序-31 『バイアスの種』
「それで――結局お前らは何をしていた? 喧嘩か? 答えろ弥堂」
「はっ」
数分が過ぎ、気絶した生徒たちを雑に介抱して意識を取り戻させた後に、大事をとって救急車を呼ぶわけでも自宅へ帰らせるでもなく、教師は生徒全員を横一列に並ばせた。
完全下校時間を過ぎているにも関わらず校内で騒ぎを起こしていた不届きな生徒達に腕組みをしながら正対し、権藤教師は容赦のない軍人のような眼つきで睥睨をしている。
「風紀委員である自分が当委員会の通常業務である放課後の見廻りに従事していたところ、この者たちが集団で希咲生徒を襲撃している現場に遭遇したため介入しました」
報告を命じられた弥堂は軍人のように意気よく返事をしてからハキハキと大きな声で報告を始める。
「……続けろ」
「はっ。主な罪状は『不要な居残り』『無許可での集会の開催』『一般生徒への脅迫及び暴行』『騒乱罪』となります。こちらの指導に従わず抵抗をしたため、風紀委員の責務に従い粛清を執行しました。その中で学園側に対する異論や不服の思想がみてとれる発言を確認しており反乱分子であると認定をしました」
スラスラと言葉を並べ立てる弥堂の報告内容に、『
「まず、お前に言いたいことは2つだ。ひとつは、『希咲生徒』とはなんだ。クラスメイトをそのように呼ぶな。もうひとつは、これはお前に何度か言った覚えがあるが…………いいか、もう一度言うぞ弥堂。風紀委員とは、そういう、ものでは、ない。繰り返せ」
「はっ。風紀委員とはそういうものではありません」
権藤は淀みなく復唱する弥堂へと近づき、裏切者かどうかを見定める尋問官のような目で彼の顔を覗いた。
至近で顔を覗き込まれても、弥堂は彼とは目を合わさずに真っ直ぐ前を向いたままで、その表情は一切崩さず身動ぎ一つもしない。
「…………いいだろう」
疚しい事など何一つもないと謂わんばかりの堂々とした彼の態度に、権藤は不服そうにとりあえずの納得をした。
聴き取りを進めるために元の位置に戻ると、他の者にも事実を確認しようとする。
「希咲。今こいつが言ったことは――む……?」
現状、加害者なのか被害者なのか定かではない女子生徒へと水を向けようとしたが、彼女の様子が気に掛かった。
他の生徒たちと同じように一列に並んだ希咲は、しかし身を正している他の者とは違って、片手でスカートの裾をぎゅっと握り、もう片方の手で胸を隠すようにしながら、もじもじ……そわそわ……と何やら不安そうにも見える様子だ。
教師である権藤から見て希咲 七海という生徒は、その容姿から派手に映り誤解も受けやすいが、この学園に多数存在する他の頭のおかしいガキどもと比べれば、至って真面目な部類の生徒であるという認識だ。
普段は堂々としていて、はっきりとした態度をとることの多い彼女が、公の場でこのような落ち着きのない様子を見せるのは、何かしらの問題を抱えているのではと判断する。
「希咲どうした?」
「――へ?」
「具合でも悪いのか?」
「えっ? いや…………その、なんでも、ない……です……」
どう見てもそうは思えないが、彼女からは否定の言葉が返ってくる。
胸に置いた手でカーディガンの左右を寄せるようにしてギュッと掴むその立ち姿には違和感しか覚えない。
権藤はさらに踏み込もうとして、しかし寸前で踏みとどまった。
もう10年を超えるベテランの域に差し掛かってきた教員としての経験が、これはセンシティブな問題である可能性が高いと警鐘を鳴らしたからだ。
昨今のご時世、特に女生徒へ対する言葉は慎重に選ばなければならない。こちらとしては気遣ったつもりでも、相手がそう受け取らなければ何がセクハラになるかわからないのだ。
権藤はそんな地雷原を日常的に歩んでいる自分をプロフェッショナルな教師であると自負している。
チラっとここに居る希咲以外の面子を見る。
教師としてはっきりと口に出してそう表現することは憚れるが、先述したとおりこの学園の生徒には頭のおかしなガキが多い。
しかし奴らはその分、顔面に拳を叩き込んだとしても小一時間もすれば何事もなかったかのようにケロっと忘れているのだ。
それに苛立つことも多いのだが、ある意味ではやりやすいと言い換えることもできる。
視線をもじもじとしている希咲へと戻す。
だからといって、この希咲のような一般的な生徒にも奴らと同じようにフィジカルで対応するわけにはいかない。
しかし――
(一般的な女生徒が男5人を蹴り倒すか――?)
