32  何者になるべきか

 対面する巨大な敵、それとは別に胸中に渦巻く己への疑念、様々な事柄に取り巻かれ、アランは緊張で息さえ儘ならない。自分の呼吸を激しく感じるのに、その割には酸素が足りなく感じる。


 ホヴァセンシルがまたもクスリと笑う。

「娘の安全が保障され、いずれ無事に帰ってくるならそれでいいのです」


どうやら所在が判っていながら捨て置くつもりらしい。人質として預けるという事か? だがこれで、安全と無事な返還を約束させられたことになる。責任がジゼルに投げられた。


「そうだ、ここに来たついでにもう一つお尋ねしましょう」

 ジゼルが軽く溜息を吐いた。何一つ対抗できない。言わせるしかない。


「サリオネルトの息子の所在をご存知か?」

「我が従兄は十八年以上、行方不明のままとされている。生死も不明と言われている。ご存じないか?」

ジゼルがホヴァセンシルに軽く言い放った。それをホヴァセンシルが愉快そうに笑う。


 何一つ嘘はない。だが、知っているとも知らないとも答えていない。そこをどう受け取るか? だが、これ以上、答えようがないとアランも思う。ジゼルにしてはむしろ上出来な答えだ。ホヴァセンシルも追及する気はないのだろう。

「そうでしたね、その通りでした」

と、微笑んだ。


 判っている、とでも言いたいのか? それとも今はその時ではないと、ホヴァセンシルも判断しているのか? 今、ロハンデルトを獲得しようとすれば、できないホヴァセンシルではない。が、その代わりジゼェーラとアランを無事で置くこともできなくなる。すなわち南と決定的な対立を生む。今はそれを避けたいと思えば、ロハンデルトの所在を知っただけでもホヴァセンシルにとって充分な収穫だ。


 ずっとジゼルを眺めていたホヴァセンシルがアランに視線を移した。

「それにしてもジゼェーラさま、よい影をお持ちになりましたね」

「恐れ入ります」


「久しぶりに若者の純真を見て、若い頃を思い出しました――では、これで。を探さねばなりませんのでね」

「きっとご無事でいらっしゃいます」

ジゼルの言葉にホヴァセンシルが頷く。


「では、また機会があればお会いしましょう――戦場でなければよいのだが……」

最後は呟きになったホヴァセンシルだ。そしてスゥーッと姿が消えた。


 息を吐く暇もなく、崩れ落ちるジゼェーラをアランが支える。

「怖かった……」

絞り出されるジゼルの声、

「うん――部屋に入ろう」

ジゼルを抱えるように建物の中へと入っていくアランだ。背中にロファーの焼けるような視線を感じながら――


 ソファーにジゼルを座らせ、お茶を淹れにキッチンに向かう。ミルクは切らしているようで、ジゼルの好きなミルクティーは諦めるしかなさそうだ。


 そっとジゼルを窺うと、すっかりロファーに頼り切っている。僕とは違う、とアランが感じる。僕に甘えるジゼルが、ロファー甘えている


(その子はね、親の愛情を知らずに育ったんだ)

 気が付いたらロファーに送言していた。焼きもち? 少しだけアランが自分に苦笑する。


(ジゼルにとってあなたは保護者で加護者。あなたがそう思っていなくても、ジゼルにはそれが真実――)

ロファーは何も反応しない。聞こえていないはずはないのに……だとしたら――


(あなたにもそれが判っているのですね)

やはり答えはないが、さらにしっかりとロファーがジゼルを抱き締めるのがアランには判った。

(余計なことを言って申し訳ありません……)


 ロファーもすでに自覚している。僕が心配することじゃない。いつまでも幼いジゼルでいるはずもない――だからって、僕とジゼルの関係が変化するわけでもないのに一抹の寂しさを感じるのはなぜだろう。


 お茶を楽しみながら、ジュライモニアについての後始末をジゼルに助言してから、魔導士学校に戻ったアランだ。ホヴァセンシルが何か言ってくることは当分ない。その点は安心していい。だが、ジュライモニアの気配を確実に消すように念を押した。用心すべきはホヴァセンシルではない。それ以外の敵勢力、きっとホヴァセンシルは上手に誤魔化してくれるはずだが、それを当てにしていい訳じゃない。


 ジゼルはロファーの記憶も操作すると言った。ジュライモニアが馬に変えられたこととアランについての記憶がロファーから失われる。いずれロファーが覚醒すればすべて思い出すのだろうが、それまでは不要な記憶で知識だとジゼルは判断した。


(疲れた――)

 うかうかしていると夜が明けるだろう。自室に戻るなり、ゆったりとした動作で、しかし急いでベッドに潜り込んだアランだ。


 目が覚めたのは二時限目が終わる時刻だった。二限目には聴講する予定の講義があった。本来なら部屋に掛けた覚醒術が起動して、間に合う時間には目が覚めるはずだ。それを誰かが無効にした。判っている、そんなことができるのはビルセゼルトしかいない。反省文を受け取って慌ただしく出かけたビルセゼルト、あの時点できっと南ギルドはホヴァセンシルの北ギルド不在の情報を得ていたのだろうと、アランは思う。


(ひょっとしたら――)

ジゼルの住処をどこかからビルセゼルトは覗いていたんじゃないだろうか?


