またまた新たな試み

 世は正に、大ハイシン時代!

 なんて触れ込みはもはや珍しいものではなく、老若男女全てに至るまでハイシンという名は浸透している。

 特に通信設備の整っていない辺境の地だったり、或いは他国の娯楽を一切取り入れさせない国くらいだろうかハイシンを知らないのは。


「……今日はゆっくり落ち着いて仕事がしたい気分だな」


 さて、そんな風にハイシンの名が知れ渡っている今。

 とある場所のとある人間は、狭い部屋の中で本日やらなくてはならない仕事と格闘している。


「あれ? 今日は昼間から配信があるんだな」


 彼もまた、ハイシンリスナーだった。

 今日は夜ではなく昼から配信があるということで、珍しいと言うほどじゃないが基本的に配信は夜なため、配信を聴きながら仕事をするかと決めた。


「けど……仕事に集中出来るかねぇ」


 ハイシンの配信を聴くとなるとまずそれが問題だった。

 トーク力もさることながら、最近では映像を届ける技術の発展によってどんな配信も見逃せないほどに面白いため、いざ配信を開けばどう考えても集中出来るわけがないのである。

 もちろん真昼間からの配信ということは、このように悩むのはこの男性だけではなかった……しかし!

 今日の配信はいつもと違った。


「キャンプASMR……だって?」


 配信が始まり、まずテロップでキャンプASMRという文字が出た。

 ASMRというと今は一大コンテンツにまで上り詰めたもので、男性の妻や娘もドハマりしており、毎日寝る前にハイシンの声を聴いて鼻血を流しているほどだ。

 さて、そんな中でASMRという言葉が身近になってきた今……このキャンプASMRとは何だろうか。


「お、画面が変わった」


 まず、映し出されたのはどことも分からない川辺だ。

 その中に衣装を身に纏ったハイシンが映り、キャンプという言葉を体現するかのように作業を進めていく。


“みんな、待たせたなぁ! 今日はキャンプASMRってことで、僅かな息遣いなんかは入るだろうが環境音だけを楽しんでくれ。ちなみに生配信じゃなくて編集を入れた録画だ! 今日はそういう趣向で頼む!”


 もちろんこれもテロップであり声はない。

 男性からすればなんだこの配信はと首を傾げてしまうものの、この配信の真価……つまり意味をすぐに理解出来た。

 画面の中でハイシンがテントを作るだけでなく、薪を割ったりして夜を凌ぐ準備を進めていく。


「……水の流れる音、薪を割る音……金具を叩く音……ハイシンが地面を踏みしめる音……全部が良いな」


 男性は、移り変わる画面というよりは聴こえてくる環境音に注目した。

 ハイシンなのだから良質に音を拾う機材を使っているのはもちろんなのだが、編集もしていることでとにかく雑なシーンがなく耳心地の良い部分ばかりが流れる。


「声がないのに……凄いなこれ」


 いつものハイシンから放たれる言葉の数々がない……けれど、そのことに退屈は一切なかった。

 男性としては画面が気になるものの、思いの外作業が進む。

 ハイシンと自然が発する心地良い音を作業用BGMにするかのように、男性はいつになく伸び伸びと仕事が進んでいくことに驚いた。


“これでテントと、寒さを凌ぐ暖炉の完成だ。それじゃあ着火するぜ”


 見たことのない四角い箱に薪が入れられ、魔法などを使うことなく原始的な方法でハイシンは火を付けた。

 四角い箱とはいえ中が見える仕様になっており、薪が燃えている様子が鮮明に見えてくる。


「おぉ……この燃える映像と音……これも凄く良いな」


“今日のために集めたアイテムたちのほとんどは、公国に住む友であり最高の技術者が作ってくれた。もし興味があったら、みんなもこうやってアイテムを揃えて試してみてくれ”


 そんなテロップの後、いよいよ料理の開始だ。

 どうやら材料は肉と野菜のスープらしく、少々たどたどしいがハイシンはナイフを使って材料を切っていく。

 もしかしたらモタモタしているところもあるだろうが、それは編集の力によって見やすくなっているので問題はない。


「……くそっ、腹が減ってきたぜ」


 全ての食材が鍋に投下され、先ほど使われた四角い箱……燃える薪によって熱々になったその上に置かれた。

 そこから場面は飛び、一瞬にして鍋の中身がグツグツと音を立てる。

 ハイシンが鍋の蓋を開けると、空腹の者に爆撃を食らわせるかのような飯テロ映像が流れ込む。


「……美味そうだ」


 何の捻りもない料理。

 有名な料理人が作ったわけでも、国の都市で作られるような絶品料理でもない……それなのにカメラワークの良さと、グツグツ音を立てて食材たちがプルプル震えている。

 正にその音は、腹を空かせた者たち……ひいてはこの映像に興味をそそられた者たちに奏でられるシンフォニーだ。


『あむっ……あぁ……うめぇ』


 ここに来てようやく、ハイシンの声が入った。

 そんなの美味いに決まってるだろうと、男性は声を大にして叫びたい気分だった……だが、魔法や発展した機器によって料理などは遥かに楽になったものの、このように面倒だが苦労の果ての料理は格別に違いない。


「これ、その気になればいつでも見れるのか……最高だな」


 こういう動画はこれからも増えていくらしく、男性は期待で胸がいっぱいだった。


 ちなみに、このハイシンの試みは大きな成功を収める。

 彼のトークを聴きたいという声は圧倒的に多かったものの、このような落ち着いた動画も最高だと絶賛だった。

 ハイシンの影響はかなり広がり、多くの人たちが趣味でキャンプを始めるきっかけになるのだがそれはまた別の話だ。

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