先程目撃した――希咲が宙でひとつ歩を進める度に男が一人ずつ倒れていく――あの衝撃的な無双アクションを脳内に浮かべ逡巡する。
(それでも、ここはリスクをかけるシーンではない――か)
権藤は迷いを払うように
自身のキャリアに傷をつける可能性のある危険なものには触れない近づかない。最も大事なのは毎月の給与という名の定期収入だ。
権藤はプロフェッショナルな教師であると同時に、プロフェッショナルなサラリーマンだ。
それが大人というものである。
「そうか。もしも調子が悪くなったら遠慮なく言うんだぞ? では――おい弥堂。粛清だのとぬかしたが、俺の目にはお前も含めてまとめて希咲にシメられていたように見えたが、どういうことだ? 説明してみろ」
そしてこの場で一番何を言っても大丈夫そうな生徒を問い詰めた。
権藤から見てこの弥堂 優輝という生徒は、頭のおかしいガキどもの中でもトップクラスに厄介な人物で、たとえどんな教師がどんなに熱心に指導したとしても間違いなくロクな大人にはならないと強く確信できる、そんな生徒である――そういう認識だ。
だが、だからこそ、普通の相手には言い辛い強い言葉や聞き辛いことでも言いやすい、そんな利点もある。
昨今それはパワハラであると認定をされかねないが、何を言っても大丈夫な相手というのは非常に便利で、そういう相手を日頃から見繕っておくのは社会を生き抜いていく上できわめて重要なスキルであると権藤は考えている。
それがプロフェッショナルということだ。
権藤の詰問に対し、隣に立つ希咲が「あぅ……」とばつが悪そうに小さく呻いたのに比して、問われた本人である弥堂は予想どおり眉一つ動かさない。
「はっ。その件に関しましては――そうですね、不幸な行き違いから発生した事故であると考えます」
「えっ?」
「事故――だと……?」
自身の認識とはまるで異なる弥堂の報告に権藤は目に不審を宿す。初耳だとばかりに思わず驚きの声をあげた希咲の態度を鑑みてもまるっきり疑わしい。
「はい。この女は実は自分が個人的に雇っている協力者――パートナーのようなものです。故に彼女が風紀委員権限を行使して不良生徒を粛清することには何も問題がないし、状況としては正当防衛も成立していたと証明することも可能です」
複数人に懐疑的な視線で見られる中、弥堂は教師に対してペラペラと虚言を並べ立てる。
(もしかして…………あたしのこと、庇ってくれてる……?)
まさかそんなことをしてくれるとは露ほども思っていなかった相手からの擁護に驚き、対面する権藤に悟られぬよう前髪で目線を隠しながらチロッと横目で弥堂を見上げた。
相変わらず何を考えているのかわからない無表情で淀みなく嘘の言葉を連ねる、今日まであまり深く関わったことのないクラスメイトの男の子の顏を見て、どうしたらいいかわからない、そんな気持ちになる。
何故なら、彼が言っていることは完全に混じりっけなしの嘘だからだ。真実な部分は下手したらひとつもない。
正当防衛うんぬんの所だけは議論の余地があるかもしれない。
希咲としても存分に言い分はあるものの、それでもやはり先生に嘘をつくのはよくないという一般的な倫理観から、取り返しがつかなくなる前に口を挟んで本当のことを言うべきか逡巡し、お口をもにょもにょさせた。
希咲がそう迷っている間にも弥堂の答弁は続いている。
「ですが、彼女はまだ職務に就いてから日が浅く、実戦経験にも乏しい。慣れない現場での極度の緊張の為、誤って味方である俺を攻撃してしまった。それが今回の事故のあらましであり、まぁ、よくあることです」
「……いち生徒である風紀委員が個人的に協力者を雇う……だと……? 聞いたことのない話だな」
「現在当委員会主導により学園内の警察機能・司法機能・行政機能を一極化し、立法の長たる生徒会長閣下による直接統治をより円滑にすべく日々構造を改革中です。そのため細かい規定の変更についての方々への報告が遅れることはありますが、所詮は大事の前の小事。あなたがた教師にも理解と協力を願います」
案の定、ちょっと目を離しただけで奴は早速不穏なことを言い出した。希咲は「あわわわわっ」と権藤の顔色を窺う。
「…………随分と素晴らしい思想を持っているようだな……面白い冗談だ」
「はっ。恐縮です」
「ちょ、ちょっと……! 褒められてねーってば! やめときなさいよ……!」
