序-27 『別たれる偏り』


「ご来場中のみなさまぁー、たぁいへん長らくお待たせ致しましたぁっ! これより判定結果の発表を行いたいと思いまぁっす‼」


「ふざけんなっ! やめろっつってんでしょ、ばかやろー!」


 フルラウンドの勝負を終えた希咲 七海きさき ななみVS白井 雅しらい みやびのおぱんつバトルの判定を厳正に審査し、その結果を告げようと高らかに宣言をした審査委員長である法廷院 擁護ほうていいん まもるに対してすかさず品のない野次が飛んだ。


 その野次はあろうことか競技者の片方からのものであったが、審査委員長としての使命感に燃える法廷院のモチベーションはそのような些事では揺るがなかった。


 大会委員長である法廷院は審査委員でもあるが一流のパフォーマーだ。車椅子の座席上で立ち上がると片足をガッと背もたれにかける。

 オーディエンスを意識したパフォーマンスだ。一つ問題があるとすればオーディエンスが一人もいないことだが、プロフェッショナルを自負する彼はそれくらいのことで自らの仕事に手抜きをすることはない。


 背もたれに重心を乗せた際に一度大きくバランスを崩しそうになったが、弥堂と希咲が口論している間にいつの間にか法廷院の元まで移動していた高杉が、さりげなく車椅子を支えたので事無きを得た。


「それでは読み上げます! ジャッジ本田っ! 120対98ぃっー! 青っ、希咲 七海っ!」


 バッと左手で希咲を指し示すとそのままの姿勢で会場の歓声が治まるのを待つ。

 もちろん観客などいないので歓声などない。あくまで雰囲気だ。


「ジャッジ本田。今回の判定について一言お願いします」


「はい」


 法廷院にコメントを求められると本田は神妙な顔で一歩進み出る。


「えー、今回の判定についてはですね、実は然程も悩みませんでした。試合内容としては圧倒的と言ってしまっても過言ではないと思います」


「ほうほう。と言いますと?」


「はい。やはり何といってもまずデザインですね。実に僕好みです。個人的な嗜好だろと言われてしまえば反論は出来ませんが、しかし競技の性質上そこに嘘は吐けないなと」


「なるほどですねー。ちなみにどのような点を高く評価されたのでしょうか?」

「やめてってばっ! 言わなくていいっ!」

「そうですねー。えー、やっぱり清純さ……でしょうか。白井さんからは子供っぽいなどと暴言を吐かれていましたが、僕としてはですね、むしろそれがいいと言いますか。色合いに形状と申し分ないのは説明の必要はないと思いますが、そこにあの装飾ですよ! 地味にもならず下品な派手さに傾くこともなく! これを選ぶ彼女の非常に優れたバランス感覚を評価したいですね。Jr.アイドルのイメージビデオで使われてもおかしくはない優れた逸品だと思います!」


「なるほどですねー、ありがとうございました。審査員席へどうぞお戻りください」


 徐々に饒舌になるジャッジ本田の興奮具合を見て取り、法廷院は彼に着席を促した。ジャッジ本田は一歩下がり床に正座をすると目を閉じる。白井と目を合わせたくなかったからだ。批評をしている間ずっと彼女に睨まれ続けていたジャッジ本田は、白井を視界に入れないことで己の責任を全うしたのだ。



「Jr.アイドルって小中学生のこと……? あ、あいつらバカにしやがって……っ!」


「おい、やめとけ」


「うっさいっ! あんたは黙ってて! もう怒ったんだから――ぶにゃっ」


「いいから大人しくしてろ」


 腕まくりしながら彼らを物理的に黙らせるために突撃しようとする希咲の襟首を掴んで強引に止めると、彼女は室内シューズのゴム底を床に叩きつけて暴れた。

 パンパン、キュッキュッという音と希咲の喚き声のあまりの煩さに弥堂は顏を顰める。


「はーなーせーっ! あいつらもうぶっとばしてやるんだからーっ!」


「……お前意外とガキっぽいな」


「はぁーっ⁉ ちっ、ちがうって言ってんでしょ! 今日はたまたまこれ穿いてただけで、ちゃんと他のも持ってるって言ったじゃんっ!」


「何の話をしてるんだお前は」


 今までちゃんと話したことのなかったクラスメイトの女の子に、普段と違う一面が見えてちょっと印象が変わったよと伝えたら、何故か彼女はよくわからない言い訳のようなことを並べ立てた。


