序-38 『茜色のパラドックス』
桜の花が舞い散る並木道を、美景台学園の外へと通じる正門へ向かって、女子生徒が一人と、その後ろを男が独り、緩やかな歩調で歩く。
「去年初めて見た時もびっくりしたけど、やっぱここの桜すごいわねー」
「そうだな」
「でもさー。上を見たらキレイですごいけど、下を見ると悲惨よね。あたし去年委員会でさ、愛苗と一緒にここの掃除手伝ったんだけど――あ、って言っても春じゃなくて冬に落ち葉の掃除だけどね、それもなかなかの労働だったわ」
「だろうな」
「これ毎朝登校時間にはキッチリ綺麗にしてる清掃員さんも大変よねー。てかさ、うちの清掃員さんたちってさ、ちょっと優秀すぎてたまにヒかない?」
「そうだな」
「路面も大変だけど、女子的には髪とか服にも付いちゃうのも減点ね。あたしこないださ、うっかりバッグの口閉め忘れてここ通っちゃってさ。中に入っちゃってるの気付かないで家まで花びら持って帰っちゃったわ」
「難儀だな」
「なんかさ、あんたの場合、花びらの方から逃げていきそうよね」
「そうだな」
「またテキトーに返事してる?」
「そんなことはない」
地に落ちて広がっているものから目を逸らすように、桜の枝と宙を舞う花びらを見上げながら、背後を歩く弥堂へと話を振り続けていた。
また短い相槌しか返してこなくなったので、足を止めて振り返り希咲は弥堂の顔を窺う。
「……なんかキゲンわるい?」
「そんなことはない」
彼が追い付いてきたタイミングでそう問いかけたが、同じ言葉で否定をされた。
希咲からしてみれば手抜きとしか思えない端的に過ぎる返答に「むー」と眉を寄せたが、上目で見遣った彼の瞳の奥に何かを見て、今日これまでのように彼を責めることはやめた。
並んだ彼の隣を歩く。
言葉のないまま共に何歩か進む。
希咲 七海はプロフェッショナルなJKだ。
場に無言の時間が続くことを嫌い、会話が途切れそうになればその会話スキルを以てして上手く繋ぎ留める。
常日頃からそうであって、常であればそうであるはずだった。
なのに――
(んーー?)
隣の男の子の歩幅に合わせるように大袈裟に足を前に出しながら、チロリと彼の顔を盗み見る。
(意外とまつげ長い……なまいき……)
思いついたことから思考を逸らすように関係のないことを心中で独り言つ。
自覚のある無駄な足掻きだ。
本来ならば、会話が途切れることを避けてとっくに何かしらの言葉を繋いでいるくらいの間だ。
いつもならば、どこか落ち込んでいるような、苛立っているような――ささくれ立っているように感じる彼の気分を変えるように、もしくは有耶無耶にするように、何かしら別の話題に転換させているところだ。
だが、今日のこの時に限っては、何故か
別に暫くこのままでもいいんじゃないかと、そう感じられる。
あまり揺れない彼の睫毛をじっと見つめる。
(こいつがこういう子だから、気になんないのかな……?)
実際はそんなに長い時間この道を共に歩いているわけでもなく、そうは長い時間をかけずにこのまま正門まで辿り着くだろう。
桜のアーチの下、周囲をゆらりゆらりと舞う多くの花びらがきっと時間の緩やかさを感じさせているのかもしれない。
ゆっくりと舞落ちる無数の花びらの内の一枚が、何とはなしに視点を合わせ続けていた彼の睫毛との間にひらりと割り込む。それにより一瞬視線が途切れたタイミングで弥堂を見るのをやめた。
前を向いて歩く。
(完全にバイト遅刻してるくせにこんなこと思うのもアレだけど――)
少しだけ視線を上向きに、俯瞰するように出来るだけ広く今の光景を映した。
(――なんか。こんなにゆったりしてるの久しぶりかも)
ここ一年くらい、ずっと慌ただしく日々を過ごしていたかもしれない。
(効率、効率ってうざい奴と一緒なのに…………ヘンなの)
クスリと笑みを漏らす。
手を組んで、「んーー」と両腕を天に伸ばし身を解す。
心身とてもリラックスしたはずなのだが、このタイミングで何故か、タラリと一筋のイヤな汗が頬に流れ落ちてきた。
(んん?)
唐突に強い不安が湧きあがる。
(あれっ⁉ なにこれっ⁉ よくわかんないけど、なんだかこれってマズくない⁉)
たった今の思考は何だったのかと、自分にツッコみたくなるほどに希咲は猛烈な危機感に見舞われる。
(えーと。えーーっと! やばい、なんかしゃべんなきゃ……っ!)