幸いにも本気だとは受け取られなかったようだが、まともに空気を読める者には挑発としか思えない弥堂の態度に、慌てて希咲は小声で止めに入った。
「とりあえず今回は聞かなかったことにしてやるが……いいか? 絶対に余所でそんなこと口にするんじゃないぞ。我が校の教育が疑われる」
「ご忠告痛み入ります――が、余計なお世話です。機密の保持には充分な注意を払っています。ご安心を」
「バっ、バカ! 先生にそんな口きくんじゃないわよ!」
「馬鹿はお前だ馬鹿。場を弁えろ。報告の場で発言の許可もなく勝手に喋るな」
「あ、ん、た、が、わ、き、ま、え、ろっ!」
教師が相手でも相変わらずな調子の弥堂の無礼に、段々とヒートアップし希咲の声量も上がっていくが、権藤がコホンと場を正すように咳ばらいをしたことによって、慌ててお口にチャックをし弥堂の横に並びなおした。
「そういうわけで、仮にこちらに落ち度があったとしたら、それはこの女の経験不足と訓練不足です。後で俺の方でしっかりと言い聞かせましょう。また、後日に研修を開いて徹底的に指導を行い、よりいっそう意識を高め、このような失態を二度と起こさぬよう全力で努めていきますので、この場では不問にして頂きたい」
「こっ、このやろう…………なにを偉そうに……」
教師である権藤に対して段々と上から目線になっていきながら、全く改善される見込みのない展望を語る弥堂の態度に、希咲は苛立ち拳を震わせた。
権藤は無礼な弥堂の言葉をひとつ息を吐いてスルーをした。
「言いたいことは満載だが、とりあえずだ。クラスメイトの女子を『この女』などと呼ぶな。わかったか?」
「はっ。善処します」
「まるで政治家のような小賢しい言い回しだな」
「はっ。恐縮です」
「あっ、あんたマジでやめなさいって……!」
「……これも前に言った覚えがあるが…………その軍人が上官に対するような口調をやめろ。外聞が悪い」
「はっ。善処します」
「ばかっ……ばかっ……! なんで先生まで煽るのよ……っ!」
そろそろフィジカル的な対応をも視野に入れ始めた権藤は、隣の希咲に制服を掴まれガクガクと揺さぶられる弥堂を目を細めて見遣った。
「いいか弥堂。俺はお前の言うことなど何一つ信用していない。これから同じ質問を他の者にもして確認をとるが、構わないな?」
「もちろん構いません。しかしその必要はない。そう進言します」
「……どういう意味だ?」
尚も挑発的な言動をする弥堂に対して、一際鋭くなった権藤の眼光に、弥堂以外の生徒たちは冷や汗が止まらない。
「そいつらは、最近放課後に孤立した生徒を狙い迷惑行為を働いている『
「『
弥堂へと復唱しながらギロッと視線を法廷院たちに向ける。彼らはビクっと肩を震わせた。
「はい。校則違反を働いた生徒は下級生徒となります。下級生徒には弁護士を雇う権利が与えられておりませんので、仮に俺の報告内容に瑕疵があったとしても、法廷ではこちらが報告書に書いた内容が真実であると認められます。なので、あなたが聴取をする必要はないと言ったのです」
「…………その下級生徒とはなんだ……?」
「はっ。現在こちらで進めている改革の一つです。素行の悪い生徒の多い当学園において、犯罪者予備軍どもと善良な生徒たちを同じに扱うのは不平等であるという考えのもと、『上級』『一般』『下級』と3段階の身分制度を導入する予定です」
「身分、制度……だと……? 正気か?」
「もちろん。まだ正式に許可はおりていませんが、それは時間と順番の問題に過ぎません。いい機会なのでテストケースとしてこいつらを初の下級生徒として扱います」
極めて過激かつ不謹慎で、世界中の何処に出しても完全にアウトな発言を教師へと向ける弥堂の蛮行に、希咲は両頬を抑えながら「ひゃあぁぁぁぁっ」と声にならない悲鳴をあげた。
「そんなことが許されると思っているのか?」
「許す・許さない。その権限は貴方にはない。勿論俺にも。ただ学園の意志により総てが在るべき形になっていく。それだけのことです。だが、真に学園に貢献をした者が正しく報われる、そんな公平な学園になることは間違いない」
「……貢献とはなんのことだ……?」
「そうですね……あくまで。これはあくまでも例えとしてあげるだけで、様々あるものの中のほんの一部ですが…………例えば、寄付金の額――などでしょうか」