 希咲が弥堂に気を取られている間に茶番は滞りなく進行していく。



「えー、それではー続いて読み上げます! ジャッジ西野っ! 判定118対110ぅ…………」


 右手で持ったスマホの画面を読み上げながら法廷院はそこで一度言葉を切りタメを造った。スマホに目線を向けたまま間接視野で周囲を測り、静寂に包まれた場の緊張感が最高潮に達するその時を待つ。

 希咲が大声で喚く声が響きまくっているのだが、雰囲気を重視する彼らの耳には入らなくなっている。


 やがて十分な間を作った法廷院は先程と同様にその手を勝者へと差し向ける。


「青っ! 希咲 七海ぃっ‼」


 わっと複数の人間から歓声があがると同時、希咲の対戦者である白井は愕然と膝を着いた。


 初見である弥堂と希咲は全くルールを把握していないが、審査員は3名でその内の2名の票を獲得すれば判定勝ちとなる仕組みのようだ。

 彼らは雰囲気を重視する余り、ルールを周知することはさして重要ではないと考えていた。


 そのため彼ら以外の人間からしたら、只の身内ノリを見せられているだけなので通常はお寒い雰囲気にしかならないであろう。

 しかし、勝手に競技に参加させられている希咲が重大なセクハラを受けているため非常に怒り心頭であり、彼女がキャンキャンと喚くからなんとなく盛り上がっているように見えなくもない様相を醸し出していた。


 やはり雰囲気と勢いで大抵のことはどうにかなると、大会組織委員長である法廷院は確かな手応えを感じ目立たぬようグッと握り拳を固めた。


「えー、では早速話を聞いてみたいと思います。ジャッジ西野? 今回の審査のポイントは?」


「そうですね。えー、やっぱりですね、この競技はあくまで対人競技でありますので、パンツだけではなくそれを纏うプレイヤー自身にも目を向けてみた……というのが今回の私の審査のポイントになりますかね」


「ほう……プレイヤーの評価……と言いますと?」

「やめてよ! やだって言ってんでしょ! ききたくないっ!」


 ジャッジ本田とは違った切り口での審査基準を語るジャッジ西野の言葉に強い関心を抱いた法廷院はさらに切り込む。

 外野からの激しい野次も飛んでいたが滞りなく進行していく。


「はい。えー、そうですねー、やっぱり競技の性質上パンツそのものに目が行きがちですが、仮に『物』だけを評価するのであればマネキンにでも着せて出せばいいわけで……しかしパンツが存在する以上それを着用する人間、つまり女の子も必ず存在するというのがこの世の真理なわけで……あっ、だからといってパンツ自体は何でもいいとかそういうわけではもちろんありませんので」


「なるほど。パンツが重要なのは大前提な上でそこからさらに深く考察をするという解釈でよろしいでしょうか?」

「よろしくないわよっ! 人のパンツ勝手に見ただけでもダメなのに、それを評価とかふざけんな!」

「はい、概ねその解釈で問題ないかと……。それでですね、今回私が特に注視した点はプレイヤーの仕草です」


「仕草――と言いますと?」

「無視すんじゃないわよっ! はなせっ、あほ弥堂っ! あいつらぶっとばす‼」

「はい。今回の種目はモデルが最初から下着姿で出てくるショーなどではなく、スカートで隠した状態から始まるパンチラ競技です。つまり秘められたものを『見せる』或いは『見られてしまう』、そういったプレイヤーのアクションが必ず存在し、そしてそのプレイヤーのパフォーマンスに我々が『魅せられる』。そのような仕組みになっています」