そしてこの場をぶち壊すような話題を求めて、おめめと頭をぐるぐる回転させる。
結局はやることは変わらなかった。
大きな混乱に陥った彼女は視界に拡がる桜の花びら群へ手を伸ばし、宙に浮かんだそれらの何枚かを『しぱぱぱぱぱっ』と素早く掴んだ。
そして大量ゲットしたそれらを自身の顏へと持っていく。
「ねーねー! みてみてっ! つけまっ!」
クルっと身を回しながら瞼の上に花びらを貼り付けた顏を弥堂へと見せる。
薄桃色のつけまつげをのせた左右の目の端に左右の手でそれぞれピースを作り、呼びかけに合わせて無言でこちらを向いた弥堂と目を合わせて、瞼をぱちぱちと動かす。
「…………」
「……すみません。なんでもない、です……」
まるで路傍に打ち捨てられたゴミを見下ろすような弥堂の眼つきに、希咲さんは速やかに両手を下ろしてペコリと丁寧に謝罪をした。
実際は弥堂としては見ろと言われたから見ただけで、確かに「なんだこいつ?」と思ってはいたが、特に見下したつもりは彼にはなかったのだが、自分でも「これはないな」と思っていた希咲にはそのように錯覚して感じられた。
シュンと顔を下げ、ぺりぺり花びらを剥がしながらホロリと涙をこぼす。
(……べつにいいんだもん…………成果を得るためには痛みはつきものなんだもん…………あたしは立派にやりきった……)
胸中でそう自分を慰める。
彼女の考えたとおり、確かに場の空気を変えることには成功したようだ。
ただし、彼女が感じていたその雰囲気や空気といった何かを弥堂も同様に感じていたかどうかは不明なので、結局は彼女の気の持ちようで一人相撲だったのかもしれない。
そして再び話題の転換を試みる。
今度は自分の気分を変えるために。
「ねー、そういえばさ――」
「お前今のはなんのつもりだ?」
「うるさい黙れ。んんっ、あのさ、さっき言いかけてたことなに?」
「…………」
「無視すんなっ」
「……黙れと言っただろうが」
理不尽なことを言い肩をぶつけてくるクラスメイトに弥堂は正当な抗議を入れたが希咲には無視をされる。先ほどの奇行を力づくにでもなかったことにしたいようだ。
「さっき何か言いかけてたじゃん! あれなに?」
「ん? あぁ…………なんだったか」
弥堂は宙を舞う桜の花びらの隙間に視線を彷徨わせる。
「あんた忘れないんじゃなかったっけ?」
「あぁ。思い出そうとすれば何でも思い出せる。ただし、何を思い出すべきだったかを忘れることはある」
「まーた適当なこと言う。記憶力はカンペキっ、みたいにイキってたくせに!」
「特殊能力じゃないんだ。そんなことあるわけないだろう?」
嘯いて曖昧に肩を竦める男を希咲はジト目で見遣った。
「ほらっ! さっき! 喋るのかぶっちゃった時の!」
「ん? あぁ……」
該当する場面のヒントを渡すように強調された希咲の言葉に、紐づけられた記録が記憶から想起される。
「大したことじゃない。もういい」
「……気になる」
「気にしない方がいい。というか聞かない方がいい」
「話したくないんなら、そうやって余計に気になるような言い方すんじゃないわよ。絶対聞く!」
「やめとけ。きっとキミは怒る」
「なにそれ。怒んないから言ってみって」
引き下がらず催促してる希咲に、弥堂は諦めたように嘆息する。そう言って怒らなかった女は一人もいなかったからだ。
「そうだな。なんというか、俺も気になったことがあってな」
「ふーん。なに?」
ジッとこちらの顔を見ながら問われ、弥堂はしばし言葉を探す。
だが特にうまい言い回しを思いつかなかったのですぐに諦めた。
「何故色が変わったのだ?」
「ん?」
弥堂から質問を投げ返されたが、その意味がわからず希咲は首を傾げる。
「どうでもいいことだが、何故着替える必要があったのかと少し気に掛かっただけだ」
「あんた何の話してるの?」
「お前が話せと言ったんだろうが」
「や。ごめん。マジで何の話?」
「なにって、お前のおぱんつだ」
「は?」
脈絡もなく放たれた不適切な単語に思考が止まり、それに伴い希咲の足も止まった。
歩みを止めた彼女に合わせ、一歩だけ先行した弥堂も立ち止まる。
そして彼女に自らの言わんとしていることが伝わるように、しっかりと彼女へ向きなおり真っ直ぐに彼女の目を見ながらもう一度告げる。
「お前のおぱんつだ」
その時一陣の風が吹き抜け、周囲を覆っていた桜の花びらを全て回収していった。
その風は希咲のスカートも少し強めに揺らしたが、絶賛フリーズ中の彼女は気付かなかった。
辿り着きたくない答えに繋がるいくつかの単語が希咲の思考を駆け巡る。
『色』『変わる』『着替える』
(そ、それって……!)
身に覚えがありすぎるそれらの言葉は、彼女にそう長い時間は現実逃避を許さなかった。
「あーーーーーーーーーっっ‼‼」
答えに辿り着いてしまった彼女があげた絶叫に弥堂のお耳はないなった。
「マジでうるせぇなこいつ……」
「なっ、なんでっ⁉」
「あ?」
「なんで⁉」
耳の様子を確かめながら弥堂は眉を顰める。
「なんでって聞いたのは俺だが?」
「ちがう! 変わってない! みえてないもん! ちがうから! かんちがい!」
「何言ってんだお前?」
自らの記憶に絶対に近い自信をもつ弥堂は、勘違いだと言い張り否定をしてくる少女へと反論を試みる。
「嘘を吐くな。お前はさっきまで青だか緑だかよくわからん変な色のおぱんつを穿いていただろうが」
「変じゃない! ミントブルーっ! 今もミントブルーっ!」
「それは嘘だな」
弥堂は希咲へと一歩歩み寄り彼女の細い両肩に力強い手を置く。
「いいか。今のお前のおぱんつはミントブルーではない。なんかテカテカしてる赤だ。縁取りは黒で、布地はテカテカした素材の赤いおぱんつを間違いなく現在着用している」
「ななななななっ――⁉」
桜舞い散る放課後の並木道にて、涙目で羞恥するクラスメイトの女子へ向かって、自分の持つ彼女が現在着用中の下着についての情報を、弥堂は嘘偽りなく審らかに真摯に伝えた。
