序章02 『牽強付会』

 渡り廊下を歩く。



 コッコッコッ――と、規則正しく靴底で床を鳴らす。 



 春。



 4月も半ばを過ぎた今頃、弥堂 優輝びとう ゆうきはこの私立美景台みかげだい学園高等学校において2回目となる春を迎えていた。


 一学年の課程を修了し二年生へと進級してから1週間ほどが過ぎた頃である。



 美景台学園は少々特殊な構造になっており、各学年ごとに校舎が別れる。


 そのため、一年生の時に約1年間ほど過ごした教室のあった以前の校舎から、現在は二年生用の校舎へと、進級時に学び舎を移すことになった。



『約』1年間と曖昧な表現になるのは、弥堂の個人的な理由により、この学園へと通い始めたのが去年の5月のG・Wを過ぎた頃からであったためだ。


 高校へ進学したばかりの一年生の5月に転入という特異な身の上で弥堂はこの学園へ入学をした為、現環境へと弥堂が溶け込むのには少々梃子摺ることとなった。


 しかし、約1年という時間が経とうとしている現在では、中々に卒なく高校生と為ることに成功したと――彼はそんな風に自己評価を下していた。



 運動部用の部室棟から渡り廊下を通り、三年生用の校舎の入り口へと差し掛かる。廊下と建物の継ぎ目となる敷居を越えた際に、壁に貼られている学園敷地内の見取り図が目に入った。



 この私立美景台学園の正門は、敷地の南側にて開かれている。


 正門を潜るとまず、真っすぐ北へ向かって並木道が伸びる。その道の両端には桜の木が等間隔に植えられており、今時分の季節には新入生を歓迎するようにその花を元気に咲かせていた。


 その桜のアーチを通り抜けると、正面に学園のエントランスとなる建物がある。それが全学年共通の生徒用の昇降口となっていた。


 教員や学園の運営職員、それから来賓などは東門から警備員の誘導に従い敷地に入り、別の専用の玄関口から建物へと入るように別けられている。



 昇降口から西側に一年生用校舎があり、その北側に三年生用校舎。さらにその北側には先程まで弥堂と廻夜が居た部室棟があった。こちらは運動部用の部室棟となる。


 反対に昇降口の東側にはまず二年生用の校舎があり、その北側に学内の各委員会が活動する為の部屋が並ぶ専用の棟がある。そしてその北側には文化系の部活用の部室棟が存在していた。



 そして、これらの各棟に囲まれる形の中心部には、教員や事務員、警備員などの詰め所や、学園理事の執務室などが設けられた事務棟がある。各校舎が二階建てで造られている中でこの事務棟だけは五階建てとなっていた。


 その最上階の屋外にはこの棟の象徴となる巨大な時計が設置されているため、学内では正式名の事務棟ではなく、“時計塔”と呼称されることも多い。



 このように少々複雑な構造になっていることから、外部からの訪問者だけでなく学園に来たばかりの生徒や職員までもが校内で道に迷うことが頻繁にある。


 その対策として、学園施設内の至る所に、この校内の見取り図が貼られることとなったのだ。



 学内西側の運動部の部室棟から、目的地である二年生校舎はちょうど対角線上に位置する。


 そのため、弥堂が部室から自分の所属する学級の教室へと辿り着くには、まず三年生校舎へ入り――それから事務棟経由か、一年生校舎経由かのどちらかのルートを選択して進む必要があった。



 二階建ての各校舎の一階部には教室はなく、生徒同士の交遊や来客の待合室となる簡易的なラウンジスペースがあり、他の部屋は教材などの倉庫だけとなっている。


 あとは上階へと昇る階段のみで、二階部には各学級の教室が並んでいた。



 各学年は大体5~7クラスずつあり、1クラスにつき凡そ25~30名ほどの生徒が所属している。


 各棟を繋ぐ渡り廊下は二階にもあり、空中渡り廊下となっていた。

 