「それは……確かにそうですね……」

「あんたらが勝手に見たんだろうが!」

「そして今回は出場に年齢制限のあるU-18の大会です。私が重要視した女の子プレイヤー反応リアクションに何を求めるべきかを熟考した結果、それは少女性……ではないかと結論しました」


「少女性――ですか」

「へんたいっ! キモオタ! どーてーっ! ばかあほーっ!」


 弥堂の拘束から逃れられず、法廷院たちにやめるよう抗議しても聞いてもらえずで、打つ手がなくなった希咲はシンプルな悪口を言う方向にシフトした。


 悪口を言われた彼らは希咲の方へ顔を向け、彼女の様子を見て一度ほっこりした表情を浮かべると、すぐに表情を真剣なものに改め大会の進行に戻る。


「はい。確かに白井さんの下着は……何と言えばいいか……放送法に抵触しますので詳細には言及できませんが、ドスケベであったとは謂えます。しかし先程触れたとおり今回はU-18の学生の大会ですので、やはりふさわしくはないな、と……先程彼はあえて触れませんでしたが、この点はジャッジ本田も審査するにあたって重く見ていたと思います」


 法廷院が視線だけを向けてその意を問うと、正座待機中のジャッジ本田は厳かに頷いた。


「そして肝心のプレイヤーのパフォーマンスですが、白井さんはこの点に於いてもやはり暴力的なまでの『見せつけ』のプレイスタイルですので、必然的にふさわしくないと、そう判断をしました。これが痴女もの大会であればいい線いったかもしれませんが……何度も言いますが今回は制服を着たJKもの……というか現役JKバトルですし」

「西野テメーあとでわかってんだろうな」


 希咲ではなく白井の方から怨念めいた野次が飛んでくるので、ジャッジ西野は堂々と胸を張って前を向いて発言することで彼女を視界に入れないようにした。


「それに対して希咲さんですが……彼女は見事なまでに年頃の少女らしさを私たちに見せてくれました。総合的に高評価なのですが、その中であえて一点だけ高く評価した部分をご紹介しますと、やはり『恥じらい』ですね。彼女の仕草に恥ずかしながら私ときめいてしまいました。これは誰に何を言われようと譲れません」


「いえ、わかりますよ! ジャッジ西野! そこに文句をつける人はいないでしょう!」

「わーっ! わーっ! わーっ‼」


 悪口も通じなかったので希咲は単純な大声で封殺にかかった。成果は至近距離にいた弥堂の表情が険しくなっただけであった。


「ぼっ、僕もっ! 僕も希咲さんはすごくかわいいと思いますっ!」


 瞑想でもしているかのように大人しかった本田が興奮気味に会話に入ってきた。


「おやぁ、元気いっぱいだねぇ? もしかして好きになっちゃったのかなぁ? どうなんだい? ジャッジ本田。ん?」


「そ、そんな……好きだなんて……僕なんかが…………ドビュフフフ……」


 法廷院に揶揄われた正座中の本田君はそのふとましい両腿の間に両手を挿し入れてもじもじとしながら奇怪な笑い声をあげると、大きな鼻の穴からふしゅるーふしゅるーと息を噴く。


 ジタバタと暴れていた希咲が急に大人しくなったので、弥堂が彼女に目を向けると、弥堂が掴んでいる希咲の襟首の彼女の髪の隙間から見える首筋にぷつぷつと鳥肌が浮かんだ。



「ジャッジ本田の気持ちもわかります。今日私たちに見せてくれたパフォーマンスが彼女の真の実力だとしたらきっと多くの男子生徒の心を掴むと思います。この実力が広く周知されれば恐らく今年度の『美景台カワイイ女子ランキング』の各部門で上位に……いや、ひょっとしたらグランプリすら射程に収めるかもしれません。それ程の逸材ですよ希咲さんは」


 本田の介入により緩みかけた審査の場を締め直すように、ジャッジ西野はクレバーに自身の見解を語る。その甲斐もあって法廷院と本田は表情を真剣なものに改め、どん引きしていた希咲の表情は再び憤怒に染まった。


