それは妄想に浸れるボイス
「……どうしたのですか?」
「む、なにやつ!?」
「……ルシアですよ魔王様」
それは魔界における日常の一幕だった。
魔王の居城にてその主である魔王シュロウザが何やらコソコソとしているのを部下のルシアが見つけたのである。
コソコソと隠れながら歩いていても彼女の美しくも巨大な翼は隠れておらず、まさに体隠して翼隠さずといった状況だった。
「うん? どうしたんっすか?」
「ええい! 我はいつも通りだから何も気にするな! 寄って来るんじゃない!!」
ルシアの隣にガルラも並び、二人ともシュロウザの様子が気になっているようで全く視線を逸らすことはない。
ジッと見つめられているシュロウザは小さくため息を吐き、とにかく部屋には絶対に入って来るなと伝えるのだった。
「……あれ、絶対になんかあるだろ」
「あるに決まっている。あの方があんな姿を見せる時は大抵……」
何かを言っていたが完全に外界の声はシャットアウトしたシュロウザだ。
部屋の中に入ったシュロウザはぴょんとベッドの上に飛び、端末を枕元に置いて手を合わせた。
「カナタよ、本当にありがとう。我は今、最高の喜びを噛み締めているぞ」
ありがたやありがたや、そう口にするシュロウザの様子は完全にオタクのそれだ。
少しばかり簡単に説明することになるのだが、実はシュロウザはさっきまで人間界の方に赴いていた。
ルシアやガルラといった部下には一切何も伝えることなく人間界に向かったシュロウザの目的は当然カナタだったわけだが、そこでカナタから開発途中の音声データを受け取ったのである。
『ASMRじゃないんだけど、これも一つの開拓できる道かと思ってさ。単純なシチュエーションボイスを作ったんで聴いてほしい。現代でいう五百円……コホン、まあ誰でも手を出せるくらいの安いものとして売ろうと考えてる。その辺のこともシュロウザの意見を聞かせてくれ』
そうカナタに伝えられたのだ。
カナタがハイシンとして更に躍進するためのアイテムになるかどうか、それを手助けする役割をカナタに頼まれたのだからシュロウザが嬉しくならないわけがない。
カナタからもらったイヤホンを耳に嵌め、そのままベッドに横になるようにリラックスをする。
「……ふぅ、では行くぞ」
とにかくリラックスした状態で、更に目を閉じて聴いてほしいと言われているのもあって、こんな姿を部下に晒すことは出来ないため先ほど二人に釘を刺したのだ。
ちゃんと鍵は閉めたので誰にも邪魔されることはない……ということで、シュロウザは意気揚々と音声データを再生した。
『あ、おかえり。遅かったじゃないか』
「っ!? た、ただいま……」
聴こえてきた声についシュロウザは返事をしてしまった。
これはあくまでカナタの声が聴こえるだけでその場に彼が居るわけではないのに、それでも返事をしてしまうほどに彼を身近に感じたのだ。
ASMRのように脳に直接入り込むような声ではなく、本当に身近に居ると思わせる程度に抑えられたカナタの声だが……まあシュロウザのように返事をしたくなるほどにはカナタの存在感をバッチリと感じるわけだ。
『仕事忙しかったのか? あぁいや、別に怒ったりしてるわけじゃないぞ? いつもより遅かったから少し心配してたんだ』
「……カナタぁ♪」
声だけではない、その世界がシュロウザには明確に妄想できた。
いつものように仕事を終えて部屋に戻った時、愛する彼が待っていてくれるという素敵なシチュエーションが脳裏に浮かんでくる……それは本当に幸せな光景でシュロウザは自らの体を抱きしめながらニヤニヤを抑えきれない。
『仕事が忙しいってことはやることが多いってことだけど、あまり無理をしないでくれよ? 俺にとって君の身に何かあった時の方が一番嫌なんだ。いつも元気な姿を見せてくれる君が好きなんだからさ』
「……我……魔王辞めてカナタのお嫁さんになってもいいか?」
絶対に部下がふざけるなと言ってくるお願いだったそれは。
しかし今のシュロウザは完全に自分の世界に入っているため、彼女の心に響くのはカナタの声だけだ。
さっきも言ったがあくまでこれはボイスでしかないのだが、それでも収録されたボイスはあまりにもマッチしすぎてしまった。