「面白い冗談だ。いいか? 冗談だとこの場で言え。今ならそれで済ませてやる」
腕組みを解いて最後通牒の様に宣告してくる権藤に、一切顔色の変わらない弥堂が尚も口を開こうとするのを、希咲が物理的に止めに入ろうとしたその直前――
「――ちょっと待ってくれよぉ」
これまで大人しく黙っていた法廷院が口を挟んだ。
先程までの怯えようとは打って変わって、彼はその瞳に挑戦的な色を灯し、ニヤリと唇を歪めた。
「おいおいおい、勘弁してくれよぉ、せんせぇ。冗談で済まそうだなんてそれこそ悪い冗談だぜぇ。だってそうだろぉ? 既に現実で可視化されている『差別』を法制度によって合法化しようだなんて、そんなこと冗談でも口にすべきじゃあないぜぇ」
「……法廷院」
「おっとぉ。ボクのことは苗字で呼ばないでおくれよぉ。これは前にも言ったことがあったはずだぜぇ、権藤せんせぇ? なんにせよ、誰に権限がなくともこのボクが許さないぜ。その権限を誰もが持てるようにするのがボクたちの
「法廷院。俺はまだお前に喋っていいとは言っていない。もう少し黙っていろ」
「なんてこった! 教師の立場を利用して生徒の発言を封じるのかい? こいつはきっぱりと『言論統制』だぜぇ。だってそうだろぉ? 『言論の自由』と『発言の機会』は全ての国民に『平等』に与えられた『権利』なはずだからねぇ」
「そうか。だったら自由に選べ。自発的に黙るか、俺に顔面を掴まれて黙らされるか、だ。ちなみに俺はリンゴを素手で握り潰すことができる」
どこかで聞いたような論調の権藤先生の説得に対し、法廷院は自らの自由な意思のもと、お口にチャックをして大人しくすることを選択した。
権藤から見て
前に一度、気の弱い同僚教師などは、上記の状況で授業中に噛みつかれ好き放題に騒がれた挙句、反論の機会を与えられないままに『論破した』などと言い周られ、悔しさと不甲斐なさからくる自責の念で休み時間に職員室で泣いていた。とても痛ましく同情をした。
この手のガキにはとにかく喋らせないことが重要だ。どうせ話などまともに聞きはしないのだ。
幸いにも彼の保護者からは、多少無茶をしても構わないから厳しくいって欲しいと許可は得ている。
ならば、とっとと脅して従わせるのがスマートな大人のやり方といえよう。
首尾よく法廷院を黙らせた権藤は弥堂へと向き直る。聞き捨てならないことはまだいくつもあるのだ。
「弥堂。おまえ――」
聴取を再開しようとして、聞こうと思っていた内容とは別のことがふと頭を過り、口を閉ざす。
顎に手を当て、数瞬思考する。
「なぁ、弥堂。先生な、先日こんな出来事があったんだが……」
「はぁ」
突然、世間話でもするかのような語り口に変わった権藤の様子を、怪訝に思った弥堂の口からは曖昧な声が漏れる。
「ある日の放課後にな、突然緊急で予定にない職員会議を開くと招集をかけられたんだ。先生な、その日はジムを予約していたんだが、それはまぁいい。で、だ。どうも学園への意見箱に極めて不謹慎なイタズラが投書されたと、生徒会経由で回ってきたらしくてな……」
「ナメられたものですね。俺に犯人を捜し出して断頭台に上げろとの要請でしょうか?」
「うちの学校にそのような不謹慎な設備はない。仮にあったとしたらとっくに俺がお前に使っている――いや……まぁ、聞け。その投書の中身がな、簡単にいうと、不良生徒を断罪するための法廷を学園内に設置しろだのというイカれた内容だったんだ。当然その内容に怒り心頭となった職員は多かった。そのせいか、会議は相当に長引いてな…………あれは長かった……本当に長かったんだ……クソッタレめ……!」
語りながら当時の心境を思い出したのか、権藤は隠しもせずに毒づく。本当に長かったのだ。スポーツジムの予約をキャンセルしなければならなかったほどに。
「で、だ。先生さっきな、お前と話していてこのことをふと思い出したんだが。なぁ、おい弥堂」
「はっ」
「あのタチの悪いイタズラはお前の仕業か?」
教職に就く者とは到底思えない殺気のこもった鋭い視線で弥堂を刺す。
「イタズラか――と問われれば答えはNOですが、裁判所の設立を要請したのは俺か――と聞かれればその答えはYESです」
それでもなお何ひとつ悪びれる様子もなく堂々と自白する隣のクラスメイトに、希咲は目を見開いて信じられないものを見るような目線を向けた。
