3.王都オムロン
デミグラからオムロンまでは、通常馬車で一週間の旅になる。
王国最西端の町であるデミグラは、王都直通の馬車はなく、乗合馬車を乗り継ぐ必要があった。一週間、というのは上手く乗り継いだ際の最短期間であって、実際にはもう少し時間がかかる。
サトウははじめ、他の多くの人と同じように、乗合馬車で王都まで向かうつもりでいた。
「え? 満席?」
だというのに、出発予定日に馬車の発着場へ向かうとすでに長蛇の列ができていて、御者がある程度のところで頭を下げつつ解散を促していた。話を聞けば、王都方面へ向かう人が殺到していて、ここ数日は常に馬車が満席らしい。
「すいませんねぇ。ほら、勇者様がそろそろ帰還されるでしょ? 少しでもお近くで感謝の気持ちを伝えたいって人が多いようで。なるべく詰めて座ってもらってますけど、限度があるでしょ?」
御者は申し訳なさそうな顔をして何度か頭を下げた。「何せ御者台の方まで人が来ている始末で」と、続けながら視線が馬車の方を向く。
確かに、御者台の上にはすでに人が座っていた。身なりのよさそうな男で、ちらちらとこちらを見ている。御者が戻ってくるのを待っているのだろう。サトウは「そうですか」と頷いた。
「では、残念ですが諦めることにします」
「いいんですか? その、こういっちゃあれですが、魔術師様なら……」
言い淀んで、御者の視線がサトウの頭のてっぺんからつま先まで不躾に動いた。
御者が何を言いたいのか理解して、サトウはわざとらしく肩を竦める。
「確かに魔術は使えますけど、攻撃魔法の方が得意でして。壊しちゃっていいのなら、風魔法でも使ってみますけど」
やってみますか? と続ければ、御者はさっと顔を青ざめさせて「いえいえ、結構です!」と勢いよく首を振った。
「それじゃあ、そろそろ出発なので」
そのまま御者は慌ただしく踵を返した。サトウは馬車の発車を見送りながら、ふう、と緩く息を吐く。
(これは、ちょっと、想定外だったな)
非常に注目されている、ということは理解していたが、まさか王都へ押しかける人がこれほどいるとは思わなかったのだ。何せデミグラは、王国最西端の、つまるところド田舎なので。
ゆっくりと走り出した馬車は少しずつ速度を上げて、あっという間に小さくなった。サトウは気を取り直して荷物を持つと、仕方あるまい、と、馬車の後を追うように歩き出す。徒歩で行く気は毛頭ないが、どの道デミグラからは出なければならなかった。
この世界には魔法がある。
ヒイロと共に、“勇者召喚の儀式”でこの世界に召喚されたサトウが最初に驚いたことは、見知らぬ土地にいることよりも、短く切り整えていた髪が、足首に届きそうなくらいの長さまで伸びていたことだった。
召喚される際に“迷子”になったらしいサトウは、ヒイロと同じ場所には召喚されず、一人荒野の真ん中に放り出されていた。長く重たい髪を抱えて目覚めた時、窺うように大きな魔物がこちらを見ていて、悲鳴を飲み込んだのを覚えている。襲われなかったのは運がよかったわけではなく、その魔物よりサトウの持つ魔力の方が強大だったためだ。それが魔物の習性らしい。
どういう原理かわからないが、サトウには身に余るほどの膨大な魔力が宿っていた。召喚の折に付与されたものなのか、はたまた、月世界に住んでいたころから抱えていたものなのか。月世界には魔法がないので、元々魔力を持っていたとしても証明することはできなかった。
魔力は髪の毛に宿る。
サトウを保護してくれたキャラバンの魔術師曰く、人体の中で最も魔力を“通しやすい”のが髪の毛なのだそうだ。そのため、身の内に収められないほどの魔力を持つ者は何をせずとも髪の毛が伸びていき、切っても切ってもすぐさま伸びてこようとする。実際、サトウの髪は切ったそばからするすると伸びてきて、同じ長さで止まってしまう。
転じて言えば、長髪はイコール魔力の大きさを示す。そのため、魔術師たちは自身の魔力を誇示するために好んで髪を伸ばし、人によっては常に髪に魔力を纏わせるのだそう。短髪の魔術師もいなくはないが、短髪だと魔術師としての実力が足らないと思われるので、ほぼすべての魔術師たちが長髪なのだと聞いた。キャラバンの魔術師も、見事な赤い長髪を持っていた。
先ほどの御者がサトウを「魔術師様」と呼んだのもそのせいだった。
