6.サトウとヒイロ

 ヒイロが悲鳴じみた声で「スタン!」と騎士の名前を呼ぶ。

「スタン、やめろ! サトウが魔王なはずないだろ!? 大体、魔王は俺が倒したじゃないか!」

 ヒイロの主張は最もで、サトウも思わず顔を歪めた。スタンから滲み出る殺気がちりちりと痛い。スタンの代わりに、後ろのリリーが「そうだけど!」と首を振った。

「確かにあたしたち、ヒイロが魔王を倒すところを見たわ! でも……でも、そうじゃなきゃ、考えられないのよ!」

 続けて、リリーはもう一度サトウを見た。

「常時自分に魔法をかけ続けていられるほどの魔力量……献上された魔力をあたしも、ロージーも確認したの。あれほど純度の高い魔力を、あたしたちは“魔王以外で”初めて見た。そうでしょ?」

 最後はロージーに視線を向けてリリーが訴える。ロージーもまた険しい表情を浮かべて頷いた。

「それは……そうだ。ドーラ王国にもこれほどの術者がいるのかと思ったけど……確かに、魔王だと言われれば納得がいく」

 見れば、いつの間にか国王と王女は壁際へ追いやられ、二人を守るように大臣が立っていた。この場の全員から鋭い視線を向けられて、サトウは笑いたくなるのを必死で堪えた。

「魔王を討伐したのに、俺が魔王なら、勇者ヒイロは魔王を討伐できなかったってことになるんじゃないのか?」

 それはいいのか? と、問えばヒイロが難しい顔のまま首を振った。

「魔王を本当に倒しきることはできないんだ。その時代の勇者が魔王を倒しても、また復活して世界を闇に導くんだって」

「なんだそりゃ。不死身か?」

 思わず漏らすと、ヒイロだけが肩を竦めて「やってられないよな」と同意した。

 つまり、彼らの主張としては、魔王は復活するものだから、それが“今”このタイミングでもおかしくはない、ということなのだろう。

(むしろ、この場で復活してくれた方が有難いのか? 今ならヒイロがいるし)

 ヒイロを帰してしまえば、他に魔王を倒せる者がいなくなる。もう一度勇者召喚をしようにも、先ほどの話が本当なら、精々あと一回できるかどうか、というくらいなのだろう。その一回、も使い切ってしまえば、次の復活に備えられない。

(やっぱ、何代かに一度くらいの頻度で召喚してるんだな)

 魔王の復活に合わせて代々王族は魔力を溜め、勇者召喚に希望を託すのだろう。召喚される側からしたらいい迷惑だが、そういう事情を明かされてしまえば協力せざるを得ない。第一、サトウのような魔力チートでなければ、帰還するために王国側の協力を得なければならないのだ。

「……ヒイロはどう思う?」

 ぴりぴりと緊張感が包む中で、サトウは一歩、前に出てヒイロに問うた。動いたことでスタンもさらに一歩踏み込むが、それは気にならなかった。攻撃される可能性がある、ならば、事前に防御の結界を張っておけばいい。キャラバンで旅をしていたころ、野営の結界はサトウの担当だったので、効率よく・強力な結界を張ることには自信があった。

 サトウの余裕をどう受け止めたのか、ヒイロが何とも言えない表情で、「俺は……」と口ごもる。リリーが「ヒイロ!」と名前を呼んだ。

「俺は、魔王じゃなくて、俺の知ってるサトウ、だと思う。探してたんだ、ずっと」

 思いの外はっきりと告げて、ヒイロがサトウの前に出た。スタンと対峙する形になって、二人で睨みあう。

 ただ、ヒイロの服は学生服で、何の武器も持っていなかった。まさにこれから帰ろうとしていたのだ、武器を持って帰れないし、質量が増えればその分転移に魔力を要する。

「ヒイロ、お前からちゃんと聞いておきたいんだけど」

 サトウはヒイロの背中に問いかけた。スタンから気を逸らさぬように、ヒイロが「なんだよ」と問うた。

「魔王の姿ってのは、ずっと同じなのか? お前、旅をする時から、魔王がどんな姿か、知ってた?」

 それで、ヒイロの顔がこちらを向く。ちらり、と一瞬だったが、見えた表情は苦々し気なものだった。

(これは、知ってたな)