もうこれ以上彼に何か喋らせるべきではないのだが、驚愕のあまり止めに入ることを失念する。
「ところでその件の実施はいつからに? 可及的速やかに、と要請をしたはずですが?」
悪びれるどころか、まるで「お前らの決済が遅いせいで現場が迷惑してるんだが?」と言わんばかりに、逆に権藤を追及するような態度をとる弥堂に他の生徒たちの顔色は悪くなるばかりだ。
「いつからもなにもあるか。あれは否決された。当たり前だろうが」
「バカな――⁉」
「――ぶっ」
信じられないとばかりに弥堂は目を見開き驚愕する。
普段表情に乏しい男が不意打ちでかましてきた迫真の顔芸をすぐ隣で見てしまった希咲は、場の状況的には不謹慎なのだが、その顏がちょっと面白かったのでつい噴き出してしまった。
当然、ギロッと権藤に睨まれてしまったので、バッと素早く俯いて誤魔化す。小さく腰を横に振って弥堂の腿を尻で小突いて八つ当たりをした。された本人はまったく意に介さない。
「なにを悠長に平和ボケを…………っ! 手遅れになっても知らんぞ」
「お前……まさか本気なのか……? イタズラじゃなく? 頭イカレてんのか?」
「うるさい黙れ。貴様ら教員どもは、四の五の言わずにこちらが持ってきた書類に阿呆のように判を押していればいい」
「コ、コラっ! 口調っ……!」
「中学時代のお前の担任は一体どんな教育を施したというのだ……」
ついに敬語を使うことすらやめた問題児を目に映し、権藤先生は昨今の義務教育の現場に疑いをもつ。
「そんなことよりも、弥堂。お前さっき、こいつらが迷惑行為をしているという情報を予め掴んでいたと言ったな? 昨日委員会の集会に参加したが、俺はそんな報告を受け取ってはいないぞ。どういうことだ?」
「あぁ……それなら難しい話ではありません。俺が個人で所有している情報網に掛かっただけで、裏どり前だったのでまだどこにも情報を共有していなかっただけの話です」
「……それは、つまり、お前が私的な目的で他の生徒たちの個人情報を誰かに収集させて保管している、ということか……?」
「必要なことです。詳細や協力者については話す気はありません」
希咲が隣でハラハラと見守る中、弥堂と権藤のやりとりは段々と剣呑な空気になっていく。
「……それは、どうしてだ?」
敵兵を射程に収めた兵士のような表情で問い詰める権藤に対し、弥堂は心底くだらないことを訊かれたとばかりに「ふぅ」と、わざと大袈裟に溜め息をついてみせる。
「……いいか、権藤教師。俺はこう言っているんだ。お前には知る資格がない」
「ばかっ……ばかっ……! なんでそんなこと言うのよぉ……っ!」
あわあわしながら顔面をぺちぺち叩いて止めてくる希咲を無視して弥堂はそう答えた。
それに対して、権藤はすぐに言葉を返す様子もなく無言だ。だが、思わず、なのだろう。グッと右の拳を握りこんだ。
そうしたら――グバッと、その逞しい腕を収容したYシャツとその上に着込んだスーツの右袖が肩から弾け飛んだ。
弥堂以外の全員がギョッとした。
冗談の様に肥大化し二枚の生地を突き破って露わになったのは、膨大な時間と情熱の果てに完成した極上の肉だ。
頭蓋骨より大きいのではと錯覚するほどの塊となった上腕二頭筋は誘うように艶めき、まるで別々の生き物のように蠢いた前腕の屈筋群と伸筋群が、持ち主の闘争心を暗喩するように固まる。
「せせせせ、せんせいっ! あのっ! このバカにはあたしがあとでちゃんと言い聞かせますんでっ! その…………ごめんなさいっ……ごめんなさい…………っ!」
一戦交えだしそうな教師と生徒の雰囲気に危機感を覚え、希咲は弥堂を背後に押し遣るようにしながら、バカ息子が万引きで捕まったせいで呼び出しをくらった不運な母親のように必死にペコペコと頭を下げる。
そのあまりに不憫な姿を見て、罪悪感に苛まれた権藤は拳を解いた。
彼女はそのギャルっぽい見た目から自由に遊びまわっているように誤解を受けがちだが、実際はシングルマザー家庭で3人の弟妹たちの面倒を見ながらアルバイトまでこなして家計と家事を助けるという、同年代の他の学生よりも相対的に苦労がちな女の子だ。
当学園に於いて生徒のアルバイトは、希咲のように家庭の事情などにより必要性があると判断がされた場合に許可がおりる。