対して、花びら舞い落ちる桜の木の下でクラスメイトの男子から、真正面から直向きに現在自分が着用中の下着についての詳細な説明をされ、希咲は羞恥と混乱が臨界突破する。
七海ちゃんは激おこした。
「なんですぐパンツみてくるのっ⁉ へんたい! せくはらっ!」
「お前が見せたんだろうが」
「みせてないからっ! なんでっ⁉ いつ⁉」
「さっき自分で俺の顏を股間に押し付けてきただろう。あんなもんその気がなくても見えるに決まってるだろうが」
「言い方っ! そんなえっちなことしてない!」
「変態もセクハラをしているのもお前の方だ。恥を知れ、このクソビッチめが」
「だーれがクソビッチだ! このやろう――‼‼」
カっとなった希咲は右手を引き絞る。
今日二度見た神速の右の突きがくるだろうと備える為、弥堂は半身になろうとしたが、彼女の攻撃は肩口から放たれるとヘナヘナ脱力していき、弥堂の身体に到達する頃には普通にゆっくり腕を伸ばしてくるのと変わらないスピードになっていた。
ぽふっと。
そんな気の抜けた音が聴こえたような錯覚を起こして、彼女の――自分のそれよりは随分と小さく見える――右拳が弥堂の胸に当てられる。
なんとはなしに彼女の顔を見ていると、不満いっぱいの涙目で「うーー」っと唸られた。
やがて希咲はため息を吐いて拳を離す。
「……たしかに、あれは、あたしが、はしたなかった、です。失礼、しました……」
そしてどう見ても納得をしていない様子で形式上彼女はペコリと頭を下げた。
「うむ。そのつもりがなかったとしても、お前の軽はずみな行動が性暴力に繋がる可能性もある。これからは軽率、不用意、不必要におぱんつを露出するんじゃないぞ? 以後気を付けろ」
「やっぱ納得いかないっ!」
どうにか感情を堪えて謝罪を絞り出したが、完全に自分を棚に上げた男に鷹揚な態度で上から正しいことを言われて、希咲さんはぷちっときた。
「もう話は終わっただろ。しつこいぞ」
「だめっ! おわってない!」
「触るな。貴様カードを出されたいのか?」
判定に納得のいかない選手が審判に詰め寄るように取り縋ってくる希咲に、弥堂は毅然とした対応をするが彼女も簡単には引き下がらない。
「やっぱおかしい! あんたもわるい!」
「言いがかりはやめてもらおうか」
「言いがかりじゃないもん!」
「ほう。では言ってみろ」
自らの優位性を微塵も疑っていない。
そのように見える弥堂の態度が癪に障るが努めて冷静さを維持し、彼の上着を掴む手を離して希咲は挑むような瞳を向ける。
「だってさ! あたしのパンツ見えちゃってさ! ホントはそれだけでアウトだけど、百歩譲ってわざとじゃなかったから仕方ないってことにしてあげてもさ! スルーすればいいじゃん! なんで女の子のパンツ見ちゃって、それで本人に直接『キミは何故赤いパンツを穿いているんだい?』って訊くわけ⁉ フツーそんなこと言わなくない⁉ 言わないでしょ⁉ どうよ⁉」
一息に言い切ってゼーゼーと大袈裟に息を荒げる彼女の様子を見て、弥堂はつまらさそうに鼻を鳴らした。
「どうよ⁉ なんか言い返せっ! ばかっ!」
一生懸命に喋ったのに見下されているように感じて、カチンときた彼女は繰り返して強調する。
それを受けて弥堂は肩を竦めて口を開いた。
「お前は勘違いをしている」
「はぁっ⁉」
「確かに俺は、何故帰宅をするだけなのにも関わらず不要におぱんつを穿き替えたのか、そんな無駄なことに時間を浪費しなければあと数秒早く戻ってこれただろこのクズ女め、と云った」
「そこまでゆってないでしょ⁉ 盛るなバカっ!」
「うるさい黙れ。とにかく、俺はお前が勘ぐっているような性的好奇心からお前のおぱんつの色に興味を抱いたわけではない」
「…………あの、あんまり、あたしのぱんつぱんつって言わないでもらえますか……? なんかそれだけでセクハラされてる気分になるんですが?」
「お前自分で散々パンツパンツ言ってただろ」
「あたしはいーのっ! 女の子だから!」
「…………」
弥堂は身近なクラスメイトの女の子の何気ない物言いに、日常的に蔓延る性差の存在に人間社会を儚み、平等で公平な世界とやらの実現性についてふと思いを馳せたが、一瞬で興味を失い話を修正する。
「……いいか? これは以前に俺の保護者のような立場にいた女が言っていたんだが――」
「――え? 保護者……ってあんたのママってこと?――「――誰がママだ。あんな奴そんなもんじゃねーよ」――えっ⁉」
彼らしからぬムキになったような口調で食い気味に否定をされ、びっくりした希咲はきょとんと目を丸めた。
大きな目をぱちぱちと瞬きさせる彼女を見て、ハッとなった弥堂は気まずさを誤魔化すように舌打ちをする。
「失敬。忘れてくれ。俺とあの女の関係性は本題には関係ない」
「…………あの、さ……? あたしが言うことじゃないかもしんないけど……」
「……なんだ?」
「その……ゴメンね? あんたん家のことなんにも知んないから、たぶんヤな気持ちにさせちゃうかもだけど。でもね? 自分のママのことあの女なんて言っちゃダメよ……?」
心配そうに、でも言い辛そうにしながら、おずおずと話す彼女に弥堂は嘆息する。
「……あぁ、なんだ。血縁上や記録上の母親のことではない。親元を離れた後にな、出会った女で、当時面倒を見てもらったというか、一時的に世話になっていただけだ。キミが心配しているような話ではない」
「ん。そか。ごめん」
「いや、俺が不用意だった。すまない」
今日これまでの二人の会話風景を知る者が見ればギョッとするような光景だが、お互いに非を認め謝罪しあう。
弥堂の釈明に納得を示すようなことを発言した希咲だが、実際脳内では大混乱していた。
(ん⁉ んん⁉)
頭の中を多数の『⁉』が埋め尽くしていく。
(『記録上の母親』? 『親元離れた』? 『面倒見てもらった女』?)
波風立てぬよう穏やかに薄く笑顔を浮かべているが、背中にはドッと冷や汗が流れていく。
これはまずいのではないか?
