30 近づいてくる危機
何があった? 呼びかけてみるが反応がない。その代わり、アランの部屋の暖炉にポッと火が入った。なるほど、火のルートで来い、と言うわけか……急いで魔導士のローブを羽織ると暖炉に足を踏み入れた。
「……!」
ジゼルの住処側の暖炉に出た途端、放り込まれた薪を受け止める。
(ジゼルの妖精――)
薪を投げ入れたのは掌ほどの大きさの身体、背では白い翅がチラチラと光を放つ美しい妖精――成熟する前の魔女にだけ
(そうか、ジゼルは冷えが始まったと言っていたっけ)
苦笑して暖炉から出ると、すぐさま次の薪が放り込まれた。ジゼルの妖精の
部屋を見渡すと出入り口は一つ、今は厚い布で塞がれているが通常は壁が
ベッドはクローゼットの近くに置かれている。横たわるのは二人、何枚もの毛布に包まれ、抱き合っている。正常な感覚なら暑くてたまらないだろう。ただでさえ、炊き続けられる暖炉で部屋は汗ばむほどの暑さだ。
(空間拡大術、侵入者除け、入場検知術、土壌改良)
敷地内に施された術を読みながら、ふとアランが笑う。街道に面した門から母屋へのアプローチに人の道と呼ばれる術を使っている。アプローチの周囲の果樹園に入り込むと迷い続けるか、いくら歩いても結局アプローチに戻る仕掛けだ。人の道を外れるな、そうアプローチに命じるだけの術だ。
(なんの皮肉かな?)
施術した時のジゼルの思いを想像してしまうアランだった。
(とりあえず結界は完璧。僕ができる補強は――)
アランの光りを感じない瞳が五回ほど光る。結界の強化と保護術の強化を二重に掛け、侵入者検知術も上乗せした。馬小屋で感じた気配から、危険の正体を推測したアランだ。もし、その危険の最たるものがここに来たら、ジゼルとアランでは侵入を防げないのは明白だ。それでも施術せずにはいられなかった。
さらに母屋と馬小屋の保護術を強化してからベッドに向かった。馬小屋には厄介な客人がいた。いつかアランの前にも顔を出したジュライモニア、彼女が小屋の中で寝そべって――
ベッドの二人、ジゼルはぐっすり眠り込み、男はうつらうつらしているようだ。
(一緒にいる男は金色の髪、ジゼルの言っていた飼い猫――つまり地上に降りた太陽『
男は少し疲労が見えるが、その疲労は精神的なもののようだ。
(ジゼルは完全にエネルギー切れか。馬小屋の気配はジュライモニアで間違いなかった。けれど行動は馬。ジゼルの馬鹿、彼女を馬に変身させちゃったのか?)
苦笑しながらジゼルの耳元に顔を寄せ呼び掛けてみる。
「ジゼル? 馬小屋にいるのはジュライモニアだね? どうして馬に変えちゃったの?」
ジゼルに応えはない。そのままの態勢で息を吹きかける。結界の外部に近付いてくる力を感じ始めていた。急いでジゼルを回復させたい。通常の回復術では間に合わない。自分のパワーを分ける方法を取ったアランだ。
と、ジゼルを抱き締めて眠る男がアランの気配に気付いた。ハッと身体を起こそうとするのをアランが
(静かに。ジゼルはまだ眠っている)
つい、意識に話しかけたアラン、男から反応はないが、届いているのは判る。
「この子は……ジゼルは魔導術が扱えるようになって、まだ一年も経たないんだ――力の調節が苦手でね」
今度は声に出していう。ロファーの心を読んでみると、案の定、アランを警戒しているし、容姿に驚いている。無理もない、魔導界でも珍しいんだ、まして常人には絶対いない。月の光のような輝きを湛えるエメラルドグリーンの髪――
(それにしても落ち着いている……彼から見たら僕は不審者のはずなのに)
まぁいいか、お陰でジゼルの回復に集中できる――
「回復術はそろそろいいかな……触ってごらん、体温が戻っているよ」
アランがジゼルから離れ、ロファーに掛けた行動抑制を解除する。ロファーが恐る恐るジゼルの頬を撫でた。瞳に明らかな安堵が見える。
「僕はアラン――月影と呼ばれている」
「月影? ジゼルにティーポットをくれた?」
あげたつもりはない、が、男にそれを言ったところで始まらない。曖昧に微笑むだけにしたアランだ。魔導士は嘘が吐けない。