当然彼女はその申請の手続きをして正式に許可を得ているため、必然的に権藤のような教職員の幾人かは彼女の家の事情を把握している。
チラリと弥堂を見る。
長年教師をやっている自分にはわかる。
こいつは間違いなく一級品のクズ男になる。
ここで怒りのままにこのクズをぶちのめすのは簡単だ。しかしそれは根本的な解決法にはならない。
教師としてはっきりと口に出してそう言うことは憚れるが、この男が改心し更生することは未来永劫ないだろう。
チラリと希咲に視線を戻す。
力を抜いた権藤の筋肉がわかりやすく半分ほどのサイズに萎んだのを、「人間ってそういう生き物だったっけ?」とどん引きしながら見ていた希咲は権藤と目が合ってビクっとなった。
この苦労性でがんばりやの今時珍しいいいこに、そこのクズ男の保護者のような真似をさせるのは忍びない。権藤は鉾をおさめることにした。
「法廷院。お前らのそのナイーブ……なんとかってのはなんだ? 暴走族か?」
「あ~はぁん?」
気分を入れ替えるために法廷院へ話を振ったら、イラつくイントネーションで返事が返ってくる。
「そうだねぇ。自由を求めて未来へ爆走するという点では暴走族と言えなくもないかもしれないねぇ。だってそうだろぉ? この道の先に広がる地平線は果てしなくまっ平らでとっても公平っぽいからねぇ。それなら征くさ、スピードの向こう側にね。ただし、ボクたちがご近所へお届けするのは排気音ではなく弱者の悲痛な叫びさ」
「……そうか。つまりサークルや同好会のようなもの……で、いいのか?」
「おいおいおい、せんせぇ~。勘弁してくれよぉ。そんな子供のお遊びと一緒にしてほしくはないねぇ。だってそうだろぉ? それらは学校という箱庭を卒業すればなくなってしまうものじゃあないかぁ。ボクたちは人生を賭して戦っていくと決めて活動をしているんだぜぇ」
『たち』という表現に対して、高杉以外の『
「……冗談、ではない、のか……そうか…………いいか? 極力、うちの卒業生であると言うんじゃないぞ? 我が校の教育が疑われる。あと他の生徒には迷惑をかけるな」
「迷惑だって? なんてこった。そうやって少数を切り捨て続けてきた結果が――はい、わかりました」
勢い勇んで口上を述べようとした法廷院だったが、権藤先生の左袖がハジケ飛んだのを見て了承の意を唱えると、お口を閉じて自由な意志のもとに『きをつけ』をした。
権藤は重苦しく息を吐く。
どうしてこの学園はこんな奴らばっかりなんだ、と。
ここ1.2年は特に酷い。しかし、一部のもはや手の施しようのない連中はともかく、他の極めて一般的な生徒たちだけはどうにか無事に社会に送り出してやらねばならない。
己の責務の重大さを再認識する。
そして今日はもう遅い。
この場はもう有耶無耶に済ませてでも生徒たちを帰宅させるべきだろう。最近は街の治安にも不安がある。
そしてこの後にスポーツジムの予約をしていることを思い出し、己の予定の逼迫さを再認識した。
「まぁいい。おい弥堂。今日はもう見逃して――」
『――やるから明日反省文を提出しろ』
このように告げるつもりが、途中であるものが目に入った権藤の言葉が止まる。
その様子を怪訝に思った希咲が「ん?」と彼の視線を追う。
権藤はコンクリート製の壁の一点を見て立ち尽くしていた。
その一点には大体成人男性の拳大ほどの大きさの破損があった。
希咲は「ぅげっ」と小さく呻きをあげると、慌てて目線をそらしキョドキョドした。
「弥堂。これはなんだ?」
「これとはどれのことでしょうか?」
弥堂は背筋を伸ばし目線を自分の正面から一切動かすことなく聞き返す。
「俺の目線を追え。わかってるんだろう?」
「これは――⁉ 気付きませんでした。壁に破損が見られますね」
希咲は思わずバッと弥堂の方を見てしまった。
表情に乏しいなりに、軽く目を見開いて「驚きました」といった雰囲気の小芝居をしつつ、正々堂々とすっとぼける隣の下手人を地球外生命体に向けるような目で見た。
「嘘だっ!」
「先生っ!」
「こいつがやりました!」
ここぞとばかりに法廷院、西野、本田が弥堂を指差して教師に真実を伝えようとする。
「――と言っているが?」