希咲は強い危機感を抱く。
弥堂の口ぶりや出てきた言葉の不穏さが半端ない。
もう何度も、ついさっきも、不用意に踏み込むべきじゃないと反省をしたにも関わらずこの有様だ。
無論、そんなつもりはなかったし、今回に限っては事故のようなものだが、これはいけないと希咲は焦る。
どう考えても自分が聞いていい話ではないと思ったのだ。
チラっと弥堂の顏を見る。
(うぅ……あたしお母さんに洗濯の仕方お願いしなさいとか軽く言っちゃったなぁ…………謝んなきゃ……でも、なんで親元離れてるのかわかんないし……そうしたらそのへんの事情に踏み込んじゃうし……)
でも気になる。
スッと弥堂から目を逸らす。
(不幸なこととかじゃなければいいけど…………でも、もしも。あんまりよくない環境とかで生きてきたせいでこんなヘンなヤツになっちゃってんなら……マナーだからってスルーするのも冷たいことよね……? うぅ……こんな時の正解なんてあるの……⁉)
とっても気になる。
ジロッと弥堂を見遣る。
(むぅぅっ、ひとがこんなに悩んでんのに、なにスカした顏してんのよ……っ! 大体なによ! なにが『どこにでもある普通の生活』よっ⁉ ぜってぇちげーだろこのやろぉ……! いっつも無表情で無口なくせに、こんなとこであたしなんかにうっかり漏らしてんじゃないわよ……!)
あちらこちらへと向きを変える思考の指向性を固定するため、八つ当たり染みた怒りを燃やす。
しかしそれも間もなくハッとなる。
(あれっ⁉ まって。おかしくない? 元カノさんは? 世話になってた……お師匠さん…………同一人物ってこと……? てことは、こいつ…………ヒモ⁉)
ギロっと鋭い視線に侮蔑の色をこめる。
(や。待つのよ七海。早とちりはよくないわ。過去形で喋ってるし、中学時代のことだったとして……家出とか、かな……? そんで社会人と付き合ってたとしたら、別にお金面を相手の女が負担してても特におかしくはないわね。うん。いや、おかしいわ。社会人の女が家出した男子中学生飼ってたらやべーだろ。しっかりしろ七海)
くわわっと目を見開いてワナワナ震える。
(怪しい拳法使うメンヘラのメイドさんが親元離れた中学生のお世話をしている…………どうしよう! ぜんっぜんいみわかんないっ! 意味わかんないけど、なんかすっごく犯罪くさいわ……ど、どうしたらいいの……? こんなのあたしみたいな一介の女子高生には手に余るんじゃ…………通報……? とりあえず通報したらいいのかな……?)
おめめをキョロキョロさせてカーディガンのポッケをポンポン叩く。そういえばスマホは先程バッグの中に仕舞ったのだった。
(まって! まだこいつの気持ちなんにも訊いてないのに大騒ぎにするようなことしちゃダメっ! …………いつも無表情で無口なのも、もしかしたら感情表現がうまくできなくなっちゃったのかな……? 今日みたいに過激な極論みたいな言動ばっかするのも、いっぱいヒドイめに遭って、そんな時間を過ごした経験からくる防衛本能みたいなのだったとしたら……)
じわっと目尻に涙が浮かぶ。
カーディガンの萌え袖から出たおててをゆるく握り、口元に添えながらチロっと窺うように弥堂に上目遣いを向ける、が、すぐにまたハッとする。
(いやいや何言ってんだ。アホか。そんな事実はまだ一つも確認されてないでしょうが。勝手に思い込んで一人で暴走とかメンヘラ地雷じゃあるまいし。よく気付いた、あたし。うん、ぐっじょぶ)
顎に手を当て「うんうん」と頷く。
(落ち着いて、冷静に。まずはちゃんと事実確認をしてから――って! だからそもそもそれをしていいのかって話だったじゃーん! ふりだしに戻ったあぁっ! や、やっぱり通報……? てか、これって絶対あたしの役割じゃないと思うんだけどおぉっ! あぁもうっ! どうしたらいいのよおぉぉぉっ!)
両手で頭を抱えてぐわんぐわん上体を回していると、ふと対面の弥堂が自分へと白けた目を向けていることに気が付いた。
ハッとなった希咲はソソソっと撫でるように髪と衣服の乱れをなおすと、ついでに姿勢も正す。
「もういいか?」
「はい……失礼、しました……」
「もういいな?」
「それはダメ。ささ。つづきを」
ダメ元でチャレンジをしてみた弥堂だったがあえなく却下された。
ササッと促すように差し出された彼女の手を見ながら、諦めたように息を吐く。
希咲も向こうから事情を話してくれるかもしれないと、表情を真剣なものに改めた。
「まぁ、その女に訊いた話だ。そいつはな、元娼婦で、俺が拾われた時は…………なんというか、そうだな。自警団の一種のようなもののボスをやっていた女なんだが――」
「⁉」
希咲の脳内に再び大量の『⁉』が増殖する。
弥堂的には、先程簡素に言い過ぎたせいで混乱をさせたと考えていたので、対象人物がある程度多くの人間を見てきた一定の人生経験がある人物であると、情報元の信頼性を担保する為のプロフィールを明かせる範囲で付け加えたのだが――
(『娼婦』⁉ 『拾われた』⁉ 『自警団』⁉)
一般的な日本人の日常生活において、あまり身近に聞くことのないような単語が並べられ、希咲は先程以上の混乱の坩堝へと叩き込まれた。
「そいつが謂うにはな、女性の中には一日の中で、生活を送る上で特に必要がなかったとしても、気分の変化などで不意に下着を数回穿き替える者が一定数いるという。当然俺にはわからんが、希咲。これは確かか?」
「へ? え? えっ……と、その、そういうことも……ある、かも……」
「そうか」
「あっ⁉ 聞いた話! あたしじゃなくて友達に聞いた話だからっ!」
「そうか」
大混乱中に投げかけられた『キミは気分転換にパンツを穿き替えたりするのかい?』というセクハラ染みた質問に、希咲は思考の大部分を先ほどのワードの処理に持っていかれていたので、つい答えてしまった。
しかし、すぐに『自身のことではなく、あくまで聞いた話である』と慌てて強調し訂正した。弥堂は至極どうでもよさそうに流す。