「あいつら勝手なことばっか……なによ、ランキングって……。もうあたし怒ったんだから……ちょっと弥堂?」


「なんだ」


「なんだ、じゃねーわよ、いい加減放しなさいよっ!」


「いい加減にするのはお前だ。ほっとけと言っただろうが。何べん同じこと言わせんだ馬鹿が」


「バカはあんたよ、ばーかっ! はーなーせーっ! はなせってばー! はーなーしーてーっ‼」


「お前ほんとうるせぇな」


「――もがぁっ」


「大人しくしろ」


 実力行使に移行したい希咲が再び暴れ出すがついには弥堂によって実力行使で抑え込まれてしまった。背後から腕を回し彼女の口を無理矢理塞ぐ。


「むー! むー!」


「ええい、暴れても無駄だ。抵抗をするな」


「むみゅぅっ⁉」


 背後から口を塞がれれば当然密着体勢になるので、それを嫌がった希咲が一層抵抗を強めると弥堂は襟首を掴んでいた手を離し、今度は彼女のお腹にその腕を回して身体ごと拘束する。

 まるっきり後ろから抱きしめられたも同然の恰好になり希咲は驚き身体を一瞬硬直させる。しかし、すぐにより激しく抵抗をするべく藻掻き始める。


 そうはさせじと弥堂はより強くしっかりと身の自由を奪うべく、希咲のその細くて薄い腹部をガッと乱暴に掴んだ。


「みっ⁉ むぁーーーーーーーっ‼ むっむむむっ! むむむむむっ、むむぅーむむっむむ、むむむぅーっ‼ (ヒッ⁉ ぎゃぁーーーーーーーっ‼ おっおなかっ! おなかダメっ、なのぉーはなっして、やめてぇーっ‼)」


「諦めろ。喚こうが足掻こうが逃げられはせん」


「むみぃーっ! むぃーっ! むぁーっ! (むりぃーっ! いぃーっ! やぁーっ!)」


 まるで人攫いのような台詞を吐く弥堂に対して、口を塞がれた希咲は意味のある言葉を返せない。暴れれば暴れるほど弥堂の指が脇腹に食い込んでいく。


「むぅーーっ! むむっむむむむーっむっむむむっむぅー!」


 身体を左右に捩りながらなんとか逃れようとする希咲の、言葉にならない叫びが抑えつけた弥堂の手の下から漏れる。


「うるせぇな、一体なんだってんだ」


 弥堂からは往生際が悪いという風に見える尋常でない暴れ方に眉を顰め、より近く自分の方に彼女の身体を引き寄せると、背後から覗き込むように希咲の前面を確認する。

 傍から二人の様子を見た時の犯罪臭さが5割増しになった。



 希咲の口を抑えた手でそのまま彼女の頭を自らの肩あたりに押し付け、彼女の身体の前側を覗きこむ。大分顔と顔が近い位置になり彼女の髪と、弥堂の指の隙間から漏れてくるかなり荒くなってきた彼女の吐息が、弥堂の頬に触れる。


 それが気に障った弥堂が横目で彼女の顏をジロリと見遣ると、涙目になった希咲の目と視線が絡む。目が合った瞬間、彼女はビクリと肩を震わせ何故か少し大人しくなった。


 その様子を怪訝に思いながら目を逸らし、もう片方の手が押さえている場所に目を向ける。


 また胸を触っただの尻を触っただのと大騒ぎされないよう、弥堂なりに配慮してその中間点を抑えつけたつもりだったのだが、一体こいつはなにが不満なのだと、その原因を探る。


 どこかの下着メーカーが現代の技術の粋を施して偽装した割にお粗末な膨らみの向こうに、しっかりと希咲の腹部に当てた自らの腕が見える。あまりの暴れように誤って股間にでも手を突っ込んだかと思ったが、決してそのような破廉恥な事態にはなっていなかった。


