田原総一朗 ある日の追憶

ミジンコ

花となる者たちへ

男は彷徨っていた。そこは果てしなく雑草が続くだけの土地だった。

-何の冗談だ?

それとも事故に合い、あの世に来てしまったとでもいうのか?

-何故此処にいる?!何故、何故・・・

腹立ち紛れに男は雑草を蹴り上げた。ここに来るまでの記憶が全くない。

男は癇癪を起こした。気に食わないとすぐ怒鳴りつける性格であることを、何故か自覚していたが。

「熱いなぁ」

男は急にトーンダウンした。あきらめて状況を見極めると、頭上には太陽が容赦なく照り付けている。暑いというより熱い。

-灼熱地獄か。

ふと自分の服装に気が付いた。それは詰襟制服姿だった。

「何だぁ?」

しかし何故かそれに抵抗は無かった。

自分は一体何者か、意識を集中させた。

-それに何歳だ?

思わず手の平を見つめる。

皺の無い、細い指の以外に綺麗な手だ。

次に顔の肌や皺などを感触で探ってみる。

肌に弾力があり、深い皺も無さそうだ。

自分は高齢だと意識していたが、実は錯覚だったのか。

-若返ったのか?元々若いのか?

しかも足腰や骨格がしっかりとしていることに気付いた。

-それならそれで良い。夢なら覚めないでほしい。

ちゃっかり男は喜んだ。

-いっそこの状況を素直に受け入れて、どんな展開になるかお楽しみとするか。

男は一転、チャレンジャーになった。

気を取り直し、歩き進める先に森が見える。

強い日差しをしのぐのにちょうど良い。

もしかしたら水の流れくらいあるかもしれない。喉が干からびた男は、小走りに進む。

そこは、風の音だけがざわざわと続く。

人気はないが、鳥や虫の鳴き声が響く。

その時・・・・・・

カサカサという草を踏み分けるような音が近くから聞こえた。

「獣か!」男は虚勢を張り、身構えた。

一瞬、友人から聞いた話が脳裏を巡った。

平家の落人伝説がある温泉地に宿泊した友人が夜中、枯草を踏み近づく音に眠気を妨げられ、金縛りになったという怖い話だ。

何故かその話を思い出したのは、その音を聞いた途端に鳥肌が立ったからだ。

音のする方向を、男は睨みつけた。

樹々の間に何かが立っている。

それはテレビの心霊特集などでよく見る、心霊写真のようだった。

「誰だ!!」

臆病者はとにかく怒鳴りつけた。

しかしそれは意外にも美しい姿であった。すらりとした全身に、シフォンのような鮮やかな布を幾重にも被わせている。

「どなたかいらっしゃるのですか?」

途端、男は丁寧に声を掛けた。

男は若くて美しい女性をイメージしたのだ。

そう、男はロマンチストなのだ。

一度興味を持つと止まらない性分の男は、ずんずん相手に近づき、積極的に声を掛けた。

「驚かせるつもりはありません。」

若いが、上品で落ち着いた女性の声だ。顔立ちはベールですっかり隠れているが、宝石のような眼であることが分かる。

「私こそ、貴女を驚かせて申し訳ない。」

「失礼だがイスラム教の方ですか。」

「いいえ。この姿には訳があるのです。」

-物の怪かもしれない。

しかし幽玄な雰囲気が漂う。

 「私はこの街に住んでいた者です。」

 「街?」

民家はおろか、ひとっこ一人見かけなかったではないか。

「ここは街なのですか?」

「はい。でもここは中心地から遠く離れたところです。」

「私は、貴方に伝えたい話があるのです。」

「伝えたい話?」

その瞬間、女の眼は悲哀の表情に変わった。

余程の事情があるのだろう。この女の姿をした物の怪に、恐怖より興味が勝った。

「それより喉、乾きませんか?」

いきなり女に言われ、男は面食らった。

「この先に水の流れがあります。そこへ行きましょう。」

「貴女と行動を共にして大丈夫ですか?」

「貴方にはぜひお願いしたいことがあります。そのために貴方をお守りします。」

騙されたと思ってついて行くか。

しかしこの不思議な遭遇が、男の運命を変えるトリガーとなるのだ。

やがて豊かな水をたたえた美しい場所に辿り着いた。清らかな水が五臓六腑に沁み渡る。

「素晴らしいオアシスを教えてくれて、本当にありがとう。」