 なるほど、とサトウは心中で呟く。

 ひとつ、疑問があったのだ。それのせいで、サトウは今日まで胸のつっかえを外せずにいて、幼い頃の拒絶感をぶり返している。

 ヒイロが何も答えないので、サトウは視線をロージーに向けた。

「……魔王の絵姿は王城に保管されてる。本来王族しか見ることのできない資料だけど、勇者はもちろん、僕たちにも共有されている」

 でなければ、誰が魔王なのかわからないだろう、と、ロージーは言った。

 サトウは頷いて、もう一つ、ヒイロに問いかけた。

「ヒイロ、あのさ」

「……なんだよ」

「半年前、カリラの町で、俺と目が合ったよな?」

 今度こそ、はっきりと、ヒイロの顔がこちらを向いた。サトウはそれに満足して、にんまりと笑う。やはり、ヒイロは気が付いていたのだ。「それじゃ、あれは、」呟くように続いた言葉にサトウは肩を竦めた。

「……どういうこと?」

「半年前、俺もカリラの町にいたんだ。そこで旅の最中だった勇者パーティとすれ違ってる」

 話しながら、サトウは半年前のことを思い出した。

 キャラバンはこれと言った目的もなく、気の向くまま、面白い話がありそうなところに向けて町から町へ、国から国へ渡っていた。サトウが拾われた時、彼らはドーラ王国を中心に商売をしていて、訪れる町は勇者パーティの進路と重ならなかった。

 そも、アルカナ王国が勇者を召喚するのは、地理的な理由が大きい。魔王が統べる悪魔たちの国、魔国はアルカナ王国と隣接しており、間に太い川を挟むとはいえ、悪魔や魔物の影響を強く受けるのもアルカナ王国だった。当然、アルカナ王国で抑えきれなくなれば他国に影響を及ぼすので、魔王討伐は世界的に関心の高い話題だが、討伐自体はアルカナ王国が請け負うことになっていた。

 召喚されたばかりの勇者は未熟なので、国中を回って悪魔や魔物の被害を解決しつつ、レベルを上げていく。魔王討伐が完了した際に、「この人が勇者」と国内外に知らしめる意味もあった。

 カリラの町はドーラ王国にほど近い西方の町で、西方では最も大きな町だ。魔王討伐前は魔物被害が多く、勇者に助けてもらったと聞いている。

 キャラバンがカリラの町を目的地にしたのは、勇者パーティが訪れるという情報を得たからだ。勇者の情報が入るたびに苛立つサトウのため、「一目見れば落ち着くだろう」とリーダーが気を利かせたのだ。最も、リーダーは「魔物被害のせいで他の行商が入ってないみたいだから、狙い目の町なんだよな」と笑っていたが。

「勇者たちが来るって聞いて、カリラの町に寄ったんだ。町を出る日に勇者パーティが到着して、ヒイロを見かけた」

 荷をまとめて出立の準備をしていた時だ。急に広場の方から歓声が聞こえたので、様子を見に行ったのだ。

 暗い表情ばかりだった町人達が、興奮した面持ちで歓声を上げている。人だかりの中心で、見慣れぬ勇者の服を着た、見慣れた友人が笑みを浮かべて応えていた。

「それなら……それじゃ、声をかければよかったじゃない」

 リリーが「今更そんな話をしても」と言いたげに口を挟む。サトウは笑って「いやいや、無理だろ」と否定した。

「今あんたらが言ったんじゃん。魔王の姿絵は、あんたらには共有されてたんだろ? どうやら、俺の外見は魔王にそっくりらしい。そんな俺が、カリラの町でヒイロに声をかけたところで、今以上に警戒するでしょ。ヒイロじゃなくて、あんたたちが」