「つまりお前のおぱんつが不自然なタイミングで変わったということは何かしらの心境の変化があったと考えられる」
「ひとのパンツ見て心境の考察とかマジできもいんだけど」
「そしてその変化があったのはちょうど別れて目を離した隙にだ。これを怪しむのは当然のことといえよう」
「…………」
「そんなわけで、俺はお前のおぱんつに関心を抱いたのだ。これで納得したか?」
「…………」
弥堂が理路整然とクラスメイトの女子に『何故自分がキミのパンツに興味があるのか』という説明をしたが、クラスメイトの男子から『キミのパンツに興味がある』と真正面から正々堂々と告白された希咲さんは無言だ。
ただ、ジッと、しばらく軽蔑の眼差しで弥堂を見てからその口を開く。
「あの、さ……」
「なんだ?」
「ビンタしていい? 一回でいいから。ちょっとだけだから」
「いいわけねーだろ」
弥堂は唐突に暴力を奮わせて欲しいと申告をしてきた野蛮なクラスメイトを軽蔑した。
「あんたさ。マジでいいかげんにしなさいよ?」
「意味がわからんな」
「なんなの? なんか不穏で重そうな設定チラつかせてきといて結局またパンツなわけ?」
「設定? 何の話だ?」
「うっさい! マジさいてー! あんたパンツ好きすぎっ!」
「人聞きの悪いことを言うな。引っ叩かれたいのか」
「あたしにひっぱたかせろってゆってんの!」
地獄のようなモラルとコミュニケーション能力しか持ち合わせない弥堂としては聞かれたことに答えただけの感覚なので理解出来ていないが、当然のこととして希咲さんはご立腹だ。
「かりにっ! あくまで仮にだけど! あたしがなんか気分かわってパンツ替えたとしても別にあたしの勝手でしょ! いちいちキョーミもつなっ!」
「そうはいかん。俺は風紀委員だからな」
「風紀委員だったらなおさらダメでしょーが! バカなの⁉」
「ふん、素人め」
浅はかに喚きたててばかりの短慮な女を弥堂は見下した。
わかっていたことではあるが、あまりに一般常識に関する認識に隔たりのある目の前の男の弁に、希咲は眩暈を感じつつも辛抱強く先を促す。
「じゃあ、プロフェッショナルな変態さんのご見解を伺いましょうか」
「誰がプロの変態だ。連行されたいか」
「うっさい、早く言え、ばかっ」
自身に与えれた不名誉な称号の撤回を試みる弥堂だったが、あえなく却下され弁明を求められる。ちなみに風紀委員に他の生徒の身柄を連行する権限などは当然ない。
「ふん、いいか? 何気ない日常の平穏というものはどんなきっかけで崩壊するものか知れない。だから風紀委員の俺は例えお前らにとっては小さな変化だとしか思えないようなものでも見逃すわけにはいかんのだ。それがどんな些細なものだったとしてもな」
「そこだけ聞けばご立派ね」
「つまり俺がお前のおぱんつの変化に目を光らせるのは、性的な興味からではなく、あくまで安全保全上の観点からだ。わかるな?」
「わかるか! あたしのパンツがどう治安に影響するっていうのよ!」
「さぁな。それはわからない。影響があるかはわからないが、それは同時に影響がないこともわからない、という意味にもなる。事が起こった後で、まさかこんなことになるとは思わなかったので見逃しました、などという言い訳を誰が聞いてくれる?」
「不良風紀委員のくせに何でヘンな方向に無駄に意識高いの⁉ あんたはもっと別のことに気を配りなさいよ! 例えば自分のこととか!」
「ふむ……そうだな」
希咲としては完全に皮肉で言ったつもりなのだが、コミュ能力が終わっている男はそういう時ばかり同意や共感を示す。
「確かに第一として学園の治安維持のためと説明したが、これは俺自身の安全確保のためでもある」
「はぁ?」
「いいか? 先ほど俺とお前は一度敵対をしたな?」
「敵対ぃ? 大袈裟な気するけど……まぁ……うん……」
「一応手打ちにはなった。だが、少し目を離してから再び合流した時に、相手に何かしらの心境の変化の兆しが発見できた。これは疑うなという方が無理があるだろう?」
「考え過ぎよ! そんなわけないでしょ⁉」
「だが、考えなしよりはマシだ。自分の首から流れる血を見て己が油断をしていたと気付く。そんなこともあるからな」
「あるか! あたしのパンツがあんたの生活にどんな影響があるっていうのよ!」
またもや連発される異次元解答へのツッコミに希咲さんは息が切れてきた。
「さぁな。影響があるかもしれないし、ないかもしれん。それは俺にはわからんな。少なくとも今は」
「ないから! あたしのパンツはあんたの人生になにも影響しません! てか、あんたもそれはないって言え! あたしのパンツを重要視すんな!」
自身の着用する下着について並々ならぬ関心を寄せる男子に、希咲は一人の女性として当然の要求をしたが、弥堂にはつまらなさそうに鼻を鳴らされた。
「ふん、いいか? なにも俺は一切の根拠もなくお前のおぱんつを警戒し、関心を寄せているわけではない」
「……とりあえずその言い方やめて……だいぶ感覚麻痺してきたけど、フツーにきもいから……」
「言い方など問題ではない。俺が問題視したのはその色だ」
「べっ、べつにいーでしょ! 赤くらいフツーだからっ!」
自分たちの年頃としては少々背伸びしているとも受け取られかねない、現在着用中の下着の色について言及された希咲は羞恥から赤面し口ごもる。
「普通だと? 見え透いた嘘を」
「はぁっ⁉ なにが嘘よ⁉ あんたにそんなことわかるわけ⁉」
「当然だ。俺はプロフェッショナルだ」
女子高生の着用する下着についての専門家であると名乗った男を希咲は心の底から軽蔑し、敵意をこめて睨みつける。
「いいか? 赤だ。赤は攻撃色だ。そして警告色でもある」
「……なにいってんの?」
「お前も写真や映像でなら一度は見たことがあるだろう? トカゲやカエルなど、毒をもつ個体は大体赤い」
「あたしのパンツをそいつらと一緒にすんな!」
