29  ストーカー

 喫茶室パロットに今朝もアランは来ていた。このところ、朝食の時間にアランを食堂で見ることがない。教職員棟ならば、自室にキッチンやダイニングを作ることも可能なのだから、わざわざ食堂には行かず自室で食べているのだろうと気にする者もいない。が、アランが自分で食事の用意をするはずもない。


 いつも通り餌と水を入れ替え、甘えてくるインコたちの頬を撫でてやる。そしてやはりいつも通り、マメルリハインコはアランの肩から離れようとしない。


 お気に入りの高椅子に腰を掛け、宙から一冊の本を取り出す。ページをめくり目指すページを見つけると、一葉一葉、指で撫でるように手をかざす。


 やっと裏ページまで読み込まないよう調節できるようになってきた。裏側も同時に読み込んでしまったころと比べると、飛躍的に読む速度が速くなっている。重なった文字を推測する必要がないからだ。


 喫茶室の営業開始を告げるベルがチリンと鳴った。

「朝食を……それとミルクティーを」

注文して本を閉じる。閉じる寸前、ページ数を確認することを忘れていない。まだ読み終わったわけではなかった。魔導術の本質を解説した本、それに加えて神秘契約・魔導契約についても書かれているはずだ。ひょっとしたら自分に掛けられた神秘契約の内容を探る助けになるかもしれないと考えて読んでいる。


 きっと徒労に終わるだろう。王家の森魔導士学校の校長にして『偉大な魔導士』の異名を持つビルセゼルトがこの本の内容を承知していないとは考えられない。ただの気休め、それでもアランは何かをしていたかった。


 高椅子から降りてテーブルの前の椅子に座りなおす。すぐにトレーが現れてアランのテーブルまで宙をよぎって運ばれてくる。


「あれ?」

青菜がボウルから零れ落ちている。魔導術で盛り付けるのにあり得ない。

「ふーーん」


 アランは肩に手をやって、肩に乗っているマメルリハを指に乗せてテーブルに降ろす。

「これはキミのためにくれたようだよ」

トレーの上にじかに置かれた青菜をつまんでマメルリハの前においてやる。すぐにマメルリハが青菜を齧り始めた。


「つまり、僕にボウルの中身を全部食べて欲しいらしい……」

軽く溜息をついて、フォークを手に取るとボウルの中身をつつき始める。


 今朝のメニューはグリーンサラダにミートパイ、それにオニオンスープだ。小食過ぎのアランはとうとう癒術魔導士に呼び出され、特別メニューにするから完食するよう約束させられた。おかげで先に出されたものを食べきらない限り、プディングもババロアもクリームをかけたイチゴも出てこない。一日一種類だけ許されている焼き菓子も、前日完食していなければ出して貰えない。こっそりサラダをマメルリハに食べさせていたことも、どうやらバレてしまったようだ。


 アランが食堂に行かなくなった理由はここにある。子どもじゃあるまいし、と思う。自分だけ別メニュー――厳密には同じメニューを周囲は大皿から好きに取り分けて食べるのに、自分だけはあてがわれたトレーが運ばれる。それが嫌で喫茶室に通うようになった。


 自宅にいるとき、父親から強要されて食べさせられることがあったが、そのほうがまだマシだと思った。父親相手なら、文句も言える。ここではそういうわけにもいかない。どうせ僕は我儘なお子さまさ、と開き直ることさえできない。


 周囲は好意的な者ばかりではない。味方をしてくれる友人たちはみな卒業し、職を得て学校を去ってしまった。


 特に厄介なのは陰でひそひそ言うヤツ等だ。対抗することも、笑い飛ばすこともできない。それに、もし誰かが擁護するようなことがあれば、それもまた自分のプライドを傷つけるとアランは知っていた。学校にいるそんな誰かは全員後輩だ――僕はなんて面倒な男なんだろうとつくづく自分に呆れる。


 それでもまぁ、アランに合わせてあるだけあって、食べきれない量が出されることはなかった。小食というだけで好き嫌いがあるわけでもない。好きな物だけを食べるのがいけないのだ、癒術魔導士にそう説教された。


 それって本当になんだろうか? ミートパイを切り分けながら漠然と考える。誰だって、本音じゃ好きな物だけ、好きな事だけを望んでいる。望むだけならいいじゃないか。可能な範囲でそうしたっていいじゃないか。望む事まで禁じるなんて理不尽だ――