 答えるとリリーはぐっと押し黙った。

「まあ、ヒイロが俺に気づいたなら、話したいなって思ってたけど。

 ヒイロは俺を“見なかったことにした”から、できなかった」

 そうだろう、と。

 ヒイロに問いかける。ヒイロの肩がびくりと震えた。

「それは……でも、」

 何かを言いかけたヒイロを制して、「いや、それが全てだよ」とサトウは言い切った。

「あの時、お前と目が合った。“お前なら”俺が嫌がっても近づいて来ると思ったのに、あの時のお前は驚いた顔をして、周囲の様子を見て、それから俺が何もしないのを確認すると、視線を逸らした。あれ、俺を、魔王と勘違いしたからじゃない?」

 ヒイロは何も答えない。サトウは肩を竦めると、「まあもういいんだけどさ」と笑った。

「“魔王と思ったこと”が後ろめたいのか、“魔王じゃないと思ったのに無視した”ことが後ろめたいのか、どっちでもいいよ。

 ただ俺はそれで、やっぱお前は“そういうやつ”だったよなって思ったんだ」

 そういうやつ、と、ヒイロの口が僅かに動いて繰り返す。リリーが困惑した様子で、「あんた、結局どうしたいのよ?」と問うた。その声から警戒の色は抜けていないが、先ほどのような激情は薄れている。

 どうしたいか、と聞かれれば、答えは一つしかなかった。

「帰りたい。そんで、できるなら、勝手に喚んだあんたらに復讐したい」

 はっきりと言葉にしたことで、大臣がいよいよ王族二人を扉の方へ近づけた。いざとなったら逃がすためだろう。別に、その二人が逃げてもサトウは構わなかった。復讐はしたいが、人を害したいわけではない。サトウは魔力チートの自覚があるが、積極的に人を攻撃したことはないし、したいとも思っていなかった。襲ってきた盗賊などを撃退するのは別として。

「復讐って……」

 ロージーが呟いたので、サトウはヒイロの背後から出て魔法陣に近づいた。気が付いたロージーが、進路を塞ぐように立ちはだかる。少し遅れて、リリーがサトウ背後に着いた。ヒイロが「サトウ、」と弱弱しい声を上げた。

「何を、する気だ?」

 サトウはヒイロを見つめ返すと、「お前も散々だよな」と前置く。

「勝手に喚ばれて、魔王討伐なんて命に関わる仕事を押し付けられて。こんな国、見捨てたって良かったのに」

 恨みがましく言ったが、それができないことくらい理解していた。その点で言えば、サトウの方が幸運だったと言えるだろう。勇者側に召喚されてしまっていたら、サトウだってヒイロと同じように、魔物を倒し、悪魔を殺し、魔王討伐を強要されていた。ただそれは結果論だ。たまたまキャラバンに見つけて貰えたからこその幸運で、そうでなければサトウはあそこで死んでいたかもしれない。魔物に襲われる心配はなくとも、その事実をその時サトウは知らなかったし、自分が魔法を使えるとも思わなかった。知らない力は使えない。大体、サトウが魔力チートだったことだって偶然である。だから、ただの結果論だ。

 ロージーの手が腰あたりを彷徨って、何かを掴もうとしている。目に見える大きさの武器はないので、ローブの下に小型の武器を隠しているのだろう。サトウはそれで、一、二、と心中でカウントをした。

「三」

 ぱきり、と、ロージーの右半身が凍り付く。瞬間、「アイスランス!」とリリーの甲高い声が聞こえて、背後から氷の槍が襲ってきた。サトウ、とヒイロが叫ぶのを聞き流しながら、サトウは声に出して「一、二、」と数を数えた。

 三、数える間に、氷の槍がサトウの身を貫こうと襲い来る。けれど三、数えながら、振り向きざまに掌を掲げれば、氷の槍はばしん、と水となって弾け飛んだ。水、なので殺傷力はない。サトウとリリーの間に水たまりが生まれた。

「なっ……――」

 続けてリリーが同じ技を出そうとしたので、サトウはもう一度「三」と数えてリリーの体も凍らせた。どうやら魔法のイメージを呪文で補っているようなので、口を覆って話せなくする。