「冤罪ですね。胸が痛みます。いいですか、先生。こいつらは普段からこうして在りもしない罪と加害者をでっちあげて一般人に絡んでいるのです。事実、先程も希咲に対して同様の犯行に及んでおり、それを俺が現行犯で押さえたというのが本日この場での事件です。つまりこのような前科者どもの証言は信用に値しません。常軌を逸した精神構造です。恐らく薬物――でしょう。責任を持って俺が追及をします」
「……急に口数が増えたな? 俺はお前がそんなに饒舌に喋っているところを初めて見たぞ」
「誤解です。必要があれば喋るし、逆に必要がなければ――それは当然のことであり、先生、貴方も同じでしょう?」
「……では、何故壁が壊れているのかをお前は知らない。そう主張するんだな?」
自らの生徒のことを微塵も信用などしていないという鋭い視線で嫌疑を投げかける権藤に対し、理路整然風に嘘を並べたてる弥堂。
その二人の問答を聞きながら、弥堂の隣に立つ希咲はダラダラと汗を流す。
「俺を見てください、先生。丸腰です。これでどうやってコンクリを砕けと? 仮に俺が犯人だったとしても、その証拠を出すどころか破壊に至った手段すら挙げることが出来ないのであれば手落ちでしょう。カーテンやガラスならまだしも、まさか一介の高校生が素手でコンクリートを破壊したとでも? 先生、あなたは疲れているんです。有給休暇をとられてはいかがでしょう」
「弥堂。俺は『犯人』の話など一言もしていないぞ。俺は『何故壊れているか知らないのか?』と訊いただけだ。語るに落ちているぞ」
「まだるっこしい話はなしにしましょう。効率が悪い。権藤教師――あんたは俺を疑っている。そうだろう?」
「そうだ。俺は、お前を、疑っている。確かに普通に考えて素手でコンクリを砕くなど無理だろうな。状況的に実行は難しい。動機もわからん。証拠は何もない。だが――いいか、弥堂。それでもだ。それでも俺はお前が犯人だと確信している」
ギスギスどころでは済まない弥堂と権藤の会話に、強制的に傍聴人にさせられている希咲はおなかが痛くなってきた。
希咲の記憶にある自身も経験してきた生徒と教師の会話とは、こんなに緊張感いっぱいなものではなかったはずだ。
『普通』に考えると、権藤の言っていることは相当に酷い。
およそ教師が生徒へと向けるような言葉ではなく、極めて相応しくない。仮にSNSなどでとりあげれば間違いなく炎上するだろう。
しかしそれは、ここに居る者の固有名詞を全て取り除いて、『登場人物A』『登場人物B』などの記号に発言内容を紐づけて語った場合の話だ。
弥堂なのだ。
生徒とはいえ相手は弥堂なのだ。それを考慮すると不思議と権藤の対応が適切なもののように思えてくる。
希咲は今日何度めかの、何が正しいのかという自身の価値観の揺らぎに眩暈を感じた。
弥堂 優輝。
高校二年生となったこの4月に初めてクラスメイトとなり、とはいえ今日まで然程は絡む機会がなかった男子生徒。
自身の親友である水無瀬 愛苗との関係性上、色々と彼女から彼について話には聞いていた。
しかし、彼女は頭にお花がピコンと咲いているような、ぽやぽやした女の子だ。基本的に水無瀬はポジティブなことしか言わないし、そもそも他人に対してネガティブな感情を抱くことすらないのだろう。
そのため、水無瀬自身が語る話の内容は、彼女以外の生徒から聞く弥堂の人物評とは大きく乖離をしており、彼に対しての個人的な興味が希咲にはまったくなかったことも相まって、今日までその人物像を上手くイメージ付けることが出来ないでいた。
ちなみに他の生徒からの悪評とは、まぁ、ひどい。しかし、それらをここで改めて頭の中に並べて思い浮かべる必要はないだろう。
なぜなら、さすがに盛っているだろうと今まで話半分で聞き流してきた噂ですら好意的な意見に思えるほどに、今日ここでこれまでよりも濃密に関わった弥堂 優輝という男は、その実態の方が噂よりも遥かに酷かったからだ。
たったこれだけの短時間でそう決めつけては、それは早計だとお叱りをうけるかもしれない。
だが、希咲は確信をしていた。
この男はきっとこんなものではない。
おそらく知れば知るほどに嫌いになる。
そうに決まっている。
だから、権藤の対応も、今自分が抱いている『弥堂だから』という――法廷院に謂わせれば差別的になるであろう――感情もきっと間違っていないはずだ。
弥堂の発言は一見すると筋が通っているように聴こえる。『登場人物Aさん』が発言してさえいれば。