 弥堂の所属するサバイバル部の部室は部室棟の二階にあったため、現在は二階の空中渡り廊下を使用して二年生校舎へと向かっている。


 弥堂は事務棟ルートではなく一年生校舎を経由するルートを選択し、三年生校舎から空中渡り廊下へと出た。




 サバイバル部――



 弥堂が所属する部活動である。


 去年の秋頃に、部長である廻夜 朝次にスカウトされ入部をした。


 当時二年生だった廻夜自身が去年に設立をしたばかりの歴史の浅い部活動である。何故か運動部として分類されている。



 サバイバル部という呼称は通称であり、正式には『災害対策方法並びにあまねく状況下での生存方法の研究模索及び実践する部活動』が公式の名称として登録されている。


 名前が長過ぎて設立者本人ですら偶に忘れてしまうので、サバイバル部が通称となっており、そして部外の生徒にはそれが正式名称だと思われている。


 というか、実際のところは殆どの生徒にその活動内容がまともに認知されていないため怪しげな部活動だと思われている。


 そして大半の生徒には、その名は悪名として認知されていた。



 週に2・3回ほど、今朝のように『朝練』として始業前に部室にて活動がある。


 弥堂は入部してから今日まで、真面目にそれに参加をしてきた。


 だが、大体においてその活動風景は今朝と似た様相であり、入部をして半年ほどが経過した今となっても、一体自分達が何の練習を行っているのかは未だに不明なままである。



 朝も夕も、活動内容としては廻夜が持参した娯楽小説や漫画を読まされたり、アニメDVDや動画を鑑賞させられたりするか、そうでなければ先ほどのように活動時間中彼が終始喋り続けていることが多かった。


 その為、入部当初は名称通りの目的の活動を行っているのかという点において、弥堂は少々疑念を抱いていた。



 しかし廻夜に言わせると、現代で起こりうる災害の対策方法は素人が下手に考えるよりもインターネットで調べた方が確実であるとのことであった。


 そして実際対策するにあたって必要なのは概ね物資であり、その物資を確保するために必要なものは金であると。


 故に、我々が行うべきは金策であり、金のない奴は死ぬしかないと――廻夜は拳を振り上げそう豪語した。



 これには弥堂もなるほどと、一理あると納得をした。



 実際の活動としては廻夜の指示で出資元不明の怪しげな事業のバイトに従事をしたり、これまた彼の指示で風紀委員会へと所属をしたり等をした。


 風紀委員会では、他運動部の不祥事を時には密告をし、時には捏造をし、時には現場を取り押さえることによって縮小や廃部に追い込んだり等をした。


 運動部全体に割り振られる予算と部室の空きを作ることが主な活動の目的であった。



 さらにその粛清から生き残った他運動部の弱みを握ったり、捏造をした上で丁寧にお願いをすることで、各運動部の来期の予算増額要請の申請を本人達に取り下げさせたり等の交渉も行った。


 その甲斐あって、無事にサバイバル部の今期からの予算を大幅に増額させることに成功する。


 これらの成果から、司令官である廻夜部長のその手腕は弥堂にとって疑いようのないものとなった。



 この一連の活動の影響で少々校内で騒ぎが起きたり、今現在も新一年生を除く多数の生徒と一部の教職員からは恨まれたり睨まれたりしている。


 だが、それは今は別の話であり、そして所詮は聞く価値のない敗者の泣き言であった。少なくとも弥堂はそう考えていた。



 以上が去年1年間の『災害対策方法並びに遍く状況下での生存方法の研究模索及び実践する部活動』の主な活動内容であったが、概ね満足な成果を上げることが出来たと謂えよう。


 これによって、現代で起こりうる災害時に生き残る為に必要な物資は粗方用意することに成功し、部室や校内の至る場所に隠して設置(無許可)することが達成出来た。



 三年生校舎から続く渡り廊下が終わりを迎え、現在地は一年生校舎へと変わった。


 それを引き金に思考を去年の活動から今期へと切り替えた。



 今期――つまり、これからの1年間では次のステップへ進もうというのが部長である廻夜の方針であった。



 日常で起こりうる災害には既に備えた。


 ならば次は起こる可能性の極めて低い非常事態に備えようと――部長は腹を揺らし高らかにそう宣言をした。



 起こる可能性の極めて低い非常事態とは、授業中に突然校内がテロリストに占拠されたり――


 偶然旅行で訪れた山荘で密室殺人事件が起きたり――


 突然世界中で超能力に目醒める人類が次々と現れ、各地で異能力バトルが勃発したり――


 ある日空から美少女が降って来たり――



 そして――



 ある日唐突に『異世界』へと迷い込んでしまったり――



――などの事柄だ。



 つまりは言ってしまえば荒唐無稽な状況を想定していた。

 