「ロージー!」

 と、その間に背後のロージーが氷から脱出したらしい。無理に動かすと怪我をするのに、思いながらサトウは振り向く。

「そこまで」

 ぴたり、と、額に拳銃が突きつけられた。

「サトウ……」

 スタンと向かい合うのをやめたヒイロが、慌ててこちらにやってくる。ロージーがあまり近づくな、とヒイロを牽制して、スタンがヒイロの肩を掴んで抑え込んだ。

「君、何を、しようとした?」

 ちらり、と、ロージーの視線が魔法陣に向く。

 サトウは肩を竦めると、「魔法陣に入ろうとしたけど」と端的に答えた。嘘は言っていない。

(ああ、でもこの距離ならよく見えるな)

 先ほど、部屋をぐるりと一周した時は全貌が見えなかったが、この距離なら魔法陣を確認することが出来た。

 一年間、魔法を研究する中で、テーマとしたのは「勇者召喚の儀式で使われる魔法陣」である。アルカナ王国の秘伝であり、機密事項でもあるその魔法陣の全貌を知る者はいない。リーダーが言うには、最初に勇者召喚を行って以降、魔法陣には手を加えず、王宮の筆頭召喚師にのみ口伝で発動の仕方を伝えているとのことだった。今の召喚師でさえ、発動方法は知っていても、解析ができていない。

 それを、ある程度理解できるレベルまで究めることを目標としていた。

(……うん、理解できる。やっぱ使用されてる言語は精霊語だったな)

 書かれた文字の理解ができれば、どのような構文が使われているのか予測ができる。それがわかれば、あとはどういう構造で、何を指定していて、どうやって発動しているのかを読み解くだけだ。予想した魔法陣の形、と、殆ど変わりないことに安堵した。

「言っておくけど、この魔法陣を壊したら帰れなくなるのは君も同じだからね」

 ロージーが険しい声で忠告をする。サトウは肩を竦めると、「そんな馬鹿な真似はしないさ」と笑った。

「魔力が足りないってことだけが、俺が帰らせてもらえない理由なら、俺が足すから問題ない。何もせず魔法陣を使わせてくれるんなら、大人しく月世界に帰るけど?」

「信じられないな。君、さっき僕らに復讐したいって言ったばっかりじゃない」

 がちり、と、ロージーの指に力がこもった。

「ここで君を殺せば、魔王は暫く出てこないだろう。ヒイロは安心して元の世界に帰れる。わざわざ魔王を、月世界に送り込むこともない」

 ハッピーエンドだ、とロージーは言った。ヒイロが「やめろ、ロージー!」と悲痛な声を上げる。どこか傍観者のような感覚で、サトウはロージーを見つめ返した。

 実際に、王国側がサトウを魔王と思っているのかどうかはどうでもよかった。あるいは、これに乗じてヒイロの帰還をやめさせたいのかもしれない。ヒイロが残れば、ヒイロが生きているうちは魔王討伐を押し付けることが出来る。新たに勇者を召喚する必要がないので、その分また魔力を溜めておける。

(やっぱ、気に入らねぇんだよな)

 王国も、その王国の言いなりにならざるを得なかったヒイロも、だ。サトウは声を出さずにカウントを取った。一、二、三、

「っ!」

 瞬間的に、ロージーの持つ魔法銃が、手首あたりまで覆うような形でパキリと凍った。ロージーの顔がさっと青ざめて、唇が戦慄く。息と共に悲鳴も飲み込んだようだった。

「ヒイロ、帰ろう。さっさと、こんなとこから」

 振り向いてヒイロを促す。スタンに目を向けると、敵わないと感じたのか、大人しくヒイロを解放した。

 戸惑った様子のヒイロが近づいてくる。その視線に少しばかり疑念の色が浮かぶのを、サトウは見て見ぬふりをした。

 二人で魔法陣の上に立つ。精霊語で描かれたそれを、サトウは一字一句正確に読み取ることが出来た。

(なるほど、魔法陣そのものに、解析防止の魔法がかけられてるのか)

 最初にこの魔法陣が描かれたのはどれほど前の事なのか、知らないが、現在も発動し続けていることを考えると、魔法陣の開発者はとんでもない実力者だったに違いない。これまで口伝で発動方法のみ伝えられてきた、ということに違和感を覚えていたが、魔法で秘匿されていたのなら納得がいく。つまるところ、この解析防止の魔法を打ち破れるほどの魔力を持つ者がいなかったのだろう。