サトウのように、魔力が溢れているタイプは故意に伸ばさずとも勝手に伸びてしまうので、短髪にする場合は長さを一定に保つためのコーティングをする必要があった。ただ常にそれをし続けるのは些か面倒で、キャラバンの魔術師に魔法を教わってからは慣例通り髪を伸ばしたままにしていた。実際に魔法を使えるので、魔術師、で間違いではない。
魔法が使えるほどの魔力を持つ者は少ないので、魔術師に「様」が付くのも道理ではあった。国に認められた認定魔術師であれば、出身が平民であっても爵位を賜れるほどの職業なのだ。彼らは魔法を提供する代わりに、生活のちょっとしたことを融通させる者も多く、先ほどの御者はそれを暗に促していた。つまり、「風の魔法で馬車の重量を減らしてくれるなら乗ってもいいぞ」ということである。
(減らしたらどうせさらに乗せるだろうしなあ)
のんびりと歩いているうちに、いつの間にかデミグラの町を抜けていた。もう少し歩けば森に入る。そこまで行けばいいだろう、と、とりあえずの目的地を定めた。
ヒイロとはぐれてこの世界に召喚されてから、一年が過ぎてしまった。
その間、ヒイロは王宮に迎えられ魔王討伐の旅に出た。サトウはヒイロと合流することを望んだが、終ぞ今まで合流することはできなかった。
サトウが“迷子”になって召喚された場所は、アルカナ王国の隣、ドーラ王国であった。魔王討伐の任を持っていたのはアルカナ王国で、ドーラ王国では勇者召喚だの月世界への信仰だのは存在しない。隣国では月に住むと言われる高位種族の存在が信じられているらしい、くらいの認識である。
魔物と睨みあうサトウを見つけたのはキャラバンの一行で、サトウは彼らに拾われた。キャラバンのリーダーは幸いにもアルカナ王国の出身で、混乱するサトウから事情を聴き、何が起こったのかを説明してくれた。ヒイロと合流したいと主張したサトウに難しい顔をして、「きっと認められないと思う」と諭したのもリーダーだった。
「王国は、召喚の儀式に使われる召喚の魔法陣が、古代転移魔法陣を原型とするものだと認めている。古代転移魔法陣は、座標指定の構文が複雑であるため、転移時に座標から零れ落ち、意図せぬ場所に転移する可能性がある、という欠点があるから、当然、サトウのような例もあるだろう」
リーダーは魔力を持っているが魔術師になれるほどの力はなく、剣術の補助として魔法を使用していた。髪の長さも肩程までで、青みがかった灰色の髪を軽く後ろでまとめていた。見た目は優しそうな面立ちの好青年だが、どこか佇まいに気品があって、サトウはなんとなく、きっと何らかの高位な身分の出身なんだろうと思っていた。
「だけれど、勇者召喚の儀式になれば話は別だ。勇者召喚でさえ、勝手に月世界から人を召喚して、勝手に命のやり取りを押し付けているというのに、他の誰かを巻き込んで、あまつさえ“迷子”にさせたとあっては国の威信に関わる事態だ。だから王国の主張としては、“儀式に使用した魔法陣の上にしか召喚されない”ことになっている」
リーダーがじっとサトウを見るので、言いたいことを理解したサトウは顔を顰めた。つまるところ、魔法陣の上に召喚できなかったサトウは、国として「月世界から召喚された」ことにはならないのだ。
「さらに言えば、月世界から召喚できるのは勇者だけ、とも言われている。君の様子や、見慣れぬ衣服を見る限り、僕たちは君の事を信じるが、あの国では認められずに、最悪捕まる可能性もあるだろう」
勝手に巻き込んでしまって心苦しいことだが、とリーダーは頭を下げた。リーダーは儀式には無関係だが、同じ世界に住むものとして、ということらしい。
悪いのは――魔王の事情を鑑みればそうとも言い切れないのだろうけれど――アルカナ王国政府である。とはいえ、捕まる可能性があるのなら、ヒイロと合流する方がハイリスクだろう。サトウはため息を吐いて、それで、キャラバンの世話になることにした。
そういうわけで、ヒイロが過酷な魔王討伐の旅に出ている間、サトウはキャラバンの一員として働きながら、「機会」をずっと狙っていた。リーダーから何度も何度も念押しされたのは、「チャンスは一度だけ」ということ。魔王が討伐された時、サトウは惜しまれながらもキャラバンから離脱した。
(このくらいでいいかな)
王都方面の次の町へ向かうためには、この森を抜けるしかない。そのため、馬車が通りやすいようある程度道が整備されているのだが、サトウはその道をするりと逸れて木々の深い奥へと向かった。先ほどの馬車は道をまっすぐに進んだはずだ。