 現実に起こりうる可能性は限りなく低いが決してゼロだとは言い切れず、しかし仮に備えなくその事態に直面すれば確実に死は免れない――そんな事態への対策をしっかりと行う。


 そして実際にそういった事態に直面した時に確実に生き残ってこそのサバイバル部であり、もしもそれが出来なければ他校のライバル達とは戦えない――と、廻夜は身振り手振りを交えそう熱弁した。



 彼が持ってくる小説に異世界転生ものが多いのは、これらが教材だからである――と、今年最上級生となる男はそう強く主張した。

 


 これには弥堂も同意を示した。



 他校に同じ活動内容の競合勢力が存在するのかという事実関係については彼は寡聞にして知らなかったが、何事も徹底的に行うという姿勢には敬意を払うべきだと考えたのだ。


 また、例え共感出来る内容ではなかったとしても、部長である廻夜は事実上自身の上官となる。


 所詮末端の平部員に過ぎない弥堂には与えられた指示に対して疑問を持つ資格も意味もないのだ。


 一構成員でしかない自分はただただ与えられた『役割』 を忠実且つ確実に熟すのみ――そして、それこそが弥堂の得意分野であった。



 一兵卒には特定の思想も思考も必要ないのである。




 このように活動内容については概ね不満はなかったが、未だ不明瞭な点もある。


 それというのも、他に活動をしている部員を見たことが殆どないのだ。



 この美景台学園では部活動として設立又は継続を認められるには、部員数5名以上が必要であると校則にて定められており、生徒手帳にもそう記載されている。



 弥堂の知っている限りでは、サバイバル部の部員は部長である廻夜と、平部員の自分――


 それから部室に顔を出した所を見たことはないが、隣のクラスの山田君――


 ただの一度も姿形すら見せたことのない、正体不明の情報提供者Y’s――


 その他にも、部の名簿に名前の記載はあれど実際にはどこの学年のどこのクラスの名簿にも存在しない数名の部員で構成されている。


 だが、弥堂は実際に朝夕の部室での活動では、廻夜以外の人間の姿を見たことがなかったのだ。



 部の消耗品である弥堂としては、下される命令に否やはないが同僚のことは知っておいても損はないだろうとの判断で、上層部である廻夜の不興を買わない程度にこの半年ほど他の部員の正体を探ってはみた。


 だが、そうはしてみたものの、その成果は芳しくはなかった。



 しかし十全とはいかなかったがその中で解ったこともある。



 自身の所属する部活動の部員達について弥堂は思索を巡らせようとしたが、ここで一年生校舎から昇降口へと繋がる空中渡り廊下に出た。


 景色が変わったことで一瞬思考が途切れる。


 廊下が続く先へと視線を向け、自身の歩調が乱れず一定のままであることを確認してから弥堂は思考を再開する。



 コッコッコッ――と、意識をして、大きすぎず小さすぎず遅すぎず速すぎずに音を鳴らす。



 一定のリズムで床を踏んで離す。




 まず、隣のクラスの山田君。


 彼とはこの半年の間一度も部活動中に顔を合わせたことはない。


 だが、この山田君のみが唯一、部の名簿と学園に登録されている名簿の記載が一致をした人物となる。



 山田君には一度だけ弥堂から接触を図ったことがあった。


 ある日、廻夜から弥堂の隣のクラスに『山田 薫』という部員がいるので、彼から“レポート”を受け取ってくるようにとの指示を受けた。


 そこで過日の昼休みに隣の教室を訪問してみたのだ。



 時期的にはちょうど他部潰しを始めた頃だろうか。


 各種工作をするにあたって同僚がどの程度“出来る”のかを把握しておくのも悪くはないと、そういった思惑も勘定に入れつつ弥堂は彼の者を訪ねた。



 しかし、実際に対面をしてみての印象は異質の一言に尽きた。


 対面した山田君は、まるで少女のような面差しに少女のようにか細い手足で――やたらと怯えた様子で受け答えをするその男子生徒の様相は、どこからどう見ても只の弱者であり小者にしか見えなかった。