「大袈裟に騒ぎやがって、何が不満なんだお前は」


「⁉」


 乙女の尊厳など知ったことかと言わんばかりの弥堂のぞんざいな言い捨て方に、びっくりした希咲は即座に涙を浮かべながらも彼の顔を睨みつけ反撃を開始する。

「むーむー」唸りながら自由になっている両手を弥堂の頭部にまわし、片手で髪をひっぱり、もう片手で爪をたてすぎない程度に顔面をわちゃくちゃしてやる。


「む、貴様まだ抵抗するか」


「むぅーっ! むぅーっ!」


「やめろこら、鬱陶しい」


「むみゅぅーっ⁉」


 頭を動かして希咲の手から逃れようとした際に無意識に弥堂の手に力が入り、人差し指が強く希咲の脇腹に食い込んでしまう。


 その瞬間に希咲は背筋を反らすほどに大きくビクンと身体を硬直させると、続いてヘナヘナと弥堂の顔面を揉みくちゃにしていた手から力を抜いてしまう。


「ふむ……」


 脱力した希咲の顔を押さえる自身の手に彼女の鼻から「ふぅーっ、ふぅーっ」と漏れる熱くなった鼻息が当たる。

 弥堂はその様子を無感情に見下ろしながら、ふと今日の放課後ここに来る前に水無瀬 愛苗とした会話の一つを思い起こす。



『――……でねー、おなかとかもやわらかいのにシュッとしててツルってしてるの! 私ちょっとぷにぷにしてるからななみちゃんのおなかいいなーって思ってて。でもね、ななみちゃんおなか擽ったいみたいであんまり触らせてくれないんだけどね、お風呂の時は……――』


 小一時間ほどよりもう少し前に、正門前で訊いてもいないのに聴かされた水無瀬の話だ。所詮は女の無駄な長話と適当に聞き流したがなかなかどうして、こうして役に立つこともある。

 しかしだからと云って、これからはたとえ興味のない内容であっても人の話はしっかりと聞こうなどと、彼が自らを省みるようなことは決してない。

 要領の得ない話を聞き取るのに無駄に労力を払わなくてもこのようにしっかりと記憶に記録が出来ているのならば、これからも他人の話など真面目に聞く価値などはないと改めて感じた。こうして彼のコミュニケーション能力は日々着実に低下の一途を辿っているのだった。



 ともあれ――



「――なるほど。そういうことか」


「みむぅっ(ひぅっ)」


 合点がいったと口の端を僅かに釣り上げ思わず漏れた弥堂の呟きは、図らずとも希咲の耳元にて囁かれた。先程の再現のように希咲が過敏に反応するが、弥堂はそれには構わず彼女の耳元から顔を離し、彼女の口元を抑えた手でこちらを向かせお互いの顔が見えるようにさせる。


「むぃむぃむぁむぁめめっめむぃっまめもっ! (みみはやめてっていったでしょ!)」


「むぃむぃ」と抗議の声を出す彼女の表情をよく視ながら告げる。


「そうか。お前は耳も弱いのか」


「も?(も?)」


 言われた意味が理解し難く希咲は目を丸くして小首を傾げる。

 目の形だけで感情の変化を表現してくる器用な彼女に対して弥堂はあくまで無表情で、こちらはお前の決定的な弱点を把握しているという旨を伝える。


「なぁ希咲よ」


「むぁみもっ(なによ)」


 勿体つけるように彼女の名を呼んでから再び耳元に顔を寄せる。


「お前、腹も弱いらしいな」


「みっ⁉」


 そっと低い声で耳輪と鼓膜に微細な振動を当てられる擽ったさと、彼の知るはずのない事実を告げられたことによる驚愕で身体も思考も硬直させる。


 弥堂はその一言だけを囁くとすぐに顏を離し、再度希咲と顔を合わせ彼女の目をジッと視詰めた。弥堂の眼に映った彼女のその目は一切の光を失い、怯えと絶望の色に染まっていた。