「なにもお前の体液に毒性があると言っているわけではない。だが、何か心境に変化があった。その際に選んだ色は赤だ。興奮状態にあるか攻撃の意思がある可能性が高い。そう考えるのが自然だ」
「んなわけあるか、ぼけぇっ!」
「貴様、一体どういうつもりだ? 殺る気か?」
「やっ――⁉ だっ、誰があんたなんかにやらせるか! バカじゃないのバカじゃないのバカじゃないの⁉」
意味の擦れ違いから希咲はカっとなって弥堂に詰め寄る。
「む。貴様ここでやりあう気か? 俺は構わんぞ」
「ここでっ⁉ そんなわけないでしょ⁉ ここでもどこでもさせないからっ! ちょっとえっちぃパンツ見ちゃったからって、自分を誘ってると思っちゃうとかホンキでないから! マジきもいマジきもいマジきもいっ! スケベへんたいバカ! どーてーよりどーてー!」
「何言ってんだお前」
もはや罵倒なのかどうかすら定かでない言葉を叫ぶ、そんな酷く興奮した様子のクラスメイトを見て、弥堂はやはり自分の考えは間違っていなかったと確信する。
「あたしがあんたと……とか! 冗談でもやめてよね! 愛苗のいる前で絶対そんなこと言うんじゃないわよっ!」
「水無瀬? 何故ここで水無瀬が出てくる?」
「うっさい! とにかくありえないからっ! 何があっても!」
「ありえなくはないだろう」
「は? それってどういう――」
『どういう意味?』と続けたかったが言葉が最後まで出てこない。考えたくもない最悪の可能性に思い当たり、一気に顔を青褪めさせ声を失う。
「そもそもすでに一度やりあっているだろうが。二度目が絶対にないと俺が油断をするとでも思ったか? ナメられたものだな」
「は? え? あんたなに言って――」
「自分から戦いを挑んできておいてお前こそ何を言っている」
「たた…………か……い…………? あっ⁉」
ここでようやく希咲は自分が盛大な勘違いをしていたことに気が付く。
「なんだ?」
「なんでもない! わかってた! わかってたからっ!」
「あ?」
「だいじょーぶっ! そのあの……とにかくだいじょうぶなのっ!」
日本語って難しいと心中で言い訳しつつも、まるで自分がサカっているようで、先程とは違った意味で顔を紅潮させ、とりあえず大丈夫であることを強調した。
そして誤魔化すように反撃に討って出る。
「だいたいっ! 一万歩ゆずって! あたしがあんたにケンカ売ろうと思いました! 『よぉ~し、これからビトーくんとケンカだからぁ赤いパンツにしぃ~よおっと♪』 そんな女いるかあぁっ! ぼけえぇぇぇっ‼‼」
「さぁ、それはわからないな、いるかもしれないし、いないかもしれない」
「いないからっ! そんなデートみたいな感覚で、ケンカするのにパンツ替える女なんて絶対いないから!」
「そうか」
「そうよ! ――って、あっ⁉ か、勘違いしないでよねっ! 別にあんたと帰宅デートって思って替えたとかじゃないから!」
「そうか」
つい今ほど、親友の好きな人が自分に興味を持つという最悪の想像をしたばかりで、希咲はそのあたりに大変ナーバスになっていたが、年頃の女子同士の機微になど微塵も精通していない男は意味がわからず適当に流した。
「では何故おぱんつを攻撃用装備に換装したのだ?」
「女子のおぱんつに攻撃用装備とかないから…………いや、でもあながち完全に否定できない……?」
「ほう。ついにボロを出したな希咲 七海」
「ちがうからっ! そういう攻撃じゃないから!」
「どう違うんだ? 否定をするならきちんと俺を納得させてみろ」
「いや、だからっ! あたしがパンツ替えたのは――」
厳しく追及をしてくる弥堂に説明を試みようとした希咲だったが、詳細を口走る前にハッとなる。そしてすぐに弥堂へジトっとした目を向けた。
「……ねぇ?」
「なんだ」
「ないと思うけどさ。あんたさ、あたしにえっちなこと言わせようとして、そうやってヘンなことばっか言ってわけわかんなくさせてるんじゃないでしょうね?」
「そんなことをして俺に何の得がある?」
「変態的な得?」
「さっきも言ったが自意識過剰だ馬鹿め。お前のようなガキに興味をもつか」
「ホンットむかつくっ! あたし今日までこんなにセクハラされたことなかったんだけど! ここまですんならせめて少しはキョーミもってろよ、逆にシツレーじゃ――って、あぁっ! 今のナシ! ダメっ! 絶対NGだからっ!」
「何言ってんだお前」
またも複雑な乙女同志の仁義に抵触する致命的な失言をしかけて、慌てて希咲は訂正をしたがやはり弥堂には通じない。
完璧に通じてしまってもNGなので乙女仁義は難しい。
言うべきか、言わずにおくべきか。そもそもどうしてこんなことになったのか。
希咲は悩まし気にお口をもにょもにょさせてからやがて、諦めたように息を吐く。
「……ヤだったの」
「あ?」
「だからっ! その、あんたとあいつら、みんなに見られたのそのまま穿いてるのがヤだったの!」
「……?」
「なんかすっごく恥ずかしいし、悔しいし、わけわかんなくなるからとにかくそのままはイヤなの! だから替えたの!」
「意味がわからん」
「でしょうね! だから言いたくなかったのよ…………っていうか、そもそもパンツ替えた理由をなんであんたに言わなきゃいけないわけ⁉ なんで答えてるのあたし⁉ いみわかんない!」
「俺に言われてもな」
なにか激しい苦悩でもあるのか。
またも頭を抱えて上体をぐわんぐわん回し出した彼女を見て、弥堂はそれ以上はもう聞き出すことを諦めた。
理解はし難いが、とりあえず彼女の下着が赤いことは攻撃意思の発露ではないと判断をしてもいいだろうと思えたからだ。
そうは時間はかからないだろうと、弥堂は目の前の赤パン女が落ち着くのを待つ。
「――はぁ……もう、ホントさいあく…………」
肩を落としトボトボと歩く隣の少女を弥堂は横目で見遣る。
「せっかく忘れて……はいないけど、考えないようにはなったのに、なんで蒸し返すかなー。さいてーっ」
ぶちぶちと零れてくる彼女の愚痴を聞き流しながら弥堂は視線を前へと戻す。
「……そんなに大ごとなのか?」