 喫茶室の営業が始まったという事は、食堂が閉められたという事だ。食事を終えた学生たちが寮や講義棟に散っていく気配を感じる。その中から一人飛んだ。予測通り喫茶室パロットの前に姿を現した。すぐにチリンとドアベルが鳴る。


「やっぱりここにいたのね」

「やぁ、シャインルリハギ、おはよう――何かご用?」

「おはよう……シャーンって呼んでくれないのね」

 アランの対面に座ると『ミルクティーを』と、注文したシャーンだ。


「教職員は学生を正式な名で呼ぶよう言われてるからね」

「講義の時は、でしょう? それに建前だし、そもそもアラン、あなた、まだ教職員じゃないわ」

「そうだね、でも学生でもない。中途半端で僕にお似合いだ――それで? 用件はなんだい?」

「またそんなことを言う……拗ねてばっかりね――用事なんかないわよ」


 宙を横切ってテーブルに置かれたミルクティーにシャーンが手を伸ばす。

「最近顔を見ないから、どうしているかな、って思っただけ」

「ふぅん……だったら迷惑なんだけど? 婚約者がいる女性と二人きりと言うのは外聞が悪い」

「こんな時間、喫茶室に来る人なんかいないわ――そう言えば花瓶、片付けたのね」

やっぱりその件か、と内心思ったアランだ。


「なんでジゼルにあげちゃったの?」

 なぜそれを知っている? そう思ったアランだがすぐに気が付く。


「ジゼルが持っていく前に掛けられた術を暴いておいた方がよかったかな。まさか使用者検知術までかけてるとはね。ストーキングされてる気分だ」

「あ……そんなつもりじゃ――」

「判ってる、僕がちゃんと生きてるか、それが心配だったんだよね」


 食べ終えたトレーをアランが掲げると、すぐにトレーは手を離れてキッチンへと消えた。

「幸い王家の森魔導士学校では学生のみならず聴講生の私生活にさえ気を配ってくれる。お陰で食事指導が入った。ちゃんと生活するしかない」

「アラン、それって皮肉にしか聞こえない」

「僕は昔から皮肉屋さ」


 今日のデザートはオレンジムースだった。添えられたスプーンで口に運ぶと甘酸っぱい香りと味が広がっていく。


「あれはジゼルが勝手に持って行ったんだよ。止められなかった」

「そうなの? でも、なんでジゼルが?」

「うん?」

あれがあると気が散るから、そうは言えないアランだ。何で気が散るかの説明ができない。さて、なんと言葉を置き換えよう?


「シャーンの匂いがするって言ってた」

「わたしの匂い?」

「ジゼルはシャーンのこと、大好きだもんね」

「そっか――」


 シャーンは納得するだろうか? 納得できなくても、反論もできないはずだ。シャーンの匂いがするのも、ジゼルがシャーンを好きなのも、どちらも事実でシャーンだって判っていることだ。


「さて、僕はもう行くよ」

 スプーンを置き、アランが立ち上がる。

「ビルセゼルトの講義に出なくちゃいけない。下準備があるから――それじゃ、また」

まだ何か言いたげなシャーンを置いて喫茶室から姿を消したアランだった。


 ビルセゼルトの講義は散々だった。来学年には教壇に立つ者として教授の助手を勤めるはずが、タイミングを見て学生に配布する資料を出し損ね、名を呼ばれてもすぐには反応できず、三度目にはとうとう退席と反省文の提出を言い渡された。


「学生以外から反省文を貰うのは初めてだ」

ビルセゼルトの面白がる声に学生たちの嘲笑が後を追ってくる。聴講生も一応は学生だったんじゃ? 言い返そうかと思ったが藪蛇と思い、黙って教室を後にした。


 肝心なこと――なぜ集中できなかったか、その理由を記していない反省文を刻限までに仕上げて提出した。突き返されるかと思ったら、どうやらビルセゼルトは急な用事が入ったようで、レポートを渡すとすぐに校長室からの退出を命じられた。


 深夜、その『急な用事』が何だったのか、アランは察することとなる。地上の月ジゼェーラから、至急来て欲しいと連絡が来た。

『アラン、危険が迫っている――なのにわたしは冷えてしまって身動きが取れない』

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