4.“うさぎちゃん”

 うさぎちゃん、と呼ばれていたことを覚えている。

 サトウはアルビノだった。

 先天的にメラニン色素を生成しにくい体質で、髪の色は真っ白、瞳も赤く、肌の色も透けるように白かった。

 幼い頃は病気がちだったこともあり、同年代の子供と比べて体格も小さく、たまに外を歩くとしょっちゅう女の子に間違えられた。サトウ自身は幼心に白い髪を嫌っていたが、母が「あんたの髪は本当にきれいね」と嬉しそうに褒めるので、染色をしたいとも、隠したいとも言わなかった。

 人口の殆どの人が濃い髪色である国で、真白の髪というのは想像以上に悪目立ちするものだ。

 母の意向もあって、学校側の理解もあって、小学三年生までサトウは髪を染めずに学校に通っていた。

 黒や茶、こげ茶の髪の中で、一人だけ真っ白な髪。

 体が小さく、赤い瞳のサトウを子供たちは異物とみなした。連想されたのは、飼育小屋で飼われていた、小さく可愛らしいうさぎである。

 うさぎちゃん、と、呼び始めたのが誰だったかは知らない。誰かが連想ゲームのようにサトウの事をそう呼んで、“あだ名”は瞬く間に広まった。揶揄い混じりの“うさぎちゃん”は、クラスを超え、学年を超えた。登校するたび、廊下を歩くだけで、誰とも知らぬ人に「うさぎちゃん」と囁かれ続けるのは、サトウの心をしくしくと締め上げていった。

 それでも、三年生までサトウは白髪を止めなかった。

 体格が小さく女の子と間違えられようと、サトウ自身は気が強く負けず嫌いだったので、髪色を変えたら「負け」だと思ったのだ。何より、毎日毎日「今日もきれいだね」と笑う母の顔が歪むのを見たくはなかった。

(あの頃からだ)

 四年生に上がった最初の月。

 転入生として紹介されたのが、九一色(いちじくひいろ)だった。

 一色は瞬く間にクラスの中に溶け込んだ。子供ながら端正な顔つきで背も高く、運動神経も頭も良かった一色が、クラスの中心人物になるのにそう時間はかからなかった。ただ、サトウは一色と関わることは全くなかった。

「なんでうさぎちゃんなの?」

 一色とは一切関わりがなかったのだが。

 ある時そう声をかけられた。四年生の五月の頃だった。

「……なんでそれを俺に聞くの?」

 見ればわかるだろう、という気持ちを押し隠してそう返した。一色は首を傾げると、「髪も目も確かにうさぎっぽいけど、」と前置いた。

「君はどっちかというとオオカミみたいだ」

 それから一色はにかりと笑って、「友達になろうよ」と右手を出した。握手を求められている、と気が付いたのは数拍置いた後で、黙り込んだサトウを気にすることもなく、一色は強引にサトウの右手を取った。

 じゃあこれで友達ね、と。

 ぶんぶんと振り回すような握手の後、一色は思いついたように言ったのだ。

「ああ、でも、僕は君の白い髪、とてもきれいで好きだなあ」

 その日、サトウは馴染みの理髪店に飛び込んで、白い髪を茶色に染めた。



 ぱちりと目を開くと、すっかり見慣れた天井が見えた。

 王都に来て二週間、初めの頃は観光するところも山ほどあって、忙しなく動いていたのだが。数日経てば行き尽くしてしまって、ここ三日ほどはすっかりホテルに引きこもっていた。何よりどこもかしこも人が多い、今の年齢になっても体格がいいとは言えないサトウに、進んで潰されに行く趣味はなかった。

(なんか嫌な夢見たな)

 ため息を吐きながら、目にかかった前髪をつまむ。十日ほど前、立会権を得るための献上品として散髪して以降、髪の色を濃い茶色に染めていた。

 染めたことに特別な理由はなかった。

 立会権は、献上品のおかげで無事に獲得できている。良質な魔力のこもった長髪を、教会は大層喜んで受け取った。儀式そのものに大量の魔力を必要とするため、献上品はそのまま儀式に使われるらしい。

