31 賢者ホヴァセンシル
アランが
そしてジュライモニアが北ギルドの長、我らが南ギルドと対立する立場の者、そもそもロハンデルトの存在を隠さなくてはならない原因を作った男、賢者ホヴァセンシルの娘となれば、口封じは必須だ。それは理解できる。
(で、ジュライモニアを馬に変えた……なんで馬?)
(好きな物を聞いたら、『ママの焼いたクッキー』って答えたから。『食べることを生甲斐としろ』と命じたら馬になった)
どうやらジゼルは馬に対して、食べることが生甲斐というイメージを持っているようだ。どうしてそうなるのか理解しようなどと無駄なことをするアランではない。ジゼルはそうなのだ、と思うしかない。ほっこりしそうなアランをロファーの小さな叫びが邪魔をした。
「えっ?」
ロファーの驚く声、それは何を意味する? アランが否応なく緊張を高める。
「ロファー、どうかしたのか?」
ジゼルの問い掛けに
「何でもない」
とロファーが答える。
(玄関の前にホヴァセンシルが立っている……ロファーに何か送言したんだ。つまり、ホヴァセンシルはこの建物の中を見ることができる――)
予測はしていた。予測はしていたが……結界を破らず敷地内に侵入し、検知されないまま部屋の中を見渡された。敷地に掛けた魔導術無効も完全に無効化されている――
ひょっとしたらビルセゼルト校長より強い魔導士かもしれない。互角と言われているが、二人が対決したのは学生の頃の模擬戦だけらしい。熟練の、しかも最高位魔導士のどちらが優位かと考えるのは馬鹿げていると言われるが、つい考えてしまう。なぜ馬鹿げているか? 実際に戦ってみなければ結論が出ないからだ。そしてもし、どちらか一方でも本気を出せば、どちらか、あるいは両方が命を落とすからだ。
『ホヴァセンシルとビルセゼルトは、実は内通している』
そんなダガンネジブの見立てがあっていることを祈るアランだ。ジゼルの住処に来る前にダガンネジブに助力を願っておくべきだった、いまさらアランが後悔する。ビルセゼルトに行き先を告げてから魔導士学校を出るべきだった――でも、もし、今ここで、北のホヴァセンシルと、南のビルセゼルト、もしくはダガンネジブがやりあうようなことがあれば、戦いは一気に全面戦争に移行する。十八年前の九日間戦争程度の被害じゃ今度は終わらない。
九日間戦争を起こしたのはホヴァセンシルだった。その結果、魔導界の結束が崩壊し、ギルドが北と南に分断された。その分断は王家の森魔導士学校で友情を育んだビルセゼルトとホヴァセンシルをも分断した。それ以後、ビルセゼルトとホヴァセンシルは顔を合わせたことがない。南北の話し合いには必ず代理が立てられている。
『喧嘩しようって言うんじゃないんだ。権限を持つ者が介して話し合う方が早い、なのになぜ、ヤツ等は来ようとしない?』
ダガンネジブが疑念を口にする。
『二人には暗黙の了解が必ずある――それはきっと来るべき災厄の正体がはっきりするまで隠される、そう俺は踏んでいる』
来るべき災厄まで星読みが正しければあと三年余り、そしてその災厄を連れてくるのか、鎮めるのか、取り沙汰される
「いつまでも客人を待たせるわけにもいかない、表に出よう」
ジゼルがローブの裾を翻す。とりあえずフードは被らない。フードを被るのは戦闘時と決まっている。まずは敵意がないと示すつもりだ。
「ロファー、あなたも一緒に」
ジゼルの言葉にロファーも顔をあげる。もちろんそのつもりだったのだろう。これにアランが異を唱える。
「ジゼル、それは――危険だ」
どうせ言うことを聞きやしない、そう思っても言わずにいられないアランだ。
「危険なら、なおさら傍を離れない」
ロファーの言葉にジゼルが
「うん、ロファーはわたしと一緒にいる」
きっぱりと答える。
「参ったな……ジゼルだけなら何とかなりそうだけど、飼い猫もとなると荷が重い――まぁいい、決して油断はするな」
アランの返事を待たずにドアへ向かうジゼル、迷いなくアランが続き、少しだけ遅れてロファーが後を追った。もちろんアランはドアまでの移動の僅かな間にロファーの保護術の強化をしている。