「早速、聞きたい。今はいつの時代だ?」

女はそれにすぐに応えなかった。

「何故、それが気になるのですか?」

「ここにいる理由が見当たらない。」

「そのお姿も?」

あっ、そうだ。詰襟制服姿だった。

女は男を若い男性として見ているだろうか。

「今はどんな時代なのだ?」

「私の話を聞いてくれますか?」

「私の質問に答えてくれないじゃないか。」

気の短い性分が思わず出た。

「それも含めて順にお話しします。」

少し話が長くなるからと、適当に腰を落ち着ける場所を選び、女と男は腰を下ろした。

「私達は、ある人物が創るストーリーに登場しているのです。」

「はぁ?何?」

男は理解できない場面に遭遇すると、左右の眉毛を11時5分にする癖があった。

「私は貴方がお気づきの通り、この世のものではありません。」

「この際、どうでもいい。」

「本当に惨い最期でした。」

「恨みがあって化けて出てきたのか。」

女は話を続けた。

「貴方は今、場所と時間を超えた処に来ているのです。」

男は少し戸惑った。

「でも安心してください。私の話が終われば、元に戻れるようにしますから。」

女は話を続けた。

それは・・・

ある国で、ちょっとした諍いが起こった。やがて諍いは同心円を描くように広がり、ついに大きな戦いに広がってしまったという。

女は家族が営む店で働きながら豊かに暮らしていた。恋人もいた。

そんな平和な生活に、危険が迫ってきた。

「私達の家族と彼の家族は、数十キロ離れた場所に避難する計画を立てたのです。」

ふた家族が一度に行動するのは危険だが、とにかく街を脱出しないと命が危ぶまれる。夜中ならうまく行くだろうと計画を決めた。

しかも夜中に車の照明を点けて逃げるのは危険なので、足で逃げることにした。

生活用品をできるだけ現金に換え、そうして得た現金を持てるだけ持ち、着のみ着の儘、女たちは或る夜、ついに計画を実行した。

「しかしこの森の中で、罠に掛かってしまったのです。」

その森を突き抜ければ、目的地はさらに近づく。しかしその途中、さすがに歳のいった両親は、身体を少し休めたいからと、娘とその弟に先に行くよう促した。

恋人も両親の健康が気になるため、少しここで様子を見たいと言う。

女は年端のいかぬ弟の手を握り、待ち合わせ場所を目指して進んだ。

道に迷っても、星を仰ぎ見れば方角を確認できると教えられていた。

「ところがとんでもない罠が待ち受けていたのです。」

もう少しで森を抜けるだろう距離まで進んだ頃、空を見上げ、時間と方角を確認したその時だった。

「背後に何か気配を感じたのです。」

暗闇に幾つもの眼が光っている。それは人間でなく、野生化した犬の群れであった。

その途端、二人は一気に野犬に襲われた。

「咄嗟に私は弟を被いました。私の身体の下で弟は火が付いたように泣き出しました。」

「次の瞬間、身体中に耐えがたい痛みが走り声も出せませんでした。」

「ガリッという鈍い音とともに、熱いものが噴き出る感触を意識した瞬間・・・」

「ちょっと待ってくれ!!ストップ!!」

男の叫び声で女の話は中断された。

「ちょっと中断!!」

男はさらに叫んだ。

「むごいじゃないか!むご過ぎる!」

「怒りで身体中が熱い!むしろ涙が出ない!乾いてしまった!」

「どうか最後まで聞いてください。」

「だから布で身体を被っているのか?」

女は悲しく頷いた。

「私の肉体は瞬間滅びましたが、そこから魂が解放されたのです。」

「さぞかし恨んでいるのだろうね。」

男は泣きだした。

「でも解放された魂をどのように鎮めてよいのか、分からなくなってしまったのです。」

男は少し冷静に耳を傾けた。

「ところで、弟さんはどうした?」

「生きています。」

「じゃあ、貴女が犠牲になったわけだ。」

「ぼろぼろになった私の下から、震えと涙の止まらない弟の姿を家族と恋人が見つけてくれたのです。」

「野犬は?」

「仕掛けた者たちが捕獲したかもしれませんが、詳しくは分かりません。」

「鬼畜め。」

「逃げ出したら酷い目に合う、と見せしめにしたかったのでしょう。」