 儀式に立ち会えば、必然的にヒイロと再会することになる。

(ああそうか……)

 視界に入った前髪を胡乱に思うのは久しぶりの事だった。変色の魔法をかけてからはずっとだ。十日前に色を変えてから、ずっと、色を保つために髪に魔力を通し続けているから、その分余計に気が滅入っている。自分の髪の色が本当は違う色で、たった一言、“気にいらない”言葉を突きつけられたために、染めざるを得なかったのだと。

 ため息を吐けば、鬱々とした気持ちが多少外に流れ落ちたようだった。そのままゆっくり深呼吸をして体を起こす。

 時計を見れば朝の十時ほど。前払いで確保していた宿泊日数は二週間ぴったりで、明日が最終日になる。チェックアウトは明日の朝、の予定になっているが、今日の午後は“帰還の儀式”がある。どうせ帰ってこないので、荷物をまとめてしまわなければならなかった。

 こちらの世界でそろえた旅道具は、必要最低限のものだけ残してあとはキャラバンに置いてきてしまった。手間をかけるが、売るなり再利用するなりしてほしい、と頼めば、リーダーは眉尻を下げて「いいや、何か一つくらいは残しておくよ」と言っていた。どうせもう会えないのだから、サトウとの思い出に、と。

 この世界に落とされた事、そのものについて、サトウは未だ怒りを覚えているし、到底許せることではないと思っている。勇者側として落とされたのならともかく、サトウが魔力チートでなければ、落とされた瞬間に死んでいてもおかしくない状況だった。そのくせ、サトウのような存在は丸ごと無視して排除している。過去どれほどの勇者召喚が行われたのか、サトウの知るところではないが、ある程度方法や制度が整備され、民衆に浸透しているくらいなのだ、それなりの頻度生じていたとみてよいだろう。

(今までの“迷子”はどうしたんだろうな)

 ふとそんなことを考える。

 月世界への帰還を諦めたのか、はたまた、勇者と何とか渡りをつけて、一行に混ぜてもらうことが出来たのか。あるいは、勇者の知り合いを騙ったとして、捕まり投獄されてしまったのか。

 まあ、考えたところで意味はなかった。サトウは正規の手順で儀式に立ち会うのだし、そこで、勇者ヒイロと再会するのだ。

 立ち上がると茶髪が揺れた。元の通りに切ったつもりだが、それでも気を抜くとするする伸びてしまうので、月世界にいた頃と比べると少し毛先は伸びていた。約一年間、すっかり白髪でいることに慣れてしまって、今更見る茶髪に違和感を覚える。

 ただ。

(……白髪にしたところで、あいつが気づくかどうか)

 第一、ヒイロの前で白髪を晒すことは、どうしたって許容できなかった。いつだか、子供の頃に言われた言葉が未だにサトウの身を蝕んでいるようで。


――僕は君の白い髪、とてもきれいで好きだなあ


 あの時、あの瞬間。鳥肌が立つほどの拒絶感を確かに抱いたのに、サトウは一色に掴まれた腕から逃げ出すことが出来なかった。体格に大きな開きがあって――もっとも、それは今もだが――サトウはその頃、まだ“うさぎちゃん”だった。

 憐れむような、慈しむような。愛玩動物を眺めるような、人に向ける熱のない、けれども何か、とろりと零れてしまいそうな執着の色を秘めた、瞳を。

 その瞳から覗く複雑な感情の塊を、ひとつひとつ咀嚼できるようになったのは最近の事で、当時はただ、ぶつけられたままに恐怖した。あれは、正しく、恐怖だ。

(……元に戻ったら、俺の髪、どうなってんのかな)

 伸びているだろうか。染められているだろうか。それとも召喚される前の状態なのだろうか。

 伸びてしまって、染められていない白を晒すのだとしたら。

 ヒイロと一緒に帰りたくはないなあ、と、サトウはぼんやり思う。もう一度深いため息。聞きとがめるように、ホテルのメイドが朝食のラストオーダーを告げる、ノックの音を響かせた。

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