愚痴を吐く女と会話を試みたところで何も建設的な話には発展しない。
そう弥堂は考えているので、彼女に声をかける必要などない――そう判断した時には何故か口が勝手に彼女へ言葉を渡していた。
「――ん? 大事件よ。当たり前でしょ」
「当たり前なのか?」
「そうよ。そりゃ慣れてる子とか、そういうのが好きな人――いるかどうかわかんないけど! とにかく、そういうのが平気な子もいるかもだけど、そんなんでもない限りフツーはショックに決まってんじゃない」
「……だったら、そんなにスカートを短くしなければいいのではないか?」
「はぁ? なに言ってんの? そんなのしょうがないじゃん」
弥堂は極めて正論を述べたつもりだったが、希咲から『自身のスカートの丈が短いのは仕方のないことなのである』と反論をされた。
「だってこの方がかわいいでしょ?」と言いながら、スカートの端を摘まみ僅かに持ち上げてみせて彼女は同意を求めてくる。しかしその希咲の仕草や主張は、弥堂には難解すぎて眉間に皺を寄せた。
「あに難しそうな顔してんのよ? そんな深く考えるようなことじゃないでしょ? てか、女子のスカートとパンツについて真剣に悩むな。変態か」
「……そうは言うがな……それでおぱんつを露出する度にいちいち着替えるのか? 効率が悪すぎないか? 理解に苦しむ」
「そっ、その話はもういいでしょ!」
「そうか」
妙に拘っているように見えたが弥堂はそれっきり口を閉ざす。
二人無言となり数歩進む。
希咲としては触れられたくない話題なのだが、話が中途半端になっている気持ち悪さにもにょもにょと葛藤し、やがて溜息を吐く。
「もう、しょうがないわね。別にさ、その為に替えの下着用意してるわけじゃないから」
「そうなのか」
「女の子は色々あんの。今日はたまたまあーいうことがあって、たまたまおトイレ行った時にやだなーって思って、たまたま着替えられたからそうしただけ。他の子も同じようにするかなんてわかんないし、あたしだって次も同じようにするかなんてわかんないから。そんな真面目に考えなくてよろしい」
「そうか」
「当然! 女の子はケンカする前に下着替えたりしないし、パンツの派手さと攻撃性がリンクすることもないから! わかった?」
「……だが、そうは言うがな――」
「――だあぁぁぁぁっ、もうっ! 融通きかないわね! そういうもんなの! わかれっ!」
「そういうものなのか」
「そうよ!」
「そうか。なら仕方ないな」
「……こ、この言い方だと納得するんだ…………何を基準に物事判断してるわけ……?」
おかしな方向にやたらと理屈っぽくて頑固なヤツだと、そういう風に彼という人間が希咲には見えていたのに、ゴリ押しで通したらあっさりと納得をした。
その掴みどころのなさに思わず脱力してしまう。
しかし――
「――ふふっ」
彼女は笑みを漏らす。
「なんなのあんた。ヘンなやつ」
クスクスと笑う彼女が何故急に笑いだしたのか、弥堂にはわからない。
そして今度はそれが気に掛かる。
「情緒不安定」
「は?」
思いつくままに口に出した言葉は、その意味のとおり彼女を一瞬で怒り顏に変える。
「あぁ、いや、すまない。よく気分や表情が変わるなと思ってな。バカにしたつもりはない」
「ホントにぃ? またひとをメンヘラ呼ばわりしてバカにしたんじゃないの?」
彼にしては珍しく素直に謝罪し訂正をしたが、今日彼女に対して見せてきた言動があまりに酷すぎたので、しっかり根に持っている希咲は懐疑的だ。
「……俺はあまり口がうまくない。キミを揶揄したつもりじゃなかった」
「悪いこと考えてるときはすっごいペラペラ喋ってたじゃん」
「慣れてるからな。慣れてないことを話す時は言葉の選択が難しい」
「悪いことを否定しろよ」
「正しいことに意味がないからな」
それに関しては話すつもりがないとの意思表示に肩を竦めてみせる。
15
「……ふーん。ま、いいわ。信じたげる。トクベツよ?」
「感謝する」
「で?」
「ん? あぁ…………情緒不安定。気分や表情がよく変わる。だが、一方で切り替えが早い。そうも言えるのではないかと、そう思ってな」
「えっ……と……もしかしてホメてるの?」
「あぁ。俺は切り替えがあまり得意な方ではない。だから感心をしたんだ」
まさか彼からそんなことを言われるとは。あまりにも意外な言葉だったので、希咲はきょとんとした目を弥堂へ向けた。
そして、どうせロクなことじゃないと、わりと適当な心持ちで話を聞いていたのだが、彼の顏を見てなんとなく姿勢を正す。
どうも真剣に言っているようだと、彼の様子からそう見て取れたのだ。なので、ちゃんと答えてあげようと唇に人差し指を当て「んーーー?」と宙空から言葉を探しだす。
「切り替え早い、か…………いちおさ、意識してスパッと気分変えようとはしてるけど、あたしもあんま上手じゃないわよ? なんていうか、嫌な思いとかしても『それも経験!』ってことにして次に活かそうって思ってて……でも難しいわ」
「上手いとは言っていない。あくまで速度の話だ。あぁは言ったが、キミは感情の制御はもう少し出来るようになった方がいい」
「むかーーっ! だけど、耳が痛いわね。ちょっと怒りっぽいとこ、あるかも」
「すぐ落ち込むしな」
「ゔっ…………てか、ホメてるとこよりディスってるとこのが多くない?」
「そんなつもりはない」
弥堂は腕を少し開き、空の掌を彼女から見えるように向けることで、真実だと強調してみせる。
「そのわりには立ち直りも早い。そう評価している。だが、すぐに同じことでまた落ち込みだすのは効率が悪いから改善することをお奨めする」
「カッチーン……だけど、そうなのよねぇ……それ、あたしの悪い癖」
「そうか。なら仕方ないな」
「仕方ないことないでしょうよ。勝手に即行であたしを諦めんなっ」
唐突に自分を見限ってきた話し相手にジト目を向ける。が、それもすぐに表情を戻す。
「でもさ。それ言うならあたしよりあんたの方が切り替え、早い……?
