂でさえも、こうして朝練として週に何回か始業前に呼び出されるのだが、高校二年生となった今でも、未だに自分が一体何の練習をしているのかという点についてまるで理解に至っていなかった。



 ちなみに今朝の活動内容は、部長である廻夜は備品のノートPCで何やら熱心に耳障りな甘ったるい女の声がする動画を視聴しており、部員である弥堂は本日提出予定の反省文の執筆を行っていた。つまりお互い私用だ。ちなみに他に部員は誰も来ていない。



 単語、一つ、ごと、に、読点、を、設ける、こと、に、よって、文字数、を、稼ぎ、出す、と、いう、手法、が、果たして、罷り、通る、のか、と、いう、実験的、アプローチ、を、して、いる。


 おそらく駄目だろうと予測をしているが、とりあえず形だけでも提出してしまえば、例え文句を言われたとしてもゴネれば今回はこれで押し通せるだろうという見立てだ。



 しかし、自分でやっておいてなんだが、そのように書き出してみると今度はどの部分に読点を入れるのが国語的に正しいのかという問題に直面し、決して国語に明るいとは言えない程度の弥堂の学力では逆に頭を悩ませることになった。


 特に先ほど記入した、『この、ような、無駄、な、作文、を、度々、課して、くる、教師、ども、の、横暴、が、罷り、通る、の、は、非情、に、遺憾、で、ある。』という一文の、『罷り通る』という言葉が、『罷り通る』なのか『罷り、通る』なのかについてネットで調べてみたが結局わからず無駄に時間だけを消費させれたことに大変彼は憤っていた。


 普段調べ物をする際には検索さえすれば何でも調べられるのに、何故今回は答えが得られないのか納得がいかない。



 自分でも余計に面倒なことをしているのではと薄々気付いてはいたが、今更退くわけにもいかなかった。



 そのため非常に苛立っていた弥堂は、作業を中断する理由が出来たのは幸いと手を止めて、対面に座っている声をかけてきた自身の上司である部長の廻夜朝次めぐりや あさつぐへと目を向ける。



「チュートリアルは終わりだよ、弥堂君っ!」



 すると彼は制服の上着のボタンを閉められない原因となっている丸く膨らんだ腹をブルンっと揺らし、再度同じ言葉を告げた。


 心なしか先よりも眼光が鋭くなった気がしたが、彼はトレードマークとして室内であるにも関わらずレンズの濃い大きなサングラスをしているので、正確にその表情を測ることは出来なかった。あくまでも雰囲気だ。



「はぁ」



 それに対して弥堂は曖昧に返事をする。


 もちろん何を言っているのかわからなかったからだ。



「あ、でた。でたねいつもの生返事。キミさそれはよくないよ? 大体ね……おっとどうしたんだい弥堂君? 発言を許可しよう」



 勢いよく喋り出そうとした廻夜だったが、聞き手である弥堂が挙手をしたため踏みとどまり彼に発言を譲る。


 この部の支配者たる廻夜の発言に言葉を被せるのは不敬に値するので、弥堂は彼が喋っている時に言いたいことがある場合は挙手をしてその旨を伝えるように自主的に心掛けていた。



「はい。大変言い辛いのですが部長。その話は昨日しました」


「あれっ? そうだったっけ? すっかり忘れていたよ。でもまぁ記憶力のいいキミがそう言うんなら間違いないんだろうね。すまなかったよ、これは完全に僕の過失だ。申し訳ない。はい、謝った。知ってのとおり僕はお喋りだからね。ついつい同じ話をしてしまうこともある。そうやって指摘をしてくれるのはとても助かるよ。いつもありがとうね、弥堂君」


「恐縮です」


「あ、でた。またそれ言ったね。キミさ。それもよく口にしているけど全くもって恐れ入ってないよねって……ん? どうしたんだい、弥堂君? また手なんて挙げて。いいよ? 言ってごらん?」


「はい。大変言い辛いのですが部長。その話も昨日しました」


「あちゃー。そうだったかー。これは参ったね。同じような話を色んな時間でしてるもんだからついつい忘れちゃって。これもまた僕のミスだよ。はい、認めた。繰り返しになってしまって申し訳ないね。でもさ、弥堂君。同じこと何回も言う僕も僕だけれど、同じことを何回も言われても変わらないキミもキミだよね」