 もしそうだとしても、ビルセゼルトから何も言ってこない限り、何も言うまい。アランはそう決めている。僕はジゼルの影であり、もし、ビルセゼルトに知らせる必要があるならば、それはジゼルの仕事だ、そう理由づけた。


 二限目は『魔導史実細論』、もちろん魔導史学第一人者と言われるビルセゼルトの講義だ。無断欠席のペナルティーはなんだろうと、頭痛を覚えながら喫茶室パロットで朝食を摂る。するとテーブルの空きスペースに数葉の紙が現れた。


『キミが無断欠席した講義のノートだ。自分の講義のノートを取るのは初めてだ。まったく、キミは何かとわたしに初体験させたいようだね』


ビルセゼルト特有の厭味を書いたメモが添えられている。


『昨夜、ジゼルの住処で起きたことはジゼルから聞いている。わたしがあそこに着いた時にはキミは帰った後だった。間に合っていたら、キミを連れて帰れたのに、済まないね。疲れただろう? 今日の助手の仕事は免除する。明日からまた、よろしく頼む――ビルセゼルト』


 ジゼルはビルセゼルトに何と説明したのだろう? どちらにしろ、僕は何も言わないほうがいい。


 いつも通り、肩にマメルリハを乗せ、食事するアランだ。菜っ葉を食べ散らかし、青臭い匂いを漂わせたくちばしがアランのあごを甘噛みし、首筋に寄り添っては『愛しているよ』と繰り返す。物思いに耽るアランがそんなマメルリハに構うことはない。


(若者の純真とアイツは言った――)

 昨日の出来事、特にホヴァセンシルの言葉を思い返す。


(敵うはずもないと判っていても、それでも立ち向かおうとしていた。それを指摘したのだろうか?)

困難に立ち向かう勇気、それを純真と言ったのか? そうだとしたら――


 ふとアランが苦笑する。そしてまた、別の言葉を思い出す。

(よい影を持った――あれは皮肉だ)


本体に忠実なだけの影、アイツは僕をそう評価したんだ。悔しさが込み上げる。

(僕は――僕がジゼルに依存している、そう言いたかったんだ)


悔しいが、そう言われればそうなのかもしれないと思ってしまう。否定したいのに否定しきれない。

(結局僕は、いつまでたっても何者にもなれないままだ――)


 肩にいたマメルリハが不意にテーブルに降り立ち、ビルセゼルトのノートの端を齧り始めた。インコは何が楽しいのか、紙の端を細い帯状に切り取りたがる。


「ダメだよ、マメルリハちゃん」

インコを脅かさないようにそっとアランがノートを取り上げる。探ってみると思った通り、もう少しで切り取られるところだった。齧られた部分を指で撫で、修復魔法をかけるアランだ。


「うん?」

 紙片を撫でるアランの指がそこに書かれた文字を拾う。『キミは先を見ようとし過ぎる――』いつかビルセゼルトに言われた言葉がそこにはあった。そしてまた、別の言葉もそこにはあった。


『目の前を見ることも大事だと言ったが、さらに次の課題を与えよう。先を予測したいのなら、それもいい。だが、さらにその先をも是非、見渡してごらん――ビルセゼルト』


 玩具を取り上げられたインコがアランの肩に戻ってくる。アラン、アラン、と名を呼んでアランを覗き込む。すると何を思ったのか、喫茶室パロットのインコたちが一斉にアランを呼び始めた。

「おいおい……なんだって言うんだい?」


 ほかに客がいないからまだいいようなものの、インコの教育はどうなっていると言われそうだ。今日の分の餌やりは済んでいる。もちろん水も綺麗なものに入れ替えた。軽く溜息を吐きアランが立ち上がる。

「早くいるべきところへ行けって?」


 今日はほかに講義を取っていない。助手も免除された。だとしたら――特別に貰っているレッスン室で個人的な研鑽を積めという事か。インコたちはいつもしっかりと喫茶室で起こる出来事を観察している。アランの行動も把握している。大好きなアランの助けになりたいと望んでいる。


 出口に向かうアランの肩からマメルリハが、いつも止まっているはりに飛び移る。仲間のインコが『アイシテルヨ』と待ち受ける。あちらこちらからアイシテイルヨと聞こえる中、アランは喫茶室から出て行った。

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