 希咲の手が彼女の腹部を抑える弥堂の手に添えられる。もちろん親愛の情を示すためなどではない。

 無駄だと知りつつも次に起こすであろう彼の行動を阻止するために、そうせざるを得なかったのである。それは無意識下での抵抗と拒絶だったのかもしれない。


「さて。再三に渡り大人しくしろと勧告をしたわけだが、随分と俺を煩わせてくれたな。このあたりで抵抗をやめる気はないか? ちなみにこれは最後通牒だ」


 冷たい目で告げられるその言葉に希咲は声も出ない。ただ力なくふるふると緩慢に首を横に振った。


「そうか。脅しには屈しないと。あくまで抵抗を続けるというか。立派だな」


「⁉」


『やめてほしい』と、そう意味を込めて希咲は首を振ったつもりだったが、弥堂は自分からの要請に対する拒否だと受け取った。嬲るように希咲の腹を柔く撫でながら言葉を続ける。


「立派な心がけだとは思うが、しかし俺には関係ない。先程も言った通りだ。口で言って従わないのであれば俺もやり過ぎるだけだ。わかるか?」


 身を捩りながら「むー! むー!」と何かを訴えてくる希咲を無慈悲に見下ろす。


「俺は今からお前にやり過ぎる」


「――っ⁉」


 弥堂はそう言って、それから指に力をこめた。




 悶絶する希咲の悲鳴のような何かが響く中、審査は粛々と進められていた。


「ところで、ジャッジ西野? 一つ気になる点が」


「? なんでしょう?」


 流れを変えるような法廷院の問い方に、ジャッジ西野は何か落ち度が自分にあったかと身を正す。


「批評を聞いている限り大絶賛のようなんですが点数は118点でしたよね? ジャッジ本田は満点の120点をつけましたが……」


「あぁ、そういうことでしたか」


 合点がいったジャッジ西野は採点理由を説明をするため眼鏡の位置を直した。


「えー、今回の勝負なんですが、判定に縺れこんだので立場上点数をつけましたが、個人的には希咲さんのTKO勝ちでもいいくらいに勝敗は明確であったと、そう考えています」


「では何故?」


「そうですね、えー、やっぱり採点するとなればですね、えー、減点すべきところはきちんと減点せざるをえないと言うか。やっぱり、その、えー、圧倒的ではあった希咲さんですが完璧であったとは決して言えないかなと……」


「そんな! 西野くん‼ なんで――」


 理解者に裏切られたと、そのような悲痛さを伴った本田の叫びを法廷院が目線だけで制した。そしてジャッジ西野に真意を問う。


「なるほど……具体的に訊いても?」


「はい」


 ジャッジ西野は神妙な顔つきで頷く。


「素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた希咲さんですが、しかしそれでも弱点はあります。それは……」


「それは?」


 ゴクリ、と法廷院と本田が緊張に喉を鳴らす中、ジャッジ西野は十分に溜めを作って間を演出した。


 ジャッジ西野。

 法廷院と志を同じくする彼もまた雰囲気を大事にする男であった。


 しかし――


「それは――アイドルとしての自覚です‼」


「…………なるほど?」


 勢いよく告げられたその内容に法廷院と本田は「アイドル?」と心中で首を傾げたが彼らは雰囲気を重視してツッコまなかった。


 基本的に雰囲気と勢いだけでどうにかしようする彼らの茶番は、こうしてそう長い時間は保たずに設定に綻びを見せることが間々あったが、法廷院はまだいけると判断をしてけんの姿勢をとった。

 本田は法廷院のその様子を横目でチラリと確認をし、その意を汲んだ。



「ジャッジ西野。その……アイドルの自覚――とは?」


「あ、そこ説明いりますか?」


「えぇ、ぜひ」


 競技プレイヤーからアイドルへと突然のクラスチェンジを行った釈明を求める法廷院の問いに、ジャッジ西野は「ふむ」と独り言ち顎に手を当てて思案する。


「そうですね……これは言葉で説明するよりも見てもらった方が早いかもしれません。皆さま、あちらを御覧下さい」


 そう言ってジャッジ西野は手で指し示す。



 彼が指した方向に居たのは、自らの与り知らぬところでアイドルとしてデビューさせられてしまった希咲だった。だが――



「うわぁ……」


――だが、その絵面が相当まずかった。どん引きした法廷院の口から思わず呻き声が漏れ、本田くんは激しくキョドった。


 それほどに弥堂に背後から口元と腰を拘束されたまま擽られている彼女の状態は酷いことになっていた。



 腹を抑えられた弥堂の掌の拘束と、伸ばした指で脇腹を刺激される擽ったさから逃れようと上体を折り曲げたことによって、身体が『く』の字になっていた。

 そのため彼女のお尻は背後の弥堂に強く押し付ける形になっており、弥堂もまた希咲を逃がすまいと腹を抑える手の拘束を強め自身に強く引き寄せる恰好になっていて、その絵面は傍から見ると完全に――