「恐縮です」


「ほらっ、また言った。ていうか弥堂君。今日ちょっと機嫌悪い?」


「そんなことはありません」



 オーバーに身振り手振りを添えて喋る上司を前にして、弥堂は何でもないことのように無表情で嘘を吐いた。



「いーや、ある。そんなことあるね! 僕にはわかる。何だかんだで僕らももう半年以上の付き合いだ。お互いのそういった細かい機微にもそろそろ気付く頃ってもんさ。ていうか弥堂君、キミね。言い辛いですがって言うけれども。もうちょっと言い辛そうな顏しようよ。いつも通りの完璧な無表情じゃない。重ねて言うけどさ、僕たちももう半年以上の付き合いだ。そろそろ僕やこの環境にも慣れてきた頃合いだろ? 僕にだけ見せてくれる表情ってやつを出してくれたっていいんじゃあないかな? 何が言いたいかって言うと最初に戻るけれども、そう、チュートリアルは終わりだよ弥堂君。僕はね、弥堂君。キミにとってのよき先輩であり、よき部長として、これまでキミには十分な時間を与えてきたつもりだ。どういう意味かわかるかい? あぁ、いい。皆まで言うな。わかってる。僕はキミがわかってるということをわかっている。だから……え? 何も言ってない? まぁまぁ、それはいいじゃない。このまま僕に喋らせておくれよ。つまりね、弥堂君。キミもこの学園に通って約一年、この部活に参加して約半年、二年生にも進級して約一週間。……まぁ、キミのクラスでのことはもう諦めるしかないとしても、それでも大分この学園生活にも慣れてきたところじゃないかな? あぁ、そうだよね。わかってる。キミのその頼もしい無表情を見れば僕には総てわかってしまうとも。すっかり戦士の貌だ。時々本当にキミは戦場帰りの軍人さんなんじゃないかなって思うこともあるけれど、それはまぁいいとして、とにかくチュートリアルは終了だ。これからの一年は一人前の戦力としてよりいっそうの部への貢献を期待するよ。でもね、弥堂君。僕は素晴らしい人間だし、その僕が立ち上げたこの部も素晴らしい部だ。だからこそこうして部員フレンドリーに丁寧なチュートリアルを設けているけれども現実ってやつはそうもいかない。何度も言っているけれど、現実はクソゲーだ。まともなチュートリアルすら用意されていない。本来この学校ってやつがそのチュートリアルを行うべき場所のはずだ。国家に登録された未だ人間になっていないヒトどもをしっかりと社会に順応できる人間に仕立て上げ、やがて社会に放流し労働をさせ国家を運営するための税金を徴収する。今は僕たち学生に対して国家が将来の金づるへと育てる為に投資をしている期間ってわけだ。僕たちが立派な人間になるためのチュートリアルなのさ。人間。ヒトとヒトとの間に立って人間だ。つまり、それは社会性と公共性を持って、つまらない労働への順応性も持っている存在であり、簡単に言うと他人と上手くやっていけるようになれってことさ。でもさ、弥堂君。そのチュートリアルである学校でさえ他人と上手くやれない奴は一体どうすればいいんだい? チュートリアルを上手くやる為のチュートリアルは一体いつどこで誰が行ってくれたというんだい? 幼稚園や保育園? それともそれ以前の公園デビュー? その時点でしくじってしまっていれば、それはもう取り返しのつかないものなのかな? そんなのってないぜ。何が言いたいかっていうと、あのさ、弥堂君。僕このままじゃさ……同窓会どころか卒業式後の二次会にすら呼ばれないんじゃないかってさ。オメェーは来んなよデブってさ。ギャルどもに言われるだろうことが容易に予想出来るもの……。そんなさ、リスクを抱えた僕という存在を放置しているのは国家の怠慢なんじゃないかって思うのさ。もっと行政がこの僕に気を遣うべきなんだと僕なんかは思うわけさ。いや、でもね? 決して行きたいわけじゃないんだよ? そこんところは勘違いして欲しくないんだけどさ。キミも知ってのとおり僕は高潔で清廉潔白な男さ。そんな僕のような人物には想像をすることすら出来ないリア充どもの取り仕切る如何わしい催しなんかには参加したくないわけよ。だけどさ、弥堂君。実際に参加するしないと、誘われる誘われないはまた別の話なわけよ。僕にだってプライドがある。体面ってやつもあるのさ。だからね、一応念のために僕にも誘いはかけるべきだと思うんだよ。ちゃんと行かないって言うからさ。それはこの場を借りて約束するよ。それで僕のプライドは保たれる。奴らの体裁も保たれる。それがwin-winってやつだし、すなわち上手くやるってことなんだと僕なんかは思うのさ。ヒトとヒトとの間で上手くやれる奴が人間となる。逆に言うとさ、それが出来ない奴は人間じゃないってことになる。僕だってヒトさ。こんな限界まで膨らみ切ったハリセンボンみたいなシルエットをしているけれども、僕だっていずれ人間となるべきはずのヒトなのさ。そんな僕と上手くやれないって奴が居たのなら、そいつだって人間じゃないって言うことも出来る。だからね、弥堂君。結局はさ…………ん? どうしたんだい時計なんか見て。あれ? もしかしていつもの? ちょっと早くない?」