『え? 何言ってんだ? 俺は君の旦那で、君は俺の嫁さんだろ? 今更そんなこと言ってどうしたんだよ疲れてるのか? 全く、困った俺のお嫁さんだ』
「……………」
体を抱いていたはずの腕がだらんとベッドの上に落ちた。
それは別にシュロウザが気絶したりしたわけではなく、単純にカナタの言葉を聴いて完全にトリップしてしまっていただけだ。
シュロウザの頭の中で映像が出来上がっている。
(……あぁそうか、我は既にカナタと結婚していたのだな。カナタが夫で我が妻、なんと素晴らしい家庭なのだ)
シュロウザは正に夢の中に居るような感覚だった。
先ほど言ったがトリップしたというのはあくまで誇張表現であり、彼女の反応はカナタの前世で推しのボイスにニヤニヤする者たちと何も変わらない。
声を聴いて妄想を捗らせ、一時ではあっても夢のような時間を体験してもらえることこそがこのボイスの目的であるため、カナタの狙いは完全に達成された。
「……終わってしまったか」
ボイスが終わりシュロウザは寂しそうに呟いた。
本当に彼が片時も離れないほどに傍に居る感覚、そして本当に会話が出来ているような錯覚、そして何より幸せな妄想に浸ることが出来るこのボイスが実際に売りに出されるとなると果たしてどのような革命が起きるのか、今からシュロウザはカナタのことではあるのに不安半分期待半分といったところだ。
「人間界だけでなく魔界でも流行りそうだ。これは主に女性向けであったが、男性向けのものも考えているらしいな」
女性とのボイスが主に恋愛方面であるなら、需要があるかは分からないが男性を相手にするボイスは友情をメインにと考えているらしく、実を言うとそちらの方も少し気になっているシュロウザだ。
「カナタ……ふふ……ふははは……っ?」
「あ……」
「……逃げるぞ」
視界の隅でゆらりと動いた人影二つを見てシュロウザは動きを止めた。
鍵をしていたのに何故だ、そんな疑問を抱くよりも先にシュロウザの手の平で渦巻く魔力の奔流……その日、魔界の天気は大いに荒れたと語られたそうな。
▽▼
「……異性を意識したボイスと同性を意識したボイス……うん、回数を重ねていくと恥ずかしさよりもどうすれば喜んでくれるかを考えちまうなぁ」
何通りかのパターンのボイスを考えながらカナタはそう呟いた。
マリアやアルファナを交え、新たに秘密裏にではあるが帝国方面のハイシン様宣伝部長になったアニスとのやり取りは楽しさを感じつつも、更にハイシンとしての活動の幅を広げていけるようでやりがいがあった。
ボイスに関してはASMRに続くカナタの発案ではあるものの、通信技術について多少の進展が見られている今においてかなり有効的なコンテンツにもなるわけだ。
「アニスからは安すぎないかとも言われたけど、これくらいの価格設定って割と前の世界じゃ普通だったしな。それに数十分も収録したわけじゃないし」
僅かな金でも買える価格だからこそ多くの人たちが手に取りやすくなる。
まあこうしてボイスを取ったからといってもまだどのようにして販売するかという目途は立っていないわけだが……それでもどうにかデータそのものを遠く離れた相手の端末にも送れる方法を検討中だ。
「意外と簡単に出来そうだけどな。通信技術が発展してきたのなら……普通に販売サイトみたいなのを立ち上げて、そこでお金を投げ銭式のように払えるようにすればやれるはずだし……」
ボイスだけでなく実際の存在するバッジやシャツなどといったものも同様に販売できるようになれば更に多くの人たちの手に渡るはずだ。
「よし、頑張っていくか!」
少し前まではハイシンに染まっていく人々を見るのが少しばかり嫌だったカナタも諸々の事情を経て、その辺りのことを気にするつもりはなくなったようだ。
「……はぁ、どうするか」
とはいえ、目先の問題は言葉にしてしまった大きなイベントである。
果たしてどんなことをすれば良いのか、そして会場は何処にすれば良いのか……まあ会場については既に検討はされているのだが、まだまだカナタにとっての安息は遠そうである。
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