「た、立ちバッ――」

「――おっと! それ以上はいけないよ、本田くん」


 男女の二人一組ツーマンセルで編成するファビュラスなフォーメーションについて、本田がその名称を口にしそうになったが法廷院によってインターセプトされた。法廷院 擁護のファインプレーであった。


「で、ですが代表っ。あんなのそういう本や映像作品でしか見たことないですよ」


「いやだなぁ、本田くん。ボクたちは健全な男子高校生だ。そういう本や映像作品がどういうものなのかボクは寡聞にして知らないが、それでもボクらがそれを嗜んだことなんて一度もないよ。それが公式声明だ。いいね?」


「すっ、すいません、つい……」


「まったく……気をつけろよ本田。まぁ、気持ちはわかるけどな」


 そう言い合い朗らかに笑う彼らは若干前かがみになった。



「それでジャッジ西野。あのプレイが大会上ふさわしくないと、そういうことでしょうか?」


 自らの気を何処かへ逸らすために法廷院は努めて神妙な雰囲気を作って空気を変えにかかる。


「確かにそれもあるのですが、ですが今は競技中ではないのでこれには目を瞑りましょう。僕が問題としているのはセコンドの弥堂氏です」


「…………セコンド……? と言いますと?」


 また新たにセコンドという設定をぶち込んできたことは気がかりだったが、法廷院は話を進めることを優先して触れなかった。


「はい。と言いますのも、彼女は少々セコンドとイチャつき過ぎではないかと」


 その言葉の意味が理解できず首を傾げた法廷院と本田は、再び議題の渦中にある二人に視線を戻した。一目で得心がいった。


 弥堂から執拗に責め苦を受け続けた希咲は現在では精魂尽き果てたかのように脱力していた。口を塞がれながら擽られ続けたせいで、満足に呼吸をすることも声を出すことも叶わず、呼吸困難寸前にまで追い詰められていたためである。


 もはや自力で満足に立っていることも難しいのか、背後の弥堂を背もたれにするように『くたぁ』と寄りかかっていた。ようやく口元を少し解放してくれた弥堂の腕は現在は希咲の肩を肘で抑えるようにして、手は添えるように指で顎と頬を固定している。希咲は身体が崩れ落ちてしまわぬように無意識に支えを求めてその腕に力なく摑まっていた。


 上気した顔に朧げで焦点の定まらぬ潤んだ瞳。だらしなく半開きになった口からは荒い吐息が細かく漏れており、よく見れば細い銀色の糸が、常より心なしか血色のよくなった彼女のピンク色の唇と顎に添えられた弥堂の手の中とを繋いでいた。


 目も当てられないあられなその姿はまるで――


「――じ、事後……」

「えっろ…………」

「こ、これは如何ともしがたい……」


 激闘を戦い抜いた選手とそのセコンドの尊い姿に、彼らは思わずといった風にそれぞれ口にする。「ほぅ……」と一様に感嘆の溜め息を漏らした後に、速やかにその場で体育座りの姿勢に移行した。そうせざるをえない、如何ともしがたい極プライベートな事情が出来たためだ。



「ということで、一目瞭然でご理解頂けたと思います。昨今のアイドルといえば最早スキャンダルまでがワンセットのように錯覚するほど我々も慣らされてしまいましたが、しかしそれでも、やはりアイドルとはファンのみんなのための存在であるべきだと私は強く主張します」