少し開けた空間を見つけて、荷物を下ろし周囲を見渡す。人の気配はもちろん、魔物や動物の気配もしない。魔物は、魔王が討伐されたおかげで滅多に見かけなくなっていた。
キャラバンに拾われたことは、サトウの唯一の幸運と言えた。そのキャラバンに、その昔王宮魔術師を務めた魔術師がいたこともそうだろう。
サトウの魔力は殆ど無尽蔵のようで――通常複数人で発動するような大きな魔法も、一人きりで難なく発動が可能だった。サトウが勇者の側だったなら、きっと「異世界転移のチートだ」と思ったに違いない。チート、といえばチートかもしれないが、実際は勇者ではなくただの“迷子”で、大きな魔法も使いどころが全くないので殆ど無意味だ。世話になったキャラバンの戦力になれたのは救いであったが。
魔法についての知識を得やすい環境にあったのも幸運だった。有識者が身近にいることはもちろん、魔術師が個人的に所有している魔法の研究文献もそれなりの量があった。あらゆる魔法を勉強し、試行錯誤しながら新しい魔法を生み出せるくらいには、良い環境だった。案の定、どこにも使いどころがないので、宝の持ち腐れに等しかったが。
“魔法陣を使わない転移魔法”もそのうちの一つだった。
転移魔法自体は既存の魔法だが、出発地点と到着地点の両方に魔法陣が必要になる。大きな都市に行けば、魔力を持たない一般人でも転移魔法の恩恵を受けることが出来る。転移料はちょっといいホテルに泊まるくらいの金額なので、魔力を持たない一般人、のうち、利用できるのは富裕層が殆どだった。
現在の転移魔法は、出発地点と到着地点の二地点に魔法陣を描くため、サトウのような“迷子”が生まれない仕組みになっている。逆を言えば、魔法陣がなければ座標の指定は複雑すぎて、とてもではないが魔法にならない、というのが通説だった。
(えーと、オムロン近く、この辺でいいかな)
大きな地図を地面に広げて、ペンでがりがりと印をつける。具体的な距離は分からないが、方向となんとなくの目安がわかれば問題なかった。
荷物を抱えて目を閉じる。難点は広げた地図が置き去りにされてしまうことだが、風で飛ばされたのだろう、くらいにしか思われないに違いない。
「いち、に、」
(さん)
魔法を使うのに呪文はいらない。
イメージとタイミング、基本的にはそれだけで、その方法は人それぞれだ。呪文にする人もいるし、サトウは心の中でカウントを取る。
瞬間、ふわりと周囲の空気が動くのを感じた。瞬きの内に浮遊感。体感的にはちょっとジャンプした、くらいの感覚で、目を開けた。
「うん、ぴったり」
視界の悪い森の中から一変、古びた塔と、その向こうに王城の姿が見える。“転移魔法”は無事に成功したらしい。
“魔法陣を使わない転移魔法”を使ったことは、試行錯誤の上生み出した際の一回きりだったが、難なく使えた自分のスペックがやはり勿体ない、と少し思う。勇者側で召喚されていれば、きっと稀代の魔術師として後世に名前を残しただろう。最も、勇者召喚自体に良い印象を抱いていないので、あまり魅力的には思えない。
サトウは一度深呼吸をすると、王都へ向けて歩き出した。ここからなら、魔法で少し補助をしても夕方には着くだろう。
「いよいよだ」
この世界に落とされて、一日だって忘れたことはなかった。強く強く、念じ続けてきたことだ。
朝、見送った馬車は未だ次の町にも到着できていないだろう。きっとやろうと思えば馬車ごと転移もできただろうが、そんな義理は当然ないし、この国の――この世界のためにチート級の魔法を使ってやろうとは、微塵も思いはしなかった。
だから俺の魔法は宝の持ち腐れだよなあ、と、誰にでもなく呟いた。自分で使う範囲の中で、チートが活躍することはきっと一度だけだろう。
予想通り、その日の夕方頃に王都へ到着したサトウは、少し高いランクのホテルを二週間の滞在先と決めた。キャラバンで生活していた際に商売の手伝いをしていたため、それなりの財産を持っている。早々使うこともないので、せっかくだし王都で使っておこう、という気持ちがあった。
最初にやっておきたいこととしては、ムナ・ダンプリー教会に行くことだった。
ムナ・ダンプリー教会は、アルカナ王国の国教である、ムナライト教の総本山である。
建国の頃からある教会ということで、建物自体に歴史的価値がある他、美術的価値も高い。寄贈された絵画や彫刻なども時折展示に出されているらしく、他国からの観光客にも人気の名所である。
