28  地上の月 ジゼェーラ

 それで、とアランが続ける。

「ドウカルネスはロハンデルト様の存在には?」

ふふん、とジゼルが笑う。


「伯母から力の移譲を受けて、何とか統括魔女を任せてもいいか程度の力しかない魔女だ。知識も知恵も足りない ―― ましてわたしが飼猫にしているなんて思いもよらない。疑う事もなかったし、わたしが掛けた隠姿術を見破れもしなかった」


「負けそうだった割には態度が大きいですね」

ついアランが笑う。


「うん、取り敢えず負けていないから。負けていたら言えなかったかもしれない」

悪びれる事もなくジゼルが言う。そしてカップを覗き込む。


「お替りですか?」

「いや、いい加減お腹がブカブカしてきた」

「ブカブカですか」

「そろそろ帰ろうかな」

「いい残しはないですか?」

「そう言われると不安になる。何しろわたしは忘れっぽい」

 自覚があるんだ、と内心感心するアランだ。


「それにしても、このカップ……ティーセットと花瓶か、プンプン匂うな」

「匂う?」

「うん ―― アラン、シャーンを泣かせたな? 私の姉を泣かせるとは、いい度胸だ」


「……泣かせたりしませんよ。子どものころ泣かせたことがあるけど」

「なに? それは聞き捨てならないな。なんで泣かせた?」


「ちょっと悪戯いたずらしただけ。トカゲをてのひらに乗せただけ」

「その程度で泣くシャーンとは思えない」


「シャーンが尻尾しっぽつかんだら、尻尾を切ってトカゲが逃げたんです」

「ほうほう、それで?」


「ジゼル、ときどき言葉使いになりますね」

「気にせず話を先に進めるが良い」


「わざとですか?―― まぁ、それで、トカゲを自分が殺してしまったんじゃないかって泣いたんですよ」

「なるほど……期待するほど面白い話じゃなかった」


「なにを期待してたんだか?」

「で、このティーセットと花瓶、貰って帰っていいの?」


「えっ?」

「えっ?」


「いや、持って帰りたいの?」

「うん。持って帰ってわたしが使う」

「いや……」

「嫌か? ダメか? ダメなのか?」


「僕が使わなければ、きっと魔導術は発動しないかな、って」

「そりゃそうだ。シャーンがアランのために掛けた術だ」

「判ってるんですね」


「さっき言っただろうが。シャーンの匂いがプンプンする。アラン、大好きって匂いだ」

「……ジゼル、意地悪はやめようよ」

とうとうアランが降参する。


 するとジゼルがニヤリと笑う。

「まったく……人の心理とは面白いと、アラン、あなたを見ているとつくづく思う ―― まぁ、これはわたしが持っていく。気になって仕方がないんだろう? アラン、このところ気もそぞろだよ。これが原因なんだろう?」