建屋の前の開けた場所、正面の果樹園を隔てる柵に寄り掛かるように空を見上げる男がいた。着ている物は市井の者と同じ、その男がジゼルに気が付くとしっかりと立ち上がり、三歩ほど前に進んだ。見詰めるジゼル、身構えるアラン、男はその三歩の内に魔導士の正装に衣装が変わる。
「お待たせした」
ジゼルがそう言うのと同時に、四人を取り囲む空間が明るさを増し、互いの顔がよく見えるようになる。ホヴァセンシルの仕業だろう。
「わたしはこの街の魔導士ジゼェーラ。ご用件を伺おう」
「わたしは魔導士ホヴァセンシル。ご存知と思われるが、北ギルドの長を任じられている。だが今日は、一個人としてここに来た」
落ち着いた声、染み入るような響き、そしてなんだ、この雰囲気は……ビルセゼルトの圧倒されるような強さとは違う強さ、抗えないとつい思わせるこの、これは、自信なのか? 動悸が早まるのがアランには止められない。間違いない、どうしたってコイツには勝てない。
アランの動揺とは裏腹に、展開される会話はのんびりと世間話の枠を出ない。
「ご両親はご息災で? ジゼェーラさま、あなたはお父上にそっくりですね。髪と瞳の色は母上のものだけど」
「わたしの両親と、以前は親友だったと聞いております――」
それが今では……口の中で囁いたジゼル、ホヴァセンシルは聞き逃さない。
「それが今では敵対する、と? 時の流れは気紛れに、皮肉な運命を伴うこともあるものです」
僅かに顔を曇らせたホヴァセンシルだ。
軽く溜息を吐き、ホヴァセンシルがジゼルに向き直る。
「本題に移りましょう――図々しくもここに押し掛けてきたのは、他でもない。わたしの娘のこと、なのです」
クスリと薄くホヴァセンシルが笑った、とアランは感じる。コイツ、全部お見通しか? それで? それでどうする気だ?
「こちらの結界に入ったきり出てこない。どこに行ったかご存じか?」
ジゼルが縋るようにアランを見た。そのジゼルにアランが頷き返す。
「ジュライモニアさまは確かにおいでになった。でももう、いらっしゃいません」
「それは確かな事かな?」
ホヴァセンシルが瞳を光らせたのを感じる。
「わたしの結界の内部を探るのはお
ジゼルが抗議する。よし、落ち着いた声だ、アランが少し息を吐く。
「他人の家の中を許しもなく探るなぞ、無礼ではありませんか?」
ホヴァセンシルが苦笑する。すると馬小屋で馬が騒ぎ始めた。ジュライモニアが父親の気配を察知して助けを求めているのだ。舌打ちしたいのを辛うじて我慢するアランだ。なのにジゼルが舌打ちした。途端に馬小屋の騒ぎが収まる。アランの背中に冷や汗がどっと流れる。いや、だが、そんなことがなくたって、ホヴァセンシルが馬小屋の存在に気が付かないはずがない。
苦笑したホヴァセンシルが声音を変えることなく言う。
「娘可愛さに、ついご無礼いたしました――親馬鹿とお笑いください」
そして続ける。
「さて、困りました――星読みの予言まで残り三年とわずか」
何が言いたい? 反射的にアランが手を伸ばしたのは、魔導士のローブの中に隠し持っている、魔導士の剣の柄だ。ホヴァセンシルの動き一つで、剣を抜き放つしかない。剣の力で魔導術を強化させるしかない。そうでもしなければ、ジゼルとロファーを守れない――
無意識に動いたアランだった。そんな自分にアランが戸惑う。
(ロファー……今日初めて会った男、ソイツを僕は命がけで守ろうとしている。なぜだ?)
僕が月影だから? それだけじゃない何かがある。神秘契約と言う言葉が脳裏に浮かんだ。
(僕に掛けられた神秘契約は、ロハンデルトにも関係しているという事か?)
剣を使った魔導術は使ったことがない。剣を使えば術は強化されると判っているし、使い方も知っている。でも実践となればどうなることか? 一度も試したことがない。
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