「えっ? いや、まぁ……うん。わからないでもないけどさぁ……」


 完全にアイドル路線に舵を切ってきたことに法廷院は戸惑い煮え切らない返事をする。


「それに……これは個人的な嗜好の話になってしまって大変恐縮なのですが、私は『わからせ』というジャンルの芸術性について最近興味深く思い研究を進めているのですが……」


「キミも好きだねぇ、西野くん」


「お恥ずかしい限りです」


 本当にお恥ずかしい性癖を正直に打ち明けた西野は、あくまで仮にの話をする。


「そんな私が思うにですね。仮に、調子にのった小生意気なアイドルをわからせる、なんてことがあるとしたら――」


「あるとしたら?」


「あるとしたら――その時はファンによってわからされるべきだと私は考えるのです。できれば多人数の」


「異議あり‼」


「おや? 本田くん」


 西野が現実ではない創作物の中の極めて限られた特殊なシチュエーションについて言及をすると、体育座りでもじもじしていた本田が勢いよく異議を唱えた。


「口を挟んですみません……ですが、この僕も末席なりに研究をしてきた中で僕なりの仮説があるのです」


「ほう。聞かせてもらおうか」


「確かに西野教授の論説には一定の説得力があります。それは認めます。モブものは僕も嫌いではありません。しかし――」


「しかし?」


「しかし――言うことをまるで聞かないナメきった態度の生意気な担当アイドルをわからせる……マネージャーやプロデューサーものを簡単に切り捨てることは僕にはとてもできないんですっ!」


「本田っ! たかだかヒラの研究員の分際で私の研究にケチをつけるのか⁉ キミは何もわかっていない。いいか……? 確かに担当ものは私も通ってきた道だ。言いたいことはわかる。だが……やはり元々一緒に過ごす時間も長い関係性だ。結局はただの恋愛になってしまうんだよ! 何故それがわからない⁉」


「わかるよっ! わかるさ……だけど……モブものは最終的にはハッピーエンド風になったとしても快楽堕ちエンドばっかりじゃないか! それで誰が幸せになれるっていうんです!」


「くっ……だがっ、色々あったけど推しと付き合えた。そういうサンプルだってあったはずだ!」


「ちがうっ! ちがうんだよ教授……それじゃダメなんだ……」


「なにが違うっ! そんな幸せがあってもいいはずだ!」


 二人の議論は白熱の一途を辿り最早初期の設定など見る影もなかった。


「違うんだ教授……。だって、それで幸せになってるのは僕達ファンの方だけじゃないか……。僕は……僕はっ! たとえ報われることなんかなくたって、それでも彼女たちには幸せになってもらいたいんだ……」


「ほ、本田……おまえ…………」


 魂の底から絞り出したかのように悲痛な本田の訴えに西野教授は気圧される。自らの理論に間違いなどないはずだ。その自信は今も揺らいではいない。

 しかし、一部の隙も無いほどに模範的な本田の『豚の愛』にロジックを超えた説得力を感じてしまったのだ。


 全くをもって論理的ではない。しかし、かつては自分も通ってきた道で、持っていたもので。それはいつかのどこかで失くしたはずのもので。

 もしも失くしたのではなく、ただ心の中のどこかに置き忘れていただけなのだとしたら……。


「だっ、代表っ‼」


 堪らず自分たちのリーダーへと裁定を求める。


 それだけは認められない。今更認めるわけにはいかないのだ。


「ふむ……」


 二人の弁論を瞑目して静聴していた法廷院は飲み込む様に頷いてから目を開く。そして頼もしく成長した仲間たちの顏を順に見渡してから口を開いた。


「あの、さ。イケメンに掻っ攫われる系はどう思う? チャラい感じの」

「ありえないですね」

「ふざけてるんですか?」


『わからせ』の世界に『NTR』の概念を乱暴にぶち混んできたリーダーに対して二人は辛辣だった。彼らは紛れもなくユニコーンだったからだ。


『NTR』が一大ジャンルとしてトップセールを叩き出している某大手サイトの影響を色濃く受けている法廷院に対して、すかさず西野教授から『ラれ』と『ラせ』の違いについての論文が発表され議論の場は混沌に包まれていった。


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