普通に考えて、弥堂の言う通り、ただの高校生が何らかの道具もなしにコンクリの壁を破砕するなど、まぁ出来ないだろう。それは間違いない。
だが――
(――目撃、しちゃってるのよねぇ…………はぁ……)
どれだけ筋が通っていようとも、実際に現場に立ち会ってしまったのならばその限りではない。
これに関しては相手が『弥堂 優輝』であろうと、『登場人物A』であろうと関係ない。
現行犯で抑えてしまっている以上は、いくら相手が『登場人物Aさん』であっても、無実を信じてあげることは出来ないのだ。
(ごめんね、Aさん…………うぅ……)
誰とも知れないAさんに詫びて心中でおよよと泣く。
つまりこの場は、学校の建物を壊した生徒が先生に追及されているけどすっとぼけている――という構図だ。
ではなぜ、希咲がこのように
(やっぱ……言った方がいいのかなぁ…………)
――教師である権藤に真実を告げるべきか、という問題のせいだ。
まず前提として、嘘はよくない。
ただ希咲とて潔癖なまでに、全ての嘘に対して即座にアレルギー反応を起こす程までに、『嘘』を否定するつもりはない。
今日この場に来る前に、放課後になってすぐに昇降口棟で思い悩んだ自分を取り巻く環境への憂いのように、希咲自身の言動についても思い当たることはある。
誰彼構わずという訳では当然ないが、しかし確かに自分もあちこちで真実ではないこと、心にもないことを日常的に言っている。
それについては、人間関係を円滑にするためという言い訳は出来るし、それを建前としてトラブルを未然に防ぐために使っているという正当性を主張することも出来る。
だが、それでも、嘘は、正しく、嘘だ。
ただ、一つだけ声を大にしても云えることがあるとすれば、決して悪意を以てその嘘を吐くわけではなく、人を傷つける意図もそこにはない。それだけは神にも誓える――ということだ。
対して今回の弥堂の言動はどうだろうか。
不可抗力の事故でもなければ、緊急性や必要性に駆られて仕方なく――というわけでもない。
ただ法廷院たちを脅しつけるためのショーとして、学園が所有する建築物を贄とし、悪意を以てそれを破壊して見せた。
その行動の中に正当性の存在を主張するのは難しいだろう。
つまり、彼はわるいことをした。
ならば、法廷院たちが今しがたそうしていた様に、希咲も教師である権藤へと真実を伝えるべきなのだが――
(――でもなぁ……こんなんでも一応クラスメイトだしなぁ……)
先述のとおり彼とは友人でもなんでもない。なんなら仲が悪い部類だったかもしれないし、今日の出来事のことを含めたら、脳内の『キライなヤツ』のフォルダにバッチリその名前が入った。
それでも、『クラスメイト』というだけでそうでない他の者よりは何となく特別な関係性のように感じてしまうし、何故だかわからないが庇ってあげなくてはいけないような気もする。
感じ方に大小はあるだろうが、おそらく学生特有の価値観だろう。
しかし、かと言って悪いことは悪いことだし、それをなかったことにするのが正しいことだとも思えない。
こんなことを――今月高校二年生となり、あと数か月で17歳の誕生日を迎える今の年頃に――改めて真面目に思い浮かべるのは、それ自体が恥ずかしいことだが、先生に嘘を言うのはいけないことだ。
相手が教師でなければ嘘を言ってもいいのかという問題では当然ないのだが、それでも教師が相手だと特別忌避感があるように感じられてしまう。
これも学生特有の価値観なのだろう。
去年の今時分には『クラスメイトだから――』とか『先生だから――』などと考えていられないくらいの酷い『事件』に巻き込まれ、それを乗り越えるために相当に形振りの構わないようなことをしてきた自覚がある。
それからたったの1年ほどで、このような学生らしい葛藤で躊躇うのは「なんだかなぁ」と思う一方で、くだらないことだが喜ばしいことなのかもしれないと、困ったような呆れたような不思議な感慨を得た。
そんなことを今この時に思い悩むのはもちろん、現実逃避なのだろう。
遅かれ早かれ、希咲も権藤から聴取をされる。その時にどう応えるのか、自分の返答を選択しなければならない。
そして、その時はくる。
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