(ただ、まあ、俺は魔力チートなわけで)

 防止魔法を突破することもできるし、魔力で情報解析能力を補助してしまえば、解析効率も上げられる。

「……おっそろしく効率悪い転移魔法だな」

「わかるのか?」

 思わず呟くと、ヒイロが訝しむように問うた。サトウはヒイロを見もせずに、「わかるぞ」と端的に頷く。

「どうも、魔力チートみたいでな。魔力が関わることなら大体なんでもできる」

 答えると、ヒイロは「魔力チート……」と、もの言いたげな視線を寄越した。

 手を封じられたロージーと、スタンはサトウのすることを黙って見つめていた。見つめたところで何をやろうとしているのか理解はできないだろうが、不審な動きを――例えば壁際で息を潜めている王族二人を害そうと――したらすぐに攻撃できるように、視線は鋭かった。

 サトウは周囲の視線を無視して、魔法陣の一部に自分の魔力を注ぎ込む。

(世界と世界を無理やりこじ開ける記述だ、質量は注いだ魔力の量だけ確保される。要領は転移魔法と同じか)

 座標指定の方法だとか、魔力の消耗順序だとか、細かな記述は無視する。

 “帰還の儀式”の魔法陣という名目だが、魔法陣自体は“勇者召喚の儀式”にも使われるものだ。効率は悪いが、使用する魔力は最小限に抑えられるよう、工夫の跡があった。類似する記述を一つにまとめたり、扉の展開方法を最短にしたりなどだ。転移に時間がかかればその分維持魔力がかかってしまう。

 さて、どうしてやろうか、と考える。

 やりたいことは一つだった。この魔法陣を、“もう二度と使用できなくする”こと。

(魔法陣の発動魔力量を十倍くらいに上げてやろうか……それとも、座標を変えてやろうか)

 魔力量を底上げしたくらいでは、どこかで破られてしまうだろうなと考える。書き換えた記述を正確に解析できればの話だが、何度も試せばその内発動することが出来るだろう。座標を変えてやるのは良い方法かもしれないが、万が一他の世界に繋がって、別の誰かが召喚されてしまうなら意味がない。

 サトウは月世界からの召喚を失くしたいわけではないのだ、勇者召喚、そのものを壊してしまいたい。

(座標は月世界のままにして……魔力量を引き上げるために、座標特定の条件を追加して……世界中の人間を検索するような……そのうえで、絶対に当てはまらないように……)

 細く白い糸のようになった魔力が、魔法陣にするすると吸い込まれていく。考えながら指を動かせば、魔法陣はその通りの記述に書き換わっていった。強引だが丁寧に、完成された魔法陣を崩して修正していく作業は、存外面白いものだった。

(まあ、もう、これっきりの作業だけど)

 最初で最後の作業だ。ゆっくりと魔力の糸を最後まで流し込み、続けて発動のための魔力を込めた。

「なっ……」

 急に淡い発光を始めた魔法陣に、ロージーがあからさまに狼狽えた様子を見せた。サトウはそこでようやく顔を上げる。必要以上に王国側の面々が警戒したおかげで、邪魔されずに作業を終えることが出来た。

「なぜ、お前が発動できる!?」

 ロージーの悲鳴じみた叫びで、他の面々も魔法陣発動の発光だと理解したようだった。

 発動した魔法陣は外周に沿って障壁を発生させる。転移させる物質を増減させないためで、これは元々の仕様のようだ。ロージーたちがヒイロに近づこうとしたが、見えない壁に阻まれそれは叶わなかった。代わりに険しい声で叫ぶ。

「ヒイロ、待ってくれ! まだ君の力が必要なのに!」

 ヒイロはちらりとロージーを見たが、それきりだった。返事はせずにサトウを見つめる。サトウは疑わし気なその視線をまっすぐに受け止めた。

「……本当に、俺の知る、サトウか?」

 慎重に言葉を選んで、ヒイロが問う。サトウは肩を竦めて、「お前の知るサトウじゃなきゃ、どこのサトウだ?」と揶揄って見せた。

「魔王が、俺の記憶を覗いて擬態しているとか……」

 何か思い当たる節でもあるのか、ヒイロは苦々しげな顔をした。

(本当に、こいつは……)