 人を見る目はあると自負をしている弥堂をして、山田君は見たままの臆病な女子供にしか視えなかった。



 だが、キレ者の廻夜部長がそのような役立たずの無能者を登用するはずがない。


 間違いなくこれは“擬態”であると――弥堂はそのように見た。


 恐らく彼は潜入工作に特化したタイプの諜報員なのであろうと判断した。



 端的に「仕事の話がしたい」と迫った弥堂に対して、山田君はヒッと短くか細い悲鳴をあげる。


 すると、まるで野卑な盗賊に襲われたか弱い貴族の令嬢のように目に涙などを浮かべ、ふるふると震えながら「やめてください」「話が違う」などと言った。



 これは演技に合わせろということだろうと判断した弥堂は、山田君のロールに乗る形で「例のモノをよこせ」と手近にあった机を蹴り上げつつ要求をした。


 すると山田君は、まるで首筋に刃物でも突きつけられた人質のように顔を青褪めさせ「これで勘弁してください」と財布を差し出してきた。


 まさに迫真の演技であった。



 なるほど、こうやって部員同士の物資の受け渡しを偽装するのかと得心しながら弥堂は財布を受け取る。


 そして用は済んだと、教室を後にしようとした。


 その際、出口へと向かいながら周囲の騒めく生徒達の様子を横目で確認する。



『これではまるで、周囲の者たちには不良生徒が気弱な生徒から金品を巻き上げたようにしか見えていない――』



――と、そのように山田君の手管に感心し、完璧な“取引” であったと、弥堂は胸中で自分たちの仕事に満足をした。

 


 その後教室を後にし、素早く且つ不自然に見えない動作で男子トイレの個室に入る。


 だが、受け取った財布の中身を確認しても、レポートと見えるような物は何も入ってはいなかった。



 もしや『レポート』とは何かの隠語なのではないかと、弥堂は当日の放課後の部活動時に廻夜に財布ごと手渡し確認をした。


 そうしたら、廻夜は一瞬言葉を失ったかのようにも見える仕草をして――


『この財布は自分の手で山田君に返しておく』


『レポートは恐らく弥堂が訪問した直後と思われるタイミングで、山田君のクラスメイトが廻夜の教室へと持ってきた』


『山田君は保健室で寝込んでしまったので代わりにクラスメイトが来た』



――などと顛末を語った。



 若干廻夜部長の表情が引き攣っていたようにも見えたが気のせいであろう。


 彼は大きなサングラスをかけているせいで意外と表情が読みづらいのだ。

 


 弥堂はなるほど、どうも自分は陽動に使われたのだなと理解をした。

 


 多重に張り巡らされた偽装工作の中の捨て駒の一つとして使われたことに怒りを覚えることはない。自分は素人ではないのだ。


 だからむしろ、味方でさえ騙し切り、確実に目的を達成した上司と同僚のその巧妙な手腕を高く評価した。



 どうやら試されていたのは自分の方であったらしいと弥堂は自覚をし、また同時に彼らとならば今後も『いい仕事』が出来そうだと判断をした。



 このように謎の多い活動内容や部員達ではある。


 だが、廻夜から自分へとその詳細が語られないのは、未だ木っ端部員に過ぎない弥堂にはそれは『知る必要のないこと』であり、その資格を得たいのならば自らが使える男であることを示せと――


 これは廻夜からのそういうメッセージなのであると認識をした。



 ならばと、自身の有用性を示すべく弥堂は『部活動』へと励み、ここまで及第点以上と自己採点出来る程度には『仕事』を熟し、成果と実績を積み重ねてきた。


 そして今日へと至る。

 


 次いで、謎の情報提供者Y'sワイズへと思索を移そうとしたところで、一年生校舎からの渡り廊下を踏破し、正面昇降口の棟へ差し掛かる。

 