「ここはジゼルの結界の中だ。他の魔導士は術が使えないはずなんじゃないのか?」
ベッドから降りた男がアランに問う。
「僕はジゼルの影なんでね、ジゼルと同じ権限を持っていると思ってくれていい――ジゼル! そろそろ目を覚まして……ヤツが来る」
「来る? 誰が?」
ジゼルはモゴモゴ動いただけで、代わりに男がアランに聞いた。
「交渉しなくてはならない相手。僕とジゼルが二人がかりでも瞬時に組み伏せられてしまいそうな相手――」
「えっ?」
男の顔色が変わった。
それと同時にフワッと何かがアランに触れた。見ればジゼルの妖精がアランの腕にしがみ付いている。
(ヤツが来たね――)
妖精に話しかけると同時に、結界が歪められていくのが判る。
(破るのではなく歪みを生じさせ、そのひずみからの潜入――間違いない、こんな術が使えるのは数えるほどしかいない。相手は最高位魔導士、賢者ホヴァセンシル。
「ジゼル! 起きて、自分の足で立って!」
焦るな、心の中で自分に言い聞かせる。向こうからは今のところ敵意を感じない。交渉の余地は充分ある――
やっと起きだしたジゼルにアランが畳みかける。
「ジゼル、自分が何をしたか覚えているね? もうすぐここにホヴァセンシルが来る。準備しなくちゃいけないよ」
ジゼルに言葉は届いているのだろうか? 不安なアランをぼんやりと見たジゼルが両腕を伸ばしアランの首に回してくる。
「アラン――大好き。来てくれて嬉しい」
まったくもう! そう感じながらアランもジゼルを抱き返さずにいられない。
「僕も大好きだよ、ジゼル――でも、今はちゃんと起きて。支度を手伝うから……魔導士のローブはどこだい?」
やっとベッドから降りたジゼルがクローゼットからローブを取り出す。それを受け取り袖を通しやすいよう広げたアランだ。ジゼルは素直に従って、袖を通すと前立てを止め始める。その間にアランが魔導術でジゼルの髪を整える。魔導術を使い、湯で絞ったタオルを出現させてジゼルに渡す。傍らで様子を見ているロファーから、じわじわと感じるのは嫉妬だろうか?
「これでいい?」
タオルで顔を拭ったジゼルが、タオルをアランに返しながら訊いてくる。受け取ったタオルで目の端に少し残った目ヤニを拭きとってやるアランだ。
「世話係? 随分と
ロファーがアランに厭味を言った。
「巧く世話が焼けているといいのだけれど――何も見えちゃいないんだ。感触だけが頼り、多分、きっと、おそらく、そんな感じで動いているだけなんだよ」
男から気まずさを感じる。ジゼルは僕の目が見えないことをコイツに言ったんだな、と察したアランだ。
「ジゼル……」
アランがジゼルの手を握る。ジゼルがアランを見詰めるのを感じる。アランもジゼルに真っ直ぐ顔を向ける。
(なぜジュライモニアを馬に変えたの?)
送言術で話しかける。男には聞かせられない話かもしれないと思った。
(あのバカ、ロファーに恋文を寄こした。で、それを無視してロファーをこの住処に匿ったんだけど、見つかっちゃって)
(ジュライモニアに結界を破られたのか?)
ここの結界は完璧だった。ジュライモニアはそこまでの魔女なのか?
(いや、結界を破るのは無理だったみたい――アイツ、物理的に入ってきた)
(物理的? 歩いてってこと?)
(そう、歩いて。魔導術無効だから、梯子を持って)
(梯子?)
(うん、梯子。担いで来たって言ってた。最初は玄関ドアをガンガン叩いたり、シクシク泣いたり……でね、屋根に上って天窓から寝室を覗き込んだんだ)
吹き出しそうなのをやっとのことで押さえて、アランが天井を見る。なるほどあそこから覗き込んだのかい、ジュライモニアらしいと言えばらしい。
(それにわたしが地上の月――神秘王と気付いていたし、一番重大なのはロファーがロハンデルトなのだと気付かれたことだ。口を封じるしかないよね)
ジゼルの手を包み込むアランの
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