国としても重要な教会であるため、何らかの宗教行事を行う際はムナ・ダンプリー教会を使用することが多かった。当然、今回行われる、勇者の“帰還の儀式”もムナ・ダンプリー教会が使用されると報じられていた。
王都に到着した翌日、ホテルで道を確認したサトウは、早速北の教会区にあるムナ・ダンプリー教会に訪れていた。
祝勝パレードは終わったものの、この都には勇者がいる、ということもあって、未だ街はお祭り状態だ。デミグラ発の馬車でさえ満席になる状態だったので、人の量もとても多い。儀式に使用される教会は、数ある観光名所の中でも特に人の多いエリアになっていた。
「すみません、儀式の立会権についてお伺いしたいのですが」
教会の職員が忙しなく動く中、サトウは事務室の中に声をかけた。
教会に入ってすぐの場所にある事務室は、元からある部屋ではないらしく、その辺りだけやけに真新しい。
「ええと、はい、儀式の立会権についてですね。要綱はこちらのチラシにございますので、まずそちらをお読みいただいて、何か不明な事項ございましたらお声掛けください」
忙しい中声をかけてしまったため、少しだけ嫌そうな顔をした職員が、カウンターの中から資料と思われるチラシを引っ張り出して目の前に差し出した。嫌そうだったのは一瞬だけで、すぐさまくたびれた笑みを張り付けている。問い合わせへの対応自体は「まず資料を読め、話はそこから」だったので、サトウは思わず苦笑した。
「わかりました、ありがとうございます」
チラシを受け取りながら礼を言うと、職員はさっさと背中を向けてしまった。
手渡されたチラシを見れば、おおよそ知りたかったことの殆どが記載されていた。
“帰還の儀式”は一般公開されていないが、幾つかの条件をクリアすれば立ち会うことが出来る。条件があるため、これに身分は関係ない。どれほど貴族が金を積んでも、条件を満たさなければ立ち会うことはできないのだ。
(聞いてた通りだな。十等級以上の魔力の提供および寄付金、または十等級以上の認定魔術師)
ざっくりと、チラシにはそのようなことが書かれていた。
魔力等級について、サトウは正式な測定を行ったことがない。それでも、自分の魔力が十五段階ある等級の内、少なくとも十等級より上であることは知っていた。キャラバンの魔術師が持っていた、簡易測定器でそのような結果が出たためだ。簡易版のため、上・中・下の三段階でしか表示されず、サトウはその中の「上」だった。
そも、魔力等級というのは有する魔力の純度を示す。純度が高ければ高いほど、少量の魔力で強い魔法を発動できる。等級が下であっても、潤沢な魔力を持っていれば同じ威力の魔法を発動できるが、燃費が悪く、魔力変換の際に時間がかかる。そのため、魔力等級は非常に重視されていた。
(十等級以上の魔力、としか書かれてねえけど、提供する量も審査の一つだろうな)
提供方法は、頭髪による提出、または蓄積具による提出と書かれている。頭髪による提出は、サトウのように勝手に伸びる魔術師でなければあまりとらない手法だろう。とはいえ、蓄積具も非常に高価だ。寄付金もあると考えれば、中々用意することは難しい。
(結局、殆ど立会人はいないんじゃないかってのがリーダーの見立てだったな)
概要を読めば読むほど納得できる。どうしても勇者が帰還するところに立ち会いたい貴族なら、無理を押してでも用意するだろうが、それで得られるものも特にない。儀式については守秘義務が課せられ、立ち会ったことすら公言することを禁じられるのだ。対外的な名誉にもならないことに、それほどの金銭をかけるかどうか――サトウは貴族事情に明るくないが、まともに考えたら“かけない”と思えた。
「まあ、俺なら全然ヨユーだな」
サトウはふふ、と一人で笑うと、チラシを畳んでポケットにしまった。とりあえず本日の目的はクリアした。明日もう一度やって来て、立会人の資格を取りつければいいだろう。
(せっかくだしちょっと観光しようかな)
表に出ていた展示室への入場料を思い出して、そんなに可愛くない金額だったなあ、と懐の財布を考える。
「……ま、いっか。もうこれっきりだし」
宿泊料金は前払いで支払い済みだし、立会条件のための寄付金も除けてあった。それでなお、二週間じゃ使いきれない金額を持っている。
どうせ残していても使い道などないのだし、と納得して、サトウは揚々と展示列の後ろに並んだ。
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