 敷居を踏みつけ足を踏み入れる。



 思考を再度戻しつつ、一歩、二歩と足を進めたところで。




 瞬間――




――その思考の全てが吹き飛ばされた。





 不意に風が吹き抜ける。



 空間は桜色に包まれた。



 昇降口棟の窓側から薄桃色の螺旋が流れ込んでくる。


 それらは壁に扉に床に殺到をし、行き場を失くして――やがて天へと舞い上がる。



 だがそれらはすぐに天井に行く手を阻まれ視界一面の左右へ拡がり、弥堂しか居ないこの空間をその色に染め上げた。



 窓の外は正門へと続く桜並木だ。


 ここ美景市の地形は南側が海、北側は山になっている。日中は海側からの風が吹き込み、夜は山からの風が吹き下ろすのだ。



 現在は学園始業前の午前8時36分。


 南側に位置する正門より敷地内に風を招き入れ、その風は桜並木を通り抜けてからその先を塞ぐ昇降口棟へと辿り着く。



 窓側に視線を向ければ前方の窓が一つ開け放たれていた。


 朝のHRの開始は午前8時40分からだ。



 今朝の春風は、始業前ぎりぎりのこの時間に正門をくぐり桜並木を勢いよく走って慌てて登校してきたのか――


 校舎前で学園の生徒を迎えるために待っていた桜の木から散った花びら達まで、通り掛かりに一緒にここまで連れて来てしまったのだろう。

 


 一か所だけ開かれた窓から這入ってくる桜色の帯が螺旋の渦を巻く。


 その螺旋が弥堂の向かう先の朝陽の方角から差し込む陽光を反射させ、その道を煌めかせる粒子となった。



 それは一見して優美な女性がこの先の未来を祝福してくれているように見える。


 しかしその一方で、螺旋――メビウスの帯――はどこまで歩いてもどこにも行けず、永遠に回り廻り続く。


 そんな迷宮の回廊に迷い込んだようにも見えた。



 そしてそれは、弥堂 優輝という男のこれまでとこれからを示唆しているようでもあった。



 この先は目の前の桜色達のように遍くものに阻まれ、その内にやがては足場が崩れこの世界に拠り所を喪ってしまう――


 そんな時が来るだけなのだと、それまで只管同じ道を廻り続けるだけなのだと――


 まるでそう占っているように感じられた。



 また或いは自ら――



 そこまでを思い浮かべた所で、実にくだらないこじつけだと――



 弥堂はその感傷を切って捨てた。



 弥堂 優輝びとう ゆうきは高校生だ。



 日本という国で生まれ、その出生が記録されてから16年が経過している。


 彼の両親に課された義務教育は中等教育で終了していることになってはいるが、この国の他の同年代の子供達の殆どがそうであるように、16歳は高校生であることが求められる。



 それが当然のことでありそれが“普通”ということだ。


 だから弥堂は高校へと進学した。


 それが己の役割だと。



 その先の目的も持たぬままに――



 部活動は楽だった。


 目的を示され、その為の役割を与えられ、それを熟す。


 たったそれだけでよかった。



 それがどんなことであれ――


 弥堂は目的の為ならばあらゆる手段を用いて一定以上の成果を出す自信があった。



 ただ、それがどんなことであれ――


 その『目的』というものを自分自身で自力で見出すことが弥堂には出来なかった。



 それが、いついかなる時も――



 何処に居ようとも――



 どんなことがあれども――



――どうしようもなく弥堂 優輝という人間の性質であった。




 廻夜 朝次は弥堂 優輝の物語が始まったと云った。


 だが、そうではない。



 弥堂 優輝の物語はもうすでに終わっているのだ。


 結末を見ることなく中から断たれ、そしてその続きが語られることはもう永遠にないだろう。



 一年間高校生として過ごしてきて、現在高校二年生となった今でも、ここでこうしていることの意義とその先の目的を見出すことは出来ないでいた。


 だが、もう終わった身の上であるとはいえ、たとえ自身が望んだ訳でなくとも――


 この社会に所属する以上は己の役割となる学生を続け、いずれは学生を終え、その上でこの社会の中で“何者”かには為らなくてはならない。



 だから今ここで答えが出ようと出まいと、結局はやることは変わらないのだ。




 夢を持てと大人は謂った。


 夢があると少年は云った。


 夢など幻想だと女は斬って捨てた。


 そして今この瞳に幻想は映らなかった。



 また窓から風が吹き込み、桜の花びらが棟内に入り込んだ。




 春。



 今までが終わってこれからが始まる。


 誰かと別れ誰かと出会う。



 春の風は誰しもに何かを運んで来て、そして誰しもに何処かへと進めと、背後から耳元にそう囁くのだ。

 