「しかしあなたは強い!本当に強い!いっそ呪い倒したらどうだ?」

「この強さはあの人が意図したものです。」

 「あの人?」

ストーリーを創っている、という人物か。

「じゃあ、赤の他人の『作文』に僕たちを勝手に登場させているというのか。」

 「それは私に責任があるのです。」

 聞いてくださいと言わんばかり、女は男に真っ直ぐ顔を向け、さらに話しを続けた。

 「私は彷徨いながら、救いの手を求めていました。」

 気持ちの良い風が、男の顔を撫でる。

 「哀れな姿の私を、遺された家族と恋人は埋葬してくれました。」

 女は俯せの状態で、骨が剝き出しになるほど野犬に食い荒らされていたが、奇跡的にも幼い弟を庇った側麺はほぼ無傷だったという。

 余程身体を張って弟を守ったのだろう。

 「私の二の腕は容易に弟の身体から離れませんでした。肩から上腕にかけて血のこびり付いた骨が丸出しになっていました。

 変わり果てた姿を見た家族は、最期に『神業』を成し遂げた女を称えたという。

 「私はいっとき救われました。そして遺された家族と恋人の無事を願ったのです。」

 「でもそれだけでは物足りなかった。」

男は推測した。

「その思いをある人がテレパシーで受け取り、ストーリーが始まったのです。」

 生き地獄の記憶が残る、魂だけになってしまった彼女は、容易には救われないだろう。

 「遠く離れた処にいるその人物は、『能』の世界に憧れていました。」

 「『能』か。」

 「私もその人に興味を持ち、相手と交信し始めました。」

 「能舞台とは古風だな。年配か?」

 「決して若くはありません。しかも能の世界に精通しているわけではないので、創作する事にかなり気後れしているようです。」

 「ど素人か。」

 男は少々プライドが高かった。

 「演劇やミュージカルでなく、何故能だ?」

 「幽霊の登場する演目が多いからです。」

 男も詳しく能を知っているわけではないが、言われてみれば『葵上』や『舟弁慶』など幽霊が登場する演目が多くある。

 「能の幽玄な世界に、人の心を惹きつけ落ち着かせる力があるとその人は言います。」

 こうして女の話を聞くのも、能舞台の場面のようだと男は感じた。

「しかも、ドアーズの有名な歌『ジ・エンド』をイメージしたと教えてくれました。」

 ドアーズ。それは決して嫌いではない。むしろ好きで、『ハートに火をつけて』なんかいつ聴いてもモチベーションが高まる曲だ。

 しかし敢えてその人物を貶した。

 「もうヒッチャカメッチャカ。おつむの弱い、単純な輩だろう、きっと。」

 「自分を『ミジンコ』だと言っています。」

 「何だ!ヒト馬鹿にして。そのミジンコ何某は、僕たちをどうするというのだ。」

 「シンプルな設え。美しい装束。平方の舞台を必要最小限、静かに動き回る。そんな能舞台に貴方をシテ、この私をワキとして登場させたいようです。」

 「反戦がテーマの能か?」

 「反戦だけでなく、誰もが迎える『死』がテーマとなります。」

 「若い僕が『死』を語るのは不足だろう。」

しれっと男は嘘をついた。

 「いかなる『死』を迎えても死は死であると。そしてその人は今のうち、どうしても目的を果たしたいと考えています。」

 「勉強不足の人間が、時間が無いと浅はかに、慌てて、宿題を片付けるようなものだ。」

 微風が女の被る布を少し動かし始めた。

 「こうして貴方に話し続けるうちに心が解れてきました。」

 「悪いが、自分は現実主義だ。癒しも何も無い男だ。」

 「でもあなたは文学や映像制作に携わってきたようですね。人々が興味を持つ作品を創ろうとしたのではないですか?」

 男は、顔から火が点きそうなくらい恥ずかしくなった。

 「失敗ばかりで満足いかなかった。」

 「若さはお試し期間でもあると思います。」

 「安っぽいお試し期間が長すぎた。」

 「貴方しか成し得ないことが多かったはずです。」

 「私は確かに戦いで命を落としました。恋人がほかの女性と結婚するのは辛い。遺された弟や両親が気掛かりです。だからこそ、能舞台の世界に登場したいのです。」

 「そして能は、安らぎの世界です。惨い最期を浄化させるには、能の世界に頼るしかないのです。」