「新年度で落ち着かないだけです」


「ところで……」

 まだ何かあるのか? とアランがうんざりする。

「ジュライモニアって知ってる?」

また、頓狂とんきょうな話しの降り方だ。


「北ギルドの麗しの姫君……もちろん知ってますよ」

「そんな一般常識じゃなくって ―― 少し前にヘンなところで遭遇した」

 アランが顔色を変える。


「なんでそんな重大なことを、忘れるんですか!?」

「忘れてないから話していると思うが? 最後になっただけだ」


「さっき、帰ろうとしたじゃないですか」

「そうだったっけ?」

真面目にジゼルが考え込む。


「帰ろうとした件はもういいですから! ジュライモニアと何があったんですか?」

「うん、道でバッタリ」

「道でバッタリ?」

「そう……そう、そう、ドウカルネスと同じ日に、火事を起こされた街の道端で会った」

「それなのに忘れちゃうんですね……」

 頭を抱えるアランに、忘れてないってば、とジゼルが抗議する。


「なんかね、わたしの顔を見に来たって言ってた」

「それだけ?」

「それだけ。ここにいる事をホヴァセンシルに知られると拙いんじゃないの? って助言したら逃げた」

「ジゼルさん、助言と言うより脅しましたね?」


「そンな風にあちらが感じたとしても、わたしとしてはあくまで助言だ」

「そうですか。それでどうなりしたか」


「さっさと、消えたよ。本当に顔を見たかっただけなのかも。わたしの足元に火を投げたけどね。あれは挨拶代わりだろうなぁ……」

「……それだけで済んで何よりです」


「誰がそれだけで済んだ、って言った?」

「他にも何かあるんですか?」

 胃が痛くなりそうだ、とアランが思う。


「うん、ロハンデルトの顔を見られた」

「はいぃ?」

アランの悲鳴にジゼルが笑う。


「なにを素っ頓狂な声を出す。保護術は掛けたが、隠姿術はその時は掛けていなかった。もっとも、掛けていてもジュライモニアは見抜いたと思うけどね」

「うーーーん。ジュライモニアはロハンデルトの正体を見抜きましたかね? まぁ、ジゼルが言う通り、結構、力も知恵もある魔女でした。ただ我儘で自分勝手……憎めないところもあるけど」


「さぁね、ジュライモニアがロハンデルトを見抜いたかなんて興味ない」

「興味持ってください」


「見抜いたとしても、あの魔女は自分の父親に報告したりしない。自分のことしか考えない性格だ」

「あぁ……確かに」


「アラン、やっぱりジュライモニアと知り合いか?」

「知り合いって程じゃあありません」


 魔導士学校での出来事と、ジュライモニアが部屋に来たことをかいつまんでアランが話す。


「ふぅん、それでアランはジュライモニアをフッたと」

「そんなんじゃなって」

「顔が赤くなったぞ?」

「嘘吐け」

「嘘を吐けない縛りはわたしにも適用されているよ」


「だって、ジュライモニアは、自分の基準に適合すれば、誰でもいいんだから、フッたフラれたってのとは違うと思う」

「それじゃやっぱりジュライモニアかな」

「やっぱり、って?」

「わたしの街に入り込んだ魔女がいる」

「ジゼル、それって ――」

蒼褪あおざめるアランに、ジゼルは大したことじゃない、と笑う。


「ジュライモニアはわたしとやり合おうとは思っていない ―― いや、厳密には思っているのかな?」

「どっちなんだよ!?」


「アランに聞いた話からすると、ジュライモニアの関心事は、自分の理想にかなう恋人。きっとロハンデルトを手に入れようと思ってるんだろうね。わたしから飼猫を取ろうとして、決闘けっとうを申し込んでくる可能性がないわけじゃない」


「って、おい、笑い事じゃない」

「アラン、怒っちゃいや……」

「こらっ!」


 つい吹き出すアランに、

「わたしがそう簡単に飼猫を手放すことはないと、ジュライモニアも判っているはずだ。決闘でわたしが簡単に負けないこともね ―― わたしではなくロファーを攻略することを考えていると思う」

と、これは真面目な顔でジゼルが言う。


「ロファー?」

「ロハンデルトの街人としての名前 ―― ジュライモニアは今のところ、少なくともロハンデルトの正体には気が付いていないはず。あの封印術はたぶんビルセゼルトでも見破れない……んじゃないかな?」


「推測の域を出てませんよ、すべてにおいて」

「うん。全部推測と憶測」

とジゼルが立ち上がる。


「アランと話してるのも飽きた。プディングが終わったのに、追加のお菓子を出してくれない……ケチっ!」

「なん杯もお茶を飲んでおいてそう言いますか」

アランが言い終わらないうちに、ティーセットと花瓶が消える。


「あ……」

「それじゃ、また何かあったら連絡する」


 持っていくな、と言おうか言うまいかアランが迷っているうちにジゼルは火のルートを使って帰ってしまった。


 すっかり疲れてしまったアランは、そのまま寝室に向かった。


 シャーンがくれたティーセットと花瓶は没収されてしまった。今日の花は何だろうと、どこかで楽しみにしていたと、アランは思う。失わなくては価値に気が付けない、そんな事もあると知ってはいたが、我が身に降りかかると結構きついものだと思った。


 それでも……


 これで良かったんだ ―― ベッドに横になりながら、そう思おうとする。今さらティーセットも花瓶も取り戻せない。


 シャーンの心と同じように ――

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