「そうか?」
「んーー。切り替えっていうか……なんだろ? ほら、このガッコってヘンなヤツ多いじゃん?」
「そうだな」
「ちなみにあたし的に、今日であんたはそのヘンなヤツの代表格になりました」
「それはお前の受け取り方次第だ」
「んでさ、さっきのあいつらも頭おかしくてわけわかんないじゃん?」
半眼で咎めるように見てくる希咲に屁理屈を捏ねてみたが、あえなく無視をされる。彼女はとりあわずに話を続ける。
「あたしちょっとどう対処していいかわかんなくなっちゃってたからさ。でもあんた、全然平気そうだったじゃん? あ! そうそう! 動じない! そんな感じのことが言いたかったの。動じないのはすごいなって」
「そうだな……」
自分の探していた言葉に辿り着いた満足感から晴れ渡った表情で人差し指を立て、自分をそう称賛してくる希咲に、今度は弥堂が顎に手で触れながら返すべき言葉を探す。
「俺は切り替えが遅い。だからなるべくそれをしなくて済むように、一貫することと徹底することを心掛けている。なるべく、な」
「なかなか賢いっぽいこと言うじゃん」
「周囲がどう変わっても全て無視してしまえば、自分は変わらずに、変えずに済む。他人とのコミュニケーションのコツは、要はいかに相手を無視して自分の都合を押し付けられるか、だと考えている」
「前言撤回。速攻で知性さんがいなくなって言葉の腕力が上がったわね」
「色々考え試したが、これが効率がいいと結論づけた」
「そんで、その代償に頑固で無神経で融通がきかなくなったのね」
僅かに上体を折り、こちらの顔を覗き込んでくる希咲の揶揄うような目を、弥堂はただ肩を竦めて受け流した。
希咲も追い打ちはせずに前を向き、二人無言で数歩歩く。
学園の正門はもう見えている。出口へとたどり着くのはもうじきだ。
弥堂が前方の風景を見てそう考えていると、横からまたクスクスと笑い声が聴こえる。隣の彼女へと目を向ける。
「なんだ?」
「ふふっ……ごめん、ちょっと思い出しちゃって……」
目尻を指で拭いながら軽い謝罪のようなものを告げる希咲に弥堂は顏を顰めた。
「またおぱんつの話か? いい加減にしろ。あまり公然とするような話ではないぞ」
「ちがうわよっ! あたしが悪いみたいにゆーな! パンツが好きなのはあんたでしょ⁉」
「そのような事実はない」
泣いていた猫が笑ったと思えば、今はもう怒っている。
コロコロ表情が移り変わる彼女の様子を見て、自覚なく弥堂の唇が僅かに緩んだ。
気を取り直すために「もうっ」と毒づいた希咲は余程その『思い出したこと』を喋りたいのか、彼女の表情もすでに緩んでいる。
「あいつらのことよ」
「あいつら?」
「法廷院たちのことっ」
「あぁ。連中がどうした?」
ナイス相槌! とばかりに希咲は瞳を輝かせる。
「あいつらチョー頭おかしいじゃん?」
「まぁ、そうだな」
「あたし不良とかにはよく絡まれるからそっちは慣れてるんだけど、あーいうタイプと揉めるのは初めてでさ。すんごいやりづらくって」
「……それは、そうだな。俺も業務の性質上、不良生徒とはよく戦闘になるが、奴らはとりあえず殴っとけばそれで済むからな。楽でいい」
「…………」
『それもどうかと思う』と言いたかった希咲だったが、自分もその件に関しては、弥堂のことを咎められないような対応の仕方をしていたので口を噤んだ。
なにより、『めっちゃわかる!』と共感してしまっていたので、罪悪感に駆られた彼女はおめめをキョロキョロさせた。
「んんっ。そんなわけでさ、あいつらに絡まれて、あたしマジでわけわかんなくて、パニックになっちゃってさ。でも、あんたときたら……ぷぷっ」
「? 俺がどうかしたか?」
「ふふっ…………や。あんたさ、あいつら以上にムチャクチャなんだもの。リアタイだと『なにこいつー⁉』ってあたしもびっくりしちゃったけど、今思い出したらなんか可笑しくなってきちゃって」
「何が面白いんだ?」
話しながら段々と笑いが加速していき希咲はお腹を抑えだす。しかし弥堂には彼女が何をそんなに面白がっているのかが全く理解できない。
「えーー、わかんないかなぁー? あいつらの顏思い出してよ! あんたの方が頭おかしくってあいつらってば、めっちゃあわあわしてたじゃん? マジうけるんだけど」
「……あれは面白いのか?」
「うん。めっちゃおもろい」
「俺にはよくわからんな」
「そういうものなのよ」
「そうか」
「そうよ」
「…………それなら。面白いな」
「ふふっ。なにそれ。ヘンなの」
自分と話をして本当に楽しそうに笑う彼女を見て、そう見える彼女を見て、弥堂は胸の裡の奥の方にある芯に小さな刺傷感が走り、痺れるような不安感に似た騒めきを感じる。
感じたような気がした。
だから、気がしただけなら気のせいだと片付ける。
「あんたっていっぱいヒドイこと言うし、するし。絶対ダメなことだから、もし次に同じようなことしてるの見たら『やめなさい!』ってまた止めるけど――」
「…………」
「――絶対にダメなことだけどさ。でも、今日は、なんかスッキリしたわ。あんがと」
「……別にお前のためにやったわけじゃない。勘違いするな」
「なにそれ、ツンデレ? ださーい」
そう言ってまた笑いだす彼女が何を面白がっているのかは、やはりわからなかった。
だが、これもきっと、そういうものなのだろう。
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