 長々と口上を立てていた廻夜だったが、聞き手である弥堂が腕時計を見ていることに気付き言葉を止める。



「はい。大変言い辛いのですが部長。実はHRにて風紀委員会から生徒どもへ伝達する事項があり、その打ち合わせを同クラスの委員と事前に行わなければならないのです」



 全く言い辛そうな表情をせずに弥堂は決定事項のように自身の上司へ伝える。



「そう……そうかい……それは、仕方がないね……」


「恐縮です」



 シュンと、どこか気落ちしたように感じられる廻夜の様子だが、彼は大きなサングラスをかけているためにその感情を読み取ることが難しい。きっと気のせいだろう。


 彼ほどの頭脳明晰で冷静沈着な男が、まさか最後までお喋りがしたかったなどという理由で落ち込むはずがない。


 弥堂はそのように判断をした。



「じゃあ、事情を慮って手短に結論にいこうじゃないか」


「……恐縮です」



 すでに全く以て手短ではなかったが、それを指摘するのは不敬になると判断をし弥堂は恐縮した。



「つまりね、弥堂君。チュートリアルが碌にないこの現実というクソゲーをどう乗り切るかって話なんだ。確かに僕らの日常なんて大した出来事はない。事件だってそうは起こらない。でもね、弥堂君。大したことないありふれた普通の高校生の普通の日常だからこそ、大したことが起こってしまったのならばその時はもう取り返しがつかない可能性が高い。じゃあ、どうする? そのための我々サバイバル部さ。『災害対策方法並びにあまねく状況下での生存方法の研究ほにゃにゃにゃにゃにゃっとする部活動』、通称サバイバル部。あらゆる可能性を模索しリスクを管理し、普通じゃ起こりえない出来事や事件にもきっちりしっかり準備をして、すっかりさっぱり対応をしてみせようじゃないかって話さ。差し当たっては先に触れたように、今期の我々はフェイズ2へと移行する。現実的に考えられる災害などに対してだけではなく、荒唐無稽な状況にだって備えてみせようって話に繋がるわけさ。その第一弾のテーマがなんだったか憶えているかい? 言ってごらんよ」



「はい。『普通の高校生として平穏な日常を送っていた僕がある日突然魔法少女と出会った件』です」



「その通り! そのテーマでの活動を来週から実行に移すわけだけれども、だけどね、弥堂君。僕は一つキミに謝らなければならないことがある。それはね、週明けの月曜にすぐに深い議論を交わせるようにするために、今日の放課後の部活で事前にお互いの意見交換だけでも済ませておこうって伝えていたんだけど。ちょっとね、急用が入ってしまって予定を変更させて欲しいんだ。どうしてもね、先に決着をつけておかければならないことがあって、僕から言い出しておいて本当に申し訳ないんだけれども、今日の放課後の活動は中止させて欲しいんだ」



「なるほど、構いません」



「本当に申し訳ないね。はい、謝った! というわけで、月曜日の朝にでも、もしも普通の高校生であるキミが日常の中で魔法少女と出会ってしまった場合どうするつもりなのかっていうのをね、レポートにして提出して欲しいんだ。それを僕が授業中にでも目を通しておいてその日の放課後に議論を開始したい」



「なるほど、構いません」



「ありがとう。そんなわけでこれからが本番だ。チュートリアルが終わって本番だけれども、いつか来るかもしれない次の本番に向けてのチュートリアルでもある。チュートリアルばっかりで面倒で気が滅入るかもしれないけれど、この現実ってクソゲーはすぐに詰むからね。備えても備えても備え足りないのさ。だからこそ徹底的にやっていく必要がある。キミにならわかるよね?」



「はい。素晴らしいお考えです」



 彼が何を言っているのか弥堂にはよくわからなかったが、相手は上司なのでとりあえずそう答えた。それに徹底的というフレーズは気に入ったのだ。



 そんな弥堂の内心がわかっているかのように、廻夜は苦笑いを浮かべる。


 何故なら、「素晴らしい」などと言いながらも弥堂は私物を鞄に詰め始めており、すでに自分へ視線を向けてはいないからだ。



 時間をとらせている自覚はあるので、廻夜は締めに入る。



「じゃあ、そういうことで。今週もお疲れ様、弥堂君。もう教室へ向かってもらっても構わないよ」



「は。お疲れ様です」



 弥堂は目礼をし、素早く荷物を纏めて部室の出口へと向かう。



 コッコッコッ――と一定の調子で靴音を鳴らしドアへ近づく。



 右手でドアノブを掴んで回し、扉を開けると一歩廊下へと足を踏み出す。




「ところでさ、弥堂君――」



 そこで背後から声をかけられ動作を止めた。



 振り返って眼に映した廻夜の表情はどこか挑戦的で、サングラスの奥の見えないはずの瞳には何か確信的な色が灯されているように感じられた。



「――よき週末を」



「……恐縮です」



 弥堂は短くそう返し扉を閉めた。



 廻夜の言葉に何かしらの意味合いが含まれていた様に感じたが、それはきっと気のせいだ。


 ただ、プライベートに踏み込まれることを嫌いそれを拒絶する為に扉を閉めただけに過ぎない。


 物語など何処にもない。

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