まずは事前に勉強をしておこう

「おいす~。どうもハイシンだぜぇ……コホン! おいす~!」

「ふふっ、なんだか可愛いわね♪」


 学校が終わってからすぐに寮に戻るというのも味気ない。

 そうなってくるとカナタにとってどこかに寄るのが普通となるのだが、多くの人たちとの繋がりが出来たことでそれも分かりやすく増えてきた。

 現在カナタと……そしてマリアが訪れているのは娼館であり、二人をもてなしているのはカンナである。


「王女の身で娼館に入る……そういう目的じゃないにしても、やっぱり中々考えさせられるわね」

「友人の家に遊びに来た感覚で大丈夫ですよマリア様」


 元々ここに訪れる予定はなかったが、放課後をカナタがマリアと過ごしていた際に散歩をしていたカンナと出会い、こうしていつかのように招かれた。

 もちろんVIPの中でも秘匿レベルのVIPのみが通れる裏口から娼館の中に入ったため、二人の存在は隠されているようなものだ。


「カナタ君。休憩にお菓子をどうかしら?」

「お、いただきます」


 カンナにそう言われ、休憩ほどでもないがと思いつつもカナタはお菓子をもらう。

 パリッと心地の良い音が響くお菓子はまるでクッキーのような感触と美味しさを伝えてくれる甘さを秘めており、小さな子供のように口に運ぶ手が止まらない。


「つい暇になると挨拶の練習を始めちゃうのがアレだな……」

「見てる側からすれば感動ものだけれどね?」

「そうですねぇ。あのハイシン様もこんな風に練習するんだって珍しく思うだけじゃなくて、やっぱり私たちみたいに普通の人間なんだって思えるもの」


 魔力以外は普通の人間だよとカナタは苦笑した。


(……にしても相変わらず豪華な部屋だぜ)


 カンナはヴェネティが誇るナンバーワン娼婦――そんな彼女だからこそ、与えられた部屋はマリアのような王女が住まう城の部屋くらいの豪華さだろうか。

 そんなことを考えた時、当然だがマリアの実家……王城へは行ったことがないし、部屋すらも見たことはないなと当たり前のことを考える。


「どうしたの?」

「いや……何でもない」


 流石は鋭いマリアなのか、カナタが思考の渦に沈んだことに気付いたらしい。

 ただ何を考えたかまでは分からなかったようだが……まあ、カナタが部屋に行ってみたいと言えば連れて行ってくれるだろうし、寮の部屋でさえも可能だろう。


(って、そんなことは考えなくて良いんだよ!)


 フルフルと頭を振った後、カナタは改めて違う考えに没頭する。

 それはようやく帝国に向かう際の日取りが決定し、帝国の皇帝でもあるローザリンデ最後の掃除をしていることだろう。

 ハイシンによるハイシンのためであり、ハイシンのリスナーのためでもある今までに比べて最大のイベント――それがついに決定したわけだ。


(……本当に大丈夫だよな?)


 女神イスラの加護と軍神ローザリンデの守護……これ以上ないほどの守りであり、国内はおろか国外からの妨害すらも簡単に跳ね除けられるだろう。

 それでもなおカナタが不安であり緊張しているのは単純にビビっているから。


「……うん?」


 そんな風にカナタが来たる帝国来訪の日に関して考えていた時、マリアとカンナはつい先日のカナタの配信でのことと合わせ、お金の話題を口にしていた。


「やっぱり投げ銭というか、あくまで支援だものね。自分のやれる範囲じゃないとダメダメよ」

「……マリア様、かつてあなたは――」

「何かしら?」

「……いえ、何でもありません。よくよく考えれば私も稼ぎの半分を投げたことが何度かありましたから」


 カナタ君、このことは考えに没頭しており気付いていない。

 それからお菓子を頂きながら世間話に花を咲かせた後、カナタとマリアはカンナに挨拶をしてから店を出た。

 ちなみにカンナの部屋から出る際に偶然通りかかった他の娼婦がマリアに勧誘を掛けたが、それもまた事故のようなものである。


「あの人、カンナさんに凄く怒られていたわね」

「まあなぁ。冷静に見たらマリアって分かるけど、流石に娼館に国の王女が来るなんて思えないからな」


 きっと他人の空似とでも思ったのだろう。

 もちろん怒ったカンナはマリアの正体を明かすことはなく、無暗に娼婦に誘うんじゃないと至極真っ当なことを口酸っぱく言っただけだ。


「随分と考え事をしていたじゃない?」

「まあな」

「あれ……きっと帝国でのことでしょう?」

「……分かるんだ?」


 当然よ、そう言ってマリアは笑った。


「改めてみんなの前に姿を現す大きなイベントだものね。最初から最後まで何をするか、どんな風に過ごすかを計画するほどだもの……きっと、多くの人の記憶に刻み付けられる大規模なものになるはず」

「自分がその中心に立っているとは思えないのは俺のメンタルが小物なだけだ」

「小物じゃないでしょうに……自信を持ちなさいよカナタ君」


 トンと背中を叩かれ、そうだなとカナタもまた笑った。

 ちなみに帝国に向かう際のメンバーは限られており、王女であるマリアと聖女であるアルファナは話に話を重ねた結果向かうことは出来ず、同行メンバーは帝国出身のミラとアニス……そして公国からアテナとシドーが合流する。


「それじゃあカナタ君。また明日ね」

「あいよ。気を付けて帰れよ」

「分かってるわ!」


 しっかりとマリアが女子寮の門を潜るまで見届け、カナタも寮に戻るのだった。

 入浴と夕飯を済ませた後、カナタは窓を開けてそっと呼びかける――ミラと、そう口にした瞬間にスタッと彼女がすぐ傍に片膝を突いて降り立つ。


「……いつも思うけど大変じゃないか?」

「いえ、いつも呼ばれるまでは使っている宿に居ますので!」

「……え?」

「名前を呼ばれたら即座にお傍に――それこそよっぽど離れた距離ではなければ私にとっては余裕ですよカナタ様!」

「……そか」

「はい!」


 相変わらず、身体能力に関してこの子は化け物だ。

 ペットの犬のように褒めて褒めてと目を輝かせるミラの正面に座り、改めてこうして彼女を呼んだ経緯を説明する。


「まだ来月のことだけど、もう少しだけ帝国について勉強しようと思ってな。ミラやアニスが傍に居てくれるとはいえ、情報があるとないとじゃ全然違うからさ」

「分かりました! では何から話しましょうか……」


 知らずとも困ることはない……がしかし、知っているからこそ何が起きたとしてもある程度は対応が出来るはずだ。

 カナタはローザリンデのことを信頼しているのはもちろんだが、帝国ではハイシンのことを煩わしく思う貴族がそれなりに居ることも知っているので、こうして話を聞いておくのも大切な自衛の一つなのだ。

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