 だから、ヒイロは“そういうやつ”なのだ。

「そう言うってことは、ヒイロの中で魔王は倒せてないってことか?」

 サトウが問えば、ヒイロは答えに窮した様子で口を閉じた。するりと視線が逸らされる。魔法陣は発光を強めていく。そろそろ転移が始まるだろう、と、サトウは思った。

 少しいじめてやりたい気持ちになって、転移の進捗を一時停止させた。魔法の内部の動きなので、使用者であるサトウ以外は分からない。ロージーでさえ見破ることは困難だろう。

「ヒイロ」

 呼びかけながら、「俺、お前の言葉で気に入ってる言葉があるんだよ」と何気なく続けた。ヒイロが再び顔を上げて、しかし警戒の色は薄れない。

「お前が初めて俺に声をかけた時、お前、俺は“うさぎちゃん”じゃなくて、“オオカミ”だって言ったよな。あれ、一番嬉しい言葉だった」

 ヒイロの瞳が僅かに広がる。古い記憶を掘り起こしたので、多少疑いが晴れたのかもしれない。結局こいつもお人よしなのだ、と、サトウはヒイロに近づき、ぽん、と右の肩を叩いた。

「そんでさ、お前がそのあとに言った、白い髪と赤い瞳は好きだって言葉。あれで俺、」

 そのまま、左手をヒイロの腹に突き出す。

 一、二、三、と。

 カウントと共に、ヒイロの目がカッと見開きこちらを凝視した。

「お前の事、信用できねえなあって思ったんだよ。お前はいつもそうやって、俺を憐れんだような目で見て、俺を自分の付属物のように扱う。毛色の珍しい俺を傍に置こうとする。お前から離れたくて違う高校を選んだのに、隠してたのに、お前は教師に聞いて追っかけてくんだもんな。お前の、そういうところが、すごく、嫌いだ」

 ヒイロの腹に隠し持っていた短剣を突き刺していた。軽い力でしか刺してないので、深く刺さってはいない。それでも刺されたヒイロは痛いだろうし、何よりも驚愕で顔が青ざめている。ロージーが魔法陣の向こう側で、「ヒイロ! やっぱりお前は魔王か!」と叫んだ。サトウは「そんなわけあるか」と笑った。

 笑ったものの、短剣を持つ左手がぶるぶると震えている。肉を突き刺す感触が気持ち悪くて、短剣はすぐに抜いた。深くはない、と思うが、それでもぶしゃりと血が溢れて、ヒイロが腹を抱えて蹲る。

(大丈夫)

 この魔法陣に、「帰還の時に限り、門を通過前の状態に戻す」効果を足している。「通過前の状態」とはつまり、召喚される前の状態だ。何もかもが元通り。本当は、ヒイロの怪我を治すためではなくて、サトウの髪を元通りにするために足した効果だったが。

(……大丈夫)

 未だ震え続ける左手から短剣を落とした。かつん、と軽い音がして、短剣は魔法陣の端まで飛んで行った。すでに転移は開始されているので、陣の外へ落ちることはない。ロージーが魔法陣の発動を止めようと、無理やり魔力をぶつけてねじ開けようとしたが、打ち破れずに跳ね返された。

 ヒイロは何も言わなかった。呻き声すら上げなかった。代わりに呆然と、サトウの顔を見上げる。ヒイロが蹲ったままなので、サトウはその顔を見下ろした。

「……お前は、サトウだ。サトウだな」

 ヒイロの呟きには答えずに、サトウは顔を上げて一時停止を解除する。最初の流れよりも早く、早く、さっさとここから抜け出せるように。

 やがて目を開けていられないほどの光に包まれて、サトウは自分とヒイロの体がふわりと浮かぶのを確認した。

 強い光の中、ヒイロがこちらを見ている。

 サトウは“そちら”の方、になんとなく顔を向けながら、弱弱しく笑って見せた。上手く笑えたかどうか、自信はあまり持てなかった。

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