 暖かくて優しいと謳われるその春の風は、たとえ何も準備など出来ていなくとも、たとえ何も覚悟など持っていなくとも――


 誰かから誰かを連れ去り、それでも誰しもを強制的に次へと進ませようと背を押す――


――そんな残酷な風であった。




 棟内に流れた花びらがまた舞い落ちてくる。



 それは、或いは幻想的な光景なのだろう。



 視界いっぱいに桜の花びらが舞い落ちて降り注ぐ。


 これを見て喜ぶ者も多いのだろう。


 美しく素晴らしいものだと多くの者達が評するのだろう。



 なのに。



 だけど。



 人間の社会は人が幻想に浸り続けることを決して許しはしない。


 たとえ『世界』が許そうとも、人と人との間で生まれた人間が創った人間を閉じ込める為の社会せかいがそれを許さなかった。



 夢からは必ず醒めて、幻想は消える。


 地に堕ちて朽ちて踏みつけられていくのだ。



 前髪に縋りついていた花びらを指で摘まみあげ、日の目に晒す。



 白い花びらに薄桃色が差したこの国ではよくある桜の花びらだった。


 右手で摘まみ上げたその花びらの表面に左手の人差し指をスッと一度滑らせた。


 満開となるこの季節に咲き乱れ散り乱れ死に乱れるその花の弁は、まるで白い肌に健康的な血色を浮かばせた少女の柔肌のようであった。



 花びらを挟んでいた親指と人差し指を離す。


 弥堂は床へと落ちていく花びらを目で追う。



 くるりくるりと舞いながら落ちる薄桃色はやがて床へと辿り着く。


 すると、途端に他の花びらへと混ざり溶け込み、床に流れるその生命の血流の一滴、もしくは肉の一摘まみへと成れ果てた。



 どんなに美しく成ろうとも、こうして地に果ててしまえば――


――これらはただのゴミにすぎなかった。



 弥堂はそれらを見下ろし、そしてそれに何も思わなかった。



 開け放たれている窓枠へと歩き出す。


 死に乱れた桜色の骸の上を。



 窓へと手を伸ばす。


 外からはまた桜色の帯が流れてくるのが見えた。



 僅かに目を細める。

 


 花びらが風に乗り、建物に阻まれ、行き場を求めるように唯一の抜け道であるこの窓へと収束し渦を巻き、桜色の螺旋となって迫るのがゆっくりと視えた。



 それらが屋内へと侵入する前に、彼女らと擦れ違う前に、袖が擦り合うその前に――



――弥堂 優輝は窓を閉めた。



 感傷を断ったのではない。



 この通路の窓はこの季節は開放禁止となっており、風紀委員に所属する自分は開放禁止のはずの窓が開いてることに気付いたのならば、職務上それを閉める必要性があるからだ。


 やるべき『仕事』をただ熟した。


 後で清掃員にこの廊下の有様を報告しておけば、一限目が終了した後の休み時間には全てが無かったことになっているだろう。



 死体などなかったことにされる。



 拒絶され捨てられた幻想は階下の出入り口へと降り注いだ。



 まだ所属する教室へ辿りついていなかったのだろう、昇降口棟の出入口には登校してきた生徒が数名居たようだ。


 望外の色めいた通り雨に燥ぐ女生徒達の歓声が聞こえてくる。



 弥堂はそれには興味を示さず二年生校舎へと歩き出した。



 輝かしい高校生活を送るべく桜色の絨毯を踏みつけ歩いていった。




 コッコッコッ――と、不変の拍子で残響音を置く。




 死に別れた者を踏み越えた先には恐らく誰もいない。



 残されたのは幻想の骸――



 その美しかった薄桃色は踏み躙られ穢され純潔であることを喪った。

 

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