男は、何かしでかしたい好奇心が身体の中で燻り始めるのを感じた。 

 「で、僕は何をどうすればよい。」

 「貴方は現実から目を逸らさない冷静さがあります。」

 「怒りっぽいよ。」

 「それは現実離れした考えに釘を刺そうとするからです。」

 心の中で男は苦笑した。

 「私の話を最後まで聞いて下さり、有難うございます。」

 突然女から礼を言われ、戸惑った。

 「私の骸を埋めた後、花が咲くようにと、恋人が花の種を蒔いてくれました。」

 その種は、将来二人が結婚した記念に花を咲かせようと大切に持ってきた種だという。

 「あの瞬間、私たちは永遠の愛を誓いました。そして覚悟の上で別れたのです。」

 「思い残すことはありません。遺された皆には幸せになってほしい。勿論あなたも幸せになってほしい。」

 「で、僕はこれから?」

 「貴方にはこれからも戦ってほしいのです。あるものを手にして。」

 「武器か?」

 「ペンです。」

 「ジャーナリストになれというのか。」

 「それは貴方の本職ではないのですか?」

 「もしかして、本当の僕を知っているのか(年齢も?)」

 ふと思い出した。

 「肝心の能舞台はどうするんだ?」

 「もう舞台は終りました。私達、何とか演じきったのです。」

 男は、自分がペンを手にして演目を考えなければいけないのかと思っていたのだが・・・

 「じゃあ、これでお別れなんだ。」

 女は美しく体を曲げてお辞儀をした。

 お礼であろう。

 「自然の中で演じた能は、この上なく素晴らしい舞台でした。」

 女は満足しきった眼で遠くを見つめた。

 「この先に駅があります。」

 「駅?こんなところに?」

 「その人が作った駅です。少し懐かしい造りのようです。」

 「切符も何も持ち合わせてはいないが。」

 何だか覚えのある感覚に気付いた。男はいつもの背広姿に戻っている。ポケットには愛用の長財布とスマホがあった。

 「私は森に帰ります。その駅から列車に乗れば、元の世界に戻れます。」

 「こちらこそ貴重な話を聞かせてくれて有難う。この体験を必ず作品にしてみせるよ。」

 「さあ。行ってらっしゃい。」

 「急いだ方が良さそうだ。」

 少し陽が傾き、影が長く伸びている。

 軽く女に手を振ると、男はそのまま真っ直ぐ駅に向かった。

 小さな街の中に大きな蒲鉾型の駅が現れた。

 確かにどこか懐かしさが漂う。

 駅は小さな百貨店に続いている。

 ホームに止まっている1台の列車に乗ると、ボックス型の席に何人かの乗客が座っていた。

話し声も聞こえず、車内は静かだ。

「自分はあの世にいるのか?果たして元の日常に戻ることができるのか。」

現実味がどうしても感じられないが、何とも言われぬ懐かしさだけがそこにあった。

 発車を知らせるブザー音が、『ポー』と心地良くホームに響き渡る。鈍い音を立てながら車輪は動き出した。

 陽は間もなく沈むだろう。

 男は少し眠ることで、翌朝、現実に戻る態勢を無意識に整えた。

 これほど、朝を迎えるために眠るという行為を楽しく感じた事はない。

 そして眠りの途中、夢を見た。

 あの女の声が聞こえる。

 「道すがら、咲いている花が気になりましたら、自然界に戻った魂を感じてください。それは貴方を怖がらせる存在では決してありません。そして貴方も自然の一部なのです。」

 何故か別の声が聞こえる。

初めて聞く声だ。

 「わたくしの拙い創作にご登場いただき、有難うございました。

 あらたな追憶が、これからの糧となりますよう。

そして今回の旅の疲れを、夢の中でゆっくりと癒していただき、貴方に素晴らしい朝が訪れますように。

 田原総一朗様。」

 -そうか。僕の名前は『田原総一朗』か・・・


2022年3月

ミジンコ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

田原総一朗 ある日の追憶 ミジンコ @mijin5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る