イベント大忙しの裏
「……………」
「どうしたのだ?」
「ハイシン様ぁ、どうしたのぉ?」
カナタは悩んでいた……大いに悩んでいた。
その理由というのも、改めて販売を開始したシチュエーションボイスとASMR、そしてそれを聴くに適したイヤホン……更には他のハイシン様Tシャツだったりキーホルダー等々、公国のシドーはもちろんマリアやアルファナが監修を務めたグッズが飛ぶ勢いで売れている。
今回のイベントに関する設営や準備に掛かった費用は膨大だが、それを今回の売り上げから差し引いてもとてつもないほどのお釣りが来る。
「……………」
この世界には確定申告なんてものはないので、どれだけ売り上げても税金をしょっ引かれることはないし、売れれば売れるだけカナタや協力してくれた人々の懐が潤うわけだが……ではどうして、そんな状況であってカナタがここまで悩み……否、引いているのかは目の前の光景にあった。
「ASMR! 私にもASMRをちょうだい!」
「おいおい、まだ売り切れてないよな!? ボイスぅ! 俺もボイスが欲しいぜ!!」
「押すんじゃねえ!」
「はぁ!? ハイシン様を推すなってアンタ何様!?」
「推すなじゃなくて押すなって言ってんだ!」
「だから推すなってどういうことよ何のために来てんのここに!」
「もう嫌だこの人!」
騒がしい……あまりにも騒がしい光景だ。
ここまで自分が手掛けた商品を求めてくれるのは嬉しいのだが、実際にクジで当たり体験した人たちが最高の時間をありがとうと、そうカナタに豪語しそれに感化された人々が求めるという循環が発生している。
引く……それは失礼な表現ではあるが、良い意味でそれだけカナタの作った物が求められているということである。
「すみません! イヤホンの方は完売となります!」
「ASMR完売です!」
「シチュエーションボイス完売です!」
「ハイシン様Tシャツ完売です!」
「キーホルダー完売です!」
次々と売り切れが発生していき、会場が相変わらず沸いているのはもちろんだが悲鳴も聞こえてくる。
ただ幸いなのはこうして騒がしくはあっても、激しい取っ組み合いのようなことは起きておらず、大人も子供も一応順番は守っている……やはりカナタが実際に居るのはもちろんだが、ローザリンデの姿が見えるのもマナーが良い理由だろう。
「ふぅ」
カナタとしてはもう、この段階でやることはそこまでない。
なので一息吐くように気を抜いたのだが、そこで何故かローザリンデがカナタの前に立つ。
首を傾げるカナタにローザリンデは微笑み、こう口を開いた。
「アニス、ハイシン殿を連れて裏に下がれ。そろそろ昼だからちょうど休憩の時間だ――会場の者たちには我らの方からアナウンスをする」
「分かりましたぁ。それじゃあハイシン様、私たちは先に戻りましょう」
いや、俺はまだやれる。
そうカナタは口にしようとしたが、流石に昨日の準備から今日の熱気を浴びて疲弊も大きく休みたかったのも事実だ。
ステージから降りた後、用意された控室に入ったところでカナタはよっこらせっと椅子に座った。
「……体力には自信があったつもりなんだけどなぁ」
「仕方ないわよぉ。昨日から……正確には一昨日から長い距離を移動してきたんだし」
「そうではあるんだが……ほら、まだ若いからさ」
「ふふっ、それでも疲れはするでしょう?」
人間、誰しも疲れるのは当然だ。
こうして休憩出来るのは一時間くらいだが、すぐに飯を食った後にカナタは眠ろうとして、そんなカナタを支えたのがアニスだった。
「マリアたちが居ないから私があなたを今は守るからねぇ。ほら、寄り掛かって良いから眠りなさい?」
「……あんがとアニス」
「えぇ」
そうしてカナタはアニスの肩に頭を預ける形で眠りに就くのだった。
しかし……本来ならこの中にミラが居るはずだというのに、彼女の姿はそこになかった。
果たしてどこに行ったのだろう。
▼▽
「やれやれ、今の大スターを殺せだなんて随分な依頼だなぁ」
帝都から少しばかり離れた所で、一人の女性がスコープを覗いている。
彼女のスコープによって見つめられているのはハイシン――そう、彼女はハイシンをその場から見ていた。
距離はかなりあるし、普通の人なら……否、戦いに秀でており気配に敏感な歴戦の兵でも気付くことは不可能な距離だ。
「カラスが消え、世界から最高の暗殺者という名は消えた――まあ、だからと言って私がそれを名乗るつもりはないけれど。持て囃されるほど面倒なモノはない……きっとカラスもそうだったんじゃないかなぁ?」
女性は相変わらずスコープを覗いたまま、言葉を続ける。
「ハイシン……私はあまり興味がないし、依頼を受けたらやるだけ……にしても邪魔だなこいつ」
狙うハイシンの前に立つ皇帝ローザリンデが邪魔で仕方ない。
一瞬、ハイシンを庇うために立ったように見えたので気付かれたと思ったがそうではないらしい……女性はその目のおかげでローザリンデに気付かれていないことが分かるのだ。
「……………」
この世界には魔法がある……そしてその中でも稀有な能力を持った存在も何人か存在している。
所謂ユニークスキルみたいなものだが、それを女性は持っていた。
ホークアイと呼ばれる目、それは何十キロと言った先の景色すら見通せる目であり、更に自身が放つ遠距離攻撃に対する距離減衰を無効化させるスキルも持っている。
距離によって威力が変わらず、弾も落ちないので一発撃てば目の届く範囲でその弾が真っ直ぐに相手へと向かうのだ――故に、この女性は暗殺に向いていた。
「……ちっ」
ローザリンデが前に立ったまま、ハイシンは奥へと消えてしまった。
一世一代のチャンスを逃したことに女性は舌打ちをしたが、それはそれで都合が良かった――何故なら、対処するべき敵が傍に居たから。
「それで、そこに来た君は何者かな?」
女性の問いかけに木陰の影が揺れた。
それはそのまま形を成し、マントを着た一人の女の子を生み出す。
「……子供?」
「やれやれですね。一発、トリガーを引きそうになってくれればその瞬間に制圧出来たんですけど」
「ほう……絶対の自信があるようだね?」
「ありますよ――だってあの方を危険な目に遭わせようとした者が居たら怒りでパワーアップしますので」
パワーアップだなんて言い方をしたが女の子の怒りを女性は気付いているので、銃を構えながら一定の距離を保つ。
「どうも、名乗る者ではありませんよ。ただどうしてこの場に気付いたかだけ教えてあげます――私、ハイシン様の大ファンなのであなたの悪意に気付けました」
「……はっ?」
「あなたが居ると気付いた瞬間、ここまで走ってきたんです」
「……はい?」
一体何を言っているんだと女性は目を丸くする。
マントを着た女の子はその顔を見せ、ニヤリと笑い剣を構えた。
そう、そこに現れたのはミラだった。
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